2009年11月30日

人と人

外国人参政権で大変な事になると考えている人は差別主義的に思われる事がある。外国人を見下していると言われる事がある。

外国人を悪と見ていると言われる。

確かにその面は無いとはいえない。だがこの場合の悪とは生活習慣の違い、道徳観の違いである。

個人レベルではわかりあう事も出来るかもしれない。また個人レベルではいい人も多い筈だ。だがこれが集団になると話が違うのである。集団になると生活習慣の違い、道徳観の違いが明確に生活等に影響を及ぼしていくのである。

暴力団、暴走族、世間的に不良と呼ばれる様な人でも仲間内、家族に対しては凄くいい人で頼りにされている人もいるだろう、だがやっている事は非合法的行為だったりするのである。人は多面的顔を持つのだ。

また政治的に違う国の人間、反日教育をしている人間に権利を与えるという事に恐怖を感じないという方がおかしいと思うのは変だろうか?

人と人では仲良くできても国家同士ではこれまでも戦争を起こしてきたのが人間なのだ。

個の考えは集団意識によりすり替えられ影響されるのである。集団のウネリの中では個人の善良さなど役には立たないのだ。

人間は人としての人格、集団としての人格を持っているのである。

そもそも道徳観が違えば善良の基準も違うしね。

必ず悪い方向になるとは限らない。だが移民問題等は色々な国で起きている。その事を考えると権利をわたす参政権の影響は小さくないのである。

地方主権、移民を増やすという政策が合さった時にとんでもない事になると思う。

悪い事が起きてからでは手遅れなのだ。もっと慎重になるべき事を安易な友愛精神で行なっては駄目なのよ。

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2009年11月29日

プレゼン

事業仕分けを見ていて思う事がある。プレゼンの上手い下手が仕分けの基準になっているように思えるのだ。

本当に内容を吟味しているのだろうか?

プレゼンの結果だけで判断していたら大変な事になりそうな気がするのは僕の認識不足だろうか?

確かにプレゼンが下手というのはその業務内容と目的を明確に出来ていないからかもしれない。だから上手い下手で判断するのは正しいのかもしれない。

だが本当にそうなのか?

初めから切る事ありきで話を聞かれたらまともなプレゼンなど出来ないのではないか?元々話聞く気などないのだから。
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2009年11月28日

人は過去に生きる

別に思い出に生きているという事ではないよ。

人間は感覚器から入って来た情報を脳で処理する事により世界を認識している。実際の現象は認識した時間よりホンのチョットだけ過去の出来事なのだ。

人により処理速度の違いもあるかもしれない。そう考えると色々な時間軸で人は生きているのだ。

また過去の事は本当にあった事か、脳で造り出した出来事かわからない。写真等の証拠が有るではないかというだろう。確かにそうだ。だがその写真等から過去の記憶を捏造している可能性は無いのだろうか?

他人の記憶と合致するからそれはない筈だとも言うだろう。確かにこれも正しいように思える。だがその同じ記憶をもつ者達は本当に存在するのか?これすら脳で作り上げた者かもしれないのだ。

今現在感じているモノ、これは今の感覚なのか?それとも死にかけている自分が思い出している過去の記憶なのか?それすらわからない。思い出しているとすると既視感を感じるというのはわかりやすいし、なんとなく次の展開、予想が当たるのも思い出している状況の混濁と言う事ではないのかとすら思える。

夢と現実の境界線。それは何処にあるのか全てが脳が造り出したモノに過ぎない。寝ている状態で視覚情報が無くても夢ではその情報も作り出しているのだ。記憶があれば情報を構築し世界を造り出し事が人間には可能なのだ。音や感触等は現実の物が夢に混じる場合もあるけど。しかしこれらにしても外部からのインプット無しで脳内だけで作り出している。

現実では死ぬ、痛みがあるというかもしれないが。夢の中でも死ぬし、痛い夢を見る僕からすればその差は無いのである。

現実と思っている世界で死んだ場合に本当にそれで終りかどうか僕にはわからない。もしかすると夢から覚める様に別の流れで目が覚めるかもしれないのだ。

いや此処まで話が脱線すると脳が考え出した正解というのも怪しくなってくる。



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2009年11月27日

何を売るのか?

事業仕分けにより科学技術系の発達が遅れそうである。

戦後の航空機関係をみてもわかるように開発を停止すると凄く遅れる。それを取り戻すのは大変なのである。一度遅れた物を取り返そうとすると費用は継続して開発に費やした額より高くなるだろう。

そして開発していない間は他国からそれを買う事になり本来は国内に落すお金が海外に落ちる事になる。

また科学者が国内で食えないとなると海外への人材流出が進むし、食えないとなればその道に進む物も減る。科学立国というのは成立しなくなるのだ。

また海外に開発をさせ安くそれを手に入れれば良いという考えの者がいる。日本は資源を売って家計を成立させている国ではない。技術を売って生活しているのである。技術が無くなれば売る物がなくなり収入が無くなるのだ。そうなれば安い商品といえども買えなくなるのだ。

中古の古い物だけを買っている様では何も追いつけないのである。

その果ては安い賃金で働く労働人材国家に成り下がるのである。

最新技術等の開発はその開発した物が産み出す成果も有るのだがその開発過程で産み出す様々な知識にこそ価値があるのである。様々な試行錯誤の積み重ねが地に足がついた知識となるのである。

その知識が無いと他国から物を買ってきても改良など出来ないのである。そんな事では益々売るモノが無くなるのである。

宇宙開発にしても技術が停滞すると宇宙での太陽光発電など絵に描いた餅になるのだ。

大体宇宙開発等に関してはアメリカの開発費用に比べれば無いに等しい状況で頑張っているのだ。IPS細胞にしてもアメリカの金の投入量は桁違いである。

むしろ仕分けで増やしてあげる位の事をしてもバチは当たらない。

大体儲かる様なモノは企業がやる。しかしそれだけでは基礎体力がつかないから国の支援が必要なのだ。20年後50年後を見越した投資が必要なのである。

そして事業仕分けは単純に事業を切るのでは無く、大学等の研究が事業に展開出来るような仕組みや、企業等が行なうと利害関係で上手くいかなくなる業界間の接続を国がやり効率よくやる方法は探るという仕切りを国がやるべきなのである。

また被っている部分を探し合わせる事で経費節約とかね。ロケットとスパコンで兼用で出来るような部分をまとめるとかね。



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2009年11月26日

備蓄せよ

今円高です。海外から物を買うのには良いタイミングだと思われる。(もう少し待った方がいい?)

もしかするとドルがトンデモ無い事になり世界経済が未曾有の危機になる可能性がある。そうなると輸入等が麻痺する期間が出来てしまう可能性が有る。

その時に備えて日本は安く買える今、色々な物を備蓄するべきではなかろうか。

石油、長期保存出来る食糧を備蓄しておくべきだと思う。輸入が麻痺した場合に対応出来る様にしておくべきなのだ。ドル破綻等が起きれば世界大戦の可能性も出てくる。起死回生の経済対策は戦争なのだ。踏み倒しもこれで可能になるのだ。

その時に身を守る為の戦力等が日本に有るのだろうか?此処でも燃料は必要になる。

また世界はドル破綻に備えて金に動いている部分もある。これも考えておくべきだろう。

それに備蓄の為に買う事により取引相手の国が経済的に安定するかもしれない。それにより破綻を防げる可能性もある。まぁその場合多少の日本の損に成るかもしれないけれど。



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2009年11月25日

三島由紀夫

今日は三島由紀夫の命日です。彼が命をかけやろうとした日本の建替え。彼の予見した日本の未来は彼が予想した最悪のビジョン通りになっていると思います。

日本がおかしくなったのは自衛隊の存在が物語っていると思います。

刀をもっているのに使う覚悟がないという奇妙な状態。これこそが日本の無責任なナマクラ精神構造を作っているのである。今の色々な問題もこれが原因なのである。刀をただの暴力装置として使わない為にも覚悟が必要なのである。

また今流行の非武装平和都市宣言。戦う意志は有りませんよという一見平和主義にみえる。だがこれを言っている人達は本当に覚悟しているのだろうか?白旗を振れば助けてくれると思っているのだったらそれは甘いと思う。

此処で必要な覚悟は相手を殺す位ならば自決するという覚悟である。無抵抗で死ぬという覚悟が出来ているのだろうか?多分ないと思う。平和主義というお花畑に住んでいるだけなのだ。覚悟の放棄をしているだけなのだ。

自衛隊に関しては攻められた場合に相手対して力を行使する覚悟、兵士を戦場に送り死なせる覚悟を政治家、国民共にあるのか?これもない。

未来に対して責任を持つのが嫌なのである。

何故そうなったのか?

僕は一億総中流がそれを作ったと思う。中途半端に富を得た為に国家と個人が乖離したのである。そして自由と権利がそれに拍車をかけたのだ。個人こそが絶対的価値になってしまったのである。

そして誰も責任をもたない国になったのである。

その挙げ句、自己責任というおかしな状況。覚悟が無いのに自己責任。

馬鹿か!!
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2009年11月24日

ハプニング

オチのヒネリが売りのシャマラン監督の映画。

しかし今回はオチが無い。スカッと何のヒネリも無く終わる。あれっこれで終りという感じ。

まぁ白けない分だけマシとも思えるが、何も心に残らないからやはり駄目か。癖が強い監督だっただけに残念ではある。

観終わった後に思う事はこれ45分位でまとめてアウターリミッツの中に入っていれば面白かったのではないかと思う。冒頭は凄くいいのだ不穏な空気、スケールの大きな謎がある世界感がワクワクするのである。

だがそれが持続しない、それは逃げている人にどことなく緊張感が無いのである。生き残る狂気が無いのである。

途中が中だるみして緊張感が持続しないのである。だから45分である。あのおかしな婆さんのエピソードは本当にいるの?という感じである。浮気話もどうでもいい感じだし。

冒頭30分だけを観て色々と想像するとこの映画は傑作だと思う。


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2009年11月23日

過激

過激ネタで放送禁止的なお笑い芸といわれるモノがあるらしい。

大体がエロ、グロ、シモ、キチガイネタみたいである。

でもふと思う。芸人だけで完結している様な状態が本当に過激なのだろうか?芸人がテレビでウンコ喰おうが、犬とSEXしようがそれが過激というものなのだろうか?

そしてこれが面白いとも思えない。まぁあるとすればよくこんなネタをテレビでやれたねという驚きだけで最初は笑う事も可能かもしれないけど。

まぁ驚きは笑いを産み出すからね。火事とかでも派手に爆発すると意味もなくおかしさを醸しだすしね。

実際は過激だからテレビに映せないというより大多数の人が面白いと思えないからという方が大きいのでは無いだろうか。特定の好事家だけが面白いと思うだけではテレビでは視聴率が撮れないというのが実情ではないのか?

規制が厳しくなったといわれているテレビ、確かに昔はOKだったモノが今はあまりテレビで見かけなくなったモノがある。それは本当に規制のせいだけなのだろうか?

またキチガイネタに関してだがコント等のボケは大体がキチガイ的ではないか。まともじゃないから面白いのではいのか?

現実に潜む狂気を視点の変化で描き出しているのだ。そう考えると単純にキチガイネタが駄目なのではないと思う。

芸人が自分の裁量で体を張ろうが、放送禁止用語を連発しようがそれはそんなに過激では無いと思う。芸人の中で自己完結しているのだ。

本当に過激なのは関係ない者を巻き込む位の事をしないと駄目だと思う。そしてそれを行なおうとしている狂気を抱え込んだ集団の笑顔までを撮し込む所までを切りだしてこそだと思う。

人が隠している黒い面、人間のどうしようもない駄目な面を表に出す事が過激な笑いだと僕は思う。

笑っている自分に嫌悪感を憶える笑いこそが過激なのだ。



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2009年11月22日

ベーシックインカム

生活保護、年金等を止め最低限の生活費を全国民に配るという制度。

これを推進しようとしている人がいる。

しかし本当に大丈夫なのだろうか?財源がとてもじゃないが確保出来るとは思えない。一人頭100万円を払うとしたら120兆円必要なのである。

大幅に税金が上がる筈だ、後で返って来るから良いと納得するだろうか?

またこれで一生食うに困らないとなると人は働く事を辞めるのではないか?贅沢したい、人より上に立ちたいという部分の方が強くそんな事は無いとでもいうのか?

現状のニート、引き籠もり等の事を考えるとそうは思えない。

富の再分配という考えはわかるが働く者と働かない者とで再分配は理屈的におかしいと思う。体が不自由とかの問題が有る訳ではないのだ。

また雇用側も貰える分を考えた上で給料を多少下げる事は無いだろうか?(きっと法人税も上がるだろうからね)そうなると労働の価値が下がる事になりやる気を削ぐ様な状況になると思う。

ただ配るのは駄目だワークシェア等を組合わせた上で働いた者の足りない生活費を補填する的にするべきなのだ。働かざる者食うべからずにしておかないと大混乱になると思う。

人はだらしないのである。

だらしのない人が選挙権を持つ人の半数を超えた時に補償額を要求する金額が上がっていく。これは確実だと思う。今でも生活保護の金額が少ないと偉そうにいう者達がいるのだ周り全部がそうなったらより主張はしやすくなるのだ。

裕福な生活を出来るとしても周りが誰も働いていない状態、その様な状況では意欲を維持するのは難しい。そして働かない者が増えるほど税負担が増え年収の差は少なくなっていく。裕福とは思えなくなるのだ。働いている側の時間を損している分の補填がない限り厳しい筈だ







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2009年11月21日

篠山紀信

公然ワイセツという奴です。路上でヌード写真撮ったという問題。

擁護している人の大半がいう芸術を警察が判断するなというベタな考え。

それに反論する側の写真集の内容の芸術か否かで判断はしていない、公共の場でヌードになった事が罪なの、写真集は証拠写真みたいいなモノだという正論。

僕も正論の方が正しいと思う。

でもその事はそんなに大した事ではない。

警察の仕事は罪人を捕まえる事が仕事である。ただし捜査員は有限で能力も有限である為全てを捜査する事は出来ない。その為被害者には悪いが逮捕の優先順位が僕は在ると思う。

今回の場合は被害者は皆無だと思う。(別の考えで日本の品位を落したという事で日本人全部が被害者だともいえるかもしれないけれど)こんな事をやる暇があるのかと思うのだが。

捕まえるのが楽だからという感じと、見せしめという感じがする。アダルトビデオ等のゲリラ撮影が横行しているからそれらの者を逮捕した時の言い訳を潰すという意味も有ったのだろう。

だがもっと本当に捕まえないと駄目なモノが有るのでないか、人の安全と治安を守るという面でやるべき事が有る筈なのだ。(言われんでもわかっとるわい、警察も色々大変なのよといわれるかもしれないけど)

捕まえるべき者を放置し、摘発が楽な者だけを逮捕する。このままこの様な事が当たり前になると大変な事になりそうな気がする。

警察という暴力装置が正しく機能しないと社会のタガ外れるのである。

自衛隊という暴力装置も正しく機能しないと外交のタガが外れるのである。

人間はあまりにも不完全で自分の心すらコントロール出来ない。だから集団で管理する必要が有るのである。




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2009年11月20日

見せる

僕はとりあえず完成(未完成でも見せる事が多々あるけどね)したという絵とかを人に見せる。下手だろうが何だろうが見せる。作った音楽も聴かせる。レベル的に低くいのを自分でわかっていても聴かせる。(迷惑がられる事多々)このブログも人に読んで欲しいと思っている。感想も欲しいと常々思っている。

そんな事をしていると何でそんな事が出来るのかと疑問に思われる事がある。

僕なんかより全然絵が上手いのに人に絵を見せるのが恥ずかしいとかいう者もいる。ブログにしても僕なんかより余程内容のある文章を書ける者でも人に読まれると思うとちゃんとした内容のモノを書かないといって発表する事をしない者達もいる。

僕に羞恥心がないだけなのだろうか?そうかもね。

でもふと思う自分しか見ない、聴かない、読まないモノを表現する意味があるのだろうか?表現行為は誰かに伝える為に在るのではないか?

自分に伝える為だけなのか?その行為はただメモをとっているだけではないか?

誰にも伝えないのであれば脳内で表現してニヤニヤしていれば良いのでは思ってしまうのだ。


まぁ変なモノを見せられる方は堪ったモノではないけどね。

ご迷惑おかけしております。


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2009年11月19日

異臭騒ぎ

地下鉄で塩酸こぼして異臭騒ぎ。

何がビックリって塩酸持った人が普通にうろついている事だ。まぁ今回の件は違法みたいだけど。

しかし別段テロを行なおうとかいう理由でなく地下鉄に持ち歩いている人がいるという事にビックリした。まぁ考えればそうかという気もするのだが。

自分の想像力にがっかり、先入観に2度がっかり。

多分これまでも事故がなかっただけで持ち歩いている人は何人もいたのだろう。日常的に意外なモノが持ち込まれているのだろう。事故がないだけで。

そう考えると結構怖い。何処で奇妙な事故に巻き込まれるかと想像すると下手なホラーより余程怖いのである。事件ではなく不用心な事故というのが怖いのである。

無神経に細菌とかウイルスとかも持ち込まれていたりしないだろうか?ケースに入っているから大丈夫とかというノリでね。

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2009年11月18日

概念

言葉は概念を作る。初めに言葉ありきは有る意味正しい。

今の僕達は色々な言葉が在る為に様々な概念を利用する事が出来る。おかげで色々と縛られる事も有るが物事を色々簡易に考える事が出来る。

言葉で示される概念がなければどうだったのだろうか?想像も出来ないのだがこれは物凄い状況だと思う。

生と死という概念が在るからそれらに対して色々と思いを馳せる、悲しいだとか色々の感情を産み出す要因になる。この概念がなければどうだったのか?ただの現象として認識しているだけだったら何も感情にさざ波を立てる事もなかったのでは無いだろうか?

きっと今も存在はするのだが言葉が無い為に見過ごしているモノが存在する。ただ言葉が無いからそれを僕はそれを提示する事が出来ない。

しかしその違和感に気がついた者がいずれ言葉を作るだろう。その時から人々はそれを認識する事が容易くなるのである。

重力や引力も昔から存在はしていたがその言葉を産み出すまではそんな事に気にしている者など皆無だったのでは無いだろうか?リンゴが落ちてもそういうモノだと気にも止めなかったのだ。

愛とか恋とかそんな言葉が在るから人生に彩りも悩みも与えている。これもそんな言葉が無くただの生殖、繁殖という言葉しかなければ今とは違う状態だと思う。純愛小説なんか無くなるのである。まぁそうすなると官能小説も無いのかもしれない。

言葉が概念を定着させるのである。

伝えるという面での言葉の力より概念を定着させる為の言葉の力の方が実は影響が大きいのである。

今言葉が変質している、減っているという話がある。減らしていくと概念が消失していく世界を認識出来る部分が減るのである。

これが良い事なのか悪い事なのか今の僕には判断が出来ない。だがなんとなく昔の人が気がついて作り出した概念を安易に捨て去って良いのだろうか?とは思っている。

だがその言葉の概念に縛られ自由な発想が出来ない別の見方が出来なくなる事を考える多少整理するのも正しいような気もする。

新しい発想で物事見るというのも大事だとは思うからね。



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2009年11月17日

日々ゲシュタルト崩壊

毎日同じ様な生活をしていく。来る日も来る日も同じ様な生活を続ける。何年も同じ様な仕事を続ける来る日も来る日も続ける。

ふとした時に今自分が何をしているのかわからなくなる。生きている感が無くなるのである。何の動作をしたのかがわかるだけで何か考えて動いたのかなどがわからなくなるのである。

自分が自動機械になりそれを外から客観視しているような気持ちの悪さなのだ。

日々の断片が何時の事だかわからなくなる。昨日の事なのか10年前の事なのか記憶が混濁してく。

既視感がハンパ無く増えていく。同じ様な生活パターンが続くといつでも前に見た感じが頭にこびりつくのである。

自分が生きているのか死んでいるのかが喪失していくのである。

これをゲシュタルト崩壊と言っていいのかどうかわからないがそんな感じになるという事に気がついた。

日々の生活には変化が必要なのである。

時折ふらっと蒸発する人はこの感じの気持ち悪さに耐えられなくなり失踪するのでは無いだろうか?

また脱サラして農業等に走る人とも自然のランダムさに憧れるのでないか、反復作業からの脱却を望んでいるのではないだろうか?


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2009年11月16日

USBメモリー

またしても凄い謎が?USBメモリーで音が変わる?本当か?

変わるとしたらちゃんと読み取れていないだけなのではないか?

震動で変わる?いやメモリーに影響が出る位の震動があるのならば他の機器に対しての震動の方が余程心配だ。単純に震動が問題ならばUSBメモリーを粘土とかで囲んでしまえば良いのではないかと思ってしまう。

ジャズ用とクラッシック用とかがあるらしいがどのように震動をコントロールしたらそんな事が出来るのだろうか?スピーカーの箱なりとは違うのだ。デジタルデータにある種の癖を付ける震動コントロールとは恐るべきテクノロジーである。外部から偶々入り込むノイズにより音色コントロールするのもまた凄いテクノロジーだと思う。

本当に変わるとしたら実はデータの送り出しの時にデータを改変しているのではないかと思ってしまうのである。

そんな事も無く変わる、誰が聴いても変化がわかる位変わるのであれば、まともなオーディオなど無いのではないか?そう思えて仕方がない。

気分と神秘の力で音が決まっているのではないかとすら思える。その神秘の力を生み出すのはオーディオの神にいくらお布施をしたのかそれにかかっているのである。

それともまだ人類が予想もしていない物理現象が音に影響を与えているのだろうか?これもまた宇宙に在るという99の謎の一つなのだろうか?

それとも僕が思うデジタルデータの知識が間違っているのか?
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2009年11月15日

量産

これまで量産し低価格化する事がある種の正義となっていた。

確かに成長の過程で最低限の文化的生活をする為には必要だった面はある。この量産化のおかげで生活の底上げがされたのだから。

だが何時までもそれをする事が正しいとは思えない。腹は満たされた、だが心が満たされない状況が今なのだと思う。

だから癒しというブームが起きたのである。

まぁ今の不景気が続くと癒しなどと甘えていられなくなるのだけどね。

何故量産化を続けるのか?それは職人を否定する事が出来るからだ。量産品の反対にある職人の作ったオーダーメイド品、確かに値段が高く評価されている様に思える。しかしそれは極一部の上澄みに過ぎないのだ。

大多数の職人は徐々に淘汰されているのである。そして技術は失われる。仕事も機械に置き換えられ雇用の喪失にも繋がるのだ。

なぜこれを推進するのか?正義と思わせるのか?それは経営者側が職人の技術を怖がっているからである。それにこそ価値があると悟られる訳にはいかないのだ。流通、経営にも確かに技術が有り大事な事ではあるがそもそも商品を作り出せる技術が無くては始まらないモノなのだ。

決定的力を持っている職人が怖いのである。

これからはセミオーダーの時代だと僕は思う。ベースをメーカーが作りそれのカスタムチューンを職人が行なうというのが新しい時代の流れにするべきだと思う。痒い所に手が届くという時代だ、僕の好きなオーディオでいくと機能的、音的には満足なのだけれども、入力数が足りなかったりとか、微妙に痒い所に手が届かないのだ。

あと財布にも色々と注文したいね。なんか今のポイントカード等の増えるのに今一つ対応出来ていない。そして定期も見せない様になっているのに透明カバーがついていたりしてガッカリする事多し。

女性の方は有る程度それを楽しんでいる。デコ携帯やネイルアートとかはその流れのモノだと僕は思う。

また自分の欲しい機能等に満足する事により無駄が減る筈だ、愛用の品になる事が大事である。これもまたECOである。資源の無駄に使いを減らせるのである。

まぁそうなると結局は仕事減るのだけどね。やはり此処にも資本主義の限界を感じる。

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2009年11月14日

食の力

タリバンに拉致されたインド人がカレーの力で釈放のニュースをみた。

ドンだけ美味いとこんな事になるのか?心を動かし安全な人と思われるだけの食事とはどんなカレーなのか。ぜひ食べてみたいモノだ。

しかしこれこそ本物の芸は身を助くである。

食で人はわかりあえるのだろうか?国という囲いがなければ出来るのかもしれない。美味いモノを食べ、美味い酒を酌み交わして幸せな気持ちになれれば仲良くなれるのかもしれない。

だがそう考えると食の趣味が違いすぎると人はわかりあう事が出来無いのかもしれない。確かに思い当たるフシがある。食の趣味、食べ方は意外と気になる部分ではある。

また日本には世界のかなりの国の料理が食べられる国である。(世界でトップレベルらしい)それも日本に来ている現地の人の為では無く日本人が食べる為だ、日本人の料理人も多いという話だ。現地で修行して日本風にアレンジしているのだ。

色々な国の料理を楽しむ貪欲さではあるのだがそれを受けいれる柔軟性があるという事である。宗教でもそれを行なっている。どの宗教が良い、悪いと判断しない。良い所を抽出して混ぜるのである。

そう考える仲裁役に日本は向いているのでは無いだろうか?飛躍しすぎ?

世界の人と美味いモノを食べ、仲良くなる外交を日本はするべきでは無いだろうか?相手の国の民族料理をおいしくいただく、それだけでも相手の懐に飛び込める様な気がするのは気のせいだろうか。

そんな安易にはいかない?

今回の記事を見ると意外と人は単純な気がする。食欲を満たせば意外と怒りは下がるそういうモノだ。


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2009年11月13日

事業仕分け

なんかただのパフォーマンスにしかみえない。

大体1時間でかたがつく様なモノなの?そんな簡単に出来るモノならば今までの政権がやらなかったのは癒着や天下りのせいなの?

本当にそれだけなのか?実際にそれだけだとしたら戦後の日本此処まで発展は無かったのではないか?それとももっと大発展したというのだろうか?

そしてバンバン停止しているが本当に問題は出ないのか?

その事業による仕事やる者達への影響を考える事無くこんなに停止していって大丈夫とは思えないのである。確かに好景気の時には大丈夫かもしれないがこの不景気時にやるというのは本当に心配である。

大体影響を受ける当事者の視点が排除されている様な気がする。地方だったり、産業だったりの視点がぬけている様な気がする。まぁ元々の計画にそれがあったとも思えないけどね。

削減して浮いたお金の使い途の判断は誰が審査するの?ただ減らすだけなの?

そして減らした事で起きた問題についての補正予算はどうなるの?

確かに無駄を無くす事は必要だ。一時凍結する事も必要だろう。限られた財源でやるしか無い訳だから無駄は許されない。

また特定の個人が不当に懐にお金を貯め込むのも駄目だ。

しかし今行なわれている仕分けは単純に自民政権の時の癒着関係の分断と民主政権への新しいパイプ作りと国民へのズバズバやっているぜというパフォーマンスにしかみえないのである。

まぁありがちの視点だね。

しかし民主政権、今だどんな国にしたいのかが見えない。それがみえないから何が良くて何が悪いのかの判断の基準がみえないのである。見直す基準がピンと来ないのである。細かいディテールばかりで全体像が暈けているのである。

なんかゲシュタルト崩壊?な感じするのだ

個人主義国家という国家の意味から考えるとおかしな感じのする国家にしたい感じもするのだが一部に過剰な保護政策だったり。

それとも色々な公共事業をやめる、地方主権(これもなんかおかしい)という小さな政府路線なのか?

その割にはCO2削減とかでは独裁的に指導する勢い。今回の仕分けもね。

小さい政府に権力を集中して独裁的に動くという事?(本来の意味の小さい政府じゃ無いけどね)

見た目的には少人数に金を集中させる事により無駄なお金が減った様に見せるという作戦?

まぁテレビとネットの記事程度で理解る様な問題では無いのだろうけどね。


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2009年11月12日

ビールかけ

ビールかけは無駄なのか?確かに本来の使い方とは違うかもしれないが無駄に捨てているのではない。

喉で楽しむか体で楽しむかの違いでしか無いと思うのだが。喉で楽しむのは良く、体で楽しむのは駄目という理由は何なのだろうか?

ビールかけが駄目だとすると酒を入浴剤で使うのも駄目なのだろうか?牛乳風呂とか駄目だよね。あとキュウリパックとかもね。

本来食材になりうるトウモロコシをエタノールにする事も悪と言う事か?効率等を考えると現時点では褒められたモノでは無いのは確かだけど。

何らかの意味の下に使用しているのであれば無駄にしていると思わないのは僕の考えが間違っているのだろうか?

ただ廃棄しているのとは訳が違うのである。

飢えている人が何億人いるから駄目だと言うのであれば必要以上に食べる大食い、早食いとかの方が余程害ではないのか?

相撲も別に巨体で無いと駄目だいう理由も無い筈だ。体重制限100kgまでにして其処で力比べすれば良いのでは無いのか?

力士が日常的に飲み食いする量こそ無駄では無いのか?其方の方がビールかけより余程世界の飢え対策には効果が有るのではないか?

必要なカロリー摂取をする意外は本来は無駄では無いのか?

無駄とは一体何なのか?


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2009年11月11日

無償化

私立校も無償化にして公立と差別しないで・・・・・

僕は馬鹿になったみたいだ。何を言っているのかわからない。

国がお金出したらそれは私立では無いのでは?それにお金を出さないのは差別なのか?

血液型がAB型の人間は私立校にしか行けないとかならば差別かもしれないけれど。そんな訳では無いしね。

成績に応じて行きたい学校に行けるのである。お金が無ければ公立に行けば良いのだ。(それって好きな学校に行けていない?確かにそうだが)

私立校無償化というが設備充実、教師充実の私立校、学費月20万とかの学校を無償化していたらそれこそ差別では無いのか?

私立校の方がレベルが高いのであれば公立のレベルを上げてくれと言うのが筋だと思う。

私立校の方がレベルが低く自分の成績で行けるのが私立校しかないと言うのであれば頑張って勉強して公立に入って下さい。

カリキュラムの内容に差別が無いようにする事こそが大事なのだと思う。

友達と別れたくない?甘えないで下さい。一生同じ所に行くのかい?大学も仕事も?学校が変わった程度で切れる関係性ならばその程度の関係でしか無かったという事。これからもドンドンと別れは来るからね。

そして安易に無償化しろ言うがそれはいずれ自分の身に降りかかるのだ。働くようになればそれは税金と言う形でのしかかって来るのである。わかって言っているのだろうか?

学費は安くなっても親に重税がかかり結局は日々の生活は変わらないかもね。学費を出す為の節約と税金が上がっての節約だからね。

いや消費税が20%とかになったり、法人税が上がって親が失業するかもしれないよ。これの場合は現役で感じる筈だ。

税金は上がらなかったとしてもその代わりに何かが削減されるのだ。削減された事による影響が自分にどう降りかかるかわからないのだ。

どこからかお金が湧いてくる訳では無いからね。

限られたリーソースでやりくりしながら生きるのが人生なのよ。国がフォロー出来るのは最低限の文化的生活が出来る部分まで。

求めすぎ。下品です。
posted by mouth_of_madness at 20:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする