2009年12月31日

公務員批判

この不景気で民間の給料は下がり大変な状況、年金も大変と言っている時に公務員は何処吹く風状態。

その事で公務員を批判する。税収が減り国の財源に問題があるといわれているのに其処へメスが入らない事を批判する。

そんな事をいうと公務員が悪なのか?公務員にもいい人はいる。大多数は善良だ。試験を受けて資格をとったエリートだから何も問題ない。単純に公務員という事で批判をするなという。

これは論理のすり替えなのだ。公務員個人に置き換える事で全体像を見えなくしているのである。

元々の公務員批判は個人批判では無く、公務員というシステムを批判しているのである。

それを個人レベルに置き換える事で狭量な物事を一面的にしか見ていないと思わせたいだけなのだ。個人の個性が数あるから大きな塊で批判するのは馬鹿だとしたいのである。

確かに組織として問題があるとしても個人全てに問題がある訳ではない。そんな事はわかっているのだ。

そんな事を言い出したら何も批判出来ない。偽装問題とかにしても企業を批判するのはおかしい事になるのだよ。連帯責任など存在しなくなるのだ。

その組織に属していたからと言って批判されるのは理不尽だとは思う。だからこそ個人の責任感が必要なのだ。自分の行なう事が他の人に迷惑をかけないか?と考える事が大事なのだと思う。(説教臭いね)

また公務員は国民が税金を払い仕事をさせているのだ。(公務員の人も税金払っているけど)
その仕事に対して不当に給料が高いと思えば雇用主は安くしろと文句、批判するのは当たり前ではないだろうか?

株主が赤字経営している会社に対してリストラするべきだ、賃金カットしろというのと全く同じである。いう事を聞かなかったら株主を辞めるとか社長の首をすげ替えたりもするだけだ。

国の場合は総理の首のすげ替えか。株主を辞めるのは難しいけどね。脱税になる?あとはよその国に永住か。

また本当に優秀で誠意のある仕事をしているのであれば文句は出ていない筈だ、文句が出ていると言う事は賃金と仕事が釣り合いがとれていないから文句が出るのである。世の中はデフレなのにそれの影響は出ていないという部分に文句が出るのである。そういう組織体制の批判をしているのである。


悪い事は個人にして関係ないでござる、個人の活躍でも同じ組織で俺たちスゲーという。自分の都合で個人、組織を使い分ける。狡いのである。逆もあるけどね。






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2009年12月30日

ベッドタイムストーリー

子供達にベッドサイドで聞かせるお話が子供達のアレンジを経て現実にフィードバックするおとぎ話。

それなりに面白くはあるのだがパンチは足りない。転の部分でのチョット毒が有る部分もそう悪くはない。そして現実を変えるのに一番必要なモノは勇気と成し遂げるという気持がハッピーエンドになるというポジティブなメッセージ性も実にわかりやすい。いかにもディズニー映画といった所か。

でもその可もなく不可もないというのがこの映画の駄目な部分であろう。

また出世争いをするライバルが嫌な性格ではあるがそんなに悪い奴にも見えないのである。もっと狡賢く卑怯な真似をとっていればスカっと出来るのかもしれないが(まぁそんな事でスカッとするなんて人としてどうなの?といわれるかもしれないが)そうじゃ無い為にイマイチ盛り上がらないのである。有る意味主人公の方がクズに見えるのよ。子供の力を利用しいい目を見ようとする分だけ。

まぁ其処は狡い事をしようとしても上手くは行かない、本気でやらないと駄目よという意味では主人公の行動も納得できん訳でもないが。

多分こういった微妙な雑さが物足りなさにつながっている。

とはいっても気楽に楽しめる映画ではある。何にも残らないけど。


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2009年12月29日

ダイアリー・オブ・ザ・デッド

テーマは良いと思うのだが(チョットありきたりという話もあるけど)今一つ食い足りない感じが残る。

対比が見えないのがその食い足りない部分だと思う。

カメラを通した現実、カメラを通した虚構。それを判断出来なくなる事で思考停止する恐怖。その思考停止が今回のゾンビなのである。

ネットを通じてばらまかれる情報。

間違った判断をしてそれに気がつかないうちにおかしな方向に流れる。その流れは人を巻き込んでいき取り返しのつかない状態になる。その恐怖。


一番の問題は多分登場人物を描き切れていない部分が駄目なのだと思う。ドキュメンタリー風にするのであればもっと其処を追求するべきだったと思う。登場人物の素の状態というのが描かれている感じが無いのである。映画のストーリー的に行動する人間では面白くないのだ。良く喋るのだがあまりにもメッセージ的で嘘くさいのである。極限状態でのもう少し低脳な会話、脈略のない破綻した会話を観たかった。

これならば「ゾンビ」方が余程ドキュメンタリー的に見えるのである。スーパーに逃げ込んでからの平穏な日々の感じとかは最高なのだ。

たどたどしい演出がそれをかもしていたのかもしれない。数をこなした為微妙なテクニックがついたのだろう。

もっと映画的な演出にするか、もっと素人的にするかのどっかだったと思う。中途半端だったのだ。




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2009年12月28日

人間の大きな間違い

人間の大きな間違いは人はわかりあえると思っている事である。

これこそが人間を不幸にしている一番の問題である。

わかりあえないという事を前提に考えていれば変な期待なんかしない。期待をするから裏切られた時のダメージが大きいのである。

期待されない人生は空しいかもしれない。確かにそうだ。でも期待されているというのも錯覚かもしれないのだ。いや大体が勘違いだ。

錯覚ならば自分で思い込めば良いのである。自分の気持に対して裏切らなければ良いのだ。

わかりあえないからといって自分が不誠実になる必要はない。

分り合う事は出来なくても自分の意志を伝える事はしなければ駄目だ。これはわかり合う為では無い。自分を発しないと存在自体に意味が無くなるからである。

自分の発したモノに対してどんな反射が戻って来るかが大事なのだ。

その答えに想像を膨らます事は良いが、期待をするのが駄目なのだ。違う答えが返ってくる、予想外の答えが返ってくるのだ。其処がダメージになる。それを楽しめるようになると少しは楽になれる筈だ。

わかりあえないからといって信用出来ないという訳ではない。利益関係さえあれば大丈夫である。この利益関係というのは金銭的モノだけではない。仲良くやっていれば心地よい居場所が出来るといった利益でも良いのだ。利益に関する面では信用出来る筈だ。

まぁその利益より大きな別の利益があれば人は裏切るのだ。裏切らないというのが最高にカッコイイ利益と考える者ならば別だけどね。

わかろうとする事も良い事だと思う。だがそのわかったと思った事が正解か否かはわからないのだ。それなのにわかったと錯覚するのである。それが問題なのだ。あくまで仮定でしかないモノに裏切られたと思う事が不幸なのである。


人とは蜃気楼みたいなものなのだ。


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2009年12月27日

奇跡の歌声

話題になったスーザン・ボイル。僕には良さがわからない。宣伝のキャッチフレーズに目くじら立てるなよと言われるかもしれないが奇跡の歌声という程のモノとは思えない。

音楽の良さは見た目でも生い立ちでも無いと言う事を表す存在だとかいう人もいるが。普通より上の下位のルックス、音楽学校で声楽を学んでいるというような人が同じように唄った場合に話題になったのだろうか?

その場合には奇跡の歌声とはならなかった様な気がするのは僕の気のせいだろうか?

ギャップによる意外性が評価を上げていると思うのだ。そうなると結局は見た目と生い立ちが評価を上げている事になる。

やはり奇跡の歌声と言う位なのだから、聴いた事の無いような声で無ければ奇跡とは言えない筈だ。

超絶な技工か、声自体が唯一無二な存在で無けば駄目だと僕は思うのである。

ルイ・アームストロング、忌野 清志郎の方が僕には奇跡の歌声に思えるのだが。


まぁ世界的に話題になったのだから僕のセンスが無いという事なのだろう。世の中が思う価値観が無いという事なのだろう。

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2009年12月26日

滅日

もう日本は駄目だという実感を受ける。馬鹿ばかりの自分だけという利己主義三昧。

人間が腐りきるとはこの事かと思う。

私立高校も学費無償化、卒業後の就職も保証してして欲しいって・・・・・・?。

もう何が何やらわからない。こんな馬鹿死ねばいいのにとすら思う。こんな馬鹿の面倒をみる為に税金を払っている訳ではないのだ。

またハゲを馬鹿にする歌で笑う生徒を叱る先生を糾弾する者達。確かに土下座はやりすぎとも思えるかもしれない、だが肉体的欠陥を馬鹿にする事を叱る事は悪い事か?

土下座させた事より、校長がこの子供の保護者に対して詫びを入れる事の方が余程問題である。

人権だの何だのを持ち出せば何でも不問に出来ると思わせたら駄目なのだ。躾の出来ていない者に権利を与えては駄目なのだ。馬鹿は拡大解釈をして世の中は混乱するのである。

ケネディではないが国が何をしてくれるのか?では無く国に対して何が出来るのか?の言葉が今こそ大事という事を噛み締める必要がある。

今のままでは国には保護をして貰い、国には何もしないというお得国家になってしまう。

道徳を疎かにした結果だ。個人主義を追求した末の暴走だ。

国家という組織には完全な個人主義は有り得ないという事を教えなかったせいなのだ。調和にはルールがあるのだ。(何度も同じ様な事を書いているけど)

自称賢いと思っている者は上手くこれを利用し儲けたらサッサと日本を捨てようとする。国なんて金儲けの為に利用するモノでしかないと考えるのである。資本主義殉じるのである。国なんて合理的にお金が儲かる組織であればそれで良いという。老後はお金で快適に暮らせる所に移住である。

僕は旧世代なのでこの合理的考えには賛同出来ない。

どうも自分の能力だけで登り詰めたと思い違いをしているのだ。確かに努力もしたし能力もあったのだろう。だが自分の力だけで成長したのは勘違いなのだ。


個人主義追求して世の中の人本当に幸せなのだろうか?家族から、地方から、国から離脱して本当に子早稲なのだろうか。其処まで個人主義を貫けるだけ鋼の意志があるのだろうか?

多分ないと僕は思う。甘えているだけである。個人主義を追求していても不安に成らない様にサポートしてくれている誰かに甘えているのである。

個人主義では無用な衝突を生むと我慢していくれている誰かに甘えているのだ。治安や環境維持とかも誰かの犠牲の元に成り立っているのだ。

その事に気がつかない様に、目の前の利益に眩みその結果余計なコスト、ストレスを産み出しているのである。

結果人はただの部品でしかないようになるのだ。破損したり、不要になればただ廃棄されるだけの存在になるのである。それも質の低い量産品の部品でしかない。

其処に気がつかない限り人はいやされる事はない。

世の中は戦争でも、天変地異でも滅びない。でも馬鹿になると滅ぶ。頭でっかちの馬鹿になった時に滅ぶのである。

滅びの日は近い。

バランスを欠いているのである。



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2009年12月25日

才能を引き出す

ネットは隠れていた自分の才能を引き出すという人がいる。

発表の機会、場所が提供される事で今まで眠っていた才能が開花するのだそうだ。

確かにそういった面が無いとはいえない。だがそれ以上に自分の無能さ、無力さ、孤独を増幅させるモノでもあるのだ。

今まで僕には才能がある、チャンスが無いだけだと自分に他人に言訳していた部分が破壊され逃げ場を無くすのである。

其処まで人気があるという訳でもないが毎日1,2件でもコメントがつくブログがある。それすら出来ないと知った時の孤独感というのは知らなければよかったと思う程の出来事かもしれない。

殆どの人に知らない人を楽しませるだけの才能は無い。いや知っている人ですら楽しませるのは難しいのだ。知っている人との会話で楽しませていると思っている分の大半は雰囲気と円滑化のおかげである。

実際は感心させる様な事も楽しませる様な事も言っていないのだ。

それが実感させられるのである。なんと恐ろしい事か。

まぁそれでも才能が無いのを気がつかない人もいるけどね。

またプチ支持者が集まる事による危険性もある。それにより傲慢になるのだ。これまで支持される事の無かった者がプチ支持される事により傲慢になるのである。自分が正しいという錯覚をしてしまうのだ。才能があると錯覚するのだ。

褒めて伸びるという事もあるかもしれないけどね。

小さい規模でも採算がとれるという事で小さい才能が溢れる。これ位軽い感じの方がノビノビ出来て良いという者も多い。新しい才能はその軽い感じからしか生まれないという者もいる。

自由が大事と。作品作り以外に無駄な労力を使うのは勿体ないと。その無駄な労力の為に才能が埋もれるという。

しかし発表する為に色々と策を巡らし、行動を起こす馬力を貯めるという部分こそが大事なのでは無いだろうか。作品以外の手間を厭わない位の情熱の方が大事なのだ。

努力が良いという訳ではないが其処まで自分を信じる事が出来るというのが大事だと思うのだ。

ハードルを跳び越す位の才能が無い者に其処に叩き込むのは実に残酷な気がするのだ。使い捨てにされるのが良いとは思えない。

漫画家、芸人、ミュージシャン等の間口が広がっているがそれでもモノになるのは極一部である。上澄みを獲るというだけで良いのだろうかと思うのである。

覚悟も無く、甘い夢をみさせる残酷。






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2009年12月24日

The Catalogue

クラフトワークのボックスセットを購入。仕様をよく調べずに買ったせいで届いた箱をみてビックリ。

でかい!!

置き場所に困る大きさである。アナログディスクのラックに余裕があってよかった。

肝心の音ですが聞き比べる様な無粋な真似はしないので記憶の音と比べてどうだという事になるが、記憶の方もあやふやなのでよくわからないという事で一つ。

しかしどれも傑作である。音が気持ち良さはハンパ無い。「人間解体」「コンピューターワールド」の2枚はこの世にテクノといっていいモノはこの2作品しか無いのではないかとすら思ってしまう程だ。

「アウトバーン」「放射能」「ヨーロッパ特急」も作品としては良いのだがテクノというには多少オーガニックな感じがするし「テクノポップ」「MIX」「ツール・ド・フランス」はポップ成分、ダンスミュージック成分が増えまたテクノとは違う感じがするのですよ。

聴き直していて思った。クラフトワークって雅楽みたいだと、空間に対する音の埋め方にそれを感じた。少ない音数、メロディーとも音もつかないフレーズでの展開、変調する音響、ストイックな感じとかね。

しかしこのカタログ最後になるのではないかという気がするのは僕の気のせいだろうか?

是非次の展開への締めであって欲しい。でも次のアルバムが出るのは何時の事やらである。別に終わるつもりが無くても出なまま寿命でという事もありそうだ。ファンとしては80歳位でも頑固一徹なアルバムとかを出して欲しいね。


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2009年12月23日

ずっと・ブレまくる

鳩山政権の事ではないよ。

過去の自分の書いた内容をみるとブレている事がわかる。実にいい加減に無責任とも思える感じがする。考えが変わった事で駄目だこりゃと思った人、思っている人もいるだろう。

申し訳ない。

色々な事を鵜呑みにするし、状況変化と知識が増える事により変わった部分もある。また反芻して考えた結果で変わっている部分もある。

反芻し考えているので同じ様な内容で微妙に違う内容を何度も書いているという事にもつながっている。

陳腐な言い訳です。

かといってブレる事は悪い事か?といわれると一概に悪い事ともいえない。

有る意味頑なでは無いともいえるのである。柔軟だという事だ。悪くいうと自分の考えがない、優柔不断だけど。

一本筋が通っているというのも良い面ではあると思うが悪く言うと変化についていけない、間違いを認めない偏屈といもいえるのだ。

どっちもどっちである。

大事なのはブレている事を認める事ではないだろうか?何故変わったのかを説明出来れば良いのだと思う。

全てを見通すだけの思慮深さがあればブレないだろうし、見通した時点で語れば他者からみれば筋が通っている様に思われるのだろう。

でもそうすると僕は多分何の意見も言えなくなる。完全それが正しい、何の間違いも無いと確証出来ている事が無いのだ。

1+1=2とかも確証していないのか?といわれるかもしれないがそれはその様なルールであると思っているだけである。別の思想体系で違うモノが出てきたとしたらそれで僕はブレる可能性があるのだ。


好き、嫌いですらブレるのである。昔あまり好きでなかった音楽が後で好きになったり、またその逆だったりするのだ。

食べ物とかでも子供の時嫌いで今は好物になっているモノがあるというその様な事に心当たりがある人も多いのでは無いだろうか?

科学的なモノであればまだ具体的数値で判断出来る部分があるからまだ客観的判断は行ないやすいだろう。だが思想的なモノになるとその価値判断になる部分に客観性を損なう部分があるのだ。

そうは言ってもブレ過ぎるのも問題である事は確かだ。無責任になりすぎるからね。国のトップとかだとかなり影響が出てしまうからね。

まぁ何を言っても聞く耳持たずで独裁政治というのも問題になる事もあるけど。

独裁政治が悪かといわれるとこれも違うのだけどね。知恵と人格があれば無駄がなく効率がいい政治が行える。でもまぁそんな人がほぼ皆無というのが問題なのだろう。



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2009年12月22日

幸運になる謎の石

よく週刊誌等に広告が出ている謎の幸運物。

女にモテモテ、宝くじ当たりまくりという謎の商品。

何時になったらこれらの広告が無くなるのか?という疑問と年間何人がこれらを購入するのか?という疑問も知りたい所だが(あれだけ広告が続くという事はそれなりに儲かっているのだと思う。)


また最近はお金と思われる部分にモザイクがかかっていたりするのも何か嫌。色々と問題を避けようとする安易な抜け道が嫌だね。


でも一番の疑問が沸いた。

命がけで採掘作業をやる者の写真についてだ。

幸運パワーのある採掘現場にいるのに不幸な目に遭うのだろうか?幸運パワーの到達距離があるとすれば作業する者それぞれ身に付けさせれば良いのではないか?

それとも作業者に渡すと幸運になりお金が転がりこみそんな作業なんかやらなくなるのだろうか?それだから渡さないのか?

いやまてよ採掘作業をやらせている社長が身につけていればそれだけで事故など起きないのではないだろうか。保険金を払う様な不幸な目にはならない筈だ。

謎である。

あの商品で一番幸せになっているのはあの商品を販売している会社の社長の筈なのにね。

不思議と詐欺とかで訴えられる事も無いし。

実に凄いパワーである。



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2009年12月21日

最強兵器女子高生RIKA ゾンビハンターVS最凶ゾンビグロリアン

またしても微妙なゾンビ映画。

かなり雑、いや雑というレベルで片づけてはいけない位荒っぽい作り。

クルクルパーな映画なのである。

全てが微妙な不完全燃焼感があり其処が変な魅力につながっている。足が痺れている時に「イヒッ」となる事をわかっていても触って一人でニヤニヤする感じか。お色気も微妙、ルックスも微妙、アクションも微妙、メイクも微妙、ストーリーも微妙、ギャグも微妙、オチも微妙。それなのにトータルではそれなりに楽しめるのである。

全てが中途半端なんだけどとりあえず色々な要素を入れているから不足感が無いのだろう。バランスはとれているのだろう。

かなり適当な定食でも色々な小皿(美味くはないが不味くも無い)がついているとなんか満足するのと同じかもしれない。中途半端に抜きん出た部分が有ると其処が気になり駄目だと思う可能性もあるのだが其処がないからね。

まぁ僕の好物のB級のセオリーからする反している。「これだぁ!!」というパッションで尖った部分が魅力と感じるのだがこの映画は尖った部分はない。

尖ってはいないでも全ての要素が少しづつ間違っているのだ。A級映画のスケールダウンというのは違うのである。

でもオチは投げっぱなし過ぎである。明後日の方向に連れて行かれて途方に暮れます。


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2009年12月20日

所得制限

子供手当の所得制限が実効的には800万〜1000万あたりになるらしいという報道

以前は1億とか2000万とか言われていたけど。

しかしこの所得制限を駄目だというマスコミがある。

理由としては子供手当をもらっている子供の家が貧乏だといってイジメられるというのだ。

馬鹿か?

日本の平均年収の状況、それに小学生、中学生の親の年齢とかから年収を考えればクラスの殆どがもらう対象になる筈だ。むしろ貰っていない方が少ない筈だ。

私立の学校とかであればイジメられる可能性はあるかもしれない。しかし子供手当で行く事自体が無謀だし、現時点でも貧乏だというのはバレていると思う。貰っていなくても日々の生活でバレるのである。

また別の理由として貰えるか貰えないかのギリギリの人は年収をチョット下げて貰える様にする可能性もあるという。

確かにそれはあるだろうだがそれでも全員に出すよりは少なくなるはずだ。

年収800万の人より年収790万の人が使える額に不公平感があるのはいただけないのは理解出来る。

だがそもそも格差を税を使って減らそうという事自体が不公平な状況なのだ。何を今更である。累進課税は有る意味不公平だし、子供手当の時の不公平感も税率の切り替え部分で起きているのである。(昔は細かいのにそれを辞めた理由が良くわからない、何か問題でもあったのか?役所がめんどくさいというだけの理由か?)

その境目を差を埋めようとするのであればもっとアナログ的にするしか無いのではないかと思う。

最大額が2万6000円(年収300万)から始まり0円(年収800万)で0になる様に細かく額をコントロールするのである。一律にしなければ良いのだ。

子供の人数とかに関してはもう少し考慮は必要だけど。子供の人数により所得制限額をずらすとかしないと駄目だろう。

所得制限に文句をいう前に年収によりイジメが起きるという状況、年収を下げてまで子供手当を貰おうという卑しい人間になりつつある状況を憂うのが先では無いだろうか。

キレイ事だけどね。


追記

収入に対する累進課税、超過累進課税で変な事(逆転現象)にならないみたいです。いい加減な事を書き、馬鹿をさらしてしまいました。

恥ずかしーーーーーーっ!!

もう少し調べろよという面とそれ位しっとけよのWパンチです。

恥の部分はそのまま残しておきます。








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2009年12月19日

悟りとか解脱とか

内なる自分の欲望を捨てるとかいいますがそれって良い事なの?

その人がその様に生きたいのであればそんなに他人に迷惑がかかる訳ではないから別段悪い事ではないと思うけど。

内なる自分の欲望を捨てるという欲望も修行が進めば無くなるのかね?欲望を捨てる為に一つの欲望に収斂するのもなんだかねとも思う。

欲望が無くなり損得勘定が無くなった状態での判断基準はどうなるのかね?完全ランダム?また怒らないとか、動じないとかになり人の生き死ににすら興味を持たなくなった場合に目の前で死んでいく人を見ても何とも思わないのではないかとも思うのは僕の認識がおかしいのかね。

無頓着になれば優しくなるというのも多分間違いだ。世の中の修行等の結果聖人になった様な人とか、宗教者達が優しいとしたら悟りを開いたからでない。誰にでも優しく出来る様な人を目指したからだ。怒りのコントロール方法を身につけたのである。

其処まで来ると生きるという事に理由も無くなる様な気もする。まぁだからといって死ぬ理由もない筈だ、既に生きるのだの死ぬだのの意味が喪失しているからだ。欲望とはある種の価値観だと僕は思う。それを捨てるという事は全てが無価値という事になるのだ。良い事、悪い事の判断すら曖昧になっていくのである。それはただその様な現象が起っているというだけなのだ。

生きる方が正しいというのはそういう価値観であり欲望にすぎない。

でも其処までの悟りの域にまで人は辿りつけないだろうからそんな事を考える事自体が無意味かもしれない。

上記に上げた認識が間違っており、悟りとか解脱というものが世の中の流れ、仕組みを完全に読み取る事が出来て絶対的基軸で物事が判断出来る様になるのならば別だけど。

しかしこれもまた良い事とは思えない。その絶対性は普通の人と衝突を産み出すだろうし、先が読める様になるとそれもまた生きるという事の目的を失いそうである。

目標なんか無くても人は生きていけるけどね。生物の機能としてね。



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2009年12月18日

合衆国感染

細菌パニック物かと思ったら違いました。

細菌と戦いません、合衆国はパニックになりません。スケールの小さい話です。田舎町がゴニョゴニョなるだけです。

編集も荒っぽいし盛り上がる事も無く終わり、物足りなさに心が寂しくなります。何かもっと有意義な時間とお金の使い方があったのではないかとなります。

想像力で田舎が大変な事になっている筈だと想像しろという事なのかもしれませんが住人が病気でパタパタ倒れるシーンが無いから本当にそうなのかも自信が持てません。発症したら割と直ぐ死ぬみたいなのですが潜伏期間がイマイチわからないし、空気感染するという訳でもないかんじの為緊張感が無いです。

登場人物も医者の端くれなの緊張感がありません。簡単なマスクだけで大丈夫という感じが有り得ないという雑な作りです。

これをツッコミ所満載として楽しめる様な映画なら良いのですがダウナー系B級映画の為脱力します。


トホホです。


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2009年12月17日

幻覚

薬をやる小説家、芸術家、ミュージシャンその他諸々。

幻覚等を観る事になるのだろう。でもまてよそれは脳の誤動作、それと自分の意識で思い出せない記憶が混濁しているだけではないのか?

元々脳にあるモノが出ているだけで新しいモノが生み出されている訳ではないのだ。無意識の組み合わせが起きていてそれが新しいのかもしれない。

また誤動作で日頃は起きない共感覚が起きているのだろう。映像から音を感じたり、音から絵を感じたりといった事が起きているのだろう。だが世の中に天才と言われるモノは日常的にこの感覚の中で生活している者達がいる。疑似天才を味わう事で自分の殻を破ろうという事なのだろう。

でも表現とは其処まですべき事なのだろうか?僕の様なボンクラにはイマイチわからない。確かに仕事で連載等がありクオリティと期日のノルマがありそれをこなさないという駄目な状況ならばまだ多少はわかる。

過去の自分に勝つ為に表現出来ない状態の自分に鞭打つ必要がどうしてもわからない。そもそも勝つ必要があるのか?

表現出来ないとは表現したいモノが無いという事なのだ。その様な状態で表現しないと駄目と追いつめられる意味がわからない。

表現したいモノはあるのに技術が足りずに上手く表現出来ないというのならばわかる。でもそれならば薬に頼っては駄目だと思う。技術を磨くには冷静な状態でないと駄目だと思うのだが。

表現したいモノが無いという状態が来ると追いつめられる心理、これこそが表現者の業なのだろうか?

枯渇した自分を認める事が出来ない、才能の無さを認める事が出来ない人間の業なのだろうか?

あたかも高みを目指している様に思わせているが、多分それは言い訳だと思う。より高みを目指しているから表現出来なくても仕方が無いと思われたいだけの言い訳なのだ。

自分に嘘をつくから辛くなる。
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2009年12月16日

お姉チャンバラ the movie vortex

シュールなシチュエーション作品の第二弾。

前作は奇妙な魅力があったのだが今作は駄目。なんか小器用にまとめようとする感じがイマイチの原因だと思う。

それに肝心のシュールなお色気が大幅ダウンなのである。これでは駄目だ。主人公の役者を変えたのは痛いと思う。決して前作の女優さんと比べて劣ると言う訳ではないがこの役に関しては乙黒えりのたたずまい方がはまっていたと思う。

まぁ演技、アクションのレベルは前作も今作も大した事は無いのは確か。

それに前作の方が諏訪太郎、渡辺哲、脇知弘といった役者がワキを固めて作品を締めていたのだ。だからよりシュールさが引き立った部分もある。

あと低予算だから仕方無いのかもしれないが派手に血糊は使って欲しいものだ。この手のB級は血糊が吹き出てナンボだと思う。血しぶきに彩られるヒロインをみたいのである。

血塗れのビキニ剣士が山の中にいるという状況が良いのである。この訳のわからなさが魅力なのだ。話なんか二の次である。

その変な状態なのに凛とした佇まいで立っているこれが観たいのだ。

前作にはこんなシーンが観たい筈だというサービス精神に溢れる絵作りがあった、話なんか絵を見せる流れを作る為にだけある感じだったのだ。その割り切りが魅力を産み出していたのである。

今作はそれが中途半端だったのだ。普通の映画になる事も出来ず、尖った部分もない眠たい状態になったのである。

予算が増えたという話だから監督がビビッたり、色々な政治的な力が働いたのかもしれないけれどね。

こういった馬鹿映画には監督が暴走する方向に舵を切る事が出来るスポンサーやプロデューサーでないと駄目だ。普通の人は関わっては駄目なのだ。金をドブに捨てる位の大らかな気持が必要なのだ。
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2009年12月15日

冷めた態度

冷めた態度で今の混沌とした状態を此処の様な政治状況を望んだのは馬鹿の国民ではないか、コロコロ変わる国民の意見みたいな鳩山総理ではないか。今の民度を表していると言い放つ。

選んだのだからそれに従え、それが民主主義だ。違う所に投票したとしても文句は言える筋合いはない。従うしかないのだという。

そういって自分は一段高みで世の中の事など自分には関係ないという態度をとる。

でもそれが一番馬鹿なのである。冷めた態度をとっていても悪い状況は来るのだ。下々のモノを観察する様にしても自分もそれに巻き込まれるのである。

自分が少し選ばれた感があるのだろう。それだから避けられると思っている。状況もわかっていていざというときは回避出来ると思っているのである。世界から乖離しているのである。

いやまぁ本当に、今の状況の行き着く先も全て見通していて、今の様々な反応が見当違いで全く別の着地点が見えているのであればいいけどね。

それでこの手の事を言う者は予想が外れると世界は乱数で動いているから予想出来無いという。こんな無茶な状態は予想出来る者はいないという。その事を予想していた者がいたとしてもそれも偶々当たっただけという。

予想出来ても、それを回避する事をやらなければ何も意味が無い。冷静な態度をとりその状況をみているだけでは何も解決しないのだ。これは何も考えていない、そして巻き込まれるこれこそ馬鹿である。わからずに巻き込まれる馬鹿より不幸な馬鹿である。

冷静な行動は正しい、だが冷静に状況をみているだけというのは冷静とは違うのだ。

踊る阿呆に観る阿呆(冷めた態度の人)

踊らにゃ損!損!

クールなリズムで踊れ!!













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2009年12月14日

国に要求

色々な要求を国に出す。まぁこれは民主主義なのだから別段問題はない事である。

CO2とかの問題を国に解決する様に要求する人達がいる。でもこれってわかって言っているのだろうか?

国がお金を出すという事は税金なのだ、税金は何処からか沸いて出てくるモノではないのである。税金が上がるか、今まで国がやっていた何らかの事を停止する事でしかその財源を確保出来ないのだ。

また税金を使えばCO2が魔法の様に消える訳ではない。減らす為の事を企業、家庭で行なう事になるのだ。

補助金とかが出るから企業の削減コストがそのまま価格等に影響は出ないかもしれないが多少は影響が出る筈だ。利益が減れば雇用が減るかもしれないのだ。給料にも影響が出ると思う。

それに削減の為のECO製品への買い換えをやらなければ駄目な部分もある。エコポイントというのもあるかもしれないがそれでも買い換えコストを家庭が背負う事になるかもしれない。

今も各家庭で排出CO2を自主的に減らせす事も出来る。国がやらなくても出来る事はあるのだ。

削減の為に自家用車に乗るのを辞める、海外旅行を控える。国内も電車で、エアコンを止める(でも意外とこれは長期間出来ればエアコンの排熱による温度上昇を抑えられ涼しくなるかも)掃除にしても掃除機を使わずに箒と雑巾で行なえば時間と手間はかかるが電気は減らせる。テレビも観ない、パソコン通信も控える。風呂にしても二日おき三日おきとかにする。入らない日はお湯で体を拭く。夏場は水風呂で汗を流す。

また冷えたモノを電子レンジを使って温めないというのも良いだろう。昔の様に冷えたモノは冷えたまま食べれば良いのだ。死にはしない。

国に何とかしろと要求をするのであればある程度上記に上げた様な事をやる覚悟はあって言っているのだと思いたいたいが多分考えていないと思う。

国の魔法的力で何とかなると思い込んでいる様な気がするのだ。そんなモノは無いのにね。仕組みを作りそれ国民にやらせる事しか出来ないのである。まぁそれを実行する為の負担を微軽減させる位は出来るけど。(バラバラにやるよりは多少は効率化は出来る筈)

最終的に実行の負担は個人が負うのである。



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2009年12月13日

幸せになれない理由

幸せになれない理由は欲望にキリがないからだ。世の中金持ちが更なる金を手に入れようとする、権力にしてもそうだ更なる権力を求めようとする。

何らかの不満がチョットでもあればそれを無くそうとする。それが改善出来たとしてもまた新たなる不満がみえてくる。目の前に問題があればそれに隠され他の問題がみえていないだけなのだ。そのレベルに達すれば気付かなかった問題が浮き彫りになってくる。

喰うに困っている時は毎日腹一杯喰える事が目標となる。達成した時はそれが幸せだと思う事になるのだがそれも毎日続き日常化すると美味しい物が食べたいという欲望が沸いてくる。

そして日常化した状態より悪くなる事を極端に恐れる様になる。

人は日常化するとその価値がわからなくなるという欠点があるのだ。まぁそれがあるから進歩をしたという部分もあるのだが。

今の日本の状況はバブルを味わった為にそれが基準になり上手くいかない事になっているのだ。

その時みたいに遊びたいとかがあるからデフレになっていく。

その遊びの為に労働の価値を下げるという問題を起こしているのだ。一個売って儲かる金額が変わらないのならばいいのだが現実は儲かる金額は下がっているのだ。

儲けの金額を下げない為に農薬や肥料等で多少の危険があったり、海外の人件費の安い所で作る空洞化を招きドンドンと悪い状況になる。

現状をギリギリまで維持しようとして最悪の状態を招く事になるのだ。それ程下に落ちる事に恐怖感を持つのである。

下に落ちる恐怖と上を目指す欲望がダンスを踊り続ける。止まる事ができない追い込まれた状況なのだ。そして加速していく。

諦める事でしか人は幸せになれない。



posted by mouth_of_madness at 14:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月12日

落下の王国

映像の色彩感にクラクラ、造形にワクワク、子役の演技にドキドキという素晴らしい映画。

大人の童話、子供の想像力、現実と妄想の境目が壊れていく感じが気持ちいいのである。

確かに童話の内容は大した内容では無い。子供だましに作った思い付きの話だ。そして現実が流れ込む事によりその話は更にグダグダになっていく。

でもそのグダグダになりながらも色々な部分に心が引っかかり前に進む事も退く事も出来ない状態の切なさが心に染みる部分でもある。

まぁストーリーが駄目でも映像だけで十分元が取れるだけのモノに仕上がっている。現実のセピア感と妄想のパノラマオールカラー感の対比だけでも御飯三杯はいけるのである。いいモノ観たという感動を味わえるのである。

最後までみてふと思った。これって今のハリウッド批判?なのではないか。

スターシステムとCGにより安易に作られた映像に対して疑問を投げかけたのでは無いだろうか。

かつての映画を体を張って支えた名もないスタントマン、豪華で巨大なセット、ロケによる世界の驚きを捨てていいのかという疑問を投げかけている様な気がしたのだ。

スタントマンが落っこちる事でハリウッドを支えたが今は落っこちない事でハリウッドが落ちぶれていくという二つの意味がタイトルにある様な気がしたのである。




子供の演技も本当に素晴らしいからこの部分でも十分に元は取れると思う。
posted by mouth_of_madness at 21:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする