2010年03月31日

外交

外交とは人間力である。

どうもこの日本の政治家その人間力が落ちているようだ。図太さが無いのである。それは喧嘩するする覚悟が無いからである。だから舐められるし説得力もでない。

昔もある程度まで相手の言う事に譲歩してきた。ドンドン要求を飲み限界に達しブチキレた時にチャーチルに「早く言ってよ」と言われた位だ。日本にはある程度までは譲るという文化があるからである。

譲歩する文化ではあるが国連脱退する覚悟がある位に信念があったのだ。

なにを言っても反撃が無いとわかっていたら怖く無い、いくら怒って見せてもそれ以上が無いとわかっていれば鼻で笑っていれば良いのだ。

また駆け引きにしてもポーカーで役が出来ていない時には下りるとわかっていたら何にも怖くないのである。

トヨタ問題にしてもアメリカの政治的意図が有るというのならば工場引き上げするとか脅せば良いのである。受けに回れば主導権は奪われる。

何もしないというのが外交では一番良くない。言葉、行動で意思表示しなければわからないのだ。文化のバックボーンが違うのだから同じ様には考えないのである。

北朝鮮が経済的に弱くても、国がガタガタだとしてもいざという時に何をするかわからないという恐怖感があるからトコトン追いつめる事が出来ないのである。だから外交が出来るのだ。

まぁ今の鳩山政権何をしでかすかわからない、言う事が2転3転する、約束を反故するという部分では外交し難いのかもしれないけどね。でもこれは人間力とは別の問題だから。















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2010年03月30日

鎧・サムライゾンビ

僕が過大評価されている思う者の北村龍平がプロデュース、原案、脚本とやっている映画。

やはりこの映画を観ても過大評価されているというのを覆す事は出来なかった。むしろヤッパリ酷いという気持の上塗りである。

脚本の酷さ、まさに別世界の出来である。もう少し周りの人に面白い否か聞いた方が良いと思う。これを批判出来ない様なスタッフならば使うのを止めた方がいい。それ位酷い脚本なのだ。

また監督の坂口拓であるが本人のアクションに比べ、監督としてのアクションシーンに冴えが無いのはどういう事なのだろうか。重さ感も、速さ感も無いのである。また面白みも無い。

とにかくこの映画、安っぽい、演技もキャラも安い、あまりにもペラいのである。そして熱もない。僕には何でこれを作りたいと思ったのか理解出来ないのである。

鎧武者のゾンビといってもなんか特撮モノの敵怪人みたいで真面目な腐乱死体という感じではない。まぁ実際はゾンビでも何でも無いからこの怪人みたいなモノが正解なのかもしれないけど。

ゾンビ映画ならクズみたい映画でも固定ファンがいるからレンタル等である程度の見込みがあるから作ろうとかいう安易な感じがするのである。上を目指している感じがしない。固定ファンで元が取れる位の制作費でという安易な感じがするのである。

それでいてカルトな感じにしようぜという安い思いつきで荻野目慶子、いしだ壱成とかを配置してみたり、桜塚やっくんをハードボイルドな男役で出してみたりしてチョットした話題性をいれとこうというスタイルがどことなく情けない。トホホのホである。

それ位ダルイ映画である。



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2010年03月29日

鈍獣

素直に観る人には面白いかも知れないけれどヒネクレている僕には面白げな演出が鼻につき今一つ楽しむ事が出来なかった。

面白げな雰囲気がダダ滑りな感じがするのである。それでも最後まで観られるのは浅野忠信の飄々とした佇まいが良いからだろう。「もう、おしまい」という感じが実に気持が良い。

これって凸やんを浮き立たせる為には周りの人間はいかにも居そうな普通の小市民にしなければ駄目だと思うのだが。どうだろうか?

小市民の行動をヨクヨク考えるとおかしい、鈍いというのがあってこそだと思うのだ。

絵に描いたように鈍い凸やん、しかし別の見方をすると小市民もおかしいというのがこのネタの肝の筈なのだ。初めからおかしいという状況ではそんな事もあるだろうとなって際だたないと思う。それともこれは僕の見方が甘いのだろうか、別の所に主題があるのだろうか?

この映画実はトコトンシリアスに作り微妙なズレ感が気持良いという作りにした方が面白いと僕は思う。雰囲気で笑わしている感じでは沸点が低いのである。

冒頭のCGの変な生き物など蛇足でしかない。また額の肉もサブ過ぎるのである。アレを細かいネタだと言うのでは僕には理解が出来ないし何の面白みもない。

駄作です。
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2010年03月28日

才能とは宝くじ

才能とは宝くじの様なモノ。そんな事を言うと才能の無い者の妬みや、嫉妬だといわれるだろう。

確かにそれはある。才能が羨ましいと思う気持はある。

しかし才能がお金になるか否かは宝くじだとしか思えないのである。だからどうしたと言われると其処で話は終わるのだけど。

全ての才能は平等では無いのだ。希少な才能だとしてもそれがお金になるか、人に評価されるかというとそうでは無いのである。

また時代、状況により求められる才能は違ってくるのである。

誰がその才能を評価するのか?

本当に評価に値する才能のなのか?

多分そんな事はわからない。

人が呼べる、金になっているというかもしれない。だが本当にそうだろうか?誰かが値付けをしてこれは良いモノですよと言ったから良いモノと思い込んでいないだろうか?

本当に金にならない才能が本当に駄目な才能なのか? 金の為に汚物処理を我慢出来るとかいうのも物凄い才能ではないのか?自分達がやりたくない仕事をしてくれている人達の我慢する才能とかをあまりにも低く評価していないだろうか?

生きている間は作品は評価されず、死んでから評価される例とかもある。

後で誰かが評価を付けたのだ。付加価値を付ける事で才能が評価されたのだ。

才能が有るからといい、親の総どりの様に金を取ろうとする。才能があるから当たり前だという。これが極端になると俺の才能が人類を50年進めたという位に天狗になる。何の根拠もないのにね。実際は数時間早かっただけかもしれないのにね。まぁそれは極端でも実際は1年ぐらいかもしれないのだ。

僕はこの傲慢が好きになれない。

この傲慢が極端に状況が変わり上下関係が崩れた時の憎悪に変わるのでは無いだろうか。

評価してくれる人がいて成立するモノなのにいつの間にか評価を強要する様になる。評価して当たり前と思い込む。そして自分を評価する為のシステムを作ろうとする。安定しようとする為に、自分の評価を正当化する為にね。



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2010年03月27日

神とユートピア

ユートピアとは何処にも無い国という意味があるらしい。

神も結局は同じでは無いだろうか。確かに物語に出てくる人間味ある神々は実在した者達を伝説化したのかもしれないけど。

初めは人を支配、纏める為に都合の良いモノとして産み出した概念だと僕は考えていた。だが最近そうでは無いのではないかとも思うようになった。

人間は世界の全てを知りたいと思っている。だが実際は全てを知る事が出来ない、何億年あろうが知る事は出来ないと僕は考えている。

人間の思考の概念の外の事は知る事が出来ないし、それに気がつく事も無いのである。

しかし人は漠然と人類の認知外の世界の存在を考える。そして多分それは存在する。

それを神と称したのでは無いだろうか。神とは認知外を具現化想像したモノではないのか。

それは具体的な存在では無いのである。

ユートピアは足掻く為の対象、神は諦める為の対象という違いはある。

しかしどちらもこうあって欲しいという理想という面では同じである。



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2010年03月26日

人類の変革!?

何か今日本で起きている事、人類の変革をしようという考えの元で行なわれているのではないかという怖い考えが頭を過ぎる。

子供手当、日本で働いている者の子供には海外に子供がいたとしても全員払ってあげるという気前の良さ。子供は世界の宝という考えと日本のお金で育った子供達が後々恩返ししてくれるという考え。

CO2削減にしても地球益という壮大な考えと、日本に後々感謝してくれるだろうという考え。

ベーシックインカムにしてもそうだ。働かなくても数人集まり共同生活すれば生きて行けるという実験をしようとしているのではないか。また大幅な増税でも奉仕の精神で、人の営みとして怠けたい、楽したいという気持を抑えて人は働くと証明したいのだろう。

主権の共有にしても国家を解体してみても意外と大丈夫、上手くいけば地球政府が出来、永遠に戦争の放棄が出来る。軍事力がいらなくなればそれの予算がもっと有効に使えるぞという考え。

いや全ては国という垣根を取り除こうという遅れてきたヒッピーみたいな考えなのだろう。

LOVE&PEACEである。

想像してごらん 国境の無い世界をである。

確かに理想的に動けばそれは良い事なのかもしれない。それに理想を持つ事は悪い事ではない。

しかし人類はその様な世界を求めているのだろうか?平和主義者とかは求めているというだろう。そして上の人間がその気になれば出来ると思っているだろう。政治家等が利益を貪り、優位に立とうとする考えがこの様なユートピア計画を阻止しているとすら考えている様に思える。

だからイザこれらを実行して変な事が起きるとは考えていないのではないだろうか。肝心の上がそれをやろうと言っている訳だからね。みんな平和なONE・WORLDを求めていると思っているのだから。

違いがあるから距離感が大事などという考えなど無いのだと思う。

とても無茶な事が起きた場合に無抵抗で死ぬ覚悟など出来ていないと僕は思う。テロを行なってでも実現する覚悟はあるかもしれないけどね。

急激な変化に人は恐怖を感じる。それが色々な改革を遅らせる、失敗させる事になる。変革に痛みが必要だという考えもわからないでもないが、覚悟無しのお花畑ではいくら何でも支持は出来ないのである。






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2010年03月25日

これって退化だよね?

カップ麺おいしくはなっている(まぁ好みですから色々ですけど)味のバリエーション等も増えている。

一見これは進化している様に思える。だが僕はふと思う。確かに味の面では進化していると言えるが、本来の便利さ、お手軽さの面では退化しているのではないだろうか。

粉末スープ、かやく、液体スープ、後のせ海苔、コク油等で小袋が増えている。またお湯を入れる前に入れる小袋と3分経ってから入れる小袋、更にそれを入れる順番まで指定しているのもある。

また具をお湯で温めてというレトルトとがついているモノもある。

麺をお湯でほぐして、湯切りしてから作るモノもある。

それでも材料を買い集め、調理する手間から考えればまだまだ即席なのかもしれないけど。袋開けるだけだからね。

複雑化するのはカップ麺の進化方向から考えると退化としか言いようがない。ゴミも増えるのである。

是非お湯を注ぐだけというシンプルな状態、小袋すらない状態で味を追求してもらいたいモノだ。


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2010年03月24日

新宿インシデント

こんなジャッキー見たことない。が宣伝文句のこの映画確かにいつものジャッキー映画を期待して観るとショックを受けるかもしれない。笑い、派手な様式美のお約束アクションは無いのである。結末も後味悪しだし。

異様にシリアスです。

でもそれが良いかというとこれまた微妙。今一つ成り上がり過程がよくわからない。悪に染まる心の葛藤がイマイチな為にチャンス到来で安易な方法をとっている様にしか思えないのだ。

また日本人ヤクザの江口(加藤雅也)の心情もこれまたよくわからないのである。結局何?という感じになるのである。

また今一つ盛り上がれない理由として安易な犯罪の正当化だと思う。其処がリアルなのかもしれないがどうもしっくりこない。

それに有る意味これを観ると怖くなる。俺たちも生きているんだ、その為には犯罪なんかナンボでもするぜ。日本人はカモという感じそこはかとなく溢れている。密入国して日本に入ってきている人のマインドはこんな感じとわかって描いている気がする。想像ではない様な気がするのである。

これ位は仕方のない事。俺たちも生きているんだから、悪い事して生活が安定すれば止めればいいさという安易な考えが怖くなるのである。

そしてこれは今日本の裏で行なわれている事なのかと思うと目茶目茶怖いのである。

最後にはチョットいい人的に死ぬのもねぇ・・・安易にチャラにしているようでどうもねぇ。

それなりに見応えはあるモノの色々な?が頭に過ぎる映画でした。


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2010年03月23日

油断

2ちゃんとかの書き込みを見ると心配になる。

新聞やマスコミが書く中国、韓国の躍進のニュース。それに対してそれらの国には色々な問題とかデマ情報があり日本の優位性はかわらないという様なモノを見ると非常に心配になる。

確かにそうかもしれないが、それで満足していると足下をすくわれるような気がするのだ。油断しすぎの感じがする。

色々な技術などの流失等の面を見ても油断しすぎなのだ、コピー品の新幹線でも価格という面で負けたりするのではないか。

また企業が日本から製造拠点を移すという件もある。金儲け、消費者の利益を考えての低価格化思想の元に海外に色々なモノを移しているという話もある。(色々と問題があり戻って来ているという話もあるが)

徐々に空洞化しているのでは無いだろうか?

教育の低下も心配である。馬鹿になるだけでなく道徳感が低下したらそれこそ問題である。

驕る事無く、油断することなく考え続け無ければ大変な事になるのではないか。非常に心配である。

これは反日勢力が日本は駄目だという工作に反する為に愛国勢力がいう日本は素晴らしい国の言葉に必要以上に自信を持ちすぎているのではないかと思う。

自信を持つ事は良い事だが、度が過ぎて驕りにまでいくとチョイと拙いのである。其処に隙が出来るのである。

政府の行なおうとしている対策「韓国室」は何か頓珍漢な事をしそうな気がする。単に韓国と同じ様な事をして更に国内産業をガタガタにするのではないかと。

心配の種は尽きない。





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2010年03月22日

ザ・スピリット

装飾付きのウンコとはこの映画の為にある。

オッいい装飾だ(まぁそれも前例はあるから斬新という事はない)思って近づくと変な匂いがしてあれ何これと思っていると中にはクソが詰まっていたという。そんな感じのする映画なのだ。

でも装飾だけで最後までは何とか見る事が出来た。途中何度か睡魔に襲われそうにはなったが寝るという所まではいかなかった。

こんな絵を作りたいという感じだけで作られているのであるのだがストーリーとか演出が何とも足を引っ張っている感じなのだ。それらが足を引っ張るせいでイマイチ絵の方も爆裂する事がないのである。

話が破綻しようがもっと出鱈目な絵を作るべきではないのかと僕は思う。日本映画にも似たような映画がある。「キャシャーン」だ、だが此方はとりあえずはじけている分だけ心意気の高さを感じる事が出来るのだ。

おっかなビックリで飾り付けている感じがするのだ。まぁ中身がウンコだからそんな感じになるのは仕方のない事かもしれない。

話の内容なんか無くてもトコトン馬鹿やっていれば爽快感があったと思うのだが、それが無いのである。

この様な感想を書いているとやたら既視感を感じる。同じ様な内容の感想が実に多い様な気がするのだ。

僕の映画の良し悪しは馬鹿になりきれるか否かが大きな基準になっている。まぁ馬鹿映画ばかりを観ているから仕方の無い事かもしれない。

ただ何か一つでも吹っ切れ、尖っているとという事は大事な事だと思う。それが無ければ何も残らないのである。





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2010年03月21日

単純である。

人に憎しみを持たせる事は簡単である。

直接の接触が無い人にはその相手がどんな人なのか結局の所わからないのだ。書籍、新聞、テレビ、ネットで知りうる情報でしかその人の事の断片を知っているだけなのだ。

鯨、イルカ、クロマグロの海外の反応を見るとよくわかる。なんかこれだけで日本人は野蛮人で文明人ではないとか、馬鹿の様な反応する者がいるのである。また健康の為にもイルカを喰うのは止めるべきだとかいう頓珍漢な事を言う人もいる。

結構日本人は健康ですよ100歳以上も4万人越えみたいですからね。平均寿命という尺度でも日本は高いです。

それに鯨、クロマグロが絶滅すれば良いとか日本人は言っていないし、養殖とかの研究も日夜続けているのだ。

鯨の乱獲は日本よりアメリカが油取りの為に乱獲したのが原因ではないのか?

イルカは賢いから駄目で、アボリジニはOKという理由は何故だ?それから白人社会は奴隷制度、植民地主義は自力で乗り越えたから日本より一段上にいると思っているのだろうか?(自力で乗り越えたとは片腹痛い)

カワイイという意見もある。それならば牛や豚は可愛くないのか?それだとベイブなんか気持の悪い生き物が映画になっているという事か?ウサギにしてもカワイイと思っている人は多いのではないか?

と色々と反論もしたくなる。

しかし人間は単純である。よく知らないモノでも自分達の考え方と違う部分を抽出して提示するだけで劣る人間と印象づける事が出来るのだ。そして其処に血を見せる事により残酷な印象も付けている。

その国の文化には無いような事を提示すればその効果は絶大である。反応に反応し雪だるま式に悪い感情が膨れあがって行く。イメージで膨れあがった対象像が出来るのである。現実と乖離していてもそれはわからないのだ。会う事もじっくり話す事も無いからね。

これって日々色々な所で行なわれている。日々色々な所で憎しみの火種を仕込まれているのである。単純な僕達はコントロールされているのだ。

色々考え、落ち着いて判断を出来れば良いのだがそれが出来無いのである、其処まで労力をかけ調べようとは思わないのだ。確かに違和感を感じたり、興味のある事に関しては調べるのだろうけど、日々撒かれる小さなネタを全て調べる事など無理である。だから間違った行動をしてしまうのである。

これらを考えるとマスコミ等はよりしっかりとしなければならない。色々視点を提示しなければ悪意等がないにしても一つの出来上がった思考を植え付けてしまうのである。事実しか提示していなくても問題があるのだ。選別で切り捨てられたモノにも真実はあるのだ。








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2010年03月20日

大人の遊び

大人がいなくなったのが今の世の中。

これが色々な循環を壊しているのでは無いだろうか。大人が景気よく遊ばないから景気が悪くなるのである。子供に景気の牽引をさせているがやはり大人が動かないと動かせる額が違いすぎるのである。

スマートでカッコイイ大人がいないから子供のままでいる事になるのだ。金銭感覚が子供のままになるのである。

賢くなったから物事の価値がわかり無駄遣いをしなくなっただけだといういう人もいるが僕はそれはそれはセコイ事を隠そうとする嘘だと思う。計算高い事を賢いと勘違いしているのだ。

人生安全でソコソコという楽しみで良いという考えが蔓延しているだけなのだ。それは庶民の感覚でしかない。

そして今は子供が文化を創っている。それは決して悪い事では無いのだが、大人が文化を創らない為にある期間を過ぎた後に次に行く事が出来ないのである。子供は次々と変化し年をとった者を振り落としていくのだ。

次に行く所が無いから大人の元気がなくなるのである。自分で遊び場を造り出す事が出来る者は良いのだが大半は造り出せない。だからこそ大人の遊び人が必要なのだ。大人になる事に夢や憧れを持たせる者が必要なのである。

大人は憧れる、乗り越えるべき大きな対象として存在しなければ意味がない。それこそが文化や思想を進歩させるのである。

子供の友達では無いのだ。へんな平等思想が親を子供の目線まで下ろした事も駄目になった原因でもある。

子供を卒業しても次の楽しみがあるよとならなければ駄目なのよ。あぁ子供時代は終わった僕の人生の残りは消化試合でしかないとすれば生きる気力も萎えるというモノである。

経営者も政治家も子供のままだから自分のお金の事ばかり気にするのである。大人としての自我も無いからまともに責任もとれないのである。

頭でっかちの子供が増えすぎなのだよ。


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2010年03月19日

馬鹿にされています。

選挙用の政策がある。

これって馬鹿にされているという事なのだ。それに気がつかないと駄目だと僕は思う。

本質とは違うオマケで騙されているのである。サービス合戦で一票をとろうとするのである。

実行する、しないに関係なく目の前に餌をつるすだけで食いついてしまうのである。まさに馬鹿にされているとしか言いようがない。

本来は辛い事も受け入れる事が正しい事だと判断出来、それに票を投じる事が出来る事が出来れば良いのだが、実際はそんな判断能力が無い事がバレているのである。またベストな判断出来ないなりにも考え、判断しようとする事もないという事も読まれているのだ。

だから目の前に餌をつるされるのだ。

本来は良い政治を行なえば選挙対策など必要が無い筈だ。確かに良い政治というのは一つに決める事は出来ないだろう。何を優先するかにより政策、政治は変わるのは確かだ。

だが一時しのぎの選挙用政策は本来意味のないモノでしかない、いや意味の無いモノならばまだよい、むしろそれを行なう事で時間も金も浪費し悪くなる事の方が多いと思う。

また目につく派手な内容でその他の部分が見えなくなり肝心な事を見逃す事にもなるのだ。


騙す政治家、票を投じる自分の利益ばかりを考える者達。両方とも異常な状態である。いや人としては本能に忠実なのかもしれない。

人間には本来政治など出来ないのかもしれない。あまりにも欲、業が大きすぎるのである。それらを民主的にまとめる事など無理ではないのかとすら思うのだ。

まとめる為にまた餌をつるされるのであった。

めでたし、めでたし。
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2010年03月18日

激動

今、社会は変革している。保守、革新それぞれの立場のネットユーザーから観れば激動を期待する、不安に思う感じが出ている。

しかし僕は思う変化はする、だが激動と感じるような事は起きないのではないかと。

そして殆どの人も激動は起きないと思っているのでは無いだろうか。起きて欲しいという期待感はあるとは思うのだが内心激動は起きないと思っていると思う。

マスコミやネットが仕掛ける祭りに乗り楽しんでいるだけなのではないかと思う。

本当の意味での危機感はないのではないだろうか。映画やテレビを観てスリルを感じて楽しんでいるだけなのだ。政治家も票に繋がるネタとして感じているだけではないのだろうか。

バブルがはじけて、リーマンショックがあってもまだまだ余裕を感じているのが大半なのではないだろうか。

今回の変化もその程度のモノだと考えているのではないだろうか。

それならば安心だと心の何処で思っているのである。

だが本当はこれこそが危険なのだ、外国人参政権、人権擁護法案、子供手当、事業仕分け、いざやってみたらそんなに劇的な変化は無かったね、思ったより悪い状況にならなかったねという状況に僕はなるのではないかと思っている。

そうするとあっと言う間に忘れるのが常だ。

その間に悪い方に転がっていく、あまりにも緩やかだからそれに気がつかないのである。だが20年後に取り返しのつかない事になる。

バブルがはじけた時に有効な手をうつ事が出来なかった。不適当な対策をうっていたのがその時に発覚しなかっただけで20年をかけおかしな社会を作り上げたのである。

村山、河野談話にしてもその場のノリで安易な発言をした、許した為におかしな状況に追い込まれている、竹島にしても尖閣諸島にしてもそうだ。時間をかけて不利な状況になっているのである。

激動が起きれば危機感を持ち行動する事が出来る、だが変化に慣らされていくと行動出来なくなってしまうのだ。慣れていくうちに色々なしがらみや守るべきモノが増えていくのである。

緩やかな変化だから問題が起きた場合に元に戻すのが簡単だと思うのは間違いなのである。
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2010年03月17日

聖白百合騎士団

実に日本的な感じのする映画。漫画やアニメのノリがあるのである。

女子校でお姉様で対戦車ライフルといった感じで血まみれ。これがアメリカだったりすると血まみれになずのは農夫だったりする。そして侵略したりする。

話はとことん薄い。でもそんなこたぁどうでも良い事である。女学生を血まみれにして男子校生を肉片にしてしまう、生徒会長はツンデレだし。お姉様は男前だしで他に何が必要なのだろうか?ノリだけ一気に突き進み余計なモノなど一切足さずにあっと言う間に終わってしまうのだ。見せたいモノだけをパッと出して終り。実にストレートで好感が持てるのだ。蛇足なんかいらないのである。

まぁもう少し学校は綺麗だった方が良いとは思うけど。あまりにも田舎の廃校感が漂いすぎである。

是非次はこの学校を良く思わない日教組が軍隊を率いて襲ってくる様な作品を見たいモノである。

騎士団に率いられ戦う生徒達、攻撃の激しさに傷つき1人また1人と銃弾に倒れていく。

罠にはまり捉えられるお姉様、その不安により崩れていく学園、しかしそれを立て直す幸子。

そして救出作戦。

4人がそろい反撃をするが戦力の差は埋める事が出来ない。

もう駄目だというその時!!

といったベタな続編を観てみたいモノである。

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2010年03月16日

規制

青少年の健全育成の為の条例、背後にあるのは人権団体。

でもそんな事はどうでもいい。

この規制は第一歩。不都合なモノ、理解出来ないモノは規制するという力。

体制への忠誠を誓わされる日も近い。

確かに何でも野放しというのは良くないとは思う。ある程度の規制は仕方の無い事だとは思う。社会とは集団生活だからルールは必要である。

しかし人の想像の部分にまで規制するのはどうだろうか?

人の想像力が他人に影響を与えるから駄目なのか?

また今回の規制の対象が危険という具体的根拠はあるのだろうか?多分無い筈だ。また証明するのも難しい筈だ。

性犯罪を起こす事になったのはエロマンガのせいか?もともとその様な素養があるモノがエロマンガが好きなのか?

少なくとも規制が厳しい国で性犯罪が起きていないという事はない。規制は厳しいのに日本より性犯罪が多い国は多数ある。

そう考えるとエロマンガが直接の原因では無いとも言えるのだ。むしろその手の捌け口があるから少ないという結論すら出す事も出来るかもしれない。

根拠の無い事を生理的に嫌という理由で屁理屈をコネ、規制するというのは良い事なのだろうか?

生理的に不快感を与える事は犯罪だといいだしたら気分次第で何でも規制出来るようになるのだよ。

また規制が増えるというのは人として駄目になっているという事だ。より自立した判断が出来なくなっているという事なのだ。本来は親が躾をし、法で縛る事無く自分で判断するべき道徳観が無くなったという事なのだ。

規制が増えれば増えるほど其処に書いていない事は抜け穴となってやって良い事となっていく。その結果自立思考を停止させる事になりかねないのだ。

それに規制をするとそれを破りたくなるという人間のサガがある。そしてそれを支援する闇が生まれる。

法律に反する非人道的行為を想像する事が駄目であるというのならば漫画、アニメだけにとどまるのは変だ。小説も映画も音楽もゲームもテレビ番組もあらゆる創造物に関して規制しなければ筋が通らない。

また未成年エロ描写にとどまるのも変だ。窃盗、殺人、暴走行為と全ての犯罪行為をする描写において取り締るのが筋ではないのか?

エロ問題より不良漫画とかの影響の方が社会的に大きいのではないか?

ニュース等で犯罪を報道する事ですら影響を与えるのである。手口だったり、面白そうと思わせたりする場合もあるのだ。レイプ報道等で羨ましいと思う者もいるだろう。ニュースになり目立つ、注目されるというのも十分に動機になるしね。

更に極端な事をいえば野球漫画やサッカー漫画にしても才能の無い者に夢を持たせた為に人生を棒にふる結果となってヤクザ者を産み出していると極論を言う事すら可能ではないのか?


何か問題が有り解決する為のモノではないモノでドンドン窮屈なる世界。結果その窮屈さからストレスが爆発する。
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2010年03月15日

ジャーマン・ゾンビ

ギリシャ、パキスタン、東京とご当地名がつくゾンビ映画。

人生の無駄とは何かを感じさせる映画に仕上がっている。

始まって5分でこれはどう考えても酷い映画とわかるのである。それは最後まで観ても変わる事はない。中々此処まで酷い映画は無いと断言出来る。

志、技術、予算、知能、才能と何一つ実感出来る事が出来ない位酷い映画だ。

始まって5分、此処で観る事を止める事が出来無い人間はきっと人生色々な失敗をしていると断言出来る。レンタル代払ったのだから勿体ないよねという考えでは損をするのだ。これを観ている時間、脳を占める無駄な記憶、虚脱感等を考えると観るのを止めた方が損が少ないのだ。

それがわかっていても止める事が出来ない、無駄な期待をするという弱い精神性では駄目なのだ。

でもこのシナリオの惨さは五臓六腑に染み渡る。見終わった後に吐きそうになった。知恵熱が出そうになったのだ。理解を拒否しようとするシナリオによるストレスが体に負担をかけたのだと僕は思う。

この凄さは観た者でないとわからない筈だ。

だがこれは観る事を全くお勧め出来ない。ネタで観るにしてもあまりにも出来が悪いし、画質も悪い。

死のうと思っている人は観た方が良いかもしれない。これを最後の記憶にしたくないと思うからである。怒りが沸々と湧き少しは生きる気力が湧くはずだ。






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2010年03月14日

恐るべしアメリカ!!

レストランで塩使っては駄目、高血圧防止の為にも使っては駄目という法案。今回は見送りになったみたいだけど。まぁそりゃそうだ。

レストランの塩全面禁止法案って馬鹿じゃないのと思ってしまう。0か1かって偉く単純な頭である。塩とらないとそれはそれで病気になると思う。

アメリカの生活習慣病ってそもそも塩が原因なのか?ファーストフードとかお菓子を食べると味覚がおかしいのではないからではと思う。味が極端に濃いのである。薄味がわからないのでは無いかと。油もクドイ。

これがOKというのは味を感じる能力が低いからだと思うのだが。その結果塩分、糖分を過剰に取りすぎるという事になるのだ。

いやこれも法案での極端な考えをみるとわかる様な気がする。味付けも0か1なのである。0.5とかの味は無いのだ。サラダとかも野菜の味を楽しむのでは無くドレッシングを味わっているのではないか?寿司とかの番組を観ても醤油ダボダボ、ワサビ山盛りだったりする。魚の味を楽しもうという感じでは無いのだ。まぁ楽しみ方は人それぞれだからこれが駄目という訳ではないんだけどね。

また味気のない食べ物を食べて食事の楽しみがあるのだろうか?それで長生きして楽しいのだろうか?美味いモノ食べて多少早死にするのもまた人生ではないのか。

それにアメリカだと国民健康保険というのがある訳ではないから税金に影響というのも少ない筈だ。働き盛りの親が死んだりする事での子供の保護とかの影響はあるとは思うけど。

塩分、糖分、脂質、−25%位から目指していけば良いのだと思う。それに味覚が慣れたら更に減らすのだ。まぁ食肉業界が政治に対する力が強いとかいう話もあるから単純にはいかない面もあるのだろう。





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2010年03月13日

忍者  ドロンと消えます。

日本の存在感が無いらしい。世界はもう日本のことを気にしないそうだ。

そもそも日本が存在感があった事はあるのか?またマスコミがいう世界とは何処と何処よ。

日本が存在感があると思い込んでいた時はただの金づるとしておだてられていただけではないのか?

また別の存在感としては白人社会に対して対抗した時だけだ。そもそも仲間とは思われていないのである。かなり芸の出来る猿として評価されただけに過ぎないのだ。金を稼いでくれる猿としか思われていないのである。

扱いを間違うと刃向かって来る恐れがあるという部分で認識されているだけだ。対等の人間国家としては見られていないのである。

またマスコミがいう世界とはこの場合白人国家の先進国と中国に過ぎない。

本当に存在感が薄いかというと微妙な問題もある、今のトヨタ叩きとかをみると存在感はあるのではないか、鳩山首相がなめられているだけではないのか政府が駄目なだけで日本国民と天皇は侮りがたしと考えているのではないか。

それに日本は自己主張をするのがヘタだ、いやそれが格好悪いと思っているからだ。おかげ様思考が根底にあるからだ。それにあまり自己主張し過ぎてもめる事を良しとしないという考えがあるからである。存在感を出し過ぎる事自体が自分に自信の無い事を表していると思うからである。

元々日本は隠れるのだ、自らの意志で隠れのである。かって中国文化から学ぶ必要が無いと思えば日本からの派遣を止めた、また鎖国もした。今も引き籠もりという文化もある。神様自体が隠れるのが日本なのだ。

世界は日本が隠れて初めて日本の意味を知る。

更に、日本は忍者の国なのだ隠密行動をする為に目立たない様にしているのだ。目立てば叩かれる事をわかっているのからだ。それは日清、日露、戦後の経済戦争で学んだのである。目立つことなく、油断させ相手の懐に入り込む、それが忍者だ。

忍者は滅びた訳では無いのだ。表舞台から姿を消しただけなのだ。

後はビタミンウォーターが足りないだけ。




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2010年03月12日

インスタント沼

オープニングからテンションが上がる。見終わった後はスッキリする。実に気持の良い映画!!でも第一印象としてオープニングを観て電気グルーヴのBBEが頭に過ぎった・・・

人の無意味なこだわりで心も体も重くなりズブズブと沼に沈み込んでいく。色々なモノも見えなくなっていく。

でもそんな事なんかも気にしては駄目。意外となんとかなるのよね。ならなくてもどうという事はないのよ。結果オーライである。

といった感じで清々しいのである。

でこの清々しい感じを出しているのは何といってもヒロインを演じる麻生久美子である。感極まり声を上げる感じが実にグッと来るのだ。ワキを固める風間杜夫、松坂慶子、加瀬亮もこれまた素晴らしいのである。

多分これはこれから何度か観るに違いない。話の全貌がわかった上で観るとまた別の発見があるに違いない。細かいギャグはかなり見落としているだろうしね。

三木聡監督の緩さは実に気持がいい。出てくる人は色々と欠点はあり一見駄目人間なのかもしれないのだが、人生を楽しもうと足掻いている感じが良いのである。変な人に見えるけど実はこれがリアルなのだ、意外と自分で考えているより人は格好良くないし、変なクセ、こだわりは端から見ると実に滑稽なのである。冷ややかにみるでも無く、必要以上に滑稽に描くでもなく、熱く語るでもなくという距離感が良いのである。其処がクセになる。

細かいネタという部分が売りと思う人もいるかもしれないけれど、これは世界を構築するという事で必要なのだ。それが積み重なりが世界の空気感を醸し匂いを産み出すのである。

その空気の匂いにハマルのである。




posted by mouth_of_madness at 22:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする