2010年05月31日

知恵の実

キリスト教でいわれるアダムが楽園から追い出される原因となった知恵の実。

実はこれって凄く的を得ているとシャワーを浴びている時に思った。

神はいる、いないは関係ない、動物に知恵が無いとかいう気もない。だが人間の知恵にはメリットもあればそれに伴うデメリットもあるのだ。

そしてその知恵の堂々巡りを人は進歩と考えていると思われるフシがある。それの止め時もわからない様になっている感じがするのだ。

そして余計な悩みを産み出し関係性を複雑にしてストレス地獄に陥っているのである。

もっと単純であれば楽だったのにね。

これを考えた人間は凄い、これまでの人間が積み重ねたモノを否定しているのだ、当時の知識人の無意味さを知っているのだ。其処に人間の原罪があると思っているのだ。何故人は幸せになれないのかの仕組みを見抜いているのである。

この話の元になった出来事は一体何だったのだろうか?単純に創作とは思えない。

いくら便利になり、寿命が長くなったとしても人は幸せにならないのだろう。

子供の時と比べて色々と便利にはなっている。しかし幸せ度合いがアップしたかというとそんな事はない。むしろ加速する時間に手を焼いている感じだ。

また知り合いの範囲が広くなったのは良い事かもしれないがそのおかげでより無視されれる人は存在しない人になるのである。

そうなると人は死ぬ。ひっそりと死ぬのである。死んだ事すら気がつかれないのである。

便利になればなるほど1人で生きる事が出来るせいで孤独になるリスクは上昇している。旧人類はその孤独には耐えきれないのだ。

多分日本の自殺、単純に経済的理由だけではない。




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2010年05月30日

ZANGEKI 斬撃

スティーヴン・セガールとゾンビを合わせる。こんなモノ普通に考えたら面白くならない筈がない!!

期待に胸膨らむ馬鹿映画だと思ったのに観賞後はドヨンドです。なんか頭の後ろの方が鈍く重たい感じ。脳に血が巡っていない様な虚脱感に襲われる。

セガールの動きは重たいし、話はチンプンカンプン。?????と色々な疑問符が頭に溢れてきます。

空爆ネタと電気切れるネタ、時間に追われるネタ二つもかぶる意味不明感というシナリオの適当さとかもう駄目さが滲み出ている。そして少しだけ感心させたいのか、釣りなのか良くわからない「地球最後の男」みたいな事をいうネタも駄目感を醸し出す。

もうツッコミ出すと色々とおかしな所ばかり気になりだし、呆れてしまう事は間違いない。これを解消するには色々な人にみてもらいこのグダグダ感を共有し酒の肴にする位しないと心は癒される事は無いだろう。

セガールは単に腕っ節の強い親父とかの設定で、生存者を救出に来た軍隊から朝までに逃げ無ければ空爆があると知る。しかしその軍隊もゾンビ軍団には歯が立たず軍隊は全滅。生存者を逃がす為にセガールは立ち上がりゾンビ軍団に1人立ち向かう。立ち向かう理由として病院に入院している自分の娘がまだ救出されていなくて、その病院がゾンビ軍団に囲まれている位の理由で十分(まぁ何人かの協力者はいてもいいけど)

軍隊の武器、手作りの武器、格闘技でゾンビ軍団を蹴散らしていくのだ。

そして最後は敵に捕まった我が娘を小脇に抱え空爆で吹き飛んでいる中から飛び出してくるセガールみたいな位に単純な話で良いのではないか?

時間も短い映画なのだ、セガールと救出という面に絞り込みもっとシンプルにするべきなのだ。スカッと来る炭酸飲料または生ビールみたいな映画を期待しているのにね。

この作品の様に登場人物が変にバラバラになって余計なエピソードでそれぞれのキャラに何かある様な中途半端なシナリオはいらないのだ。これのせいでこの映画、目茶目茶テンポが悪い、流れないのである。この映画見ている時、日本では「セガールの」で売っているけどセガールは思いっきり脇役で途中で死ぬのではないかとすら思った、エグゼクティブ・デシジョンみたいにね。


血湧き肉踊らないゲッソリな作品である。
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2010年05月29日

ハイキックガール

女子高生のハイキックを愛でる映画なのだが今一つ愛でる事が出来ない。

後半が食い足りないのである。

後半活躍するのは師匠なのだ。師匠が敵をバッタバッタと倒していくのである。女子高生は捕まっているのである。確かに最後の敵にとどめを刺すのは女子高生だけどね。

また序盤の女子高生のキャラが傲慢でイヤな奴部分もマイナス要素だ。もう少し戦いたいだけのスカッとしたキャラの方が良かったのではないだろうか?壊し屋の試験の時の性格では今一つ応援出来ない感じが残る。

しかし最後の敵に関しては主人公とキッチリ戦うというのが盛り上がるというモノでは無いか?確かに実力差が有る様な設定で勝つとなるとリアリティは無いのかもしれない。

師匠により痛めつけられた敵ならば其処は可能の筈だ、実際に本編で止めだけはさしているからね。其処をもう少し手前から戦わせて盛り上がりをつけるべきだと思う。最後に戦う敵が赤城という少し面白キャラではどうにもしまらない。最後の敵は無理だとしても、せめて道場破りを行なった跳華、跳猿と戦い見せ場を作るべきだと思う。

またもう一つ駄目な部分がある。女子高生の友達がパンチラを撮っているのだが肝心の女子高生のパンツが駄目なのだ。明らか格闘で見せる為のパンツの為に色気も何も無いのだ。

女子高生のパンツを見せろというと変態みたいに思われるかもしれないが、男子たるものお色気に反応しなくてどうするものぞだ。いやむしろパンチラにこそ反応するべきではないのか!!

問題はパンチラではない、パンチラを撮影している設定の者がいるのにそのパンチラが駄目だから問題なのだ。見せないのであれば初めからそんな設定をしなければいいのだ。

そしてそんな中途半端なパンツにするのであればスパッツとかの方が良かったのではないか?それによりもっとカメラ割りの自由度が上がったと思う。

女子高生という肝心な部分意外でも、技が決まるたびにスローでリプレイはくどすぎる。これはここぞいう所で使ってこそ効果が有ると僕は思う。あまりにもくどすぎるし、時間を水増しする為に入っている様にしか思えないのだ。そして格闘をやっている者ならばニヤリ技なのかもしれないが微妙に地味に見える技でこれをやられてもねぇ・・・・

リアルかもしれないけど今一蹴りやパンチがコンパクトな為に地味に見えるのも爽快感を無くしていると思う、打撃が今一つヌケが悪いのである。

映画としての完成度は低い、でも志は良し。変な大作風映画よりも余程気分良く観る事が出来る。

主人公を演じている武田梨奈、戦っている時の凛々しい顔は凄く良い。

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2010年05月28日

死にぞこないの青

イジメ映画。そして最後はチョット人間の成長というなんかいい話みたいな終りをする。非常に萎える映画でした。

まぁ解決していない問題も内包したまま終わっているからこれはこれで良いのかもしれない。解釈次第ということか。

でも表面上のオチの部分はどうも納得が行かない。イジメている方にも色々な理由があるんだよという部分だ、理由があるからという部分で救われていたら何でもOKなのか?

人には色々な理由がある。しかしそれに折り合いがつけられなくて困っているのだ。理由が有るから納得、それで済むならば世の中楽なのだ。怖かったのだで済む程、人は物わかりは良くないのである。

でもこの映画観ていて思ったのはこの虐められているマサオ君、虐められているからといって先生をストーキングし、家に勝手に入って毒(タバコの煮汁)をお茶に混ぜようと内心考えるクソガキである。無断で家に入るだけでも十分にヤバイ子供だと思う。

だから初めは被害者に見えて実はイジメられるマサオ君に何か問題がある展開になるのでは無いかと思っていたのにねぇ。被疑者意識と加害者側から観たマサオ像のギャップがありどっちが正しいのか?という展開があればなぁと思う。

先生は誰でも良かったというがそれがあんな風に上手く行くという事は何らかの理由があると思うのだ。まぁ人は感単に流されるモノだいわれればそうかもとも思うけどね。

それでもクラス全体があそこまでイジメに転じるとは何か理由がないと不自然に思う。

先に上げた様な異様な行動をしているのだから絶対に何か有る。首筋にテント用のペグを刺したり出来る様な奴だし、妄想ではクラスメイトに火をつけたり、階段や屋上から突き落とす様な奴なのだ。


先生にはまだ理由がつけられた、マサオ君の友達も何となく雰囲気はわかった。だが他のクラスメイトの安易な行動の裏にある人間の業からはこの作品は逃げていると思う。


其処にこそ最大の狂気がある。


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2010年05月27日

なんか怖い

今日やたら輸送機がガンガン飛んでいるのをみると緊迫した状況が迫っている様な重苦しい空気を感じる。

チラ裏とかでも6月いよいよとかいう書き込みもある。(鵜呑みにする訳にはいかないし、これを真に受けているという状況がよろしくないというのもわかる、釣られているわけだからね。ワロス・ワロスでいるべきだと思うのだが)

またこれらの恐怖心から変な夢を観る、まぁ前から北朝鮮が日本に攻めて来て、下水道に逃げ込むとかの夢を昔から何度かみたりしている。

しかし最近みる夢は仕事場の窓から見える曇り空から熱の無い炎が落ちてきて、その炎に包まれた人が笑顔で大丈夫というのだけど燃えて消えていくのだ。僕はその炎が怖くて逃げる。炎をを聞かず、何怖がっているの何も危険無いよという人々が更に怖いという状況の夢だ。

それは誰かが仕組んだ戦争なのだ誰かが仕組んだ戦争なのだと僕は思っているのだが今一つそれはハッキリしない。しかしそれが人類の最後の夏の空なのだという実感に涙が溢れてくる夢なのだ。

何の根拠も無い頭の悪い戯言である。

でも何か胸騒ぎがするのだ。ヨーロッパの状況、半島情勢、アメリカの経済全てが臨界状態に感じさせるネット情報等がその原因だと思う。

それと僕は人類がそんなに賢くないし、理性的では無いと思っている部分がそれを増強しているのだろう。




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2010年05月26日

戦争特需

今、其処にある危機としての朝鮮半島。一度紛争が起ればどうなることか?

それを戦争特需という視点で考えているマスコミの記事をみるとチョイと怖い。確かに全文をみると少しだけはそんな甘い考えでいて大丈夫だろうか?という視点もあるのだが、やはりマーケット的な視点で戦争をみている部分が少しグラグラする。

確かにアメリカの仕掛ける戦争を経済的戦略としてみている記事は度々出てくる。それを陰謀だのなんだのとして楽しんでいる部分もあるのは確かだ。

そして経済的に戦争をみるのはある面では正しい事なのだろう。直接の戦闘を行なっていなくても、経済的に直接取引が無かったとしても、グローバル化した世界では影響が出るからだ。


だがやはり経済で戦争をみるのは人としてどうなのと思う。他国の戦争で儲かる、儲からない、戦後の経済再編で如何に良い立ち位置をとろうかというのをマスコミが書くのはどうにもゲンナリ来る。

更に今回は自国に対しても戦火が及ぶかもしれない。覚悟が無く平和を叫んでいる人にも影響が出るかもしれない事を伝えておかないと駄目なのだ。

必要以上に危機を煽る必要は無いけどね。

戦争すらも金儲けのネタにする社会、それが記事になるということはそれを望む読者がいるという事だ。(読みたいと思う読者が少ないといいけど・・・・)それで不況脱出を図ろうとする志の低さにトホホになる。新しい経済システムを打ち立てる位の高い志が欲しいモノだ。

それにしても何処まで金に支配されているのだろうか?欲ボケも此処まで来ると笑うしかない。






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2010年05月25日

ワールドカップ

僕はサッカーに特別興味が有る訳でも詳しい訳でもない。だから頓珍漢な意見なのだろうと思うが報道とかを観て考えた。

なんかまだ日本のサッカーって戦略とかの細かい所をやる段階では無いのではないか?確かに基礎は大事だとは思うし、全く系統立てて練習しないというのも問題があるとは思う。

だが今はまだサッカーを楽しむ段階では無いだろうかと思う。もっと我儘で良いのではないか。パス回しなんかせずにガンガンとドリブルで抜きたい奴はそれをやる。

俺って最高!! みんな俺のプレイを観ろ!!みたいな子供の如き我儘ぶりが必要だと僕は思う。マインド的に勝つのは当たり前、如何に客を沸かすかを考える位の傲慢で自信満々が必要なのだ。

日本代表のプレッシャーに負ける様なモノでは駄目なのだ。日本の最高峰に俺たちはいる!!という位に思える強靱な自我必要なのだと。

もっと日頃から積極的なプレイならば失策だったとしても褒めて伸ばす必要があると思う。そのアグレッシブさが足りないのだ。萎縮してコンパクトにまとまり過ぎていては勝てない。

負けないサッカーをやっていたら、いつまでたっても勝てないのではないかと思う。確率的には低くても攻撃的に行くべきなのではないか。



日本代表となる位の者達、サッカーに関しては傲慢で無くてどうする。多分海外の選手は俺って最高、誰にも負ける気は無いと思っているはずだ。憧れの選手と戦っている時も越えてやると思っているだろう。

負けるとは微塵も考えない者達が代表になるべきだと思う。多少技術的に劣ったとしてもね。


日本代表、サッカーを楽しんでいるのだろうか?

もっと楽しめ!!
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2010年05月24日

ライラの冒険・黄金の羅針盤

何か腑に落ちねぇ〜!!

何なんだこの売り切り漫画が如し終り方。2を作る予定だったの為のこの様な終り方なんだろうけど。

これでは見終わった後の充実感はない。ラストに合戦シーンとかあるのだけど、此処も今一つガツンと来ない。

また観ている時も何度か時計を観る感じがあった。なんかテンポ、流れが悪く映画に今一つ集中出来ないのである。

世界説明の不足感、主人公の立ち位置感等に色々と疑問が残る。色々と想像力を刺激する設定等も今一つ撒かれていない。其処はコンパクトにまとめようとしている感じがある。だがそれでも説明不足感に溢れている。説明が多ければ良いという訳では無いけどこれはあまりにも中途半端である。

原作小説を読めばこの満たされない感は埋められるのだろうか?

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2010年05月23日

換気扇掃除

今更ながら思う。換気扇掃除はマメにやらないと駄目だと。

今日1年6ヶ月ぶりにやったら非常に油まみれで大変でした。油受けにはタプタプと油が入っているし、フードの溝の油はクリーム状で難儀しました。

まぁ苦闘2時間半、もとアルバイトをやっていた技術でピカピカにはなったけど、やはり業務用の洗剤や消耗品の格安ウエスとかは欲しいモノだ。

でもまぁ過炭酸ソーダが有ったのは良かった。これがなければ更に苦戦したと思う。

汚れがつき換気能力が落ちると更に汚れが付きやすくなる外に吹き出すパワーが無いからね。もっとパワーが無くなると壁が汚れやすくなる。またフィルターの油汚れは埃が付着しその埃は新たなる油汚れを呼ぶ。

ピカピカの換気扇をみた時の充実感、面倒臭いだけの事をやり遂げた充実感。別に凄いことをやり遂げた訳では無いのにこの充実感がある。なんとも安上がりに充実出来るモノなのだ。

まぁ食器洗いでもキュッキュッというだけでも充実感までは行かなくても小さな満足感は有るからね。実に安上がりなのである。

確かに家を購入、車を購入というイベント的な大きな満足感も有るだろう。それを実現する為の時間、お金等の労力は大変である。しかしイベント的モノは人生でそう何回もない。

それよりも日常に内包する小さな満足、充実感を味わうことが本当は必要なのでは無いだろうか。長いこと達成感が無い生活していると何もやっていない感が溜まっていく。そうなる前にチョイと面倒臭いけど半日ガンバレば終わる様な事をやれば脳内物質出る事間違いなし。

来週は草むしりである。朝早く起きるとしよう。
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2010年05月22日

嗚呼っ 気持悪!!

鳩山首相が韓国軍艦沈没に関して「国際的に協力してしっかり戦う」と発言、その頃韓国ではコラムで「北朝鮮より憎い日本の対応〜韓国は日本を主敵とし対日安保教育体制を作れ」だそうです。

もうねナニがナニやらです。

これが世界なのだ。

そして人気取りの為か何なのか迂闊な事を言う鳩山首相。どうせ経済的にだの何だのと言って戦闘行為をする訳では無いという様な言訳をするのだろう。

でも戦うという意味で解釈され攻撃されたりするのだ。

それとも口だけか!と文句言われたりするのだ。

安易な発言の代償は小さくない様なきがする。一国の首相の発言というのを甘く見すぎている、(別に鳩山首相が凄い影響力を持つとかいう訳ではないけどね)世の中は自分に都合のいい感じに物事を解釈するのだ。このブログの様にね。

また発言としてはIMFが日本は駄目だね消費税あげなよ。みたいな事をいうが日本からお金出して貰っているクセにとも思う。(まぁ全額出している訳では無いけど)

でもそんなに日本経済が駄目ならば何故円高になっているのだろうか?これは円が他の通貨より安心だという事ではないのか?投資家達は日本の経済状況が相対的にみると悪くないと判断しているのではないか?

今の円高のあと消費税アップとかで経済を低迷させ円安にする事で儲けようとか考えているのではないかと妄想してしまうのだ。

世界的経済危機とかなんとかいっているがこの状況でも人を出し抜き、国を出し抜き自分の懐を増やそうとするこの性根。

そもそもこの経済危機も嘘でこれを利用して儲けようという策かもしれない。色々と仕組みを変える事につかえるしね。コミンテルの陰謀かもしれないけどね。







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2010年05月21日

ユーロ

今のユーロを見るとサブプライムローンの混ぜて安全性を確保の様に見える。

この巨大なサブプライムローンが吹き飛んだらと思うとガクブルである。どの様に着地させるのだろうか?

しかしこの様な状況を見ると型(日本で起きた事は世界で起きる、日本は世界のひな形みたいな考え、日本の形自体が何となく世界の大陸と符合するからそんな考えになっているとか)というのを考えてしまう。日本のバブルと同じ様なモノが世界規模で起きる。

小さい型と大きな型。


日本と世界という安易な対称性ではなくもう少しフラクタルな考え方の方が多分正しい。同じ様な構造が色々なスケールで出てくる感じである。

日本のバブル<サブプライム<ユーロ危機という感じに同じ様な事が起きるのである。

そしてこれのもっと大きいスケールが資本主義経済ではないだろうか。実際の経済規模とは違う虚構の経済規模で大きくなっている感じに類似性を感じるのだ。

結局は全部はじけるのだろう。

確かに全部はじければ大変な事になる。だが多分大丈夫だ。必要以上に大変な事になるという刷り込みのせいで恐怖感を持っているに過ぎない。(まぁ1人だけはじけると大変な事になるけど、全員はじければ問題は小さい)

はじけたからといって工場が製造能力を亡くす訳でも、未知の力で世界の借金を払うまで人が働けなくなる訳でもない。単に今までの金融ルールが使えなくだけなのだ。

まぁそれで今まで優位に立っていた者達の優位性はなくなるけどね。それでも御飯が食べられなくなる訳でも道路とかを神が借金のカタに持っていく訳ではない。

全員がはじけたのならばまた全員に新たなるルールを適用すれば良いだけなのだ。


で、話は少し戻る・・・・


今小さい規模で良いから新しい金融システムの構築を始めるべきだ。そしてそれを少しずつ大きなスケールに影響する様に育てる準備をするべきだ。

世界を変えようというのではなく、型を内包させる事で世界を変えるのだ。








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2010年05月20日

ピョコタン・プロファイル

緩い、果てしなく緩い夢精映画。非常にいかがわしくエロい感じがある。原っぱで捨ててあったエロ本、でもエログラビアより中の記事の方が面白く興奮した感じ。

ピョコタンというユルキャラが出てくるがそれ以上にユルキャラな木嶋のりこが凄いのである。演技が上手いとか下手とか関係ないほどの破壊力があるのですよ。

片腕マシンガールの時の破壊力バツグンだったが今作での破壊力も素晴らしい威力です。いやむしろ主役になった分だけタチがわるい。

目が離せません。釘付けです。

映画の内容は大変グダグダです。そしてなんか意味もなくラストは力業の感動作にしようとしています。そして非常に後味がフゴヘゴします。何か心にポッカリと穴が空いた様な気がします。この感じが独特なのです。なんか大事なモノを無くしたのに思い出せない感じです。

大多数の人はなんだこの映画はと怒るでしょう。僕も人に勧める場合は相手を選ぶでしょう。でも多分これがはまる人にはこの映画凄い魅力を放ちます。

色々と隙だらけ、でもその隙間に挟まる感じがいい、子供の時にブロック塀とブロック塀の間に挟まりながら見た世界、見ているモノはいつもと同じなのに何故か違って見えた感じがこの映画にはある。

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2010年05月19日

成長こそが全ての解

今の日本の色々な問題は成長すれば解決するという考え。確かにそうかもしれない。今の景気に付随する問題は解決出来るのだろう。

でも何処まで成長し続けるつもりなのか?成長しないと駄目という考えがそもそも間違いでは無いのか?進歩を否定しても良いのではないかと僕は思う。

成長する事で問題を解決する世界は成長が滞るとまた問題が出る自転車操業社会では無いのか?

また成長を続けて大きな社会となった時にそれを人はコントロール出来るのだろうか?

実際にサブプライムの被害が世界に波及し様々な問題を起こしている。グローバル化した時に複雑に絡み合ったモノが色々な所に影響する。

ギリシャ問題がEUを揺るがしといる。

大きいモノは加速がつき一度動き出すとトンデモない破壊力を産み出すのである。

人は大きな全体像でモノを見ると小さな所を見る事が難しくなるのだ。大きな商売をしだすと末端の消費者の事がわからなくなるのである。個人として見るのではなく、漠然とした集団として見る様になるのである。

其処にまた満たされぬ人の気持が生まれる。

価格では満たされるけど。

大体人は本当に広い世界にでる必要があるのか?広い世界に目を向けろというが人には器というモノがある。その人の器に応じて見る範囲を決めても良い筈なのだ。大きい世界を見るのに向く人もいれば細かい所を見るのに向く人もいる。どちらもあって良いのではないか。

上ばっかり見て足下を見ないというのは間違っているのだ。下にも後ろにも世界は有るのである。そしてそれが価値がないという事はない。

人は度々下や後ろ価値を安く見積もりがちである。

新しいという事に目が眩み問題点に気がつかないそれが人間の欠点である。時間を経ても残るモノ、それこそが本当に良いモノではないだろうか。
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2010年05月18日

口蹄疫

どの様に収拾をつけるのだろうか?本当に大丈夫なのか?何処まで被害の範囲が広がるのか?非常に心配である。

報道を見た所で僕は本当の所を感情抜きで、思考誘導される事無く客観的に観る事はできないのはわかっている。

現時点で心配だと思う部分もネットの書き込みの影響である事は間違いない。

何処まで危険なのかは本当の所僕には判断出来ない。

しかしだネットに上がっている日刊ゲンダイの記事はやりすぎだと僕は思う。「お笑い芸人失格人間を知事に選んだ宮崎県民に責任があるのに国の税金で救済は虫が良過ぎないか」といった県民批判を書く。

今これを書く事に何の意味があるのか?あまりにも無神経過ぎないか?膨大な被害が出ているのは確かなのだ。疲弊している畜産関係者に向かってもこんな事を言えるのか?溺れている人に自業自得と石をぶつけるこの鬼畜。

今、この様な問題点を穿るタイミングではない。(動いていない行政が有るのであれば動く様にする為の報道は必要だけど)

口蹄疫の被害を食い止めるのがやるべき事なのだ。全てが解決し落ち着いてからこの被害の拡大を招いた原因を追及するのだ。そして再発を防ぐのである。

これが言論の自由というものなのか?

自分が被害の当事者になった場合にもいう事が出来るのならばまぁ多少はスジが通っているとは言えるかもしれないけど。

パンデミックが発生しバンバン人が死んでいる時に国が対策が後手後手に回っている時に民主政権選んだ国民のせい、天罰受けて当たり前みたいな事を言えるのだろうか?

米軍基地問題からこじれて日米関係が破断し中国軍が沖縄を占拠した場合に民主政権支持した沖縄県民の自業自得と言えるだろうか?

確かに間違った選択をした国民に責任があるのは確かだ。だが間違った選択をする様に煽っていないか?

煽っていないにしてもマスコミは問題点をちゃんと伝えているのだろうか?間違った選択をしない様にするのは危険性を察知した者が行なうべき義務ではないか。

赤ん坊の近くに母親が不安定な状態でで熱々のヤカンを置く、あんな所に追いたら赤ん坊に熱湯がかかるぞと気がついているのにそれを母親に教えず眺めている。それこそがクソである。

スポンサーの為、読者を喜ばせる為というようなスタンスで肝心な事を伝えていないとしたらそんなモノに存在意義が有るのだろうか?

それを見て騙された者が間違った選択をしたら自業自得と叩く、何様のつもりなのだろうか?








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2010年05月17日

NEXT

ニコラス・ケイジの超能力モノ。当初の設定では2分後までが予想出来るみたい話だったが話終わってみればそんな設定はガン無視。

夢オチかよ・・・・

でもアレって2分後の自分が見ているモノを見るを繰り返すと凄い先まで見る事が出来るという事なのか?それとも彼女との事に関しては遠い先まで見る事が出来るという事なのか?2分ルールは適応されないという事なのか?それとも夢状態だと良い感じに予知出来るという事なのか?疑問である。

映像的には色々な可能性で分裂するニコラス。ケイジがチョイと面白い。

またピーター・フォークが好々爺で出ているのも良い感じ。

だが映画としては非常にイマイチだ。敵が弱すぎるのである。知恵合戦的な展開がイマイチ弱い、序盤のカジノから抜け出す所の方が余程スリリングである。

夢オチで罠にはまったという所で敵が賢いという表現をしているのだろうがあまりにも唐突過ぎて感心出来ないのである。もう少し罠に嵌る感じの表現が欲しい。予測できることを逆手にとって主人公をはめていく敵を表現して欲しかったと思う。捜査官の助言により罠に嵌るというのが有っても良かったと思う。

基本設定で満足し其処で終わっている感じのする映画でした。





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2010年05月16日

二大政党

二大政党状態が良いという人がいる。一党独裁は駄目だと声を上げて来た人々の目標がイギリスだったりする。だが今年それも限界を迎えたという話もある。

そもそも二大政党が良いという理屈も、一党独裁も駄目という具体的理屈が僕にはよくわからない。投票で決めた結果そうなったのではないか?自民党時代確かに色々な問題抱えながらっも進んできた、それでも一つの流れにそっていたからそれなりの発展を成し得たのではないか。

四年ごと政党がコロコロと変わり方針を変えていたら此処まで進んでいなかったのではないか?(まぁそっちの方が良かったのかもしれないけど、少なくとも今とは異質の社会になっていると思う。)

圧倒的に一党に票が集まる事は悪なのか?インチキがない状態でそうなったのならばそれは国民が望んだ結果である。

一党独裁状態で問題が起きた場合に他の政党が選べない状態は良くはないが。

だがもう一極を残す為に税金を使う事には微妙におかしいとは思う。何処の党を保険として残すのかその選択も微妙だ。

そもそも力が均衡状態の二大政党で本当にベストの政策が出来るのだろうか?結局はどっちつかずの最悪の政策をする事になるのではないかとも思う。

まぁ何時自分達の政権が脅かされるかと思うと緊張感を持つ事でもう少しマシな政策を行なうという事も考えれれるけど。


でもまぁ今の状況を見ると二大政党は幻想ではないかと思う。選挙対策ありきのパフォーマンス的政治に成り下がっているではないか。

本当は良い政治を行なう事が一番の選挙対策にならなければ駄目だ。これは国民が馬鹿にされてもしょうがない程馬鹿なのが原因である。

いや正確に言うと賢くなると問題だから常に馬鹿になる様に仕掛けれれているのかもしれない。陰謀論ではないがコントロールし易い国民の方が政治を行なう上で楽だと考えていても不思議ではない。ある面では効率化が図られパフォーマンスが出るだろうからね。

一見自分の選択で政治家を選び国を運営していると思わせながら社会主義的に国を動かすのだ。そしてその選んだ者は実はそれを選ぶ様にコントロールされているのである。


僕はそもそも政党政治に疑問がある。確かに大きな力が無ければ難しいのはわかる。個人では為す術が無いのもわかる。だが政党の意見で個人の意見がねじ曲るのは良い事のだろうか?いやねじ曲らない意見は同じだというのであれば今度は人数がいらないという事になる。

あの人数がいるという事はそれぞれが違う考えでいなければ駄目な筈なのだ。そうでないと意味がない。それをまとめて塊にしては駄目なのだ。

だがそれだとスピードが必要な国政は中々纏まる事はない、確かに問題だ。

そこで本当は五大政党位がいいのではないかと思う。法案により五つの政党が色々と組み合わさりバランスを変えていくという状況である。

二つでは今の色々な状況に対しては足りないのではないかと思う。

それにしてもそろそろ今までの民主主義政治を見直す時期に来ているのは確かだ。新しい議会の形を考える時期なのだ。色々と状況が変わり、人も変わった、社会も変わっただから国会も変わるべきである。

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2010年05月15日

経済学

経済学とは富の分配の為の学問だという。しかし何時から富とはお金になったのか?有りもしない程の莫大な富が産み出される様になったのか?

本来の富とは人が快適に生活出来る環境である。飢えない、雨風をしのげる、娯楽が楽しめる。それこそが富である。

経済学とはそれらを実現する為に効率よく人を動かす為の学問であるべきではないのだろうか。農業、工業、科学等をコントロールし、今の世の中に必要なモノを、必要なだけ市場に適正な価格で流通させる。それこそが大事なのだ。

本来はデフレだインフレだは起きないモノなのだ。それはコントロール出来ていないという事だから。出来ていないとしたらその学問は不完全という事なのだ。不完全な理論でそれがあたかも正しいが如く振る舞う学者達。それは詐欺ではないのかと思う。

今の経済学は起きた事象に対して何故そうなっているのかをもっともらしい理屈で表しているだけに思える。(個人的感想であり、経済学を勉強をしている訳でもないから笑いモノだと思うけど)過去を上手く表す事が出来たからそれを発展させれば未来も上手く行くと勘違いしているのだ。

しかし状況はドンドンと変わっていく、新しいテクノロジーによりそれまでには存在しなかった取引形態とかが生まれるのだ。デイトレーダーや機械によるトレードとかにより新たなる局面が発生しているのである。

そう考えると経済はこの様に動くという予想学では駄目だと思う。不確定要素に振り回されていては駄目なのだ。この様に動かすのが最適である、その通りに動けとコントロールする政治的なモノでないと駄目なのだ。

災害、戦争等で事情が変わった場合にもその状況に合わせ生産計画等を大幅に変更、コントロールして元の快適状況に速やかに戻すのだ。

まぁ裏でお金儲けしている人は十分にコントロールしているのだとは思うけどね。自分の懐が膨らむようにね。

こうなる筈でも、こうなるべきでもない、この様にするのが最適である、これしかないという力強い意志が必要な学問であるべきだ。



お金がいくら増えようがそれだけでは快適な生活は手に入らないのである。お金はあくまで道具でしかないのだ。

使うはずの道具に翻弄され、お金にコントロールされる人間。これは間違っている。

いつの間にか道具の増やし方になっている学問では人は幸せにはなれないのだ、むしろ不幸になる人を増やすだけである。


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2010年05月14日

視聴率

あいかわらずマスコミは視聴率を気にしている。キムタクのドラマが何だの、IRISがどうだのと記事を書く。

確かにテレビ局は死活問題かもしれないが視聴者にとってはどうでもいい事である。(テレビ局が無くなっても面白コンテンツを製作して流してくれる所が有れば良いからね)そしてそんな記事を読みたいのだろうか?

確かにネタ的には安上がりで簡単に紙面を埋める事は簡単だろう。

大体テレビ局は視聴率を気にするのならばBSをやるべきでは無かったのではないか、CSも阻止するべきでは無かったのか。放送が増えればそれぞれが大きな視聴率をとっていないにしても削られていくのは確かだ。

また視聴率で記事を書くにしてももう少し何か芸が欲しい、テレビ局の懐事情よりももう少し番組を楽しむのに役に立つ情報を書いて欲しいモノだ。

視聴率が高い番組を記事にする事の意味とは何だろうか?みんながこれを観ています、乗り遅れるなという意味だろうか?これが流行なのかと知りたいという事か。

でも既に視聴率が高いという事はあえて教えて貰わなくても既に観ている可能性が高いからあえて教えて貰う必要はない。もっと観て欲しいという面で記事にするのであればそれはもはやニュースでは無く広告である。

広告をするのならば面白いのに視聴率の低い番組を探し、それが如何に素晴らしいか、何処が面白いのかを教えて欲しいモノだ。

せめて記事にするのであれば視聴率が高い、低いという面から世相切るという所まで調べて欲しいモノである。文化論に発展する位の意気込みを見せて欲しい。

視聴率に記者の適当な感想をあたかも世の中の感想が如く「2話目からの視聴率低下が不安である」で記事していてはプロのモノ書きとしてはいかがなものかである。

不安であるというのであれば電話アンケート等で何故2話目以降を見ないと思っているのかを調べた上で書くべきである。

それ位やってもバチはあたらない。







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2010年05月13日

内食回帰

日清がどん兵衛のヒットで過去最高益、という記事を見た。

だが節約の為の内食回帰でカップ麺というのあまりにも寂しいのでは無いだろうか。(日清さんには失礼かもしれないけど、それに僕もどん兵衛は好きだ、麺が変わって更に美味くなったとも思う)そして意外と安くないのではないかとも思う。

確かに独り暮らしでカップ麺だけで生活すれば安いかもしれないけど。それに腹持ちと栄養面では心配だ。

まぁ小腹が空いたときとかならわかるけど。

でも百福氏の考えからいくと安く手軽にお腹を満たすという事には添っているのかもしれないけどね。

それ位に日本の懐事情が悪くなっていて、一手間かけるほどの時間もとれないという位に日本は駄目になっているという事か?

多分作るのが面倒だと思う人が増えたのでは無いか、食器を洗うのが邪魔くさいと思う人が増えた、食器、調理器具等を用意するというのが前時代的考えという人が増えたのかもしれない。

また最近のレンジで作るシリーズとかを考えると手間をかけずに食べられるというのが良いのだろう。新しいモノ、日頃作らない様な料理でも失敗が無いというのが決め手なのかも。

今に家の味が無い家庭が増えるのでは無いか、そういう怖さがもあるが家の味が日清の味だったり、味の素だったり、ハウス食品の味だったり、近所のスーパーの味だったりする様になるのだろう。

フライ物とかを冷凍食品とかで済ませている家庭も増えているのでは無いだろうか。スーパーに行くとあの物凄い種類の冷凍食品の陳列を見るとそう感じるのである。トンカツは家で作っていてもメンチカツ、コロッケは作った事が無いという家庭も多いのでは無いだろうか。

食べ物とは栄養を満たすモノ、腹を膨らますモノが基本かもしれないがそれだけではチョイと寂しい感じがする。






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2010年05月12日

人生に飽きた2

ここのブログに「人生に飽きた」で検索してアクセスする人が割りと多い。まぁ多いとはいっても3日に1件程度だが。

それでも此処に来る人の検索ワードとしては結構上位である事は確かだ。

しかし此処にアクセスしてもガッカリ感が大きかったのではないだろうか。

何か役に立つ事が書いてあると思って来たのに、ただ人生に飽きていると書かれているだけなのだ。

「嗚呼、僕と同じだ」と感想が湧けば良い方だろう。それくらい何も書かれていない。チラ裏の方が余程良い事、タメになる事が書かれている筈だ。

それにしても考えれば考えるほど充実した人生がわからない、常に新しいと思える新鮮な出来事など有るのだろうか?僕にはそれが想像出来無いのである。

確かに他人の人生を見れば自分とは違い面白そうに見える事はある。だがそれも隣の芝生は青いというモノで実際にその生活をしていたらまたそれも単調に感じるのでは無いだろうか。

常に出来ない事をやって生活出来れば良いのだが中々これは難しい、生活費が稼げないからだ。家が金持ちならばそれも可能だが金により緊張感が無いと失敗しても逃げる事が出来るとなると多分だらけてしまう自信がある。

生活の為の安定と、人生の為の変化のバランスが非常に難しいのである。

単調と考えられるという事は安定しているという事で凄く贅沢な悩みである、甘えているという事だ。死ぬ度胸もない。何か色々と理由をつけては自分の今の生活から飛び出さない。

これも引き籠もりである。終り無き日常に引き籠もっているのだ。

部屋からは出ているが不満のある生活から出る事は出来ない引き籠もりなのだ。何も違いはない。

このまま歳をとり臨終の間際人生を走馬燈の様に思い出すと更に無限ループに陥りそうだ。

其処から出れば後10年は生きる気力が湧くのかもしれないけどね。

このまま何の変化もつけなければ頭がおかしくなりそうな気もする。まぁおかしくなればそれはそれで幸せかもしれないけれど。


先ずは思考に新鮮な風を入れる所から始めよう。
posted by mouth_of_madness at 22:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする