2010年09月30日

AKB48≠流行

AKB48は本当に流行っているのだろうか?CDとかグッズの売り上げは確かに良いのだろう。だが一人のファンが10枚とか100枚とか買う状況で本当に流行っているといっていいのだろうか?と思うのである。

特定の世代、特定の趣味趣向の者達の間では圧倒的に売れているいっていいとは思う。そういう面では流行っているともいえるけど。

同じように韓流アイドルもワイドショー的には売れているのだが何かピンと来ないのである。良さもわからないしね。

流行っているといってもドンドンとパーソナル化している今の状況、段々と共通幻想、体験を待たない人達が増えているのではないだろうか。それが良いことなのか悪い事なのかはわからないけどね。

しかしこれはある種のバベルではないだろうか。同じ言語を使っていても知っている事が違いすぎて話が出来なくなるのである。テレビ、ラジオ等による共通認識がなくなれば更に進むだろう。ネットではそれらの代わりにはならない。自分の世界に入り込むからね。

言語の違いより、話題、価値観の違いの方が会話は成立しないのである。
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2010年09月29日

お笑いブームの終焉

エンタもレッドカーペットもイロモネアも終わった。少し前はお笑いブームといわれていた、若手のギャラの安さが制作費を低く抑える事が出来てテレビ局側もいい感じだったのだろう。

しかしそれももう限界に達したのだろう。客を育てる事なく若手をワンフレーズで搾りきった為の結果なのだろう。

それ位お笑いは重労働なのである。ギャグマンガ家にしてもストックしていたネタを消費され潰れる人も多い。

ひょうきん族の時に一段階それまでの笑いのレベルをあげダウンタウンがまたそのレベルをまた一つ上げたといわれている。

だがナイナイあたりからレベルは上がっているのだろうがステップアップはしていないのではないだろうか。新しいフォーマットを生み出していないのである。ダウンタウン、さんま、たけし等を脅かす感じがないのである。ネット等では終わっていると書かれているけどね。

これは芸人のせいではないと僕は思う。芸人を育てる客と客を育てる芸人がいないせいだ。それを助長すテレビも良くないのである。

せっかく大事に育てれば優良なコンテンツなのによってたかって一気に消費し為に疲労骨折状態である。

これまでのお笑いブームでは頭一つ抜けてこの時代の笑いの象徴的モノがいが今回のブームではピンと来ない。はんにゃには期待したのだが失速した感じがする。テレビから受ける華が消えたのだ。個人的にはモンスターエンジン、平成ノブシコブシ、ロッチが好きだけどイマイチ華は無い。

消費されるというのがこの時代の笑いという事なのか?時代のヒーローなどもう古いという事なのか?

狂気を内包した毒などもうだれも求めていないのだろうか・・・・・・・
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2010年09月28日

政治的発言

ブログのネタの一角に政治的発言がある。色々な意見がある。僕も結構書いている。(まぁ大して為になる事は書けてないけどね)

しかし何故こうまで政治的意見が多いのだろうか?

大人のたしなみ?賢くみられたい為?それともおかしな世の中を良くしたいという高潔な志?確かに少しはそれらの要素はあるだろう。

たしかに世の中はおかしいけどね。おかしな世の中に対する不満があるのはわかる。だが実際の不満は日常の不満なのだ。自分の満たされない日常に対しての不満なのだ。本当は上司にむかつくだの、給料が少ないだの、女性にもてない、人に嫌われているだのといった個人的不満を政治や世の中のせいにしているだけなのだ。

また様々な抗議デモとか参加するのは共通の敵を作りそれを糾弾する事での連帯感に浸りたいのである。祭りに参加したいだけなのである。抗議を始めた者には志があるだが後からついて行く者にそれはない、そしてこのデモはこうであるべきという仕切りをしだす者が出てきたらその集団は腐る。

個人の小さな希望を大きなモノにしたいという心の表れなのだ。

だから政治的意見はカッコ悪いのである。

殆どの意見はあまりにも空論でしかない。本や新聞で読んだだけの知識で語っているのだから。政治をした事も無い人間が政治を語るなど本当は愚の骨頂でしかない。

夢の様な理論、政治的意見を本物にしたければ政治の世界に殴りこむしかない。そこまでやってやっと恥ずかしくないモノになる。






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2010年09月27日

イジメと同じ

国際政治はイジメと同じである。一度折れると更に踏み込まれていく。折れたら駄目なのよ。大人の対応というのは無駄になるからね。殴り合いを辞さぬ覚悟が無ければドンドン踏み込まれるからね。

またイジメられたく無ければ強いやつの下に入るか別のイジメ対象を作るのである。その様誘導していくのである。この様な事が国際政治では行われている。日本はアメリカの庇護の下にいる。またリーマンショックにより世界中に被害を与えているアメリカは自分達の事を棚にあげ為替操作だといって中国を非難する。

更にイジメっぽいのは連絡をとろうとしても無視するとか中学生とかのイジメとなんらかわりない。まぁこれらは会社員になっても行われているから人間の根本にあるどうしようもない部分なのだろう。

イジメが学生で終わる、大人になれば逃げられるという甘い考えを持っている人がいたらあきらめた方がいい。より汚いマネをする者がいる、金銭がかかっている分だけ性質が悪い。

大人になれば理性的になる、聖人的、平和的に
なるという事もないからね。打算的になるだけでそれにより感情を多少抑える事が出来るだけなのだ。

そしてそれは国際政治でも同じように行われているのである。

党内の派閥争いとかにしても怪文書的なマスコミ戦略とかまさにイジメと同じ事をやっているのだ。失職したり。追い出されたり、死んだりと実に根が暗いのである。

イジメに立ち向かうには戦う以外に方法はない。先に素晴らしい世界は待ってはいないが戦わなければドンドンと悪い状況になっていくのだ。被害が少ないうちに戦う事こそが大事なのである。

相手を調子に乗らせると此方が反撃した時の怒りの度合いも大きくなるのである。此方の反撃パワーも余計に必要になるのだ。

しかしいまだに暴力による恐怖で支配をしようとするのなんてちっとも人類は成長していないね。より暴力の度合いが大きくなっている分だけ馬鹿になっているのかもしれないね。

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2010年09月26日

ミートソース

昨日に引き続き肉の話。

レトルトの安い(スーパーとかで128円位、安い所だと98円とか)ミートソースと称する食品がある。

しかしこれがどうにも許せないのだ。味が不味いとかそういう問題ではない。夜中に小腹がすいた時に重宝している。この小腹の感じカップ麺では無いなぁという時にいい感じである。レンジで一人前茹でる器とセットでいい感じである。

だがこれをミートソースと名乗る事に抵抗があるのだ。この雀の涙程の肉でミートソースと言い張るには問題である。

また味のほうもトマトの風味の方が強く肉ベースではないのだ。僕の考えるミートソースの定義から大きく逸脱しているのである。

やはりメインの味わいは肉が強くてこそミートそソースなのだ。肉の量が多少少なくても肉汁の味わいがソースに出ていれば多少は納得するのだがそうではないのだ。

あくまでトマトソースベースで非常に控えめに隠し味として肉がいる感じなのだ。また汁気も多すぎである。

これではミートソースではないのだ。トマトソース微肉風味でしかないのだ。

不味くて文句があるわけではない。別の食べ物なのに同じ名前がついている事に問題を感じるのだ。

名前を変えれば売れ行きが悪くなるかも知れないが違う食べ物として再デビューするべきではないだろうかと思うのである。

また今では煮豚もチャーシューという様になったが煮豚と焼豚(叉焼)はやはり違うものである。どっちが美味い不味いという問題ではないのだ。

これがOKになると鳥の唐揚げも蒸し鶏も全部焼き鳥と言い張っていい感じがしてしまうのである。エビフライを海老の天麩羅と言い張ってもいい事にもなるのだ。

似て非なるモノを同じ名前をつけるのは後々色々と混乱を招くのである。






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2010年09月25日

日本ではおいしい肉の表現として噛まずに食べられるといったり、口の中で溶けるというような表現がある。あと箸で切れるとか。

霜降り肉

たしかに少し高めの焼肉屋に行き高めの肉を食べると口の中で溶けるという感じを実感する。

だが僕はそういう肉があまり好きではない。不味いとは思わないが美味いというのとも違うのだ。肝心のお肉を喰らっている感じがしないのだ。獣の気持ち、人間の野生になれないのである。

ジンギスカンとかにしても多少の臭みがあるほうが好きだしね。

育ちが悪いからというのもあるだろうけど。

まぁ日本の大多数の人はその柔らかお肉が好きのだろう。手間がかかるというのもるが価格が高い事をみても人気があるのだろう。

しかし僕は一言いいたい、この柔らか方向だけではなく歯ごたえと噛む事により口に広がる肉の味わいを追求した肉を作って欲しいものだ。今までの肉質を作るのに拘った牧畜精神で作れば新しい肉質が作れるのではないだろうか。噛み切れないような筋は少ないが噛り付く感触を残した肉質だ。

そうだ赤身のうまい肉なのだ!?脂が少ない分ヘルシーといえば売れるかも知れないぞ。租借する事で頭にいい影響とか、量を食わなくてすむようになりダイエットにもいいとかキャンペーンをはればいいのだ。

いつまでも噛んでいたいと思わせる肉汁を出す美味い肉を是非。

とにかく霜降りばかりが話題になるのは駄目だ。




勝手に妄想、柔らかいモノ(肉に限らず)ばかり食べているから精神が軟弱になるのではないだろうか。大事な食事が人を日常的に甘やかし過ぎたのではないだろうか。





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2010年09月24日

1984

1956年版の方の1984。白黒作品

これがねぇ中々良いのよ。コントラストの強い映像がいい感じに夢にみた失われた未来を彷彿させるのですよ。

またテレスクリーンのカメラの部分が瞬きする目の様でこれもまたデザイン的に良い感じである。まぁ実際にあれが導入された場合にはあんなにでかいカメラはつかないだろうけどね。

映画としてわかりやすくする為にシンプルに話を纏め上げているセンスが良い。恋愛と生きる為に裏切るという部分もわかりやすくていい。このわかりやすさの為にラストの切なさが生きていると思う。グッと来る。狂気に陥いっているがもうその事に気がつく事はないのだ。

原作ファンだと社会設定の描き込みが薄いというかも知れないが映画として考えた場合はこの位シンプルで良かったと思う。

しかし此れくらいわかりやすい管理社会ならば安心なのだが現実はもっと巧妙である。自由に発言が出来るから安心と思っていては駄目なのだ。現実は大きい声により上書きされるのだ。過半数の人間が動けばその流れに巻き込まれ自由はきかなくなるのだ。

時間も無く検証する事無く信じていくのである。それに毒され判断基準が出来てしまえばもう其処から抜け出すのは難しいのである。

この映画の中でも歴史の改竄があるのだが現実の僕達にもそれと同じ事が行われている。だれが本当の事を言っているのかなどわかりはしない。理屈があっていそうなモノを信じてはいるがそれが本当に正しいかわからないのだ。

そして正しければ幸せになれるというものでもない。嘘だろうがなんだろうが人は自分が楽な方を選びがちなのである。

この映画のように全ての行動が監視されているわけではない。だが少しずつ行動のトレースされっている部分は増えているのだ。また色々と流行を作るという部分から思想誘導されているのだ。

テレビ、パソコンを通じて広範囲に誘導されているのだ。

チャットやツイッター、コメントに掲示板、それらは本当に作為の無いモノなのだろうか、誰かが作為を持って誘導していない確証などないのだ。

右翼的意見と反日的意見両方あるから無いと思っていたら痛い目に合う。大多数を誘導できればいいのだ。ガス抜きとして極論を出す事により大衆を真ん中に誘導するのである。

ビッグブラザーは既にそばいるのかもしれない。




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2010年09月23日

思い違いの民主主義

日本は建前上は民主主義国家である。でも実は民主主義ではありません。

残念か否かはわかりません。

大企業の社長の一票は大きいです。(社長としての社員に対する権力もあれば経済の影響力による力もあるからね)何も考えていない者の一票は小さいです。同じ一票と考えては駄目なのです。

自分の一票を大きくしようとすれば影響力のある同じ様な思想をもつ組織の一員になる事です。大会社の社長になるのは難しいからね。

まぁ何処にも属していなくてもいつの間にか属しているのですけどね。マスコミが形成する世論という集団にね。何も考えていない無責任集団にいつの間にか属しています。

いやまてよそう考えると最大派閥の力を持っている事になる?

でもまぁ自分の考えを反映させている訳ではないからやはり一票の意味は小さい。

また国民は投票権はあるかも知れないがその判断基準の項目を基本的には作れません。公約等で上がらない内容に関して判断されないのです。

消費税で判断したり、米軍基地問題で判断したり、郵政問題だったりで単純な項目で判断させられる羽目になるのだ。確かに色々と調べればもう少し細かい内容で判断できる事になるのだが、それでも候補者が一切提示しなければ何が隠されているのかわからないままなのである。

世の中の山積された問題など国民はわからないまま政治家がテーマにした内容で判断するのだ。そのテーマが本当に今論じるべき問題なのかなどわからないのである。

自分の見ている範囲とマスコミ情報だけで世界を推理している状況で正しい判断など出来はしないのです。

正しい判断が出来ない状況で投票する行為が民主主義なのか?少なくとも理解度は違ったとしても判断するべき項目は全てオープンでなければ駄目なのです。

他人に誘導されている状況で民主主義とは片腹痛いというのが実情なのです。















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2010年09月22日

好きなモノ

人はあれが好き、これが好きと色々な趣味を持っている。

でも本当に好きなのだろうか?

という考えが最近頭によぎるのだ。単なる癖、習慣ではないのかという考えが頭によぎるのである。

僕の場合、音楽を聴く、映画を観るが趣味なのだが時間が空いた時で体調も悪くないのに此れをやる気にならないという事もあるのだ。

不快に思っていないから嫌いでは無いと思うけど。

食べ物にしてもそうだお腹が減った時につい食べたくなるから好きなモノと勘違いしていないか?単なる体の機能が欲しているだけではないのか?(まぁそれが好きという事だと言われればそれまでだが)

ただその好きだというモノでも今のタイミングでは食べたくないとか連日だと駄目だったりとか、体が受け付けない時がある。それらを考える本当に好きか?という疑問が残る。

その様な事を考えていると本当に好きなモノなんてないと考えてしまうのだ。

嫌いではないというだけなのだ。

僕にはどうしようもないという衝動がない。それは僕が出会ってないだけなのか?そもそも存在しないのではないかという考えが堂々巡りする。


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2010年09月21日

SMAP

尖閣諸島問題でワイドショーはSMAPの上海公演延期の方がこのヤバイ状況に対し問題だと思っている感じが気持ち悪い。

ドンだけ平和ボケなのだろうか。

もう少し緊張感を持つべきではないかと僕は思うのだが。

それともこの状況なんか良くある国際政治の小さな問題なのだろうか?処理をしくじると大変な損益を被ると思っている僕はネガティブ過ぎるのだろうか?

このチキンレースに負けるという事はどういう事かわかっているのだろうか?これに負ける事があれば次は沖縄が獲られる事になる。直ぐという事はないだろうが10年後には仕掛けてくるだろう。同じ手口で竹島も獲られるかもしれない。

また今回の件で企業側の対応も気になる。企業が国益より企業の利益を獲ると判明すれば企業を通じて国が動かせるという構造が明らかになる。

それに国内にいる反政府志向の強い人権団体、平和主義達を動かす事で国を動かせるわかればそれもまた脅威になる。文句を言えない人権、平和はた対抗するのは非常に困難だからね。

国民にしてもこの問題により様々なモノの輸入が止まり価格が高騰した場合にどう反応するのかも見ものだ。国より自分の利益をとり国を売り払うという行動に出たら100年後には日本は無くなっているだろう。

アメリカがどう反応するかもこれからの日米関係、基地問題に発展するのは確かだ。

色々と考えないと駄目な問題が山積みなのだ。それなのに着地失敗は許されないである。

自民党が先送りにしてきた歪が今まさに・・・・

まぁSMAPの公演延期というレベルまで危機が降りてきているという見方もあるのだが其処まで考えている様には思えないのである。







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2010年09月20日

微妙な温度

熱帯夜は終わったけど微妙に寝にくい気温である。

エアコンを入れようか迷うし、タオルケットで寝ると朝方寒くなって目が覚めたりする。

薄手の毛布だと寝入りが暑いし色々と困ったモノがある。

やはり室温と体温をセンサーで観測するような温度調整機能のある快適ベッドが欲しいものだ。背骨や首のカーブの人それぞれ違う部分の体のライン、体重を好みの硬さ考慮して空気圧で変形するとかの機能も欲しい。

多分お金を出せばありそうな気がするけどね。

もしかするとフローティング・タンク(アイソレーション・タンク?)で寝るのが一番いいのかも知れないとも思うけど。これもお金がかかる。


まぁ実際に寝にくいのは季節の変わり目ぐらいなんだけど。

しかし人生のかなりの部分人は寝ている。もう少しこの時間を快適に過ごす方法を真剣に考えた方が良いのではないか?確か色々無圧布団だのテンピュールだのマニフレックスだのオーダーメイド枕だの色々とある様な気がするが相変わらず布団をかける的な部分がないがしろにされている。羽毛布団とかで重さとかは軽減されてはいるが重さ0布団とかを是非企んで欲しいモノだ。

圧迫感の低いカプセルホテルみたいなベッドで掛け布団なしとかどうだろうか?小さい箱であればエアコン的にも快適にコントロールできるのではないかと思う。目覚まし機能として徐々に明るくなるとかね。

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2010年09月19日

世界を救う

世界を救うという考え一見正義がある様にも思える。

だが実際はこれ救おうと思っている人の俺色に染めるという世界支配ではないのかと思えるのである。

救われた世界の形は救おうと思っている人の理想形でしかないのである。

単なる特定の考えの押し付けでしかないのだ。

大体救われたいと思っているのか?その救われた先に自分の居場所があるのか?そんなモノはわからないのだ。

邪心がなく、良かれと思ってした事が良いことはかぎらないのだから。

世界から病気を無くそうという考え、確かに殆どの人が病気で死にたいとは思っていないだろうから正しいように思える。だがその結果人口は過剰に増え老人介護問題など色々と新たなる問題を生み出す。また変に長生きをする事により生を大事にしない、時間を無為に浪費するようになったのだ。

様々な技術の進歩にしてもそうだこのブログでも過去に書いているが技術が上がる事により仕事が無くなるという状況、いつでも連絡が取れる事により24時間体制の労働など実際には楽になってはいないのである。

そして少ない仕事を争うこれまでとは違う自由競争という名の弱肉強食を生み出しているのである。

ネット社会にしても今となってはそれの御利益を受けているから無かった方がいいという事は難しいだろう。確かに功の部分はあるからねしかし罪の分もある。携帯にしてもそうだ功罪入り乱れているのだ。

無かったら無かったでそれなりにみんなやっていくのだ。20年前とか無くても別に不便は無かったからね。今戻ったら不便を感じるのはたしかだろうけど、でもそれは新たなる概念が生まれた事による不便感であり元々はそんな事考えている人は極少数だったのだ(殆ど皆無だろう)。

救うという考え殆どはビジネスと自己満足でしかないのである。


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2010年09月18日

先の事を考える

先の事を考えて貯金だ、景気がいつ戻るからわからないから貯金だ。という人達がいる。結構多いのではないだろうか?

もう七十才とか過ぎていても先の事を考えて節約だという人達なんか今がその先ではないのかと思うのだが。

大体先の事を考えてと言っているが本当に先の事を考えているのだろうか?自分達がお金を使わない事で景気が悪くなるとは考えないのか?

何か一方向だけの先を考えている様な気がするのだ。悪くなった時の対応だけを考えていて、何故悪くなるのか?悪くならないようにするにはどうすれば良いのかという考えが抜けているのだ。

実に考えのバランスが悪いのである。

それとも悪くならないようにするのは政治家、経営者の仕事だと思っているのだろうか?

確かに政治家とかやらなければ駄目な部分はあるだろう、しかし個人で出来る事もあるのだ、いや個人レベルでやるべき事もあるのだ。

親が工場で働いているとする、親の仕事がなくならない様にするには国産品にこだわるという事を自主的に行うべきなのだ。値段が多少高くても親が失業する損益に比べたら良いのではないか?また自分の就職先を確保する為の就職活動と思えば良いのではないか?

バイ・ジャパン法案とか言い出したら国の横暴というだろう、これは政治家が法案で行うべき事ではないのだ。

今の景気の悪さの、デフレスパイラルはバブルが弾けたショックが大きかったのかドンドンと安物買いに走ったのである。

当初は本来の価値以上に肥大化した価値を元に戻すという過程で価格がさがったのだが途中からはただの値下げ競争に陥りそれにあわせ景気が悪くなったのである。

その過程で労働と賃金の関係も壊れたのだ。

世の中がどう動くかの中に自分がいないというのは間違っているのだ。安い物を買うから日本から仕事が無くなり景気が悪くなるという事を止めなかったのは自分自身なのだ。

自分達がどの様に影響を与えているか、その影響の結果どうなるかを考えるのが先の事を考える上で大事だと思う。自分達が世の中を動かしている歯車の一部という事を理解するべきなのだ。

個人でどれだけの事が出来るのか?という反論もあるだろう。しかし世の中の人の殆どはその他大勢でしかない。色々な考えにはならないから大丈夫である。自分が出した答えと大幅に違わない。

直接のつながりがなくてもある種のパターンで動けば大きな力になるから大丈夫。

また貯金をするなと言っている勘違いされても困る。極端に走るのは駄目。アソビがなくなるからね。何らかの予期せぬ出来事に対する準備は必要なのだ。

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2010年09月17日

オーバースペック

日本製品が売れない理由としてオーバースペックだという意見が出る。

多分これは嘘または間違い。

本当のオーバースペックになりきれていないから売れないのだ。こりゃええわ、もう最高これ味わったら他のモノなんて使えないという位にオーバースペックであれば多少値段が高くても売れる。

強く欲しいと思わせるだけの魅力が足りないのである。

これで油断をしていたら国際競争で負け続ける事になる。陰謀妄想からいくとこれは日本をおだてて殺す作戦である。

ちょいと前から言われているガラパゴスと同じである。世界標準に合わすという考えで競争力を失うのである。世界標準は力技で勝ち得るしかないのだ。圧倒的技術と想像力こそがそれを成し得る。世界の流れに合わせようとすると出遅れるのである。日本はこの流れで行くんだよね?と様子見をする事になり遅れてしまうのである。

10歩先位を行く能力があってこそ痒い所に手が届く技術になるのである。色々な人に対応できるのである。

もっと理解不能な位に飛び抜けるべきだ。予算が許す限りオーバースペックにするべきなのだ誰もたどり着いていない位の夢の様な技術を手に入れる事こそが日本の生き残る道である。



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2010年09月16日

クローンは故郷をめざす

雰囲気はいいSFになれそうなのに最後まで重苦しいまま、何もない、徒労感が残る映画。

監督や映画通に言わせれば答えはこの映画の中にちゃんとあるから良く見て理解しろというかも知れないが僕には結局何を言いたいのかよく解らない。

娯楽映画とかだったら何も言いたい事がなくてもストーリーの面白さや映像の面白さだけでも成立はするのだが、この映画はストーリーも映像も雰囲気だけで何となくという感じの域でうろついているのである。

雰囲気だけではオナニーなのである。

自己完結していて他人の事など考えていないのだ。

確かに過剰な説明がある映画は面白くないだろう、想像力の入る余地がないのは観終わった後の余韻もなく妄想で楽しめない。

メインテーマは魂とは何か?自己とは何かというのをクローンというもので表したいのかも知れないが変にオカルト的な要素と過去のトラウマの部分を引きずりすぎて上手くいっていない。

また過去のトラウマが双子の俺という部分なのならば双子の遺伝の部分とクローンの遺伝の部分をもっと上手く絡めて欲しいものだ。

母親が双子を間違わなかったという設定をしているのに何故クローンの所まで親を生かさない。誰が見てもわからないのに、妻と母親だけが気がつくという風に何故しないと思った。

記憶と体は本人と同じなのに魂が違うという部分で判別がつくというストーリーにすればよかったのではないかと。

またクローンの体に入り込んだ体が子供の時に死んだ片割れだったというのでもいいだろう。

そして故郷に戻り子供の頃に自分が死んだという事を理解するとか、脳が持つ記憶と魂の記憶のズレにより徐々に精神が病んでいくとか色々と展開が出来たのではないかと思う。

自分探しの旅で終わっては駄目である。その先にあるモノを提示してこそ意味があるのだ。

結果、眠たい映画止まりの作品になっているのである。



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2010年09月15日

戦国番長・ガチザムライ

最後まで弾ける事無く中途半端に終わる時代劇。

戦国時代のグレた自称侍の百姓の倅たちの青春ドラマ。まぁ時代劇のヤンキーモノ。クローズとかが当たっているから少し毛色を変えて便乗しようという魂胆なのだろう。

戦国ならではという部分がどうにもないのがこの映画の面白さを半減させている。それに戦国時代ならばやはり主人公の設定はもっと若くないと駄目だろう。

成り上がる過程にしても淡白な為に燃えないのである。ラスボスにしてもそんなに強くないしね、多少ずるいだけで。

やはり最後は野武士襲撃とかがありこれまでの子供の喧嘩だった戦が本当の戦になり村を守るという位の盛り上がりが欲しいものだ。

その野武士も主人公を倒す為に呼び込んだのだが暴走し村が乗っ取られるという状態でヒロインを救うために単身で立ち向かい、大ピンチの時にこれまで倒した番長が助けに来るという位のベタ展開。あと話の途中で戦につかれ逃げ延びてきたサムライが一人くらい欲しいとこだ。

実はそのサムライは日本を手に収めようとしている有力な大名の軍師とかいう感じでね。

今のままではテレビシリーズの第一話、90分スペシャル程度の感じである。登場人物紹介で終わっているのだ。それも来週もどうしようか?という位に微妙にフックが弱いのである。

ツマランという事は無いけど弱いのだ。
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2010年09月14日

テロ!?

中国のハッカー集団が日本政府関係、TDL、USJとかに攻撃をすると言っている。

これはあきらかにテロ予告である。

もっとこれに危機感を持つべきではないだろうか?一部の過激派が言っているだけで気にする事は無いと大人の対応をいつまでもやっていては駄目なのである。どうせ大した事は出来ないと思い込んでいると今に大変な事になる。

便乗した愉快犯も出てくるに違いない。

この小さな穴から瓦解するかも知れないのだ。もしこれにより小さなパニックが起き、その隙に乗じて中国の国家総動員法で国内にいる中国からの工作員が行動したらただでは済まない事になるのだ。

聖火リレーの時の中国の組織だった行動を考えると大変心配である。日本政府、警察内部等にもその行動を見過ごし、日本人の方を弾圧する者達がいるのである。確かにこれは僕の思い込みかも知れないけど。そう思えるような動画を見るとやはり心配になるのである。

マスコミ等にも自分達の利益、利権等を守るためには国の事などどうでも良いと思う日本人達がいるようにしか思えないのである。必要な事を報道しない、盛り上がれば良いという思考のマスコミを見ると背後に陰謀組織など無くてもやはり危険といえる。

テロに戻るがこの件、堂々と抗議するべきである。変に騒いで事を大きくするべきではないという考えは間違っている。抗議しないとここまでOKという事になり次の段階に移り少しずつエスカレートしていくのだ。

エスカレートした時に抗議をしても遅いのである。

シーシェパードにしても同じである。迷惑をかけてられて損をするのは此方なのだ、本来要らない費用を背負わされているのである。

なめられているから何時まで妨害され連中の金儲けのネタにされるのである。大きな負債を払わせるべきなのだ。

尖閣にしても攻めて来ないと思っていると今に占拠されてしまうだろう。それを許せばその次は与那国、沖縄と来るのは目に見えている。

尖閣がとられれば韓国は竹島、対馬に対しても同じ事をしてくると思う。ギャンギャンやれば日本は折れるという事実を作っては手遅れになるのである。

いじめと同じ、最初が大事なのよ。エスカレートする前にいじめられている側が抗議と拒否をしないと取り返しのつかない事になるのよ。

それに話せばわかるというのは同じ価値観を共有していないとどうも駄目みたいなのだ。


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2010年09月13日

日本がおかしくなった訳

日本がおかしくなり子供だらけの国になった理由を考えてみた。

たぶん大東亜戦争、太平洋戦争でちゃんとした大人が死にすぎたのではないか。また戦争に敗けた理由を生産力の差、経済力の差だと勘違いしたのである。

大人が死ぬ事で引き継がれるべき歴史と文化が分断されたのである。これが途切れたせいで子育て等がまともに出来なくなったのだ。爺、父親、子と三世代がいてこそ歴史が紡がれるのである。それが分断された事により年寄りはどうすべきか、親はどうすべきかというのが途切れたのである。

確かに全ての大人が死んだわけではない。だが十分にダメージが出るくらいの死を出した僕は考える。ちゃんとしている者ほど国を守る為に戦場に向かったのだ。生きて戻ってきても元の精神性は破壊されているのだ。癒えない傷を持ち帰って来たのだ。また当時戦争を否定していた共産主義的思想の者は生き残り、元々の思想にある家族解体を行っていったのである。

もう一つに理由の経済力、生産力と勘違いした事についてだがある種の精神性で戦った日本の戦い方では勝てなかったと厳然たる事実があるからだ。(亜細亜、有色人種の解放という目的は果たす事が出来たのだから単純に敗れたとはいえないという説もある)

敵を知る、負けた原因を探るという点で経済、生産力という部分が浮かび上がったのである。

更に占領されている間にそれらを強く印象付けられたのだ。

負けた精神性の方は追いやられたのである。

おかげでバランスの悪い状態になったのだ。また敗因分析の足りない部分で政治力というのがある。これを忘れたのが今の日本の国際政治においてのだらしなさに繋がっているのだ。

また焼け野原を立て直す事で精一杯で子供を育て損なったのもおかしくなった理由だ。

その結果、明治時代の政治家が海外を見てあいつら技術力だけが日本より進んでいるだけで大した事無いと分析する位の能力を持たず、ひたすら海外の方が進んでいるとカブレている大量の馬鹿知識人を多く生み出したのである。

まぁそのくせ、日本の事を良く言う向こうの知識人、政治家の意見に関してはガン無視という。悪く言われている部分ばかり気になりすぎているのだ。悪い部分を直せば良くなると勘違いしているのだ。そしてその過程でよい部分を捨てているのである。






なんか胡散臭い、青臭い、更にアホ臭い社会論・・・


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2010年09月12日

一発屋

世の中には一発屋と呼ばれる人達がいる。大ヒットを出したがその後は鳴かず飛ばずという状態になった人達である。

そして一発屋特集だったりあの人は今的な扱いを受けるようになる。

まだやってんたんだとか、その大ヒットしたものにも笑いモノの対象になったりする。

しかし大多数の者は一発屋を笑う事は出来ない筈だ。殆どの者は零発屋なのだ。一発でも世の中を沸かせたという事は凄い事なのだ。

音楽にしてもお笑いにしても一時的に先頭に躍り出る、これが如何に凄い事かをもっと理解するべきである。芸人になったからといってテレビに出られる訳ではない。脇のレギュラーになるだけでも大変なのである(まだこの時点では0.5発屋程度ではないだろうか)一生テレビに映る事もなく話題に上がる事すらない芸人は物凄い数いるのではないだろうか。音楽にしても自主制作盤は出せてもライブハウスで客が呼べるという訳ではない。

レコード会社と契約が出来たとしても売れる事無く消えていく者達は山のようにいるだろう。グラビアアイドルにしても話題にならずAVからもお声すらかからない様な者も物凄い数いるのではないか?コアなファンはついているかも知れないけどね。

また長い事そこそこ売れている人もいる。これはこれで凄い事なのだが何処にもインパクトを与えていない状態なのだ。ただ悪くないという事なのだ。代表曲はなんだっけ?一世風靡したギャグあったっけ?という様な状態で死んだり、解散したりしても話題にならない様な微妙な立ち位置の人達である。これでも十分に凄い事である。(むしろヒット無しで継続出来ているとしたら有る意味一発屋よりも凄いとも言えるけどね、でも今回は一発屋の凄さを感じるためにこれは少しだけ凄くないという事で)

この世知辛い世の中で一時的にでもトップに出たのだ、これはある種の偉業である。

まぁ世の中には二十発屋だの五十発屋だのといった物凄い連中もいるのだけどね。ドンだけやねん。
posted by mouth_of_madness at 23:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月11日

アダルトビデオ

これ程まじめに観れば観るほど奇妙なモノはない。まじめに観れば観るほど本来の役を果たさなくなるのである。

エッチな気分とは違う方向に行ってしまうのである。

まぁまじめに観るなよという話だ。

客観的に観ると人の性癖というのは非常に多岐にわたりその細かさに頭がクラクラする。それを真剣に作っている人達の事を考えると自然と笑みがこぼれるのである。なるほどと関心してしまうのだ。

セリフとか考えている時の事を考えると笑わずにいられない。観るほうは如何に状況を脳内補完するかにかかっているのだ。シラフでは腹筋崩壊である。

それにその細かい性癖にしても何となく子供じみている感じがするのだ。子供がうんこを爆竹で吹き飛ばしたり。雨の日に長靴で泥水を飛ばしていたり、泥団子の黒光りを競ったり、蚊に刺された痕をバッテンに爪で跡をつけるつけ方にこだわっているのとあまり変わらない様な気がするのである。

大人の行為で子供が観てはいけないモノなのだが観れば観るほど子供じみているのである。

よく少年の心を持つ男性が憧れとかいう女性がいるがそれならばレンタルビデオ屋に行きアダルトコーナー行けばよい妄想で悶々としている男性は少なくとも子供じみている。

子供じみた夢の世界に生きている事間違いなし。まぁやることはお下品ですけどね。

posted by mouth_of_madness at 19:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする