2011年01月31日

報道

報道番組を視聴率で作るのはどういう訳なのだろうか。確かに視聴者が欲しがる情報を流しているから良いではないかという意見もわからなくもないが、やはりそれはおかしいと思う。

報道は人に視聴者に今何が起きているのか警鐘を鳴らすという必要があると思うのだ。視聴率よりも事件、事象の重要性こそが優先されるべきなのである。

また同じ事象を伝えるのにも色々な視点で語るべきだと思う。

しかしこの大事な事が今行われている感じがしない。大多数の者にとって報道等で発表されない事は存在しないのである。当事者以外は知る事が出来ないのだ。報道は本来知ることが出来ない事を見る目になる事だ。視聴者の欲しい事だけを観せる、また発信者が誘導したい事を観せる目では意味が無いのである。

ネットという目があるがこれは余りにも数が多すぎてノイズが邪魔で結果何も見えなくなる問題点をいいまだ克服できていない。またネットの情報の大半は既存マスコミのあがあしとりに過ぎないし、単なる感想文という名の評論、解説でしかない。独自のニュースソースというモノは少ないのである。(無い訳ではない)

独自のニュースソースにしても余りにも細分化された一部分だけでは情報として扱うには中々難しいのである。

その点を考えるとやはりある種のフィルターが必要なのである。フィルターの作業を視聴者がやっていたら情報が膨大すぎて生活にならないのだ。

ただそのフィルターは視聴率では駄目なのだ。生活の先を見越す為のモノであるべきなのだ。危険な目に遭わない様にするという事を忘れては駄目なのである。人に正しい選択肢を与えるのが役目なのである。人を楽しませる為のモノではないのである。

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2011年01月30日

草食化

AV男優不足になる位の草食化。エッチな事が嫌いな男子も増えているらしいのだ。まぁアンケート等に素直に書くかというと微妙な面もあるけどね。

そういう記事を読んで思うことがある。この状態を社会制度的問題で片付けようとする事は果たして正しいのだろうかと思うのである。いやなんだかんだとセクハラと訴えられたり、男性と女性は同じであると教育され、溢れるエロメディアにさらされ、低年齢でSEXを体験していれば妄想も育つ事はないだろうとは思う、お金もないしね。

しかし最近では聞かなくなったが以前は環境ホルモンで精子が少なくなっているという話があったのだ。当時はカップ麺の容器が原因とか言われていたが影響なしという結論の元にメディア的には忘れ去られた感じがするのである。

カップ麺の容器が原因ではなかったかもしれないが他の要素が精子を減少させていたのではないだろうか?

何が精子を減少させたか調査されたのだろうか?いや調査されても人にそれを知らせる事を行っていなければ意味はない。(それとも減少の事実はない?)

今の草食化が社会制度の問題ではなくホルモン問題だったとしたら対策方針が全く変わってくるのである。まぁ両方というのが実情の様な気はするけどね。

もしかすると少子化も精子の減少が原因という事もあるのではないか?やる回数も量も減っていれば妊娠し難くなるというのもあるのではないだろうか。


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2011年01月29日

人権派弁護士

日本で暗躍する人権派弁護士。日本転覆を図る反日勢力という噂話もある。

だが僕は別の面を妄想する。

この人権派が暗躍する理由は訴訟社会を出現させる為に人権菌を蔓延させようとしているのだ。そうする事で自分達の仕事を確保しようとしているのである。

犯罪と違って人権問題は正解というモノがないというのも都合が良い。また訴訟を起こすにしても些細な事で、言葉尻の解釈だけでも起こせるのだ。具体的に差別という事象がなくてもいいのだ。個人的に差別と考えているだけでイイのである。思い込みだけで良いのである。(怒る方に誘導する事も多少の腕があったら楽勝だろう)

差別されたか否かの証明が難しいというのが実に都合が良い。裁判が長引けば儲かるのではないだろうか。

また子供の人権というのも実に都合がいい。子供対大人になれば子供の方に同情が集まりやすいからね。子供ならば多少の嘘も大目に見てもらえるのではないだろうか。社会的に弱者と思われている者は裁判においては強者になるのである。それらを悪く言うのは自分が差別主義者と思われる可能性があるからだ。優しくないと思われたり、人の気持ちがわからないと思われるのは嫌という気持ちが働くのである。

行われた行為及び発言等が大した事ないだろうと考えていたとしてもそれを口に出すのは難しいのである。弱者の気持ちがわかるのかと反論されたら意見が封じ込まれる可能性があるのだ。

弱者という武器は中々性質の悪い武器なのだ。だがそれは弁護士等にはイイ飯の種になるのだ。


これが裏にある目標に思えるのではないかと妄想してしまうのである。

こんな事を言うと弁護士差別、誹謗中傷だと僕が訴えられる?
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2011年01月28日

モンキーに警告

サッカーのアジアカップの猿真似問題。もう何が何やらわからない。(これが自由というものか?)

嘘に嘘を塗り固めていくうちに自分が何を言っているのかわからない状態になっているように思うのである。

まさに猿知恵!!

またその事を鵜呑みにしたようなテレビ朝日の報道も素晴らしく訳がわからない。

一体何をしたいのか?誰得?手抜きにも程がある感じがするのである。これって免許取り消し級の捏造ではないのか?うっかりで済ましていいレベルではないとこまで踏み込んでいないだろうか。

キム・ヨナのお面問題もわからない。2ちゃん的には応援グッズとし売られていたモノのようだしね。

ネットに転がっている情報をみると余りにも酷い嘘という感じがしてこの状況が理解出来ない僕は馬鹿なのかと思ってしまうのである。

それともネットで検証されている風に見える情報の方が捏造で僕はまんまと釣られているのか?(自分で調べろという事なのだろうけど、其処まで興味はない、だったら書くなという話もある、スマン)

まぁこんな事で盛り上がれる世の中余程暇なのか?刺激に飢えているのか?寒いからなのか?なんか物凄い平和と悪意を感じる暇つぶしである。まぁそれにだらしない感じで引っかかっている僕もろくなもんじゃないね。

そもそも何でこうなったの?誰が火をつけ油を注いだの?


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2011年01月27日

中毒

人は色々なモノに依存症を発症し中毒症状になる。実は覚醒剤中毒より今深刻な問題はパチンコ中毒だという話もある。法律で規制されていないせいもあり物凄い人数がその中毒症状を発症しているらしい。

早いところ何とかしないと日本は酷い状況になるのではないだろうか。

しかしこれよりもっと恐ろしい中毒がある。お金中毒である。これはパチンコどころではない位の人間が中毒になっているのではないかと思う。

お金を貯める、手に入れる事が目標に成っているのがその症状だ。まぁ最近若者は大人のその中毒症状を目の当たりにした為にその中毒から多少距離を置く事に成功してい様な気がするである。

中毒者の親父どもからみれば自分の中毒症状を満たす為に若者を焚きつけて消費を煽るのであるが中毒者ではない若者はいまひとつ行動しない。

これは実にいい方向に動いていると僕は思う。確かに一時的に禁断症状に陥り社会は混沌に落ちいるだろう。だがその地獄を抜けない限り状況は改善しない。

これは中々根が深く禁断症状は大変だと思う。また一度直ったとしてもフラッシュバックで再発する事もあるだろう。人間がこれから抜ける事は大変だと思う。

昔は支配というモノが強くその中毒が横行していた。だがそれは劇薬で容量を間違えると大変な事なる。実際に大変な事になった。2度の世界大戦がその副作用である。

今までのやり方ではダメージが大きすぎる。副作用が強すぎると思いやり方を変えた。精製し経済という薬に変えたのである。だがやはりこれもより刺激を求めていくうちに量が少しずつ増えていきやはりコントロール出来なくなり中毒症状、副作用が出たのが今である。

経済という薬、量さえ間違わなければ良いモノだったのにね。

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2011年01月26日

十三人の刺客

リメイクではなく古い方。暗闇に浮かび上がる白黒映像が素晴らしい。

現在の目で観ると確かにテンポは多少遅い(悪いのではない)最後の決戦にしても今の特撮技術やアクションのテンポから考えると地味に思える。

だが役者の重厚な演技、人間の持つ迫力は今の映画にない魅力がある。白黒で浮き上がる顔に深く刻まれた皺の重みがカッコいいのである。実に男臭いカッコいい大人がフィルムに焼き付けられているのだ。

といった良さよりも何といっても素晴らしいのはこの映画の持つ娯楽性だろう。一見重厚な時代劇風にみえるが本質は勧善懲悪なチャンバラ時代劇なのだ。多少の無茶な設定もチャンバラ時代劇と思えば気にならない筈だ。(13人目なんかかなりの無茶っぷりである、なんか敵の人数もよくわからん感じもあるし、馬鹿殿もあそこまで無茶すれば将軍により何らか処罰があると思うのだが)

どう考えても不利な状況、それを命を賭して、罠を張り迎え撃つ、悪い奴はトコトン悪いというわかり易い設定が心地よいのだ。馬鹿殿の部下はイイ奴という部分もいいスパイスになっている。

最大の欠点はオーラス(生き残りの発狂武士)ではないだろうか微妙な嫌感を残している部分は駄目。意味のあるモノならば良いのだが何となくこうするとリアルっぽくない?とそれまでの娯楽性を否定しているように思えるのである。こればかりは蛇足だと僕は思う。




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2011年01月25日

自由

自由という言葉、「自らを由とする」とあるがこれは何者にも束縛されないという意味ではないのではないだろうか。今はこれが主流な使い方になっている。

まぁ福沢諭吉の本でも読めよという話もあるが、読む事無く妄想する。

この言葉、実際は自らの意思で決断するという意味ではないのか?自らを決断する判断基準として使うという意味ではないだろうか。確かにこれだけをとると何者にも束縛されないと同じではないかという感じもするがこの根っこにはしっかりとした道徳というモノがあるのではないだろうか。

正義というものを中心に据え、間違っているモノには間違っていると言う事なのではないだろうか。権力等に正しい意見を潰される事無く自分の意思を持つ事が出来るという状態ではないだろうか。

我侭ではなく強い意志を持つという難しくも素晴らしい状態を自由と言いたかったのではないだろうか。

また自らを判断基準にするという事は人として成長してこそ成ると考えていたのではないだろうか。それに必要なモノとして学問があるのだ。学問により人は成長し自由を得るのである。判断し得る基準を手に入れるのである。

巷には基準なき自由が溢れている。
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2011年01月24日

国家解体

世界から国境を無くそうとする人達。しかしこれには大きく二つの属性が今ある様な気がする。

一つは世界平和、戦争の廃絶といった平和主義者の集団。

もう一つは、世界から国境をなくし国家を解体する事でより自分を高く売ろうという集団だ。(厳密にいうとこの集団は目的でまとまっているだけでいかに相手を出し抜くかを考えている)

国という枷が自分の能力を押さえつけていると自惚れているのである。その制約させなければもっと稼げる儲ける事が出来ると思っているのである。また自分の能力で稼いだモノを税金等で盗られるのが我慢ならないのである。何故無能な者の面倒をみらなければならないのかと思っているのである。国特有の道徳感というのも面倒なのである。道徳観は生理的モノであり理屈の外にある。それが煩わしいのである。

経済による弱肉強食世界を作り出しその頂点に立ちたいのだ。同じ土俵で戦うには国という枷、ルールの違いは困るのである。

いまコイツ達は今、日本を平成の開国とかいう事を言い人を騙そうとしている。

僕は今むしろ閉じるべきだと考える。世界がグローバル化の波にさらされ自国だけで色々な事が決断出来ない状況に成っている。まずは立て直すには他国からの影響をいかに受けない様にするかが大事なのだ。そして立て直してから関係性を再構築するのだ。

いまだにお金で遊ぶモノ達の跋扈が問題解決を阻害している。
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2011年01月23日

欠陥

若者はバリバリ働き消費せよとこれが経済回復につながるとかいう意見。

いやそもそも消費をしないと駄目になるような経済システムにこそ問題があるのが今露呈しているのにその欠陥システムを維持する事に躍起になっているのは余りにも滑稽である。(まぁ僕の意見も滑稽なのだろうけど)

いかに軟着陸をして次の経済システムに移行するのかを議論しろと思うのは僕だけなのだろうか?

今の経済システムに奴隷化されている人間とは一体何なのだろうか?効率よく物々交換をする為のものだったが増長し人類を支配するこれこそ喜劇である。

このままでは幾ら便利になろうが、どれだけ生産効率が上がろうが人間は余暇を持つことが出来ないのである。それでは何の為に技術開発をしたのかわからない。

いやむしろ自分の居所が無くなる可能性が高い。少ない仕事を奪い合い、仕事が取れなかった者は飢えて死ぬ世界。大多数が人の役に立つという事を見せる事無く逆に疫病神として処理される世界を作り出そうとしているのである。

燃費が良くなる、燃料業界は儲からなくなるだろう。家庭用発電の発電効率UP、消費電力低下は電力会社はこれまた儲からなくなるだろう。ロボットの高性能化これは雇用がなくなる。これらの技術革新は悪い事ではない、だが経済という観点からみると労働の賃金低下につながるのだ。経済を回す燃料が減るのである。高性能化する事は良い事なのにそれが仇となるのは問題ではないだろうか。

これは今の経済システムに問題があるのである。経済の規模が大きくなっても生活が楽にならないという状況を変だと思わないのは僕からみればただのアキメクラなのだ。経済規模が大きくなってもあまり意味は無い、生産効率等が上がる事にこそ意味があるのである。

金持ちを悪く言う、金融屋を悪く言う前にこのシステムの問題に言及しないのはシステムは悪くない、それを運営する人間に問題があるからだという先入観があるからである。その常識を疑え、破壊せよ。使用者が良くても毒を発生するモノは回りに被害をもたらす、悪い人が使うより被害が少ないだけなのだ。被害が減った事で良いモノに生まれ変わったと思うのは間違いなのだ。

話はズレるが貯蓄を重ねていく姿を見るとリスが木の実を埋め忘れたり、百舌のはやにえで忘れてみたりする姿に思えるのは僕の気のせいだろうか?それを実際に使用するというより貯蓄する事に囚われている様な気がするのは僕だけだろうか?


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2011年01月22日

モノの価値

人はモノ価値を自分で決めていると勘違いしている。(まぁこの場合の価値は価格ということで)

その概念を破壊するのは非常に難しい。どうにも人は自分の意思で判断している事は自分で全てを決めていると思いがちなのである。

現状の判断基準になっているモノが何故そうなっているのかという事に対しては疑いを持たずに絶対的な真理の如く思い込んでいるのである。

ユニクロの服とブランドモノの服の価格差本当に妥当なのか?それは買う人が決めているから妥当だというのだろうか?だが実際はデザイナー、ブランドへの価値というのにそれ位の差があると思い込まされていないか?

いや実際にデザインがいいのは確かだとでも言う者もいるだろう。だがそのデザインが良いというのも刷り込まれた価値観かもしれないのだ。絵の構図とかに良い、悪いというのがあるが何も知識も無い者に見せても判断出来るのだろうか?その概念が頭に出来ているから此方が良いと判断している事はないだろうか?

キャベツの価格とCDの価格差、本当に妥当なのか?生物が生きるという観点でみれば明らかにキャベツの方が価値がある筈だ。だが実際にはそうはなっていない。別の観点で値付けされているのである。

また価格を上げる事により、正しく判断できない者に対して価値があるように錯覚させるという商売もある。元々市場の小さい所で生活する為には価格を上げる事で維持するしかないからだ。だが市場が小さいという事は元々人が大して価値を見出していないという事ではないのか?世界の多様性の為には必要な事なのかもしれないがその価格に妥当性があるように思えないのである。まぁその価格に妥当性があると思っている人が買っているから良いという考えなのだろうけどね。(本当に妥当と思っているかはわからないけどね代わりが無ければそれを不当な価格だと思っていても買うしかないからね)

人は知らず知らず価値観を決められ誘導されている。その事に気がつかないままいる。

自分の判断が誘導されている事を自覚するべきである。


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2011年01月21日

政府を維持するために

年金の支給年齢引き上げだの健康保険増額だの症税アップだの移民を増やすだの。なんか国を維持する為というより政府を維持する為に国民はいるという感じだ。

もう何の為の政府かわからない。国を維持する、国民を維持するという事を何もやろうとしていない。もうこうなったら大政奉還しか手が残っていない感じがする。一度天皇陛下に戻し、憲法及び新政府の仕組み、日本という国の形を一から作り直すしか無い感じがするのは僕だけだろうか?

本来は意思の力でそれを行うべきなのだろうが今の状況から考えるとそれは無理だろう。痛みを伴うのはわかっているからだ、その状態では外圧に対して非常に無防備になるからだ。トンでもない天変地異か、戦争でも起きない限り無理だろう。

まずは年金をどうするか?

円の価値は下がるだろうが、こうなったらもう毎年政府がお札を刷り、足りない年金を補填して渡せばいいのではないか?年金を積み立てるのはその権利を買うためのローンと考えればいいのである。それとお札の刷りましで円安になるのを多少抑える為のモノと考えればいいのだ。

アメリカがドルを刷り市場にジャブジャブ流してドル安にするのと同じで日本も同じ事をしてその流す先を年金にしてしまうだけである。ドル買いとかをして円安にするのではなく円のバラ蒔きを行い円安にするのである。

年金が破綻しないとなれば経済も安定するのではないか?老後心配なしとなれば貯め込む量は減るのではないだろうか。


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2011年01月20日

プロファイリング・ブーム?

なんか今期のドラマ、プロファイリングモノが大暴れ。これってシンクロニシティ?

アメリカドラマの影響?それにしても同時にやるとはねぇ・・・まぁある意味同じ題材で作っているから勝負としては面白いけどね。

それにしてもこうも被るとテレビが廃れていく理由がよくわかる。何も考えていないという感じがビンビンに伝わってくるのだ。

テレビ局が複数あっても同じ様な番組を作り放送するのであれば複数ある意味が無い、多様性がないのである。そりゃ多少の切り口は違うから観た物からうける印象は同じではないけどやはりゲンナリ感が伴う。

ニュース、バラエティ、ドラマどれも同じ様に被っていく状況から抜け出さないとテレビは駄目なのではないか?それとももう終わるからマッタリさせてくれ、色々と考えるのは嫌という事なのか?

それならばもう新番組なんか作らなくても良いんじゃないの?

こうなるとテレビ局減らして、優秀な人材を集中させた方が良いと思ってしまうのである。
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2011年01月19日

日本はどうなりたいのか?

色々とテレビや本をみても日本をどうしたいのかというのがわからない。

個別の事は色々と論じられている(景気問題、核問題、外交問題、教育問題等々)だがトータルでの日本像というのが見えてこないのである。それを語らずに個別の事を語る事に意味があるのだろうか?

トータルでの日本像が決まればそれに合致するように個別問題を解決していけばいいのである。日本像が決まっていないから色々な問題の答えが出ないのである。目標が決まっていないから極論の選択肢のどちらも選択も可能になるのである。だから決まらない。

いや個別の問題にしてもそうだ。景気回復というが何をもって景気回復を達成できたといのだろうか?小泉政権の頃の景気回復は今となっては間違っていたという意見もあるのだ。ある面では景気回復したのだろうが別の問題を内包させそれのツケが今の景気悪化という話だ。

失業率、GDP、税収、ジニ係数、平均年収と指針になるモノは色々とあるどれがどうなれば景気が回復したと政府は経済論等を語る著名人は思っているのかいまひとつわからない。デフレ脱却すれば本当に景気回復したと思うのだろうか?

年収が増えてモノの価格がその分上がっていれば買えるモノは増えないのだ。

雇用にしてもそうだ失業率は下がっても年収が下がれば景気が良くなったと感じる事はないだろう。

税収を上げるだけならば税率上げたり課税対象を増やせばいいだけだしね。

結局は何をもって景気回復を達成したといいたいのか見えないのである。(僕の理解不足?)

目標が見えないから政策、対策が決まらないと僕は考えている。高度成長期並みに国民にイメージし易い目標を立て政策もそれにそって行うべきだと思う。

今は企業側の論理、国民側からの論理、政府側からの論理、海外からの論理が入り乱れ右往左往している様にしか思えないのである。これでは解決のしようがない。その時の声の大きさで目標が変わるのである。(達成してもいないのにね)

何処に行くのか決めない、これでは綱領がない民主党みたいではないか。

一度停滞し目標を失った日本、明確な目標を作らない限り同じ所をグルグル回るのである。
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2011年01月18日

板尾創路の脱獄王

奇妙な味わいのある映画。多分観る人を選ぶ映画だとは思う。

僕はこの淡々とした延々と準備を重ねた前フリをあの様な落とし方をするなんてという部分が実に気持ちがいいのである。それでいて後味に不安が残るのである。何か見落としていないか?本当にアレを素直に信じていいのか。金村がいった「間違っているぞ」といっているが実はそれこそが間違っているのではないか?

人は何かの行動に理由がある筈だと思いがちである。金村も何か理由がある筈と考えた。そしてその推理は一つの答えを出した。観客もそうだったのかと思っただろう。だがあのオチがついているのだ。あの用意周到な鈴木が最後の最後でミスをする。


本当にそうなのか?アレはミスだったのか?金村と一緒に観客も騙されているのではないか?

鈴木が脱獄したかったのは常識や人の固定観念、閉塞された社会からの脱獄では無かったのか?

この様な状況が一抹の不安を残すのである。そこが良いのである。

またトコトン前フリをして最後の最後にヒックリ返す。これって「頭頭」だよね。オチの方向性は違うけど。それまでのドラマから一気に逸脱する感じはなんか似ていると僕は思う。



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2011年01月17日

シャーロックホームズ

僕は一切原作の小説を読んだ事はない。だからこのキャラ設定がどれくらい逸脱しているのか、それとも忠実なのかは全くわからない。だが過去の映像等で観た事のあるホームズ像とは違うという事はわかる。

頭脳は明晰なのかも知れないが実に肉体派なのである。ワトソン君も実に頼りになる肉体派なのである。確かに推理はしているのだが基本手的に拳で問題解決という感じ暴れん坊二人組みである。

それに謎の女(峰不二子風)を交え、実にルパン三世みたいな展開のホームズなのである。

原作ファンがどう思うかはわからないが僕は意外と楽しめた。

ただ思考過程をみせそれを本当に行うシーンがちょいとクドイ。序盤での展開は思考通りになるのだが後半はそう思い通りならないでもアドリブで解決していくという感じがあればよりよかったのに、序盤をネタフリにしてそれを壊すという事をやってくれれば良かったと思う。

また敵の側も同じ様に思考していて微妙にズレているとかがあれば思考合戦しているみたいで面白かったのにと思う。

お互いに罠のはり合いで何処から騙されていたのか、騙していたのかといった思考合戦が足りないのである。推理の部分が物足りない為にアクション映画に仕上がってしまっているのである。

まぁそこそこ楽しめるからそう大きな問題ではないのかもしれないけどこの映画にシビれないのはもう一味が無いからだと僕は思う。

ノリ的には2を作る気満々な感じもするので人物紹介ですと割り切ればこれくらいがちょうどいいのかもしれないけどね。前菜でお腹一杯では問題あるからね。微妙に喰い足りない感じにして次に期待を持たせるのも戦略か。
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2011年01月16日

教育と個性

個性を潰す教育は良くない、個性を伸ばす教育こそが大事という意見がある。

ある意味ではこれは正しいのだが個性を伸ばすというのを子供の自由、やりたい様にさせる事と勘違いしている者があまりにも多いのである。

押し付けは良くないと勘違いしている者があまりにも多い様に思うのだ。

教育とは獣を人に変える為に必要なモノなのである。だが今の教育は獣性を個性と勘違いしてそれを伸ばそうという愚を犯しているのである。

演技にはある種の型がある。ピアノにしてもある程度の基礎を叩きこむし、絵にしても基礎的なデッサン等を学ぶのである。その基礎の上に個性を持つのである。個性があったとしても基礎が出来ていないと先には進めないのだ。(極まれにいる天才は別だけど)そんなに世の中には天才などいない。

教育には人としての型を叩き込む為に子供の我侭等を聞かずに躾ける必要があるのだ。今はそれを行うのを子供の個性を潰すといい、強制的な教育を行わないという事が跋扈しているのである。

結果、社会は乱れていくし、人の程度が下がる一方である。そして馬鹿の拡大生産になるのである。

個が輝く事が出来るのは社会が安定しているからである。その安定した社会にはちゃんとした大人が必要なのだ。今の個人主義と個性主義の暴走によりその社会は潰れようとしているのだ。低レベルの個性では色々な文化を先に引き上げる事など無理だ、消費され、磨り潰されるのみ。

基礎の出来ていない子供を産み出すという事は逆に子供に不利な状態を作り出している事に気がついているのだろうか?

洗練されていない個性が素晴らしいと思っているのだろうか?殆どの場合はその個性など勘違いである。また教育如きで潰れる個性など大したことは無い。個性は色々な制約等で磨かれ末に出てくるモノなのだよ。

中途半端な個性など、その者に勘違いさせ人生を無駄にする事はないのである。






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2011年01月15日

移民政策は何故失敗したのか

今日本が進めている周回遅れの移民政策。数少ない成功例はアメリカぐらいではないのか?(まぁ元々が移民の集まりだからね。ネィティブアメリカンからみれば失敗どころか滅ぼされたという感じか)

ヨーロッパでは軒並み失敗したと思っている感じがする。スウェーデン、オランダは大変な問題になっているみたいだしベルギー、イタリアもそうみたいだ、ドイツは失敗だったといっているし、フランスもまた移民に厳しくする事を表明している。

何故失敗するのか?

差別的だが文化レベルが違い過ぎる事が問題だと僕は考える。

移民が出る国は基本的に自国内の政情が不安定な国である。内乱を生業にしている様な国なのである。

また基本的に話し合いで解決しようという考えが無いのである。殺し合いの方を選択するというそれ位に強固な意思を持っているのだ。

それなり安定した政治状況で生活をしていない為にそれがどういうことかわからない、信じられるのは身内のみという考えが染み付いている為に移民先になじむ事は無く身内だけで固まってしまうのである。いやこれはどちらにもいえる事か、あまりにも違う文化を受け入れるのは大変な事なのである。

更に人権主義者の上から目線の愛護政策が移民を甘やかす事になり勘違いさせる事になる。これはペットを甘やかすと家で一番偉いと勘違いしてしまうのと同じなのである飼い主の手を噛むようになるのだ。

それに人権主義者の自国民より移民を優遇する行為に自国民の不満は溜まるし、移民は増長するのである。

この匙加減は非常に難しいのだ。押さえつけすぎると差別されていると抗議されるだろうからね。

もう一つのパターンもある。移民を国策として計画的に行っている場合だ。これはいずれ乗っ取る事を前提にしているから馴染む必要など無いと考えているのだ。まぁ当初は移民をストップさせれと困るから政治的影響がもてる数になるまではおとなしくするという事はあるだろう。これは実に怖い、人の善意と欲につけこんだ戦略なのである。そんな事はない、陰謀論だという妄想と片付けられるのがオチだろうけど。民主主義、人権主義はこの計画移民により崩壊する。





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2011年01月14日

美咲ナンバーワン!!

またしても始まった学園ドラマ。またしても伝統芸能的なキャラ配置。

型破りな教師が学園をかき回し生徒達と絆を作っていくとうベタなパターン。

でも何でこの手のパターンには教頭や学年主任が生徒の心をわかろうとしない悪の教師として描かれるのだろうか?確かに担任に影響を与える事が出来る立場という事を考えると一般教師では無理というのはわかるけどなんかもう一ひねり欲しいモノだ。

校長は大体いい人。

また確かに型破りな先生で無いとドラマにし難い部分というのもあるだろうけど。あまりにも極端な設定の為に何でもありに感じてしまうというのがこの手のドラマの欠点だろう。スカッと終わるには仕方の無い事なのかも知れないがあまりにもリアリティが無いのである。

型破りではない、普通よりは少しやる気のある程度の先生が色々な小さな問題を解決したり失敗していくようなドラマで面白いモノをみたいものである。小さな幸せを見つけるようなドラマだ。

先生の悩みを知るようなドラマがあってもいいと思うのだ。大人はわかってくれないという子供の叫びを拾ってやる教師の話ではなく、先生にも日常があり色々な悩みがある筈だ(生徒の事だけ無く職員室での悩みや学校とは全く関係ない個人的な悩みとか)、学校と日常に間に挟まって右往左往する姿こそが今必要なのではないかと思う。

先生の自殺も多いらしいという事を考えると教師というは物凄いストレスにさらされているという事だ、それでも辞めずに教師を続ける、適度に手を抜きながらも生徒に向き合う姿を描く事が今求められているのではないだろうか。

面白おかしく溜飲を下げるだけではなく、現実を描きそれでも人は生きていく、前に進んでいくというのが大事だと思うのだ。子供の気持ちなんか早々わかるかいというのを教えてやるのである。甘えるなと教える事も必要なのだ。

最善ではなくとも何となく進んでいくという教師ドラマを観てみたい。


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2011年01月13日

ウルフマン

狼男映画の新しいヤツ。でも変身した狼男の姿は懐かしさが胸を熱くするようなデザイン。

変身シーンとかでゴキバキベキと変化していくのだが変身終わってみると昔ながらの狼男の顔がそこにという感じである。(特にアンソニー・ホプキンスの変身後は子供の子供の頃に観たあの姿という感じガモガモ)

肝心の映画の方の出来であるが可もなく不可もない感じ。いやちょいと駄目な部類か。ストーリーを牽引していくモノが無いのが原因と思う。

もう少し推理モノ的に進めていけばよかったのではないのかと思う。パズルのピースがはまっていく感じとかがもう少し強烈にある方がよかったのではないか?また別パターンとしては狼男になった者の悲劇というようなモノをメインにストーリーラインを作っても良いだろう。

だがこの映画この両方を欲張り結局はどちらも出来ていない微妙な完成度に仕上がっているのである。

世界に没頭するためキッカケが弱いまま最後まで進むので映画を客観的に観る羽目になり面白かった、良い物観たという充実感がないのである。

まぁ無茶な事もないから酷いとも思わないけどね。ただ印象には残らない、唯一印象に残るのが先に上げた狼男のメイクである。




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2011年01月12日

究極

人は色々な事を満足出来ない。一時的に満足する事はあってもそれで終わるという事はない。貪欲に次のモノを求めてしまうのである。

ふと思う。

これって人間が壊れているという事なのではないか?足るを知る事が出来ないのである。人の大概の悩み、問題はこの事に由来していると思う。

まぁお腹が減るのと同じだともいえるけどね。

でもそうではないかもしれない。実は人間は究極というモノを知っているのかもしれない。その究極を探しているのである。おっこれこそはと思うのだがやはりそれは微妙に違うのである。究極の一品をひたすら探すのである。

職人とかが何十年とやっていても「まだまだ修行の身ですから」というのも究極の形が朧気に見えているからなのだ。でもまぁ朧気なんだけどね。

そう考えると目が悪いから遠回りをしているのではないだろうか。朧気でなくこうだという形が見えていたらそれに邁進していけばいいので実にシンプルなのにね。

でも実際はちゃんと見えていないから足掻くのである。または全く見えていなければそんな事考えなくいいのにねぇ。

何で中途半端に見えているのかねぇ。

神は究極か?

多分当面の目標でしかないと僕は思う。神の如き力を手に入れたとしても人は満たされる事はない。

現時点では死という究極を誰もが手に入れる事が出来るモノを持っている。だがそれを阻止できるようになった時、人はどうなるのだろうか?本当に死を克服出来るように成った時人は壊れそうな気がするのは僕だけだろうか?








posted by mouth_of_madness at 23:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする