2011年02月28日

チョコレート・ファイター

シナリオの方には難があるがグイグイと引き込まれていくアクションが凄いのである。シナリオの頓珍漢な部分は阿部寛の奇妙な設定だと思う。単なるヤクザじゃ駄目だったのだろうか?

普通これだけアクションのてんこ盛りだと途中でダレて飽きてくるのだが最後まで観る者にテンションを保たせるのだ、もう痺れまくりである。

これを観ると日本のアクションが如何にヌルイかを実感させられる。まぁ日本映画はアクション映画で売ろうと考えていないのだろうから問題は無いとも言えるけどね。でももう少し頑張ろうよと思ってしまうのである。

ハリウッド的特撮も含めた爆発がド派手アクションも撮れる訳ではないし、香港ワイヤーアクションが撮れる訳でもない、またこの映画の様に体を張ったアクションを撮れる訳でもない。そう考えると日本は精神的アクションシーンを撮るしかないのではないかと思う。一瞬の間合い、駆け引き等の心の葛藤を描くようなアクションシーンを撮る方向性なのだろう。

それでももう少し体を使ったアクションが出来る土壌があった方がいいなぁと思ってしまう。

映画の内容についてだが向こうは借金を取立てるのはあんなに大変なのだろうか?なんか普通の氷屋、運送屋、肉屋とかの人が襲って来る事に不自然な感じがしないのだろうか?何か裏設定を見せてもらわないと不自然極まりない。まぁ細かい事は気にすんなという大らかな気持ちなのだろうか。

またボスキャラの強さが丈夫と卑怯だけという感じもどうなのという感じがする。もう少し歯ごたえのある敵キャラが必要だった思う。そしてベタでも最後は親父の力を取り込み勝つという展開が必要だと思う。まぁそれを匂わすシーンはあるがもっと明確な技が必要だと僕は思う、それまでの流れる様なアクションではなく居合い的なモノとかが良いのではないだろうか。あと序盤での音に対する反応があるから目を一時的に負傷して耳で勝つみたいな展開も必要だったのではないだろうか。

まぁその様な瑣末な問題点を気にせずにキレの良いアクションに身をゆだね楽しめばいいのである。
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2011年02月27日

土地は持って行けないから大丈夫

中国資本に土地を買いあさられている状況に対して土地は持っていけないから大丈夫と安易な答えを出す人々。

確かに持っていくことは出来ないだろう、だが危険性は十分に高いのである。山の水資源を台無しされたらどうするのだ、いまの国内でもモラルが低下しているゴミの不法投棄とかがあるのに、もっとモラルがない不法投棄をしだしたらどうするのだろうか?巨大なゴミ屋敷みたいな山林とかにされた場合に何処まで日本は止める事が出来るのだろうか?

植林などせず山を丸坊主にするだけで放置されたらたまったモノではない。

また街の一角を買い占められある種の治外法権状態みたいになった時に今の腰砕けの政治家や公務員にそれを撤去出来るとは思えない。

実際に路上市とかを開かれて迷惑している所や在特会でも話題になった公園とかに対してもピシッとした行動がとれていない事を見ればわかる筈だ。

賄賂や暴力で屈しやすいのが人なのだ。さらにもめる面倒臭さから目を逸らしがちである。それに言う事を聞こうとしない者には無力である。

土地は持っては行けないが居座る事は可能なのだ。そして土地の所持者は不法侵入を許さない事も可能なのだ。捜査令状とかをイチイチとらないと駄目な状況になってしまえば土地持ちの勝ちなのである。密入国者を囲う事がドンドンと楽になる筈だ街が全て仲間になれば法で治外法権を認めていないにしても自分達のルールで運営する事が出来るのである。

迂闊にそれに抗議などしてしまえば、人権大好き集団が外国人差別をするな、日本人の閉鎖的な考えは駄目だと叩かれるのがオチである。相手の文化を思いやる寛容さが必要だと言われる事になる。連中は自分達が被害者にならない限り腐りきった人権を振りかざすのだ。

大きな問題になる前に解決すべき事を変な温情や懐具合で放置し、大事になれば見ないフリをするそんな事になる気がするのは僕の気のせいだろうか?

余裕のある方が寛容さを見せおれることが大事とかいう甘い考えは止めるべきだ。折れれば其処が新基準点になり更に踏み込んで来るのである。間違った事を言っていなくても其処に寛容さがないという因縁をつけられドンドンと追い込まれていく逆差別が行われている現状を考えれば、如何に無視できない状況になるのかをもう少し考えるべきなのだ。

金に目がくらみ土地を売り国を無くす。(まさに売国奴)人類愛と情けは人の為ならずを信じて国を無くすその様な愚を犯し、取り返しのつかない事をしたと気がついた時に人はどんな顔をするのだろうか?

憤怒?いや力の無い泣き顔みたいな笑顔なのだろう。

世の中の腹黒さを甘く見てはいけないと思う。そんなに善人ばかりだったらもう少し世の中から紛争は無くなっている筈なのだから。

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2011年02月26日

ハングリー精神

日本の若者はハングリー精神が無いという意見がある。世界に目を向け世界と勝負しろ、このグローバル化の波に乗り遅れるなと煽りまくる。

しかしこのハングリー精神が無いというのは実は良い事なのではないかと僕は思う。危機感の欠如という面には多少の問題あるとは思うのだが。争わずとも生活できる、過剰にモノを欲しがらないという事は人類の求めていたモノではないのかと思う。

飢餓感を無くす程の社会を作りだした事を誇っていいのだと僕は思う。

しかし昔ながらの飢えを持つ世代がそれを煽る。自分の飢えを満たす為に若者が飢えを炸裂させる必要があるからだ。

世界は弱肉強食を求めている。更なる発展を望んでいるのだから仕方の無い事だとでも言うのだろう。

何故使い切れないお金を持っていてもそれを人は配らない。これは後の事を考えていての事ではない。自分の評価だからそれを維持しようとするのである。自分はこれだけ凄いと思わせたいだけである。

差別はいけないというが自分はこれだけ凄いと自慢したがる下品さが人間の一面であるのだ。これもある種の差別なのである。札束でびんたを食らわす新しい形の差別なのである。

僕はそれを克服できていない。

発展すれば色々と更に便利になる事は増えるだろう。だが発展を止めた所で人は不幸になるのかというとそうではない。

今の日本のままフリーズした所で多少の問題はあるにしても不幸だと感じる事は無いのではないか?比較する対象があるから劣るだの優れているだのという余計な考えが湧き上がり自分は不幸と考えるのである。

鎖国時代の日本の呑気、問題は無いとは言えないが当時の人々は猛烈な不幸を感じていたように思えない。飢饉とかで一揆があった事が良くないというかもしれないが、そんなモノは今でも大地震とかに巻き込まれれば同じである。まぁ頻度の問題はあるけどね。

急上昇型飢餓社会より循環型呑気社会これこそ目標とすべき形だと僕は思う。不完全ながらその精神性を取り入れだした日本の若者をもう少し評価しても良いのではないかと思う。今のままでは循環部分に心配が残るが。

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2011年02月25日

持たざる者

ネットが産み出すモノで一番のモノは個人所持という概念をなくし共有する様になるという部分なのだろう。まぁ多少のプライベートの部分と食料は個人所持する事になるとは思うけど。

音楽も映像も、本もコンピュータソフトもゲームもいずれは全て個人所有する事はなくなるのではないだろうか。今はまだビジネスモデルとしてお金が絡むがいずれ全てのモノが無償化するのでは無いだろうか。

今もその芽は出ている感じがする。古い概念が未だ残っているから完全以降は難しいけど。

そもそも個人の表現でお金をとる事自体がおかしいのかもしれない。そこで変に著作権とかいう概念があるから発展を無くしているのではないか?

そこそこいい音楽があったとする、だが一部良くない部分、気に入らない部分を直し発表する、俺なりの解釈をするという事で同じモチーフを発展させていくというのが音楽として幸せな形ではないのか?映画もそうだと思う。細かいタイミング、BGMの差し替えといった編集でよくなるモノもある筈だ著作権という概念を壊せば色々な者が弄り回し完成度が高いバージョンが生まれると思う。

大体表現物や新技術には著作権があるけど知識には無いように思うのだがその辺はどうなのよである。確かに本として出せば文章には著作権が発生するけど本の内容には著作権は発生しないというのはおかしいのではないか?新しい考え方を使う事を無償で提供しているのだ。不公平ではないか。

今に人類の生み出した表現物は全ての人類の共有物になる世界が来るべきなのである。お金が発生しなければ表現しないというのは嘘だ。何かとつながる為に、楽しむ為に勝手に表現してしまうのだ。人を楽しませる、驚かせる方がお金という部分より僕は大きいと考える。

お金にならない世の中になったとしても人は何かを表現する事を止めはしないのだ。

食料作り、衣料作り、医療、住環境作りこれ等をみんなの持ち回りでやり空いた時間を楽しむ世の中になるのが人類の達するべき未来である。


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2011年02月24日

革命の季節

頻発するデモ、革命!!

でもなんかしっくり来ない。この頻発具合が微妙に気持ち悪いのである。仕掛け人いるよね?

シンクロニシティという風に思えないし、一つの事をきっかけに連鎖している様にも思えない。そもそもあの辺は全部独裁で同じ様に圧制されているの?その様な構造にする事でなんか市民革命的に宣伝していない?

いやそもそもそんなに非人道的国家だったら自称世界警察のアメリカは何で放置していたの?エジプトは親米国家じゃなかったっけ?ということは独裁をアメリカが認めていたという事だよね?

結局は自分達の利益でしか考えていないという事だよね。

北朝鮮でも抗議の声、電気よこせ、米よこせ!!これも本当に自発的なモノなの?工作員が煽っている様な気がするの僕の妄想?

最終目的は中国崩壊させる事なんじゃないのかと思ってしまうのである。それの為の前座の革命が起きているのではないかという感じがするのである。いや中国を崩壊に導きながらやけになった中国が日本に向けて戦火を起こす所まで考えているかもしれない。そしてアジアを平らげる算段ではないのか?日本のお金と中国のお金を巻き上げるという景気回復案が裏に隠れていそうだ。

差別的発言だと結局は白人の選民思想が有色人種の台頭を潰したいという思想が隠れている様な気がする。

でもコントロール出来ない事になり大変な事になるというのが愚かな人類の企み。

誰が仕込み、最終的にどのような世界の勢力の組み換えをしようとしているのか?それが問題である。陰謀なんかが無くても世界は動く事になりそうである。リビアに向けて治安維持で派兵する事になりそうだしね。

アルカイダが首長国樹立したとかいう話もあるみたいだし、911とかの事があるののに今だアルカイダは存在してデモ隊支持していたりするのも腑に落ちない。結局は未だにアメリカの騒乱を起こす為の部隊じゃないのという感じもする。敵対勢力が必要で今は国を敵にすると色々とビジネス的に問題がある、事を起こすのに都合のいいテロリストチーム何じゃないのかという感じがするのである。

あとギリシャのデモ騒ぎもこの背後にEUから離脱させる為の仕掛けがありそうな気がするは僕の妄想頭。
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2011年02月23日

人権とは一体何か?

人権問題等の意見を見ると何か神が与えた人類普遍の権利の様の思っている人が多い気がする。

そんな権利なんかありません。神もそんな権利を与えるほど愚かではありません。

人権とは国と国民の間で交わす契約です。(まぁ実際に契約書を交わす訳ではないですが)国内の揉め事を減らす為のモノでしかありません。

人権の範囲も国内の暗黙の了解、道徳心という曖昧なモノで定義される様な代物です。

まぁ言い張れば何処までも拡大解釈が出来るという代物です。声の大きな支持者がいれば強引に範囲拡大できるというある意味核兵器並にコントロールをミスれば致命的になりかねない代物なのです。

今世の中での問題はキチガイに刃物よりキチガイに権利の方なのです。権利を振り回す事でドンドンと世界を窮屈にしていくのです。

権利には責任というモノが付き物なのですが人はその事を忘れがちです。丁度気楽に借金をする人と同じ様に思えてしまいます。その後には利子返済というモノがあるのにそれを忘れて借金を増やしてしまう感じに似ているような気がします。

人権を振り回せば自分にもその人権の刃は返って来るのです。ブーメランです、民主党です。

人権が人権を蹂躙する世の中、声の大きな方が勝つ世の中は大変です。また人権を守る事が先進国だという思い上がり。そもそも権利とか言っている次点で自立していないとのよ。そんな事いわなくても調和がとれている状態こそが真の先進国なのよ。でも言葉を作ったからもう無理かもしれない。言葉で既定してしまうという人間の脳に囚われるからね。概念を迂闊に言葉にしては駄目なのよ既定の鎖に雁字搦め。

人を思いやる気持ちと人権の混同に現状の問題があると僕は思います。何時の間にか人を思いやる気持ちが自分の利益を守る気持ちになり暴走する、それこそが今の人権です。

まぁ人を思いやる気持ちというモノが元々自分が嫌われたくないという気持ちを悟られない為のモノなのでしょう。自分の利益を守る為の調和なのでしょう。

自分の利益を守る為の魔法の呪文「人権」それにより失ったモノは計り知れない。

あなたの人権、他の誰かを傷つけていませんか?
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2011年02月22日

マッハ弐

トニー・ジャーの傑作のアクションの続編みたいだが違うものです。続編と思って観るとビックリします。全然の別物です。

そしてオチも強烈です何故に此処までビターなオチを用意したのだろうかと思う人も多いと思います。もう少しシナリオが練られていればこのオチでも良いのかも知れないがシナリオの甘さの為にこのオチは凄すぎます。

ただ映像、格闘アクションの部分は相変わらず良い感じです。また原住民?奴隷商人?の凶暴な感じも素晴らしいです。存在感が半端ない、口臭も強烈そうだ。これを見るだけでも十分元が取れる位のモノである。

ただ格闘アクションのバリエーションを増やす為のアイデアなのかも知れないが剣、功夫とかの要素が入ったのは少し勿体無いと思う。敵が使う分はこれでも良いのだがやはり主人公にはムエタイの奥義をマスターしていく展開が欲しかったと思う。そしてそのムエタイの奥義に舞踏のステップとかが絡んでいく展開とかがあるとね。(源流はムエタイも舞踏も同じで一つは悪しき力の使い方、もう一つは良き力の使い方みたいな流れが明確に描かれていれば良かったと思う)

力の業による不幸の花というのをもっと丁寧に描いてあればこれは傑作になったのではないだろうか。

ジャングルの映像、集落の映像の重厚な説得力は凄いと思う。今の日本の時代劇には観られない映像の力がある。日本の映画監督、カメラマン、美術はもう少しがんばれと思ってしまうのだ。セットと思われてしまう映像を作っていてはその世界に入り込む事は出来ないのである。単なる小奇麗な映像ではその世界の説得力はないのだ。

それにしても象を使ったアクションは面白い。ワニとのバトルも凄いしね、泥水に落ちる雨の迫力には感動する。

傑作とは言わないが観ないと損をすると思う。

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2011年02月21日

クイック・アンド・アンデッド 未来世紀ニューウエスト

この映画は凄いです。何か特殊な電波が出ている様な気がします。観て10分も経つと猛烈な睡魔に襲われ寝てしまいます。一本見るのに8時間位費やしました。

1日目前半30分でもう2回ほど寝てしまい。今日は疲れているからなのか?と思いタップリと寝た次の日の残りを観ようとしたのですがやはり10分も経つと猛烈に睡魔が襲って来ます。怖い位です。まさにリアルホラーです。3D映像なんかではたどり着けない境地がこの映画にあります。実際に戦わないと駄目なのですからこれは大変です。

勝つ方法としては他の事をやりながら観るという方法しかないのではないかと思います。

暗い部屋でこの映画だけに集中するともう其処には強烈な睡魔が現れてしまいます。強靭な精神力が必要です。

ゾンビのメイクには面白みが多少はありますが登場人物にはピクリとも反応出来ません。ギターケースも何だかなーです。

ツマラナイとは違うベクトルを持った奇作です。


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2011年02月20日

回転寿司

久々に近場の回転寿司に行った。其処で頭に過ぎった妄想。

効率よく、低価格で食をとる事が出来るシステムなのだがふとこれはブロイラーの鶏や家畜等の餌システムと実は同じ構造にあるのではないか?

いやそれのおかげで飢える事無く、手軽に食を楽しむ事が出来るのだからこれはこれでいいモノなのだろう。

だが効率化を図っていくと食というモノの存在を危うくするのではないかという怖い妄想がモリモリと筋肉質に湧き上がってくるのである。

今に電極を頭に挿し味信号、食感信号、匂い等を送り込み、流動食を流し込まれて栄養を取るという何とも安いSFみたいな妄想が湧くのだ。

労働、流動食、睡眠というローテーションを繰り返し社会を動かすだけの一生を送るのだ、いや現に流動食ではないだけでこの様な流れになっているのではないだろうか。

これも社会の効率化を図る為に労働もシステム化され繰り返し同じ様な内容をひたすら繰り返すという状況だ。まぁ偶に不測の事態等が起きるかも知れないが同じ様な事の繰り返しの上で成り立っている。

効率化を図る社会では何となくテンションが上がらない体がダルイ、こんな良い天気の日に仕事をするの勿体無いという様な感情は押し殺されるのである。時間に追われ、お金に追われという生活をやり続ける事で社会を維持するのである。

だが本当に其処まで効率化を図る事は良い事なのだろうか?恩恵は受けているのは確かだけどもう少し非効率化を図っても良い社会を目指さないと疲弊してしまうのである。計算ではじき出された最善手を人に強要していくと人は思考しなくなるしストレスにより心が壊れたしまうのだ。

食という動物的本能部分を効率的に処理をするのは避けた方が良い。財布的に良い事でも精神的には良くない、腹を満たすだけでは満腹感は薄くなるのである。誰と何処で食べるかというのも大事なのだ。

作り手と食べ手の対話がやはり多少は必要だと思うのである。


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2011年02月19日

視点を変える

物事を色々な視点で考える、視点を変えれば別のアイデアも浮かぶという話。

だがこれってどうなの?色々な視点で物事を見た挙句の三竦みという事にならないだろうか?結局はどの意見も聞いてしまって何も成さないという事にならないだろうか。

確かに別の視点で物事を見ると新たなる考えが浮かぶと思う。だがそれがそれが正しいという根拠はない、何故その視点で今まで考えなかったのかを良く吟味する必要があるのだ。視点を変えてもその視点自体が間違っていたら元も子もないのである。

そもそも個人レベルで色々な視点を持つ必要があるのだろうか?ブレる事無く邁進する方が余程良いのではないかと思う。ブレると良くないのは今の民主党を見ていれば良くわかるではないか。

邁進した所で常人の行き着ける先などたかが知れているのである。小さくまとまるより多少間違っていたとしても先鋭的になった方が良いと僕は思う。中途半端の方が性質が悪いと思う。

世の中には色々な人がいる。それぞれの人間が色々な考えを持ち自分の視点で物事を語る。ぶつかる事が大事なのだ、ぶつかる事で新しい考えを産み出すのだ。相手の考えを思いやりヌルイ事を出すのではない、ぶつかる事で更なる鍛え上げられた答えを出すのだ。

妥協しては駄目なのよ。

自分が間違っていると思わない限り突き進むべきだと思う。中途半端な別視点などノイズでしかない。





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2011年02月18日

CD

ふと思う。

僕はCDを買うだが全部をガッツリと聴き込む訳ではない。別に良くないと思っている訳ではなくても2、3回しか聞いていないモノもある。気に入ったモノはガンガン聞く為である。またナガラ聴きだったりもする。

そう考えるとお気に入りの一枚だけを購入し後はライブに行く方が実は良いのではないかと思うのである。

僕のCD購入金額を考えると月5本程のライブとCD1枚というパターンになる。週一でライブを楽しめる事になるのだ。

CDを良い音で聞こうと思うとオーディオにもお金がかける事になる。それらの事を考えれば考える程近場にライブハウスとかがある人はCDなんか買わずにライブハウスに出かける方が良いのではないか?あとクラブとかに行く方が余程音楽を楽しめるのではないか、正しい音楽の楽しみ方ではないかと思うのである。

クラッシックとかは代金が高いからそうはいかないけどね。

確かにCDとかで予習している方がライブはより楽しめるかもしれないが、聴いていなくても新鮮な驚きという楽しみもあるから厳密にはどちらが良いともいえない。

生演奏で楽しむ、周りの雰囲気と一緒に楽しむこれこそが本当の音楽の楽しみ方の様な気がするのは僕の勘違いだろうか?ナガラ聴きではなくガッツリと楽しむ事になるのもいい事の様な気がするのだ。

CDが廃れるのならばライブハウス、クラブ等の音楽を楽しめる施設が充実がこれからの楽しみ方になるといいなと思う。

昔のように音楽を楽しみに行く、メディアに残すのではなく記憶に残すという昔ながらの楽しみ方に戻るのである。CDに残された同じ演奏を聴き続けるのではなく演奏の度に揺れる曲を聴くのである、毎回違う演奏を楽しむのである。
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2011年02月17日

民主主義を望む心

人は何故民主主義を望むのか?

それは権力側に自分が入る可能性が高くなるからでは無いだろうか。大多数の方に入るのは意外と簡単だからである。

これを使い色々なモノがリセット出来るからなのだ。

この様なお花畑の考えの問題はリセットさえすれば世の中良くなるという甘い部分である。多数側に入れば自分の生活が楽になると勘違いしているのである。その多数側で新たなる階層構造が作られる事になるのにね。

まぁそうなればその頂点を数の論理でまた潰す事になるけどね。

まさに下克上を効率よく起こす為の仕組みなのだ。基本的に権力側、上の支配層の方の数が多く成るという事はない。上を支える為の人間の方が多くなる逆ピラミッド構造では上の人間の欲望を満足させる事は出来ないのである。

だからこそ下になる人間は民主主義を声高に叫ぶのである。これがなければ自分は一生底辺に生きるのではないかという恐怖感があるからだ。

この武器を手放す訳にはいかないのである。

権力の固定化を防ぐという建前の旗を振りながら下から抜け出し上に潜り込もうとする。その様な下衆な考えが内包しているのである。

また民主主義、投票による運営は一見理性的、平和的に見えるのだが、武力による転覆を起こすほどの度胸が無いだけなのだ。みんなで渡れば怖くないの理屈である。



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2011年02月16日

マインドシューター

多少シナリオに?という部分もあるが雰囲気が良い感じな為にそんなに悪印象にならない微妙に惜しい作品。

近未来SFの日常を社会の底辺生活者の日常を淡々と描く感じが実に気持ち良い、この映画の一番の蛇足はダムを攻撃する部分かもしれない。確かに解り易い映画的カタルシスとしては必要なのかもしれないがこの映画の場合シナリオの拙さがあり何か唐突な感じが残るのである。

お詫びとしてやる行為としてトンでもなさ過ぎるのである。少なくともお詫びをする軍人の心の動き、ダムに関してこれは社会的に問題があるという部分をもう少し丁寧に描くべきだと思う。

また記憶を買う人はどういう人達なのかをもう少し描いて欲しかったとも思う。

その様な問題点があるのだが暑苦しい感じの日常が良い感じなのである。現在からの延長線上にある感じがいいのである。人の欲しているモノはあまり変わりなく、此処じゃない何処かに行けば何かが変わる。田舎から出てさえいけば未来は其処にあると思い描くという感覚の下に、SF的ギミックも日常に溶け込んでいる。そんなギミックがある世界なのに人は今と何ら変わらない、其処が実に気持ち良いのである。

生活の為に働き、上手くいかない自分の人生に悩む。

本来はギミックがある事で生活が変わった世界を描くというのがSFの醍醐味かもしれないがこの映画は変わらない世界を描く。結局は人は何時までたっても人という描き方が気持ち良いのである。


おまけ

この映画の日本版の予告編を観ると別の映画に観えるので予告編を観て社会に反乱をかます様な映画を期待して観ると裏切られます。

淡々とした映画です。






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2011年02月15日

ゾンビ2030

こりゃ酷いやと乾いた作り笑い顔になる事間違いなし。まさに「どいひー」な映画である。

だがこの映画を観た後この監督は語り合いたいと思うだろう。何故この様な展開の映画を撮ろうと思ったのか?あまりにも謎過ぎるのである。

色々な思いつきごった煮的に映画を作る。其処に一貫性があるように思えないのである。確かにB級映画にはこの様なモノは多いのだがこの奇妙な脱線感は意味不明過ぎるのだ。ある意味恐るべし才能である。

ゾンビ映画である必然性、SFテイストにする必然性、サイコハンターの必然性、またオチの嫌な終わり方の必然性全ての必然性が此等の組み合わせの為に全て崩壊していくのである。何一つ骨になるべき一貫したモノがないのである。

まぁ此れに一番近いものは子供が始めて漫画を描いた時の作品に近いと思う。着地点もテーマも何も決めずに思いつきでネタを放り込んでいく駄目な作品例の典型である。

だが子供の作品とは違うのは一応完成しているのである。多数のスタッフ、役者を使い完成させているのである。

誰も疑問に思わなかったのか?思ったにしてもそれをねじ伏せる事が出来る監督の力を考えるとやはり油断できないモノを感じるのである。

酷い映画なのだが眠たくなる事はない。知恵熱は出るかもしれないけどね。
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2011年02月14日

公共工事無駄神話

いつの頃からか公共工事=無駄という認識が拡がった。

しかし実際には公共工事=無駄ではない。予算消化の為の無駄があるだけだ。それの為に全ての公共工事を無駄としては駄目なのである。まぁ雇用を維持するという為と考えれば全くの無駄という訳ではない、だが同じ雇用維持の為の工事でももう少し色々と考えもっと役に立つインフラ投資に使うべきだと思う。同じ道路を掘って埋めてを繰り返す事はインフラの悪化(ツギハギが増える)、工事の為に交通量の悪化等を招くのはあまり賢いやり方とは思えない。

また計画に長い時間がかかり既に見直すべき状態になっているモノをやる事も確かに無駄だ。

公共工事で私腹を肥やす政治家とかがいる事も問題だ

だが上記のような問題点はあるが公共工事は悪ではないのだ。

雇用を増やす、インフラ等の発達を推進する公共工事もあるのだ、それを全て公共工事=無駄という図式に乗り単純に停止してしまう事は愚かな事なのである。

とはいっても財布の額に応じて行うべきだとは思うけどね。額さえ間違わなければ公共工事自体は良いモノなのだ。

また公共工事より効率が良く雇用を増進し生活環境を良くするモノがあるのであれば別に公共工事に拘る必要もない。

だが橋脚のメンテ(学校の免震とかも)に関しては安全の為にもきちんとやるべきだとは思う。こればかりは公共工事=無駄と考えて予算を減らしては駄目だと思う。落ちてからでは遅いのだから。

落ちた時に国民が国に対して文句を言うのは目に見えている。文句を言わない、賠償請求しない、道路が使えない期間の被害額も請求しないのならばいいけどね。



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2011年02月13日

退化なのか進化なのか

人は色々な事が出来なくなっていく。人類の総体としては出来る事は増えているのだが個人になると出来る事は減っている。

文明技術が上がるたびに人はそれまで出来ていた事が出来なくなる。色々なテクノロジーに依存していく事で人の能力は低下していく。

そのテクノロジーが使える間は問題が無いのだがそれが使え無い状態になった場合に色々なモノが失われるのである。

あまりにもブラックボックスを作り過ぎたのだと僕は思う。それにより失われたモノは計り知れない。

過去からの積み重ねが今の技術であるのだが今の技術がわかるからといって過去の技術を再現出来るという物ではないのが現実なのだ。積み重ねていく過程を学んでいない為に空洞化しているのである。

また人は自分の仕事を専門化しすぎたのだ。そのせいで生活能力が衰えているのだ。専門馬鹿になっているのである。技術的には劣っていたとしても一通りのサバイバル能力を本当は学ぶべきなのだろう。また過去の技術だったとしても人の手で色々と作れる様に構造等をもう少し学ぶべきだと思う。


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2011年02月12日

真性かまってちゃん

バンドの方は神聖です。

なんか2ちゃんねるが反応するのがうれしいのかホリエもんの発言がどうにもかまってちゃんの様に思えてしょうがない。

本人は演技だよとか取材が喜ぶようにチョイと極論を言っているだけなのよとでも言うのかもしれない。

だが其処までサービスする必要は無いと僕は思う。むしろ悪影響の方が大きいのではないかとすら思う。まぁ悪影響があるという事はその逆に熱烈な支持者も生まれるという面もあるのだろう。(僕が悪影響の方が大きいと思っているだけの可能性も高いしね)

支持者の方が多いメリットの方が大きいと考えての行為ならば僕の感している事、考えている事は真に頓珍漢な意見である。

ここは自分の考えで進めていくとする。

この悪影響が大きくても2ちゃんねらーを釣るような発言をする理由は一体何なのだろうか?

単に目立ちたがりという馬鹿な子供じみた発想に思えてしょうがないのである。一時的に時代の寵児的に扱われた自分という状態が忘れられなくてそれを維持しようと、人に忘れられ、あの人は今状態になる恐怖感にとり憑かれているのではないかと思えてしょうがないのである。

それともこれを餌にメルマガ等で金を稼ぐのに安上がりな宣伝になるという自虐的CM行為なの?

でもより大きく利益を上げようと思えばメルマガ等の利益の為に失うモノが大きすぎる様な気がする。

マスコミのオモチャにされている可能性もある。本人は利用しているつもりだがいつの間にか操られているのだ。人の考えなんて色々なモノに影響を受け流されるモノなのだ。本人は自分の信念、頭で考えて動いているつもりでも色々なモノに影響を受け変質していく。

僕は色々と変質しているからね。ある種の信念はあるとは思うがやはり変化しているのは確かだから。(成長ではなく変質)これって僕だけなのかもしれないけれど僕にはそう思えない。誰もが変質していく。

まぁその変質した結果、かまってちゃんという奇妙な思考状態になったのではないかとも思えるけど、なんとなく違う感じが僕の頭にはよぎってしまう。

その理由は他人と自分を比較し自分の方が優れている、みんなが自分より劣っているから理解されないという考えに陥っている様な発言をみると、僕は厨二病的に思えてしょうがないのだ。非常に子供じみた意見に思える、そう考えるとやはり俺に注目してという目立ちたがり屋の真性かまってちゃんであると僕は思ってしまうのだ。

また僕の考えでは本当の天才ならば理解されない部分を解り易い方法で伝える術を知っていると思う。反発され無いスマートなやり方を知っているのである。其処まで出来てこそ天才なのよ。

そして天才は飛び出ない。(飛び出ていてもそれに気がつかれる事はない)全てをコントロール術を知っているからね。





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2011年02月11日

祝日

民主党のやろうとしている休暇分散。中国の祝日を考慮しようとか馬鹿かといいたい。挙句に韓国の祝日にも考慮しろって。キチガイの行いである。

此処まで来ると何の為の祝日なのかわからない状態である。

これがグローバル化というモノなのか?

単純に仕事をしない、渋滞を緩和、観光客で儲けるという事だけの為に本来の目的を忘れおかしな改革を行う。これを暴挙という。

そもそも今、世界に負けているとか、日本人は駄目だ働く意欲とかが無くなっている的なキャンペーンをしておいて連休を増やそうという考えの矛盾をどう考えればいいのか?

このままでは駄目だというのならばむしろ休日を減らすべきではないのか?

また分散化をすると里帰りをしても休みが合わなくなるという問題もある、単身赴任とかの人にも色々と問題が起きる筈だ。イベントがらみも色々と不具合が起きると思う。祭りとかの日程で困る所も出るのではないだろうか。そう考えるこれは里帰りなんぞせずに個人単位で観光しろという考えが裏にあるような気がするのは気のせいだろうか?

様々なモノを細切れにするという行為に思えるのは気のせいだろうか?

なんか本来の意味を忘れその表面上の行為だけで組み変える。これが合理的考えなのかもしれないが世の中には不合理な事も必要だと僕は思う。様式、形式だけのモノかもしれないがそれに意味を持たせた事に知恵があると思う。

科学的に考えればお盆なんかもトンでもというべき事だろう。だがそれをやる事により過去からの流れを薄くとはいえども継続しているのである。それを忘れいくと色々なモノが断片化していき共通の流れを知らない者の集まりになり孤立化していくのである。

個で生きていけると思い込んでいるようだがそれは単なる思い上がりである。個人主義、自由主義の果てにあるモノを耐えれると思っているのである。いやむしろ楽になれると思っているのである。







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2011年02月10日

ホテル・チェルシー

なんなのこれ?となる事間違いなし。

原因は作りが実に荒っぽいのだ。もう少し丁寧に微妙な違和感を練り込んだ欲しいと思う。証言の端々に違和感がこの映画の肝の筈なのに、それが実に荒いのである。

その為にラストがニヤリという感じにはならない。まぁそんな事だろうとは思いましたが、ちょいと雑だよねという感じになる。まぁ一人の証言で進むという部分が一番の問題なのかも知れないけどね。嘘の部分をあぶりだし違和感を出すには非常に難しい設定だと思う。

またその証言の内容もいま一つスリリングではない、ダラっとしている為に最後のオチが無かったとしてもいま一つ感が残るのである。

完成度が低いために中途半端なスカし感が妙に鼻につく映画に仕上がっている。



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2011年02月09日

クリエイト

人間と機械の違いは新しいモノを産み出すか否か、創造力だという話がある。

だが本当に人は何か新しいモノを生み出しているのだろうか?

実は何も産み出してなんかいないのではないかという妄想がよぎる、全ては既に存在していたモノに気がついただけではないのかという気がするのである。それを認識できる形に増幅し固定しているだけではないのか。

人は模倣と組み合わせを新しいモノと錯覚している様な気がするのよ。

万が一創造しているとしてもそれは脳の処理のエラーではないのかという気がするのである。

映画、音楽とかが死んだとか言われていたりもする、それはこれまで色々なモノが産み出された結果、ネタが尽きたといわれている。これこそがクリエイトではないという事の様な気がするのだ。

有るモノを表現していけばいずれはネタが尽きるというものだろう。人間の認知範囲内に存在するモノで心を動かすモノを発掘していくのだネタは尽きる筈である。無から有を産み出す能力があればネタは尽きない。

ギャグ漫画家が短命なのも過去の面白いと思った事の蓄積を吐き出してしまうからだという話だ。ストーリー漫画に比べ蓄積を吐き出すペースが速いのだ、それだけギャグ漫画家は物凄い勢いで消耗する筈である。連載中に消耗する量と新たに蓄積される量を比較すれば大多数の作家は消耗の方が多い筈だ。

その事を考えてもやはり産み出しているのではないという気がするのだ。

創造していないから凄くないという事はない。大多数の人は其処にある事を気がつきもせず通り過ぎるからね。それを人にわかる形にパッケージ化出来るだけでも凄い事なのである。

一般に言われている創造とは科学とかと一緒で其処に存在した現象を形にする。数式とかの代わりに絵や音にしている事を言うのではないだろうか。
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