2011年05月31日

ヒックとドラゴン

傑作だと言われている映画。確かに出来は良い感じ。でも其処まで傑作か!?と僕は思った。子供向けとしては良いと思うが大人がこれを良いとべた褒めをしていたら微妙に怖い感じがするのだ。

戦っている敵の事、意外とわかっていないよ。よく理解すればイイ奴かもよ、わかりあえば其処に幸せがあるのさ。それは親子の間でも、国の中でも、国と国でもという入れ子構造で色々と誤解があるぜというような映画なのである。

だが敵の親玉の扱いがどうも嫌な余韻を残す。また分かり合い共生といっているが使う側と使われる側という感じが考え過ぎかもしれないがアメリカ人の無意識の上下感を感じるのである。

中東の問題、人々は基本的に良い人です。独裁者のせいでテロをやるのです。わかりあえれば労働者として使えるのですという感じを僕は感じてしまうのである。

敵は分かり合えるという話なのに敵の親玉とはわかりあわないのである。有無言わさず悪いという感じなのだ。どうも其処が引っかかるのである。まぁ映画をシンプルにする為と言われればそれまでなんだけどね。変に捻りすぎるとボケボケになる可能性も有るし、爽快感が無くなるという事かね。映画的カタルシス!?

背景のCGは実に気持ちが良い。光の感じが実に素晴らしいと思う。またキャラの表情も良い。技術的には本当に素晴らしいと思う。

後残念は3Dで観る事が出来なかった事か。まぁアバターと同じで空飛ぶ感をチョイスしている部分はどうなのよという気もするけどね。





posted by mouth_of_madness at 22:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月30日

特攻野郎Aチーム・The Movie

男臭く、カラッと明るく軽妙なテレビドラマシリーズがついに映画化になった。僕はこのテレビシリーズが好きだった。あのテーマソングを聴くだけでワクワクする位テレビシリーズを楽しんでいた。

そんな状態で映画化とかを観ると期待はずれとなる所だが実に良い感じの馬鹿っぷりで楽しめる映画になっていた。まぁもう少し軽さが欲しい所ではあるが80年代の能天気な軽さを今出すのは難しいのだろう。また当時観ていたのが吹き替え版の為に吹き替え役者の軽さの影響もあるのだと思うから。意外と忠実な感じなのかもしれない。まぁそれでもフェイスマンのマッチョぶりはチョイと違うと思う。あとオリジナルキャストのカメオ出演もう少しどうにかならなかったのだろうか?

まぁそんな些細な問題は大した事ではない。とにかく痛快なのだ。スポーツした後のトニックシャンプーの如き爽快感なのである。織田裕二もビックリな「きたーーーーーっ!!」な感じなのである。主要キャラで女性は一人いるのだがもうとりあえず男、男、男という感じで男だらけの大運動会という感じである。僕としては「エクスペンダブルズ」より男臭いと思う。(あっちも十分男臭いけどね)

非常に出鱈目な作戦、とても頭の良い考えられた作戦ではないのだがそんな事は力でねじ伏せる力技な感じが頭を空っぽにしてくれるのである。総合格闘技の寝技の段取り感の面白さもわかるのだが、プロレスの肉体のストレートなぶつかりあいの楽しさもまた良いのである。この映画にはそんな楽しさが溢れているのだ。

是非後1,2本は作って欲しいね。毎回脱獄から始まる伝統芸な始まりで良いから。

2は人質救出作戦みたいなもので、3はアメリカで進行する国家転覆のクーデターみたいなベタな奴で是非観たいものである。

アクション映画といえどもシナリオを捻ろう、複線張ってニヤリとか、他の映画と差別化を狙いすぎて素直にアクションの面白さが楽しめない状態に陥っているのが現在ではないだろうか?全部が馬鹿になれば良いというモノではないがもう少し世の中には痛快馬鹿映画が必要である。何か人生の為になるとかはいらない。顔がワクワク、ニコニコになるというシンプルな楽しさを追求する作品も必要なのである。楽しかったという感想だけでも良いのだ。
posted by mouth_of_madness at 21:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月29日

チャンバラ

ふとテレビを観ていて思った。時代劇はあるのだがチャンバラ劇が無いのである。子供の為のヒーローモノとしてのチャンバラが足りないのである。

仮面ライダーや戦隊ヒーローモノがその娯楽の隙間を埋めている、此れ等で足りているのかも知れないけどチャンバラの復活を望む。

そして考えてみるとアメリカも西部劇が足りないのではないだろうか?カウボーイのヒーローモノだ。これも問題があると思う。

歴史の流れとして子供のうちに刷り込んでおく必要のあるモノだと僕は思うのである。

まだ昔は江戸の記憶を持つ者がいたから受け入れる事もたやすく、時代の流れとして成立したが今となってはもう分断されたという事なのだろうか?核家族化が進み3世代という流れがないからチャンバラが成立しないという事なのだろうか?

それとも子供にとってチャンバラはもうカッコいいモノではないのか?多分そうではないと思うゲームでは成立しているからね。

無くなった理由は、多分人が人を斬るという部分が道徳的にどうなのというPTAの論理により潰されたのだろう。ライダーが倒す相手は怪人だから気にしないという微妙な判断でね。真似しやすさというのも問題になったのだろう。棒切れさえあればいいからね。後スポンサーのグッズ関係か?

色々と考えるとスポ根モノもないし、ケンちゃんやあばれはっちゃくみたいな子供が主人公の番組も姿を消している。

作り手が新しいモノを生み出そうとした結果淘汰されたのか?子供を取り巻く環境の変化が原因なのか?調査結果等があるのであればみてみたいものだ。

テレビ等の影響はまだまだ大きい。子供がおかしな方向に行かなくするのもテレビのやる事だと思う。子供を喜ばせる為におかしな方向に行っては駄目だし、スポンサーの商品を売るという目的に特化しても駄目だと思う。
posted by mouth_of_madness at 18:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月28日

頑迷

人は頑迷である。自分の考えこそが正しいと思い込み間違った方向に進む。最初の選択の時にはその決断力が必要なのは確かだと思う。しかし間違った道に進んでいるというのを薄々感じながらも選択を間違ったと自覚するのに苦痛を伴う為にその考えを認めようとはしない。

この頑迷は世の中ではチョイと賢いと分類される人に多いと思う。賢くないと思っている人は人の意見でグヮングヮンと変わる。細かく分析すればその変更方向にある種の頑迷さがあるのだろう。だが基本的に旗を振る能力がある訳ではないので頑迷だったとしてもあまり問題は起きないのである。

このチョイと賢いと思っている人が何故頑迷になるのか?それは世の中を読めているという思い込みがあるのだ。そしてそれまでの人生をソコソコには思い通りにコントロール出来ているという自負があるのだ。(コントロール出来ているからといって金持ちになっていたり、権力を持つという所まではいっていない者も多い)

また極狭い範囲での高度な知識を持ち専門家と呼ばれていたりする場合もある。その理解力を駆使すれば他の事に関しても理解できると思い違いをしているのだ。自分がある一部の所しかわかっていない事に気がつかないのである。

論理的に物事を語る事はチョイと賢い人は得意だ。しかし論理的に話されたからといってそれが正しいか否かはわからないのである。だが論理的に物事を語ると人を説得できたりする。其処で自分は正しいと勘違いしていくのだと僕は思う。それが積み重なり頑迷になっていく。普通の人も自分の成功経験の積み重ねで頑迷になっていくのだけどね。賢い人の方が頑迷になっていくのは知識の習得が早い為に早く自分の論理体系が完成してしまうのだろう。完成した論理体系はそれに反した論理体系を受け入れる事が出来ない。

経済問題、政治問題、原発問題対立する意見の討論等がテレビ等で観る事が出来るが何時までも経っても交わる事はない。対立するものから問題点を指摘されても其処が改善された新しい論理にはなっていかない。実際にやって失敗してからではないと学びはしないのである。いや失敗した場合でも論理的には間違いはなかった、やり方にヌルさがあったのだとか言い訳をしたりもする。途中の失敗で止めたからだ、最後までやり切っていれば成功していた筈だとね。

なんかこれって資金が無限にあれば博打で負けたら倍の金を賭けていけば最終的には負けないといっているのと同じ様に思える。昔読んだ競馬必勝法でも同じ様な事が書いてあった。

それにAという考えが失敗したからといってBが正しいという訳ではない。しかしBの意見の人は失敗したAを見て俺達の意見は正しかったと勘違いしてしまいまた頑迷が強固になっていく悪循環。

かといって柔軟な考えが良いのか?といわれるとこれもまた微妙である。一歩間違うと優柔不断になり何も選択出来なくなる可能性も高いのだ。良い匙加減というのがいかに難しいかと思い知らされるのである。
posted by mouth_of_madness at 18:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月27日

新興宗教

AKB48の選挙投票CDの為に5500枚とかを買う人の報道をみるともうこれは宗教で壷を買うのと同じ様に思える。それかデート商法という奴に思えるのだ(デートは無いけど)

どちらの場合もかなり問題がある言われている。

しかしそれがアイドルCDの場合は何かスルーされている。良いのか?

まぁ基本的にファン商売というの額の違いはあるにしても幸せになる壷とあまり違いは無いのだけどね。(最近の初回限定とかの商売とかね)しかし5500枚とかいうとやはり何かヤバイ感じがプンプンと匂うのである。

今回の場合は中古盤が垂れ流しになるのだろう。投票券を抜いている訳だから開封されて中古盤になるわけだよね?(未使用とは思うけど)またはゴミで投棄される?

いやそれならばもうCDなんか売らずに投票券を一口千円とかで売れば良いのではないのか?ネットで売ればただの数値のカウントをアップするだけでOK、ゴミも出ず、部屋を圧迫する事も無く良いのではないかと思う。そうなるとCDプレスする工場が仕事減るから問題になる?

しかしこの肥大化した商売のやり方、余りにも狂気である。もう広く売ろうという考えは無いのだろう。金を出す事をいとわない人間にピンポイントで売ろう、同じ物を沢山売りつけようという厭らしい商売の仕方なのだ。まぁそれならばCD一枚5万円とかで売れば良いと思うのだが、それだとチャートとかの数値が上がらなくなりヒット感が薄れるから、盛り上がってますという感じが出なくなる為にそんな事はしない。ご新規さんも入ってこないしね。

この一枚5万円という商売のやり方の失敗はオーディオがそうだと思う。電気ケーブル一本50万円とかCDプレイヤー200万円とかいう訳のわからない金額になる。マニアの麻痺した感覚につけ込む商売になりオーディオファンは減っていったのだ。オーディオもこれを買えばいい音で聴く事が出来幸せになれますよと高額商品を買わされる事になる宗教と何ら変わらない。僕も色々と騙されていると思う。

そう考えるとファン心理を巧く利用した商売方法である。後はそれに何時ファンが気がつくかという時間の見積もりをしているのだろうか?其処が知りたい。

宗教とは自己満足を金銭に変換する錬金術なのだろう。まぁ今の経済というモノ自体がいかに必要ではないモノを必要と思わせ、短時間の満足与える事で新たなる渇望を生み出し回転させるシステムなのだ。

そう考えるとAKBだけが特殊な訳では無いという事だ。

posted by mouth_of_madness at 21:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月26日

間引き

国が決めた20ミリシーベルト、0.5%以上の人が癌になるという基準みたいである。多分多い方だと5%とかの癌発生になるのだろう。

この0.5%を問題無いという人々は30%の人は癌で死ぬ、0.5%増えた所で大した問題では無いという。(多分5%死んでも多いとは思うけど仕方の無い事と言いかねないだろう)車の事故で人は死ぬけど車廃止とか言わないではないかという。車でも包丁でも人は死ぬのだから放射能だけを言うのはおかしい力説する。

またこの0.5%の為に大量の人を避難させる事による損失額を考えれば仕方の無い事と安易に言う輩もいる。

しかしどうもこれらの理屈は僕にはしっくりこない。確かに数値の論理的にはそうかもしれないが、これを拡大解釈していくと人はみんな死ぬから0.5%位の人を殺しても大丈夫。ストレスの無い社会を維持する為にはそれくらいの殺人には目をつぶっても良いと言っている感じがするのだ。

避難するとお金がかかるから(税金等で払うにはとても高額になるから)という理由で0.5%の人に毎年死んでください、サイコロ振ってそれだけの人数を間引きしていこうとしているのである(子供を優先的に)。それもそんな危険性が無いように思わせながらね。そんなサイコロなんか振られている事なんかわからないようにしようとしているのだ。

それに今回の放射能被害に関しては本来はそんな被害に遭わなくても良かった人間の0.5%なのだ。避難対策をすれば遭わなくても大丈夫の筈の人間なのだ。

また0.5%というと小さい数値に思えるかもしれない。だが影響が出やすいのは子供や妊婦だったりするのだ。確かに人数では1人死亡かもしれない。だが大きくなれば子孫を残すのである。実際には1人以上の被害が出るのである。それは0.5%以上の被害を出す事になるのだ。また年金制度を支えるのも彼等だったりするのだ。少子化で困っていると問題視していたのではないか?其処に大打撃を与えるのだ。

影響の出にくい老人が生き残りそれを支える子供が死ぬ。

そうすると税金、年金問題は破綻する。破綻する事で色々と死ぬ者が出るだろう。また跡継ぎがいない状態が続く事で産業の衰退も始まるのだ。

結局は目の前の金に目がくらみもっと途方も無いお金を失う事になると思うのだ。
posted by mouth_of_madness at 21:29| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月25日

明けない夜は無い、止まない雨は無い

よく大変な事になった時に言われる明けない夜は無い、止まない雨はないといった言葉。確かにそうかもしれないけれど、全ての物事には終りが来るのである。

終わりが来たら夜は明けない、雨は止まないのだ。いやそれらは起きるのかもしれないけれどそれらを見る事は無いのである。

不幸な出来事の終わりが来るのか、自分の終わりが来るのかはわからないのである。今の原発の状況もそうだ、収束するのが先か、致命的破滅が先かはわからないのである。

まぁそういうと絶望的と思うかも知れないが、変に期待しすぎるよりは僕は良いと思う。楽観的な考えは油断を生み状況を悪くさせるのである。何とかなると考えるより、何とかする(しかない)という考えの方が大事なのである。

また明けない夜はない、止まない雨はないという考えは時間が解決するさ的に思える部分もどうにも良くない。確かに人が解決できる事はそう無いのかもしれない、時間が解決するしかない事も多いだろう。だからといってそれに任せるというのはイカンのです。此れ等の言葉にそんな匂いを感じるのです。人の足掻きの感じがしないのよ。

人は辛さにジタバタするべきなのだ。

そしてジタバタしても終わりは突然訪れる。
posted by mouth_of_madness at 22:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月24日

ペプシ・DRY

今年も出ました企画モノペプシ。出る前の情報で甘くないとあったので期待していたのだがそれは完全に裏切られる事になった。

何だこりゃ?というピントのボケ具合の商品!!

これって甘み成分を抜いただけでその代わりになる軸が無いのである。炭酸水の出来損ないにしか思えないのである。

ウィルキンソンのジンジャーエール位にガツンと来る刺激と味わいがあるモノを期待していたのに非常に残念である。僕にとって今年一番のガッカリ商品かもしれないとすら思う位の低クオリティなのである。

これならば今までの変な味のペプシの方が余程良い。少なくとも強烈な味わいがあった。不味くても迸る味の主張があったのだ。主張しないという主張だというトンチみたいな答えはいらないのである。
posted by mouth_of_madness at 22:59| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月23日

本当に偶然なのか?

世界で地震が相次いだのは偶然、米博士の分析という記事。

確かにある地震が他の地震を誘発したというのはこの博士のいう通りなのかもしれない。しかしそれだけで偶然だと言える様なモノなのだろうか?

地震の予知も出来ない程度の科学しか持ち合わせていない状況で地震の事、地球の事がわかっているとは思えないのだ。わかっている部分もあるとは思うけどこれが偶然と言えるほどの知識があるとは僕には思えない。

確かに偶然の可能性は大きいのかも知れないけどね。

全く予想もしない原因が地震を誘発する様な状態になっている様な事は無いのだろうか?宇宙からの影響とかないの?あと地球の内部で何らかの変化が起きているとか。温暖化等での気象状況の変化の影響とか?それらは単体では優位な原因とはなりえないとしても複合すると原因になりえるとか。

それとも陰謀論的に地震兵器で地震を起こしているから、陰謀論を知らない者からみれば関連性は無いといえるのか?(妄想も程々にね)

宗教的には神の怒りか?裁きの日は近いという奴か。台湾とかアメリカでそんな事を言ってハズレていたりするけど。

僕は思う偶然に地震は起きない。連発するにも何らかの原因があると僕は思う。ただ人類が地震のメカニズムがわかっていないだけなのである。わかっていないから偶然だと思うしかないのだ。地球の事がわかりメカニズムがわかれば正確な予想が出来ると思う。関係性もあるのがわかると思う。それを手に入れるまでにはどれ位の時間がいるのかは予想も出来ないけどね。データ化するのも大変な作業の筈だ。少なくともボーリングして地下の情報を調べている様ではデータ化は出来ないだろう。
posted by mouth_of_madness at 23:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月22日

エアベンダー

M・ナイト・シャマランの映画でもっともわかり易くベタな映画かもしれない。まぁ裏に秘めた僕には計り知れない監督の思惑があるのかも知れない。

そして映画は知りきれトンボ。まぁ第一部完みたいには終わっているけど。

これから残り二つの力を手に入れて火の国と勝負みたいな展開なのか?そして火の国の行動には裏があったみたいなモノなのか?まぁどうでもいいけど。

この映画に僕がはまれなかった理由は変なカンフーモノになっている、イメージの貧困感だと思う。基本操れるといっても格闘ゲームの波動拳みたいなモノにしかみえないのだ。香港の武侠映画のイメージの範疇を超えるモノがないのだ。

いや必ず超えなければならないというモノではないけど、ストーリーも映像もこれといってフックが無いというと何処を好きになれというのかと思ってしまうのである。損したと思うとこまではいかないけどやはりモノ足りなさを感じるのである。この感じはサイゼリアでご飯を食べた時の感じに似ている。

不味いと思うわけでも無いけど美味かったと満足する訳でもない。空腹を満たすのには問題はないけどねという感じだ。

これまでのシャマラン監督の出鱈目な作りの映画も問題があるのだが少なくとも何じゃこりゃという驚きがあった、しかし今回の映画には何の驚きも無いのである(ある意味今回も何でシャマランがこんな普通の映画をという驚きはあるけど)。

驚きと毒のないモノをシャマランが監督する事に意味があるのだろうか?

まぁ実際にはどうでもいい事なんだけどね。
posted by mouth_of_madness at 18:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月21日

やさしい純水 RO水

今日スーパーに行ったら純水という商品が売られていた。ラベルを見ると室戸海洋深層水をRO膜で濾過したと書いてある、成分表も色々なモノが0と表記されている。

その時ふと思った。

色々な成分を濾過して0にしているのだ。

これって室戸海洋深層水を使う必要があるのか?あるとするとこの成分表に表記されていない海洋深層水の成分があるという事になるのだ。それならば何故それを表記しないのだろうか?

それとも原材料となる水の汲み取り場所が悪いと濾過の手間がかかるからこんなに安く売る事が出来ない、環境の良い所の水を使用しているから安いのですよ、安心してくださいという事なのか?

消毒して、濾過して色々な成分を取り除いていけば下水でも何でも同じではないだろうか。まぁ手間はかかるけど(まぁ実際には人体に有害な物質を完全に取り除く技術があるのかは知らない、出来るとは思っているけど)それにこれだとイメージが悪すぎる?

非常に謎である。

ミネラルウォーターではなく清涼飲料水という名称になっている面をみても加工(濾過)されまくりの水という事だ。そう考えれば考える程、室戸海洋深層水を使う意味がわからない、是非理由を知りたいモノである。
posted by mouth_of_madness at 21:36| Comment(2) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月20日

これこそが狂気

カンヌ映画祭でラース・フォン・トリアー監督がヒトラーに「少し共感を覚える」の発言に対し断罪、発言を謝るも映画祭から追放という流れ。

これこそがこのヒトラー嫌いのアレルギーが引き起こした、そのアレルギーの素と同じ行為ではないだろうか。

言論封殺をするこの行為こそ暴走する狂気である。

大体ヒトラーは其処まで全否定される程の悪人なのだろうか?其処まで悪人の伍長がドイツ人により選ばれるのだろうか?当時ドイツ人は熱狂したのだ。それなりに指示されるだけの正義はあった筈なのだ。ドイツ人の大半を騙した?

色々と問題はあったのだろうけどそれらは全てヒトラーとナチスのせいなのか?人は度々狂気に暴走するのである。過去を否定しある事象だけに全ての問題を押し付ける行為、それこそが今の世の中にある狂気である。誰かのせいにする、何かの事件のせいにする事で心の平安を手に入れようとする狂気。自分は知らなかった、関係ないと距離をおいても意味はない。

狂気に暴走するヒトラーを止められなかった者達にも責任問題があるし、また本当に問題があるとしたらヒトラーが其処まで狂気に走った理由をわからないままにしてはいけない筈だ。

最近だとホリエモンか。個人が金融とかお金を増やす行為に邁進していて、それらを崇める風潮に乗っていたし、煽っていた、時代の寵児としてホリエモンを御輿に乗せていたのだ。それで暴走した、勘違いした面もあるのではないのか?そうさせた事を忘れてホリエモンだけを悪人にしてしまう所に同じ匂いを感じるのだ。

全てを封印してもそれは湧き出てくる。封印の下に隠されたモノは宝モノに見えるかもしれないね。隠す事で価値が上がってしまうのである。

この言論封殺がエスカレートしていくとナチスは良いと考えるだけで全て収容所送りになるような社会になるのではないかという恐怖が此処にあるのだ。毒ガスが無いだけでこうなったらやっている事は何もかわらない。

まぁそうやって考えると法律、憲法というモノは色々と便利機能なモノでもあるが、ある種の道徳、思想により縛り付ける独裁機能である。此れ等に反する思想で行動するモノは断罪されるのである。誰か特定の個人が指示、統制している訳ではないのだが人々を縛り付ける何らか力を生じているし、それを破る者に対して怒りをもち、断罪する。自分を縛りつけているモノに対して喜びそれを守ろうとする、其処に人間の狂気がある。結局は檻の中にいる限り安全だと思っているのだ、だからこそ檻を壊される訳には行かないのである。

自分の考えに反する者は悪なのか?嫌いかもしれないが、憎いかもしれないが悪とは言えない筈だ。
posted by mouth_of_madness at 02:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月19日

無限の可能性

人には無限の可能性が有るかいう夢みたいな事をいう人がいる。そんな事を言うのはもう止めないか。無限の可能性なんかない。生まれ落ちた時から無限ではなく、みるみるその可能性は刈り取られて行くのが人生というモノである。

生れ落ちた時にDNAの呪縛に縛られ、親や生活環境にも可能性は刈り取られる、また成長するにしたがってドンドン脳の機能、体の機能は完成されていくし、精神、人格部分も固まっていくのである。こんな風に仕様が固まった人間に可能性などかなり狭い範囲に絞り込まれていくのである。

努力すればその可能性は拡がるとかいうだろう。しかし努力出来る人格が自分に備わってなければ努力は出来ないのである。努力出来る人は親とか生まれ育った環境に感謝しなさい。

多少の幅はあるにしても無限の可能性なんか無いのである。やりたい事と出来る事は違うのだ。無限の可能性とか甘い事を言って人生を誤らせては駄目だ。自分の仕様と戦力に合わせて未来戦略、人生設計を考えるべきである。それこそが人生なのだ。
posted by mouth_of_madness at 22:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月18日

うっかり発言

平田オリザ参与の低濃度汚染水の放出はアメリカからの要請だった発言は別の件と勘違いという話だが何の話と勘違いしたのだろうか?

これが本当だとすると勘違いするような案件があるという事だ。それはそれで何か問題がありそうな気がする。またこの訂正自体が発言を隠蔽するモノだとしたらこれまた問題である。

放出前の打診、内諾を勘違いしたという話という方向で何となく解決しそうだが。これが正しいとすると枝野の会見での「事前に通告していない」と矛盾するらしい。まぁ官房長官に全ての情報が入っていないというという事か?今の政府のグダグダ感ならばそれもありえるか。

それにしてもいい大人がこんなウッカリ発言をするというのもそこはかとない恐ろしさを感じる。いや多分これが人間なのだろう、筒井康隆の「アホの壁」にあった人のアホな部分なのだろう。きっと今の政権に嫌気がさしていたのだろう、無意識のうちに辞めたいなーとか思っていたのだろう。

またアホの状態ではないにしてもこの様なウッカリミスをするのが人間なのだ。だからこそ完璧でないと破滅的失敗するモノはやってはいけないのである。ミスが2重3重に連鎖するという不幸のつかみ取り状態になった日には収拾がつかなくなるのである。今何となくその状態を日本人は目の当たりにしているのである。

最初のミスは「試しに民主にやらせてみよう、駄目なら換えれば良い」という気楽な判断なのだろう。こんなウッカリミスをやるのが人間なのである。
posted by mouth_of_madness at 22:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月17日

天国も死後の世界も無い

こんな事をホーキング博士が言ったそうな。

なんか最近ホーキング博士こんな事ばかり言ってない?神は必要ないとか。

僕の勝手な妄想だがホーキング博士、逆にオカルトな思考にとりつかれているのではないのか?と思ってしまうのである。イチイチ気にしすぎというのがどうにも気持ちが悪い。

オカルト、超自然的モノの存在が証明されたら今までの自分のやってきた事を全否定されるような恐怖感があるのではないかと妄想してしまうのだ。俺が言うんだから無いと思わせないと研究する者が出てきて、結果未来に自分が否定されるのではないかと恐怖しているのだ。

それとも単に反科学的モノが横行、惑わされている人々の世の中に嫌気がさしているだけ?そんな人々を啓蒙したいだけなの?

でもきっと信じている人には何の効果もないと僕は思う。信じているには理屈は無いからだ。

僕の妄想はきっと間違っているだろう。きっと深淵な思慮のもとの発言だろうからこんな安易な考えではないのだろう。

死後の世界があるか否かより何でこんな事をいい出したの其処を説明してもらいたいものである。

それと僕はオカルト、超自然的存在はあると思っている方が良いと思っている。盲信するのはどうかと思うが、人として万能感の思い上がりにならない為にも必要だと思う。永遠にわからない難問として存在していれば良いと思うのだ。
posted by mouth_of_madness at 22:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月16日

エンジェルウォーズ

非常にいえてない映画でした。(いけてない訳ではない)

映画の構造が基本的にドラマ、PV、ドラマというような作りの為に基本的にストーリー的にメリハリがない。また同じ様な映像が続き後半には飽きてしまうし退屈してしまうのである。話よりも映像だという意気込みを感じるのだがそれが最後まで持続できないというのはこの映画の最大の欠点だと思う。息切れしているのだ。まだ続くのという時間を気にする状態になったのだ。(時計持ってないけどね)また観た事の無い映像体験でもない。なんかどこかで見た感じの目白押し。監督の熱意は感じるのだがウホッという驚きはない。

ビョークの音楽を一部使っているのもあって「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を思い出してしまった。

非常に言えてないという感じがするのはなんか説教臭い感じがするのにそれがピンと来ないのである。でっ?という感じになるのである。実際上映終わった時の客の戸惑い感はチョイと面白かった。後ろの女子高生は「訳わからんのだけど?」といってゲラゲラと笑っていた。

僕の勝手な解釈だと日常に閉塞感を持ち不満を嘆く、この世は地獄だと不満を漏らす、しかし其処から出る事は可能なのだ、色々な事象にその脱出する為のアドバイスはあるのだ。それは嫌な言葉かも知れないけど、つらい言葉かもしれないけれど脱出するチャンスを与えているのである。後は自分がその一歩を踏み出せるのかだけなのだ。そしてその日常の地獄から抜け出しても戦いは続くのだ。みたいな感じか。

大まかにいうと引きこもりは外に出ようぜみたいな感じか。

ツマラナイという事は無いが面白いという事もない。映像にはまれなければ微妙に不満が残るかもしれない。
posted by mouth_of_madness at 23:19| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月15日

ショッカーは何故仮面ライダーを作ったのか?

ショッカーは世界征服を企む悪の秘密結社である。その秘密結社がミスという手違いというか迂闊な組織は仮面ライダーを作り出してしまう。ショッカーの怪人が束になってもかなわない様な強力な敵になる者を生み出してしまうのである。

其処でふと考えた。ショッカーは何故仮面ライダーを生み出したのか?本当の意味での世界征服をする為にあえて敵となる仮面ライダーを生み出したのではないのかと。

ショッカーは力では世界を抑える事が出来ないという事がわかっている。しかし世界を征服する為には人々を一つに纏め上げる必要があるのだ。それで自ら悪の組織を名乗り世界の敵になる事で世界をまとめようとしたのではないだろうか?

いやそれなら世界の軍隊に怪人を倒させれば良いのではないか?という考えも出てくるだろう。しかしそれではまとまらないのである。それでは単なる非合法組織にすぎない、自国で問題が処理できる程度であればまとまらないのである。

かといって怪人が暴れっぱなしというのも都合が悪い。それでは人に絶望しか残らないからだ。反撃する狼煙が必要である。まとめる為のシンボルが必要である。

其処で仮面ライダーが必要だったのである。

だからこそ世界征服を企みつつも全面展開をせず仮面ライダーで処理できる様な事件しか起こさなかったのである。そして仮面ライダーの人数が増えていくにしたがって広範囲に展開していったのである。

他の怪人と比べてもデザインラインが違うのも人類のシンボルにする為に変えたのだろう。生物をモチーフにしているのに他の怪人とは違い非常にメカニカルない印象受けるデザインなのだ。他の怪人が生理的に恐怖感を与えるでデザインをしているのその様にデザインされていないのはやはりシンボルにする為の作為があったのではないかと思われる。

またはじめからそういうややこしい事をせずに平和をスローガンに掲げて世界をまとめ様とすればいいのにと思うかもしれない。

だが平和というモノだけでは人はまとまらない。対する恐怖、戦争というモノがあって始めて平和という事を考えるのである。国同士をまとめるには地球規模の悪意が必要なのだ。世界が今まとまるには宇宙人が攻めて来る位の事が無いと結局は無理だと思う。

現状では国同士の思想、考えの違いの溝を埋める必要が無いからである。そんな国同士の溝にかまってられない位の溝が現れない限りは人には無理なのだ。

だからこそショッカーは世界征服を企む悪の組織として君臨したのである。そして倒せる試練の壁になったのだ。


だが問題があった仮面ライダーが強すぎた為にあまり世界に対して恐怖を与える事ができなかったのだ。恐怖を与えやすい子供等を襲ってみたりもしたがそのせいで余計に矮小な組織に見られる様になったのである。
posted by mouth_of_madness at 00:54| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月14日

移民政策=借金

日本でも進めようという話がある移民政策。しかしこれはサラ金からお金を借りるのと同じである。いずれ高い利息を払わされる事になるだろう。

大体サラ金から借りて一時的に問題を先延ばしにしても意味が無いのである。

問題を見据えそれを解決する事をしなければ駄目なのだ。それせずに一時しのぎを行えば大変な事になる事は目に見えている。

少子化及び俗にいう3k職への労働意欲の低下という問題、日本人の能力不足。此れ等の問題が成長のスパイラルを阻害しているのである。此れ等の問題を解決しなければ確実に駄目になる。個人主義教育と過剰な自由教育をやめる事になると僕は考えるがその方が移民政策により先延ばしにするより余程良い。

日本を構成する人材を育成するのが先決なのだ。移民により一時的に経済を回しても根本原因の解消は出来ない。

また移民をドンドンといれていくといずれ経営権を乗っ取られる。会社経営で会社が傾いた時に再建の為に銀行からの人材を受け入れたりすると一時的に経営は良くなったりするがその会社が持っていた良さが失われる事があるのと同じ。潰れなくても魅力の無い会社になってしまう、名前こそ同じだが別会社になる事にどれ程の意味があるのか。

日本という国名が残ったとしても全然違う文化の国になってしまっては駄目なのだ。ただでさえ戦後に色々なモノを失ったのだ。江戸時代末期等に海外から来た人が観た日本人の美意識を失っているのだ。完全には失っていないがその残りは少ない。

時代の変化の必然だというかも知れないが調和をすて本能の獣性に身を任せた自由社会を作り出すという事が僕にはどうしても正しいとは思えない。単なる我侭と自分のコントロールを欠いた状態を自由の発露と考えるのは間違いである。社会の歯車になる事を嫌うがその為に孤立して社会から脱落していくのである。其処にあるのは永遠の空虚である。

自力で立て直す事が出来なければ日本は終わる。他人の力を借りるて解決しようとすればいずれ責任も他人のせいにしだすに決まっている。今の問題は自分達が選択した結果である。解決できるのも、する責任があるのも自分達なのだ、武士が腹を切った様に自分達で問題を解決しなければ駄目なのだ。
posted by mouth_of_madness at 19:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月13日

浪費のススメ

瞬間的楽しみかも知れないが、欲しいと思ったモノは買った方が良い。まぁ借金しても買うというのはどうよと言う気もするが、強烈に欲しいと思ったのであれば買うべきである。

その物欲を満たし、また欠乏する事により何かが見える筈だ。

なんでこんな物を買ったのだろうと後悔するのもまた良しである。

世の中には物欲が止まらない人もいるではないかというだろう。欲しいモノを片っ端から買っていったら借金まみれになって大変な事になるではないかというだろう。

確かにそうだが、買うのであればそれなりに代償を払えばいいのである。猛烈に働くのである。頭を使うのである、そしてよりお金を稼げばいいのである。実に単純である。自分と時間を売れば良いのだ。

気合と根性と才能があれば自分の好きなアイドルも買う事が出来る筈だ。

だがやってはいけない事がある。

Aという商品が欲しいのだが金が無いからBという劣化商品を買う事だ。それでは結局満足感を得る事が出来ずに更にCというBよりはチョイと良い商品と買うと中途半端な事を繰り返し結局Aを買う以上に無駄を出してしまう事になる。経済的には良い事かもしれないけどね。

欲しいモノを買うという行為はいい事である。あても無く貯金、遠い先の事を考えての貯金に比べたら全然良い。そんな中途半端な事で欲しいモノがあるのに働き場所が無いという者の仕事を奪っては駄目だ。

働きたいけど買う物が無ければそのお金をお金が必要な人に与えればいいのだ。

こんな物買う事は無駄遣いじゃないか?自分に使いこなす事が出来るのか?何に使うの?とか自分の内にある自分を客観視するくだらないモノに負けてはいけない。その客観視だと思い込んでいるものは単なる自分の中にある恐れだ。失敗したらどうしようという単なる恐れでしかない。買いたい物に自分の欲しい機能があるか否かを吟味するだけで十分なのだ。それで満足できなかった場合は仕方の無い事と諦めるのだ。

欲しいモノを買うこれは日々の生活でお金を使う行為とは違う、自分の内なるモノの発露なのである。

買ったモノを使いこなす、満足する為にあるのではない。買う事を目標にする事により夢をみる事に意味があるのだ。安易かも知れないが生きる目標足りえるのだ。形の無い夢より余程具体的である。

それじゃお金を貯めるだけでもいいんじゃないという意見もあるだろう。あるモノを買う為に1000万貯めるのと1000万貯める為に貯金するという事は一見同じ様に思えるがゴールが違う。買う為に貯めた方には最後にどうなるかわからない部分があるのだ。商品が1000万に見合うかどうかという恐ろしさがあるのだ。

大当たりが出ればプライスレスなのだが失敗すれば・・・。

でも其処が良いそれこそが夢の欠片。
posted by mouth_of_madness at 22:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月12日

不当な差別

人権侵害救済法案が次期臨時国会に提出されるらしい。

でもこれで思う事がある。不当な差別を防止する為という話だが、不当じゃない差別(正当な差別?)というのがあるのだろうか?

あるとしたら不当な差別と不当ではない差別の境界は何処にあるのだろうか?非常に謎である。

差別されたか否かは差別された人の気持ちでしかない、差別心を持って何らかの行動、発言をしたところでその対象の人が差別と感じなければ差別は存在しない。その逆もありうる。差別心は無くとも対象の人が差別だ感じればそれは差別になるという非常にあやふやなモノなのである。

はっ!!

わかった正当な差別とは差別心をもって差別し、対象も差別されたと感じるというモノに違いない。

という事は差別されている事に気がつかない人に「あなた差別されていますよ」と悪魔の囁きをし、差別されたいないのだけど「あなたが差別だと思うのならばそうなのでしょう」と応援をする者を罰するという事なのだ。実にいい法案である。

なんて事はない。

人に差別をするなというのは非常に難しい。知らずうちに差別している事なんて沢山ある(実際は区別が大半だけど)


Aさん:仕事は非常に出来るが、人格的に多少難アリ
Bさん:仕事は普通だが、人付き合い良好

こんな状況でBさんを仕事のメンバーに選んだ場合にAさんはどう思うだろうか?十分に差別だとゴネる事は可能ではないか?メンバーへの判断基準に実際には使用していないがAさんの出身地が俗に差別的に使われる場所だったりしたら、Aさんはそれが原因だと思うだろう。そういう疑念が湧いた時点で説明を正しくきいてはくれない筈だ。そんな出身の事が無いにしても人格的に多少難ありと判断した事がばれた時点で不当な人格非難だといわれるのは目に見えている。仕事の能力以外で不当に判断したいうだろう。

そんな風に問題が起きるのは面倒だと言う事でBさんを選ぶというのも差別ではないのか?物分りがいいし、仕事能力はチョイと落ちるから問題ないと判断する事に正当性があるのか?


常に何らかの理由で人は人を選別している。その選別理由には個人的感情により分けられているというのが現実だ。其処に法が介入しようとしているのだ。ヤバイ匂いがプンプン漂っている。


迂闊な悪口で人生を棒に振るような状況になるのだろう。迂闊な事を呟き大変な事になるに違いない。


posted by mouth_of_madness at 22:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする