2011年06月30日

ラン・オブ・ザ・デッド

今日もまたゾンビモノ。

前日に書いた「バトル・オブ・ザ・リビングデッド」に比べると全然良い。なんかハードボイルドを描きたいという感じが出ているのだ。ラストも良い感じである。

技術的、予算的、シナリオ的には荒い部分もあるが好感が持てる映画である。なんて上から目線!!

色々と雑では有るのだが出てくる登場人物が非常に良い感じである。僕は特に秀逸だと思ったのは部下に何も語らず一目散に逃げる水上警察の巡査部長が良いと思った。何かを訴えようともせず逃げる姿に人間にリアルを感じます。一瞬の出来事ですがこのシーンは素晴らしいです。このシーンだけでもこの映画を観る意味があったと僕は思います。

ベタな展開ですが水上警察のジミーの噛まれた切なさも良い感じです。馬鹿カップルの人間味溢れた打算も、アンジェラの友達の行動もまた人間臭く、主人公のハードボイルド感を引き立てる効果を上げていると僕は思いました。冷徹に目的を遂行する、非常に徹する事しか出来ない不器用な男を印象づける事になっています。主人公の行動の対比になっているのです。

主人公の行動しか描かなければ単にガサツにしか思えないけど(ここは多少荒いし、安い感じがするからね)対比を描く事でその荒さが緩和されているのである。

しかしゾンビの運動性能の上昇ぶりに困りモノである。ジリジリと追いつめられる感じが無い。勝てるんじゃ無いか?と油断をしていると追いつめられていくという人間の迂闊な部分が無いとね。

こんな元気一杯の馬鹿ゾンビになんか勝てる気しないモノ。パルクールを使うゾンビから文明の利器でも無いと逃げられません。

あとラストは良い感じなのだが最後に盛り上げる為の転(起承転結の転)が欲しかった。基本単調なのよ。でも短いからその単調でも大きく退屈する事なく最後まで観られるのだけどね、後15分ほど長かったら眠くなったかもしれない。
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2011年06月29日

バトル・オブ・ザ・リビングデッド

またしても好物のゾンビ風映画。

出だしは良い感じでオオッと思わせたのだが、それもつかの間直ぐにに駄目な怠い映画になっていくのである。この監督中途半端に器用で、予算感覚とかが有るのだろう。破綻しないように小さく纏めようとしているのだ。最初の風呂敷は大きく広げたのに直ぐに畳み込むのである。

僕としては風呂敷広げ過ぎて収集がつかない状態なっても、映像的にはガッカリな出来になったとしても暴走して欲しかったと思う。同じ中途半端になるにしても暴走した挙げ句に撃沈して欲しかった。微妙に潔さが無いのである。

そしてその潔さの無い部分に管理人の存在がある。なんか意味深にした方が良いのではないかという中途半端な謎感を残すのである。その結果更にピントが暈けるというミスをしているのだ。

なんじゃこりゃ

SFにしたいのか悪魔モノにしたいのか、アクションモノにしたいのかよくわからないのだ。不味くは無いけど美味しくも無いよねという微妙な食べ物みたいな感じなのである。アイデア料理を友達の家で食べた微妙な感じがする映画なのである。

まぁ殺虫剤でバタバタ死ぬゴキブリの様なゾンビにはちょいと笑ったけどね。冒頭の運動性の高いゾンビでとのギャップに頭がクラクラする事間違いなし・・・・
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2011年06月28日

数字・言霊

温度が三十度越えという数値をネットで観たからエアコンを入れるべきだと言う人。もうすぐ7月だからエアコンを入れるのが当たり前という人達がいる。

自分の体感で大丈夫か否かを判断しないのはどう考えてもおかしいと思う。実際は気温が25度だったとしてもこういう人はモニターに35度だと表示されれば暑いと言いだすのだ。

実際の室温が30度超えていてもしかするとエアコンの温度表示で28度という数字が出れば涼しいと思うのかもしれない。体感では無くエアコンが入っているか否かで2〜3度程度ならば騙せるのかもしれないと僕は思う。

まぁ確かに体感をばかりを信じて熱中症になる老人達がいるのも事実だが。数値だけで暑いと思うのもどうかと思う。

今日も暑かったが扇風機と窓あけとカーテンで日中乗り切った。部屋に温度計が無いから部屋の正確な温度はわからない。だが天気のページ等を見る限り32度という数字になっていた。それでも意外と大丈夫なのである。今までいかに無駄にエアコンを入れていたのかと実感した。おしりにジットリと汗をかくのだが、エアコンを入れていた時も汗をかいていた。むしろスカッと汗をかくエアコン無しの方が快適な感じがするのである。(暑いけどね)水分が安定してとれ汗を拭ける環境の場合は意外と扇風機で大丈夫なのである。

今も野外フェスとかでも大丈夫だし、子供の時ももっと暑い中で野球とかやっていた、やかんに温い水や麦茶とかで遊んでいたからね。学校も扇風機無しで小中高と授業を受けていたし。職場にはエアコンはあったけど僕が最初に住んでいた部屋にはエアコンは無かった。27まで無かったのだ。扇風機で凌いでいたのだ。

何時の間にか夏は暑い、テレビやパソコン等に表示される温度や猛暑、熱帯夜という文字につられそのイメージで必要以上に暑いと思い込んでいないだろうか。30度超えたから無理と思い込まされているのである。商業的においしいからね。

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2011年06月27日

デス・レース2

「デス・レース2000年」のリメイクの「デス・レース」の続編。続編とはいっても前日談の映画です。観ていない人は2を観て1を観ると時系列的にはわかりやすい。あまりにもフランケンシュタインの報われなさが悲しすぎる・・・

個人的には前作がイマイチだったのでどうだろうか?と思って観たのだがやはり今作もイマイチ。楽しめない事は無いのだがそこはかとなく底が浅いのである。まぁよく解釈すれば企業倫理批判?なのかもしれないけどね。

デス・レースといってもなかなかレースにならないし、レースシーンがやはり前作に続き面白くない。

やはり狂気が足りないのである。

デストピアというか煤けた近未来(まぁ今回小汚いのは刑務所だけか・・・)での暴力ではやはり駄目なのだ。ゴミ一つ無いような世界で善良で幸せそうな人々が日常の退屈から抜け出す為に殺し合いを楽しんでいるというような描写が欲しいのである。

実際は参加レーサーは囚人でも一般人はそれを知らないくらいにドレスアップされていて欲しいのである。小綺麗なコースで起きる凄惨な殺し合いという様なのが欲しいのである。

序盤のデスマッチにしてもそうである。こんな殺伐とした所ならば殺し合い位あるよねという状態では驚きも毒も何も無いのである。「バトルランナー」位に恥ずかしい格好をして欲しいね。実際の刑務所は最悪の状態なんだけど、映像で観る刑務所はCGで小奇麗にされ、みんな一所懸命に更生していますとさわやかな映像みたいな馬鹿さ加減が欲しいね。

今回の話はそんな話ではない、色々な思惑に翻弄される男の人生というのがメインだからそんな狂気を描く必要なしという考えもわかりはするけど。やはり僕には物足りない底抜けの青空に響き渡る狂気がないとね。
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2011年06月26日

左翼活動家の目的

日本における左翼活動家の目的が何となくわかった。今までは自由、人権、平和というのが目的の様にみえたが実はそんな事ではない。確かに末端の人達はそんな夢みたいな世界を求めているのだろう、でもその人達も責任の重要性なんか考えていないし、自分が社会の一部という事は欠落していると思うけどね。

しかし実際の目的は保守派の人間を間違った軍国主義者に仕立て上げ暴走させる事が目的なのだ、左翼活動で世の中を不安定にさせ漠然とした恐怖感を与える事で不安に駆られた人が暴走するのを企んでいるのである。

暴走させる事で愛国は駄目、保守は駄目であると印象づけるのである。先の戦争の戦後もその印象操作が行われ今も自虐史観でおかしな事になっている。

それの駄目押しをしようと企んでいるのである。

問題点も色々とあるが日本それでも良い国である、駄目な政治家でも簡単に潰れる事が無いくらいに頑強なのである。1192作ろう鎌倉幕府の精神は今も生きているのである。しかしそれがどうにも気に入らない人達がいるのだ。だからこそ日本を潰そうと企むのである。問題点を直そうと考えるのではなく潰して自分達が優位に立とうという言葉に唆されているのである。世の中を平和にするという美名においてね。

実に難儀である。

左翼にとって良い国というのは有ってはならないのである。国家解体を企んでいるからね。世の中の不幸は国というのが有るからという妄想が間違った方向に暴走しているのである。確かに国が有る故に起きる不幸も有るがそれ以上に国が有る事による幸福も有るという事を忘れては駄目だと思う、この件に関しては僕はジョンレノンは間違っていると思う。(まぁ僕のジョンレノンの認識が大きく間違っているのかもしれないけど)人はすべてから自由になる事は出来ないし、すべてから自由になるという事が本当に人にとって自由なのかわからないのだから。

長い事人は色々なモノから自由になろうと考えて来たと思うが未だに国は有るし色々なモノに縛られている。それは人間が馬鹿なのか?僕は違うと思う。馬鹿では有るが其処までの真の自由を求めていないのだ。ある程度の自由は欲しいと思うけどそれとは別に価値を共有する囲いも欲しいのである。全くの自由になると自分の位置が何処に有るのかわからなくなる恐怖があるからだ。
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2011年06月25日

惑星XXXリス

映画の世界もエコブームである(嘘)。ちょいとエコと違うかもしれないがジブリも原発無しで作品を作りたいとか言っている。作品がたとえ原発レスで作られたとしても観る人が原発で観ていたらあまり意味が無いような気もするけどね。作品が面白ければDVDやBLUーRayを購入する人が増えより電気を使うのではないかと思うのだが。

この映画はフィルムのリサイクルによって出来ている。ホットペッパーのCMや家庭教師のトライのCMの様なモノと思っていただければ良い。吹き替えで微妙なエロネタ台詞を入れて一本作り上げたというわけだ。ロケットのデザインが変わってみたり宇宙服のデザインが変わってみたり映像の質感が変わってみたりという面は目をつぶって生温かい目で観なければいけない。

ストーリーは愛はエロよりも強いという映画です。しかし裏テーマとしては結婚は幻想、男なんて色々な女性とウハウハしたいモノなのよというもう一つの監督の主張が入っている。結婚幻想を持っている童貞野郎にはわかるまいというオッサン的なある種の核心をついた主張である。

この映画観ていると脳が溶けていく、ドンドン馬鹿になっていく、色々な事がどうでもいいやと思えていくパワーのあるドラッグみたいな映画である。死のうと思っている人は是非観るべきだ、世の中ってこんなにくだらないんだと色々な事が馬鹿らしく思えてくるだろう。不真面目に生きても良いんだと力を抜いても良いんだ思えるだろう。観ていて眠たくなったら寝ても大丈夫どうせ大した話はないから、環境ビデオの様に垂れ流しにして何度でも楽しめば良い。

そういう意味では実に素晴らしい映画だ。

だが世の中には糞真面目な人がいるその人達には全くおすすめできない、ストーリーがどうのこうのだのこの映像の元映像になっている作品の冒涜だとか言い出すに違いない。エイヤという勢いだけで映画を作るなかれとか言うに違いない。

まぁ糞真面目だけど柔らか頭になりたいというのならばコレを100回観ろとアドバイスするけどね。
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2011年06月24日

インシテミル

「ライアーゲーム」とか「カイジ」とかに「SAW」とか「CUBE」を微妙に混ぜてみましたみたいな感じの映画。混ぜた結果「世にも奇妙な物語」みたいな映画になっている。

尺はそれなりにあるのだが集められた人間の背景の描き方が甘い為に今ひとつ映画にのめり込む事が出来ない。またネットで観ている、そしてこれは第一回目ではないという事を考えると世の中の人はこういう事が行われていると知っている筈なのだが参加者知らないというこの奇妙さがどうにも納得がいかない。

そしてこれが合法的に行われているとするとこの国は現状の日本とは違う社会環境である。非合法で行われているとするとこれだけの視聴者がいる殺人ゲームを行わせている組織を警察が野放ししているというのがどうにも穴という感じがするのである。

確かにこれは重箱の隅かもしれない。

ただこの映画には芯となる部分がなんなのかピンと来ないのである、そのせいで細かい所が気になってしょうがないのである。

人は生きる為に色々な間違いを犯す、色々な情報に翻弄され判断を間違う、よく考えないと目茶怖い目に遭うよという事がテーマの様な気がするが多分そうじゃないのだろう。

間違いを犯していても人は前に進んでいくしかないのよね、正解を出せなくてもね。

それにしてもガードロボが恐ろしくデザインがダサイ。「月に囚われた男」を見習えと思う。
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2011年06月23日

これで良いんだ

物作りをしていてよくこんな事を言う人がいる。他社、他人の作ったモノを褒めているのか貶しているのかよくわからない事を言う人がいる。「これで良いんだ、こんなんで良いんだ」という言葉だ。

大体そんな事が言われるモノはこれといって新しいモノではなかったりする。発想自体は実にシンプルなモノである事が多い。そしてこれで良いんだといわれる部分に過去に似たようなモノが出ていて売れ行きがあまり良くなかったりするのだ。

それを新しいパッケージング、明確なターゲット戦略で売り上げを伸ばしていたりするのである。(実際は本質部分の磨き上げの部分の成果が大きいと思う)

だが僕はここで大きな間違いをしていると思うのだ。実際は「これで良いんだ」ではなく「これが良いんだ」なのだ。過去の商品との差を宣伝方法、パッケージングばかりに捕らわれ素材は大した事はないと思いこんでいるが、だがそれは実はは良いものだったのだ、原石を見極める目がなかっただけなのである。成功させた者は素材の生かし方を知っていたのだ。

こんなんで良いと思うのなら何故それを行わなかったの?実際は思いつかなかったのだ、元になっているモノの良さもわからないのだ。わからないからパッケージングとかにしか目がいかないのである。わかっていないから○○マジックとかいって売れた事を奇跡の様にいうのだ。

色々と宣伝方法だのパッケージングだのと分析的な事をいって頭が良いフリをしていても「よく、こんなモノを売ろうと思ったよね」とか言っていたら間違いない。其奴は何もわかっていない、そして決断力もないのは確かだ。石橋を渡る事しか出来ないのである。

まぁその性格の為大失敗をしていない、手堅い作りの為に悪く言われる事がない為に才能があると勘違いしているのである。
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2011年06月22日

ヘッドフォン

音が良いという面では追求されているが着け心地という面ではもう少し発展の余地があると思うヘッドフォン。

音と着け心地の好みの組み合わせが出来ないのが非常に残念である。

ヘッドフォンのカスタムショップがあれば良いのにと思うのである。頭のサイズ、耳の大きさ、締め付け具合の好み、耳当ての素材、カラー、ケーブルの長さと色々と変えたい項目があるのである。

仕事中にヘッドフォン着けっぱなしのユーザーにとっては音以上に装着感が大事なのである。ケーブルの長さも非常に大事なのだ。また僕はスキンヘッドの為にヘッドバンドの部分の感触も大事だ安いプラスチックむき出しだったりすると感触が悪いし、髪の毛がない分柔らか部分がないと頭とのフィット感もとんでもなく悪いのである。

そしてこの時期最大の問題がある。

ヘッドバンド、耳当ての部分が汗問題だ。皮的なモノのに汗がついた状態の気持ち悪さが最悪なのである。是非夏用の耳当て等が欲しいのだ。サラッとした感触が続く素材、洗濯可能な素材といった接触部のパーツが是非出して欲しいモノだ。

いやもう一歩進めて、耳当てが冷たい、頭を冷やす機能もついている冷却機能付きヘッドバンド、冬用のあったか耳当てといったオプションも考慮して欲しいモノである。

ホンと夏場のベタつきは困りものです。
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2011年06月21日

有能

無能の人として世間を賑わしている菅直人ですが、確かに日本の運営という面では無能という評価は正しいと思います。ですが日本を破壊するという面では異常に有能です。そして胆力も大したモノです。

今も管下ろしという方に議論、批判の方向を誘導し、具体的政策の事に関しての議論もずらしています。そしてその裏で怪しげな法案の準備をしている感じがあります。

そう考えると今菅直人下ろしとかいう方向で右往左往すると駄目だという感じがします。それは思う壺なのではないかと。

また言っている事をコロコロと変える事を何とも思わない民主党議員もしかすると内部分裂とかにみえる分もしかして大きなツリなのではないか?大きな餌をするされた事に反応する自民党により政治が進むのを止めるのには成功しています。

政治が止まれば産業も停滞し日本はドンドンと不利な状況に陥ります。

かって菅直人は政府を潰そうと運動していた人間です、それをトコトンやる為に今政治を行っているとするとそれは大成功しているのです。実に有能なのです。

今やるべき事は政府を無視する事ではないでしょうか?そして被災から立ち直ってから政府を再生するべきではないかと思います。まぁ無視するとは言っても監視をし暴走だけは阻止しないと駄目ですけど。出来るだけ民間の力でやって後で政府に領収書を送りつける位の事をやらないと仮設住宅の建築にしても海外に出してしまうようなアホな事をしてしまいます。(情報の真偽はまだよくわからないけど)何時までも義援金が分配されないという被災者にも義援金を出した人の気持ちも無視するようなおかしな事をしてしまいます。


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2011年06月20日

全局一桁

民放の19時台の視聴率が全局一桁になったそうだ。

なんかもの凄くビジネスチャンスという気がする。今こそこの時間帯に予算つぎ込んだ面白番組を作るべきではないか他局を出し抜いて博打に出るべきではないだろうか。

この時間帯、みんなつまらない番組しかないのならばライバルはいないという事なのだ。今こそ出し抜くチャンスなのだ。そして20時台、21時台に繋がる流れを作るべきではないのか?

まぁそもそもこの時間帯にテレビを見る時間がない人ばかりという事ならば予算をつぎ込んでも無理だけど。そうでなければ大チャンスである筈だ。

また逆に視聴率が一桁台というのならば逆に冒険に出るべきではないだろうか。尖った番組をあえてこの時間帯にぶつけるのだ。どうせ一桁ならば深夜番組の予算に毛の生えた程度で殴り込みをかけるべきである。

現状のままでいけばドンドンテレビ離れが進む。中途半端な番組で時間を埋めていけば悪化していくのである。

従来の番組の作り方では視聴率がとれないのであれば変わるしかないのだ。予算を減らしたという変化を売りにしては駄目のよ。

でもまぁ、なにか思惑があっての現状なのだろうからつまらない番組を垂れ流しているとわかっていてもこれをしばらくは続けるのだろう。利権関係にガチガチ雁字搦めになって思うような番組が作れないうちに能力の低下、才能の流出でもっと駄目になるだろうけどね。スポンサーの顔色を窺い自由な報道、言論に柔らかな規制をかけていった結果なのだろう。戦うべき時に戦わなかった事のツケである。つまらないクレームに羽をもぎ取られ空を飛ぶ事が出来なくなったら駄目なのである。

また些細な事にクレームをつけていった結果、面白い番組を見る事が出来なくなった視聴者どちらも自業自得なのだろう。

こうなったらテレビを面白くする為にもつまらない番組はトコトン観ないようにした方が良いだろう。でもそうなると何時面白くなるのか確認出来ないね?そして視聴率が低迷すると変な所の買収されてもっとヤバイ状態になるのかもという危険性があるけどね。
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2011年06月19日

怪盗グルーの月泥棒

色々なモノが微妙に僕の感覚とズレている為に何ともしっくり来ない映画に仕上がっている。どうにも怪盗グルーと子供達との関係性がピンと来ないのである。

怪盗が頑なになっていた部分と子育てという部分がイマイチズレている感じがするのである。夢は大事なのだという部分で関係性を出している?のかもしれないがどうにもそれが弱いのだ。

ニューフェイスのベクターとグルーの対比もイマイチである。怪盗としてのポリシーが明確に違うというのを打ち出すべきではないだろうかと思ってしまうのである。ベクターは現実主義でスマートで単なる金儲け主義という感じにして欲しかった。手段を選ばず人を殺す事も厭わない位に描き、グルーは昔ながらの怪盗でお金の為に盗むのではなく世の中を沸き立たせるエンターティナーみたいな感じで。しかし最近はそれでは生活が出来ないという現実に直面し趣旨替えをしないと駄目なのかと悩んでいるみたいな状態とかの方が僕時には良かったと思う。

オールドスタイルでは駄目なのか?みんなを愉快にする怪盗では駄目なのか?

其処で子供達と出会い、本当の自分を取り戻していく、自分が怪盗の原点にあった夢を実現する為に邁進していくみたいな展開の方が痛快だったのではないか?

この映画の展開の自分の夢を叶える為に子供達の夢を潰したと気がつき戻るという展開も良いのだけどね。

まぁ倫理上の問題があるかもしれないけれど怪盗グルーと子供達みたいな感じでラストは怪盗ファミリーになる位のベタな描き方をするくらいのオチも欲しかったと思う。3人の子供達が怪盗修行しているみたいなね、むしろ子供達の方が腕がいいみたいなモノでもいいかも。

なんか色々と口出ししたくなる映画なのである。
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2011年06月18日

内需

本来は経済は内需だけで回すべきではないのだろうか?このループには基本的に拡大はいらないのである。安定して循環する事に意味があるのである。

無いモノは確かに外から買うし、相手に売る事もあるだろう。だがその程度に抑えておくべきでは無いだろうか。

自国の経済発展の為に他国の経済を破壊する、また儲けを出す為に安い労働力を海外に求め、自国の労働者から仕事奪っていくという事は何かが狂っていると僕は思う。更なる儲けを求め人件費がもっと安い場所に手を伸ばし仕事を当てにしていた海外の国の労働者からも仕事を奪っていく。

競争原理だから仕方がない?俺たちに付加価値を見せてみろというこの傲慢。しかしこの競争を勝手に作り出していないか?もっと安く、より安くと煽り無茶な競争をさせてはいないだろうか?

製造コストを安くしていく過程で経営者も自分達の給料もガンガン下げているのだろうか?確かに中小企業でギリギリの経営をしている会社であれば経営者も給料無しとかでやっている所もあると思うけど。コストを下げて利益が上がったと評して自分達は有能だという事にして給料を上げているのではないだろうか?株主配当も上げているのでは無いだろうか?

企業も生き残りバトルをしているのだから仕方が無いと言われるだろう。世の中をわかっていない空虚な子供じみた理想論でお花畑と言われるかもしれないがやはり僕にはおかしく思ってしまうのである。

自分の所でもう売り上げが限界に達したから外に出て行く、これって戦争の侵略と何が違うのだろうか?単にもっと稼ぎたいという欲求だけで他国の同じ様な業種に戦いを挑んでいき潰しあいをするのだ。血が流れない?それは嘘だ。潰しあいの過程でコストカット等で失業する事により血は流れるのだ。

売り上げがこれ以上伸びない、それが悪い事なのか?其処で満足していれば良いではないか。ドンドン拡大していこうとするから無駄な衝突をするのである。それでは発展が止まる?では発展が止まる事が悪い事なのか?

発展したから寿命が延びたとか言われるのだろう。飢えで死ぬ事も減った、色々な所に行ける様になったとか発展の結果良くなったという事を語る事は容易いだろう。そうだそうだと同意を得る事も出来る筈だ。

だが本当にこれらの事が良い事と言えるのだろうか?人口爆発が進めばいずれ世界は人の間引きを開始するかもしれないのだ。実際にそう考えている連中もいる。その生活を知ってしまえば戻る事は難しい、だが知らなければそんなモノなのだと割り切ってしまうのである。エアコンなんて無かった時代も暑いと思いながらもそれなりに楽しんでいたのだ。扇風機を最高と思えていたのだ。

人生が50年だった時もそれで人生を謳歌出来ていたのだ。70年になったからといって僕は人の満足感が増えたとは思わない。20年分出来る事は増えたかも知らないが悩む時間もそれだけ増えているしね。それに僕の考えでは人生良い事と悪い事では悪い事の方が多いと思っている。

何処まで行っても満足しないというのが人間の本質なのだろう。それならばもう拡大をやめても同じ事ではないかと思ってしまうのである。輪を閉じて同じ場所をグルグル回っていても良いではないかと思ってしまうのである。

無責任に輪を拡大していき他人を巻き込んでいく、問題が起きても責任もとる事はなく拡大こそが正義という旗を降りながら拡大していく。

何かと比べる事により不幸を感じる。

それならば閉じてしまえ。閉じた世界の中だけで安定してしまえば良いのだ。





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2011年06月17日

ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない

ブラック会社で嫌な思いをしながらも成長して前に進んでいくという気持ちの悪い映画。

それに映画で描かれるブラック会社があまりブラックな感じがしない。嫌な人が単なるガサツな馬鹿というのも何だかなぁである。最後はチョイと実はイイ奴的な感じで描いているというのもねぇ。

まぁ本当に陰湿な会社を描いたら更に不愉快で誰も観ない映画になるのだろう。

仕事が忙しく、殆ど何の説明もなく現場に叩き込まひたすら家に帰る事が出来ない。もちろん残業代もつかない。僕にも経験があるし、知り合いにも同じ様な境遇の人間は普通にいる、業種が違っていても同じ様な境遇だから働くってこんなモノじゃないと思ってしまうのである。

そして会社以上に人間関係をいかに構築するかがブラックに思うか否かだと思う。ソコソコに仕事が出来て人間関係を作るのが下手な人間が損をするし、会社に不満を持つ事になると思う。まぁこの映画でも仕事は出来ないけど取り入るのが巧い人間は何とかなっている。

人間関係が作るのは下手な人間は圧倒的な能力が無いと駄目という事。中途半端は単なる便利屋としてこき使われるだけ。

この映画と似たりよったりの環境で働いている人はそれなりにいるのではないだろうか?その人達はこの映画に共感するより微妙な温さに「ケッ」となるのではないだろうか。アルバイトでも1月位早くバイトしていただけなのに先輩風ふかせて仕事もせずに仕切る奴とかそんな糞みたいな奴は何処にでもいるし、不愉快な思いをする職場なんかナンボでもあるのだ。

労働基準法を守らずに働かせる会社なんて世の中には普通に存在していると思う。それとも専門学校卒の僕の周りだけ?でも僕友人の大卒のモノもあまり変わらないからね。僕の友人が同じ様なレベルの人間で固まっているととでもいうのか?まぁ要領の悪い友人が多いのは確かだけどね、それにそんなに友人自体がそんなにいないしね。

僕の場合は一度限界に達し、体が壊れたから力を抜くようになった。その仕事を評価される事もなかったからもう無理は止めようと思ったのである。まぁそのせいでドンドン悪い感じになっているけどね。

まぁとにかく微妙に温く、甘い感じが不味いバタークリームのケーキを食べた時の胸のムカつき感に似ている映画だ。コメディ部分の薄ら寒さもそのムカつき感を増幅させているのである。
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2011年06月16日

映画じゃない

まだ観てませんが「さや侍」、これに関する評論とかで映画じゃないという安易な評論をする人がいる。松本人志の過去の2作品も映画じゃない。テレビのバラエティ、コントでしかないとよくわからない評論がされていたりする。

映画って一体なによ、全てのシーンに意味のある映像を使うのが映画なの?雨を降らすのは心象風景を象徴しないと駄目なの?画面上にある物は全て何かの象徴で意味があるとかって言うのは幻想なんじゃないと思う。そういう事をしたい監督もいるだろう、だがそんな事もしない監督もいるのではないか?

また監督の意図を全て読み取れているというのは傲慢ではないだろうか。意図が伝わらない場合は監督の技量のせいなのか?自分が感じた意図を監督の意図と違っていてもそういう意味があると解釈しているだけではないのか?

自分が作品を観てこの映画のテーマは○○だと勝手に思い込みその映画のテーマならばこういうオチがつけなければ駄目だといい、違うオチがつくと監督はわかっていないとという。

どんだけ傲慢なのだ。

単なる感想文ならばそれでも良いと思うけどね。評論というのであれば自分のそう思ったテーマが正しいか否かを吟味しなければ駄目だと思う。監督の意図と自分が感じた意図の違いがある事を理解した上で評論するべきではないだろうか。

映画とテレビ媒体が違うから効果のある作品作りの手法は違うとは思う。だがテレビ的な手法を使ってはいけないという事はない。その手法で作られたからといってそれは映画じゃないという事は出来ない。

大体映画とはこうあるべきというのは単なる思い込みでしかないのにそれが一人歩きしていると思う。観た人が映画と思っているか否かでしかないのだ。それに映画だろうがテレビだろうが面白いか否か、自分の気持ちを動かすか否かが大事なのだ。勝手にラベル訳し、それに反しているか否かを評論する事に何の意味があるのか僕にはよくわからない。

それって単なる事業仕分け?もしかすると世の中、仕分け好きが多いという事なの、仕分けの中身が大事ではなく、仕分けする事にこそ意味があるという事なのではないか?

これは商業作品、世界の亀山モデル、芸術作品、ヌーベルバーグと分ける事でその作品の良し悪しを判断しているのではないか?

此処まで書いてて思った。僕も同じ罠に陥っている評論とはかくあるべきと仕分けをしてやがる。恐るべき仕分けマインド!!誰某が書いた文章でしかないと考えれば良いのだ。いや文章と考えるのも間違いかも知れない文字の羅列なのかもしれない、更に言うならば文章として読む事も可能なだけで、文章としての意味は全く無く、単なるそんな図画、デザインでしかないのかもしれない。

文章の意味を僕が何の間違いもなく評論家の書いた内容を理解しているというのも単なる思い上がりでしかないしね。僕の読解力、文章を書いた人間の説明能力、文章能力と色々と誤解していきズレていくのだ。

何処まで行っても他人の事等理解出来ないし、結局すべては自己満足なのね・・・・

僕は文章能力が低いから読解力も低いだろう。問題は山積みちゅう事やね。
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2011年06月15日

ダイソン

ダイソンの扇風機のCMを見るのだがいま一つ要領を得ない。

従来の扇風機の風にはムラがある、ダイソンの扇風機はスムーズな風という対比なのだが扇風機の機能として涼しいか否か?が基本であると思う。そう考えた場合にムラがあると涼しくないという事になるのだろうか?その根拠がいま一つわからないのである。

風きり音がしないから静かとか、風にムラがないから何かを乾かす場合にいい感じになるとかならまだ理解できるのだけどね。

それにチョイと昔はf分の一揺らぎとかファジーとか言うのが扇風機で自然の風感でいい感じといっていたのだ。自然の風は揺らぐから気持ち良いといっていた様に思うのだが。ある意味これはムラではないのか?まぁ回転ムラは規則正しいから厳密にはムラではない?

ムラの為にエネルギーロスが大きいという事なのか?消費電力単位では一番の風量という事なのか?省エネの為に大事だからね。それともムラがあると拡散し遠距離まで届かないという事?離れていても涼しいという事なのだろうか?

何ともしっくり来ないのである。
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2011年06月14日

日本発

原発廃止について議論が起きている。これまで言論等では言われていてもこれ程強く広まる事は無かった事が事故により強力な推進力になり世界に拡散している印象がある。(まぁ本当の所はわからない日本のマスコミが騒いでいるだけの可能性もあるからね)

ドイツ、イタリアと廃止に動くという報道をみて日独伊三国同盟かよ!?と心の中でツッコミを入れたくなる今日この頃。

しかしこの影響があるという事は日本がハイテクと勤勉という面で世界から評価されていたということなのだろう。ハイテク技術で評価されていなければ我が国の技術ならば大丈夫と言われるのがオチである。そうならずに止めようとなるという事は技術に関しては信頼されていたという事なのだ。(まぁ技術も運営も微妙に問題があったのではないかという疑問は残るけど、政治も三流だしね)

地震で暴動や略奪が起きない、配給に並ぶといった行動も感心、評価されていたりする、これもまた広まれば世の中少しは住み易くなるのではないだろうか。グローバル化で行き過ぎた個人主義に冷水をぶっかけた感じになれば実に良い。世界中に昔は普通にあったのではないかと思う地方のコミュニティを思い出す事になれば多少はいい感じになる筈だ。

まぁ行き過ぎて閉鎖的な愛国主義に走ってしまったら駄目だけどね。

漫画、アニメも日本発で少しずつ海外の若者に影響を与えている。まだまだ文化や思想に影響を与える所までの力は無いかも知れないが少しずつ草食化させているのではないだろうか。今にマッチョ感を奪っていくに違いないと僕は思っている。オタク感が強くなりすぎるのも問題ではあるがハリウッド映画に出てくるアメフトのキャプテンみたいなマッチョ思想よりは平和的であると僕は考える。

だが影響力があると勘違いして色々と広めようと勘違いすると痛い目に遭うので其処の部分は注意しなければ駄目である。熟成され、日本では普通のモノが自然に拡がるそれが大事。
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2011年06月13日

ワンパターン

ただでさえ同じ様な事を何度も愚痴るこのブログ、最近のワンパターンの感じの酷さが見透かされたみたいである。

ミルミルアクセスが減るのである。それも物凄い勢いで減るのである。きっと今に誰もみなくなるのではないかと思う位に減るのである。フリーフォール状態!?

まぁ此処で人の気持ちの事を考えるナイスガイならば新機軸を打ち出しアクセス低下を防ごうとするのだろう。しかし減るのを気にする様な小心な人間であるのに人の気持ちはいま一つわからないという鈍感な為に次の対策を考える事なんて出来ないのである。

大いなるマンネリ。

其処までいければ凄いのだが、きっとそれは無理だ。マンネリに陥る程強靭な意思が無いのである。ワンパターンな展開をするのだが人として軸がぶれている為にマンネリにならないのである。同じ様な事を言ってはいるがぶれているのだ。だからこそ説得力がないのである。

その場の思いつきで熟考する事無く垂れ流す。痴呆老人の肛門みたいなモノなのだ。花粉症の鼻みたいに今この瞬間に妄想、反応しているモノの垂れ流しなのである。まぁ其処の部分はぶれる事はない。

実に早漏な思考なのだ。もう我慢できないと放出してしまうのである。まさに厨二病か!!

何か気の利いた事を書くべき?気の利いた事って何?僕にかけるのは昨日聞いた事ぐらいしか書けない。日々色々入ってくる情報を吟味して書くには僕の脳には無理だ処理オチしてしまうのがオチだ。反射神経で書くそれこそが僕のやり方である。

だからこそ同じ様な事に何度も反応してしまうのである。つい反応してしまう刺激のパターンがあるのだ。どの情報に反応するべきかという事をやっていないのだ。僕の癖が素直に出てしまうのである。ある種のフェチと同じなのだ。

だからこのブログ僕の内面をさらしているといえるのである。ワンパターンに見えるという事は僕の底が浅いという事だ。軽薄なのよ。

posted by mouth_of_madness at 22:11| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月12日

泣いても叫んでも

海外のニュースで被災地の復興の様子をみて日本人スゲー、復興速度にビックリしているコメントを読んで思った。

日本人は政府を信じている、暴動やデモが少ないのは馬鹿みたいに鵜呑みしているからだといった意見を言う人がいるが実際は海外の人の方が政府を信じているのではないか?と思うのである。

そう思った理由として、海外の人は政府は災害復興に日本人を雇うべきだといった意見である。何か日本人が特殊能力で復興でもしている様な印象を持っているのではないか?ともってしまうのである。(勤勉と暴動を起こさないというのが特殊能力だ言われればそれまでだけど)自分の所の災害復興が遅れているのを政府にしっかりしろといって自分達は行動しない、これって国に政府に頼りっきりという印象を僕は持ったのである。

頼るというのは信じているからだ。

確かに今回の災害での米軍、自衛隊の活躍は物凄いと思う。(左翼の人達への配慮で活躍がいま一つ報道されないというおかしな状況はあるけどね)確かに国の力に助けられているともいえる。だが民間の人間も、被災した人達も、国に何とかしろと文句を言うが、其処でとまりはしないのだ。泣いていれば、叫んでいれば、暴れていれば災害から抜けられるという訳ではないのだ。やれる事をやるしかないと行動しているだけで。待っていれば国が何とかしてくれると考えていないのだ。国の助けは欲しいけどそんなに都合よく国が自分達を助けてくれるとは思っていないのである。

ある意味そんな感じだからまじめに政治家を選ばないという風土があるのではないだろうか。テレビを観て面白い人や名前が頭に残った人でイイやと思っているのではないかと僕は考えるのである。まぁいい事をしてくれた方がありがたいし、お金をくれるといえば喜んでもらうではないかと思うけど、実際は良くしてくれるという判断より、悪い事はしない、邪魔をしなければ良いよという選択なのではないかと思う。余計な事をするなという気持ちなのではないだろうか。

まぁ不真面目に選ばれた学級委員長や生徒会長の様なものだ、彼等にクラスの運営や学生の声を代弁して先生達と衝突してまで学園生活運営の改善をして欲しいとなんか思っていない、面倒くさい事を処理してくれればいいだけなのだ。また何か問題が起きたときに責任の所在にしたいだけのモノでしかない、だからそんなモノに頼る事は無いのである。

そんな中で政権争いをしているのをみると果てしなく悲しい気持ちになる。国民は其処まで支持してないのに俺はリーダーと言いたいというのがオメデタイ感じがするのである。オメデタイのが恐ろしく悲しいのである。日本人は強いリーダーなんか実は求めていないのだ。まぁバラバラになるのをまとめてくれる程度の者で十分なのだ、小学校の班長程度のリーダーで十分なのだ。

まぁ今のリーダーは班長程度の仕事も出来ているとは思えないけどね。
posted by mouth_of_madness at 17:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月11日

ブレーキ

現状を維持す為に止まる事を考えない。いやむしろ止まる事を良しとしない。その先にヤバイ事がある可能性が見えているのに立ち止まり周りを見直す事が出来ない。

危機感が壊れているのである。

おかしいと思ったら引き返す事も大事なのに壊れたブレーキ為にドンドン前に進んでしまう。

今を守る為に未来を捨てるのである。いや捨てる可能性があるのに何も省みる事無く前進してしまうのである。後ろに戻る事は許されない雰囲気を醸成していくのである。

多少の不便が生じる事と誰かを犠牲にする事を天秤にかけ判断するのである。みんなが少しずつ我慢すれば良い事なのに過去の自分より不便になる事の方が駄目だと判断する。これまで判断が間違いであったかもと認める事が出来ないのである。

人として壊れているのだ。

世の中たけのこ剥ぎでボッタくられた助平親父の事を馬鹿にするがそれと同じ様な事を今、日本はしようとしているかもしれないのだ。もう少しお金を注ぎ込めば良い感じになれると更に注ぎ込もうとしているのかも知れないのである。いま騒ぎが起きたから其処から脱出するチャンスなのだがこれまで注ぎ込んだお金が惜しい為に決断出来ないのである。

その先に怖い事が待っていないと良いんだけどね。
posted by mouth_of_madness at 23:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする