2011年07月31日

努力は報われる

努力は報われない、プロ野球の選手、Jリーガーとかを目指して子供の頃から努力をする、いやそれに限らず漫画家を目指す、アイドルを目指す、お笑い芸人を目指して努力をしている者もいるだろう、だがほとんど夢の途中でそれらに成れない事を知る。

努力をすればそれらの枠が広がるというモノではないのだ、必要な人数は限られているのだ。

だから努力をしたところでそれらの夢を叶えられるという訳ではないのだ。

こう言うと夢も希望もない、確かに直接的利益を得る事が可能かといわれれば出来ないのだから夢も希望も無い様に思える。

だが実際はそうではない。

それぞれが努力する事で全体的に底上げされるのだ。一流の者を育てる為の研ぎ石には成れるのである。世の中に11人しかサッカー選手を目指していなければサッカーのレベルは低いままで面白みの無いモノになるだろう。競い合う者達が沢山いる事で磨かれ上のレベルに押し上げる事が出来るのだ。

直接の利益を得たいと思うのが人の常かもしれないけどね、だがたとえ失敗したとしても高みをめざし努力した結果、想いは誰かがその意志をくみとり高みに上げてくれるのである。

高みの為の礎程度にはなれるのだ。最高の者を磨くにはそれに準じた、限りなく同レベルのモノが必要なのだ。

結果自分では見る事が出来なかったその先を見せてもらう事になるのだ。

単なる砥石だったとしてもそれが無ければ輝くモノもないのである。
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2011年07月30日

狂気

一部の人は人が不快に思うタブーな事を表現する事をアートや凄い事だろと鼻の穴を広げて自慢顔をする。人間の狂気に正面から向き合ったとか調子をこく。(僕が人間の狂気に正面から向き合っていると思う映画の一本はコヤニスカッティだ)

しかし大体において人間の狂気に正面から向き合ってなんかいない。それらは狂気ではなく法律等からの逸脱、自分の常識から逸脱でしかない。そんなモノは人間の狂気ではないと僕は思う。個人が単にはみ出ただけの事でしかないのだ。

猟奇殺人事件に狂気などないのである。単に自分の想像力、雰囲気としてあるモラルからズレているだけなのだ。

むしろ狂気があるとしたら猟奇殺人事件のニュースを興味本位で観ている方にこそある。そしてその事件と自分の生きている世界とが心の奥底では繋がっていないという部分にこそ狂気が宿っている。いやその様な事件を見聞きしてもすぐさま忘れてしまうという狂気だ。

今も原発問題にしても何か自分は関係ないねという距離感に狂気がある。いかなる時にも此で一儲けしようという欲望に狂気を感じる、一見理性的に振る舞っている仮面裏にある欲望と自分がその当事者になる事を考える事が出来ない想像力の欠如に狂気があるのだ。

またテレビやマスコミが偏向していると言われているが此れ等の仕事をしている人はどう思っているのだろうか?生活の為だと思ってやっているとでも言うのだろうか?それとも偏向なんかしていないと思っている?

自分達の行動が世の中は動きに影響があるとわかっているとしたらもう少し慎重になるべきではないかと思う。その結果世の中が悪くなったら自分にもその影響があるのだからね。その想像力がない?影響がわかっていない馬鹿ばかりだとしたらそんな者がそんな場所にいる事を放置している事に異常性があるのだ。

いつ戦争になってもおかしくない微妙なバランスで世界は成り立っているのに、平和維持に関して人は今ひとつ考えていない、政治家とかがなんか上手くやってくれるだろうと安易に考えているのだ。自分の生きている世界に関して興味なんかないのだ。自分がどう良い感じなるかしか考えていないのだ。

よく知りもしなくてもフセインもイラクもある民主解放の為には潰すべきだという傲慢かつ非論理性な人の行動。考える事無く支持する所とかと人は向き合わなければならないと僕は思う。

色々な事件等が起きても淡々と繰り返す日常、日常を効率よくこなす為に想像する事無く生きる、テレビや新聞の紙面を飾る事件は単なる単調な生活に変化を与えるスパイスでしかないのだ。これ以上の狂気があるのかと思う。

色々な事を鵜呑みにする僕はキチガイじみた行動を日常的に無意識に行動しているのだと思う。心や脳に小波が立たない事は人は考える事が出来ないからだ。その色々な事を無視する回路が脳に出来ているのだ。それが狂気の源泉なのだ。

多分色々な事を考えて行動していると現況の世界からは逸脱し狂人扱いされるのだろう。

自分は何となく安全な所にいるという思い込み、現実を何処か遠くにおいて生きている、生きていける現実に麻痺していく人間。

果たしてそれは正常なのか?
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2011年07月29日

GAMER

近未来SF映画、セカンドライフとオンライン対戦のFPSを実際の人間でプレイするという無茶な設定の映画でした。

何が無茶かというと操られているのも他人を操っているというのもわかっているという部分だと思う。いや確かに操る方は良いとしても操られる方に説得力がないのだ。FPSの方はまだ囚人という部分で少しだけ説得力はあるけど(そうはいってもっやはり無茶)

また操られる体のスペックとかを考えるとゲーム性的にかなりバランスをとるのが難しい筈だ。頭で思った事で身体が動くとしても操られる身体の性能がそれを出来るか否かはわからないのである。ミスしたら死んでしまうのだ、そして生き返る事も無いのである。

映画のストーリーとしては僕は操る方は人を操っているという事を知らない方が良いのではないかと思う。そしてその事実を知り、その世界を壊すというベタな展開の方が良かったのではないかと思う。このシステムを作った連中と操られている囚人、開放同盟だけがこの事実を知っているという状態の方が僕的には好きなパターンである。

セカンドライフの方でも記憶混濁等が起きていたり、プレイヤーの無茶な操作の為に現実に人が死んでいるとか、事件に絡んでいるとかが現実に起きていてその不可解な事件に挑む刑事というもう一つのシナリオがありこのシステム全貌が明らかになっていくといった謎解き感が有ればと思った。

なんか設定を考えて、戦闘シーンをこんな感じと、最後の人を操り集団ダンスシーンをというネタを並べただけという感じがするのだ。それぞれ見せ場パーツのつながり感が薄いのである。

単なる見せ場だけだと見続けるには多少退屈してしまうのだ。その見せ場もゲームをやっている者ならばなんかゲームで観た事があるという映像の域を出ない為に最初は笑えるかもしれないけど映像にすぐ飽きてしまうのだ。

もう少し興味を持てるストーリー展開があって欲しいと思う。

イマイチでした。
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2011年07月28日

挫折

よく挫折を知らない人間は駄目だといわれる。しかしそれは本当だろうか?僕は違うと思う。確かに挫折を味わう事で人は変わる、成長する部分も有るだろう。

だが挫折をする事で取り返しのつかない事になっているのだ。もう自分の事を100パーセント信じる事が出来ないのである。自信満々だったとしても少しだけ陰を残す事になるのであ0る。純真さが失われるのだ。負けるかも、失敗するかもという部分が常に心の隅にあり続ける事になるのだ。

純真が良いという事ではないが、これは貴重なのだ。この貴重な成分が天才を生み出すのである。純真さを失った時に人は迷うのである。その迷いの為に最後の一線が飛び越える事が出来ないのである。無限大の万能感それこそが天才を生み出すのである。

まぁ無限大の万能感があっても努力の秀才に勝てない者はたくさんいるけどね。そうだとしても真の突破者はその万能感によってしか生まれないのである。

挫折を知る事で得るモノはある、確かにそれは挫折によってしか得る事は出来ない。だがそれは単なるリミッターでしかないのである。そのリミッターのせいで大きな失敗をしにくくなるだろうし、事故を起こして人を傷つける事もない、大体において効率が良くなるとは思う。人生のそこそこの成功率は増えると思う。

だがそれでは観れない世界があるのだ。選ばれた者しかたどり着く事が出来ない世界があるのだ。

挫折とは自分の限界を知る事でしかないのだ。その線引きをした時点で世界は有限になってしまうのである。
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2011年07月27日

独占禁止

昨日のブログで無知をさらしているが今日も続く。きっと今日も何か大きな間違いをしているに違いない。

独占禁止法、これって自由経済の矛盾ではないかと思う。此を人に言っても誰も納得してくれない。そういうモノだから、お前の考えは極論過ぎると言われる様な内容らしいのだ。

しかしその反論には全く納得がいかない。

その内容とは自由経済で勝ち続ける、その結果、他の企業が成り立たなくなりその勝者の企業だけになった場合に独禁法に抵触する。これっておかしくないだろうか?企業努力をし良い製品をより安くした結果、罰を受けるのだ。

この事を人にいうと自由経済と言っても何をやっても良いというほどの自由ではない、盗んだモノを安く売れば儲かるとかしてはいけないのだ、其処までの自由を認めていない。その様な制限があった上での自由経済なのだとか反論されるのだ。僕からするとこの反論の方が極論過ぎるとおもうのだが・・・・

いや僕は別に犯罪を行った結果一人勝ちをしたとかいっていない。真っ当な商取引をした結果客がその企業だけを選んだ場合の事を言っているのその考えはおかしい極論だと言われるのだ。全く理解出来ない。確かに一社だけになるという部分は極論かもしれないが盗んだモノを売るという例と断じて同じレベルの事ではない。

更にスットコドッコイがそもそも自由経済といっても人がやっているモノだから完璧なんかではないそんな極論は議論、検討に値しないとか言いだすのだ。脱力である。

いやそもそも自由競争すれば必ず安くなるのか?カルテルや談合が無くても同じ様な値付けで安くしないという事もあるのではないか?需要者がつける価格(此は安値)、供給者がつける価格(此は高値)の折り合いで決まる価格が最適な価格だという話がある。決して安いとは限らないのではないだろうか。

本当は100円で売っても利益が出るけど客が200円まで出しても欲しい、売れるとすれば200円で売る企業は多々有る筈だ。此では最安値にならないのだ。ライバル企業も相手の企業を出し抜こうしなくてもいいやと考えれば200円でだしてもおかしくないのだ。

必ず価格競争をしないと駄目というモノではないのだ。内部的には更に利益率を上げる為に企業努力してもその結果として価格を下げないと駄目というルールはないのだ。

色々考えると漫画の単行本の価格なんかあれはカルテルではないのか?大体同じ様な価格だ。人気の度合いとかでもう少し大幅な価格差が有ってもおかしくないのではないか?

独禁法、一社独占になれば人間の悪い部分が発現し不当な価格にするという考え。そこまでの人間の悪意を考えるのであれば競争している間にも悪意が発現するのではないか?競争中は悪意は出ないというのはおかしいのだ。価格ではそれが発現しなかったとしても品質等で悪意が出ていたら意味が無いのではないか?一部はバレて大変な事になったりもしているが逃げ切れる範囲での嘘や低品質という名の悪意は発現していくのだ。

善良な企業が最低価格で独占しても駄目、それを回避する為に多少そうではない企業を維持する必要があるのはこの善良な企業に負担をかける事ではないのか?

民主主義は選挙の成り行き次第では独裁政権を生み出す。此は歴史がそうなる事を証明している。

それを考えると自由経済もその結果、独占を生み出すという事を内包しているのだ。(飛躍しすぎ?)だから独禁法を用意しているのだ、この構造の欠陥を矛盾と考えないのは明らかにおかしいと僕は思う。
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2011年07月26日

ダンピング

ベアリングカルテルのダンピングのニュースを聞いて思った。このカルテルが8割のシェアを占めていて価格を不当につり上げているらしいのだが残りの2割の企業は逆にチャンスでは無いのか?不当に高い価格ならば無理しなくても安い価格で販売できるのでは無いだろうか?逆にシェアを奪うチャンスでは無いのか?と思うのである。

また今はグローバル化が叫ばれているのだ国際競争的にも不当な価格設定ならば海外から輸入されてしまうのではないかと思ってしまうのである。

それともこのカルテルが作る製品に匹敵する様な製品を他社がつくれないとでも言うのだろうか?いやそれならばその製品には付加価値があり高くなっても仕方がないと思うのである。

世の中には付加価値がついて異様に高額な商品はあるではないか?職人による1メイク、アーティストによる作品、それはある種の独禁ではないのか?

不当な価格というのであれば正しい商品価格があるという事だ、それは一体誰が決めた価格なのだろうか?

確かにこの価格が高い事により不利益を被る人がいるかもしれないが利益を得る者もいる。どちらの利益を守る事が正義なのか?

価格を安くする事で残り2割のシェアを占めている企業が潰れたり、自社の労働者の解雇や、いざという時の資金が無くなり潰れる事になったらどうするのだろうか?ギリギリの企業努力で最安値に挑戦させるというのは無茶だと思うのだ。確かに企業で利益を得る人と消費者の人数を比べたら消費者の方が多いと思うけど、単純に人数の問題なの?

本当におかしなくらいに不当な価格であれば新しい企業が出てくる筈なのだ。それが出てこないとしたら許される範囲で最高値だったに過ぎないと思うのだが。

此っておかしい?

僕は今のこのデフレ状態の改善には多少価格を高くするというのは良いのではないかとすら思う。それにより雇用が増えるとか収入が増えるのであれば良いのではないかと思う。

談合も程度次第ではありではないかと今の僕は思っている。これにより多少高くなっても色々な企業に仕事が再分配されるというのもそんなに悪くないと思うのだ。

消費者の利益だけを守るという名目で労働者という名の消費者を苦しめるのは本当に正しいのだろうかと思うのだ。


ダンピングという言葉を使い馬鹿、無知をさらしていますがまぁ此もまた味わいという事でそのままにしておきます。7/27
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2011年07月25日

第三次世界大戦

いやどうも第三次世界大戦が始まっていたみたいです。

気がつかなかった理由としては国VS国で武力衝突という訳では無かったからです。その様なわかりやすい形の戦争ならばもう少し早く気がついたかもしれませんが。でもそういう形ではなかったから戦争は進行して行きヤバイ状態になりつつあるのです。

国VS無国では国側はかなり不利です。自国内にも敵がいて外にも敵がいる。そしてその敵が誰なのかわからない、ゲリラ戦を仕掛けられているのである。

またもう一つの勢力もいる。市民である。日本では此が幅をきかせている。世界中にも人権と愛をという旗を振りながら権利の主張をしている連中がいると思う。そしてこの勢力も基本的には国家解体である。

着実にこの戦いにより死人は出ている。不謹慎といわれるかもしれないがノルウェーの事件もこの戦争で起きたと僕は考える。単なる一国の移民政策の問題ではないのだ。移民政策を行う様になった部分にこそこの戦争の狂気が内包しているのである。

ただ無国側も一枚岩ではない、考え方的には同じ方向を向いているのだが、どいつもこいつも出し抜こうという欲が強く、頭をとろうという足の引っ張りあいがある。其処が弱点だと思う。いま無国は自滅しそうな所もあるが、その自滅は国側にも致命的なダメージを与えるのだ。ある意味核に匹敵する、いやそれを遙かに越えた破壊力をもつだろう。そして長い間後遺症を残すかもしれない、焼け野原を復旧しようにも出来ないかもしれないのだ。

第三次世界大戦の先にあるモノは一体なんなのか?
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2011年07月24日

兆し

世界中で起きている感じがする天変地異。本当に何も関係の無い事なのだろうか?またウィキリークスの台頭、ジャスミン革命、中国での爆破テロ、ノルウェーでの銃乱射、アメリカのデフォルト問題。

一見これらも何も関係ない様に思える。

しかしコレが映画や物語の世界ならば此等は巨大な事件の兆しである。作品ではその謎が解き明かさされギリギリの所で最悪の事態は回避される。

だが現実世界では此等が関連づけされる事も無いし、関連が見つかる事も無いだろう。理屈では証明出来ない事ではないからだ。天変地異はなんか関連性は見つかる可能性はあるけど。

陰謀論? いや違う。

オカルト? いやそれも違う。

単なる人間の限界が此所にありそうな気がするのだ。そして人は兆しを頭では見落とす、だが心はその不安感を感じる、その恐怖感が人をおかしな行動に掻き立てるのではないだろうか。そして実際の事件が起きるのだ。より兆しは強く表れていき、更なる恐怖が事件を大きくしていく。誰にでもわかる兆しが現れた場合は手遅れなのかもしれない。

多分世界中には色々な兆しがある。良いモノ、悪いモノ問わず世界中にはあるのだ。しかし人はそれを見落としてしまうのである。非常に残念な生き物なのだ。
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2011年07月23日

プリンセス トヨトミ

大坂国の映画。

映画自体の出来はそんなに良くは無いのだがそんなに嫌いではない、悪くは言いたくないという感じの映画。カット割りは雑だし微妙に盛り上がり感にかける、予告で想像しているだけの方がもしかするとワクワク感は上かもしれない。

だが何となく淡々と進む感じと、映画のテーマが嫌いになれない感じを残すのである。

僕はこの映画のテーマは国とは何か、それを問われている部分が親から子へというプライベートな部分に結びつく部分が良い感じに響くのである。

国なんか考えれば合理的意味は無いのだがそれを守るのには人と人の結びつきという非合理性的部分であるという人間の業というか矛盾の部分を描いている部分が気持ちが良いのである。人間っていうモノは非合理なのだけどそれがうれしいのだよ、そしてそれこそが人には必要であり嬉しい事なのよという視点が観ていて気持ちの良い部分になっているのだ。

この映画大坂国という映画になっているが枠を一回り大きくすると日本国になりアメリカの属国という感じになり豊臣の末裔は天皇家になる。日本は何故天皇家を維持するのか、日本を維持するのか、それは親から子に伝える日本人としての矜持しかないのだ、理屈的では無いのだがコレはそういうモノなのだ、受け継ぐという部分には理屈よりも心意気なのだ、大きく考える必要はない、親の気持ちを子が受け継いで行く事が大事でそれが結果として国を維持していくのだという感じなのだ。

時間、時代を紡いでいくのはパーソナル。でもそれこそが本当は大事なんだ、理屈ではないのだというのが実に気持ちいいのである。

くどい感想になってしまった。
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2011年07月22日

豊かな人生

本屋に行くと「豊かな人生をおくる」「豊かな老後生活」的な本がある。でも豊かな人生って何?(本を読め!!という話もあるが、多分読んでもピンと来ない自信がある)

豊かな人生とは色々なモノが満たされた人生なのだろうか?友人関係、金銭、仕事、恋愛とが満たされた人生なのだろうか?それともそれらは無くとも気の持ちようで人生は素晴らしいと思える人生なのだろうか?

僕は人は豊かな人生というのがわかっていないのだと思う。わかっていないまま満たされたいと思い右往左往しているのではないだろうか。

人はそもそも満たされる事があるのだろうか?「足るを知る」という言葉があるくらいだ人は足りている事を知るのが難しいのではないだろうか。手に入れればもっとと欲が増える、増え続けていく、欠乏感があるかぎり満たされる事はないのではないか。

足るを知ったと思ったとしてもしばらくすると人はその先があると思うのではないだろうか。更に先への解脱をはかろうとするのである。

まぁ欲望こそが生物の基本なのかもしれない、そう考えると満たされては駄目なのかもしれない。

人生満たされていなくても人は死なない、満たされても直ぐに足りなくもなる実に難儀なモノである。深く考える事は実に無駄である。まぁこんなモノかと現状を受け入れるしかないのだ。

またこのジャンルの本永遠に売れるたぐいの商品である、決定版は出ない、出せないのである。常にその先を求めるからね。
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2011年07月21日

プレデターD4

眠たくてしょうがない映画でした。疲れている時に観る事はおすすめしません。毎度毎度の退屈映画の書き口です。

自称世界最強の傭兵部隊が凶暴マッチョと戦うトンチキ映画。自称世界最強の為にベトナム帰りのじいさんと出来る事はあまり違わないという始末。いやじいさんの方が慎重な為にむしろ良いとすら思ってしまう。

撃てばいいのに撃たないという馬鹿加減、銃が効かないのに同じ様な事を繰り返す阿呆加減。あくまで自称最強にしか思えないのである。

また敵が単に丈夫というだけにしか思えないという面白みのない奴というのも非常にガッカリ度合いである。途中でビッグフットとか言っているのだからせめてそんな感じ見えるモンスター的なルックスが必要でしょ。ただのムキムキマッチョではねぇ、せめてルックスがそうなのであれば動き位人間離れしている位は必要だと思う。

また謎の生き物視点を作る為に赤のフィルターをかけただけというのも非常に安易である。いやコレならば普通の人間より駄目な目ではないか?赤外線でも夜目が効く訳でも無い感じの安易な目なのである。

この映画の駄目な部分は監督の無理な背伸びにあると思います。二つの出来事を合わせて行く技法が非常に拙くストーリーに集中出来ないのである。二つの出来事、そしてその時系列を入れ替る事はかなり綿密にやらないと駄目だと思うのだがこの監督気楽にそれを行っているのだ。そのせいで眠たい事になってしまうのである。

もっとストレートに作れば退屈しないと思うのだが。

しかしかなり低予算だと思うこの映画、こんな映画が作られる映画環境がうらやましいと思う。確かに日本でもヘンテコ映画は作られているけどやはり少なく思う。
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2011年07月20日

これで負けたら大笑い

自民党はこれからどうするかの発表。

確かに無難な感じがするのだが選挙民にすれば、菅首相の脱原発というスローガンの方が耳障り良く響くかもしれない。具体的にどうするのかとか何も決まっていない、実現性とかも決まっていなくても、原発は嫌だという気持ちだけで反応してしまうのではないかという恐怖感がある。

「非核2.5原則」というのもアレルギー反応を過剰に起こしそうである。

消費税に関してはどっちも言っている内容なのだから判断基準にはならなそうだ。

しかし今回の発表なんかかなり博打にうって出ている様に思えるのだ。原発をまだ続けるととられると、ただでさえ東電との癒着とかが言われている自民党には悪印象過ぎるのである。

まぁ確かに止めると言って選挙に勝った場合に嘘をつく必要がないという面では正しい、代替エネルギーがいい感じに採算ベースに乗れば移行するのにも問題はないしね。止めるとといって代替がうまく行かない場合は国会は空転して先に進まないという状態になる、少なくともそれは回避できるのだ。

だがコレだと選挙で戦うにはかなり不利だと思う。

しかしこのタイミングで出したという事は直ぐに選挙はない、それまでに説得出来るとの思惑か?

だが非常に怖いのだ、自民のこの政策、反原発1本に負ける感じがするのである。そうした場合、今のこの政治のグダグダ感を何故忘れさるのか?というのを実感させられてしまうのである。このもの凄い物忘れ感が発現した場合は絶望感で目の前が真っ白になるだろう。

何回もインチキ商品に騙され続ける人がいる、怪しい商品広告が雑誌から無くならないのと同じか。

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2011年07月19日

書道ガールズ!! 私たちの甲子園

町おこしをやろうという高校生の奮闘映画。

でもなんか盛り上がり感がないのである。なんか起きる事が予想のつく範囲で驚きもないし、その解決方法もハァという感じでピリリとスパイスが効いていないのである。

そして最大の問題は練習というなの積み上げる感が無いのである。練習風景はあるのだが色々な問題をこなしていく感じがないし、大会でいきなりそれまでに無かった事をする為にそれまでの事関係無いじゃんという感じがするのである。

練習では何度やっても上手く行かなかった事が本番で開眼という感じが無い為に報われ感がないのである。また本番でのミスももう少し複線が欲しいと思う。練習では最強なのに本番では弱い、過去にミスをして其処から逃げたというのを印象付けをした上でミスがあり、今回は逃げなかった、いやミスしたおかげで色々なモノが吹っ切れ自由になり自分の殻を破る事が出来たという位の展開を劇的に描いてくれれば盛り上がれたと思うけどね。リアリティは無くなるかもしれないけどね。

まぁミスをすると音楽が止まるというリアリティの無さがあるのだからコレくらいのクサイ演出は可能ではないかと思う。

音楽が止まるのでは無く、ミスで止まっている間に最後まで再生されてしまったという演出とかでなければあの状況は非常に不自然なのだ。そんな不自然さを平気で許容するのであればもう少し盛り上げに力を入れるべきではないだろうか。

途中の閉店セールのでの笑いをとる為のミスも不自然なお笑いの演出をしているのだからね、あのミスと最後のミスをもっと上手く絡めるべきだと思うけどねぇ。

また登場人物の個性が今ひとつ描けていないというのも物足りなさの原因だと思う。バラバラの個性でカオス状態だったのがいい感じに纏まっていきそれぞれの悩みが、欠点が補われていくチームプレイの醍醐味が足りないと思うのです。

なんか色々とガッカリ感が漂う映画です。

小島藤子の美少女ぷりはいい感じだったけどね。「キミ犯人じゃないよね?」の時はチョイと眉毛が濃くて微妙に面白いかんじだったのにね。成長恐るべし
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2011年07月18日

面白い事が好き

面白い事が好きと言う人がいるけどこれってなんかおかしくない?

そもそも好きじゃなければ面白いと感じないのではないだろうか。それに人により面白い事は違うのである。何か絶対的価値基準があり面白いという事はこうであるとでも思っているのではないか。

面白い事って何よという事になるのだ。

面白くない事が好きな人はいるの?

面白い事が好きという人は具体的に何を面白いと思うのかを提示しなければ訳がわからないし、意味の無い発言をしている事になるのだ。

またツマラナイ事が好き、くだらない事が好きというのも実はおかしいと思う。このツマラナイ事、くだらない事というのは他人はこういうモノはそう思うであろうと仮想人格、仮想世論を作り出しそれらの基準に合わせて自分の感性を評価するという出鱈目な事なのである。

その仮想人格、世論の正当性なんか何にも無いのだ。それは自分が世の中をどう見ているかだけの表明に過ぎないのである。そして世の中の人がツマラナイと思っているモノを素直に好きといえない自分の愚かさを表明していのである。仮想人格、世論を作る事によりあれは酷いという事を俺もわかっているんだよと逃げをうっているのだ。
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2011年07月17日

弱賛成

世の中極端はよくない。映画とかの世界、話だったら理想のを掲げ暴走気味の極端な意見、スローガンでも問題ないのだが現実ではどうにも問題である。

何か問題が出る、そうすると極論の反対に世論は振れる。実際はマスコミ等が誘導するのだが簡単に誘導される、まぁ僕も色々な事を鵜呑みにする阿呆だけどね。

Aが駄目ならBという安易な行動は良くない。其処には判断がないのである。確かに世の中スピード時代(死語)Aの問題点が発覚しただがBには問題がないのか?その事を良く考える事無く簡単にBに賛成する。それもそれまでAを賛成していた、賛成していないにしてもAの問題点について考える事も無かったのである。問題点を知ってはいてもそれ程問題視していなかったのだ。

それが問題が出たからといって極端に方向性を変える。これまで考えていなかったのに新たなる提案をされたからといってそちらにシフトするのはおかしいのである。

たしかに問題が出た訳だから何らかの対策をしなければ駄目なのは間違いない。

其処で僕が提案したいのは極端に舵取りをするのではなく弱賛成という緩い立場表明だ。何らかの変化はしないと駄目な状況しかしその対案を盲信するのではなく、別に他の意見があればそちらにシフトできるし、Aの問題点を改善したA.5で真打登場を待つという位の柔軟性も兼ね備えたいい加減さが必要なのである。

Bに極端に強賛成した為にCという別の良い意見が出ても移行出来ない、受け入れる事が出来ない状態になるのである。今までも問題が出るまでAの案を強賛成した為にその問題点に耳を貸す事が出来なかったのだ。

その為にも弱賛成なのである。とりあえずは動き出さないと駄目な訳だから何らかの答えを出さないと駄目、だがもっと良い答えがあれば過剰に拘らないというのが良いのである。時代、状況、科学技術、知識というのは刻一刻とかわるそれらの変化に対応できる弱賛成というのがいいのである。


弱賛成で行こう!!
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2011年07月16日

新共産化

おかしな話に思えるかもしれないが今の世界の状況を色々と考えると共産化にしたいという勢力が新自由主義を推進しているのではないかと妄想してしまう。

いや実際は共産化でなく新しい階級ピラミッドを築き、奴隷が搾取されている事を気がつかない、自分が奴隷になっている事にすら気がつかないシステムを築こうとしている様に思うのである。

自由競争でもそれが出来ているのではないか?ピラミッド構造と搾取構造はもう出来ているのではないか?そう言うかもしれないが実際は危ういのである。這い上がる者が牙をむく事があるし、底辺層が搾取されている暴動を起こす可能性もある、また働かないという大技も使えるのである。個人の自由意志と裁量で動く事がまだ可能だからだ。

現状は不安定なのである。これを安定化させる必要を感じているのである。だが一度自由幻想、平等幻想が染みついた者達をただ押さえつけて行くのは難しい。

其処で考えたのが自由をトコトンまで暴走させるのである。そして社会を不安定にさせるのである。それに疲れ民衆、市民が秩序を求めてある種の社会主義、共産主義的な価値感を求めるように誘導しようとしているのだ。市民は治安の安定を求める為に権力を与える者達を作り出すのだ。自分達で選んだ(錯覚だけどね)権力者を生み出すのである。その支配による安定化を望むようになるのである。自らが選んだ権力者だから反対しにくいし、自らが選んだ社会制度にも中々反対しにくいのである。新しい時代を切り開いたという錯覚もそれを助長させる事になるのだ。

また支配側も共産主義バージョン2.0では底辺を貧困にする事はない。ある程度安定した生活が出来ていれば暴動は起きないからだ。搾取をきつくしていくのはメンテをせずに無理な稼働をさせるようなモノなのだ。いずれそれは事故を起こす。それならば多少の経費がかかってもメンテし使う方が結果として無駄な損を出すことなくいい事なのである。

なんか良さそうな人に優しい社会運動みたいなモノがこれから起きる。世界的に起きる。不当に儲けていた企業がその標的にされる、時代の寵児持ち上げたたき潰す。これまで表面的には華やかだった20世紀的成金が潰されるだろう。リーマンショック以上の事が起きる。それが合図だ。平和革命、新しい時代の到来と浮かれていると、とんでもない世界が訪れる。(まぁとんでもない世界と気がつくとはないけどね。気がつく者は支配層の人間だけ、でも子供の頃から支配の英才教育されていたら無理か)
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2011年07月15日

SKYLINE−征服ー

今年は宇宙人侵略が激化するらしい。そんなモノを観てきた。

バトルの部分は物足りなさを感じるのだが結構面白かった。でもラストが漫画の打ち切りみたいな部分がチョイと気になるのである。

うなっ!!

なんか駄目映画な書き口?確かに沸き立つ盛り上がり感、カタルシスが足りないのである。起承転結の転の途中で終わった感じがそのモノ足りなさの原因だ。それでも面白く感じたのはこれからの展開へのワクワク感があるからだと僕は思う。

だがデザインの部分はどうにもイマイチ感が残る。これに関しては最後までいい感じにみえなかった。なんかグチャグチャ、ヌルヌル感が面白みに欠けるのである。なんか何処かで観た感と安易感があるのである。

いや映画自体も全体的観た感があるともいえる。それらの微妙なスケールダウン感もモノ足りなさを感じさせている原因なのだろう。しかしそれでも面白いと感じると言う部分は単純に僕が侵略モノが好きという安易な趣味趣向なのだろう、多分間違いない。ドンパチが少ないから物足りなさを感じるという実にわかりやすい感想なのだろう。

それにしても宇宙人のデザインをみるといかにウルトラマン、ウルトラセブンの宇宙人のデザインが秀逸なデザインをしているかというのを実感してしまう。人型のデザインにおいても圧倒的に素晴らしく感じるのは僕の幼少期に刷り込まれたセンスのせいだろうか?

結論としては「フォーガットン」「ID4」「宇宙戦争」を足して4で割った位の映画である。

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2011年07月14日

きっとまた間違う

原発が駄目だからといって安易に太陽光に飛びつき過ぎ。それもポンと出てきた孫正義につられ過ぎである。

これまでに太陽光発電事業を推進も実業もやっていない者なのに、マスコミの報道とかに乗せら過ぎである。大体孫正義の太陽光事業は新しい利権の金の匂いがプンプンするのである、韓国にいって韓国の原子力はいい原子力的な発言とかを見るとねぇ。

地方自治体の何かをしなきゃという気持ちはわからないでもないがあまりにも安易過ぎる様な気がするのである。もう少し勉強をして自分の場所に向くのか否か?この地域に合う次世代発電は何かとか考えて行動をして欲しいと思うのである。

それともしっかり考えているぞ!!このブログは名誉毀損だ!!とでもいうのだろうか?

震災前から原発の危険性は色々と言われていたのだ、危険性だけなく放射性廃棄物の問題もずっといわれていたのだその時に何を考えていたのだろうか?安全という言葉を安易に信じていてこれと言って対策なんか考えていなかったのではないか?

この震災を見たら考えは変わるとでも言うのだろうか?

確かに変わるだろう。危機感をリアルに感じたからね。

だが太陽光発電にも様々な問題はあるのだ、それらの問題も既に震災以前から指摘されている事は多々あるのだ。それらの問題点を考慮した上でこれからは太陽光で行くぞと考えているのだろうか?きっと太陽光発電の問題はリアルに感じていないだろう。感じているのは雨と夜どうしたもんだかねぇ位だろう。

目先につられ安易に飛びつくと原発に同じように痛い目に合うと思うのだ。放射能被害とかはないかもしれないが経済問題等を引き起こす可能性もあるのだ。

10年後、20年後、50年後とかまである程度見越した政策が必要なモノなのだ。ある程度急ぐ必要はあるが、安物を買って銭を失えば意味が無いのだ。大きな事をやるのだもう少しじっくりと考えて欲しいのだ。短期的には枯れた技術で凌ぎながら次世代にいかに速く移行するかが大事なのでは無いだろうか。
posted by mouth_of_madness at 01:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月13日

60年後

「28日後」「28週後」に似せたパッケージと邦題で客を騙す気満々の惨い映画。

もうね脱力感に溢れてます。観ると単に時間の無駄、徒労感に襲われトホホと成る事間違いなし。オチもなんか良くわからないし、非常に不親切な感じです。

この映画には様々な欠点に溢れ、一つ一つにツッコミを入れる事は野暮です。そんな事をしても意味がありません。問題を直すという事はそれは全く別の映画になりそうです。まぁそれだったら適当にエロでも入れてサービスするのが金がかからず良いでしょう。

金がないとからだと言うかもしれませんが、そもそも金以上にアイデアが無い事が一番の問題なのです。この映画20年前に観ても惨いのです。

しかし映画制作費を集め、スタッフを使い映画を作るだけの能力があるのに何故此所までの穴だらけの映画が作れるのだろうか?其処が一番の謎です。頭の中では壮大なストーリー、イメージがあるのかもしれませんが少なくともそれを映像化する能力の欠如なのでしょう。編集中も自分の頭の中にイメージが補完し穴の事を気付かないのでしょう。


クルクルパーの訳のわからなさは無いけどね。
posted by mouth_of_madness at 08:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月12日

病院

人は病気になれば病院に行く。

だが行かずに自己判断をして治療を放棄する人がいる。病院に行けと言っても自分の事は自分で判断するという。心配は無用とか言って自分の体の事はわかっているからと言う。

しかしこれは違うのだ。間違っているのだ。

部屋に自分しかいないのならばそれで良いだろう。だが他人と空間を共にしているのだ、だから病院に行けというのだ。

同じ部屋で直ぐ隣で一日中「オェーッ」とか痰を延々と吐かれたら鬱陶しくてしょうが無いのである。一日中ゲップをされその度に異臭を放たれたら迷惑なのである。もうその症状が1年以上続いているのだこちらがノイローゼになる。

病気は他人に迷惑をかける事が有るのだ。治療に行っていてもその様な症状が出るのならば我慢しようと思うのだが、自分の勝手でしょと治療しよう、症状を抑えようという考えが無いのには我慢できないのである。

またその病気は本当に人に移らない病気なのだろうか?という心配もある。今は辞めてしまったが隣で延々と咳が止まらない者もいた、結核ではないのか?と思うくらい咳をするのである。これもイライラするのである。

病人を差別する訳では無いが症状により他人をイライラさせる事が有るというのを理解して欲しいのである。本人も鬱陶しいと思うが自分がそれを我慢すれば良いというモノではないという事を理解して欲しいのである。

病院に行けば直ぐに直るというモノではないのだが、医者でも無い者が自己判断で他人に迷惑をかけるのはやはり僕的には我慢出来ない。

病気を治すというのは自分の為だけでは無いというのは人は忘れがちなのだ。仕事の途中で体を壊し迷惑をかける事もあるしね。
posted by mouth_of_madness at 21:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする