2011年11月30日

妄想力

妄想というと何か悪い想像力の様に思われている。陰謀論とか結びつき色々とおかしな状態になる。

確かにそんな一面が有るのは否定できない。

だが妄想力というのは実に良いモノなのだ。バラバラに見えている様々出来事から関連性を導き出す創造力があるのだ。確かに多少の強引さが有るかもしれない、だが此所には独りよがりかもしれないが関連性を導き出す目があるのである。

大概は単なる勘違いで終わるかもしれない、しかしこの妄想から新たなる発見を生み出す視点はちゃんと内包しているのだ。積み上げた結果に発想できるモノとは違う創造力が有るのである。

発明、発見の切っ掛けが此所には有るのである。

一見関連性の無いモノを結びつける、コレは非常に高度な事なのである。規則性、関連性無いモノから独自の共通性を導き出す、それは素晴らしい事なのだ。独自の視点を持ち得た事は人類の可能性という面で素晴らしい事なのである。

コレを上手くつかえば持ち歩くという共通点からカメラと携帯を結びつける発想力に繋がるである。

多分大多数の科学的発見も妄想から生まれていると思う。(根拠はない)バラバラを組み立て新しい体系を生み出すのだ。陰謀論やタレントが自分を観てくれたきっと自分に気があるとかいう妄想にはあまり生産性は感じられないがその逞しい妄想を捨てるのは非常にもったいないのである。

また陰謀論も一概に間違っていると言うにはあまりにも世の中は複雑怪奇なのだ。そのまま正解とは言えないにしても、誰かが企んだ結果そうなったという訳では無いにしても、世の中の流れがその様に流れていると思われる面が見え隠れしている現状を考えて損はない。切り捨てて良いだけの確たる証拠は無い以上たとえ1パーセントの確率しか無いにしても0でない限り色々と考えておくべきなのである。

妄想を逞しくして生きよ。残酷な事も良い事にも何らかの意味がある。自分の考えている事が常識なのか非常識なのかそんな事はわからないのだ、妄想を愉しめばいいのだ。
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2011年11月29日

君がくれた未来

なんか一見感動的な映画みたいなのだがなんか作りがビシッと決まっておらず、今ひとつスッキリしない、ケツの座り悪い映画でした。

なんか感動的な小話を盛り込むのだがどうにもあざと過ぎてどん引きするのである。

また弟との約束という話の軸があるのだが弟が死に約束と今ひとつ絡んでいないのがどうにも気になるのである。やはり約束という主軸があるのならば約束を破ったせいで事故に巻き込まれ死んでしまうという様な展開が必要なのではないだろうか。だから2度と破る訳にいかないという気持ちになったというモノが必要だと思う。

戦争で死んだ学生時代の友人の幽霊話とか果たして必要なのか?いや必要だとすれば主人公の成長にもう少し影響する必要があると思う。また兄を約束の呪縛から解放する為に弟の成長話も必要だと思う。

どうにも好きな女性を救う為に約束破る兄の話にしか見えないのだ、約束破る為に生き残った訳を考えて、何か成す為だみたいな事をいわれても困るのである、説得力ナッシングなのだ。

個別の感動エピソードが細切れのまま繋ぎが悪くフガフガなのだ・・・・
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2011年11月28日

ドゥームズデイ・プロフェシー

地球破滅を阻止するディザスター映画。なんか間延びしたとは違うノンビリとしている奇妙な映画なのである。

完成度も低いし、ハラハラどきどきもない。(あるのだけど演出、シナリオ等が緩い為にビシッと来ない)なんかフリチン状態のブラブラという感じの楽々感に溢れているのである。

駄目な映画なのだが不思議と嫌ではないのだ。なんか子供の頃夏休みにテレビで観た無名なSF映画みたいで子供の頃のワクワク感が蘇るのである。傑作だから観ろとか人に勧められる様な映画では無いのだがこの郷愁感は中々心地良いのである。

といっても何度も観るかというそんな事もないけどね。

しかしラストは度肝を抜かれた、エエーーーッという力のない笑いととも多幸感に包まれる事街が無しである。「でかした!!」と褒めてやりたい。これをやれる勢いというモノは大事なのだ、馬鹿テイストではあるのだが馬鹿ではない、きっと天然なのだ。

ウケねらいとかと何かが違うのである。モアイとは何の為に作られたのか?そんな事を真面目に考えていたのではないかと思ってしまうのだ。何らかの仮説を立て妄想を映画化したのではないかと思ってしまうのだ。
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2011年11月27日

何も見てません

色々な情報が飛び交う世界になった、ネットでは色々な映像を見る事が出来る世の中、テレビのニュース映像とは違う視点の映像もね。

色々観ているから何か世界を知った観ている様な錯覚に陥る人もいるだろう。多数の視点から物事を見る事で真実に近づくと思う人もいるだろう。

しかし本当にそうなのだろうか?映像は事実を映し出しているのだろうか?

映像を撮る時点で作為が入っているのだ、その様な映像が沢山あった所で何か真実をつかむ事が出来るのか?疑問である。

何か凄い事が起きている時にその凄い事以外をとり続けているとかはまず無いはずだ。偶然撮っていたとかいう断片的なモノは有るかもしれないけどね。またもっとアップで押さえていたら良かったという事もあり得るだろう。しかし撮っている段階では其処まで見通す事は出来ない。全ての情報がその時点で押さえられた訳では無いのである。複数のカメラがあってもみんな同じ所に注視していたら多少の切り口、アングルの違いがあったとしても大きな成果は出ないと思う。

違う視点のカメラが押さえれば大丈夫?いやその違う視点という部分でカメラに先入観が入りこれまた上手く行かないのである。作為的に撮ってしまうのだ。もう其処には事実を撮っているというより演出の入った映像になり見る人を誘導してしまうのである。

また人間の脳は非常に問題がある。映像を見る時に注視点を作ってしまい写っていても見落とすモノが多いのである。そしてその注視点はキャプションやコメント等を見てしまうとその呪縛に縛られてしまうのだ。同じ映像でも見る前の先入観でその映像からくみ取る意味が変わってしまうのだ。1度それで強力な先入観が入ってしまうと別の視点、別の意味合いの映像を見てもインチキに見えたり偏向報道していると思って見てしまいがちなのである。

車の運転している時とかに全ての視覚情報を処理していたら大変な事になるのだ、フィルタリングされるから車の運転が出来るのである。事故った場合には通常より多くの情報処理が行われ色々なモノがスローに感じる様な面白い状態になるけどね。

映像を観ても必要な情報をフィルタリングして見ているから色々な映像が有ったとしても偏って処理されてしまうのである。

その様な事を考えていると人間は何も見ていない、いや見てはいても捨てられている情報が多すぎるのである。また脳が勝手に映像に意味づけをし自分の脳内世界を構築しすぎているのである。

自分が友達とか思っている人の人物像は貴方が見た相手の一部の情報を脳内で構築したヴァーチャルな存在でしかない。見えていない部分、見ていない部分はその人格には反映さえていない似て非なる人物なのだ。貴方の友人はその友人を知っている人の数だけヴァーチャルな人格の人間として存在しているのである。まぁ本人も他人が自分をどう見ているのかで微妙なキャラの使い訳をしていたりもするだろうしね。

僕達は観たいモノだけを観たい状態で観ようとしている明盲なのである。
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2011年11月26日

一連託生

グローバル化っていうモノは一蓮托生である。だがそれを構成する人達は自分だけは助かろうと出し抜こうとする。幻想なのだ。自分達が稼ぐ時は利用し、駄目になったら切り捨てるという。

実に世界は腹黒いのである。

何故グローバル化するのか?

国により法律も文化も違う、バラバラの状態では効率が悪い、合理的ではないという考えからそれを統一しようとして旗を振る。しかしその実体は世界を一つにする事によりカモを増やすというのが目的なのだ。

アメリカの1パーセントが99パーセントをカモにしお金を吸い上げる、だが限界は来る。それでは自分達の欲が満たされない。そうだ同じ事を世界に広めればアメリカの1パーセントが残りの全世界の人からお金を吸い上げる事が出来ると考え推進しているのである。

そしてこのグローバル化を企む者は馬鹿な狩猟民族的発想で行動するから育てるという事をやらない、ひたすら狩るだけなのだ。

多分ヨーロッパはアメリカの野望に気が付き経済共同体を作った。だが中身、文化的に狩猟民族的発送が有るから今のギリシャ危機、イタリア危機みたいな状態になっているのだろう。

またエジプトとかの民主化運動とかも世界の経済グローバル化に引き込む為の仕掛けだ。カダフィー大佐とかフセインは軍事的な驚異という部分よりそれらが持つ経済基盤を吸い上げる為に潰したのだと僕は思う。独裁とか政治の問題ではないと思うのだ。

資源大国のアフリカ経済圏を作られると厄介な事になると思ったのだ。

独裁とかの政治問題であれば何故北朝鮮を潰さない、核が有るから?それは違うと思う。経済的に美味しくないから金を使ってまで崩壊させる意味がないからなのだ。急ぐ必要はないのだ。むしろ崩壊しない方がお金的には都合が良いのである。日本や韓国に武器を売るの都合が良いからね。

1パーセントの人間はもっとコントロール出来る思っていたのだが、作ったシステムがあまりにもでかすぎて制御出来なくなったのだ、それが今だ。

この1パーセントの人間も一蓮托生の流れに巻き込まれつつあるのだ。自分だけは大丈夫と思っていたのだけどそのシステム内にいるから儲ける事が出来たという事実がわかっていなかったのである。食物連鎖ではないが循環が崩れればどんなに強い肉食獣とてその流れから逃れられないのである。
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2011年11月25日

自己責任

政治家が進める小さな政府・自己責任政策、これってよく考えると政治家として自己の存在の否定ではないだろうか。

全てが自己責任ならば政治はいらない事になってしまうのだ。究極の小さな政府とは公務員、政治家等等誰もいない状況なのだ。全てはやりたい人がやりたい様になってしまうのである。

それだと仕事に偏りとかが出るのではないか?とかと思うかもしれない。だが自由経済が正常に動作すれば人のやりたがらない仕事とかで必要なモノであれば給料とかが上がりそれなりにバランスがとれる筈という考えである。多分そんなに上手くは行かないけどね。

そんなこんなで考えていたら更に疑問が湧いた。

経済危機が騒がれているギリシャ、公務員が多いというギリシャ。コレをみて公務員が多いのは良くないと言われればそうかもしれないと考えるかもしれない。

だが本当にそうなのだろうか?

しかし公務員がお金を稼ぐ仕事をすれば人数が多くても問題はない筈だ。国家農場とか国家工場で製品を作って売れば良いのだ。ギリシャの場合公務員が多いという事は通常の職につく人が少ないという事だそれならば公務員がその穴を埋めても仕事を奪う事にならない筈である。

問題なのは公務員を遊ばせている事であり、仕事をさせる管理法を考えれば良いのである。税金で賄う給料は最低限にして公務員事業で稼いだお金を給料に上乗せしていくという方法をとれば気合いも入るのではないだろうか。甘い?

日本も後継者問題で農業従事者が減るのであれば市役所とかに農業課を作り国家安全保障に必要な生産をやれば良いのである。解雇できない余剰人員をドンドンそちらに回し働かせれば良いのだ。補助金を出さずに人材の貸し出しを行うのである。

公務員の有効利用をすれば単純に減らすというコストカットより僕は良いと思う。反発も少ないと思うのだ。

元にもどろう。また自己責任でという事を声高らかにいう事はそれは私達信用出来ませんよ、世の中に蔓延る悪意を持って騙そうとする人達を捕まえる事出来ません、管理出来ませんよと言っているようなモノなのであある。国家秩序を維持した状態で世界と渡り合えないから自己責任でお願いしますといわれても困るのだ。
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2011年11月24日

チョコレート・ソルジャー

チョコレート・ファイターで鮮烈な印象を残したジージャーのアクション映画。しかし今回は多少物足りなさを感じる。確かにアクションは素晴らしい、だが単調なのである。

何か同じ様な展開が続くのである。

その為に多少長く感じるのである。同じ様なアクションを観せるのあれば序盤はもっと短くして良いと思う。最後のバトルでじっくりと観せるというのが満足感に繋がると思うのである。同じ様なアクションを延々と観せられると多少飽きてしまうのだ、同じ味わいで腹一杯になりゲップが出るのだ。

それにしてもアクションは凄い、キレが良いし痛い感じが伝わる、それに多少のコミカルな部分はジャッキー・チェンの要素もあり実に観ていて愉しいのである。日本にもこの様なアクションを演じる事は出来る者はいるのかもしれないが段取り・撮影等のセンスで圧倒的に負けているのだ。

人の動きには感動がある、それは有る程度自分が出来ないという実感が有るからだ、格闘だけではないダンスもジャグリングもシルクドソレイユも人にしても人の成し得る動きには人間に感動を与えるのである。

人の歌声が感動を与える部分も同じだと思う。

その感動を与えるだけの動きを見せてくれるのだが、やはりコレも過ぎたるは及ばざるが如しになるのである。何て人は我が儘で貪欲なのだろうかと思う、更に先を観たくなるのである。何処まで人に無理を強いるのだろうか・・・・
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2011年11月23日

社会の不思議

就活に反旗を翻すデモが行われたらしい。

それでアップされた写真「卒業してから就活したいという」プラカードを持っている人がいるのだがいやそれって自分でそうすれば良いだけじゃないの?現況のシステムじゃ不利かもしれないけど十分に能力があれば入れるんじゃない?今のシステム上でしか就職出来ないとしたら多分能力がないだけなのではないだろうか。

また学生自身がそう思っているのだとしたらそれを日本中の学生全体に広げていけば良いだけではないのか?無理矢理企業が就職活動させる訳ではないのだから卒業以降にしか誰も就活に来なければ企業はその流れに乗るしかないのである。

「学生に勉強する時間を」と「ゆとりにゆとりを」というなんか相反するような文言にも何か狂気を感じるのは僕だけだろうか。確かにゆとりといってもそれは怠けるという事とは違うかもしれないけどね。また一生懸命勉学に励んでいる者は別として、学校に行って課題を何となくこなしていてサークル活動とかを愉しんでいる様な学生が就活で大変になるのなんか就職してからの大変さに比べたら全然ゆとりである。だんだんと無理のきかない身体になっていっても仕事をやり続けるストレスに比べたらユルユルなのだ。

大体大学生は専門学校に比べたら選択肢は多いし、企業からの印象も全然良いのだ。大学生で埋まりきれなかった少ない椅子を奪い合う事の大変さをわかっちゃいない。その分受験で無理したとでも言うのだろう、馬鹿だから仕方ないというのだろう。

「大学は就職予備校ではない」とか言うけれど本当に勉強する為に大学を選んだのかい、良い会社に入る事を目的に大学を決めたのではないの?大学に行かないと駄目な勉強を本当にしているの?何となく大学位は出ておかないと世間体が悪いとか考えている程度の覚悟なのではないの。本当に効率よく勉強する為に大学に行っている人間もいるとは思うけどそんな人間はデモなんかしていないと思う。勉強が目的で就職が目的ではないから就活から縁遠いのである。

では何故卒業後に就活をしたいと言っているのか?それを考えてみた。

僕が考えた理由は卒業前に就活を行うと失敗したのがクラスメイトに知られるのが恥ずかしいのだ、いや就職できてもクラスメイトと比べると見劣りする企業とかだと恥ずかしいと思っているのである。盛り上げ役の人気者だったのが就活で三流になり、それまでの立場が壊れるのが怖いのだ。卒業してからならばその蔑視の視線を感じる事はないからね。特に今は就職が厳しい為に就職出来ない確率が高いしね。

勉強したければ勉強すればいい、就活したければ就活すればいい。選択は自分にあるのだ、有利、不利等の事を考え世の中状況、自分の能力を考えて決めれば良いだけの事なのだ。

俺は今就活したくない、卒業してから行えば不利になる、そうだ社会を変えれば良いのだ、という様なエゴに踊らされるか否か自分で決めろ。

そんなに就活したくなければ自分で会社を作ればいいのにね。社畜にも歯車にもなりたくないんでしょ。
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2011年11月22日

RED

悪い意味で目立っているブルース主演のおじいちゃん達大暴れ映画。

概ね愉しく観る事は出来たのだが今ひとつ老獪さが足りない感があり其処が物足りない。やはり年をとった分だけ人の裏をかくのが上手いという部分をもっとメインに出すべきではないだろうか。最初のフライパンで弾を炒めるといった感じのネタがもう少し欲しいのである、ハイテク、若さパワーの現役、知恵、テクニックの年金生活者という構造をもう少しキッチリ出して欲しかった、CIAでの格闘戦にしても相手のパワーを利用するという格闘とか迂闊の襟をつかむと指を大けがするとかいうゲリラ戦的技(シラットだっけ)で現役に指導をするとか欲しかった。(まぁ本編でも現役の教官の師匠だという部分はあるけどね)

単純に強すぎるというのでは面白み半減なのである、年の功というのがあってこそだと思う、あと年をとっている事で出来なくなっている部分、弱点も欲しいと思う。まぁコレも壁を壊すという力業のシーンがあるけどね。

オチも弱い、あれはヒネる必要あったのか?と疑問に思う。ヒネるのであればもっと大きな悪が出てこないと盛り上がりに欠けるのである。

全体的には軽いノリで楽しめるだけに実におしいのである。
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2011年11月21日

出口無し

日本の経済が低迷して20年、それと同じ様な状況が世界に広がる、出口無しの袋小路。

しかしふと思う。

これは経済だけでは無いのではないか、実は人類はとっくの昔に行き詰まっているのではないか?いやそもそも最初からその出口無しの世界をグルグルと回っているだけなのではないかと思う。

コンピュータが生まれて概念等は本当に変わったのだろうか?壁画とか何が違うのだろうか?結局は何かを残そうとしているだけではないのだろうか。次の世代に何かを残し積み上げるという行為をしているだけで、記録方法が違うだけで何も変わっていないのではないか。

色々な物語を紡いでもその紡ぐという概念からは逸脱出来ていない、新しい音楽が生まれたとしてもそれは音楽の概念からは一歩も外に飛び出してない。

技術の進歩はある、だが新しい概念を何一つ生み出していないのだ、犬はいつまでたっても犬だし、猫はいつまでたっても猫だ。人間は賢いという勘違いから何か特別なモノに逸脱出来ると思っているのだ。人間はいつまでたっても人間なのだきっと其処から一歩も逸脱する事なく同じ事を未来永劫繰り返すのである、技術は上がるから見た目はかわるのだろうけどね。

人類とは単に足し算を繰り返すプログラムなのだ。数字は変わっていくがそのプログラムの行動からは全く逸脱する事はない、このプログラムは自分を書き換え新しいプログラムを自ら生み出すだけの能力はないのである。カウンターストップまで延々と同じ事を繰り返すだけなのである。
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2011年11月20日

農業利権

TPPで言われる農業利権、反対派は既得権益を守ろうとしていると言われてしまう。

だが本当にそうなのか?そんなに農業利権があるのならば農業従事者は減らないのではないか?後を継ぐのではないかと思うのだが、後継ぎ問題なんか起きないのではないかと思うのだ。ただでさえ就職状況は悪くなっているのだからね。

また補助金が出ているとかいうが果たしてそれは農家だけの得と言えるのだろうか?補助金が出ているから安全で美味しい食品を手頃な価格で食べる事が出来ているのだ。補助金等が出ていなければもっと価格は高騰している筈だ。

そうなれば輸入しているから価格は抑えられる?でもそうなると農薬とか遺伝子組み替え満載になっている可能性が非常に高いのである。

そういう意味では僕達もその農業利権の恩恵を受けているのである。


また日本で農業をやっていないととなると味の方も改良が進まない可能性もあるのだ、不味かろうが買うしかないからね。更に国産が無く輸入だけになればそのままの安い価格で売ってくれない可能性も高い。買わないと死んでしまうとなれば言い値で買うしかないからね。

まぁ実際にはあまり高いとまた国産が始まるからそのギリギリの値付けで来るとは思う。しかし時間が立てば農地は売買され工業用地にされたり住居にされたりして農業の復活が非常に難しい状態になったりすれば、法外な値段で買わされる事になるのだよ。

それに農家が失業状態になれば生活保護等の金額も増え下手をすれば補助金とかを遙かに超える額になるのではないのか?

既得権益を守るなというが新しい方には利権がないとでもいうのだろうか?別の利権が生まれそちらの方が酷い可能性とかを考えないのだろうか?国が何かを推進、維持するとかすれば大概のモノには利権が発生するのだ。それに今回のTPPとかでの経団連や日経とかの報道とかをみれば明らかに別の利権が働いている感じがするのだ。

多少の利権構造は仕方の無い事だと僕は思う。政治家への裏金とかはどうよ!?とは思うけどね多少の利権等があったとしてもトータルで国益になっていれば良しとするべきなのだと思う。補助金漬けは良くないとは思うし色々と改善はしていかないと駄目なのはたしかなのだろう、しかしガチガチの合理を進めた結果余裕がない状態になれば何か問題が起きた時に収拾がつかない事になるのだ。

食料が安いからといって自分達でコントロール出来ない所に任せるというのは危険なのである。それに世界での食糧生産は多少過剰な位で丁度いいのだ、色々な国で作るというのがリスク分散という意味で良いのである。何時気候変動とかで食糧危機になるかわからないのだ人口もガンガン増えているしね。僕は国に分散、備蓄しておいて欲しいと思う、長期保存技術を駆使して10年分位は金がかかっても保存しておくべきだと思うのである。

社会にはあそびが必要なのだ、何か予想外の事が起きた時に自由に動けるモノが必要なので有る。
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2011年11月19日

欠陥・無理

民主主義、考えれば考える程欠陥品であると思えるのである。これよりマシなモノがないから使っていると言われていたりもするのだが改善しようとか、民主主義を正しく使う為に民衆を啓蒙、教育をする様な行動も行われている様に思えない、むしろ人間の愚の性質に犯され駄目な部分のが増幅している様に思われるのだ。

そもそも民主主義を正しく行う為には物事を判断するだけの知識と能力がなければ駄目なのだ。しかし義務教育レベルで、いや大学を出た所で政治等を正しく判断出来るだけの能力が身に付くのだろうか?とてもそうは思えない。その程度で政治的判断が出来るだけの知識が育つのであれば大学卒業さえしていれば誰でも政治家として役に立つという事になってしまうのではないかというおかしな状態なのである。

政治とは先を見通す能力がある者が行うべきなのだが、だがそれを選ぶ者にはその能力が無いのだ、それは政治家の言っている事が良い事か悪い事かがわからないという事になるのだ、その様な状態で正しい選択なぞ出来る訳がないのだ。そうなると先を見通す能力より口の上手い者が強いと言う事になってしまうのだ。

またその能力があったとしてももの凄い量の情報を日々精査していかないと駄目になる。官僚とか政治家が個別にやっている様なモノなのに投票する者は全体を把握しないと駄目になるのである。情報を把握する事無くして政治家が掲げる政策を選ぶ事は出来ないのである。

コレでは仕事をしながら政策を判断する為に情報を日々学んでいく事になり忙しくて目が回るのだ。政治家は情報を精査し政策を考えるのが仕事だからいいかもしれないが、投票する側は違うのだ、実に不公平な状態なのである。
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2011年11月18日

馬鹿発見器

ツイッターとかがのネットメディアが馬鹿発見器として認知されている様なされていない様な。

確かに馬鹿発見器と言われるのがうなずける程のうっかり感や暴言が凄い人々がいる。それなりに有識者的にみられる人だったり、一般的に良い大学の学生だったりもするのが迂闊な事をする。

しかしふと思った。

コレは馬鹿発見器ではないのではないか、元々世の中馬鹿ばっかりだったのではないか?その虚構を剥いでいるだけではないのか?迂闊な発言をする方もだがそれをひたすら煽り炎上させる者、それを野次馬根性で見守る者、それをネタに記事にする者、律儀にまとめサイトを作る者、その行動をみて上から目線でネットは馬鹿と暇人ばかりと鼻高々に言う者とどれをとっても賢い行動に思えないのである。

此等の右往左往、七転八倒、欣喜雀躍、悲喜交々、ペリーコモをみていると元々賢い人なんか殆どいなかった事が露呈しただけだという気がするのである。従来のメディアは発表するまでに他人に色々ともまれて表に出ていた。それで馬鹿が目立たなくなったし、出るまでに時間がかかる分自分の中でも熟考が進む分も有ったのではないだろうかと思う。

テレビで素人が溢れだしそれが感染し馬鹿の拡大生産、それがネットになり更に拡大生産していく、馬鹿に馬鹿たしゃ馬鹿ばかりである。

しかし世界は馬鹿ばかりでも意外と動いていくのだ、中途半端な賢い奴(うすら馬鹿)こそが物事を複雑にしていくのである。困った事に自分は賢いと思ってやがるのだ。まぁ中には本当に賢い人もいるのだろうけどね、確率的には凄く低いのだ。

また賢い人では中々馬鹿の力には勝てないのである。賢い人が勝つとしたら馬鹿をまとめて消去するしかないチマチマと消去していたら人権馬鹿に逆襲されるのである。馬鹿と馬鹿を衝突させこの世界から消去するのである。そうすると賢い人が考える理想の社会が出来るのだろう。だがその中でもまたもっと賢いと思うエリート達がきっと同じ事をするのだ。

僕はネットにより人類が俺達って馬鹿だらけだよね気が付きあんまり上を目指さないようになる事が理想だと思う。


自慢じゃないが俺も馬鹿!!


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2011年11月17日

宇宙戦艦 ヤマト

木村拓哉主演で実写化された謎の映画。

もうねシナリオの改変部分が謎過ぎるのである。観ていて改変する理由が良くわからないのである、何かその改変部分に新解釈、別のテーマ性、映像的な面白さ等があればいいのだがそれらが全く感じられないのである。

この改変、子供の頃ヤマトが好きだった人にはトホホになるだろうし、新規ファンを獲得する為のモノとしてもあまりにも出来が悪いのである、それに中途半端に元のアニメを引きずっている部分があったりしてその様な意図が有る様に思えないのである。

またヤマトが戦うシーンが充実していないのも気になる、元のヤマトも話は大した事はない、子供が観る分に十分だとは思うが決して奥の深い人間ドラマとかでは無いのだ。しかしそれまでのアニメには無かった艦隊戦とか宇宙戦闘というのが良かったのだ、スーパーロボットモノとは違い色々な立場、職種の乗組員が一つの船に乗り、戦闘をするという部分が良かったのである。一人のヒーローがロボットで敵を倒すというのとは違う部分が面白かったのである、その見せ場の戦闘があまりにもツマラナイのだ。

ガミラスでの戦闘でなんで歩兵戦をメインにするのか?何故ヤマトが戦わないのか(まぁ降下戦で少しだけあるけど)

ラストの戦闘にしても徐々にボロボロになりながら瀕死の状態になる様な見せ場がないのだ其処はやはり納得がいかない。予算が足りないとかの理由があるのだと思うけどそれならば作ろうと思っては駄目なのでは無いだろうか。話はペラペラでも戦闘が見応えがあるというのがヤマトの本筋だと思う。

一番の謎はガミラスは精神体みたいなモノなのに何で地球の環境を変えて侵略しようとするのかが全く理解出来ないのである。どうしても惑星が必要ならば、取り憑く事が可能なんだから環境変えなくても地球人に取り憑けばいいのにと思う。

異星人の考える事は訳がわからないという事なのか・・・・・・
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2011年11月16日

国会

国会を見ているとなんか違和感がある。あれって討論?議論?

僕には台本のある三文芝居にしか見えないのである。

野次は怒りの発露?あれって単に予定調和の掛け声でないのかとも思ってしまう。大体野次って何がかわるのだろうか?自分の存在をアピールするだけではないのか。気の利いた野次だったとしても議論には何の役にも立たないのである。存在感のアピールは出来たとしても人としての品位は確実に下がるのだ、それに会議の進行もそれで遅れる事になるだけである、百害あって一理も無いのでは無いだろうか。

西田昌司議員とかは質問の切れ味は良い感じなのだが野次の汚さに閉口である。明らかに損をしていると思う、その事がわからないという事はその程度の人物なのだろうと思ってしまうのである。

まぁそれに対する民主党ののらりくらりとした歯切れの悪さも馬鹿丸出しだし悪い印象しか与えない、低レベルの会議なのである。

そう考える誰も問題の解決なんかしたくないのではないか?

国会ごっこをしたいだけなのである。そのごっこをしないと給料分仕事をしている様に国民に見えないから紛糾する国会を演じている様に思えるのである。

もし国会がスッキリとしていたら、問題を洗い出し建設的意見ですぐさま解決していったりしたら給料泥棒といわれるからという意識が有るのではないか?

一ヶ月の集中審議でその年の国会が全てが終わったとしたら楽してボロ儲け、給料泥棒というのだろう。残りの11ヶ月何の問題も起きなければ基本何も無いとしたら給料返せというせこい事をいうのが仮想国民なのだろう。

また自分の意見より此方の方が良いよねと思い直しても支持者の手前意見を変える訳にもいかないから、ギリギリまで反対のフリをしないと申し訳ないとか次の選挙で落ちるとかいう小心者的思考が働いているのではないだろうか。


しかし実際に国民が望んでいるのはいい感じ国を運営してくれる事である。国会が速く終わろうが、対して揉める事無く会議が進もうがそんな事で文句は言わない、日々の生活がいい感じになれば良いのである。

国民は色々な不満が有るというが多分それは間違いである。日々の生活がいい感じでないからその原因を妄想レベルの思考能力で考えるから色々な意見、不満が出るのである。

だから上手く纏まらないのである、駄目なマーケティングに翻弄されている様なモノなのだ。
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2011年11月15日

心の闇

人には心の闇があり、それに飲み込まれない様に人は気をつけないと駄目的な話ってあるよね。映画にも小説にもサスペンスドラマにしても題材にされるネタである。

人間の二面性という奴である。誰にでもある黒いドロドロとした感情という奴である。

しかし人ってそれを隠している?意外とポロポロと露出してない?飲み会とかで来てない人の悪口とかで嫌な感じ出してない?それを見ると自分がいない時もこんな事言われているんだろうなと思わない?いる時といない時という二面性を目撃しているのではないか?

あと人によって対応を変える様な人とか良くいるでしょ。ネチネチとした奴とか身の回りに一人や二人いるでしょ。

それに「あいつは外面だけはいいよね」とか「ムッツリスケベ」「あいつ嘘つきだよね」とかいう感じでチラホラと裏側が透けて見えているのである。まぁ確かに完全に隠している人もいるとは思うけどね。

犯罪が起きた時に「あんな事する人とは思わなかった」とかいうけど本当に?と思ってしまう。本当にそう思っているのだとすれば周りの人は其奴に全く関心がなかっただけではないのだろうか。「そういえばそんな人いた様な気がする」という位が正当な発言では無いだろうか。

また「そんな事する人だと思っていた」「ヤバイ人だと思っていた」「何時犯罪を起こすのか心配だった」とかいう意見をあまり聞かれないのはそれを止める事が出来なかった自分への責任回避という心理が働いているのではないだろうか。

そしてそんなにもの凄い闇が人に有るのだろうか?殆どの人は薄ぼんやりとした闇しかない、深淵なる狂気の淵を覗き込む様な闇は無いのだ。所詮隠れているモノなんか自意識過剰の劣等感と恥ずかしい性癖程度のモノなのだ。

人の世の闇なんか無知から来る馬鹿の薄暗がりというの関の山だと思う。

でもなんか心の闇とかいうとチョイと人間を深く掘り下げている様な感じとかするよね。安易に使える便利ワードなのだと思う。
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2011年11月14日

おっぱいバレー

もっとベタベタなコメディと思っていたら違った。意外と普通にチョイといい話的に着地する先生と生徒の成長物語でした。まぁ成長しても生徒は馬鹿のままだけどね。それでも悔しさを一寸だけ知ったとは思う。妄想スケベが簡単に直るものではないから、そっちの方では成長はしていないからね。

結構いい感じの湿り気具合で最後まで飽きる事無く楽しめます。

物足りない部分は新入生の背景がもう少し何か欲しかった。まぁ此所をガッツリやるとピントがボケボケになるという危険性も有るのですがもう少し何か欲しいと思います。不良先輩にも何かグレた背景にバレーと先生との関係的なモノが有っても良かったと思う。それが切っ掛けで馬鹿部になっていったとかね。

その先生と比較対比とかがあると話的に幅が出たのではないだろうか。過去の自分との類似性とかが其処に有れば良かったのではないかと思う。まぁチョイとコレだとくど過ぎるし、ストーリーの為の複線感過ぎるか・・・

でもふと思うこの映画は今42〜50位のオッサンの為の映画だと思う。11PMとおっぱいというキーワードで悶々と出来た世代でないとピンと来ないのではないかと思う。オッサンの為の郷愁ファンタジーなのである。

世代をはずすと頑張る動機が理解出来なくなり映画としての勢いが希薄になるのだ。

仲村トオルの「ナイスおっぱい」では持たないのである。バレーの試合が見応えが有る訳でもないからね。
posted by mouth_of_madness at 21:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月13日

健康に気をつけろ

これからTPPに邁進していくのだろう。そうするともう国はあてにならない、法律もあてにならない様になる。

国民皆保険とかが崩壊し、今までの医療制度が駄目になる事を考えておかないと駄目だという事になるのだ。

また農薬等の問題も出てくるし、産地表記にしても、遺伝子組み換えにしても狂牛病等に関しても野放しになる可能性がある。

此等による身体への影響はどれ位有るのかわからない。大した事無いかもしれないがやはり不安は残るのである。農薬とかに関してはこれまでの日本では駄目な基準で来る可能性もあるのだ。産地表記とかが駄目になれば此等を避けるのは非常に難しくなる。

是非近所とかに信用できる農家があるのならば其処から買う事を考えた方が良い。今の内に色々な入手ルートを確保し、それらの人々を支える事を考えるべきだ。それが自分の身を守る事にもなるのだ。

また日常的に食べる量が増える事を想定して今から肝臓、腎臓等をいたわり強化していく事をおすすめする。毒素の体外排出の負担に耐える様に準備しておくべきだと思う。

国民皆保険が無くなれば医療費が高額になるその時に重病になるのは致命的なのだ。お金が無く治療が受ける事が出来なかったり、出来たとしても大幅に財産を減らす事になり生活が大変になるのだ。

今保険が使える間に怪しい部分を治しておく事をおすすめする。そして日常的に今以上に健康に気をつけるのだ。

そしてこのTPPで失うモノは心である事を忘れては駄目だ、それを失わない様に今から考えておくしかない、人は恐ろしく残酷になれる動物なのだ。いや既に残酷に餌場に放り込まれ様としているのだ。日本人もアメリカ人も其処に叩き込まれようとしているのである。
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2011年11月12日

IMF

いやぁ、凄い凄すぎる。日本破綻するとか言ってなかったっけ?財政再建しろとか言っていたのに金を出せってなんて虫のいい話。

それとも白人社会を救う為には日本は破綻しても良いからという傲慢な考え?

世界はグローバルとかいって頭の部分は優秀な国が請け負い無能な人間は奴隷の様な生活をしろそれが自由競争だというのをやって失敗したのではないの?

弱肉強食を行った結果、敗者が生まれる。その場合にどうするか考えていなかった結果が今だ。弱肉強食こそ正義と思っていた筈なのにいざおかしくなったら中途半端な人権、人道主義に目覚めているこの愚かさよ。ユーロから追い出すとか、ギリシャ人に死ねとは言えないのだ。今までの自分達が正義と思っていた事を通す事が出来ないのならば最初から言うなと思ってしまう。

自分の都合によって変わる便利な正義でしかないのである。

自称賢い、優秀といってお金を巻き上げてたんだよね、優秀だから給料の格差は当たり前という位に優秀だったんだよね?しかし失敗したという訳だから優秀ではなかったという事が明らかになったのだ、いやもしかすると詐欺の可能性もある。出来ますといって実際は出来なかった訳だからね。どうなるのかわかっていないのに未来はバラ色と騙していたとしたら詐欺なのだ。

大体此所までおかしくなる前に対策が出来ていないIMFにどれほどの意味があるのだろうか?本当に能力があるのかと疑問を持つのである。

そもそも国家レベルの経済ですら上手く行かないのに世界レベルの経済とかの管理を人に出来るのだろうか?人間の能力のキャパを遙かにオーバーしているのではないかと思うのである。

まぁそれでも何らかの管理とかをしないと駄目なんだけどね。

間違った手法でも一度動き出したモノ、暴走したモノは上手く停止させないと被害が出るからね。
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2011年11月11日

VOLCANO・破滅への序曲−咆える大地

ドイツのデザスター物、見応えはそれなり有るのだが何とも話の部分でスッキリしない。この映画を観て「ええーっ!!」となる人は多いと思う。

またDVDは2枚という長さなのだが1枚目の助走はかなりスローペースだし、デザスターと関係ない話が多くて飽きる人も多いだろう。どういう人達なのかというのを描きたいのはわかるるのだがあまりにもデザスターと関係ない群像劇過ぎるのだ、それでいて其処を丁寧に描いているかというと微妙に説明不足感が残り此所もスッキリしない部分である。僕が気が付いて
いないだけで退屈して途中断片的に寝ていたのか?とすら思ってしまう。

主人公的な者の報われ無さと、酷い一家のラッキー加減はどうなのよ、これがリアルというモノなのか?酷い事をしても生き残れという教訓なのか?生き残る為には酷い事をしても良いという正当化される。どさくさにやればOKという事なのだろうか。

とにかく酷い事をした人間、無茶をして現場に無理矢理入った人間が迷惑をかけ現場で必死に生き残り人を助けようとした人間が犠牲になるとかってあまりにもねぇ・・・・

この感覚はドイツでは当たり前なのだろうか?この様な展開でもスッキリ出来るのだろうか?此所を是非ドイツ人の解説が欲しい所である。

この映画はこれから続くであろう火山噴火の被害、それに対抗する話は描かれない。まだ火山の近くがやられたに過ぎないのである。これからスケールが大きくなる展開は無い為に尻切れ感が残るのである。ヨーロッパ全土に広がる被害というのを描いていないのである。
posted by mouth_of_madness at 08:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする