2012年03月11日

敵の敵は敵

政治等でA政党の政策に問題がありそれをどうにかしたいと思っている状況がある。それに反対するB政党がA政党の問題点を指摘し別の政策を打ち出すとなんかこのB政党を応援したくなるという心理。

この心理については良くわかるし、その様な選択をした事もある。そしてその事に思い当たる人も多いと思う。

だがB政党の意見が正しいとは限らないのである。A政党の問題点にばかり注目しすぎてB政党の問題に目をつぶったり、見えなかったりするのである。

今の原発問題にしてもそうだ。

僕は基本的に原発反対派であるが、今の反原発派の狂信的部分にはどうにもついていけないのである。どうにも世の中には0か1かという単純思考が蔓延している様な気がするのである、Aが駄目ならBが正解の筈と単純に考えすぎなのである。まぁコレも単純思考の思い込みであるともいえるけどね。

選択肢は無数にあるのだ、何も問題が無い選択肢あれば良いのだが、大体は何か問題を残すのである。Aの問題点を潰してもまたBの問題点が噴出するのである。選択肢は無数にあるのだAが駄目だったからといってBへという極端な舵取りでは同じ所をグルグルと回りかねないのである。

無数の選択肢があるのに単純化して間違った選択を繰り返すのである。自民が駄目だから民主、民主が駄目なら維新?といった単純化の構図に踊らされているのである。間違った選択を続けていけばドンドンと疲弊していくのだ、壊してばかりで先に進まないのである。

またAが持っていた悪意を潰すBが本当に善意で行っていると限らないのである。Bという悪意がそれを行っている可能性も十分に考えるべきなのである。詐欺師がいい話を持ってくるのは当たり前だからね。助けてくれる人が常に正義の味方なのはお話の中だけである、現実はそうではないのである。

気がついたときには別の悪意を選択していたという失敗を繰り返しているのだ。

何故おかしな選択を繰り返すのか?それはAとBを比べるだけでみているからである。出したい答えがありそれをどのように解決するかの手段としてAとBを比較していないからなのだ。

船と飛行機どっちが良いという比較をしているのが現状だ。実際に考えなければならないのはある目的があり船と飛行機を比較する必要があるのに、単純に船の問題点を出して飛行機の優位性を声高く主張しているのが現状なのである

目的が明確化すれば、船と飛行機以外にも電車や自動車、徒歩と色々な選択肢もあるのが見えて来るのである。

それらの為にある面では味方、ある面では敵というおかしな事になるのである。




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2012年03月10日

持たざる者

維新の会の相続税100パーセント案、不動産も遺産も何もかもが没収される。一生涯使い切りの人生設計。

個人主義と共産主義がダンスを踊っている様なこの違和感、嫌感。

新しい考え、旧来の体制の垢にまみれた僕の様な人間からすれば頭がおかしい人にしか思えないのである。結果これにより良い社会が生まれるかもしれないけれど僕はどうにも色々なモノが分断されただけの空虚な社会で過去も未来も無く薄ら笑いをしている未来しか想像できない。

駄目という理由はない、何をもって良い社会かという定義が曖昧だからである。

潔いという考え、没収される位ならガンガン使えとなり経済の循環も良くなる可能性もあるし、社会の代謝も良くなるだろう。色々なモノがドンドン消費されていくのだ、コレまでの消費社会の拡大になるのだろう。そして親、生まれの影響が減るとか言われるのだろう。

だが親の影響が減る事はあまりないと思う。今の寿命から考えれば独り立ちするまで親は生きているのが大半である、その出世のレールを引いてしまうだけの事は出来るのである。

そんなこんな考えていると、急死しないかぎり色々と抜け道はありそうである、この相続税より安くなる方法で子供等に渡す方法はある筈である。海外に資産を移す方法とか、所有を法人名義にするとかで色々と抜け道はありそうである。政治家とかならば政治資金で財産を渡す方法を残すだろうしね。その法の抜け道の為に弁護士の仕事とか税理士の仕事が増える?

外国人が土地を買う事が出来る訳だからいざという場合自分が海外の国籍をとるという方法もあるのではないか?

また此所で疑問が湧く、相続税丸裸にされてしまうのであれば誰も土地なんか買わなくなり土地価格は大幅下落するのではないか?企業が買う事で多少下落はするが収まる?

大手不動産企業に住むところを管理される様になる社会?

いやもしかすると土地を所有しなくなった為に格安になった土地を中国政府に買い取られてしまう危険性すらあるのだ。日本人が追い出される可能性もあるし、膨大な金額の家賃を中国に対して払い続ける事になるかもしれない。

いや悪用すれば実に危険ですぞ。

死ねば色々なモノ処分する事になるこの無常に人はなれていくと過去からの歴史、未来へ繋ぐという意識がなくなってしまう。より刹那的になっていった果てには何も残らないのである。

文化遺産的な街とかどうなるのだろうか?代々人が住む事で維持している様な町並み、人が死ぬたびに其処の住人では無い人間がポコスカ入って来たらあっと言う間に景観も何もかも壊れてしまうだろう。いや条例で維持するのだといわれても其処に住む人がいなければ街なんかあっと言う間に廃墟になってしまうのである。

まぁそれも良しという事?誰かの労力により守られているモノ、その思いなんか無意味という事なのだろう、何も残さず、リセットするのが趣旨だったりするわけだからね。

政権が変わると国の借金すらリセットする様になるかもね。国民が日本政府に貸しているお金を返しませんとなるのだ。
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2012年03月09日

相対

人は色々なモノを評価し良し悪しを判断する、しかし絶対的価値での判断なんぞ人如きでは出来はしない。

あくまで大概のモノを自分の知識の中のモノと現時点での状況を考慮したモノとで相対的に判断をしているだけである。(大概にした理由としはなんか良くわからんけどウハァーーツ!!いう感情になる場合があるからね)

現時点では不味いと思って金を出してまで食べようと思わない様なモノも食料危機的な状況で腐ったモノや変な虫が湧いた様なモノを食べないと駄目な状況ではご馳走に思うだろう。記憶としてそれ以上に美味しい記憶があったとしてもご馳走と感じ、美味と思う筈である。こんないい加減な判断しか出来ないのである。

これ音楽とか絵とか飯とかの事であれば大した問題ではない。

だが政治とかの問題となるとこのいい加減な判断は命取りになるのだ、今よりはマシという消極的判断になりかねないのである。マシになれば凄く良くなったと錯覚すらしかねないのである。

このグズグズな判断力、生活が厳しいから犯罪を起こして刑務所に入る方がマシという錯覚も生み出してしまうのである。

そんな風に考えてこのブログを書いていたら政治とかの問題が大事とか考えるのも何かの相対で重要と考えているだけで政治が無茶で生活が苦しいという状況が悪いという根拠は無いのではないかという思いが沸々と湧いてきた。

基準になるモノが動く、この状況での判断。誰が自分の正気を保証してくれるのか?そんなモノはないのである。

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2012年03月08日

GANTZ・Perfect Answer

ガンツの続き。映画版として一応のオチをつけて終わらせている。アクションシーン、特撮共にクオリティ的にもかなり良いと思う。安っぽくみえる事は無かった。

原作の漫画がグダグダになり年寄りの小便の様にタラタラとキレが悪い状態になっているのに比べるとスパッとオチをつけていて実に好印象である。

確かに色々と説明不足感があるのは確かだけどね。

この映画を観ると今の漫画の問題点を感じるのである。如何にいらない部分で漫画が引き延ばされているのか、いや原作者に聞けば全部に意味があるのだと言われると思うのだが、僕はやはり無駄なシーンで水増しされる事で話のスピード感、テーマ等を台無しにしていると思うのである。

それに長期連載になれば途中で飽きられオチを観る事無く離れていく人もそれなりにいると思う、また途中参加という面でも辛いモノがある。読み始めようと思った時に既に30巻超えていたりすればそれだけで敷居が高くなるし、終わる気配も無ければそれだけで読む気が失せると思うのだ。

少なくとも作者はオチを観て欲しいと思うのだが、(違うの?それよりも金なの?)それを拒絶する様な長期連載の意味というモノをもう少し考えて欲しいと思う。コレは作者だけの問題ではないこのダラダラとした状況を許す読者も問題だと思う。

その点この映画はコンパクトにまとまっていていい、原作のダラダラ感をバッサリと切り捨てオチをつけている。何本も作れる訳でも、上映時間という制限もあるという部分が上手く作用しているのである。駄目な監督だったら第一部完みたいなオチの付け方もあると思うけど、この監督は自分なりのオチをちゃんとつけているのである。謎は残るけど、この世界の全貌を誰も知らないという風に考えればある時期を切り取っただけ、その時にその場にいた人の思いだけだと考えれば細かい謎はそう気にならないのである。

まぁ山田孝之演じる重田の存在はいるの?此所カットしてもう少し本筋の部分を充実させた方が良かったのではないのかとは思うけどね。
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2012年03月07日

同性愛

ベラルーシのアレクサンドル・ルカシェンコ大統領は同性愛者になる位だったら独裁者と呼ばれる方がマシだという事だ。

まぁ詳しくは記事探してみてね。

でもこの二つは比べる様なモノなのだろうか?疑問に思う。同性愛は自分の中で完結するモノだが独裁者は自分だけで完結しないモノなのだ。同性愛は自分の心の持ちようだけの問題だが独裁者は支配される対象者がいなければ駄目なのである。

そして支配される者達にとっては非常に迷惑になる可能性が大ききのである。

支配される対象者からすれば同性愛者でも良い政治をしてくれればその人の趣味が変わっていても大した問題ではないのである。

まぁ極論を言えば良い政治を行ってくれれば独裁者でも問題は無いとも言える、それでも一部に衝突する人はいるのだけどね。誰もぶつかる事がなければ独裁とも思われないからね。

それにしても此所まで同性愛者を嫌うという感覚は何処から来るのだろうか?生物的に種の保存の為に刻まれた何かなのだろうか?種の絶滅を防ぐ為に刻まれた感覚なのだろうか?それとも宗教的、文化的なモノ?

翌々考えるとコレって猫好きになる位なら独裁者、サッカーファンになる位なら独裁者、納豆食べる位なら独裁者とかと同じレベルの事だよね。そう考える実に微笑ましくなるのだが支配される側からみたら堪ったモノではないのである。
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2012年03月06日

MHK

NHKでやっていた松本人志のコント番組、色々と叩かれています。

しかしこの叩かれ具合を見ると叩くという流行が面白いという状況になっている。本当にツマラナイと思うのであれば無視すれば良い筈なのだが、何かと叩く事で自己表現をすると奇妙な状況、MHKを面白いと思う者をくさす事での優越感という気色の悪い感性。

まぁその事に関してなんか意見を言うというのも便乗感タップリでこれまたカッコ悪いのである。

昔からあった何かをくさすという文化、ネットで花開きそれが新しい価値感になっている。昔は仲間内で酒飲み話、井戸端会議としてのローカルだったモノが全国区的になり色々なモノにケチをつける様になったのである

人の不幸は蜜の味ともいいますが、満たされない自分の才能を他人をくさす事で自分と同じ次元にする、いや場合によっては上に立つという。有名人、タレントといわれる者を叩く事で溜飲を下げるという実に人間的感情を垂れ流しにするというこの微妙な状況。

自分と同じ意見の連帯感、ローカルで少なかった賛同者も全国的にみればそれなりの人数になり、少数派なのか多数派なのかわからなくなるのだ。本当に少数派であればピクリとも反応はないけどね。

同じ意見がいるからといって其処に逃げ込みぬるま湯暮らし。

まさに人間の業!!それを増幅させるネット文化に乾杯!!



でもこの中途半端なガス抜きの為に不満が熟成されず凄い才能が生まれない様な気がするのは僕の妄想。
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2012年03月05日

ブラック・スワン

凡人に毛が生えた様に人に大きな仕事が舞い込むとプレッシャーで駄目になりますという様な作品。

まぁ駄目になってもいい仕事をやり遂げるけどね。

天才故の狂気の淵ではないのでイマイチ面白みに欠ける、凡人が覗き込む狂気の淵なので単なるヒステリーにしか思えないのである。そのくせヒステリーの割にはおかしな幻覚状態の為に今ひとつピンと来ない、実に反応が極端過ぎるのだ。

πで天才の狂気を描いたからそうで無い人を描きたかったのかもしれないけれど映像の面白さの為に同じ様になったのだろう。(ジャンキーの狂気も描いているしね)

コレならば純粋にドロドロとした生臭い感情で作られた方が面白かったのではないか。(ありきたりだけどね)ドンドン被害妄想と嫉妬心で周りを壊していくといったわかりやすい狂気の方がこの主人公の立ち位置だと感情移入しやすいと思う。

日常にある微妙な違和感に宿る狂気。派手な映像にはならないかもしれないけどそれを丁寧に詰み重ねていく事でしか凡人の狂気を描く事は出来ないのではないだろうか。
posted by mouth_of_madness at 21:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月04日

冷凍唐揚げ

久々に冷凍食品のレンジでチンするタイプの鶏の唐揚げを買ってみた。

ずいぶん昔に食べたときにはコレは鶏の唐揚げじゃないよというトホホ感の食べものだった、しかし最近は冷凍食品も質は上がっている為に美味しくなっているのではないかと思い買ってみたのである。

しかしやはりコレは鶏の唐揚げではないと思う、相変わらず僕にとっては美味しくない食べモノである。

衣がサクッとしていないとう部分もそうだが(衣に関しては肉屋で揚げて売っているモノでもこんな感じのフニャ感のモノはあるからねそういう流派のモノかもしれないからね)、何といっても肝心の肉の部分が駄目である。鶏肉の味、食感共に鶏肉という感じがしないのである、そして変な臭みもあるのだ。

この鶏肉、鶏肉の切れ端を集め固めて作っているのではないか?それがこの鶏肉の不満足感に繋がっているのではないだろうか。単純に切り分けているだけだとしたら冷凍する過程で繊維がバラバラになっているのだろう。

また油が冷凍される過程で不味くなるのだろう。自分の家で揚げるタイプの冷凍食品では味のレベルが違う。冷凍の唐揚げも油で揚げるタイプはレンジのモノに比べると格段に味は違うのだ。

便利さと味という部分で天秤にかけるのだが味のレベルがまだまだ釣り合いがとれていないと思う。価格的には決して安くはない、光熱費を考えなければ自分の家で揚げた方が安上がりで美味いのである。(ブランド鶏肉とか使えば別だけどね)

これが唐揚げだと子供の舌にインプットされるのは実に困るのだ、これが美味しいモノだと教育されると世の中の味覚傾向がおかしな方に流されると思うのである。

味の部分をもう少しメーカーは考えるべきだと思う、でもこれが美味しいと思うのであればもう諦めるしかない。
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2012年03月03日

オーディオ女子

ブランド品より真空管アンプという事らしい。

だが今に真空管のブランドに拘る様になるのだろう、そして真空管の値段も高騰するのだ、ムラードだテレフケンだという事になるのである。またナス管が可愛いだのST管が素敵だのといった話になるのだろう。

今はヘッドフォンとダウロードデータがメインの楽しみ方みたいだが、小型スピーカー等に移行していくのだろう、あまり大型のシステムに移行する様な気はしないと思う。

このオーディオ女子ブームに少しだけ期待している。今は壊滅的になった中価格のオーディオ製品の充実と日本製の酷いデザインが良くなるのではないかという部分である。インテリア的には良いデザインを望んでくれる筈だ。またダウンロードデータの高品質化という所にいってくれる事に期待するのである。圧縮されたMP3で満足出来なくなって上の規格を望んで欲しいものである。DSDとかが主流になったり更に新たなる規格とかの登場になれば実に嬉しいモノである。

是非此所までのパワーを発揮して欲しいモノである。

でもコレってよく考えるとチョイと怖いかんじがある、女性の男性化が進んでいるのではないかという部分だ。カメラ女子とかから始まっている女性の進出の裏に何か危険なモノを感じるのである。ますます色々なモノに縛られる不自由な男性の生きづらい世の中になるのではないかという恐怖感があるのだ。細々と逃げ込む場所だった部分にドカドカと踏み込まれて逃げ場無しになるのではないだろうか。(正確に言うと男性化ではない、男性の領域にまで踏み込んで来ただけであり、男性より自由に楽しんでいると思う)


このオーディオ女子ブームが本物になるのか?今はまだメディア作ろうとしている虚構かもしれないけどね。



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2012年03月02日

アジャストメント

管理されている運命に対して足掻く男の映画。

人類が頼り無いから運命捜査局が調整している世界、誰もが自由意志で生きていると思っているが偶然を装い運命を操作されているという。

その世界の仕組みに気がつき1度は諦めたけどやはりその偽の人生に耐えきれず足掻くというのは面白そうなのだが何ともその足掻きがドア開けて走っているだけという展開の為に今ひとつ盛り上がらないのである、成る程とポンと膝を叩く様なヒネリがないのである。

世界の仕組みに気がつき足掻くという映画では「ダーク・シティ」が僕的には傑作である。

コレでは元気ハツラツなだけなのである。元気があれば何でも出来るという猪木イズムな映画なのだ、元気があれば運命も変える事が出来るとね。まぁ映画自体は淡々としたトーンの為にあまり元気ハツラツではないけどね。ボソボソしているからチョイと眠たい。

そして未来は白紙という状態になるのだが此所まで作られた運命に足掻いたのだ、本来だったら駄目になると言われていた部分も自力で克服した未来をみせてもらいたかった。それとも白紙だから全てチャラとでも言いたいのだろうか?世界的ダンサーになる運命と大統領になる運命を自力でつかみ取る戦いをね。
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2012年03月01日

反倫理的

金持ち、高学歴、社会的地位も高い人達はルールを守らず反倫理的な振る舞いをするらしい。

卵が先か鶏が先か!?

反倫理的な事が平気な人が金持ちになるのか、金持ちになると徐々に蝕まれて反社会的になるか?

まぁ僕は前者の方だと思うけど、後者の方も弱肉強食的世界で戦いを繰り広げていれば徐々に人間性をすり減らして行くというのもわかるけどね。デモこの記事の実験での行動があまりにもセコイ感じがする部分がすり減った結果という感じがしないのだ。すり減った場合は非情にはなるだろうけど、セコイ、ケチ臭い人間にはならない気がするのである。

でもこの記事をみるとそら世の中良くならんと思う。権力や実行力を持つ勝ち組が反倫理的な人間で占められていたら良くなる訳がないではないか。それもセコイ反倫理者では小金を横領し、貯めて(まぁチリも積もればではあるが)必死扱いて自分の失敗を隠す事が関の山のくだらない社会になるのも頷ける。

だが此所もう一つ疑問に思う、この記事とネタになった実験の意図だ。

勝ち組になると反倫理的になるからそんなモノを目指さずにいい人でいようという誘導では無いのか?ライバルは少ない方がという意図でこの記事を作ったのではないか?

その意図があったと考えるとやはりセコイ反倫理者である事が浮き彫りになってくるのである。



posted by mouth_of_madness at 22:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする