2012年04月30日

最近の政治をみていると何でこんな変な人材を選んでしまうのか?

ふと思った、全く出鱈目な想像でしかないのだがこれってある種のキモカワとかと同じでなんか変なモノに惹かれてしまう人間の心理がそれを選んでしまうのではないか?焼き物とかでも歪なモノが味わい深いとかいってしまう文化が染みついているのである。盆栽とかにも歪を感じるしね。

また完璧そうであると自分の不完全さを実感させられそうで不安を感じるのではないかと思う、理路整然としたモノに何か嫌感を感じるのである。まぁこれに関してはあまりにもスッとしていると逆に詐欺感を感じているのかもしれない。

世の中そんな理屈通りに動いていないという意識があるのだろう。

とか妄想しているうちに、様々情報に非常に騙されやすいというのが一番の原因かも知れない。様々な怪しげな健康食品、ダイエット商品、怪しい通販グッズ、オレオレ詐欺、カルト教団、○○健康法とかのテレビ番組、学校教育、僕も多分オーディオアクセサリーとかで騙されているしね。

日々騙されているし、その事に関してあまりにも無頓着なのである。だから政治に関しても騙されるのである。

騙し騙されスッテンテン。

それを酒の肴に愚痴を言うのが好きなのではないか、おかしな政策にヒーヒーいうのが好きなのではないかとも思えてくる。

人自体が歪になっているのである。
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2012年04月29日

ネットの正体

ネット社会になって人は情報を積極的に活用している、昔はテレビで一方的だった情報が双方向になった的なネットにより一歩進んだ人類的な意見。

ネット住人達が政治的な意見を活発に言う土壌も出来た新しいデモの形も形成されつつあるという。細かい所では今までなかったネット犯罪もあるけれど、基本的には新しい社会が生み出されつつあるという世論形成。

でも本当にそうだろうか?新しい社会というのは確かに正しい様な気がするが良い社会になっているかというと微妙な感じがするのだ。

むしろ悪くなっているのではないか?ネットにより色々な意見がスピーディーに議論されている様に見えるが実際はただ速いだけで熟考されている訳ではないのではないか。単に色々な考えが消費されているだけなのである、建築的な議論を重ね新しい考えを生み出している訳ではないのである。

単に対立しているだけなのである。

この対立構造こそがネットの正体ではないのか?これは何か仕組まれている感じがするのだ。
この対立構造で意見を言っていると何かモノを考えている様な錯覚する事が出来るし、自分の意見を理解出来ない者を愚民どもめと変な優越感に浸らせる事も出来る。そして現状に色々と不満があったり問題があったりする事をネットに書き込む事で何となくガス抜きがされているのだ。

まぁそのガスにより毒されていく人もいるけどね。

そして対立する事で人は疲弊していくのである。

何か問題を定義しそれを議論させる事により他の事を考えない様にしているのではないかと思うのである、この対立構造は物事を単純化にする事にあるのだ。

シンプルがいいという考えがあるが世の中其処まで単純にいかないのである。2択で済む様な世の中ではないのだ、それを2択化にするのがネットなのである。

ジャスミン革命みたいにネットが社会を世界を変えたというがこれとて本当にそうだろうか?確か変革はあった、ただこれが本当に考えた末に起きた事なのだろうか?考えて起きているのであればその後のグダグダ感はもう少し抑えられたのではないか?そしてこの革命は陰謀という話ももあるのだ。そうなるとネットが社会を変えた様に思えてもその陰謀を起こす事が出来る支配層の手のひらという事になるのだ。それは今までと何も変わっていないという事では無いのか?それともニューカマーの支配層が出てきた?まぁそれならば多少変わったといえる。

テレビは陰謀を広める道具という考え、ネットはそれを破ることが出来るというが、陰謀を広める事を長いことやってきた人間、集団に対してネットを使えば勝てると思うのは安易過ぎるのである。媒体は違っても世論誘導、世論形成のノウハウは使えなくなった訳では無いのである。
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2012年04月28日

録画時間

HDDの価格が安くなったのと圧縮技術の進歩によりハードディスクレコーダーはとんでもない時間録画出来る様になった。

でもそれのおかしさに気がついた。

確かに全チャンネルを全て録画する様な用途ではその録画時間が多いという機能を使うといういう意味では良いと思う。

タイムマシン的に使うのである、話題になったりしたモノを過去にさかのぼり観るという事では便利になったととは思う。

しかし好きなモノ、観たいモノを録画していくという面では録画時間が延びるという面ではもう過剰である、過剰過ぎるのである。

録画時間延びても観る事が出来る時間は延びないのである、後で観るのであればDVDやブルーレイにコピーしておけば良いだけの事である。

しかし溜まっていく録画物が増えていっても多分観る事は出来ない、今観る事が出来なかったモノは後でも観る事は出来ない。まぁ失業とかして時間だけか有り余る様になれば観る事が出来るとは思う、あとテレビが面白い番組を作らなくなれば観る時間は確保出来るかもしれない。

普通の生活が出来、それなりに同じテンションで生活をしている限り、今無い時間は後になっても出来る訳無いのだ。テレビ生活をしていたとしても次から次に観たいモノは増えていくだけである。

島本和彦の漫画で録画している安心感こそが良いというのもあったけどね。

そう考える実際は録画時間を増やす事より録画したモノを如何に短時間で同じ面白さを維持したまま楽しむ事が出来る様にするのかという事がレコーダーに必要な機能である。

今あるのはCM飛ばし的なチャプター分割とちょっと速い再生ぐらい、もう一声何か欲しい所だ。確かにこれだけでもかなり時間短縮になるけどね。セリフがあるか否かで更に速度をコントロールするとか出来ないですかね?セリフがない時は最大2倍まで速度がアップするとか。

あとセリフを全て音声認識で字幕化する、そうすれば2画面同時観しやすくなると思う。

脳に高速ダウンロード化出来る様になればかなりラクチンだけどね。
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2012年04月27日

オリコンデイリー

オリコンのデイリーランキングが凄かったらしい。もう3位とかが3桁台とか。

若者のCD離れらしい、でもダウンロードで買っているかというとこれも低下傾向らしい。まぁ音楽が魅力のある娯楽ではなくなったという事なのだろう。

でもCDが売れなくなったという記事を見ると何か違和感を覚える。これまでそれまで売れていたモノが売れなくなった時にも場合にも記事になっていたのかだろうか?記事になったモノもあればならなかったモノもあるそういうモノだと思う。

何で音楽は記事になるのか?

色々なモノには盛衰があるというのが当たり前のモノではないのかと思うのである、でも音楽は何か特別感がある様な書き口がどうにも気になるのだ。

音楽で飯を食っている人は確かに売れないと困るというのはわかる、産業としても音楽産業はそれなりに大規模な産業だろう。印刷業務、プレス業務、ケース製造と音楽とは違うがこれらの業種の人間もCDが駄目になれば仕事に影響すると思う。確かに規模を考えれば問題は小さくないとは思う。

でも音楽が売れないと何か問題があるのか?

売れないとしたらその程度のモノという事なだけだ、何も特別なモノでもなかったという事なのだ。それにこれまでに発表された膨大な量の音楽を楽しむだけでも一生分あるのだ。

新しい曲が生まれなかったとしても膨大な音楽があるのだ初めて聴く様な驚きは十分にある。

これまで潰れていった色々なモノ、それらを踏みつけながらも前に進んで来たのが今だ。

そして音楽の代わりの他のモノが生まれて来ているのも今だ、それが世界を変えるという錯覚を人々に与えるモノになるか否かはわからないけどね。なんか細分化している今、それほどのパワーを持つまでに育つのは難しい様な気もする。
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2012年04月26日

ヒアアフター

観終わった後、なんだいこりゃ?という位に頭の中に?がポポポポン!!となった。

まぁこれは死生観の違いなのだろう、僕には何を言いたいのか全くピンと来ないのである。いや絶対何かを言わなければ駄目ということはないけどね。

だがこの映画には凄い部分がある。ちっとも全体の話としてはピンと来ないのだがとりあえず退屈する事無く最後まで観る事が出来るのである。良い感じに三つの話で関心を引きどのような着地点に持って行くのかといく誘導が実にいい感じなのだ。

三つの話はいずれ一つの点に終着するというのは観てれば大体誰でも予想するだろう、その部分でどんな着地をするのかという人の心理を上手く利用し映画へ引き込んでいくのである。時間配分もいい感じなのだ。それぞれのエピソードも多少極端にわかりやすくなってはいるがありそうな感じな日常である。それが死によりちょっとだけ壊れいく、死により止まってしまう
感じも丁寧に描いてある為に退屈はしない。(まぁオチがわかっていると退屈する可能性はあるけどね。)常にその先はどうなるのだろうかという観客の煽り方が上手いのである。

またオチの付け方も淡々として変な驚かしもない、わかり合える人と出会えたという地味な展開というのも上手い落とし方だと思う。僕には「でっ!?」となったが無難なオチの付け方だと思う。

僕にはまだ克服しなければならない様な死を経験した事がない。
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2012年04月25日

予想

人は物事の良し悪し何で決めているか、何か比較対象と比べてそれより良いか悪いかで比較するという相対的価値感という方法がある。

しかしもう一つある。

自分が予想した、期待したモノとの比較である。

期待が大きければ期待外れになりがちだし、期待していなければ予想外に良かったという評価をくだすのである。

ある意味実に理不尽な評価を人はしているのである。

対象と比較するのはまだその良し悪しに理がある様に思えるが、自分の予想という勝手な思い込みと比較するというのは何も理がない評価なのである。まぁ理性が多少あればその事をわかった上で微妙な判断を下すことも可能ではある。

この理不尽な評価ドンドンと人を蝕んでいく、音楽とか映画、本とか色々と聴いたり、観たり読んだりしていると自分の予想を超えるモノが段々と出てこなくなる。そうすると驚きや刺激がなくなりなんかあまり面白く無かったという評価をしてしまうのである。

期待しなければいいのだがやはり無意味にワクワクしてしまうのである、予想の80パーセントの出来であればそれなりに満足出来るのだろうけどね。

昔のモノを良いと思う心理、それはまだ予想値が低い時に凄い刺激を受けた為に脳にこれは最高のモノというスイッチがつけられたのである。それが昔は良かったというトリガーになるのだ。まぁ本当に良いモノというのもあるけどね、そしてそれを越えるとというのはやはり物凄い半端ない才能というモノがないと駄目なのだと思う。

予告編というモノは実に難しいモノである、出来が悪ければ客が入らないし、出来が良ければ必要以上に期待が膨らみガッカリさせる可能性があるという。人の理不尽に翻弄される予告編は実にかわいそうな存在なのだ。
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2012年04月24日

ゾンビパーク

ゾンビランドに便乗したタイトルがつけられた映画。

でもこれってゾンビ映画?確かに死んだ人が元気一杯に暴れているけどゾンビ映画じゃないよねこれ。どっちかというと死霊の○○とか悪魔の○○とかデビルズパークとかそんな感じの映画だと僕は思う。

笑いをとりたいのか、怖がらせたいのか、はたまた気持ち悪といわせたいのかどうにも理解に苦しむ感じの出来なのだ。映像的にはそれなりに頑張ってはいると思う。スケール感はないけど80年代に観ていたらコレもそれなりに評価される位のB級映画な出来ではあると思う。

でも今となっては何か古くさい感じが漂うのである、端々が何か古くさいのである。音楽とかも80sリバイバルみたいなモノがあるから映画にあっても良いとは思うけど微妙に駄目センスに溢れているのだ。

今ひとつサービス精神がないのである。映像は暗いし、エロサービスも弱い、馬鹿っぷりも弾けきれない寸止め映画なのである。

誰が上手いことまとめろいったという感じである、破綻しようが暴走して欲しかったと思う。そのくせこの原因になった悪魔は一体何をしたかったの?という疑問も残るし、あのパークの人々の連帯感も謎、何でノーマはあのパークのリーダーやっているのかわからないのである。

むしろ三つ巴の戦いにした方が良かったのでは?

ノーマ、悪霊となったパークの住人の爆裂バトル、それに巻き込まれるアホな被害者の七転八倒コメディでまとめてくれれば面白かったのではないかと思うのである。

そしてノーマと被害者のヒロインが同じ様な境遇で意気投合して最後の大バトルに突入といった展開の爽快、痛快ホラーアクションだったらなぁ・・・・
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2012年04月23日

サザエさんの毒

別にサザエさんだけではないが夏休みの宿題でドツボにはまるという話。

実はこれが日本人の奥底に駄目因子を作り出しているのではないか?何でも先送りにしてギリギリなるまでやらない、そしていざという時には家族が手伝ってくれるという甘えを心の奥底に刻みつけているのではないだろうか。

これは元々あるあるネタなのだろうか?僕にこの夏休みの宿題をギリギリまで残すという実感が無いのである。

あるあるネタだから面白い?いや僕に何が面白いのかよくわからない。遊んでばかりいたら宿題が終わらない、やるやるといっていても実際にやらなければ終わらない。ごく当たり前の結果なのだ。

やらなかった理由に何かネタがある訳でもない。

毎年の様に繰り返される夏休みの宿題のてんやわんや、このあまり面白くもないネタが日本人の潜在意識に影を落としているとしたらこれは非常に問題ではないだろうか?

この感覚が何か外圧がないと変わることが出来ないという政治的問題を生み出していないか?まぁ実際の政治を行っている連中の年齢とは微妙にズレているような気もするけどね。

しかし選挙民には十分に影響していると思う、問題は先送りにという考えが潜在意識にある為に目の前の美味しい話に飛びつきがちなのである。

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2012年04月22日

病気の苦しみは、なった人にしかわからない

癲癇患者の自動車運転問題の記事であった言葉であるがどうにも理解に苦しむ、自動車の運転が出来なくて困る事と病気の苦しみというのは関係無い事ではないのかと思うのである。

確かに病気は大変だとは思うが、危険性をおかして良いというモノではない。確かに健常者が突然発作を起こし同じ様な事故を起こす可能性はある訳だから、薬を飲んでい抑えている人との差は少しだけ高いだけかも知れない。

区別されるいわれはない、危険性がないというのであれば治療を受けている人の発作頻度の正確なデータの公表をするべきである。

世の中は馬鹿だから正確な数字を出して健常者との差は1パーセントぐらいしかないといっても差別をするから公表をする事の不利益が大きすぎるというのだろうけどね。しかし正確な事を提示しない限り変な誤解は無くなる事はない。隠せば癲癇というモノがなくなる訳ではないのだ。

現時点では危険性があるモノをそう簡単に何でも許すという訳にはいかないというのが人の心理というモノではないだろうか。そんな感じで原発も全部止める方向にいっているしね。1度大変な事故を起こしてしまえばその不安感は中々消えないのである。

車の事故であれば個人の資質という事で良いのだが癲癇という漠然とした大きなモノとなると人の心理的には不安を取り去るのは中々難しいのである。

むしろ癲癇の症状を明らかにし法律的な面よりも治療方法や新しい勤務システム、また車の改良等に訴えかけるべきではないだろうか?

人は別に差別したい訳ではない、単に危険性を排除したいという心理により差別的行動になるのであればその危険性を排除する方法を提示すれば良いのである。(まぁごく一部に優位性に立ちたいだけの差別者もいるにはいるけど)危険性でウワッとなっている時に僕達の人権や病気のつらさわかってでは何の解決にもならないのである。お涙頂戴では解決しないのである。瓦礫処理もそうでしょ単に地震と津波で壊れたモノであれば受け入れたであろうけど放射能という漠然とした恐怖の前には中々人は動けないのです。

別に東北の人に苦しめと思っている訳ではないのよ。

そんな風に考えるとスバルの自動車のオートブレーキみたいモノをより強化したモノの開発を進め癲癇持ちの人はその車に乗る事を義務づけたりするのが良いのではないのだろうか。

これは癲癇だけではなく高齢者や他の発作症状を持つ者にもね、脳波モニターとかをつけ発作や居眠り対策をした車の開発を推進するべきである。車から信号を出しお互いの車間距離とかをある程度コントロールする仕組みとかを作っても良い時期なのだ。車乗りには嬉しくないかも知れないが人間の不注意のサポートをする機能は事故を減らす為にも必要なのだ。

ただあんまりサポートしすぎると更に人間の意識は散漫になりそうな気もするけどね。ハイテク化しすぎるとそれのバグや不具合による事故も増えそうではあるが。
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2012年04月21日

オーディオの問題点

もうだいぶ前から音を悪くする原因はジッターだいう様な事が良くいわれている、また電源だという話も良くいわれている。更にスピーカーの逆起電流、これはポツポツとアクセサリーが出ていたりする、CDのクロック、オーディオケーブル等の問題もある。

これらの問題点が本当だとすればこの問題点がわかった時点で対策される筈である。逆起電流やクロック等の後付けアクセサリーは既に販売されている上を見れば確かにキリはないのかも知れないがどちらも大体一つ10万〜15万位出せば対策できるアクセサリーを買う事は出来る。

メーカーも原因がわかっていてこの位の金額で販売できるアクセサリーならばもっと安く作る事も出来る筈だと僕は思う。そしてそれを最初から組み込めば良いのではないかと思うのだ。

確かに販売価格が高くなると売れないとかいう話になるが元々高額商品ならばこれ位の対策は全て入っていても良いのではないかと思う。問題がわかっていなかったり、対策がわかっていない時代の製品ならばこれらのアクセサリーを買うというのはわかるのだが、新しいモノでも何か対策されているという感じはしない。少なくとも対策されていたらその事を表記して欲しいものである。

この商品は逆起電対策されています、それらのアクセサリーを購入しても意味がありません位のことを商品説明に表記して欲しいモノである。まぁクロックの件は精度を書いている商品はあるけどね。まぁこれは問題点がわかっていて対策しているという感じはする。

電源対策についてもそうだ、ある価格以上のモノには対策をしていてもおかしく無いと思うのだ。電源アクセサリーはいりませんと表記してよと思うのだ。

まぁ今のところ電源の大きさから組み込むのは多少難しそうな気はするけどね。

熱関係とかの面で外部に分けた方が良いという感じもあるしね。

しかしこんな事を考えていると実は問題点なんかわかっていないのではないかと思えてくる。

他なる流行の一環とし問題点をいっているだけなのだ。だから根本解決ををしようとしないのである。

本当に問題点があるのならば順番に問題点を潰していくだけなのに、音は嗜好品だからいい音は人それぞれの好みがあるという所に逃げ込み問題を先送りにしているだけなのである。

大体オーディオケーブルの価格って何っていう感じがする。確かに機器に一千万とか出す人間だったらケーブルに百万とかというのもバランスという感じなのかもしれないけれど大体何の対策をすればそんな価格になるのかが全くわからない。ケーブルの仕事は入り口と出口で変化する事無く信号を送れば良いのだ、外部からのノイズとケーブル内での減衰それらの対策が其処まで価格になるのか?まぁ減衰を0にするというのは無限大の価格という感じがするけどね。

あぁそれだから高いという事なのか?

まぁ今に耳用のオーディオサプリとかいい音で聴く為の服とか出るのだろう。オーディオ専門の住宅メーカーとかが流行る様になったらかなりヤバイかもとも思う。
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2012年04月20日

アンノウン

仕事熱心にも程がある男が巻き込まれる不可思議な事件の映画。

観ていて何じゃそりゃとなる、入り込み過ぎにも程があるだろうとツッコミを入れたくなる展開に唖然となるのよこれが。

でもその展開が面白いかというと微妙に説明不足の為に其処まで面白くないというのが残念、細かい所が色々と雑な印象を受けるのである。アクション面でも非常に地味な感じでモッサリとしている。

爆弾解除のシーンの意味不明感も半端ない、何で意味不明のピンチになっているの?この人達って最高の腕の持ち主達ではないのという気になるのである。

色々と証拠を残し過ぎだろう!!

いや本当は大した連中ではないのではないかと思ってしまう程の駄目な奴等なのである。素人に車に轢かれてしまうし、毒薬うたれるし、元秘密警察のじいさんに正体とカラクリバレちゃうしね。

大体その組織の一員だった主人公があんな風になっている訳で色々と問題多しの組織なのである。そう思って見るとこれは実はコメディ映画なのかもしれない、いやきっとコメディ映画に違いない。

あまり笑えないがこれはコメディ映画だという事にしておこう。

そう思って観直すとまた違う展開があるかもしれないぞ。コメディだったら最後に宇宙人出すとか、実は夢オチとか色々ともっと駄目なありがちな展開があっても良かったのではないかとも思う。ドンドンと日常が壊れていく、そして世界の仕組みに気がついてしまうとかの眠たい感じでも良かったとも思う。




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2012年04月19日

引いても駄目なら押してみな

尖閣買いますという石原発言、マスコミが中国を挑発するなという論調で石原叩き。まぁ全ての新聞やテレビ報道をチェックしている訳では無いので実際の比率はわからないけどね。

しかし今まで弱腰外交だの、遺憾の意しかないだのと言われ続けた日本の外交戦略で何か上手くいったのだろうか?ドンドンとつけいられるだけで少しずつ損をしてきたのは日本ではないのか。これって大東亜戦争の時と同じなのだ譲歩を続ければドンドンと踏み込むの世界政治なのである、それがグローバルな政治なのである。

日本的に今日の所は此方がおれるから次はお願いねというような事は出来ないのだ、おれた所が次の境界線になるのである。

譲歩し続けた挙げ句にブチ切れる日本に対してチャーチルも言っているではないか「日本にこれほどの力があったのならもっと早くいってほしかった。日本人は外交を知らない」とね。

これってイジメも同じなのよ中途半端にイジメを許容していくと取り返しのつかない一線を越えるのである。その前に強力な意思表示をしないと駄目なのである。

我慢しすぎると日本は火だるまになる危険が近づいているのである。

イジメでいうと殺されるか、自殺するか、殺してしまうかという実に不味い所に追い込まれつつあるのだ。

もう理屈で通じる境界を超えつつあるのである。

これまで引いても駄目だったから考えを変えないと駄目なのだ、もう十分に引いたのだよ。


だから今回押してみたのである。もの凄い反応が出ている様に思う。後はこの騒ぎに水をさしたり、動き出したモノが大きすぎてビビってしまわない事だ。覚悟を決める事だ。

今此所で更に引いてしまうと次は沖縄がターゲットになるという事を理解した方がいい。

争う位なら沖縄も北海道も九州もくれてやる、いや日本自体も中国領にするという位に割り切っているのならば別だけどね。

其処までの覚悟ならばもう何も言うまい、個人のエゴでしかないが殴りつけてでも止めるしかない。

このままでは軍靴の響きが聞こえてくる事になるのだ、その前に押すべきなのである、外交で済むうちに問題は解決しなければ駄目なのよ。


覚悟を決めろ!! 
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2012年04月18日

SPEC・天

微妙人気テレビ番組の劇場版。

何となく劇場でやる必要があるのか?という微妙な感じの出来でした、嫌いじゃないんだけどね。

まぁテレビ版よりは予算がかかっているのかも知れないけれどイマイチ大画面の迫力感とかはないのはやはり物足りない。

やはりテレビのスペシャルで良いのではないかと思うのだ、むしろ映画になる事でテレビシリーズを観るのと同じテンションで観るのが難しくなるのである、やはり作品を観る雰囲気というのも大事なのである。

それに大画面での空気を読まない微妙な悪ノリのギャグは寒さが倍増するという悪影響もある。

映画は天(転)というだけあって謎を残した急展開で終わる。しかし欠(結)は観る事が出来るのだろうか?平日のレイトショーとはいえあそこまでガラガラだと心配になる、直前にやったスペシャルの翔(承)も視聴率が悪かったという話だし大丈夫かと心配になる。

此所まで観たのだから最後まで観たいのだが実に心配なのだ。

映画はベタな超能力バトルモノ、昔から伝統的に日本超能力モノという感じ。「七瀬ふたたび」「NIGHT HEAD」とかの伝統的流れという感じのモノ、あと漫画のジョジョか(まぁ今回特に?世界とかでてきたし単行本置いてあるしね)

其処で思った、飯田譲治の撮るSPECを観てみたいと思ったのである。御前会議側から観たシリアスな展開とか他の視点のシリアスなスピンアウト、サイドストーリー的なモノを観てみたいものである、当麻天、当麻流夏のSPECビギニングみたいなモノとかね。

それにしても当麻を演じている時の戸田恵梨香はいい感じである。微妙に病んでる感じが素晴らしいと思う。また能力が暴走する時の白目無し状態も実に美しいのだゾクゾクするのである。
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2012年04月17日

X−MEN・ファースト・ジェネレーション

これまでX−MENシリーズとは違う形の3部作になるとかの1作目。

まぁスパイダーマンもバットマンも作り直しているのだからX−MENもという感じですかね。

色々な出来事が一点に集まっていく感じはそれなりに楽しめる。出来はそんなに悪くはないと思うのだけれども、今ひとつ沸き立つモノがなかった。

いやそんなに退屈せずに眠くなる事も無く観ることは出来るのだけどね。といっても訓練の部分のダラダラ感はチョイと退屈だった。ベタな感じをやることに微妙に照れを感じるのである、ベタで何が悪いという位の吹っ切れ感が欲しかった。

まぁそのダラダラ感も後半の盛り上げの為のタメだといわれればそうかもしれないけどね、ずっとテンション高めだと観ていて単調になるからね。でももう少しそれぞれの能力者の背景を描いても良かったのではないかと思う。

それとやはりベタでも能力者の為に苦労したというエピソードをもう少し入れても良かったのではないだろうか?でもそうなると多少の矛盾が出る可能性もの高いけどね。隠して生きてきた人生の重みがあってこその人間観察といか旧人類に対する恨み節ではないだろうか。逆に認めてくれる人もいるという部分もあってこその対立構造ではないだろうか。

人間の陽の部分と陰の部分とこれまでの人生でどう関わってきたかでの人格形成だと思うのである。其処を丁寧描いてこその二人のリーダーが袂を分かつ部分が生きるのだと思う。

陰の部分がナチスと収容所では駄目だと思う。力で守ったにもかかわらず、守った人々に力が有る事を気味悪がれその挙げ句に密告されたという感じが欲しい。

こんな風にきっと何かがちょっとずつ足りないのである。不味くないけどもう少し胡椒利いていた方が個人的に好みとかいう感じに近い。
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2012年04月16日

人間の狂気

生活が厳しくなり命に危険が及びそうになれば人は狂気に走りやすい、また権力を得ればそれを維持しようとして狂気に走る。

どちらも程々というのを忘れるという異常な状態が人を狂気に走らせるのだろう。

そう考えると一億総中流を目指した日本のチョイと前の政策は結構いい政策ではなったのではないかと思う。

こう思ったのアメリカのデモや中国の重慶でのデモとかの写真とかを観て妄想が膨らんだ。

抗議をする方もそれを押さえつける側にも何か人間性を無くした狂気を感じたのである、リビアのカダフィー亡き後の虐殺の写真をとかを観ても人間の狂気を垣間見る感じがした。

空腹も辛ければ過剰な満腹も辛いのだろう。

後がない、目指すべき先がないという状態が人を狂気に走らせるのだろう。実に難儀なモノである。

だがこの二つに共通点を僕は見いだした後ろがないという落ちる恐怖、先がないというのも逃げ切る事が出来ず何時その場所から落ちるかという恐怖感しかないのだ。

中間層は逃げ切ろうという余裕があるのだ。下がったり上がったりは日常だからね。

それにしても同じ人間が此所まで残酷になれるのは何故なのだろうか?同じ国の人間に対して大した憎しみもなく権力からの指示とはいえあそこまで残酷になれるのは何故だろうか?

政治家や官僚等が国民に苦痛を与えても平気な感じ、平気で嘘着いたりするのも同じ様に残酷である。自分達は賢いボンクラな庶民とは違うのだよ、政治家を辞めてただの人になる訳にはいかないのだよという。

それを考えるとやはり人は落ちる事に猛烈な恐怖を感じるという事の証明なのではないかと思う。

まぁもう一つの可能性としては実は同じ人間に見えているけど実は人間ではないという可能性だ。人間を支配し搾取する為に来た別の世界から来た人間モドキなのかもしれない。
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2012年04月15日

サル

治験に参加した自主映画製作青年達の悲喜交々の映画。

具体的な暴力描写を見せないのならば(まぁ少しはあるけど)薬の副作用をあんな風にする必要があったのか?まぁ副作用としてはわかりやすいけどね。

しかしそのせいで逆にリアリティのある怖さも無いのである。また参加した仲間が裏切るという部分も蛇足に見えるし、最後に身体が不自由になりながらも作りかけだった映画を完成させようとする部分ももの凄い蛇足にしか思えない。これらの雑味の為になんかボケボケに感じるのである。

いや治験の部分がテーマではない、人は信用しては駄目なのよというのがテーマなのだといわれればまぁそういう事ねというしかないけど。そんなテーマだとしても最後はやはり意味不明感は残る。

治験をする側が治験のボランティアをサルと思っている部分と副作用がでかいとわかり仲間を騙し自分の映画のモチーフに選ぶという視点もまたサルという構造だとは思うのだけど、観ていると制作者のオナニー的に感じるのだ其処がサルか?と思ってしまうのである。

まただらだらと長い、其処で人が描かれているか?というと実に微妙なのだ。人がしっかりと描かれていればまだ腑に落ちるのかもしれないけれど何か雰囲気的なのである。役者は抑えた感じで良いのだけどね。

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2012年04月14日

東京利権

農業利権や土木利権はよく槍玉に挙がる。

しかし最大の利権は東京利権ではないのか?大体戦後焼け野原になった東京を継続して首都にする必要はあったのか?復興させるのだが首都として復興させる必要があったのだろうか?

仮にあったとしても現在の地方を疲弊させてまでの発展を維持する必要はあったのか?ちょっとやり過ぎではないのかと思うのである。確かに集約化するメリットはわかるそれで発展した部分もあるとは思うのだがやはりちょっとやり過ぎであると思う。

土地の価格を高騰させてまでやる必要があったのか?と思ううちにこれってそれで稼ごうと思った連中の利権ではないのか?確かに集約する事のメリットはわかるだが土地等を高騰させた事による金額的デメリットも少なくないのではないか?企業が来るのはそれはメリットがあるからというだろう。

だが実際には企業以外に様々な人々がデメリットの分を色々と払っているのだ広く薄く払っているのである。

地方の疲弊もそのデメリットである。

地方被るデメリットの分を東京の人間が払うのはある種仕方の無い事でもあると思うのだが、関係性が見えにくい為にその事を拒否しようとする。地方の道路を整備しようとすると税金の無駄遣いという意見がわき上がるのである。また夕張みたいになると地方政治がなっていないからという意見が飛び出す。

ちゃんと考えれば地方でもやっていけるという意見があるが本当にそうなのか?東京は頑張っているからだと気楽にいう地方が頑張っていないという証拠でもあるのだろうか?それに東京が頑張っているとは何をもっていっているのか?

やれるモノならば是非やれる自信のある人はやって欲しいモノだ。

殆どの人は日々働く日常をこなしているだけだ、東京に住んでいる人間は政治の事を考え都市の発展を考え日常的にその考えを具現化する為に行動しているとでもいうのだろうか?そんな事はない働いて消費しているだけだ。

大多数が東京の利権に引かれて集まっているだけなのだ。地方の優秀な人間とポンコツを吸い上げているのである。優秀は能力を生かす為に、ポンコツは地方では仕事がないし、勘違いで集まってしまうのである。(まさに僕の事だね、地元にいたら出来る仕事無かったからね)

もしかするとこの構造を生み出したのは戦後の恨みなのかもしれない、本とかで得た薄っぺらい知識だと食糧難の時に着物や貴重品といった空襲から守り切ったモノをわずかの食料の為にとられたという思いが何処にあるのではないだろうか。その恨みが吸い上げようという考えなのだ。そしてその恨みが食料が十分に手に入る様になった時、金で海外から買う事も可能になった時に農業利権叩きになったのではないだろうか。

またこの東京利権が東北の復興を妨げているのではないか?

結局は経済で物事を考える事が復興を妨げているのだ。経済性の集約化が物事を単一思考にしてしまったのである。

東京利権に対して地方分権という間違った方向性を生み出している。橋下の維新の道州制とかも関西に東京利権と同じ構造を作ろうとしている感じがする、関西の富を大阪に集約させようと考えているのだ。

全て自己責任で富の再分配等を考えない様なモノになれば国はバラバラになる、単純にバラまくのも駄目だけどね、人が駄目になるからね。

成功は全て自分の才能と調子に乗れる程の才能の持ち主なんかそんなにはいないのだから。いくら良い商品を開発してもそれを使える環境、文化レベル、経済能力等が無ければその商品をヒットさせる事は出来ないのである。

その成功の為に土壌を色々な人が作ってきたのだから。
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2012年04月13日

藤井聡・中野剛志

京都大学の面白二人組、TPP反対派のマスコットかつ理論のバックボーン、暴走した毒舌トークは中々のモノ。

下手な芸人より面白いかもしれない、天然の部分がその面白さだと思う。

ネットで観る範囲では京大>東大という感じだ(面白さ)

まぁその面白さのせいとバッサリ切り捨て御免のせいで理屈が軽く見られがちな部分もあるけどね。

それにしても第68回公共政策セミナー「TPPと日本」シンポジウム(藤井教授だけ参加)
を見ると議論が噛み合って無くてどうにも不安になってしまう、噛み合わない二つの賛成と反対。

此所まで噛み合わないと足下が揺らぐ感じだ。僕が二つの意見が噛み合わない様に見えているだけで、理解力不足なのではないかと不安になるのだ。朝まで生テレビでの噛み合わない議論というのは自己顕示欲のぶつかりあいという感じでわかるのだが、このシンポジウムの噛み合わなさは別の対立構造があるのである。

そしてこのシンポジウムでわかった事が一つある、TPP反対派はどんな国にしたいかというビジョンがありそれに合うか合わないかという部分でTPPを考えている感じで賛成派はこれをやるとこんなメリットがありますよ、やらないとこんなデメリットがありますよで、個別の事案という小さいところばかりをみている感じだ、最終的にどんな形にしたいかを考えてなんかいないのである。とりあえずは世界の流れに乗っていれば良いという感じなのである。

これってとりあえず大学という感じと同じか、流行に乗っていれば読みが外れても世界の流れがそうだったから仕方ないという言い訳も出来るしね。

そこそこ頭の良い面白みのない人生で培われたノウハウなのだろう。

結局は両方を試した結果を観る事が出来ないモノだからね、失敗の責任をとれないとしたら世界の流れの方が良いという後ろ向きな判断なのだろう。そして農業は十分に利権の温床というイメージが定着しているしね。
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2012年04月12日

国家システム

国家とは国民をそこそこ幸せにする為に生まれたと僕は思っていた。しかし実は違うのではないかという妄想がグガーンと膨らむ。

実際の国家とは単なるブロイラーなのではないか?

拳で殴って奪える財、棍棒で殴って奪える財、人が個人的にやっても奪える財は知れている。腕っ節では効率が非常に悪いのである。腕っ節が弱ければ収奪されるだけだ。

其処で頭の良い連中は考えた。

腕っ節のない連中を集める事で力にし、自分達で檻に入らせる事にしたのである。そしてそれを管理するという名目で財を少しずつ収奪する事にしたのである。

まだ当初は管理する側もそれなりに下克上の危険性もあった。しかしそれを経済と民主主義という飴で収奪システムにガチガチに組み込んだ。幅広く収奪し、成長させる事でより美味しい状態を作り出したのである。

しかし困った事にこれまではそれなりに餌を与えていたのだが、人間の欲は深いモノでもっと欲しくなってしまったのだ。これまでは様々危機から守るという最低限の事はやってきたのだがその事を忘れてしまう位に劣化したのである。

その結果これまで回っていたシステムのバランスが壊れ回転しなくなったのである。

柵が壊れオオカミが入り込んでも放置していたら食べられてしまうし、餌を与えなければ痩せ衰えるのである。それでも良いと思う管理者は頭が悪いのである。成長させメンテする事で得る利益より餌代をけちる方が良いと思っているのだ。

この馬鹿管理者どもは今に国民を放出する、勝手に育つ奴だけを手元に残し面倒見ないと駄目なモノは放出するのだ。

その果てに全てを失う事になると知らずにね、馬鹿だから仕方ないね。
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2012年04月11日

僕の正気

日中韓の歴史問題を見ているとモノの見方以上の差に頭がクラクラする。

そっち側の視点で解釈したらそうだよねといった解釈問題では無い明らかに違う世界での出来事に思える位の差なのである。ある出来事があった世界と無かった世界二つのパラレルワールドの住人が会話している様な感じだ、これではもう交わる事は永遠にない。

きっとタイムマシンがあったとしても駄目なのではないかという位の錯覚を覚える。その目で観たとしてもこのタイムマシンは故障している違う世界に着いただけ、それかコレは大掛かりなセットで騙そうとしている言われる事になるのだ。

多分誰も本当の事なんか知りたくない、自分の信じる世界を裏付ける情報だけが欲しいのである。自分の頭の中で世界を構築しているのだ。

それこそが世界なのだ、いやもしかするとコレこそがパラレルワールドなのかもしれない。誰もが自分の世界に生きているのだ。様々な情報により世界は構築されていき他の世界と乖離していくのだ。似た世界には移動は出来ても乖離した世界への移動は難しいのである、次元を越える様なモノなのだと思う。

海外の反応系を見ていてもこの海外の人が見ている日本と僕の感じる、生活をしている日本とは別物に思える時がある、違う日本を見ているのだ。

僕がいる世界では僕は正気だと思う、コレまでの吸収した情報で構築された僕の世界では僕は正しいのだ。僕の怒りもその世界では正当な怒りである。

だが違う世界ではその怒りが正当なモノか否かはわからない。よく似た世界では正しいと評価してくれるだろう、だが違う遠い距離の世界では僕は狂人になるのだ。

また遠い世界の住人は僕の世界では狂人に思えるのだ。明らかに違う理屈の世界で動いている住人なのである。


誰が僕の正気を証明してくれるのだろうか?僕が脳で生み出している世界の住人達には無理なのだ、この世界は僕の脳が作り上げた世界でしかないのだから僕の想像を超える事はない、その様な現象が起きたとしても脳がその事を受け入れないからね。
posted by mouth_of_madness at 22:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする