2012年06月30日

20万人

反原発デモで1万7000人〜20万人集まって官邸前で大きな音を出したとか。

何だろうデモの写真を見ると単なるお祭り騒ぎの様にしか見えないし、何となく水増し人数感がドロドロと漂う感じもどうにもいただけない。平日に20万人も集まるほど覚悟や政治的、社会的興味がある様に僕にはどうにも思えないのである。それ程の覚悟と興味があれば此所までの政治的グズグズ感を招いていないと思うのだ。

昔の安保闘争のお花畑感と同じ匂いを感じるのである。そしてこの祭り感、平成のええじゃないかではないのだろうか、長い停滞感で悶々とした気持ちが爆発する捌け口を探しての反原発運動の様な気がするのである。とりあえず騒わぎたいだけの人が大半では無いだろうか。

確かに首謀者達の中には心の底から変えたいという気持ちがある者もいるとは思うけど周りは賑やかさに集まって来ただけの集団ではないのだろうか。まぁきっと20年もすれば政治を変えようと俺達も頑張ったよな、あの時、あの場所に俺達もいたんだとプチ歴史の証人的な美しい思い出になるのだろう。

また一部の報道でのコレが国民の声だみたいな括りにもイラッとする、この様な国民の声もある位ならば良いのだが、誰もがそう思っている様な感じにされるのは嫌なのだ。勢力としてはかなりあるのかもしれない、もしかすると過半数を超える人達を代表する声かもしれない、だが国民全ての声では無いのである。

それにデモに効果があるのだろうか?確かに0では無いし、知らない人に知らせるという効果とかがあるのもわかる。しかし騒ぎの割には効果はあるとは思えない。安保闘争とかでもっと過激な事をやっていても効果は微妙な感じがするのである。まぁ連帯感で学園祭の前日的日々というのは楽しかろうという気はするけど。デモで得ようという成果という面では弱いと思う。

また成果がでた場合に不利益を被る一般人に対しての責任問題の事を考えてやっているかという面も微妙である。いや下手すれば自分達が不利益を被った場合に簡単に賛成派に乗り換えるのではないかとすら思うのである。

事故の責任を政府、東電に追求する様に、停止した場合に起きた不利益の責任では自分達が追求されるのである、でもその覚悟は無いと思う。

そして思う。

動かすな!!というのではなく、コレとコレを我慢するから動かさなくても大丈夫という方にもっていくというのがスジでは無いのか。デモに参加した人達全てが家の電気を20Aにしますとか、ピーク時間は冷蔵庫しか使いませんとかを表明するべきではないのか。原発を使わなくても大丈夫な使用量にするのが動かさせない為にも必要なのである。電気は足りているという状況にする事で動かす理由を無くすのである。

太陽光パネル、家庭用ガス発電をつける、それらの余剰電気はただで売電します、原発停止派が値上がりする燃料代の差額を払いますとかいうのであればまだ説得力もあると思う。

いかに自分達で使用電気を減らすのか、電気を作る為の設備を用意するのかが大事なのである。訊いてくれなきゃどうにもならないという様なモノに血道を上げるのは効率が悪いと思う。

前にも書いたが1人1万円出して何か発電する為の設備や、断熱塗装、断熱窓、LED電球等での省エネ化をやる事から始めたらどうだろうか。契約アンペアを落とすのは簡単ですから少なくともまずはコレやろうよ。

抗議で無理矢理、自分の意見を通す事は暴力なのである。大きな声が勝という暴力なのである。現状の政治こそ暴力だ、暴力に対しての暴力だというのだろう、正当防衛だというのだろう。
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2012年06月29日

電子レンジ

この間飲み会で宴会コースメニューで思った。

大皿で揚げ物とかが提供されるのだがオッサン率が上がるとどうにも辛くなる、コースメニューの多少の選択性が有ればいいのと思う。前菜、焼き物、メイン、シメ、香の物其々で三種類ぐらいの中から選択するのだ。

これで食べ残しが減ると思うのである。

まぁ此処までは普通の話。これをやっている居酒屋はあると思う。

残り物の何が辛いのかと考えた。

油モノが冷えると美味しくないし、気持ち悪くなるのである。そこで考えた、卓上電子レンジ的なモノがあれば良いのにと思った。まとめて作られていたりするから元々微妙な温度の時もある宴会料理。それを温め直すことが出来ればかなり良いのではないだろうか。
冷めたから食べたくないモノを救済するのである。

居酒屋用電子小型レンジテーブルに組み込み、トップから物を入れるとかの形か、トースターの大きさ位になればいいのではないかと思う。

これこそが次世代居酒屋に必要なシステムだと思う。簡易オーブン機能的なモノが有れば更に良いと思う。
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2012年06月28日

スパイキッズ4D ワールドタイム・ミッション

スパイキッズも四作目、一作目から十年も経っている。これまでのスパイキッズだった二人ももはや子供ではなくなんか老け過ぎて微妙な感じに育っている。アレクサ・ベガなんてかなりおばさんくさいくジェシカ・アルバと同じ歳位に見える老けようなのだ。

まぁそれは置いといて。

今作、色々とあまい感じもあるが敵の設定が少し物悲しく、全体のお馬鹿なノリとのギャップが中々心地いいのである。戦闘員というか部下があんな展開になるとは実に小気味いいのである。ちょっぴり切ない気持ちになるのだ。

今作を観ていて思った。ロドリゲス何かににている、そうだ三池崇史に似ているのだ。ちょいと職業監督的な感じと子供の様な悪ノリ感、そして思いっきりバイオレンスに走ったりする部分と考えればこの二人よく似ているのではないかと思ってしまうのだ。

ジャンクフードかもしれない、だがこの二人の映画、クセになるのだ。何か無性に欲しくなる時がある美味しさがあるのだ。メジャーでもカルトでもない、一見中途半端に思うかもしれない、だがその絶妙なB級感が絶妙なのである。中々の職人技なのである。

僕はブルーレイ(レンタル)で観たので4D体験は出来なかったのだが基本的にこの馬鹿監督はオナラやゲロといった臭い匂い系で子供をキャッキャいわせて楽しませ様というアホアホ感もまた素晴らしい。
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2012年06月27日

消費税

消費税上げる方向には行くのだが、下げる方向には何故行かないのだろうか?

上げた事により問題(景気の悪化、税収減)がでたのならば下げるというのが理屈の様な気がするのだが、しかし現状の問題は消費税が足りないからといって更に上げてしまう。

今回の消費税を上げる事により更に景気が悪くなり、税収が下がった場合どういう責任をとるのだろうか?その場合あの行為は間違いだったと元に戻すという事をやって欲しい。

でも実際には更に上げるのだろう、直ぐに15パーセント、20パーセントの増税議論がされるに違いない。

消費税を上げる事を政治家の決断として良いモノという風潮がある、自分に対する票を減らす事になりかねない事をやる部分に政治家の覚悟を感じるという様な意見である。

だが実際は無能を表明しているのである。景気回復も出来なければ、無駄も削減出来ない、国家運営を出来るだけの税収をコントロール出来ないから消費税を上げるという短絡的な事をしてしまうのである。税収2倍にする為に単純に税率を上げるのはあまりにも馬鹿な行為なので有る、それは景気を上げ収入を増やす事で税収を上げる事が出来ませんと表明しているだけなのである。震災復興の為の一時的なモノならばまだわかるけどね。

この馬鹿さ加減でいくといずれ100パーセントを超えるのではないか?支払い額が倍以上に成るのである。手取りの額の半分以下しか購入する事が出来なくなるのである。

貯金するのが景気を悪化させる事に繋がる、ならば生活するのに必要な額を残し、全て巻き上げる事が出来るだけの消費税率を設定してしまう様になるのである。まぁその前にいくら何でも暴動は起きると思うけどね。

そして増えた分を更に無駄に使い、足りないという愚かな事をいうのである。
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2012年06月26日

アナザー・プラネット

鏡に投影した様な地球が見つかり近づいてくる、これを聞くとSFみたいな感じだけど、SFではないと思う。このもう一つの地球は観念的モノとしての自分みたいな感じ。

映画はもう一つの地球が近づいて来る感じと、罪の意識に囚われた女と自暴自棄になった男の交流を淡々と描き進んでいく、時折もう一つの地球の情報が挿入されたり、景色としてもう一つの地球が空に浮かぶ状態で心象表現をしていく。

あまりにも淡々としすぎていて多少眠たい感じ。またもう一つの地球というものが無ければ女と男の話は実にありがちな感じである。加害者と被害者が惹かれあい、相手が加害者だと気がついてゴニョゴニョという様な話だから、観ている人は何時気がつくのだろうか?という先読みで見ている筈だ、そして気がついたあとどうするつもりだという所に意識は向いていると思う。

多分此所がこの映画の失敗部分ではないだろうか?この二人の関係を描き過ぎではないのかと思う。もう少し女の内面の混乱を描くべきではないかと思う。

そのせいでラストもどう解釈するのか、観る人が好きな様に解釈すれば良いのか、僕の読解能力が低いのか監督の意図は今ひとつわからないのである。

本当にもう一つの地球はあったのか?それとも二つの地球が重なってしまったのか?乖離していた自分が近づきいよいよ答えを出す時が来たのかと謎を残して終わってしまうのである。

まぁ何度か見直せば答えを導き出すヒントがあるのかもしれないけどね。わかりやすい部分に意識がもっていかれる事により仕組まれたモノを見落としている可能性があるからね。

でもこれを観て藤子・F・不二雄先生ならばわかりやすく良い感じのSFに仕上げてくれたのでは無いだろうかと思った。
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2012年06月25日

ファイナル・デッドブリッジ

「ファイナル・ディスティネーション」シリーズの第5弾、さすがにもう息切れ感がある。なんか死に方がイマイチな感じになっている。

死ぬまでのヒリヒリ感が今作には感じられなかった。いやもう3作目辺りからおかしくなっていたのだけどね。体育館での死には多少ハラハラ感があったけど、客の読みを裏切ろうとしすぎて結果がいまいちなのだ。

確か着地を失敗し打ち所が悪ければ死ぬと思うけどあまりにも人体が破壊されすぎていて失笑してしまうのである。後頭部を打ち付けて痙攣して死ぬとか、首の骨を折る位のもう少しリアルな感じにすれば良いのにと思う。派手にしたいのはわかるけど日常に潜む偶然の積み重ね的にして欲しいのである。

また最初の切っ掛けになる橋の崩落事故にもリアリティが無く痛さを感じない。色々と唐突で何かと雑な感じがするのである。色々と連鎖が積み重なり大きな事故に繋がっていく大惨事感が欲しかった。死のピタゴラスイッチにして欲しいのである。

まぁ尺が短いのでそんなに退屈すること無く観ることが出来るのが唯一の救いか。
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2012年06月24日

ブログとかツイッターとか

日々刻々と更新されていくブログやつぶやき、素人の書き込みも山の様にあるのだが本当にこれは素人が書いているのだろうか?(まぁ何をもって素人というのかという問題も)

実は素人のフリをして政府や陰謀組織といわれる様なモノ達が人を扇動する為の書き込みが山の様にあるのではないか?

こんなに多くの人がそう思っているのならばきっと正しいと読み人が考えてくれる様に同じ様な結論の書き込みを増殖させるのである。ある程度の数を準備すればその読者が転載をしていく事で増殖していくのだ。

政治や経済の事、人は聞きかじった知識で物事を判断していく、いやきっと学者ですら明確なモノはないと思う。

ある程度理路整然と説明すればその聞きかじった程度の人間は騙す事が可能である。またその聞きかじりの知識があるから自分はわかっているという自負があるから1度騙されると其処から抜け出すことは非常に難しいのだ。其処にはまると妄信的になり他の考えに思考が移らないのである。

知識の無い人間は何にでも反応するかそんなに問題はない、良いモノが出てくれば其処にフラリと変わり身が可能なのだ。

ネットを集団知という人もいるが全体の1割程度でも作為を持って書き込みを続ければ十分に人は操る事が出来ると僕は思う。チョイとプライドの高い厨二病の人を騙してしまえば良いのだからね。

騙す為に見せ情報を出す、まだ表に出ていない情報を先行してだし、現実にもその情報を出す様な事を何度かやれば其処は信用有る情報通という感じになるのだ。それで話題になればしめたモノ。

あとは扇動し放題ですよ。

多少自分達にダメージがくるにしても信用され操る事が可能ならば実はお得なのである。

もう一つある別の陰謀。

猫、雲(空)、飯、といった安易な写真の数々。これもまた仕込まれている感じがする。この流れを作り出すことで物事を考えない馬鹿の流れを生み出しているのである。

更に陰謀。

様々な炎上もまた人を怒りに駆り立てる事で思考を奪い、凶暴化させる、また日常的に怒りのコメントを見続ける事により思考に影響をさせようというサブリミナル効果だ、きっとニコ動とかのコメントにもそれは仕込まれているのだ、2chの実況とかもそうだ。今の部分が笑い所ですよ、面白い所ですよ、これが可愛いモノですよと誘導する為のコメントが上手い具合に混ぜられているのである。

反日、嫌韓、反中といったモノも何か仕組まれている感じがする。アジアでまた大きな争いを起こさせようと各国に入り込み煽っているのではないだろうか。
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2012年06月23日

答えは一つじゃ無い

数学とかの問題でもないかぎり、複数の答えがある問題は色々とある。そして大体において答えが複数あるモノに関して正解を選んだのかどうかもわからない。

訳知り顔で答えは一つではないと言う人がいるがそれはあまりにも無責任ではないだろうか?

答えは複数あったとしてもどれか一つを選ぶしかない事は実に多いので有る。どちらかを捨てなければ成らない事があるのだ、だから人は悩むのである。一つではないと言われても困るのだ、それは百も承知なのだ。

色々な事象が複雑に絡み合い、何が根本原因かもわからない、タイムリミットが迫り来る、そんな状態なのによく考えろといわれても無理なのだ。安易な答えになろうとも有限の時間で答えを出すしかないのである。

結果失敗したとしてもそれは仕方が無い事なのである。自分の能力が足りなかったと諦めるしかない。まぁ正解にみえても間違っている場合もあるから、一時的にしのぐ事が出来ても有頂天になってはいけないと思う。

時間が稼げたとして更なる正解の探求をするべきなのである。

でもそれを重ねていくとキリがなくなる、考えるべき事が爆発して止まってしまう。如何にそれらを捨てるか?それこそが捨てる技術の本質なのだろう。

思い悩む事が無くなれば気は楽になる、それだけで人生は軽いモノになる、一歩間違うとただの軽薄だけど、まぁ悩みすぎているのも重厚、厚みのある人間というのもまたおかしな話ではあるけどね。

常に悩みは生まれ、答えを出したり出さなかったりラジバンダリ。

野坂昭如はみんな悩んで大きくなったとか言うけれど、悩みすぎると人は死ぬ。生きていても死んでいる状態になってしまうのだ。

そしてそれをこじらすとこのおかしなブログの様になる。

色々と考えてはいても何もまとめられない垂れ流し状態、脱線して右往左往する事になるである。結論が明後日の方向、北北西に進路をとれ、屋形船〜♪転覆だ!!ははにわちゃん。

まさに御粗末!!
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2012年06月22日

これって終わっますよね

貧困問題に取り組む人の話だと現時点では本来生活保護貰える対象者の2割しか保護されていないらしい、それで現在は大体210万人、3.8兆円という状態。

これ全員に渡すと様になるとすると1050万人、19兆円という状態になる。今だと税収の半分が無くなる感じだ。約1割の人間が税収の半分を使うという無茶苦茶な状態。

また年金生活者も現役労働者は支えなければ成らない。今でもかなりキツイ状態になりつつあるのに更に生活保護負担が増えればもう労働者はただの奴隷状態ではないか?まぁ老後はチョイと出世して奴隷階級から抜け出せる感じか。

大体1割の人間が働く事が出来ないという状態というのはどう考えても破綻しているのではないか?

それにこれには単なる失業者は入っていないし、失業者カウントに入ってないが働いてもいない、生活保護も貰っていない者もいる。

どれだけ労働者に負担を押しつけるつもりかと思うのだが。

独身で扶養家族がいなくてももう既に人を養っている状態なのだ、これに家族まで養えというのは無理ではないか?(別にこれは河本擁護とかでは無いからね)だからこその少子化なのではないか、自分の生活で手一杯なので有る。

誰にでも最低限の文化的生活をおくる権利があるというが労働者の大半を占める低賃金労働者こそ文化的生活おくることが出来ていないただの奴隷なっているのだ。

余裕があるから他人を救おうというのがスジだと思うのだが(短期ならば一寸の無理も可能だがそれが慢性化したら人はもたない)、人権を守る為にトコトン絞り上げようという暴走する社会、その陰に別の弱者を生み出している事に気がついていない。

国に絞られ、企業に絞られ何にも出ない。

問題があるから養われて当たり前と思う感覚が恥ずかしいのである。何も恥ずかしいと思わなく当然だと考える様になったら人として終わっているのだ。申し訳ないと思っていない、少ないだのと不平不満を言う、そんな人間を助けてやりたいと人は思わないのである。

恥ずかしい思いをしろ!! 色々と嫌な思いもしながら稼いだお金なのだから。
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2012年06月21日

音楽

今音楽は儲からないという事だ、佐久間正英の発言や著作権法改正の事がその証拠の断片なのだろう。

これは音楽が金の取れる娯楽では無くなったという事なのである。僕はむしろの状態の方が正常の様な気がするのだ、これまでがチョイとおかしかったのである。その時の栄光に何時までもしがみついて現状の認識が出来ていないからおかしな事になるのである。

音楽には作る人とそれを聴いて楽しむ人がいればそれでいいのだ。音楽を広める為にこれまでは流通という仲介がいたのだが其処がどうにも力を持ちすぎ、音楽を管理しすぎたのでは無いだろうか。

挙げ句の果てに音楽にまでこれは売れるからOKだの売れないから駄目だのと仕分けをするまでの暴走まで許してしまったのである。確かに流通には流通の論理があるのはわかるのだがあまりにも勘違いしすぎて音楽を活きの悪いモノにしてしまったのではないかと思う。パッケージ化する為に色々なモノをそぎ落としてしまったのである。

だが時代は変化した、昔のインディーズブームの時よりも簡単に音源を発表する場所が生まれてしまったのである。またPCを使ったホームスタジオでそれなりの音質でレコーディング出来る状態に成ったのである。時間とセンスがあればかなりの部分まで音を作り込む事が低予算で出来る時代になったのだ。

発表する為の形態が変わったのに未だに其処に拘り抜け出せずにお金お金と蠢いてドツボにはまっているのが今だ。

音源が氾濫する世の中になってしまったのだ、口コミも色々と氾濫出来るしね。

音楽は身近なモノに成ったのである、音楽のファーストフード化である。

状況は大きく変わったのだ。

しかしこのファーストフード化、安くお気楽に楽しめるという面はあるが今ひとつ響かないのである。

音楽が消費する為のモノになってしまったのだ。これは今までの古い世代がやって来た事とあまり変わらない事をみんながやり出したのだ。金になるか否かの違いはあるけど。

僕は音楽が駄目になった原因をMIDIの発明だと思っているが、それにトドメをProToolsとかのレコーディングソフトが刺したのである。簡単に作れる様になった反面、微妙に緩い音楽も増えてしまったのである。そこそこのモノで満足してしまう風潮が出来てしまったのである。

まぁ高みに登る必要があるのか?という問題があるからどうでも良い事なのかもしれないけどね。
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2012年06月20日

個人情報

フェイスブックが顔認証の企業を買収というニュース。

これをみてチョイと怖くなったの僕だけだろうか?いやよく考えれば元々買収する必要もなくそのソフトを使用すればいいだけなんだけどね。

フェイスブックにアップされている個人の顔写真を元データにして色々な写真を認証しまくる事を考える怖くならない?登録者はドンドンと自分の情報をアップしてくれているのだからねぇ。

個人情報と顔認証もう無敵の政治ツールになると思う。これと各地にあるセキュリティカメラを使えばもう逃げ場無し感が漂うのである。本人が情報をアップしなくても色々な写真に写っているデータを解析していけば居場所や行動パターンも全て筒抜けになるのだ。

世界の9億近い人間が監視される事になると考えると実に怖い感じがする。まさにビッグブラザーに目がついた感じなのである。それも自ら其処に赴いてしまうこの恐怖、自ら登録し監視される。

其処までしても人は誰かに繋がりたいと思う事に何か絶望的孤独を感じるのである。

ビジネスチャンスだとか才能を集めるとか自分の意見を発信するとか、なんか良い事に吹聴する人は多いけどやはり根本は自意識と孤独により繋がろうとする心理に根ざした諜報ツールなのである。

もう個人情報の垂れ流しは止まらない、更なる恐怖は近い。
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2012年06月19日

処刑剣

ドニー・イェン主演の武侠映画。

武侠映画、かっては僕の大好物だったジャンルだったのだがこの映画を観てもう僕はこのジャンルに飽きているのかもと思った。

ツマラナイ訳では無いのだがどうにも物足りないし、いつか観た感じの既視感に頭がフワフワするのである。ある程度リアルにしたいという考えの為なのかワイヤーアクションもイマイチ物足りないのである。

大好物である「スウォーズマン」や「風雲・ストームライダーズ」とかと比べるとあまりにも地味に感じるのである。技の荒唐無稽さもないのである、折角面白剣箱を持っているのにイマイチ生かし切れていない感じである。それにラストの戦いも主人公側が罠を仕掛けている感じでイマイチ燃えないのである。剣技で負けている感じがなんか嫌なのである。

またストーリーがわかるけどわからないのである。何とも意味不明感で盛り上がれないのだ、皆さん話はご存じですね、あらすじと見せ場のアクションシーンで作るダイジェストといった感じの作りなので行間を勝手に補填してねなのである。陰謀渦巻く話なのに其処が非常に雑な為に青龍の心の動きがドラマとして面白くないのである。非常に薄っぺらな感じに心が変化するのである。まぁ人の心なんてこんなモノかもしれないけどやはりドラマとしては物足りない。

映像的にもストーリー的にもどうにも食い足りない、2流な感じの映画でした。
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2012年06月18日

猿の惑星・創世記(ジェネシス)

猿のは臭せー、猿の剥製とか子供の時に盛り上がった、映画の現代的解釈の猿の始まり映画。

如何にして猿が地球を支配する事になるのかといった感じなのだが助走がとにかく長い感じがする。まぁ猿が如何に賢くなるのかというのを丁寧に描かないと駄目だというのはわかるのだがとにかく長い、その後の猿をまとめる過程もまた長い感じがする。まぁ貯めて貯めて、爆発という感じにしたいのだろう、賢くなって人間と猿は違うモノなのだというのを理解していく過程だからというの理解出来るのだけどやはり退屈でした。

それにわかりやすい様に暴力的な感じに飼育員をしているのも何か鼻につくのである。敵対関係という構図を無理矢理作り出している感じがどうにもねぇ。

かわいがってくれているけど自分達は人間に試す前の実験動物でしかないという事を理解していくという感じにして欲しかったと思う、その事に気がつきながらも愛情を持って自分を育ててくれた人間に対する気持ちとの葛藤とかを描いて欲しかった。

それか賢くなってコンピュータを操作し自分の母親の死の映像を見て理解するとかの方が良かったと思う。

あと猿の顔がなんか嘘くさくてなんか嫌というのもある。脱走してからの猿の仲間の増え方もなんか不自然な位に増えすぎ感があるし、対応する警察もあまりにも馬鹿っぽいもう少しちゃんとした対応をして欲しいのである。大多数の猿は人間の手により殲滅されるべきだと思う。一見猿の反乱は失敗した様に見せた上で、ラストの人間が自ら作ったモノにより滅んでいくべきではないだろうか。その上で殲滅戦から生き残った猿達が滅んでいく人類を観ている様な感じが僕の好みだ。

あの場で猿は全部殲滅しても問題ない、飛行機で世界中に巻き散らかす事になり色々な所で猿が賢くなるのだから。
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2012年06月17日

田舎

大林宣彦の尾道についての発言をみると田舎は田舎のままでいやがれ感が実に嫌だ。田舎をみてもう一度文化を見直そうとかいう考えが実に不愉快である。

いや都会の人は見直せるのかもしれないけれど、田舎の人は何を見直すのさ?単に不便は嫌だ位の感想しか無いのではないか?都会の人間が自分を文化を見なす為に田舎の人に不便を強要するのはいかがなモノかと思うのである。

田舎の良さを理解出来るのは結局は都会の生活が合わなかった人か、短期滞在する者だけではないのか?大体仕事が無くて大変だったりするのだ。其処で働きながら暮らすというのは実に難しかったりするのだ。

まぁ隣の芝生は青くみえる心理で安易に田舎が良いだの都会が良いだのというのは身勝手過ぎるのである。

それに文化を残すとか、田舎を残すというのであればそれなりに金を出せと思う、少数な観光客とかの為に辛い生活、不便な生活を強いるのは傲慢なのだ。

それにいつまでその田舎暮らしをしなければ駄目なのか?100年後とか都会がハイテクで超快適な生活になっていても土砂崩れの恐怖にさらされたり、地震の危険が有ったり、蚊で不快だったり、暑かったり寒かったりという、仕事がなかったりとヘレンケラーも真っ青な三重苦、四重苦みたいな状態の生活を強要されるのかと思うと馬鹿言ってんじゃないよと思うのだ。

変わっちゃ駄目ってなめるな!!

そんなに田舎が良いのであれば東京を昔に戻せば良いじゃ無い、街灯もネオンも無くし高層ビルも潰す、アスファルトも剥がして工場とかも地方に移せば良いのである。今まで東京が稼いでいたお金を地方が代わりに稼ぐのである。

地方は好きこのんで田舎を続けている訳では無いのだから。


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2012年06月16日

宗教からは逃げられない

人は何かついつい信じてしまう、其処に宗教が生まれる。

俺様教ならばもしかする宗教では無いかもしれないが、その俺様自体も色々なモノ、知識、体験の寄せ集めでしかない、体験はまぁ自分のモノかもしれないけれど外部からの知識でやはり偏向されたモノとして自分のモノになっている。俺様と思っているモノは結局自分だけではないという事なのだ。

結局それは誰かはわからないが他人を信じているという事なのだ。

何も信じる事無く生きるのも不可能だろう。色々なモノに不信感を持ってはいても何かを信じているのだ、そもそも不信感があるという事は基準となるモノが有るからそれから外れたモノを不信に思うのである。

取捨選択するフィルターこそが人が逃れる事の出来ない宗教なのだ。

それは神と同じだ、自分の進むべき道を照らしているのである。何か起きる度に判断を下している自分の内部に取り込んだ神なので有る、まぁ正しい判断してくれるか否かはわからないけどね。

普通の宗教と違うのは内に有ると錯覚するか、外に有るかの違いだけである。

この何かを信じるという誰にも有るモノ、だからこそ、それは商売に成るのである。新興宗教でツボを売るのもアイドルのCDにお布施するのも結局は同じであるし、日本製を買うのもまた同じである。

結局は信じる事により幸せになりたいと思っているだけなのだから。
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2012年06月15日

認識

菊池直子、高橋克也の逮捕をみていて良くわかったモノだと思う。知り合いならまだしもあの変化でわかるというのはどんな認識力だと思うのである。

今の世の中他人に無関心と言われているのにこの認識力は異常に思えるのである。探すぞという意気込みで面通しをするならまだしもこの日常での観察眼には頭が下がるのである。

今日の高橋克也に関しては少し前から出ているチョイと小太りな中年オッサンの写真とはまた違う印象の顔になっているのだ。確かに防犯カメラの映像とは同じ印象があるのだけどね。

まぁ世の中にはこんな風にじっと人の顔を見て記憶している人がいるという事なのだろう。日常的に自分と関係ない人の顔を観察しているという事なのだ。きっとこんな観察眼、認識力の人は町中で芸能人とかも簡単に発見してしまうに違いない、ファンで無くても、メイクとかが違ってもきっとわかる人なのだと思う。

色々と忘れる僕にとてもではないが出来そうにもない。


まぁそういう事でこれは警察等が仕組んだモノという事にしておこう、居場所はもうずっと前からわかっていて、何時でも逮捕出来るのに何処と連絡をとるのか泳がせていたのだ。きっともう泳がせる必要が無くなったから逮捕する事にしたのである。

後は逮捕のタイミングを計っていただけなのである。

もっと怖い考えだと実はもう監視カメラ社会になっているのである。色々な所に設置してある監視カメラの映像とデータベース化されている犯罪者の写真を自動的にマッチングしているに違いない。いや犯罪者だけで無く全ての人の行動がトレースされているのである。誰とはわからなくても同じ人の行動でデータベース化されているに違いない。
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2012年06月14日

LED電球

僕の家は電球比率が多いからLED電球が徐々に増えている。確かに電気代も下がるから消費電力は下がっていると実感はしている。

だが問題がある。

昔よりは明るくなってはいるのだがやはり当たり外れがありイマイチ暗い場合があるのだ。(同じ商品でバラツキが有るという訳ではない)ハズレ、用途に微妙に不適格な暗さの、その場合が実に困るのである。

LED電球は寿命が長いのである。次切れるまで我慢しようというにはあまりにも長い寿命なのである。また技術の進歩による部分も困りモノなのだ、まだ使えるのに買い換えるのべきなのか?と悩みが大きいのである。

価格も昔より安くはなっているのだがまだまだ電球と比べると高額である、それでも多少暗さに不満を持っているのだから買い換えるべきだと言われるのだろうけどね。オーディオ機器やPCなんかもっと高額だけど買い換えるから、電球の価格で勿体ないと思うのはおかしい事なんだけどね。人間の業という奴ですかね・・・・

まだ技術的にも価格的にもあまりにも熟れていないのである。

あとLED電球、暗いのに眩しい感じが嫌。偶々電球が目に入ると非常に目に痛い感じがするのである、この辺も改善して欲しい所である。またあのヒートシンクををみるとまだまだエネルギーの無駄があるのではないかと思うのだ。(製造過程も含めてね)
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2012年06月13日

高揚感

人は高揚感を感じると思考が動かなくなる、熱狂の渦に巻き込まれ人は馬鹿になるのである。

政治や商品販売、駄目なモノ、大した事無いモノでも高揚感を与えれば思考の動かない状態では本質を見誤るのである。更に質の悪い事にその浮かれポンチ状態では見誤りすぎて良いモノと錯覚してしまうのだ。

新興宗教とかとかでツボ買ったりする人を馬鹿にしたりするが、大概の人間は同じ様に踊らされ、似た様な事をしているのだ。

最近もお灸を据えるという高揚感に浮かれて間違ったでしょ、小さな高揚感だとテレビが進める様々な簡単健康法とかね。練炭自殺とかもこれに入るかも(アメリカだとチェンジに酔いしれていた)きっと昔の学生運動も同じ様なモノだ確かに色々と考えて動いていた者もいるが、時代の雰囲気に流されてヘルメットかぶってゲバ棒振り回して酔っていたのが大半だと思う。

まぁ時代の流れに身を任せる、ウネリに身を投じるの気持ち良いからね、きっと楽だし。高揚感を感じている時にブレーキを踏み込むのは中々難しい。それに僕も基本的に踊る阿呆だしね。

だが外から傍観者を決め込んで、妄想していても何も変わらないのもまた事実。

どうその高揚感を感じたときに其処に危険性があるのに気がつくか?太鼓の音なのかサイレンなのか、それに気がつく事こそが生死を分けるのである。先に書いた様に高揚感を感じている者がそれに気がつくのは難しい。

だが何でも、誰でも高揚感を感じる訳ではない、自分では高揚感を感じていないけれどブームがあり、盛り上がっている時には冷めている人はそれを冷静に分析し、おかしな方に暴走するのを止めなければ駄目なのだ。

ブームを煽る為に単純化している時にはその背後に隠れたモノがあるのだ。隠されたモノは大体都合が悪いモノである、建前的にはわかりにくいからという事になっているけどね。
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2012年06月12日

わかっていない

何でも上から目線の者、色々なモノを観てはわかっていないと批判したり、これはまぁ俺の理論に合っている、多少わかっているとの意見、あくまで自分の手のひらにいると思い込んでいるのである。

本当にわかっている人もいるだろう、だが大体はわかってなんかいない、基本的に後付けの論理でもっともらしい事をいっているに過ぎない。だから疑問点をぶつけていけばその言論に段々と矛盾が生じてくるのである。挙げ句にこの微妙な感性は言葉で説明するのは難しいとか戯けた事を言いだすだろう、それか説明できないのを理解出来ない者のせいにするのである。

また自分の作ったモノが売れないのは営業が悪いせいだ、俺だったらこういう販売戦略があるとか他人の仕事を否定する、しかしそれを直接いう事は出来ない、どんなに自信満々に自分の意見を言ってはいてもそれを実行できる立場になってもそれを実行する事はないのである。実際にやって失敗する事は、わかっていないことを証明する事になるからだ。失敗の恐怖がでかすぎるのである。

実際には何の根拠も自信も無いから実行出来ないのである、他人を否定する事で上に立とうとするだけの虚飾でしかないのである。

実に面倒臭いのである。

まぁそんな人間にチクチクとツッコミを入れたり上げ足をとる僕も非常に面倒臭い人間である事は確かだ。
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2012年06月11日

価値が無い

就職失敗の連続で自分に価値が無いと思い自殺する大学生が増えているらしい。

実に痛ましい事だと思うが、そもそも価値が有ると思い込んだのは何が切っ掛けだったのだろうか?僕にはそれが良くわからないのである。

人には基本的には価値が無いと思っているのだ。自分が何を成すかで価値が出てくるモノだと思うのである。まぁそれすらもそう大したモノではないと思っている、大概はその代わりが出来る様なモノでしかない、代わりがいない様な凄い人は非常に希である。

もしかすると大学に進んだ時点で中卒、高卒や専門学校卒とかより自分は優秀で価値のある人間と勘違いしたのではないだろうか。確かに学校の勉強という評価では上かもしれないけどね。

その程度で価値があると思っているとしたら非常に間抜けというか世間知らずだと思う。大学生なんか山程いるのだ、有名大学卒にしても山程いるのだその程度で価値があると思うのは認識が甘すぎる。

きっと出来る子と優秀な子と褒められて育てられ勘違いしたのだろう。褒めて伸ばすというのも極端過ぎるのは駄目なのよ。

そんな勘違い君を作り出した学校教育や社会制度の歪みは非常に問題が大きいと思う。

ザックリというなら価値が出てくるのは金を稼ぐ様になってからだ。それまでは基本的に価値が無いから金が入って来ないのである。(まぁこんな事を言うと金を稼いでいる額に比例して価値があるというのか?というツッコミが入りそうだ、単純に額に比例するモノではないと僕は考えている)

そんな感じだから元々価値なんか無いと思っていれば良いのである。そうはいっても就職が出来ている人間が言っても説得力が無いか。

それに価値なんか無くても結構人は生きていける、むしろ価値より生きる意欲の方が大事なのである。価値という自己満足よりも生き残るという実を取るべきなのだ。その実の中に楽しみを見出す事が出来ればそれなりに生きていけるのである。

自分の思う様な仕事に就いていて、更に思い通りの仕事っぷりが出来る者なんかそうはいないのだ。思い通りにならない度に俺は駄目だ自殺しようと考えれば命はいくつあっても足りないのである。

そもそも成りたいモノになるのは中々難しいのよ。多少問題かもしれないけれど自分のこれまでの認識の甘さをかみしめつつ、景気が悪いせいだ、社会が悪いせいだと他人のせいにして納得すれば良いのである。まぁそれが憎しみになって社会に対して復讐するとかいうのはやりすぎだけどね。

まぁこんな事を書いても死のうとか、凹んでいる大学生はこんなブログも見てないだろうし、この程度の内容で納得なんか出来ないのだろうけどね。でもまぁこんな馬鹿でも生きていける世の中と思ってくれて気が楽になるとしたら意味があるか。
posted by mouth_of_madness at 22:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする