2012年08月31日

タンタンの冒険・ユニコーン号の秘密

スピルバーグが監督するバンド・デシネのCG映画。

CGはかなりモノ凄いモノがある(実写感としてね)のだがイマイチその映像にシビレる事はなかった技術論として凄いと思うだけ。キャラのデフォルメも良い感じのモノもいるのだが今ひとつ面白みにかけるのである。元の絵がスタイリッシュな感じがするのにモッサリしていて何か違うという感じなので有る。

むしろオープニングのアニメの方が余程良い感じである。

それに此所までリアルな感じにするのであれば漫画観たいな顔をしている役者で実写映画にした方が良いのではないかと思うのである。このリアルさの為にリアルさが再現出来ていない部分が微妙に気になるし、絵だからこそ出来る荒唐無稽感が足りない為に単なる技術発表映像的に思え今ひとつ乗れないのだ。

話も後半チョイとだれるし(盛り上がりが足りないのである)、スリの話も今一つしっくり来ない。羊皮紙を持っていない理由に使っているのはわかるのだがそれにしてはチョイと怠いのだ。

こぢんまりとまとまってはいると思うけどね。
posted by mouth_of_madness at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月30日

政局と政策

政局争いではなく政策争いをともっともらしい事をいう、小沢は駄目だ政局争いばかりでとかもっともらしい事をニュースを見てはそんな安易な事を言う。

派閥争いは停滞するからやめろとも思うのだが、それぞれの政策がガチガチに固まっている状態で、相手の意見を聞けない状態になるともう政策争いをしても埒があかないという面では同じではないだろうか。

また政策争いをみせたとして国民は投票は出来ないのである。(デモとかでどう思っているかを伝える事は出来るけど)良い意見をぶつけていれば次の選挙で票を稼げる可能性はあるが、良い案があったとしても国会内での支持がなければ政策を通す事は出来ないのである。

それに政局争いをするという事は既に政策争いは終わっているのではないかと思うのである。妥協点が見つからなかったというのが実情ではないのか?

それに今回の民主党のグダグダに関しては選挙時のマニフェストと違う事を言いだしているのだから簡単に考えを変えるのが問題と考えるのも致し方ないと思う。

そのグダグダを利用して自分達の政策を少しでも実現しようとする自民党の政局行動もまた理屈的にはおかしく無い、やり方、駆け引きが下手でどうしようもなく見えるけどね。

また橋下の維新、政策の実行力とかに期待している人も多いが、その政策が正しいか否かを検証しているのかと思うのである。投票してくれる人に耳障りのいい感じに思える政策を打ち立て実行しても社会が良くなるとは限らないのである。

言われた通りにやって悪くなっても投票者の自己責任ですよと言われるだけだろう。

そう考えると政局と政策といった安易な構造が今の政治の混沌を生み出している様に思えないのである。それはマスコミ等により煽られる事により国民が焦点定まらず右往左往したり、駄目だしする部分に問題があるのだ。

お金をくれると言えば飛びつき、税金が上がると言えば文句をいう、表面的なモノにばかり気をとられ過ぎているのである。本質をみようとしない、政策なんか結局は投票する人が安易に喜ぶ事を言えばOKという状況ならば権力争いに現を抜かすのは仕方の無い事だと思う。

本当に政策争いをして欲しかったらもっと国会中継をしっかりと見て、自分の選挙区の議員に対してしっかりと意見をぶつける位の事をやらなければ変わらないのだ。そんな面倒くさい事をしなければ駄目なのだ、任せっきりにしていたツケが今なのである。

雇い主のくせにしっかりと面接もせずに実績も吟味せず採用し続けた結果なのである。駄目な議員を選んで何を期待するのかというモノだ。

政策争いをして欲しかったら政策争いをする議員を選ぶべきなのである。
posted by mouth_of_madness at 22:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月29日

三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船

ルパン三世みたいな感じの映画。飛行船同士のバトルもなんか宮崎駿を意識している感じがする。ミレディの峰不二子感が半端ない。

もういっその事屋根の上を走って欲しかったと思うし飛行船意外にもダ・ヴィンチの戦車とかもだして市街戦とかも欲しかった位である。

ただでさえ盗みのシーンとかが現代的な感じを出していたりするのだからもう少し徹底的でも良いのではと思うのである。最期の一線を飛び越えられない物足りなさを感じるのだ。最期もあんな風に大艦隊を出すのであれば旗艦に異様にでかい新兵器を出す位のサービスするべきだ。何だあれはという驚きが欲しいのである。

この辺の荒唐無稽感は特撮ドラマの赤影を見習って欲しいと思うね。

また活劇を見せる為なのだろうけど、陰謀の部分が雑というか薄っぺらだと思う。もう少し観客にも謎解きの面白さを残して欲しいのだ。徐々に陰謀の全貌が明らかになっていく感が観客に興味を引かせる部分なのである。アクションだけでは飽きてしまう部分があるのである。

まぁそこそこ楽しく観れるのではあるが物足りなさが残るのである。
posted by mouth_of_madness at 09:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月28日

修復

スペインのフレスコ画の修復問題。

確かに修復としては非常に問題が多いというか、全く修復とは言えない状態なのだが、この絵が非常に味わい深いモノになっている。

いや元の絵より面白いかもという感想を持ってしまうのだ。ネタとして面白いと言うのでは無く結構絵心を感じる興味深い絵に見えるのである。

元の絵の中途半端な写実性より余程絵として面白いのである。まぁこれを面白いと言っているから絵描きとして僕は成功していないのかもしれないけどね。

これまで色々な名画等が修復されているのだが、それって本当の所どうなのか?と思う事がある。残して行きたいという気持ちもわかるのだが、ちょっとずつ人の手が入る事で徐々に別のモノになっていく感。

また汚れを落とされ新鮮な色味になったりしてオリジナルに近い絵になったとしても記憶にある絵が最初に観たのがくすんだ感じだったりするとそれはそれでこれじゃ無い感が出たりするのである。

色々な時代を超えて風化していくのもまた絵としての在り方ではないのかと思うのである。今回件の教会の絵なんてモノは色々な時代の思い出を刻んでいると思うのである。

おじいちゃんが観た時と、お父さんが観た時、更に自分が観た時とそれぞれの記憶の色、絵というのがある筈なのだ。風化して消えてしまってもまた良いし、今回の修正もまた時間という意味では良いのかもしれない。

元に戻すにしてもしばらくはこのままで歴史を刻むべきではないかと思うのである。まぁ直ぐに元の絵みたいな感じに戻ったとしても三日天下みたいな感じで歴史に残るけどね。

絵とは作者の手を離れた時から色々な運命を刻みつけていくのだろう、観る人の思いと一緒にね。
posted by mouth_of_madness at 22:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月27日

善悪

世の中善悪では動いていない、利益が有るか無いかで動いているという考えがある。

多分これは正しいと思う、しかし善悪で動いているとも言えるのである。善悪とは結局は、好き嫌い、自分にとって良いか悪いかが長い時間をかけまとめられたモノなのである。これらは結局は利益が有るか無いかという事なのである。

人を殺してはいけない、モノを盗ってはいけないというのもその事で無駄に神経をすり減らし、それらを守る為に時間をとられ事の無駄からその様なルールを作ったのである。

この動物は殺しても良いとか駄目とかは自分の好き嫌いで勝手に善悪を決めているにすぎないし、戦争になればそれまでの善悪から離れ新たなる善悪観が生まれる。また戦争に負けると更におかしな善悪観が生じておかしな事になっていくのである。勝てば「良い戦争」になるのである。正義の戦いと言い張れるのである。民主化なんか求めていなくてもそれを押しつけ政権を潰し混沌にしようともそれは圧政から、古いしきたりからの解放と言ってしまう傲慢な善悪なのである。

利益を単純にお金という形でみるから善悪と利益が衝突している様にみえるのである。実際は色々な利益がぶつかっているにすぎないのである。どちらも正義でも悪でもなく単なると利益の分捕りあいにすぎないのである。

そう考えると人間は動物から一歩も踏み出していない事がわかる。道徳や法律とかで秩序を作ってきた、文化を創って来たという自惚れも単なる勘違いでしかないのである。利益を守る為の牙の形がちょっと違うだけだったという事だ。

全ては利益と快楽追求なので有る。

一体善悪は誰の利益を守っているのか?
posted by mouth_of_madness at 21:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月26日

スマート家電

何かスマートフォンをかざすと消費電力とか開けた回数がわかる冷蔵庫とか、スマートフォンをリモコンにしてコントロールするエアコンとかまたしてもピンと来ない家電展開。

何か生活が新しくなる感が全く感じないのだけどねぇ。

これ作っている人達ってこれ自分が欲しいと本当に思っている?という感じがするのである。会社からの命令でスマートフォンと家電を組み合わせろと言われてとりあえず作ってみました感しかしないのである。

それともテレビ等のマスコミが本当のスマート家電の便利さ革新性を表現出来ていないだけなのか?

冷蔵庫に必要な機能は冷えるという事、常に稼働させるモノだから消費電力を如何に減らすかという部分と日本の家庭状況を考えと如何に省スペースにするかという部分だろう。確かに消費電力をみる事で自発的に開け閉めを減らす啓蒙というのは大事かもしれないがその啓蒙を機能にされてもという感じがするのである。

それならば冷蔵庫を開けずに中身がスマートフォンで確認出来る様になっている方が良いのでは無いか思ってしまうのだ。またこの機能は遠隔地でもメール等で確認出来れば買い物に行って在庫あったかな?という場合に便利だと思う。

また各機器に通信機能等がつくのであれば部屋のブレーカー状況等を考えてそれぞれが出力調整をしてくれる方が便利ではないだろうか?

今日日は少なくなっているかもしれないが20Aしかない安アパート等でエアコン切り忘れて電子レンジと炊飯器とエアコンとかでブレーカーが落ちる事とかがあったのだ。

如何に使っている事を意識させずに快適にするかそれこそが家電だと思う。多機能でも良いのだが使い方はトコトンシンプルにするべきなのだ。細かく説明書読まないと駄目な面倒臭いモノはいらないのである。

その辺を自動的に感知し出力調整してくれるとかの方が僕的には便利だと思う。

現時点では使い難いと言われているスマートフォンも名前に反していると思う、使い難いという時点でスマートではないのだ。ついていけてないというのは簡単だが其処を改良するのもまた技術である。


まぁ昔から出ないかなと思ってるモノとして電子レンジの逆のモノ、チンすると冷えるモノこの機能のついた電子レンジがあればなぁと思う。まぁ実際は冷蔵庫の切り替えで−80度とかの冷却室的なモノを作る方が現実的だとは思うけどね。夢としては振動を止め冷やすとかの方がカッコイイのである。

posted by mouth_of_madness at 19:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月25日

イタコ

イタコ大盛況というニュースを見て頭がクラクラした。

人間は一般的に言われている進歩なんかしていない、未だに昔の迷信等の世界に生きているのであると思った。

僕はちょっとホッとした。

理屈で割り切れる世界と理屈ではない部分が陰陽となりグルグルと回っている。実にいい感じではないか。理屈で割り切れないドロドロとしたモノに恐怖と敬意を抱くそれこそが大事なのである。

この理屈ではないモノがあるというのが実に良いのだ、理屈で全て解決出来ると勘違いするのは思い上がりに繋がる。それに頭では分かり得ない漠然としたモノの存在を考える事が無限に人にテーマを与える事になっているのだ。

また死んだ人に思いをはせる、それこそが領土とは違うもう一つの国なのである。時間軸というもう一つの大事な柱である。過去から連綿と繋がる人の思いが其処にあるのである。過去の人間に思いをはせる事は未来のまだ生まれていない人に思いをはせるのと同じである。自分がその流れの中にいる事に気がつくという事なのである。

今だけという刹那とは違う思いが其処にあるのである。

そしてこれまで忘れていた事を土壇場で思い出している感じが何となくするのである。

ただもっと血が流れないと駄目な感じもする、YMO新党とかいう戯けな事を言いだす輩がいる状況だからね。
posted by mouth_of_madness at 20:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月24日

殆ど0

人が知り得る世界の事、実は殆ど0だと思う。0ではないけどかなり0なのだ。本をガンガン読んでも色々な映画を観ても、音楽聴いても、体験しても人の知り得る事なんかしれているのである。

でも色々とモノを知っていて賢い人っているじゃないと言うだろう、確かに普通の人の数倍、いや数十倍賢いのだろう。それは確かなのだが世の中をわかっていると言える程には何もわかってはいない。

まぁ普通の人より賢いから言葉とかで説得とか煙に巻く事は余裕で可能だけど、やはり世の中事は厳密にはわかっていない。

わかっていないから集まり、知恵を出す。国とかを作り何とか死なない様に頑張るのである。数十億人集まれば文殊の知恵でなんとかなっているのである。それでもまだ足りないから色々な問題が起きているというのが実情なのである。

様々な学者も色々な考えがありその議論を通じて先に進めているのである。賢い学者でも1人では発想の限界、知識の偏り、試行錯誤の回数等の問題により導き出せる事はしれているのだ。同時期に複数の学者意見をぶつけあい、更に時間をかけ世代にを越える事で検証され修正され積み重ねて行く事で人類の知恵は蓄積されていくのである。

ただこの膨大な量の知恵、やはり1人の人間に手に負える量ではない。この知恵、知識は日々増えていくし、最終的にはどれだけの量になるのかも全くわかっていない、今現在何パーセントが解き明かされたのかもわからないのである。

そう考えると世界の事がわかっていると言うのは大きな勘違いである事が丸わかりである。

何にもわかっていないのだ、世界の一要素であり、世界に変化、影響をを与えつつ、世界の極一部の知識を持っているにすぎないのである。自分がどのような影響を世界に与えているのかすらわかっていないのにわかったつもりになるのは勘違いにも程がある。


このわかった感、予告編を観て書かれた感想を見て映画本編をわかった気になっているのに似ている。と頓珍漢な〆でどうぞよろしく。
posted by mouth_of_madness at 22:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月23日

理想空論

ネットとかで正義を振りかざす人々を批難する人達、一見正論を言っている様にも思える。

確かに理想的にはそうかもしれないが現実をみていない感じがするのである。理想的な考えで人は動いてなんかいないという事をわかっていない感じがするのである。

そもそも世の中誰もが自分勝手な正義を振りかざしているのである。

自分の事を棚に上げて正義を振りかざす。それのどこが悪いのか?確かに色々な矛盾は生じているとは思うのだが、口を閉じてていれば問題が解決する訳ではないのだ。その場限りの正義感かもしれない、考えの薄い単なる賑やかしかもしれないがそれでも良いではないか、色々と迷惑だったり問題を大きくする事もあるかもしれないけどそれが社会というモノでしょ。

何か色々と考えている内に問題がスルーされる方が余程問題だと思う。

誰もが正義を振りかざし、何となくまとまっていくそれこそが大事だと思う。振りかざすのはおかしいと言って其処でやめてしまえば何も進まなくなってしまうのである。大体おかしいと言っている方の正義が正しいという保証はないのだからね。

イジメ問題とその事を糾弾する集団的暴力、確かに同じパターンにみえるかもしれない。だが本当にそうなのか似た様にみえるだけではないのか、集団の力というだけで暴力団と警察は同じモノか?似た要素はあるにしてもやはりこれは別のモノだと思う。

どちらも暴走したら大変な事になるのだけどね。

思想家、哲学者、有識者と名乗る者達よ、自分の肩書きに酔い自分が熟考したモノは正しいと思い込み過ぎではないのかと思う。無茶を承知で言うならば厨二病と同じではないのかと思うのである。

熟考しない厨二病こじらせている馬鹿からの意見ですけど何か!?


オマケ



数でイジメると言えば民主主義も同じ様なモノ、数にモノをいわせて少数派の意見をねじ伏せる。考えが正しいとか間違っているとか関係なしに数の論理でねじ伏せる。正しくても少数の意見は潰される、少数を犠牲にして多数の幸せを維持するのである。

まぁもっとも金を持つ少数の権力者により誘導、扇動されているのが実情だけどね。
posted by mouth_of_madness at 22:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月22日

アイボーグ

テレ東ならばダニー・トレホを押して抜群に面白い予告編を作ってくれるに違いない、編集とかも大胆に、テンポアップで更にいい映画になるかもしれない感じの映画。

こんな書き出しだとツマラない映画に思われるかもしれないが意外と良い映画です。いや色々とツッコミ所はあるし、キャラの掘り下げも甘いし、何でこの様な社会になったのかといった肝心な説明もない。そういう意味では未完成にも程がある。

そんな風な映画なのだが今の世の中を風刺しようという心意気が気持ち良いし、陰謀の親玉だと思っていた大統領は実はというオチもいい感じなのである。これからこの社会はどうなっていくのか?という余韻もあり観た後味が実に心地よいのである。

911の陰謀論とかをベースに映像と証言の矛盾の恐怖を描いているのが気持ち良いのである。自分が観たモノ、体験したモノが他人には伝わらない、映像があればそちらの方が優先されるこの世の中、しかし映像はもう既に色々と作れる世界に突入しているのだ。少数の目撃者の証言より映像の方が力を持つ様になると何処までも捏造が出来る様になるのである。

実際はもうずいぶん昔からそうなっている。

それなりの肩書き(まぁこれすらも怪しい)の人がもっともらしい事を発言すれば信じてしまう、事件の全貌なんかわからなくても、誘導され善悪等を判断しているのである。

確かに人には思い違い、勘違い、先入観、知識の浅さ、色々な欠点がある、だから色々と間違うのは確かだ、映像の力もわかる、だがそれを安易に信じて良いのかという問題提議をしている映画なのである。

ある日突然自分に思い当たりの無い映像が出回り、犯罪者にされる。起きてもいない事件を本当に起きたと思い恐怖や怒りを感じる、既にこんな社会が生まれていてもおかしく無い状況なのである。

posted by mouth_of_madness at 19:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月21日

ラビット・ホラー

ホラー版不思議の国のアリスみたいな感じの映画なんだけど、これがねぇどうしようもない位に退屈な映画なのである。何かサイコホラーと不思議超自然モノのハイブリッドみたいな感じでどうにも座りが悪いのである。どっちだろうと思わせるのとは違う為にどうにも焦点がぼけている感じでイマイチ話に集中出来ないのだ。それに中途半端になんかいい話的にまとめようとしている部分がどうにもねぇ。

また映像の安い感じなのもチョイと厳しいのである。

なんか「世にも奇妙な物語」と「本当にあった怖い話」を足して3で割った様な感じだ。時間が45分位だったらと思うしね。

だがこの映画にも良い部分はある、満島ひかりが非常に美しく撮れている感じだ、何か不安定で嫌な感じの美人役をやらせたらピカイチなのだけど、この映画では更にそれが良い感じに撮れているのである、陰影の中にハッとする切ない表情を見せるのである。

この作品DVDで観たのだが特典映像で入っていたフェイク予告編版の変なノリの方が実は良かったのではないか?馬鹿映画にした方がまだ見所があったのではないかと思う。

兎殺したから着ぐるみの兎に襲われるという感じで、いやそれもジャビットの着ぐるみを着た猛烈な巨人ファンという設定での悪ノリとかでね、それで吊されているのはトラッキー。
posted by mouth_of_madness at 21:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月20日

もめる

色々と人の世はもめる。

何で?という様な些細な事でももめる、日常的に色々な事でもめているのにその人の総体である国家間でもめない、理性的に話し合えば何とかなると考えるのはどういう事なのだろうか?

確かに僕もかっては世の中もっと理性的だし、人の意見を聞く冷静さもあると思っていた。だがそんなモノは幻想みたいである。

人の意見を聞いている様にみえる部分は相手のミスを探し出そうという魂胆でしかない、考えが固まっている人は他人の意見なんかでは揺らがないのである。そしてこれは中途半端に賢い馬鹿に多いと思う。

自分がそこそこ賢いから色々とわかっていると思い込んでいるのである、自分の考えに間違いがあると思っていないのである。

其処が馬鹿の馬鹿たる理由である。

国家もその馬鹿が運営しているのだ、馬鹿と馬鹿が話し合って解決する訳がなかったのだ。

そう考えると政府がどうのこうのという話ではないのだと思う、誰が政府をやるのかという話ではないのである。

どんな国民がいるかが大事なのである。

個人レベルの紛争をしっかりと昇華出来る様になって初めて国家間の紛争を解決出来る様になるのだと思う。

だが個人のレベルが其処まで賢くなれるのか?それが一番の問題ではないだろうか。

でも其処までエゴを抑えた人間はもう人間ではないのではないかという疑問もある。論理的に考えて行き着く先に人間が生きていこうと思える答えがあるのか?

色々なエゴにより人は生きていく、自分の感情に従い間違った意見であってもそれを押し通そうとする、其処に社会のダイナミズムが生み出していると思う。

また平和に生きたいというのもこれまた人のエゴである。
posted by mouth_of_madness at 22:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月19日

柿ピー

僕は柿ピーのピーナッツが好きである、柿の種は単品で売っているのだがピーナッツは単品では売っていない。

バターピーナッツを買えば良いんじゃないと言われるかもしれないがバターピーナッツと微妙に違うのである。メーカーも同じですよというかもしれないが僕には違う味に感じるのである。

ピーナッツの塩分が柿の種に吸着されたり、逆に柿の種の味がピーナッツに移ったりする事ににより違う味わいになっていると思うのである。また柿の種の香ばしい香りもピーナッツにプラスされていると思う。指先につく柿の種の味もまたそのピーナッツの味を変える事になる要素でもあるのだろう。

それに柿の種に強い味があるのでピーナッツ自体の味を抑えていると僕は思っている。

それらにより味わいがバターピーナッツと違うモノになっていると僕は思っているのだ。しかしそう考えると実は柿ピーの柿の種と単品に柿の種、実は味わって食べると別の味なのかもしれない。

またパッケージされてからの時間というのも味わいを熟成させる為に必要なのかもしれない。

そんな風に色々と考えると柿ピーのピーナッツだけというのは作れないのかもしれない。僕の馬鹿舌では判断出来ない様なモノは生み出せるとは思うけどね。袋を開けた時のあの香りとか色々とやる事は多いけどね。

そして柿ピーのピーナッツだけというのは作り出すのは非常に難しいのかもしれないように
posted by mouth_of_madness at 17:50| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月18日

宇宙大怪獣・ギララ

何か変なクスリでもやっているのではないかと思う程のクルクルパー映画。

子供の時にも観ているのだがその時にはそんな事には気がつきもしなかった、怪獣が暴れているだけで満足していた阿呆な子供だったという事だね。それでも面白かったとかそんな感想も何もなく殆ど何の印象も残っていない訳だから其処までは騙されていないという事か。

しかし大人になってこの映画を観ると古くさいとか特撮が酷いとかいった時間による風化といったモノではなくとにかく色々な所が雑なのである。いや雑というレベルではない、色々とおかしいのである、ラストの部分でバーマン博士が「えっ!!」というシーンがあるのだが多分この映画を観ている人もみんな同じ様に「えっ!!」となる事間違いなし。

その後に頭が捻れる様な気味の悪い笑いがこみ上げてくる筈だ。ハラがよじれる程の笑いはない、誤用と思われるハラが捻れるは腸捻転の事か?

それにしてもこの映画、冒頭から飛ばしまくりである。頓珍漢な勢いとノリだけで時間を進めていくのだ、いきなり宇宙酔いで駄目になったり、紫外線の影響で大味で巨大な果物作ってみたり、UFOに謎の行動されてみたりするのである。また登場人物が分裂症かと思う程、シーンが変わるとそれまでの事がなかった様に変わってしまうのである。その変わり様は足のケガすら何事もなかった様に変わるのである。

またこの手の映画のお約束のツッコミかもしれないが唐突に怪獣の名前が決まっているのだ。

でもなんでギララなのか?

怪獣ブームにのって松竹が作ったという話だが松竹の怪獣映画がその後に続かないという事はこの映画を観れば理解出来る。あまりにも客を馬鹿にしすぎていると思うし、怪獣映画をなめている感じがそこはかとなく漂っているのである。まぁ東宝とか大映とかと違う様にしたかったという思いがおかしな方向に行った原因かもしれないけどね。でも自衛隊の武器が東宝自衛隊風だったりで今ひとつ此所もちぐはぐ感があるのである。

その結果、異様にシュールに感じる映画になっているのである。これは時間が醸成したシュールだと思う。子供だましをねかして熟成させるとサイケなトリップ感溢れる奇妙なモノになるという事というのがわかった。もしかすると公開当時ツマラナイといわれていた映画もねかしていると別の意味で観る事が出来る映画になるのかもしれない。

エドウッドとかと同じか。
posted by mouth_of_madness at 19:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月17日

インモータルズ ー神々の戦いー

前作の「落下の王国」が傑作だったので期待をしていたのだがその期待に反して非常にガッカリな感じだった。

この監督の売りであるビジュアルシーンすらもイマイチなのである。

微妙に平板で安っぽいし、戦闘シーンとかも「300」のイメージを越える事はない、まぁスプラッター度合いは少し増えているかもしれないが別段それが面白い映像ではないのである。

とにかく奥行き感を感じない狭いセット感に溢れているのである、それが狙いだといわれればそれまでだがやはりスケール感がないのはこの映画の致命的な部分に思えるのである。

また主人公と敵はこの話の展開の場合コインの表と裏という感じにするべきではないかと思う。同じ様な境遇でありながらある者は神を信じ、ある者は神を憎むという構造を明確に作るべきではないかと思う、そして裏切り去勢される者は生まれながら満たされた境遇でありながら主人公とは違い闇に落ちていくというもう一つの対立構造をしっかりと描くべきだったと思う。

二つの対立構造から英雄とは何ぞという部分を描くのである。

その辺が非常に雑に思える、何となく戦い、何となくスケールの大きな話風にされているのである。

全てが何となくな出来の映画なのである。
posted by mouth_of_madness at 21:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月16日

イジメ

今日本は近隣の国々にイジメられている。それが実に学校等で怒っているイジメと同じ構造に見えるのだ。

日本はやめろよと力弱く言っているだけで具体的には何もやっていないし、お金を出しとけばこれ以上酷い目にあわないと思っているのだ、それに困れば先生にいえば何とかなると思っているのである。しかしその先生も実はイジメに荷担しているのである。知らないのは日本だけという感じだ。

前回の大戦でも同じ様にイジメられブチ切れたのだがまたしてもそれをやるのか?それともお花畑すぎて自殺してしまうのか?どちらにしてもヤバイ状況なのである。

これ以上酷い状態になる前にガツンというべき事やるべき事をやらないと更にたかられのだ。全て盗られてからでは遅いのである。ドンドン衰弱していく反撃出来る限界を超えたらもうおしまいなのである。

相手が理知的で平和主義だったらまだしも暴走する馬鹿なのだ。人は下手に出ると調子に乗るという馬鹿な生き物なので有る。馬鹿だから一線を越えたらマズイというのがわからなくなるのである。

まぁ平和主義というのも語源から考えるとピースが戦争によって平定した状態という側面があるから、力で自分のモノして行くという事なのかもね。

これ以上頭を下げても良い事は無いと思う。無駄な争いをしないというのは相手の言う事きく事ではない、攻めるのは危険と思わせる事が無駄な争いをしないという事なのだ。

そしてその力をひけらかさない事だ、風格こそが大事なのである。



posted by mouth_of_madness at 20:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月15日

ネット右翼

自称インテリの人にこき下ろされるネット右翼。一体ネット右翼とは誰なのか?そしてレッテル貼りできる程その形が定まっているのだろうか?

実に不可思議なのだ。このレッテル貼りの感じオタクというのがいわれ始めた時の感じに似ているかもしれない、漠然としたイメージがそれぞれの人々の中にありその中の駄目な部分ばかりを集めて作り出した歪な集団という感じで定着させようとしている感じがするのだ。

狭量で差別的、情報を精査しないデマに踊らされるという低脳で暇、社会的に虐げられている事により劣等感を持つ自称愛国集団という感じにしたいのだろう。

実際にはもっと色々な人がいる筈なのにこういう人がネウヨですと定義し型にはめようとしているのが今なのだ。これに該当しない人はネウヨではないのだ、そうする事によりごく少数の集団という事にするという考えなのだろう。

おかしな集団にする事により、僕達は違う、一緒にするなという人達を生み出し分裂させるのである。また極端なレッテル貼りをする事により批難を避けるというあざとい考えもあるのだろう、狭量や社会的に虐げられている劣等感の持ち主といわれた事に対して反論する事は自分がそれを認める事に繋がると考えてしまう人の心理を利用しているのである。

ネットは暇人のモノというのも同じ手口なのだ、これをそうそう世の中くだらん奴ばかりなのよと優越感を持つ側に引き込みたいのである、俯瞰的に物事を見ている優越感をくすぐりたいのである。

また仮にネウヨの人がこのレッテル通りの人達だったとしよう、しかしこの人達を批判する人達はいかほどの者なのか?同じ様にネウヨを批判する事で自分の劣等感を優越感に浸ろうとしているだけではないのか、特定アジアを批判するかネウヨを批判するかの違いしか無いのかもしれないのである。

レッテル貼りをして安心する、陰謀なんてモノはない、大体の事は理性的に考えればおかしな事は無いと思い込みたいのである、世界の事は何となく理解出来ていると思い込みたいのである。説明できないのがあまりにも怖いのだろう。

世の中の事がわかっているのであれば経済危機なんかこないし、政治的な問題も起きない、わかっているのに此等の問題が起きるのであれば陰謀が存在するという事なのである。

わかっているのに予想外の事によりコントロール出来ないとか馬鹿な事をいってはいけないよ。


まぁこれもレッテル貼りだけどね。
posted by mouth_of_madness at 01:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月14日

ギャルバサラ・戦国時代は圏外です

女子高生が戦国時代に行き一回り大きくなって現代に帰って来るといった感じの映画。

でも戦国時代のパートと回想パートが入り交じり今ひとつしっくり来ない。回想で喧嘩理由はわかるのだが、それまで仲が良さそうだったのがいきなり喧嘩しだして何で?とおいてけぼり感が半端ない、説明されてもそれまで仲が良い雰囲気との乖離に今ひとつしっくり来ないのである。

またもう一つのカップルの話もいる?という位に投げやり感漂うのである。別にカップルの話は有っても良いとは思うけど入れるのであればもう少し丁寧に描けよと言いたい。

そして最大の謎は戦国時代の何が切っ掛けで成長したのか、色々と吹っ切れたのかが全くといってピンと来ないのだ。なんとなく吹っ切れましたという感じなのである。いやそれだったら別に戦国時代でなくても良いんじゃないのという感じだ。

戦国時代の立身出世をしたい農民3人組と未来への夢とか良くわからないという女子高生の対比をしっかりと描いてこそのギャップ物の醍醐味だと思う。戦国時代の人間が手に入れようと思うと命を賭けてもなお手に入らないかもしれない夢へのチャンスをはなから諦めている女子高生という対比を丁寧に描くべきなのだ。実に不十分で物足りないのである。

それならばいっその事死んだ友達の遺言通りに天下取りをする位の勘違いぶりがあった方が良かったのではないかと思うのである、信長が本物のうつけ者でへなちょこであまりにも頼りない感じして、このままではマズイという事で歴女の知識を借りつつの天下取りというベタな感じでも良かったのではないかと思うのである。先に来て天下取りをしようとしている奴と歴女の知識バトルの方がスッキリしていると思う。(まぁ面白いかといわれると微妙かもしれないけど)

アイドル映画だからこんなモノで良いという考えは止めるべきだと思う。むしろ色々と冒険するべきなのだ、アート方向にいかれると困るけどね。まぁこんな物かという感じは実にもったいない、油断したと思わせて欲しいのである。

これが続くと面白い映画はアイドル映画という事になるけどね。
posted by mouth_of_madness at 21:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月13日

グローバル化

日本はグローバル化というと何か良い様な事、世界統一見解的モノと勘違いしているフシがある。世界基準に合わせる事が良い事だと思っているのである、だからガラパゴス化とレッテル貼りをし、独自化したモノに対して劣等感を持つ。

世界はグローバル化を望んでいるのか?

確かに望んでいるのだろう、だがそれは自分の利益が最大化するルールにより基準を支配するという考えにおいてである。自分が有利なルールを他の国のルールにそぐわないといって変更する様な馬鹿な事はしないのだ、自分に有利なルールを如何に他国を従わせるかそれこそが外交である。

自分達のルールによる支配こそがグローバル化の正体である、そしてこれは戦争である。

グローバル化した様々なルールを支配する事で国を軍事力支配により屈服させる事無く抑える事が出来るのである。面倒な領土支配をしなくても良いのである。

ルールに引き込みさえすればその地方、地域の文化すら支配できるのだから。

だが其処までのお人好しは日本だけである。観光客が来て欲しいからといって中国語、ハングル、英語といった感じにアナウンスや様々な標示物等を変更したりする国がどれだけあるのだろうか?

経済も世界規模でみて小さい所はみなかったり国防的側面をみなかったりで色々とヌケている。東京が儲ければ地方はどうでも良いとかいう考えの更に拡大化である、企業が儲かれば国はどうでもいいという極端な考え、更にこれが進めば個人が儲かれば他はどうでも良い、それこそが正しい人権のあり方になるのだ。

個人が儲ければいいという考えの果てに様々情報や技術を海外等に売り払い、結果日本の産業が駄目になっても良いと考えるのである。情報や技術を売られたくなればもっと金をよこせ優遇せよという浅ましい考えが蔓延るのである。

生き残る為に仕方のない事?

でもこれは人間の尊厳の問題だと僕は思う、道義的なモノを無くしたらおしまいである。

脱線復帰

大体色々な理由で国同士の敵対関係がまだまだあるのだ、紛争は後を絶たないのだ、その様な状況でグローバル化と安易に考えるのはおかしいのである。

経済戦争をやっているのだ相手の考えに、助言に安易に飛びつくのはお花畑すぎるのである。モノポリーでもやって出直せといいたい位なのである。少なくとも外交する人間はモノポリーぐらいは上手くあって欲しいのである。(カタンでも可・まぁこの考えがお花畑か・・・・)
posted by mouth_of_madness at 22:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月12日

哲学

哲学とは何か?僕は勝手に定義する。

哲学とは自分がみた世界の感想文でしかない。世の中ってこうだよねというあるあるネタをチョイと難しい言葉で書いた感想文なのだ、まぁ上手く書けている場合は評論文位になってはいる。

誰の心の中にある厨二病の精神が生み出したチョイといい話なのである。

そう考える哲学する人は人の哲学書を読むのはよろしくない様な気がする。人の感想文を参考に感想文を書くというのは夏休みの読書感想文を書く時に後書きとかを使い狡するのと同じ様な事ではないのかと思うのである。

また哲学の使い道として攻略本としての側面もある。

色々な行き詰まりに対してそれはどういう事かという答えらしき事が書いて有る攻略本なのである。

これまた人の書いた攻略本を読んで上乗せしていく事になるのだ、まぁ間違いとかバージョンアップ等によりそのまま使えない部分も出てきているから仕方のない事かもしれないが、やはりその様な感じで人の哲学を学ぶというのが本当に良い事なのかと思ってしまうのである。

先に進む為には必要?過去に誰かが考えていたら恥ずかしい?

いやそもそも哲学するという事が恥ずかしい事ではないのか?人生を楽しんでいないから余計な事を考えるのである。全力で楽しんでいたらそんな事を考えはしないのである。

そういう意味ではこのブログで書いている映画感想文は映画に集中しきれていないという事かもしれない。本当に面白いモノ美味しいモノ凄いモノに出会ったら絶句するのだ。その絶句こそか感想なのだ。

哲学をしているという事はこの世に不満を持ちその不満の原因を言語化しようとしているのではないか、不完全だとケチをつけたいだけの自意識過剰ではないのかと思ってしまうのである。

明らかにこの今日の書き込みはケチをつけているだけだね。
posted by mouth_of_madness at 00:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする