2012年09月30日

龍鳳

実家に帰った時に行ったラーメン屋。いつもは福龍軒や東洋軒、光華園、つるやといったラーメン屋に行くのだが今回此等の店がイマイチになっていたり場所が変わっていたりで地元の友人に聞きオススメという事で行ってみた。

黒龍を食べる。

結論から言うとチョイと物足りない所もあるがイイ感じだった。問題点は背脂が溶け出していない所だと思う。もっとじっくりと煮込みクリーミーになスープになっていればと思うのである、個人的にはもう少しスープが麺にも絡んで欲しいのだ。味だけではなくノドに少しとろみのあるスープが通過する感じが必要なのよ。(とろみといっても片栗的なモノではなくね)

此所が良く感じたのはこれまでの大牟田ラーメンにのっているチャーシューより歯ごたえがあり食べごたえがある部分だ。また久々に行った他の大牟田ラーメンが全体的にコッテリ感が減っている為にこの店の若さ感が良かったのだと思う。(それでもやはり匂い等は控えめだ)

是非これからも頑張って欲しいと思う。だが過疎化進行中と年寄り増加の中では中々厳しいかもしれない、大阪に支店が出来たみたいだがいずれそちらだけになるのではないかという恐怖感がある。
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2012年09月29日

郷愁

もう既に此方で過ごしている時間の方が長いのだが久々に実家に帰ると懐かしい感じがする、10年前に住んでいた川越に行っても何か懐かしさがある。

しかしどちらも僕の記憶にある街とは変わっているのである。変わらない部分もあるのは確かだがもう色々と変わり果てている。

其処でふと思った。今住んでいる場所もドンドンと変化している、かっては仕事帰りによく寄った店も寄らなかった店も色々と無くなり新しい装いになっている。しかしその店に関してはあまり懐かしさはない。ゼロではないけどね。

この感情の違いは何か?それはその変化の過程をを見たか、見なかったかの違いではないだろうか。最期どうなっていったかを見ていない為に記憶が混乱が引き起こす感情なのではないだろうか。

実は何も変化がなければこの懐かしさはないのではないか?自分の記憶にあるモノとそのままの世界が続いていればそんな感情は起きないのではないかと妄想する。

実は残っているモノに懐かしさを感じているのではなく、無くなったモノに懐かしさを感じているのである。自分の記憶から失われた事により微妙な物悲しさを感じているのだ。かってはその世界に居た筈なのに知らない世界になり世界に拒絶された様な気がするのだ。

其処が何か寂しいのである、そんなエゴのせいなのだ。

でも微妙に優しい感じがするというのがまたね。
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2012年09月28日

キチガイに

キチガイに刃物という言葉がある。確かにコレは危険ではある。

しかしこれより危険なモノがある。キチガイに人権、キチガイに言論である。

これは刃物なんか目じゃない位に危険である、そしてこれにより大量の人が死ぬのである。大量のキチガイの手に人権は渡っているし、様々な人にも魔法の言葉のように浸透している。責任と覚悟というモノを取っ払い浸透しているのである。

またもう一つの言論、中途半端な識者というラベルがつくことで何か自分が偉くなった、賢くなった、自分の知っている事こそ正義とでも思っているかの如く暴走して行く。自分の知識を疑う事をしないのである。

そして識者という立場を利用して発信していくのである。裏では様々な思惑で色々な議論、交渉がされている状況を自分の知っている事柄だけで全体像がわかっているが如く総括しそれまで積み上げてきた議論、交渉をガラガラポンにしてしまうのだ。

多分先の事何か考えていない、考えていたとしても元々良くわかっていないのだから予想はグダグダのお花畑にしかならない。

でも影響はあるのだ、その影響により問題が出た場合にどうするのか?もう少し考えて欲しいのだ。

政治家とは違う無責任な立ち位置で政治的発言をする、影響を与える、これはあまりにも出鱈目な民主主義、自由の暴走なのである。
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2012年09月27日

安倍叩き

自民党総裁選で安倍晋三が総裁に返り咲いた。確かに総理辞任のゴタゴタ等による不安はわかる。

だがどうにも解せぬ事がある。保守だからダメだ的意見だ、いや明確な理由が書いてあるのならばまだ納得は出来るのだが今ひとつ説得力にかけるのである。

中国、韓国が嫌悪感とかいう理由に何の説得力があるのか?いや別に関係が良好な方がいいとは思うが、国益を損なってまで顔色を伺うのはどうだろうか。あたかも中国等の意見を前に出してはいるがそれを使い記者が自分の意見を正当化しようとする貧乏臭い意見の押し付けなのである。

また保守だからダメという意見がまかり通るとすれば、世の中改革しかないというおかしな状態の社会になるのである。新しい事=正義という状態では間違いが正せないのだ。今日の改革は明日の保守なのだ常に良し悪しを判断せず改革を続ける様な社会をお望みか!

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2012年09月26日

国境

テレビ見ていたら僕たちの生活に国境なんか関係ないと言っている中国の芸術家を日本に紹介する芸大かなんかの先生が偉そうに言っていた。

何と想像力のない感性だと思った。

自分が中国の芸術家と違い自由度高く表現活動が出来ているのは何故かというのが全くわかっていない感じだ。国境とはその国のルールが適用される範囲なのだ。その縄張りに僕たちは実感が薄いかもしれないが守られているのである。弱肉強食でなく生きていけるのはそのおかげなのである。

またその縄張りから様々な生活に必要なモノを得ているからそれなりに快適な生活を得る事が出来ているのである。

公共にすれば良い?

いや違うルールで国を運営したいから違う国なのである。そんな状況で公共にというのは無茶なのである。

国境なんて関係ないという人自分の家に隣の人が車止め出したりしても平気なのか?ゴミとを投棄されたり、家庭菜園のモノいい感じだからといって隣の家の人がそこはウチの庭だとか言い出してもへいきなのか?共同管理しましょうと簡単に言えるのか?

自分の認識する距離感と国のものと自分のものという感じ方の違いからうまく想像できていないのである。国境の境が自分の所持している土地だったらどうするのだろうか?自分が購入した土地がある日隣の国にウチの領土だから出ていけと言われたら出て行くのか?

自分が国境に住んでいないから国境の事を認識できず、生活には関係無いという。想像力のなさ別世界である。

覚悟もなくジョン・レノンワールドにでもいるのだろう。鉄砲をぶっ放す事で物事を解決するヘストンワールドも問題だけどね。
理想論で全てが解決できるのならばこんなに楽なことはないだろう、だが人の数だけ理想は在るのだ、自分の理想が他人と同じと思うなよである。誰もが平和的解決を思っている訳ではないし、人の命も同じでは無い、異様に安い国も在るのを忘れがちなのだ。
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2012年09月25日

災難を喰らう

日本破滅論を読んでいて思った。其処に書いてあった寺田寅彦の部分なのだが災難を喰らうこともまた人の成長に必要な要素、そして311で日本人はそれを喰らうことが出来なかったという考察。

しかし僕はそれが違うのでは無いかと思うのである。

確かにそれを喰らったのだ。だがぜんぜん足りなかったのだと僕は思う。今の日本人を満足させるためには不謹慎な話だが死者の数が足りなかったのだ。30000人を超える人間が毎年自殺し、不審死が10万人を超える世の中なのだ実は人の死が異様に身近なのである。

核家庭化して老人が身近にいないから死を実感しにくい社会になったという認識が間違っているのである。

病気等の流れではなく突然死ぬというのを普通に受け止めてしまう世の中に変貌しているのである。まぁ自分がそれになるという所まで受け入れているとは思わないけどね。

その為にスカスカのモノを食べたとしか思っていないのである。

仮想と現実の境界があやふやになりそれらを喰らいすぎた挙句の大飯喰らいなのである。

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2012年09月24日

町が死ぬ

過疎化が進み死に行く町。爆弾では町を殺す事は出来ないが経済や政治は町を殺すのである。過疎化が進み田舎化するのではないまさに死に向かうのである。

爆弾で死んだ町は復興できるし、震災で潰れた町も復興出来る、だが過疎化はそれを止めないと駄目なのだ。だが放置をする事で手遅れになってしまうのだ。爆弾も災害もなくてもドンドンと建物は壊れ荒地に戻って行く。商店街やデパートといった以前の活力の象徴が荒地になって行くのだ。

その死の毒気に当てられ人の活力も無くなっている感じだ。日常的に町の壊死した部分を目にしているのである、其処でポジティブに生きろという事は中々難しい。再生していく過程が見ることが日常的にあれば良いのだがジワジワと死んで行く部分を見るしかなければ活力など湧く筈はない。

まだ諦めていない人達もいるだろう、だが大半がその毒気に侵されている状態では全てを諦め消え去ろうとしている感じだ。

ジワジワと荒地に戻る様を他の町の人は実感できないし同情も救済もない、栄えている町はそれがどういう事なのかピンと来ないし、怠けている、頭が悪い、知恵を出せとでも思っているのだ。同じように衰弱している町は実感できても救済する余力はない。

震災ですら予算がといって遅々として進まないのに荒廃が徐々に進んでいる所に予算なんかつくわけないのである。

衰退の方が戦争や震災よりも実は怖いという事を実感出来る社会を作らなければ何時の間にか滅びているという事になりかねないのだ。
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2012年09月23日

ローカル

実家に帰省しテレビを観ているとゴールデン以外の番組の違いに微妙な目眩を感じる。

この小さな日本での番組のズレこそが多様性を生み出す要素となっているだと思う。ネットにより情報の同一性は昔に比べ高くなっているとは思うのだがまだまだズレを生じるだけの違いはあるのだ。

またローカル番組のスピード感、非常に呑気に思えるし時間が過去に戻った感がある。

関西ローカルであれば違いは感じても此処までの差異は感じないと思う。だが福岡まで来ると奇妙な差異があるのである。多分全国区と関西ローカルとの二つ文化、福岡の場合は全国区、関西ローカル、福岡ローカルと三つの文化という数の違いがその奇妙な感覚の原因だと思う。


今の子供達は昔の子供に比べ色々な事を知っていると思うけど、僕が子供時は全国大体同じ番組を観ているという錯覚があったのである。

僕は大阪に出た時に異常なほどの差異を感じ、更に埼玉に出た時に更なる差異を感じた。この小さな日本での国の見方がテレビ番組だけをみても違うのである。右翼か左翼かというベタな違いではないよ大きく観れば大体同じだと思うけど細かいテンポ違い、内容の視点微妙な違いが人格形成、文化形成に影響をしているのである。

この幅は実に良いのである。大きな方向性は大体一緒だけどその感じ方が違っている、見方が違っているといのは良いのだ。

また混じった場合に自分が観ていたモノが全国区ではないというのを実感するのが良いのだ。国が違い実感するズレより良いのである。常識と思って認識していた部分が軽く壊れ歪むのである。

頭では違いがあると理解していても、長い時間が積み重ねた自分の人格形成までは理解していないのである。摺り合わせで違いを実感し中心を知る事になるのである





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2012年09月22日

ポピュリズム

大衆の意見をきいて政治を行う。一時的に人気は出るが基本的に衆愚だからそのままの政治を行うと社会は大体おかしな事になる、そうなると「政府は何をやっているのだ!!」と文句を言いだす。

大衆の意見をきかずに政治を行う。「国民不在の政治を行うな!!」といって目的を達成する前に潰されてしまう。

実に「どうすりゃいいのよ!?」である、トホホのホである。

政治は大変だという事を表している様な話に思えるのだが実は違う。これは政治家の能力が低いという事を表しているのだ。

国益にかなった政治を行いながら世論を誘導する事が出来るだけの能力が無いという事なのである。国益にはなっていないと思うが世論を誘導しながら自分のやりたい政治を行ったのは最近では小泉純一郎なのだろう。

この大変な状態から抜け出す方法がある、衆愚を教育し賢くするのだ。

だがこれは政治家にとって新たなる矛盾を生む。自分達の首を絞める事になりかねないのだ、良い政治を行う為に大衆を賢くすると選挙が非常に難しくなるのである。マスコミを使った宣伝戦、偏向報道による誘導が出来ないのである。それに政治家の能力のレベルが今よりも1ランクも2ランクも上でなければ見透かされてしまうのである。

衆愚を利用する事でしか政治家になれない連中は教育する事を嫌がり、阻止しようとするのである。

衆愚が選ぶ馬鹿の政治家ではその先を目指す事はないのである。

馬鹿は馬鹿の拡大生産を行う、それこそが権力を効率よく手に入れ、奴隷を手に入れる方法だから。みんなが賢くなると奴隷制は崩壊してしまう、対等な立場になってしまうのである。

平等な社会を生み出す為には人権制度をどうにかすれば良いというモノではないのだ、むしろ思考停止するだけ実は拙いかもしれないのである。
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2012年09月21日

ガリガリ君

安倍晋三元首相が胃腸の復活をアピールする為に深夜に天丼(てんや)食べたり、ガリガリ君食べたりとの健啖家もビックリの大活躍。

昨日に続きこれもまた記事にする様な内容なのだろうか?確かに首相を辞めた理由は胃腸の病気だからアピールしたいのはわからんでもないが、記事にするにはやはり無理があると思う。

本人はアピールしていないのかもしれない、だがこれが記事になる事自体が政治を何奴も此奴も茶番にしようとしている匂いがプンプンなのだ。

それに健康になったからといって深夜に天丼を食べるという事が健康をアピールするのに不適当ではないだろうか。(てんやというのも庶民性をアピールという部分が透けてみえる、此所は是非、通な隠れた名店とかの方が良いと思う)

のど元過ぎれば何とやらで健康を気にしていないという感じが実に不安感を煽るのである。ここは酒を控え、規則正しい食生活と軽い運動とかでアピールする方が良いと思うのである。そして規則正しい食事の部分で丈夫になった胃腸をアピールするべきだろう。(生姜焼き、納豆、豆腐とかの定食とかが良いメニューだと僕は考える)

今回のアピール実に微妙なのである
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2012年09月20日

そのころ沖縄では

尖閣問題の緊張が高まる中、政府は人権侵害救済法案が、AKBはジャンケン大会が、沖縄では給食の献立表を破き中学生が器物破損で逮捕されるというトンデモない事件が起きるという。

まさに混乱の極み、みんなが好き勝手に身近な事を行う。これが自由というモノです、大局なんか誰も観ていないという事なのである。

まぁ何処の何を観れば大局なのか誰にもわからないからね。政治的大局もあれば領土的大局もある、教育の大局もあれば人生の大局もあるのだ、更に地球の生命的大局もあるし、宇宙的大局もあるのである。

実に様々な大局があるのである、そう考えると誰もが大局を観ているとも言えるのだ。

そうはいうモノの沖縄のトンデモ無い事件に関してあまりにも呑気であるのだ。またこれが記事になるというのも実に異様である。それほど平和という事なのか?それともこの事件に裏にある教育の歪みこそが社会の軋みであり、それを見逃す訳にいかない様な問題が内包しているという事なのか?

そうであればこれが記事になる事はわかるのだが、記事を見る限りには馬鹿な事件にしか思えないのである。

だが一つわかる事がある、これが記事になる世の中の多様性と狂気が其処にあるという事だ。

日本の社会のおかしさの縮図があるのである。まぁ沖縄のローカルニュースみたいだから日本の縮図というのは風呂敷拡げすぎかもしれないけどね。

それでも呑気過ぎるし、記事になっていない部分が実に気になるのである。警察が出る様な事件なのか?先生のふがいなさにも絶望的な感じもする、それとも生徒にこれ以上強く出る事が出来なくなった教育問題なのか?モンスター化し親の、世論の歪みが其処にあるのかと考えると夜も眠れない。地下鉄をどのように地下に入れるかより眠れない話題なのである、これに勝てる悩みと言えば明後日の夜飯は何を食べるべきか位である。
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2012年09月19日

ステキな金縛り

三谷映画史上、一番笑えて、泣ける、最高傑作と言われている本作ですがその実態はそれ程のモノでも無かった。

途中までは良い感じなのだ段々と怠くなって来るのである。それにオチ的に更科六兵衛が関係無くなる感じがどうにもしっくり来ない。いや確かに理にはかなっているのだけどね。幽霊が存在するか、存在しないのか?またどの様に証言をするのか?というのが途中で終わり後が蛇足感が漂うのである。オチがついた後も何かイイ感じに感動させようとしてのエピソードがダラダラと長く切れの悪い年寄りの小便みたいなのである、此所からはいい話にしますよ的なオマケの付け方が実に駄目なのだ。

無実の証明も出来ていないしね。やはり此所は一つしっかりと六兵衛の無実の証明への脱線があってこその「誰の裁判?」ではないのか?

それに微妙なピンチ感を出す為の段田も何か良くわからない。何がしたいのかわからないのである。

法廷劇なのに法廷的ではないオチというのが笑う所なの?という事なのか。

この映画の見所は一つ深津絵里だ、実にいい感じに撮れている。法廷でのドヤ顔は中々のモノである。
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2012年09月18日

ザ・ウォード 監禁病棟

カーペンターの久々の映画。

何だろう過去の作品にあった破天荒さというか独特の雰囲気というのがイマイチ感じられない。もう枯れてしまったのだろうか?

まとまってはいると思うが後味の悪さが無いのである、バッドエンディングでは有るのだけど後味が悪いというのではなくありきたりな感じなのである。何かもう一ひねり欲しい所だ。

ツマラナイ訳では無い、それなりに手堅いと思う、だが怖さが足りない、それに設定は普通だけどその不可思議な状況をやり過ぎ為にオチをみてもピシッと来ないのである。

此所までやる必要があったのだろうか?オチを隠そうとする為かもしれないがそのオチが生きている様に思えない、それとも何度か観ればしっくり腑に落ちる様になるのだろうか?

此所までするのであれば出てくる登場人物全てがそういう事だった位の暴走があっても良かったのではないか?ちょっとずつみんな不自然な人間に思える演出をして、あの監禁病棟も不自然な位に生命感をなくしてこの世のモノと思えない様にしてしまうとか?

病院を退院して観る外の世界が異様に不自然とかまだまだあの状況は終わっていないのではないとかのヒネリが僕的には欲しかった。

80年代とかにビデオとかで観ていたら面白いと思ったかもしれないけどね。そんな感じの出来の映画です。
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2012年09月17日

スマートフォン

スマートフォンに買い換えた、テザリングが欲しくて買い換えた、それでいてWiMAXもついていればという事で買い換えたのだ。

それなのにWiMAXが繋がらないいや繋がってはいるのだが電波状況が悪すぎるのである、いやそもそも普通の電話の部分ですらかなり電波状況が怪しいのである。

更にワンセグも全く受信出来ない。どういう事なのだろか?

これまでのガラケーではそんな事は無かったのだが異様に電波状況が良くないのである。

この機種のアンテナ部分が弱いのか?それとも初期不良なのか?

今まで出来た事にプラスされる感じを楽しもうと思ったら、今までの事、いや携帯電話としての用途すら怪しいとはどういう事なのと思ってしまうのである。

この状況が今の日本みたいな感じがする。バタバタとしていてイマイチ洗練されていない、見切り発進という感じがするのである。いつまで見切り発進しているつもりだという話も有るが。

何か進めなければ駄目だという脅迫感から未完成の状態で垂れ流す、その様な感じだから今ひとつ支持されない状態に陥っているのではないだろうか。利便性を追求するのであればハードよりもう少しインフラをしっかりするべきなのだ。

どうもその比率が間違っていると思うのである。まぁそのハードの面でもOS面でもアップルに比べるとどうにも微妙である。完成度をもう少し上げないと駄目である。
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2012年09月16日

チャイナリスク

以前から言われていたチャイナリスクがいま起きている、それもモノ凄くわかりやすい形で噴出している。

チョイと前に日本中小企業等を救うみたいな切り口で中国の工業団地の特集みたいな番組をやっていた2年間土地代無料みたいな感じ日本企業を迎えるのだ、それに出演していた日本の企業もこれは検討に値するみたいな感じ興味津々だった。

僕はこの番組を観た時に危険性を一切やらない部分にチョイと脳天気過ぎるのではないかと思って観ていた。

まぁ僕は今回の様な暴動というよりは技術流出後に追い出されるとか、環境汚染等の訴訟、また前回の尖閣の時の様に人質に取られるとかのリスクだったけどね。

焼き討ち、破壊といった実にわかりやすい形で表面化するとはビックリである。ええーーっ!?という感じなのである。

このリスクをみても中国に出ていこうとする企業、戻ろう、別の国に変えようと思わない企業は何か麻痺していると思う。単純に今回の損失より儲けが大きいからなのだろうけど、そう考えるの麻痺しているのである、儲けの為に社員等を危険にさらしてもいい、文化を破壊してもいいという企業の利益だけでは考えられないモノを全くみていないのである。

また企業が自社の利益の為に国益を損ねても良いという考えにも疑問が残る。そもそも企業間の過剰な争いすらあまり良いモノではないと思う。お互い切磋琢磨しているような状態ならまだしも単に潰す、飲み込む、過剰競争によるリストラ、賃金カットとかまでいくともうそれは企業の利益は上がっても社会的損益を出しすぎなのである。

企業が利益を出す為に失業者を増やし、労働を奪う事で人間の尊厳を奪いその補填を国に任すのだ。企業にはお金が直接出ている訳ではないが税金を使い消費者を維持するという意味ではこの利権は巷で良く批難される土木利金、建設利権なんかよりタチが悪いのだ。

そのくせ法人税が高いとかケチをつけ国を脅す。何様のつもりだと思うのだ。

チャイナリスクも同じ様な面がある、企業の安全を守る為に国が色々な事を妥協する事で出る政治的損失を押しつけているのである。人質を取られようが、殺されようが企業の責任で全てを背負うというのならばまだしも、国に人権だの国民の安全を守るのが国の仕事だといって文句をいうのは目に見えている。世論もそのように動く、誘導されるのだ。

確かに海外にいる日本人を救うのは国の仕事である。(イマイチ出来ていないけど)でもそれだからと行って調子に乗りすぎるのも駄目なのだ、利益は自分のモノ、リスクは国のモノではあまりにも無責任だと思う。
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2012年09月15日

呆けていたから始まったかも

日本人は戦争なんか起きないと考えていた(自分達が巻き込まれる戦争)、僕もかってはその様に考えていた時もあった。九条のおかげと思う事はないけどね、経済での結びつき産業の結びつき、間違っていた認識での世界世論がらみとかで大丈夫ではないかと考えていた、更に経済的発展と技術的発展を日本が続けていれば大丈夫だと考えていた。

外交の下手さはあるがそれなりに何とかなるだろうと思っていたし中国や韓国もそれなりに先進国化すれば国はそうそう暴走しないのではないかと考えていた、

実に甘かった。経済的になんとかなったら暴走を開始してしまいましたでございますよ。

呆けていたら取り返しのつかない事になっていたのですよ。たぶん僕は経験無いけど、マンガである遊んでいたら夏休みが終わリかけで宿題てんこ盛りという感じか?いや小さな虫歯の間に歯医者に行っておけば良かったのに、歯医者は痛いと思ったり、面倒くさがり放置して結局歯を抜く事になりもっと痛い思いをするという状態か。

しっかりしていれば小さい紛争で解決出来ていたかもしれなかったのにその小さな紛争を嫌がりもっと大変な紛争になろうとしている。先送りは駄目なのよというという事を身をもって知りそうな状態なのだ。

先送り出来ないとこまで来たのである。

まだ先送りしようと企んではいるとは思うけど、もう覚悟を決めるべきなのだ。世の中思っている以上に正気ではないのである。何か集中すると人は他の部分が見えなくなる、そうするといつの間にか大きくズレるのである。客観性を失うのである。

そして頭の悪い事に人は常識はみんな同じと勘違いしているのだ。

周りを見て行動し考えていれば違うぞ、おかしいぞ気がついたのだろう。だが集中して有る方向に猛進していた為にその事に気がつかなかったのである。いや気がついたいたのかもしれないけど、おかしいと思いつつもみんな最終的は同じ所に来ると思い込もうとして目をつぶったのである。

世の中、何となく自分の考える範囲から飛び出さないだろうと自惚れていたのである。

刺激は欲しいクセにいざその刺激が来るとあたふたする。理屈的に有り得ないと蓋をしようとする、してきたのだ。

取り返しのつかない事になる前に蓋は開けないと駄目なのよ。

発酵して異臭を放ちだし外に吹き出ようとしている、爆発する前に蓋をあけ問題を解決するしかないのである。
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2012年09月14日

オカルト番組

オカルト番組を信じる事無く頭のおかしな人の妄言を全ての人が笑って観られる世の中になれと言う人々がいる。

今は非常識な人が多いから有害な為放送しては駄目だともいう。

この思想実に危険である。自分の現時点で認識しているモノの全てを正しいか否かの判断に間違いは無いと思っているのだ。知らない事は無い、有ったとしてもそれまでの知識で正確な判断が出来ると思っているのである。

また全ての人が同じ考えで正しく判断していると思い込んでいる状態こそがパーフェクトワールドだと思っているのである。正しい判断をすれば全ての人が同じ結論になると思っているのである。

僕はその状態、何処の洗脳組織ですか?何処の北の将軍様ですかという恐怖感しかないのである。

自分が信じる事が出来ないモノは間違っているという排他的状態の危険性を考えない者、そんな事を考えている者が正しい答えを出す事が出来るのだろうか?新しい発見が有るのだろうか?僕にはそれは行き詰まった世界にしか思えないのである。

そんな事をいうと僕も排他的?という事になるのね・・・・

これまでの人生で間違った判断をした事がない、テストでは常に満点、クイズを出されれば全て答えが理屈ではじき出せる位の生活をしているのならば此所まで傲慢でもわかるけどね。実際にはそんな事はない、多少は物知りかもしれないけれどねその程度で自分の知っている事は理屈が正しいと思い込むとは片腹痛いのである。

色々と違う考えが有って、それってどうなの、おかしいんじゃないのと思ったり、興味をもって楽しんだりするのが楽しいのである。正しい、間違っている関係なく違いがあってこそ面白いのである。

みんな同じ考えになったら人類は滅ぶ、人数いてもそれは一人なのである。
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2012年09月13日

柳生武芸帳・片目の十兵衛

痛快時代劇映画。

確かにアクションとか、ストーリーのテンポはイマイチなのだがチャンバラという感じが実に良いのである。「七人の侍」とかと違って娯楽映画という感じなのだ。「十三人の刺客」「十七人の忍者」とかとも違い、もっとマンガみたいなのである。

また若い松方弘樹の絵に描いた様な男前の若き武芸者(忍者?)が実に良いのである。演技は良いとは思わないが実に絵になるのである。目に力があるというか画面に出ているだけでカッコいいのである。

この映画みたいな時代劇、今こそど派手なアクションで再生するべきだと僕は思う。仮面ライダーや戦隊モノとは違うヒーローモノとしての映画として再生するべきではないか?香港映画とかの武侠モノと同じノリで痛快娯楽映画として蘇らせるべきだ。

大人しか観ないではなく、子供が観たいと思う時代劇を再生するべきだと思うのである。まぁみていないけど「るろうに剣心」がそんな感じかもしれない。

子供に時代劇が古いモノではないと認識させるのだ、そうすればテレビドラマでの時代劇も復活の切っ掛けになると思う。そうなれば時代劇でのトレンディドラマ(なんか日本語的に変だけど)恋愛、青春、就職問題と色々な展開を時代劇で行うのである。推理ものはこれまでも金さんや銭形平次とあった訳だから他のジャンルにも突入するべきだと思うのだ。

SF時代劇としてJIN仁は高視聴率だったのだ、キャストとシナリオ次第では時代劇もまだまだいけるのである。チョイと前の大奥とかもヒット作になった事を考えると単に悪代官とかを懲らしめるのに飽きただけだと思う。
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2012年09月12日

KY

日本では空気を読んだりする事がいい感じだったりするのだが、どうも世界はそうではない。

喧嘩しないと関係性が作れないという面倒臭い関係性なのである、喧嘩する位に自分の意見をぶちまけ意思表明をする事がイイと考えているのである。

なんと我が侭というか未熟というかゲンナリである。

自分の意見、意志を伝えないと駄目だというのだろうけど、其処まで正しいのと?思ってしまうのである。其処まで力説されると非常に疲れるのだ、実に美しくないのだ。

少しはおれる事も考えろ、空気を読めと思うのである。

このぶつからないと駄目という考えの裏には何があるのか?それはあわよくば言い負かせれば自分の勝ち、利益を上げる事が出来るという浅ましさがあるのである。言い負かせなかった場合だけにその時の妥協点を探すのだ。

基本的に妥協する事は考えていないのである。

如何に自分が相手の上に立つかなのだ、力関係をはっきりさせる為の議論でしかないのである。議論の内容に意味はない、着地点での利益が自分が上か下かしかないのだ。建築的に第三の意見が出来ていい感じという事は無いのである。

ぶつかる事で上下関係をはっきりさせるのが好きな野蛮人なのである。

そしてその事により何時か言い負かしてやる、復讐してやるというドス黒い感情を原動力に次の手を企むのである。

わかりあっているのではない、現時点での力関係により物事が進むだけなのである。相手の話を聞こうという状態はヤバイ負けていると思っている時だけなので有る。

基本的に脅迫と同じなのだ。世界は思っている以上に野蛮である、理論武装しているだけにタチが悪い。
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2012年09月11日

情報

情報をドンドン入れる、ドンドン・ドンドンと入れる。

そうして情報が飽和すると何も考える事が出来なくなるのである。賛否両論を入れる事が情報を精査する上で必要だと言うが情報が増えれば増える程何が何だかわからなくなるのである。

判断基準のキーがないからである、その為にフィルタリングが出来ないのである。

世の中には様々な嘘の情報、間違った情報が故意に無意識に流されている。それらにより膨大な間違った認識の元に僕達は生きている。洗脳が日常的に行われ、本当の事なんかわからないのが人間社会なのだ。

自分の過去の記憶ですら微妙に変更され都合の良い様に解釈しているのが実情なのだ。

狂った、壊れたキーを再建する?本当にそんな事が出来るのだろうか?

多分無理、それは神の視点を手に入れるという事なのだから。

正確な判断が出来無い状況で世の中を進めていく、判断していく。そりゃ色々と間違った選択するしかないのが道理なのである。そうと決まれば自分の美学の中で多少我が侭でも良いのじゃないの?我が侭バトルこそがこの世の中なのである。

誰もが自分勝手な意見を説得力を持たせて力説しているだけなのだ。視点の数だけ意見があるのだ、理不尽がそこら中にあるのである。自分の理屈で相手を屈服させる事で世の中が少しでも良くなると考えるしか無いのである。

まぁ世の中良くしようというのも傲慢だけどね。

面白いか否かぐらいで判断するのが丁度良いと僕は思うけどね。多少退屈でもそこそこ快適な生活が続くそれ以上を求めながらもその辺で妥協する、それが実現出来れば十分なのではないかと思う。

全ての情報を正確に精査する、しようと思っても出来ない事をわかった上でイイ感じを目指す位が丁度良いのだ。

情報に振り回されたり、情報に自分の人生を左右されるのはみっともないのだ。

飽和する位ならば情報が無い状態で自分はどうしたいかを考える方がマシな答えが出せると思うのである。
posted by mouth_of_madness at 22:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする