2012年10月31日

TIME/タイム

時は金なりを実際に演じてみせる映画。

それでいてSF版「俺達に明日はない」といった所か、本当に明日はないというか、あと一分しかないとかいった状態になっちゃう様な作品である。

ちょろっと話を聞くと面白そうな感じがするのだが、実に単調だし、イマイチこの世界の成り立ちがピンと来ないのである。この社会の基本ルール、それも社会の限度額がどのように理由で定義されているのかわからない為に今ひとつシックリこないのだ。

何となく時間が通貨になっているという感じで、監視官が何の為にいてどの様な秩序を求めているのかがわからない為にただの警察官にしか見えないのである。

単なる銀行強盗を繰り返す主人公とそれを追う警察官の話、それに奪ったお金を巻く義賊の話をまぶせば出来上がりという感じなのである。

時間切れになると死ぬから安易なハラハラ感は作りやすいと思うけど、やはり安易な為にイマイチハラハラしない。腕相撲モドキなバトルをするのだがこれもまたゲームとして良く出来ていない為に勝負が面白く無いのである。

結局はこれはSF映画ではないと思う、単にお金と時間を置き換えただけの映画なのだ。新しいシチュエーションを定義し、その事によって起きるであろう事とか価値観の変化とかを描いた映画ではないのである。

これは多分今の経済格差問題描く為にSF仕立てにしただけだ、リアルな社会状況を描こうとすると実に大変な為にSF仕立てにしてリアルの経済知識等の問題が起きないように誤魔化したのではないだろうか。

それに銀行強盗とサラ金襲って金を手に入れ社会転覆とかいわれてもリアリティが出ないしね、その辺の嘘くささから逃げる為の道具建ての様な気がするのだ。

不老不死とかはきっと何の関係もない、金持ちは快適な環境で楽しく長生きと貧乏人は日々の生活に追われて短命という現実にも存在する構造を大げさに描く為のモノでしかない。

この辺が実に物足りない出来である、アクションとかもこぢんまりとしているしね。
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2012年10月30日

姥捨て山

姥捨て山というと人道的にどうなのという意見が出るのが現代社会だと思う。昔もそういう意見もあったと思うけど、当時の年寄りは負担をかけないという心意気があったのではないだろうか?死にたくはないと思いつつもその場で生きる事が出来る人数の限度の為に身を引くという気持ちがあったのではないだろうか。

また今でこそ山に捨てるというと死ぬという感じがするかもしれないが昔は借金とかで山に入るというのがあったという話だ。食べる事が出来るモノの見極め等の能力、色々な生活必需品を作る能力などの基本生活能力が全然違うのである、山賊や山姥とかに成る位のタフガイだったのだ。

先進国に済む人間は便利になれ生存能力を無くし、更に肥大化したエゴにより死ぬ事も出来ない様になってしまったのだ、戦時中も若い奴を戦場に送り込み死なせたしね。年長者を敬うというとイイ感じかもしれないが、それに胡座をかき若い者を踏みつける年寄りにどれだけの意味があるのだろうか?

若い奴の為に犠牲になる覚悟があってこそ尊敬されるのである。

今の状況だと地球が滅びるという時に脱出用ロケットに金を持った年寄り達が乗り込み結局滅びるという事になりかねない。
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2012年10月29日

移民政策

少子化対策の為の移民政策、アメリカとかはガンガンそれをやっている。

先進国は油断すると個人主義とかの影響で少子化になりがちである。それを埋める為に途上国、後進国からの移民を入れる。

先進国はこれからも増えていけばその人的資源の取り合いが始まるのではないか?後進国は税金を納める為に働く単純労働者排出国になるのか?

そしていずれはそれらの後進国も発達を遂げ同じ様な状況になるのではないか?

それともその様な状況にならない様に先進国の都合で後進国の発展をできる限り阻止するのだろうか。それがNWOという事か?

先進国は国を支える為の人が欲しいけど、いずれその人達も年をとり、それらの人を支える為に更なる人が必要に成る可能性が高い、だがその様な感じで人口が増えていけば環境問題、食料問題等が出てくると思われる。いずれ限界が来る筈だ、まぁ限界より先に技術発展が進めば何とかなるのだろうけどね。

それに移民の方が増えすぎると現在の民主主義的には問題が起きる、新しく入って来た人達の人数が増えれば従来の権力構造が維持出来なくなるのである。経済でそれをある程度抑える事は出来るとは思うけどね。

また元からその国にいた人との文化的衝突が起きる事になる、少しずつ混ぜ新しい文化として定着する緩やかな変化でないと反発により大変な事になるのだ。

その様に考えて行くと不老不死的を求めているのは実は老人が存在しなければ若者が支える必要もなくなる、病気等が限りなく減れば保険等も関係なくなる。

ひたすら人的代謝のない終わりのない日常が延々と続き技術だけの発達が進んでいく社会を生み出そうという事ではないのか?

その様に考えて行くと不老不死の技術が生まれた時に権力者が考える事は何だろうか?僕は人減らしだと思う。自分達の生活を満足させる事が出来る人数にまで減らすのである。

後はそれが延々と続けば良いのだから。

1万人のエリートが1人あたり1万人の奴隷を使う様な社会で停止するのである。ジョージア・ガイドストーンには世界を5億人にする必要があるという話みたいだからもう少しエリートの人数がいるのか、1人あたりの奴隷の人数が多いという事なのだろう。
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2012年10月28日

どうしてこうなった

子供の頃考えていた大人になった自分の姿、生活。それとは全く違う現実の生活。

何でこうなった!?

現実の生活がみすぼらしいとか、辛いとかそういう事で言っているのではない、あまりにも違いすぎている事にビックリするのである。
それなりに考えて実行して来たつもりのだがやはり全然違う所に到達してしまった感じだ。

加齢臭漂う様に成っているのにちっとも大人に成りきれていないのである。

それよりもこんなに出来ない子だったのかと実感する事山の如しなのである。もう少し出来る子だと思っていたのだが実に出来ない子なのだ。こいつ才能ないだろうと思っている人間にケチをつけられるし(僕の思い違いではなく、実際に失敗続きなのである)指図されるのである。

何の悪い冗談だという感じなのだが、それを半ば諦めて受け入れている自分がいるのである。自分の意見を受け入れさせるだけの能力、説得力がないのである。

何てガッカリな才能だと泣き濡れて蟹と戯れてもどうしようもないのだ。それを我慢するのが大人なのか?多分違う、その様な自分を無理に圧し殺して生きるのは大人ではない、人の顔色見ながら生きるのは大人ではないのだ。少なくとも守るべき家族とかがいる訳では無いのだから其処で立ち上がれるのが大人の筈だ。社会に対してツッパる事が出来ないのが非常にガッカリなのである。

あと結婚だけど此処まで人と出会わない生活をするとは思わなかった。いや出会ってはいるけどそん小さな接点を結ぶ、太くするという努力が足りないのだ。そこまでしないと出会いというのは出来ないと、大変な事だとはこの歳になってやっとわかった。

此処まで何も出来ないと笑うしかない感じだね。

まぁ色々な事を諦めてソコソコの生活を手に入れる才能くらいはあるみたいだけどね。
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2012年10月27日

人間の秘密

夜の幸から24年という時間を経て発表された原マスミの新譜。途中ベスト盤とか出てたりはするけど久々のアルバム。長かったという感じもするけどそれまでのアルバムが何度でも聴く事が出来る良いアルバムだったからそうでもないという感じもする。

ライブとかを観て新譜欲しいと思う事もあったけどもう頭の中にその曲が鳴り響いたから出なくても大丈夫という感じもあった。

そんな色々と微妙な気持ちの中で出たアルバムなのである。

新譜だけど懐かしい、久しぶりの友達に会った感じがする、実に味わい深いアルバムになっているのだ、昔から知っている音に再会した感じなのである。

多分これまで原マスミのアルバムを聴いた事が無くても懐かしい気持ちになるのではないかと思う。

今までもラブソングが多いと思っていたが今回は更にそれが多い感じがする、好きという感情をどうすれば良いのかもてあましていたり、好きというのをどのように喩えればその気持ちの大きさを表現出来るのかと足掻いている感じが溢れているのだ。

こっぱずかしくないラブソング、普通はラブソングなんてろくなモノではないと思っているのだけどね・・・

だがこの音楽の良さはそんな事ではない。原マスミという楽器の音が円熟を増し、良い音を鳴らしているのである。この声、節回し等に代わりがいないのである。素晴らしい楽器の音が其処に存在するのである。僕にとってこれに匹敵する楽器は戸川純の声である。

上手い下手といった技術的モノではない声の響きが持つ世界が何処かに連れて行くのである。声が持つ世界感、匂い等が僕を虜にするのである。

そんな事をいうと曲が駄目なのという感じもするかもしれないけど曲も良いよ。でもそれ異常に圧倒的音の存在感があるのである。まぁその存在感のインパクトの為に嫌悪感を持ったり曲の良さに気がつかなかったりするのかもしれない。

時代や流行等を超越した古くなることも新しく成る事もない音楽が此所にあるのだ。好みに合えばずっと聴いていける音が其処にあるのだ。
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2012年10月26日

価格破壊

ロキシーミュージックのBOXを買った。九枚組で税込5193円。

なんという価格だ!!

確かに新譜ではないし、これまでに制作費も生活費も十分に元はとったと思うけどやはり安いと思う。

しかしなんでこれを安いと思うのだろうか?

これまでのCDとかが高かっただけなのではないのか?確かにその可能性はある。しかし気に入ったCDは何回も聴く事が出来るのだ。10回ぐらいしか楽しまなかったとしても8時間位は愉しんでいるのである。時給700円と考えれば5600円位のサービスを受けている感じだ。ライブに換算すると3回位の観ている感じだ。そう考えるとCD価格の3000円とかってかなりいい感じの値段だと思うのである。それが一枚当たり570円位で手に入る状況ってサービス満点過ぎるのである。

日常的に音楽が溢れているからそれが当たり前、タダで聴く事が当たり前と思う人もいるだろう。むしろ聴いてやってる位に思っているかもしれない。音楽にしても、テレビ番組にしてもタダに慣れ過ぎて麻痺しすぎていると思う。

こんなモノに金を出すなんて馬鹿じゃないという思想が蔓延し価格破壊が起こっているとしたら実に由々しき状態だ。サービス精神の発露であって欲しいのである。

だが此処にまた問題が生じる、名盤がそんな価格で売られるとそれよりヘボいモノが新譜だからといって高い金額で売られる事に違和感を感じる者が出てくるのである。

本当に名盤で誰もが欲しがる様なモノならば価格は上がるべきではないのか?という考えも成立するのではないだろうか。

売れるから安くなる、売れないから高くするという値段付も現実にある。考えれば考える程価格の正体がわからなくなっていくのだ。

価格破壊、安く購入できる事は嬉しいがそれにより音楽産業が崩壊してしまうのではないかという不安、他人の仕事を大した事ないと低評価する風潮が拡がるのが実に怖いのである。
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2012年10月25日

振れ幅

極端におかしな左翼が闊歩する、反日の人が闊歩するから、反対側におかしな右翼が出てくる事になる。そうしないとバランスがとれないからだ。

極端な振れ幅を許容する社会は良いと思う人はそれなりにいるのだろう。様々な意見の幅があるのは自由の証明であると言うのだろう。

だがそれは間違いである。1人や2人がその様な意見を言っているのならば社会の許容性と言えるかのもしれないけど。

集団的に極端な意見が出てくるという事は其処に参加している人が物事をよく考えていないという事なのだ。

まぁ最初は極端な状態で徐々に収斂していくのであればまだ良いが、今の日本の状況は段々と振れ幅が大きくなっている感じがするのである。この振れ幅もっと大きくなると日本は転倒してしまうのだ。バランスを大きく崩したら元に戻るのは難しい、大概は転ぶのよ。

それともおかしな方向に暴走しているから一度転んで止めようという魂胆なのか?

でも転ぶと結構なダメージを受けると思う、思っている以上にスピードは上がっているのだ。

飯を食べに行こうという話をしている時に許される極端の限度はあっさりとした和食、コッテリと焼き肉といった感じの幅までだ、其処で食べる、食べないという意見は駄目なのだ。

日本をよくするにはどうすれば良いのか?と話している状況でなのに、今の政治意見は反日・売国かそれとも愛国かという極端な話になっているのである、日本を滅ぼすか、日本を守るのかという極端な意見になっているおかしな状況なのである。

実に気が狂っている状況なのだ。議論がおかしな方向にズレているのにその事に気がついていないこのおかしな状況で選挙に突入はでは確実に選択を間違う。

いい感じの政治というか振れ幅は、飯食いに行こうというと、お互いの体調や、懐具合、今いる場所とかを考えた上で、醤油にするか豚骨にするかという位に意見が割れる程度が丁度良いのだ。そして間をとって豚骨醤油にするとか、今日は相手に譲って次は豚骨ねと約束を取り付ける位が丁度イイ感じなのである。


反日か愛国かって意味不明すぎるのだ。
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2012年10月24日

マインド・コントロール

実に気味の悪い尼崎事件、報道でおどろおどろしくされているからかもしれないが実に気味が悪い、実際はもっと深い闇があり、全貌が解明され報道されればもっと吐き気を催す事件の様な気がする。

この事件報道に出ている部分が事実だとするとマインドコントロールの部分が実に気味が悪い、家族を崩壊させ家を乗っ取る、また逃げても関係者探しだし連れ戻すという部分が実に怖いのだ。

どれだけの人間がマインドコントロールされているのか?またそれを行っている者はその技術を何処で手に入れたのか?そしてこれは個人レベルで出来る事なのかと狂気の淵が日常にポッカリと空いた感じが実に怖いのである。

戦争とかより余程怖い現実が目の前に突きつけられているのだ、近づかなきゃ良いというモノでは無いのだ。

何処にこの淵があるのかわからないのである。

そこが新興カルト宗教、マルチ商法とかと違うのである、オウムの狂気が一歩前に進んだ感じがする、日常に溶け込み人を操り支配する。

実はこれが組織的に行われていたらどうしようと考えるとドンドンと怖い考えになっていく。何かの実験だったり、家族解体のレベルをあげ町内支配、市内支配とかになっていくとしたらどうなるのか?

実際に報道されている感じからすると近所の人は関わりたくない、警察に言っても事件化しなかったといった家族レベルの話ではない感じが漂っているのである。関わりたくないという感じに恐怖が伝播しているのである。

子供が実の親より洗脳した者の方につくこの脆弱な感じと、ドラマ等で描かれるご近所問題、公園デビューとかママ友とかいった奇妙な町内派閥とかを考えると町内支配レベルはやる気さえあれば既に出来たのではないかと思うのである。

色々な関係性、人間の精神、意志が如何に脆弱かというのが今回の事件で露呈しているのである、簡単に崩壊するというのが表出したのだ。
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2012年10月23日

ハングリー精神

最近の日本人はハングリー精神がない、国際競争に負ける理由は此だみたいな意見がある。

しかし思うハングリー精神てある種非理性的状態ではないのか、人間の中にある本能的モノに突き動かされている状態だと思うのである。

人類はそれを克服しようと文化、文明を発展させて来たのではないのか?それを低い方に合わせろというのはおかしな意見ではないのかと思うのである。

日本がハングリー精神を失ったというのは、其処まで進歩したという事では無いのか?高度成長期、受験戦争等を経て衣食足りて礼節を知る所までなんとか進む事が出来たのではないのか?まぁバブルでまたチョイと温い獣性に戻ってしまった感はあるけどね。

国際社会が貪欲な世界だとしよう、動物的な本能で世界が動いているとしてもそれに成るのは果たしていい事ののか?(陰謀論で支配者と呼ばれる人達も単なるエリート思想を振りかざす動物的な阿呆な世界)

動物的本能より圧倒的な人の知性で物事を解決するべきなのだ。同じ土俵に上がり混沌を作り出していたら何も解決しないどころか同じ所をグルグル回るだけなのである。人の知性で本能をねじ伏せるべきなのである。(ねじ伏せるというのも動物的か)

タフな呑気というかムツゴロウ的に動物をいなす技術こそ今の日本に必要なモノなのである。同じ土俵におりては駄目なのだ、そうすれば確実に負ける、動物的部分が既に退化しているのだから。

下に降りるのではなく先に行くのだ、だが一歩先ぐらいでは駄目、五歩先ぐらいに成長、進化、進歩するべきなのだ。

世界は相変わらず動物的過ぎるのである。




まぁ実際の動物は人間が考えているより洗練されていると思うけどね。
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2012年10月22日

ドラゴンエイジ ブラッドメイジの聖戦

ゲームの映画化。

中途半端なセルシェードが安さ爆発で観ていてドンドン力が抜けていく。質感コントロールが出来ていない違和感を感じた。顔のモデリングの精度なのか変な形に見える影のせいでおかしな表情というかおかしな皺が気になってしょうが無いのである。

またタッチのついていない線画もまた笑いを誘う、頬の皺に単調な線がひかれるとウワッ、やっちまったなと思ってしまうのである。

まぁ話は有りがちな権力争いの陰謀モノ、ただ微妙に陰謀感を盛り上げる部分がモノ足りない。えっ此奴がというのが無いのである、多少はミスリードとかがあれば良いのにと思う出来なのである。

またなんでドラゴンのコントロールが出来なくなった時に途中出てきたゴーレムとかを召喚しないのか?全ての悪事はバレたのだから最期は訳がわからん位にど派手に行けば良いのにとストレスが溜まるのだ、爆発しないのだ。

ストーリー的には弱いのだから最期にど派手な映像での見せ場をもってこないでどうすると思うのである。圧倒的にドラゴンの数も足りないのだ。出し惜しみせず空を覆うドラゴン軍団とかやるべきなのだ、其処までやらんと盛り上がらんのよ。

まぁ予算の問題もあるのだろうけどコンパクトにまとめすぎだと思う。


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2012年10月21日

マーシャル・シティー 超人大戦

サーカス団の人が日本軍が遺棄した人類強化ガスで超人になり暴れまくる映画。

其処に絡む様々な恋愛模様と死による永遠の別れといったサービス感に溢れる作りにはなっています、でもサービス感過剰の為に今ひとつまとまりにかけている為に勢いに欠ける。

とにかく三角関係に関しては何でそうなるのという感じが笑いを誘うこと間違いなし(失笑という話も)、あまりにも突然だし、あまりにも熱烈過ぎるのである。

また超人が今ひとつ強いのか弱いのかがハッキリしないのである、警察の特殊事件担当がツボ攻撃で意外と何とかなってしまうのである、様々な技で超人にかなり肉薄するのだ。まぁ超人に対して常人が様々な技で対抗するというのは燃える展開ではあるのだけど、もう少し二重三重の罠を用意してからの戦いにして欲しかったと思う。

ワイヤーアクションや格闘シーン、爆発シーンもイイ感じなのだがもうかなり見飽きている感じがするのが残念なところ。もう一ネタ何かが欲しい。

飽きたから駄目という事ではない、だからこそ組み合わせ等が大事になるのである。新鮮ではないネタはの調理の仕方で工夫するしか無いのである。

この映画美味しそうなモノをただ単にぶち込んだだけなのだ。それなりのモノを入れてあるから不味いという事は無いのだが今ひとつ美味さもない、それぞれはそれなりに美味しくいただけるのだが全体では美味しくない。それぞれも混ぜることで微妙に味が落ちている感じなのである。混ぜることで新しい味わいと重ねられる旨味というのが無いのである。


あとこの映画、馬鹿という調味料が足りないと思う。何か常識的範囲での大暴れしかないのである。頭が悪い所はあるのだけどね。
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2012年10月20日

小ネタ

ポピュリズムを突き詰めていくと鉄人28号なのね、良いも悪いもリモコン次第という事なのねである。まぁ世の中には正太郎君を騙そうとする人達がいるからドンドンとリモコンの階層が深くなるという事なのだろ。

ポピュリズムの民意って誰かがプロデュースしているからね。民其処までは考えている暇はないからね。

温暖化問題についてCO2が温暖化の原因、人間がその原因であると考える流派、そんな事は無いという気候変動はずっと起きている事ですからと言う流派大きく分けるとこの二つの流れがある。

どっちが正しいのか否か判断するのは難しいと思う。科学的思考力があれば出来る、論理的に考えればわかるという人々もいるが僕にはわからない。

其処で別の考え方をしてみる。

人為的に起きているをA自然現象由来をBとする。

1:Aが正しいと仮定する、Bの考えは間違っている場合

2:Aが正しいと仮定する、Bが嘘をついているという場合

3:Bが正しいと仮定する、Aの考えは間違っている場合

4:Bが正しいと仮定する、Aか嘘をついているという場合

5:AもBも間違っていると仮定した場合

6:AもBも嘘をついていう場合

此等で明確に人為的被害が出るのは1と2の場合だが2の場合に被害を受けるのは仕方なしと思うのだ。人類がくだらないというのを証明された為に被害を受けるのである。人類と自分の利益を天秤にかけてまで嘘をつくのだから滅びてもしょうが無いと思うのだ。

そう考えると問題は1の場合だけに絞られる、そうだとすればこれから先色々と問題が出て来るだろう。手遅れになる可能性もあるが問題が顕在化しその確証が出てきてからでも遅くは無いのではないか?B側の意見が変わり始めてからでも良いのでは無いかと思うのだ。問題が顕在化してもその事を観ようとしなくて滅びるとしたらそれもまた人類の末路に相応しいと考えるのである。

そう考えると実にラクチンでしょ。

未成年者判断ボタンは実に面倒臭い、これって店に押しつける事では無く躾ではないのか?また社会の弾性がなくなっているのではないかと思う。昔はお使いで親のタバコを買いに行くことも酒を買いに行く事もあったのにね。それに飲もう、吸おうと思えば方法はナンボでもあるのだから買う買わないではないと思う.大体効果でてるの?


グダグダの小ネタでした、特に温暖化の分はグダグダ、なんか破綻しているよね。
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2012年10月19日

本当の所はどうでもいい

温暖化に原発に尖閣問題に様々な経済問題、世の中には色々な社会的に問題が山積している。

メディアや政治家は話題にになりそうならば表に出し問題にするし、食いつきが悪ければアッという間に裏に消えていく。

殆どのに人は此等の問題どうでも良いと思っているのだ、飲みの席や飯の時の会話でもっともらしく此等を話題にして話したりもしているがきっとそれほどの問題を感じていない。景気が悪いからどうにかしろと言ってはいても其処までに緊張感はない、それに他人の懐なんか考えてなんかいないのである。単なる愚痴を言ったり、一緒になって文句を言う対象、怒りをぶつける対象としての問題が其処に存在するだけだ。

景気が悪くてもボーナスが減らずに出るのならば何とも思わないし、リストラとかに遭わないのであれば問題を訴えてはいても実感も危機感もないのが実情だと思う。

実際にその問題により被害を受けている当事者にならない限り問題を実感なんか出来ないのである。想像力も思いやりもないのだ。だから311の震災の復興も遅々として進まないのである。まぁ当事者になったとしても大局的に物事を見られる者がどれだけいるのか?という疑問もあるけどね。

そして其処まで問題意識はない筈なのに反対意見を言うと狂った様に反論する人がいる。

でもこれは問題意識の発露ではないのよ、単に自分の考えの方が正しい、お前の考えは間違っている、それと立場の上下をつけたいだけなのだ。実際の問題解決への建築的意見の積み重ねより知能の上下を決める事の方が大事なのである。議論を制したいだけなのである。その事の方が問題として大きい事なのだ。

これって街角の議論、オフィスでの議論、居酒屋での議論といったレベルでだけ起きている訳ではない、国会でも、国際会議でも起きている、多分科学者とかの理性でやるべき学会とかでも起きていると思うのだ。

結局は大きな問題を認識していてもその問題より人間の小さなエゴを満足させる方が大事なのである。

きっと問題の内容が大事なのではない、どの問題を使えば自分が優位に立てるかという事で問題を選択しているのだ。

どうでも良いと思っている問題で右往左往しているフリをする、そうすることで何か社会に参加している様な感じで気持ちよくなる、殆どはそんなモノだと僕は考える。

大体物事考えていたら中々答えなんか出ないと思う、確かにその場、その場で何らかの答えや結論を出さないと駄目な局面は来るのだけど、あくまでその場、その時点での答えなのでしかない。そんなあやふやな状態で社会問題なんかを実感出来る想像力があるとしたらそれは凄まじい精神力と思考力が必要なのである。

全てにおいてグダグダな僕には出来ません、記憶の片隅で空き時間にグルグルと思考を回す程度が関の山。
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2012年10月18日

カウボーイ&ゾンビ

汗臭さも、男臭さも、埃っぽさも砂塵も感じさせない、日光江戸村ではなくテキサスウエスタン村での出来の悪いアトラクションの如きチープさが迸るゾンビ映画。

ちっともガンマンにも西部劇にもみえないのである。どうみてもコスプレの現代物的感じが最期までまとわりつきちっとも燃えないのである。世界に入り込めないのである。

これならばテキサス&ゾンビとかにして現代モノにした方が収まりも良いだろうし映画の幅も拡がったのではないだろうか。

そしてシナリオのザル感も恐ろしい出来である、特にラストは驚愕だ。ええーーっ!!嘘〜ん!?と脱力する筈だ。そんなに重要な奴だったのかと腰砕けになる筈である。

でも金塊の話をしていてアレはないのではないか?インディアンが死ぬ時に金塊のありかを聴いて農場を救うのが王道ではないか?

それかラストに出てくる奴が生きていて、その金塊を横取りに行ってドツボにはまるというのが楽しいオチでは無いのだろうか?と思う。

個性豊かな賞金稼ぎが1人また1人とやられていく展開が無いのもまた燃えない要素だ。その展開があって賞金首のインディアンと協力をするというのが良いのでは無いだろうか。其処で言い伝えとかで手を出してはいけない聖域とかのくだりがあったりとかね。

なんやかんやで生き残り、助かったと思った所で金塊を独り占めしようとする賞金稼ぎに撃たれて命を落とす主人公。

金塊を手にいれウハウハの所にゾンビ襲来、それを指揮するゾンビになった主人公みたいなオチが欲しかった。死霊のえじきみたいに鉄砲を撃つゾンビ主人公に撃ち殺されるの方が良いか。

とりあえずオッパイで逃げる芸風も関心しない、ただ出せば良いというモノではないのだ、それではエロスになっていないのである。
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2012年10月17日

色眼鏡

何かの先入観により社会を見るという色眼鏡社会。これって誰もが陥っているのだ。

逆に先入観無しに物事を見ている人がいたらそれは凄い事なのである。奇跡と言っていいだろう。

客観的なデータを観ているから大丈夫と思っていてもデータの組み合わせでまた偏向がかかっていくのである。

有る現象に対して関連性のあるように思えるデータが有ったとしてもそれが本当の所関連性があるのかどうなのかわからないのである。確かに様々な検証により関連性が有ると考えられているのだろうけど本当の所は定かではないのだ。(まぁこれは僕の先入観)

この辺の色眼鏡の為に温暖化の理由がCO2が原因なのか、温暖化したからCO2が増加したのかいったおかしな状態を生み出す。

経済再建に対しても真逆な案が出てくるのである。ちゃんとした知識が無いとそう言われればそうかなと思える様な事が書かれているという状態が続くのである。

だが何を学べば正しい知識が得られるのかがわからない、学会とか派閥とかで微妙に違う様な気がするのだ。何か一つをキッチリやれば色眼鏡装着状態になり正しい判断が出来無いよう気がするのである。

自分が観た、体験した事も既に装着されている色眼鏡により偏向しているから信用出来ないし、何かを学び得た知識も新たなる色眼鏡を手に入れるだけで何かの解決になるとも思えない。

どうすりゃ良いのよ!?

データを観るような状態でもデータの数値を改竄しなくてもおかしな事になるのだが、更に人間はおかしな事になるのだ、色眼鏡で目が見えなくなるのである。

誰も彼もがスマートフォンを使っていると思っている人が電車等に乗ると誰もスマートフォンを使っている様に見えてしまい、ガラケーの人が見えなくなってしまうのである。

また昔は携帯電話を電車で使っている人は五月蠅いと言われていたのが今は文句言われ無くなった。それは誰もが携帯電話を持ったからだ多数派になったからだ。今では誰もが電車の中で携帯電話を使っていても文句を言わないという先入観から携帯電話の使用形態の変化が見えなくなっていたりするのである。

携帯電話=会話しているという古いままの頭だったりするのである。

またみていなくても色眼鏡で全部がその様に見えてしまう者もいる。世の中全部そうなっている様に見えるのだ。一部を見て世の中が全部そうなっている様に思い込んでしまっているのである。

偶々前日にコンビニで目撃した若者が今時の若者の標準という感じになり、最近の若者はみんなこうだよねとレッテルを貼ってしまうのだ。その結果街を歩いている者が全てその若者のように見えてしまっているのである。

という様な感じで世の中を見ている僕の色眼鏡、ドンだけの偏向具合なのだろうか?
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2012年10月16日

不老

20年後人間は不老になるという記事、IPS細胞の件も考えると20年後かどうかはわからないが更に寿命と身体の若さの維持という面は益々延びるのだろう。

だが身体が若いからと言って精神まで若くなるのか?精神が若いと身体が若々しく保てると言う話は有るが逆も成立するのだろうか?

身体が若いと精神年齢も下がるのだろうか?

どうにも僕にはそう思えないのである。脳細胞とかが若々しいと大丈夫なの?

身体は若々しくても精神的には100才とかになった場合にどうなるのだろうか?実に不安である。

また死ななくなると新しいい人がドンドンと減るのだろう。死なないまま子供を作り続ける事は出来ない筈だ。きっと事故等で減った分を補填する感じで新しい人が増える感じなのだろう。

だが年金は破綻しない、そもそも年金制度が無くなる筈だ、何時までも若々しい訳だから何時までも働くのである、定年退職も無くなるのである。

だが同じ仕事を80年間とか働く様になったら人の精神はどうなるのか?

いやまぁいつでも飽きたらまた別の仕事という事も可能なのだけどね、身体が若いのであれば新しい仕事で無理をしても身体は保つ筈だからね。

しかし現状で色々変わる事が出来ず、同じ様な毎日を繰り返している様な人は新しい展開になれるのかというと実に微妙だと思う。

世代交代がドンドン緩やかになっていくと社会の変化は限りなく遅くなり刺激はドンドン減ると僕は思う。その場合に退屈の虫は誰がどのように解消していくのか?

そんな風に色々と考えるとこれって地獄ではないのか?

確かに拷問はないかもしれないが終わらない、変化のない日常を無限に繰り返すこの事に人が堪える事が出来るのか?

道を極めることは人には無理だと思う。不老になればそれが延々と続く筈だ、老いという終わりがなくなれば自殺して死ぬしかなくなるのだ。

不老に対して色々と反対意見が出る筈だ、だが宗教的倫理感より僕は人間の精神面に対する影響が大きすぎると思うのである。その問題に関しては実際にやってみないとわからない、そしてこれは数人で試せば良いというモノではない社会の仕組みを変えるまでやってこそ問題がわかるのだから。
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2012年10月15日

地底からの侵略 人類VSエイリアン

もうタイトルからダメダメ感漂う映画、実際に本編を観てもタイトルに恥じる事無い立派な駄目映画です。

これぞ僕の求めるB級映画という感じの出来です。

とにかく全編ゆるゆる、何か思わせぶりな話があるけど何も考えていない、普通この伏線感を貼っといて何も解決しない作品にはケチをつけるのだが此所まで緩いと何も文句をつける気がしないのである。此所まで緩いと色々な問題点に対して文句をつけるのが恥ずかしくなる感じがするのである。

段々と怒りという気持ちが消失していくのである。なんか身体に良さそうな気もするし、精神衛生的に良いような気がするのである、段々と童心に帰るのだ。

夏休みの昼に冷や麦、西瓜とかを食べながらだらっと観ている感じが実に心地よいのよ。

面白かったという充実感はない、でも次の日に「昨日の映画観た!?」と話したくなる感じがするのである。そして酷いよねと笑いたくなる感じが素晴らしい。

世の中には酷くて怒りが込み上げる映画と笑いが込み上げる映画がある、この映画は後者なのだ。

この違いは監督のサービス精神の差なのだと思う。


どれくらい駄作かというとこの感想文位の出来です。まぁ人柄はこの映画の監督に負けますけどね。
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2012年10月14日

活力

世の中活力の有る人と無い人がいる。

活力の無い人は自分の活力の無さがバレ無いように社会の仕組み考えたり、様々な道具を作らせる。

それらのモノは活力の有る人にとっても便利だったりするから一見良いモノの様に思える、だが結局は活力の使う場所を奪う事になる、それにその場所が奪われるという事は労働が奪われ存在理油が奪われる事になる。

活力の無い人は飽きっぽく直ぐに社会を壊したいと思っている、壊す事は一見活力が有るようにみえるのだが実際は対して無いだ、終わらない日常を繰り返し社会を維持していく事の活力の比べたら小さい活力でしかない。単純作業を何年も何十年も繰り返し、精度を上げていくこの活力の凄まじさをもう少し人は理解するべきだ。

仕事にしても馬鹿な上司が風呂敷拡げて、それを淡々と実現化していく実作業を行う部下の活力を考えれば実感出来る筈だ。

活力の無い者にはそれが恐ろしいのだ、自分にないモノだから恐ろしくてしょうが無いのである。だからその活力というモノは大したモノではないと喧伝するのである。活力が無くても動く社会を作ろうとするし、活力を発揮する機会を極力奪おうとするのである。

更に妄想が拡がる。

道具や社会の仕組み等が人の仕事をアシストするようになると人の活力が奪われているのでは無いだろうか。道具は電気や石油等の燃料エネルギーだけではなく、使う人の活力を使って動いているのである。

それらの仕組みにより余暇等が出来ても活力が無くなっている為にゴロゴロとしてしまうのである。

また少子化も個人の時間を持ちたいとか、金の問題とか言う話も有るのだがこれも活力が無いからだと思う、精力が有るだけでは駄目なのだ。少なくとも20年とか子供の面倒をみるという事を想像するとそれに見合うだけの活力が無いと思ってしまうのである。

人が生きるだけの活力はまだ有るのだろうけど、これが無くなるときっと人類は滅亡する。便利を追求した挙げ句に人は活力を失い人類は滅亡するのである。
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2012年10月13日

私は馬鹿になりたい

つい数日前には日本政府の財政再建には消費税は10%では不十分と言っておいて、欧州危機対策に日本に600億ドルを拠出させるIMF。

僕には全く理解が出来ない。

まぁ世界経済がおかしくなれば更に負債が増えるからそうならない為にも余力のある国は金を出すべきだという考えなのだろう。600億ドルで日本経済が無茶苦茶から救われるのだ、これをけちればもっと悪くなるとでも言いたいのだろう。そして消費税はまた別の話、自国の経済を別腹だからねというのだろう。

家のローンがある状態で給料が下がったから小遣いを減らせというのが消費税の件で、地震が頻発しているから耐震強化工事、地震保険の強化が600億ドルという感じなのだろう。

まぁ確かに一見理にかなっている様な気がする。

それでもやはり腑に落ちないグナグナ感が残る。何かがおかしいと心がフガフガするのである。

この世界経済を救うというが景気の良い時は自由貿易だなんだといって競争を訴え金を稼ぐ事に血眼になるクセにいざ危なくなったら経済は繋がっていると言って負の連鎖に巻き込まれない様に、被害を最小限度にする為に世界は力を合わせるべきだという。あまりにも都合が良い話だ。

そしてこの世界経済とはいうが本当に世界なのか?実際は世界の1%の事を言っているだけではないのか?いやその1%が世界の富の大半を稼ぎ出し世界の経済を動かしているのだとでもいうのだろう、だが本当の所それ程稼ぐ仕事をしていると言えるのか?僕にはどう考えてもそうは思えない。

多分、世界の1%の人が其処に止まる事が出来る仕組みこそが現在一番守りたいモノで、それを世界経済と言っているのだ。そのルールが維持出来れば自分達は安泰であると考えているのである。もう既に食べていけていない人は世界の経済が破綻した所で生活は大して変わる事はない筈だ。

新しい仕組みや等を作り出したりするのは確かに偉いとは思うのだが、発明、発見されただけでは何もならないのである、フェイスブックもグーグルも確かに便利なのだろう、新しいライフスタイルを生み出したのだろう。だがそのシステムがあっても誰も利用しなければどんなに素晴らしいシステムだとしても何の意味も無いのである。

色々なモノが相互に絡み合って世界は構築されているのだ。

1%の人間は多分其処がわかっていない仕組みを作る側にいるとそれを利用してくれているから自分がその1%に成れているという事がわかっていないのである。

世の中食うに困る様な環境になった時に金融システムがどれ程の勝ちをもつのか?日々の生活で精一杯になった時に誰が娯楽を楽しむ様になるのか?電気がないような状態で誰がSNSなどをやるのか?

此等は色々な人のおかげで様々なインフラが整えられ、環境が守られているから何とかなっているのである。それでこそ価値が維持出来ているのである。

複雑に絡み合い世界が構築されているのに実際は勝ち組と負け組的に二元論的レベルにまでシンプルな構造に思い込ませようとしている感じがするのである。本当は色々なレベルで様々な構造があるのに単純な序列的考えで世界を定義する。価値観を固定化する、幅を狭くする事で人の思考の方向性を縛り付けているのではないだろうか。

現代世界は詐欺で出来ているのだ。

この騙された世界の呪縛から解き放たれれば人はもう少し楽に生きられる筈なのである。
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2012年10月12日

効率化

効率化の為には東京一極集中の方が良いだのという考えがある、地方に税金を使うという事は無駄でしかない、採算のとれない地方の電車も廃線にして正解だという。

この効率化という考えに僕はやはり納得が出来ない。

これをトコトン突き詰めていくと人間は馬鹿だから1割の人間が9割の富を稼いでいるのだから9割の人間は役立たずだから死ねと言いかねないのである。(9割の人間がいなくなったら1割の人間は金を稼ぐ事は出来ないのだけどね)また職業選択の自由も効率的には問題だと言いかねないのである、能力等により職業を無理矢理押しつける様になるのだ。好き嫌いに関係無く一番能力の発揮出来る仕事をやらされる様になりかねないのである。まぁ現在も多少の自由度はあるけど実質は自分の能力で職業分けされている面はあるのだけどね。

また効率化が一度動き出すと人はモノを考えなくなる、余計な事を考えない事が効率化になるからである。システムとして淡々と決められた事をこなすという機械みたいな生活をするのである。頭の役割をするモノだけが考え下々はその指示に従って動くだけの生活をするのだ。

更に進むと効率的に景気を回す為には何を買い、消費するのかまで指示をする様になるのだろう。自由経済こそ効率が良い、最適化になるという考えも根強いのであるが効率化を訴える者は自分の考える仕組みに人を嵌め込もうとする。

効率化の先に何を見ているのだろうか?

人類が生きるか死ぬかのギリギリの所に居るのであれば効率化だというのはわかるのだが、技術の進歩等により余裕が出来ている筈なのに更なる効率化を図る。余裕なんかちっとも生まれず大変労働は続き、様々なストレスも増大している様に思うのは僕の気のせいだろうか?

僕はこの事に人はどれだけ間抜けなのだと思うのである。

非効率でも回るし、人が色々と楽しめる社会にするべきだと思うのである。なんの為に新しい技術等を開発しているのだ!!

非効率こそ人生の醍醐味なのだ、無駄こそが人生に必要なモノなのである。妄想してナンボなのである。
posted by mouth_of_madness at 22:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする