2012年10月11日

セルフサービス

ガソリンスタンドにスーパーのレジのセルフサービス、他にも色々とセルフサービスは増えていくのだろう。

確かに経営者側からみればコストが客側からみれば価格とメリットはあるのは理解出来る。

だがこれにより雇用が減ると失業者が増える事になり、結果税金を払う額が増えるのではないか?また失業する事で人間の尊厳を低下させる事になるのではないか?これは金よりも余程問題が大きいと僕は思う。

それに今の日本経済、デフレで困っているのであるこれ以上効率化を図ってどうするという感じがするのである。多少価格に上乗せされるけどもう少し人を雇うべきだと思う。その仕事を手に入れた者もまた客になり金を使うのである。それでこそ経済は回るのである。

生活保護を救う為に税金を払うのであればサービスを受けてその対価として金を払う方が精神衛生的にも良いのではないだろうか?払う方も貰う方も此方の方がスッキリする筈だ。同じ金額払うのであれば自分で選択して払う方が良いと思うのである。

消費税にしてもそうだと思う、消費税でとられる位ならばその分贅沢した方が良いと思うのだ。

僕の生活は会社と家の往復的モノなのだがその移動過程で利用する店がセルフサービスになったりしたら人との繋がりは更に無くなってしまう。大したコミュニケーションをとっている訳ではないがやはり人と接している感じがあるのである。

これが無くなるとしたらテレビに写っている人を見る様な味気ない生活になってしまいそうだ。

このセルフサービスが進むと町中が巨大な自動販売機になってしまうのではないだろうか?それに今に車も自動運転になり宅配便もロボット化されてしまった日にゃどうなる事やらと思ってしまうのである。

誰が商売をしているのか完全にわからない社会になるのである。まぁ今もネットで買い物していると訳がわからない感じがあるけどね、ロシアからCD買ったりしていると遠くて近い感じで訳がわからない。

注文ボタンクリック、カードで支払いで海外から送られてくるなんてモノ凄い状態なので有る。顔を合わす事も話す事も無く商売が行われるれているのである。
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2012年10月10日

デッドボール

地獄甲子園みたいな映画。

馬鹿とお下劣と意味なしの映画なのだが、カラ滑りする馬鹿が痛々しい。一言でいうとツマラナイのである。これ作った奴馬鹿だよと笑えないのである。

馬鹿みたいな事をやってみたという緊張感の無い薄らさむい馬鹿映画なのである。

また馬鹿を畳み込んでいく勢いもない。なんか適当に馬鹿なネタを並べた感じなのだ。面白そうな事を単純に並べて行っただけで面白くないという事をこの映画もまたやっているのである。それにケツの穴から色々と変なモノが出るとかのネタもねぇ・・・・

むしろひたすらシリアスに作った方が面白いのではないか?笑えるのではないかと思うのである。おかしな人がおかしな状況で出鱈目な事をする何もおかしく無いのである。何処かにやはり真面目な部分があってこそギャップが生じ、笑えるのだ。

また最初に主人公の必殺技を見せているのも面白さ半減だと思う、親父がキャッチボールで死ぬのは良い、だがどんな球で死んだのかはぼかした方が後でそれを出す時に効果的だと思う。最初にみせるのであれば其処の事は全く関係無い様な展開にするべきだと思う。

凄い超人野球、暴力野球とかで出鱈目に進んでいく中正しい野球ルール、プレイにより勝つ、誰もが野球の事を理解していなかった為に唯一ルールを知っている主人公のおかげ勝みたいなギャフンなオチとかの方が良いのではないだろうか。審判だけは「真面目か!!」という様なオチが欲しかった。

どんなに出鱈目な状態に陥ろうが淡々と審判をしていく真面目さが必要だと思う。

実況も同じくはしゃいでは駄目だ、此所は真面目に普通の野球の解説の様の反則技等を解説するべきである、キチガイがキチガイの様に解説しても何の驚きもない、不真面目なコメントをするにしてもさりげない感じで嫌みを混ぜるべきなのだ。

とにかくガッカリな映画です。
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2012年10月09日

馬鹿学生

留学したいけどお金がかかるから親に言えない、お金の心配無い状態で学びたい、学費無償化を訴えるとか馬鹿な発言いい加減にしなさいと思う。

少なくともこんな事でデモをする様な馬鹿な学生に税金を使って学ばせる必要性など微塵も感じない。

世の中をなめるなと言いたい。

今の世の中昔に比べてどれだけ学べる環境が用意されていると思っているのか?それを維持する為にどれだけの税金が使われているかわかっていっているのだろうか?また今の経済状況、社会状況とか理解して言っているのだろうか?少なくともその辺を理解していないという時点で勉強が足りていないと思う。

まして小学生とかではないのだ、何故自分は勉強したいのに経済的理由等により出来ないのか?という疑問を元に社会の事を勉強する位の事をやるべきなのだ、自分の不満は本当に社会的な歪みのせいなのか?それとも自分の家庭だけの問題なのか?単なる自分の性根がおかしいだけなのか?

またその予算を出す為にはどうすれば良いのか?そういった事も考えた上でデモとかの行動に移して貰いたいと思う。

大体誰も彼もが大学とかに行く必要があるのか?いや本当に勉強したい事があるのならば行く事は良いだろう、しかし就職に有利(まぁ今となっては怪しいが)、周りが行くからといって行っている状況の学生にどれ程の意味があるのか?

むしろバイトしてでも学校に行くぞという覚悟をしろと思う。確かに勉学に専念した方が効率等は良いかもしれないが世の中そんなモノだ。

何でも自分の都合の良い様にならないというモノなのだ、それを学ぶ事も大事なのである。

この調子でいくと今に好きな職業に就けない事は変だとか、就職活動する為に課題、授業を減らせだのいうのだろう。アルバイトとしながらとかが駄目というので有れば学費だけではなく、今に家賃免除しろだの、生活保護を出せとか言いだすに違いない。

また卒業してからの1年は就職活動期間という自由時間にしろというのだろう、その間も生活保護で最低限の生活を保障しろと言いだすに違いない。生活出来ないからといって望んでいない様な会社に就職するのは人権違反だと言いだすに違いないのだ。

そんな馬鹿に出す金はねぇ!!一山いくらの馬鹿に金を出す位なら山中教授に研究費を渡した方が余程いい金の使い方だと思う。

それに何処までいっても金の問題はつきまとうのである。

まぁ勉強したいという意味でのデモ、義務教育期間、国公立の教育レベルを上げてという様な内容であれば理解出来るけどね。
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2012年10月08日

孤独

人は何者かでありたい、超越した特別な何かになりたい、いや特別な何かであると思い込んでいるのに大概の人は世界から拒絶される事を恐れている。

個人だ自由だと言ってはいても実際に個になる事は怖くてしょうが無いのである。そして誰かに認められたい、超越したいという事自体が社会の一部に組み込まれている事なのである。

空気を読むというのも世界から疎外されたくないという事である、一見平和的に思えるかもしれないがこの空気を読むという考えがイジメを誘発したりもするのである。首謀者を馬鹿にしていたり、イジメなんて馬鹿らしいと言いながらも薄くイジメに参加していたりするのだ。イジメの輪を乱す事の方が自分の立ち位置として拙いと思うのである。

何かの知識に囚われるのも同じである。

UFOを信じるのも信じないのも、超能力を信じるのも信じないのも実際はどうでも良い事なので有る。それなのに線引きをしてしまいお互い険悪な状態になる。

何かの大きな流れの考えに属していれば自分の考えが間違いではないという安心感に包まれる、仮にその考えが間違っていたとしても自分のせいではないと思える狡さが其処にある。みんな間違えたのだから自分のせいではないし、みんなで間違えば自分だけが恥をかく訳ではないからね。

最近思うのが反原発やオスプレイの件をみると世の中を良くしたいというよりも無理矢理にでも社会に参加したいという要素の方が大きいのではないかと思えてしまう。日常で社会に参加している感が薄くなって来た人が世の中を変えたいという欲求、自分は只者ではないという願望、一緒に動いてくれる仲間という要素に突き動かされているだけの様に思えるのだ。

孤独が怖いなら怖いと言えばいいのにそれを認められずに別の事でその孤独を埋めようとする。その孤独を埋める為に政治とか学問等に影響を与えるのはやめて貰いたいと思う。
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2012年10月07日

儲ける

儲ける事は悪か?

その様な問題提議がある、そうすると儲ける事は悪ではないという意見が出てくる、儲ける事=働く事であるという意味づけだ。確かにその様に考えると悪ではなさそうだ。

儲ける事は悪という考えが労働する事を阻害している要因になっているという考えの為に儲ける事は悪という事を払拭しなければ駄目だという意見もある。

確かに色々と納得がいく感じだ。

儲ける事は悪ではない、儲け方に善悪があるとい考え方は割と誰もが納得いく考え方だろう。

だが其処でふと思った儲けるとは何か?

何らか行為に対して報酬を得る、これって等価交換で有れば儲けは出ないのである。儲けが出るという事は等価交換が行われていないという事では無いのかと思うのだ。(これって屁理屈?)得たモノと与えたモノが釣りあっていないから片方に儲けを生じさせているのだ。

与えたモノと得たモノが釣り合っていない状態というのは問題があるのではないか?またそれがあたかも釣り合っているかの様にみせる事はある種の詐欺が社会的に内包しているのでは無いと思うのである。

儲かった思い込んでいるだけなら大した問題は無いけどね。

そう考えると儲ける事は決して褒められたモノでは無い様な気がするのである。常に自分の仕事を良くみせよう、もっと評価されるべき、という浅ましい性根がある様で決して美しく無いのである。あわよくば騙してでも価値のある様に思わせようとしているのである。

其処までの価値があると自信を持つ事と自惚れるのは違うのだ。まぁ自惚れが過剰すぎる場合には虚飾が暴かれて叩き落とされるけどね。

報酬に釣り合うだけの仕事をする、相手が儲かったと思う位の良い仕事をするべきなのだと思う。それこそが唯一の儲けを肯定する事では無いだろうか。

儲けたというのは浅ましいと知れ。そう考えると意味が違うと言われるかもしれないけど「損して得取れ」という感じがイイ感じ思える、まぁ得取れという部分にまだ人の業があるけどね。
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2012年10月06日

アイアン・スカイ

ナチスが月からUFOで攻めてくる映画。これに便乗なのかどうかはわからないがディスカバリーチャンネルでもナチスとUFOの番組放送もやっていた。

それにしてもナチスってどんだけやねんと思ってしまう。

これだけ色々な映画等でシリアスからコメディまで、はたまたオカルトからオーバーテクノロジーまで更に変態的フェチという部分まで全てをカバーするが如くの悪役、敵役。

ドンだけ世界にインパクトを与えた集団だったのかと思ってしまうのだ、ドンだけ人材と奇妙な文化の宝庫だったのかと思うのである。ユダヤ人が虐殺だけではこうはならない筈だ、きっと近現代と中世が混じり合った理解に苦しむ一つの坩堝が其処に存在したのだろう。訳がわからないから神秘になるのだ。

これと同じ様なモノに忍者や侍も入るのかもしれない。

肝心の映画なのだが全体的にテンポが悪い、サクサク進まないのである。お馬鹿映画なのだが、何となく作り手の生真面目さがテンポを悪くしているのだ。また戦闘シーンにしても盛り上がりに欠けるのだ、条約無視して何処の国も宇宙戦闘艦を持っていたという盛り上がる展開もシリアスとお笑いの両方という演出のせいで何か中途半端な感じなのである。

所々にあるシリアスな演出の為に意識が分断されるのである。この映画のナチスの様に攻めが足りないのである。前半はお笑いに徹して、途中から異様にシリアスにしてしまい、最期のオチで大爆笑をとる位のメリハリが欲しいと思った。

タメがないせいでピークが低いのである。雰囲気は良い感じなのに、実に惜しいのだ。

またナチスと現代アメリカを対比させる形も実は良くないと思う、対比になっていないのだ、ベクトルの違う馬鹿同士の対比では基準になるものが無くおかしさが引き立たないのである。

むしろナチスの方がまともに見える様に演出して何時のまにかアメリカの方が、現代社会の方がおかしいのではないかと思わせる演出とかの方が良かったのではないかと思う。

何となくの面白映像の羅列ではこの上映時間はもたないのである、飽きてしまうのだ。
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2012年10月05日

THE WAVE・ウェイブ

実話を元につくられたという独裁とは何かという実験が引き起こす悲喜交々映画。

大体の展開は予想通りに進むし、オチもまぁ予想通りで驚きは一切無い。だがそれでもそれなりに楽しめるし、色々と考えてしまう。

人は何故、集団に取り込まれるのか?

独裁がどうとかというより人が集団に取り込まれていく過程の恐怖が実に面白い。如何に個が脆いモノであるのか、ギリギリの所で人は生きているというのがわかるのである。

実際は独裁者に従うのではない、集団に取り込まれていくのだ、また独裁者もその集団に支持される事によりその役割を演じていくのだ。確かにその素養は元々あるのかもしれないが集団に取り込まれていく過程で自分の立ち位置を知りその様になっていくのである。

ナチスみたいな状態は怖いと人はいうが、今の自分がその様な状態になっていないと判断する事が出来るのだろうか?多分出来ないと思う。ナチスを支持していた時にその人達は本当におかしかったのか?異常だと思っていたのか?殆どの人が単なる愛国者であり、普通に生活している人ではなかったのか?殆どの場合いつの間にかに人は集団に取り込まれていくのだ、自分の意志で距離感をコントロール出来ていると思うのは単なる思い込みに過ぎないのである。いつの間にか集団に属し、その集団での役割を果たすのである。

僕達もいつの間にか日本人になっているし、何となく自分の立ち位置を考え意見し行動しているのである。その集団に居場所があるからその集団を客観的に観る事が出来ずにいるのである。

居場所が無ければその集団を客観的に観るし、疎外感からその集団はおかしいのではないかと攻撃をするのである。

誰か1人がわかりやすく独裁者になるというのは大変だろう、カリスマ性や何らかの切っ掛けが必要なのだ、だから中々独裁にはなりにくいとは思うが、独裁者がいないだけで常に集団により僕達の行動は規制されているのだ。

そして独裁者は居なくても集団無意識が生み出した存在が国家には居る。

私が日本だといったモノが居るのである。

そんな妄想をする映画でした。
posted by mouth_of_madness at 23:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月04日

ヴァーサス・ゾンビ 時空を越えた生きる屍

珍作ゾンビ映画「ギリシャ・ゾンビ」の続編。

前作より馬鹿度は大幅にアップしている、「300」を少しだけ意識しているかもしれない過去のゾンビ騒動の映像とかも何か入れてみたいので入れてみましたという潔さ。またオッサンを分身させた映像作ってみたり、白黒映像でオッサンの頭回してみたり、弾と同じぐらいの速度で走ってみたり、大気圏外まで吹き飛ばされてみたりとやりたい放題である。

だって入れたかったから仕方ないじゃないか!!という強い意志を感じるのである。

ストーリーの整合性なんかない、いやこの整合性というのは僕の単なる思い込みなのだろう、きっとこの監督には監督なりの整合性があるのだと思う、自分の枠に俺の作品を嵌め込むなよと言われるのだろう。

いやそれとも整合性なんか迸りの前には何の意味も無い、そんな小さな事に囚われては駄目と笑われるかもしれない。

それ位に出鱈目である、

5分前の事も5分後の事も考えない、今面白い映像を見せるそれこそが大事という感じなのだ、それを積み重ねて行けば映画は完成するのだ。ストーリーで興味を引くなんていうのは小賢しい、映像の力で引きつける事が映画だという原理でこの映画は作られている感じがするのである。


それにしても体臭きつそうな濃いオヤジのオンパレード。英雄と英雄の父親のインパクトは半端ない。男前が地球を救うなんてありきたり、これがリアルとでも言うのだろう、味わい深い顔の方が心に染みるというのだろう。それともこれがギリシャの男前?これがギリシャのセクシー?

ひたすらパワフルに空回りする男前な映画である。
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2012年10月03日

経済的成長

政治家がいう経済的成長をするという事。

しかし国の目標が経済的成長とは何なのかと思うのである。僕には経済的成長とは、ある目標に達する為の手段でしかないのと思ってしまうのだ。

北海道に行くのが目標なのに飛行機に乗ると言っている様な感じがするのだ。

そして今は飛行機に乗る、電車に乗るといった論点でばかりで政治が語られ、肝心の目標が語られなくなっている。経済的成長の先に何を見ているのかがわからない、いつの間にか目標を何処かに忘れ去っているのである。

そんな風だから国防とかもおかしな事になっていく、国の形を定義出来ていないから軍事だ、外交だ、経済だ、共同管理だという事になる。どの様な国の形にするのかというのが決まっていないのに方法論、手段ばかりを議論しあう、だから何もまとまらない。まずはどんな形にするのかが決まってこそ最適な方法論の議論が出来るのだ。

北海道に行くという目的が決まってこそ乗り物の選択、予算等の計画が出来るのだ、予算に合わせて目的地を次から次と変えていく様では駄目なのよ。それとも偶然に任せて辿り着くつもりなのか?

尖閣問題でも増税問題でも経済人がおかしな事をいう、自分達の目先の利益ばかりを考えているのにそれを国益と言い張りおかしな方向に誘導していく、誘導される政治家も不甲斐ないのではあるが、それもこれも目的地が見えていないからである。

まぁ日本を売る、この世界から消滅させるという心に秘めた目的があるのかもしれないけどね。
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2012年10月02日

デビルズ・ロック ナチス極秘実験

低予算感丸出しのナチス・ホラー映画。

役者は華はないが程よい緊張感がある演技の部分は好感がもてた、この部分は低予算感はない。映像のスケール感の無さと場面変化の無さは半端なく低予算感丸出しだけどね。

話の方向性はありがち、ドイツの科学は世界一というか、ナチスとオカルトという実に歴史的にな組み合わせでワクワクするのだが後半の盛り上がり等が足りずに寸止めされた感じでどうにも残尿感に悩まされる。

ナチスとオカルトといえばB級なのだが{ザ・キープ」が僕は好きだったりする。後、期待してたけど観る事が出来なかった作品「ワーストケース・シナリオ」というのが有ったりとか、この監督またしてもナチスモノを作ろうとしているみたいだから今度は観られると良いなぁー。

折角D−Dayに絡めているのだノルマンディー上陸作戦での戦死者(敵味方問わず)する者を生け贄にしてもっと強力な悪魔の召喚をしドイツを滅亡させようという邪悪なオチにして欲しかった。

まぁ本作でもドイツ兵が地味にエサにされるのだけどね、チョイと地味な感じなのよ。やはり最期に上陸作戦が実行され、飛び散る肉塊おびただしい死体により魔方陣が完成し、肉塊と血の竜巻から現れる邪悪な影とそれにおののく人間、人間性を完全に失い悪魔に魂を食べられる主人公といった感じのオチが欲しかったと思う。

人間が生み出した地獄により悪魔が復活する。地獄なんかは嫌だと思っていても戦場という地獄を作り出す人間、勝つ為には悪魔すら使おうとする人間、悪魔と人間どちらが本当の所邪悪なのだろうか?といったデビルマン的な問い掛けが等があればこの二人と悪魔で進むストーリーにカタルシスを加味する事が出来たのではないだろうかと思うのである。

この最期に放出する勢いが足りない為の残尿感なのである。
posted by mouth_of_madness at 22:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月01日

ipad

最近ipadを使っていて思う。

キーボードってなくても良い感じがするのよ。使いたい時にだけ出てくる入力装置というのが実に快適なのだ、これからPCはタブレットに集約していきキーボードもマウスもなくなり机がスッキリという状態になるのが良いのではないかと思うのである。

今36インチ位(7680×4320位の解像度)の大きさで画板みたいなタブレットPCで筆圧感知のペンが使える様なモノ有れば直ぐにでも欲しい所だ。机がスッキリするのが実に嬉しい感じだ。

以前キートップが液晶か有機ELのキーボードがあったがそれがタブレットだったら自由自在の配置で組み替えたり大きさ変更出来たりすればもう最高です。是非早い所APPLEさんには頑張って貰いたい。次のマックはもう大きなipadになる位にして下さいと思うのである。

いや別にマイクロソフトでもグーグルでも良いのだけどね。

昔壁をテレビにするという考えがあったが実は床をテレビにするとか、テーブルをテレビにするとかが実は正解だったのではないかと思う。確かに見るという面では壁の方が良いのかもしれないが触る、操作するという要素が入って来ると壁ではなく床とかテーブルの方が使い勝手が良い感じがするのである。
posted by mouth_of_madness at 21:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする