2012年12月11日

仲間

人は友人、仲間が欲しいという、まぁ孤独が好きという人もいるけどね。

だが本当に友人、仲間が欲しいのだろうか?

実は単に自分にとって便利な道具、手足が欲しいのではないか?隙間を埋める為のモノが欲しいだけなのではないのか?

より便利、より快適な者が見つかればいらなくなる様な者なのではないだろうか?

小学生の時によく遊んだ個人的には仲が良いと思っていた友達も中学になれば新しい友達に置き換えられ、更に高校でも置き換えらえ、大学、就職と更に変化していく、確かに変わらず付き合っている友達もいるのだがかなりは疎遠になっているし、今どうしているのかわからない者もいる。

これって僕がだけの事なのか?僕だけがおかしいのだろうか?

確かに住む場所とかが大幅に僕は変化しているという面もある。物理的距離により疎遠になる部分はあるのだが、余程の事がない限り増えていく知人と連絡をとり友人活動をする事は時間的に不可能なのだ。

そうはいってもそれぞれの世代で仲が良かった者の人数を全部足しても大した人数はいないのだけどね。

そうしていくと結局は現時点で使いやすい、連絡とりやすい、時間の都合がつきやすい、仕事の面で役に立つとか自分の都合で人と付き合っているのではないかと思うのである。

自分にとって役に立つ、快適であるといった感じが根っ子にあり、お互いがそう思った関係が仲の良い友達と思っているのである。
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2012年12月10日

粘着

ネトウヨは粘着質だと叩く粘着的に叩く言論人。

これこそが目糞鼻糞を笑うという事なの?

ネトウヨを叩くと金になるのだろう、またその他大勢を叩く事でそれらより賢いと思い込む事で鼻の穴を拡げる新しい健康法なのだろう。

特定亜細亜の行動が気になってしょうがないネトウヨ、ネトウヨの行動が気になってしょうがない自称お利口さんという構図なのだ、まぁ僕は自称お利口さんにハラが立ってしょうがない劣等感溢れる厨二病の馬鹿野郎ですけどね。

確かにストーカーとなると問題だけど、粘着というのはまだ興味があるという事なのである。

其処が人間の難儀な部分である、目障りなモノを排除出来ないのだ。目障りなモノを排除しようとする事が人の行動の原動力になっている部分があるのだ。

好きなモノを手に入れる、好感を持つモノを手に入れいるというポジティブな考えの元での行動というのが好ましいのかもしれないが、邪魔なモノを排除する事で快適になろうというネガティブな力も人の原動力にあるのだ。

そして世の中には波風を立てない事なかれだけでは解決しないモノがあるのだと思う、暴走気味の怒りの炎により炙り出される歪み、影があるのである。

今ネトウヨを馬鹿にし排除してしまえば、この国にある問題点は解決しない、論理的に問題がある怒りかもしれないだがそれを生み出した様々な人を嫌な人間にしてしまう問題が内包しているのである。

それを訳知り顔で叩く嫌なお利口さんに至っては問題の根深さに頭クラクラ、心臓バクバクである。

ネトウヨよりそれを叩く構造の方が重大なのだ、それらの意見に同調し馬鹿と罵る事で自分がそれらより上にいる、上の階層にいると錯覚する事の方が問題なのだ。

叩く事で自分を上に置くこの人の業の難しさよ。


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2012年12月09日

選挙

何処に投票するのかが難しいという意見がある、現時点では消去法的投票になっていたりする為だ。

だが消去法的選択で選んだ党の為に公約を全てOKした訳ではない、其処に座りの悪さがある。(まぁ積極的に決めた党だったとしても全ての公約がOKという訳ではないけど、消極的に選んだ場合の不満よりも少ない筈)

また公約はいい事をいっているように思えても政党の実力、能力から考えて無理というパターンもある。

そして今回のように色々な党が出てくる状態になるとまた別の問題が出てくる、票が割れる事で殆どが支持していないのではないかという状態でも第一党となってしまうのだ。均等に票が割れた場合だと10パーセントの支持程度で国の方向性が決まってしまうのである。また投票率が60パーセントだとすると有権者の6パーセントの支持しかない奇妙な状態で国の行く末が決まってしまうのである。

そんな事を考えると党で考える選挙というモノに無理があるのだろう。

まずは予備選挙をして党の絞込みをやるべきではないのか?

党と政策という2本柱で投票するシステムがどうだろうか?概ねはこれでいいけどこれだけはやって欲しくないというモノを排除するとかの新しい仕組みを導入するべきだと思う。確かに中途半端に排除が入ると一連の流れが寸断される可能性もあるからチグハグなモノになるといった問題が生まれるのだけどね。

だが色々な意見、方向性が出て来た現在、党に関係なく政策に対して国民の意思を反映させるモノが必要になって来たのだ。陳情やデモ等を行えばいいのかもしれないが中々それも大変なのよ、選挙の時にまとめてできればやはり便利だと思うのである。
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2012年12月08日

ネタにマジレス

ネタにマジレスするなという人いるよね、先日のオーストラリア首相の件とかね。煽って炎上する事を喜んでいる人とかもいるしね。そして俺ってカッコイイ事言った、理にかなった間違っていない事を言ったと鼻の穴200%拡大位のドヤ顔。

ギャグ、ネタもわからないの、ユーモアセンスないの?とか言うけどそれって自分の常識が社会の常識と合致していると思い込んでいる傲慢である。

色々な事を共有しているからそのヒネリ、別の視点でのモノの見方がおかしく感じられるのである。共有していない者にとっては何にも面白く無いのだ、それをセンス無しという考えで切り捨てるって無茶苦茶乱暴な事なのである。

また共有していない者を傷つける事が有る事を理解していない部分も問題である、ネタを発するなと言いたいのではない、ネタを言うのは自由だ、だがそれによって起きた問題に関しては責任をとる必要があるのだ。

問題が起きたらネタにマジレスするな気持ち悪いだのという逃げなんて卑怯極まりないのである。

また芸人とかの発言に対して炎上したりすると捨て台詞で逃げたりするが、それを自慢のギャグで返せ無くて何が芸人かと思う。炎上するのが目的ならば空気が読めているとも言えるが予想外で自分が不愉快になっているとしたらそれは空気が読めていないという事なのだ、また面白いとも思われなかったと言う事なのだ、それは芸人としてのセンスが無いと露呈しているのである。

まぁ面白くても反発はあるのだけどね、常識等を疑う事で日常に潜むおかしな部分とかを笑いに転換する訳だからね。

全ての日常会話も含む発言、表現行為に対して何らかのリスクは存在し、常に自分の言動の責任は自分でとらなければ駄目なのだ。

ギャグだからネタだからで逃げられるモノではないのである。それで何でもかわす事が出来たらオレオレ詐欺ですら金を返却してこれドッキリだからといったらOKになりかねないのである、首相がうっかりと円高70円を目指すとか発言して経済が混乱したとする、それを常識的に考えて有り得ない事だから信じるとは思わなかった、ギャグにマジ反応するなよといって逃げるといったらどうなるだろうか?

いやそれらは芸人ではないからと言うのだろうか?言っていい人と悪い人があるとでもいうのだろうか?

良くネット社会になり誰もが発言できるようになってノイズが増えた、馬鹿な人の発言が増えたとか自称頭良いと勘違いしている人がいうけどね、それを嫌う構造の正体は自分に対して向かってくる悪意に対して堪えられなくなっただけなのだ。自分が馬鹿だと見下している連中に馬鹿といわれる事に堪えられないだけなのだ。

今までは馬鹿って言われる仕組みがなかったから機嫌良くいられたのにその仕組みが出来た為に自分の正体がわかってしまうのが怖いのである。まぁ最初は支持してくれる人が増えて行く事に喜んでいたけどアンチが生まれるとそれが気になってしょうがないのである。

大人の余裕なんて何処にもない。
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2012年12月07日

まだ半分・もう半分

ジュースが残り半分になった時まだ半分もあると思うか、もう半分しかないと思うか、楽観的か悲観的かという分類の考え。

これジュースとかだとまぁ大体の人は同じ様に考える事が出来るけど、対象が人生となると実に難しい。

自分の年齢や、いま置かれている状況、これまでの人生等により、まだ半分が喜びにも苦痛にもなるのである。

世の中長生きはいい事という考えがあるが、実際はそうとは限らないのである。単に死ぬのが怖かったするから嫌感があるだけで誰もが長生きをしたいと思っている訳ではないのだ。

いやそれは苦痛のある生活、大して面白みのない生活をしているからそう思うだけだと反論もあるだろう、確かにそうかもしれないが僕にはそう思えないのである。

丁度良い長さというのが人生にもあるのだ、長ければ良いというモノではないのである。

そしてそれは生きる者が決めるべき事なのである、まぁ決めても短く成る事があるから大変なのだけどね。
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2012年12月06日

終わりの季節

オーストラリアの首相がマヤの予言は本当で世界が滅ぶという発言。

なんだろうこのフワフワした感じ、四月馬鹿なの?頭がおかしいの、捏造なの、実に薄気味悪い。

まぁ日本でも宇宙人が首相していたりする訳だから変な人が首相になるのもまぁおかしな事では無い。

だがこれが本当の発言だったら?そう考えると実に座りが悪いのである、果たして何を知ったのか?これから何が起きるのか?

日本のテレビ、マスコミ報道はこれから選挙一色になるだろうし、こんなトンデモな匂いのするニュースを取り上げる事はないと思う。

色々な事が謎が謎すぎてどうして良いのかわからない、世の中わからない事だらけなのだがそう不安に成る事はないのだが今回のこの件は実に不安なのだ。

予言がどうのとかでは無く、狂気を持った人によって世界が回っているという事が不安にさせるのである、妄想に取り憑かれた者達が暴走するのではないかという不安なのだ。

これがユーモア溢れるネタだったとしてもこの狂気が軽減される訳ではない、むしろ増える位だ。
posted by mouth_of_madness at 22:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月05日

パンク

1986年のDOLLを読んで思った、こんなに恥ずかしい本だったっけ?あまりにの衝撃で風呂で溺れそうになった。

実に自意識過剰で恥ずかしいのである、23歳になった俺の周りにはロックを聴いている奴はいないだの、ロック知識をひけらかすモンスターだのとドイヒーなセンスなのである。きっと今当時のフールズメイトを読むとまた安っぽい美意識満載の別の酷さがあると思う、そして宝島とかは死語の宝庫である。

またミュージシャンのインタビューにしても違うバンドの事を訊いて「アイツは糞だ」とか、音楽以外に大事にしている事の質問に「SEX」とか恥ずかしさの宝庫である。

これを読んでわかったのはパンクって厨二病の事だったんだ。チンピラなんかではなくタダの厨二病だったのである。シド・ヴィシャスははチンピラだと思うけどね。インディーズブームとかのパンクなんてモノは自意識過剰の厨二病なのである。

まぁ僕は今もそれをこじらせているオッサンだけどね、それが必要な労働をしている訳では無いけど未だに安全靴とか履いているしね。殆どの人は大人になって青臭い思い出になっているのだろう。

青臭い思想、政治的メッセージ、中途半端な怒りとかだからカッコ悪いのである、それらを軽やかに越え無ければ面白くならないのだ、怒りとかをユーモアに換えてこそカッコイイのである。

でもそれって厨二病には中々難しのねよ。
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2012年12月04日

能力

能力あるのがそんなに偉いのですか?

世の中大半がドングリの背比べ、でもその人々が少しずつ自分達の出来る事を積み上げる事でこの世界は維持されている。

足を引っ張るなといいますが、本当に足を引っ張っているのは誰なのか?

地道に積み上げて来たモノをひっくり返し、これこそが正しいという。そのくせ目新しさで持ち上げられ定着しなかったら世の中が邪魔をしたという。

でもこれって足場がしっかりとしていない、地道に積み上げたモノでないから崩壊するのである。まぁ地道に積み上げたモノも爆発力で壊されるている訳だけどね。

積み上げるのもね実に大変だし、その積み上げられた足場があるからそのヒックリ返す事を思いつく、実行出来る機会を与えられているのだ。生活出来る環境があってこそそんな暴挙を考える事が出来るのである。

いま最低賃金を無くそうという考え、一見新しそうだよね。

でもこれって奴隷時代に逆戻りしようという考えだよね、人権無視しようという考えだよね。経営者は人権を無視するから、国でフォローよろしくという無茶な考えにしか思えない。

人のやっている仕事を評価しないというのもまた人権無視なのよ。俺の仕事は尊い、お前らクズのやる仕事は金を出すだけの価値が無いと言っているのだ。

暴動を起こさない事をいい事に人を虐待しようとしているのだ。文句を言う様な奴はいらない移民(実際は出稼ぎ労働者になるのだろう)に来て貰って働いて貰うからという考えなのである。優秀な人間が来て自分達の仕事が脅かされればきっと法を変更すると思う。実際は見通しが甘く手遅れになると思うけどね。

人がいるという事にあまりにも無頓着な感じが蔓延している。

自分に利益を与えるパラメーターとしてみている人々に囲まれた世界に住みたいのだろうか?これこそ仮想現実だよね、余計なデータは間引きされてしまい実体感が希薄化した世界にしたいのだろう。

今に幸せすら数値化してしまい、年間50ハッピーあるから君は十分に幸せだよと言われるに違いない。足りない人には国からハッピーを補填される様になるのだ。

そのうちにハッピーの相場とかが出来るのである。
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2012年12月03日

自由経済

自由経済を推し進めると、途中は混乱するが最終的には最適化するという。

でもふと思うそれってそれまで自由だったモノがある種のルール化する事ではないのか?それで安定化しているのではないかと思うのだが、結局は自由では無くなるのではないかと。

またこの最適化するというのにしても全ての人が経済に対して同じ認識をしている訳ではないし、ウエイトも違うと思う。

誰にとって最適かという認識の違いが新たな歪みを生むのである。

そもそも経済が最適化した状態とは何なのか?

その最適化こそが正義となると最適化の為には何でもありという考えに成りかねないと思うのだ。人には色々な考えがありそれぞれの理屈、価値観で動くそれぞれでの考えの中での最適がそれぞれに存在する、それらを一纏めにした最適があるのだろうか?

カオスに秩序を求めるという無茶な考えに僕には思える。

またこの地球を考えてみても思う。それぞれの生物は好き勝手に自分達の利益最大化を目指して生きている、だが果たして最適化しているのだろうか?数々の生物が絶滅しこの地球から姿を消しているのだ。姿を消したモノがあっても生き残った生物にとっては最適とでもいうの?

それに法律も道徳もなくもちろん警察等もなく自由に生きる社会を仮定してそれが人の幸せの最適化した状態になるとは思えない。無法者、力が全ての大変な世の中になってしまうと思うのだ。

そしてもしそれが安定化したとしてもそれは奇妙な三竦みみたいなモノでは無いのか?と思うのだ。

しかも人間にはこの位で丁度良いという節度がない、しばしば暴走をするのだ、ルールである程度縛らないと大変な事になるのは目に見えているのに、自由経済を信奉する者はそれすら超越出来ると思っている。きっともっと自由だったらリーマンショックもこの日本の不景気も起きていないと思っているのだろう。

多分のこの人達の見ている世界と僕の見ている世界は違う。

国という枠すら取り去り経済というくくりで世界を再構築、敗者は自己責任。それとも最適化した世界では敗者は生まれない?敗者が生まれないのが最大益になるとでもいうのだろうか?

それに今が最適でも未来という時間軸まで考えるとそれがベストの選択なのかというと更に難易度は高くなって行く。











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2012年12月02日

大喜利

ユーモアのセンスも笑いの量も足りませんが基本的にこのブログは大喜利みたいなモノです。

パッと目についた事を深く掘り下げる事も無く書いています。脳の反射神経だけで書いている為に色々とブレブレです。

そのせいでスタート地点と着地点が「ありゃ!?」となっている事が多いと思います。

まぁそうすると大喜利みたいなモノということ自体が、大喜利をちゃんとやっている人に失礼ですね。

しかしふと思います。

ネットに上がっているニュース記事とかで記者の主観が入っているモノもその事の本質を考える事無く反射で書いているのでは無いかと思う事がある。

強靱化といえば土木利権の古い体質に逆戻りだの、国防軍といえばが軍靴の響きが聞こえるといった感じで実に安易な反射で書かれているのである。

景気の問題に関してもチョイと前は円高どうにかしろと言っていたと思ったらインフレターゲットでハイパーインフレに成るとか言いだしたり、記事を書いている者は違うとしてもどうにも腑に落ちない、何かを叩こう、叩く事がメディアの役目だといわんばかりに、何らかのデメリット、危険性ばかりを言い前に進まない様にしている感じがするのである。

其処に陰謀があるかどうかが問題ではない、無かったとしてもその反射的に作られた記事により停滞する事自体が問題なのである。

確かに日々新聞は作っている訳だから時間が短いのは理解出来るのだが、起きた自称に対し反射的に記事を作るというのは駄目だと思う。鵜呑みにする人も多いし、それらを検証して理解していくには時間が足りないのである。

新聞記者等の存在理由は、今起きている事を人に伝える事とそれを理解しやすい様に解説する事にある。

反射で水増しされた記事には意味が無い所か有害なのである。感想文ならば感想文と書くべきであるし、妄想ならば妄想と明らかにするべきなのだ。

自分で考えろというのは無責任なのである。

少なくとも毎週月曜日の記事には先週の記事の訂正及び検証をした結果や記事に対する反論及びその意見に対する見解等を表明する位の事をやるべきでは無いだろうか。
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2012年12月01日

もう何が何やら!?

中国がハワイの領有権も主張出来るというニュース。

もうね尖閣問題や竹島問題を遙かに超える斜め上、あぁ領有権って欲しいという意思表明でしかないのね、新しい形の宣戦布告になったのね。多分尖閣は何とかなるという目星がついたのだろう、次の50年の戦略に入ったのかもしれない。それともハワイまでだと風呂敷を拡げ妥協して尖閣というとなんか折れてくれた様な錯覚をする値切りの手法?

もう既に計画的に移民を行い相手の国に入り込む上陸作戦が行われている訳で、共存を望んでいなければ今に内側から食い破られ死に至るという訳です。

既に少しずつ侵略されているのです。
 
結局は虫とかの繁殖とか、外来種問題というモノと同じ事が人間の社会にも起きており、負ければ絶滅させられるという事です。やってる事は何ら違いはないです。

死にたく無い訳ですから右傾化もします、それが有効な手立てかどうかはわからないけどやられる訳にはいかないからね。

まぁ単に拡張していくだけの馬鹿だと侵略したあと食べるモノがなくなり結局滅ぶのだろうけどね。拡がっていける間はいいけどそれが無くなった時に自滅する事になるのである。隣の庭が青いのはその場所が良いのではなくその場所の環境維持が良かったという事に気がつかないとね、良いモノを奪い取る事を繰り返していけば終いにはそれを作る者が無くなってしまうのだから。

人類の滅亡には相応しい幕切れ?
posted by mouth_of_madness at 15:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする