2013年02月28日

牢獄からホリエモン

また尖閣問題を目の前の利益的観点だけで安易な答えをだす。まぁ未だに持ち上げるの方もどうなのよという感じもする。

人の命を利益として考えるとどうとでも言えるのが厄介な面であるが、一体ホリエモンは尖閣の利益をどの様に見積もっているのだろうか?

領土的利益、政治的利益、資源的利益、歴史的利益、此所で折れた場合に次に繋がる損失といった様々な利益があるのである、その辺をわかっているのだろうか?

理解していて言っているとしたら此等の利益をどの様に見積もっているのだろうか?

尖閣を国有化した時の価格プラスα位の見積もりで100億位にみているのではないか、多めに見積もっても1000億位で考えているのでは無いだろうか。根拠無しの全くの想像だけどね。

大体中国が尖閣を取りに来ようとしているのだ、それも国際世論的に問題を起こしてで取ろうとしているのである、何の利益も無くする訳がないのである、人的コストは中国の方が安いのかもしれないがそれでも膨大なコストを払って行おうとしているのである。

中国には利益でも日本にとっては利益が無い?

国際政治とはこの厄介な駆け引きを繰り返し先を見越し少しでも有利な状態にする事である、目の前の利益だけでは済まないのである、10年100年と先を見越さないと駄目なのだ、実際に中国や韓国は長期計画で日本を弱体化させようとしているではないか。チベット問題、フィリピン、ベトナムの国境問題や海外に膨大な人間を移民として送り込みロビー活動等により国際政治を牛耳ろうとしているのだ。

確かにIT分野スピードが必要だったのだろう、伝統がどうのとかも無かった筈だ、そのスピードのおかげでそこそこに大きくは成った、だが別の価値観が有る事を理解出来なかった為に今の状況を招いたのではないだろうかと思う。

またじっくりと足腰を鍛えるという面を疎かにした為にいざという時にどうしようも無くなるという事を理解していなかったのではないだろうか。

単純な金銭的利益で置き換えられると勘違いし、自分の考える金銭変換率が標準的なモノと勘違いしたのではないだろうか。



まぁこんな妄想は書けるけど僕にはそんなハリボテすら作れないけどね。
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2013年02月27日

ワナオトコ

別れた嫁を助けようとして金庫破りに入ったらとんでもない目に遭いましたというお話、中途半端な善意が有った為により悲惨な目に遭ってしまう始末。

状況設定は面白いですし、ゴア描写も中々のモノ。でも罠がどうにもダメダメ感がありそこが残念。それと時間の感覚がどうにも不自然に感じられます。

また何のために罠をしかけているのかがどうにもわかりません。誰を引っ掛けるための罠なの?男と遊びに行っている長女?逃げて何処にいるかわからない次女の為?

罠の理由がわからないのです。

主人公が仕事を終えて帰った後に罠を仕掛けて行ったのでしょうが、その時はその家の住人がいる訳で表立って罠が仕掛けられるとは思えません、仕掛けているのがばれたから捕まえ拷問?

そうすると以後の罠設置は無意味じゃないの?それとも逃げるを観察する為?コレクションする為の選別用なの?その割には閉じ込められていた二人は痛めつけられているしそう簡単に逃げられないようにしていると思うのよ。

罠をし掛ける理由がわからない為におかしな映画になっているのですよ。何か単に痛い映像を撮ろうと思っただけ、誰が罠にかかったら面白いかな、強盗と飲み屋での馬鹿話のまま色々な詰めが甘いまま作った感じがするのである。

ソコソコ高評価みたいだけど腑に落ちない部分が大きすぎてドウヨと思う映画です。

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2013年02月26日

一部

そんな事するのは極一部の人達だけです、一部の人間が問題があるからといって全部が駄目だと判断するのは駄目だ、そういった意見がありますね。

でも世の中その極一部の人に合わせて動いているのです。日常的にその極一部の不埒者に合わせて動いていたりするのですよ。

極一部のいい人に合わせて動く事は少ないけど極一部の駄目な人には合わせて動く事は多いのである。

膨大な法律なんかその典型的モノでは無いだろうか、色々と面倒な手続き、契約証等に関しても問題を起こす人がいるから邪魔臭くてもやらざる得ない状態になっている。

殆どは大丈夫だとしても、もしかするとと考え出すと色々と防衛状態になってしまう、危機回避をする為にも色々と対策をしてしまうのが人間なのだ。

極一部の悪意だったとしてもそれがその集団に内包していると考えれば悪印象を持ってしまうのだ。レイシストと言われようが危機感と憎悪を持ってしまえば中々其処から抜け出す事は難しい、特にこのネット社会になり小さなニュースまで入り込んで来るとなると悪意のニュースはドンドンと目についてしまうのである。

また政治等にしても極一部なのだ、投票で選んでいるとしても最終的に世の中を動かしているのは国民ではない、影響力は与える事は出来ても極一部の議員が政治を動かしているのである。

自分が選んだ議員が当選したとしても派閥等により意志を奪われていたりするのだ。

更に背後にある企業等の経営者等によって動いていたりするのだ。投票はしたものの一般人の意見が大きく反映する事は少ない。

結局は無意識に背後にある支援団体等の事とかを考え投票しているのだろう。

世界を動かしているのも大きな流れを作り出している国は一部の国である。それぞれの国で政治が行われていたとしても世界の流れに巻き込まれ望みとは違うモノを選択するハメになるのである。

その一部の国の政治を牛耳る一部の政治権力を持つ者達、陰謀論とかではないのよ、そんなモノなのよ世の中は。

その他大勢は作られた流れに翻弄される事でやっと世の中を動かす歯車になり得るのである。

まぁ歯車があるから極一部の権力を持つ人々は世界を動かせるのだけどね、大きな力を出せるのだけどね。
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2013年02月25日

耳のストレス

視覚のストレス、匂いのストレス、味覚のストレス、触覚のストレスという五感には
色々なストレスが伴う。その中でも僕は聴覚のストレスが嫌である。触覚のストレスもかなり我慢出来ないがこれは満員電車等を除けばストレスは自分が原因であるから何とか折り合いがつく。視覚もみなければ良いし、味覚も食べなければ大丈夫だ。

匂いも確かに避けにくいのだが僕的には音のストレスに比べたらまだマシである。下水掃除とかバキュームカー掃除とか腐乱死体回収とかしているのであれば別だが日常的にある変な匂いは意外と避ける事が出来るのだ。

息苦しさはあっても多少匂いを遮断してもそんなに困る感じはしない。

だが音のストレスは突然耳に飛び込んでくるのである、耳をいきなり攻撃してくるのだ。耳をふさぐと今度は自分の体内の音が気になりだし無音状態に出来ないのである。

今そのストレスが極限に達し、胃は痛いし、耳はおかしくなるという最悪の状態である。

一日何度も無造作に繰り出される馬鹿みたいに発するクシャミ、切れない痰を無理やり出そうとする嗚咽、反芻しているかの如くニチャニチャとする口内音、何度も何度も匂いを伴い出されるゲップ、10分、20分に渡り鼻詰まりの不快感をとろうとして規則正しく鳴らされる鼻の音、これまた何度も聞かされる生欠伸とそれを誤魔化そうとしてビュリュリュリュリュという唇音。

そんな音を1年以上も毎日聞かされると殺意も覚える位のストレスになるのである。そして音を出している本人は人に猛烈にストレスを与えている事に気がついていないこの恐怖。

その音を塞ぐ為にヘッドフォンのボリュームを上げると「音漏れてますよ、変な音楽で邪魔です」といわれる始末。

自分がどれだけの不快な音漏らしているかをわかっていない無神経さにもストレスがたまります。

注意しても病気だから、病院いけといっても行っても直らないからと返事を返されたらどうすれば良いのよ・・・・・・

ウイルスとかでなくても病気は人に感染するのである、ストレスを媒介にして人は病気になるのである。


兎に角聴覚のストレスは嫌だ!!

愚痴です、今耳鳴りが凄いからね。





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2013年02月24日

死刑

日本で死刑が実行された事に関してそれを廃止している国がチョイとニュースにしている。

ニュースの方は人権云々という感じで先進国の日本が未だにという事に大体が収まっている、だが個人レベルになると日本良くやった、自分の国でもやるべきだという意見も出ている。翻訳サイトの印象だけで判断するのは危険ではあるが政治側と庶民レベルでは乖離があるのではないかと思う。

人権といわれてもそれだけで収まりがつかないのが人の心ではないだろうか。

何で凶悪犯罪を犯した者を税金を使い養う、生きる事を絶たれた者と生き続ける犯人の事を考えると折り合いを付けるのは難しいのが人の気持ちの一面だと思う。

大体死刑に関してとやかく言うのは変では無いだろうか?

普通に生活していたらよっぽど杜撰な冤罪か、警察権力の暴走による陰謀でも無ければ死刑になる事は無いのである、死刑が酷いという事にならないのである。

またこれ以上の事をやったら死刑になりますよとというのは提示されているのだ(徹底されている訳では無いけど)それをやらなければ良いという選択は犯罪をする側に与えられているのである。

またスピード違反で死刑、駐車違反で死刑、食い逃げで死刑、器物破損、猥褻物陳列で死刑とかいうレベルではないのだ。

議論するべきは死刑が駄目とかでは無く、どの犯罪レベルで死刑にするかの議論ではないのか。
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2013年02月23日

同じではない

教育の体罰問題をみて思う。

教育を評論する人達は子供を見ているのだろうか?見ているとは口では言うだろう。だがそれぞれの顔を見ている様には僕には思えないのである。

そして自分の子供の時を忘れていると思うのだ。いやきっと忘れていると言うのは僕の思い込みだろう、教育評論なんかする者は子供の時から良い教育環境で育ったりしていて子供の時から悪意とかと無縁だったのだろう。そして良い学校に行き学友もそれなりの教育を受けた者に囲まれて育ったのだろう。

だから色々な子供がいる事を知らない、暴走する子供を知らないのだ。色々と個性がある子供が存在する事を言葉では理解していても心では理解していないのだ。

丁寧に話せばわかるというレベルに全ての子供がいる訳ではないのである。日中韓のこじれまくった状況をみても何年話しても解決しないではないか、国内だけでも一致をみないというのをみても難しい事であると理解出来る筈なのだが。大人でそうなのだ子供なんか更に大変という事を理解しろと思うのだ。

子供が本当に理解しているのかも当てにならない、理解した振りをすればこの場を逃れる事が出来ると悪意を持って対応する、それ位に短絡的な打算ををするのが子供だ。

今も体罰禁止の方に世の中が流れていくのをみて、それを利用し教師をいたぶるのが子供なのだ。それ位に悪意がある子供がいるのだ。

それは躾が出来ていないからとでも言うのだろうか?確かにその面はあるとは思うけど。そんな者を学校だけで何とか出来るモノではないのだ。

他の子供の事を考えるとその被害、影響を防ぐ為にも直ぐに何かを実行する必要があるのである。待ったなしの状態なのである。

その事を忘れて机上の空論に時間を費やす愚。

子供を人間に出来なければこの社会的には負けなのだ、壊れた子供が増えれば増える程社会は壊れていく、壊れた子供が更に大人になり子供を教育し拡大再生産化していく。

多分今の体罰問題、何処かで大人の人間を作り損ねた事に起因する、モンスターペアレントやキレやすい老人とか様々な問題のある大人が溢れている、一部の問題教師もそうだ人間になり損なったのだ。人間になり損なった者が子供を作り教育なんて出来る訳は無いのだ。

またこの体罰問題と死刑制度は同じ様な気がする、全て人は言葉を尽くせば理解出来るという考えが根っ子にあるのだ。其処に人権という都合のいい言葉で包んでしまえば思考停止してしまう。

子供に教育出来る時間は限られている、色々と議論を尽くしている暇は無いのだ。

子供は色々といる、それに併せて色々な指導方法が存在する、その中の一つが体罰であるだけだ。問題があるとすれば体罰が問題ではなくそれを行う教師の方に問題があるのだ、生徒により指導方法を使い分けるだけの技量が無いからなのだ。
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2013年02月22日

戦争を知らない子供達

僕は戦争を知りません、そして大概の反戦論者も軍備拡張の人も戦争を知りません、戦時中に生まれた人もいるかもしれませんが戦争を知っているとは言えません。戦時中の生活を知っているだけです。また実際に戦場で戦った人も戦争を知っているとは限りません、戦場を知っているだけです。

戦争を決断し、国民、兵士に指示をした一部の人間だけが戦争を知っているのでしょう。でも彼等も戦場を知らないという意味ではやはり正しい判断をするだけの知識が足りていないと言えます。

そして戦後日本は戦争という学問を疎かにしてきました。その結果が今の怪しげな足下の状況です。戦争は駄目だ、軍事力に裏打ちされた自立した国家を目指せ、といった空虚な感じのスローガンが溢れる半透明な国家になっています。

昔から日本の国民はかなり前から戦争の事を考えていません、戦国時代等も戦争に巻き込まれる事はあってもどちらかと言うと武士階級のモノであり一般人モノでは無いのです。特定の階級の人間が争ってきた感じです、市民革命も体験していない事もありイマイチ戦についての感覚が無いのでは無いでしょうか。

大変な事になるという感覚だけで、何故戦争をする事になったのかを深く考える事なく来た様な気がします。攻める側には攻める理由があり、守る側には守る論理があるのです。安易に決断を下せば痛い目に合うだけというのをわかった上で綿密に計画を立て行うモノなのです。

如何にして勝利を手にするかを考えて実行するものなのです、負ければ色々なモノを失うそれこそが戦争の本質なのでしょう。そして国際政治とは国防というのを基本に考える事なのです、いくら国民受けが良かろうとも外からの攻撃で滅びるようでは意味が無いのです。

民主主義で無い時はそれでも問題は無かったですが今は民主主義で投票権がありもう少し真剣にその事を考えないと駄目になってしまったのです。

ただ考えるにしても戦争というものを僕達はあまりにも理解していない。あまりにも考えて来なかった、戦後は政治家ですらあまり考えて来なかったツケが今、危機をもたらしているのです。

賛成するにも反対するにも戦争というのを理解せずに判断するのはあまりにも愚かな行動です。

時間はどれだけあるのかわからないけど毎日少しでも戦争について考えておくべき緊張状態ですよ今は。
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2013年02月21日

ビジネスモデル

最近駄目かもしれないと思う事。

物作りをしている現場で作るモノの事よりもビジネスモデルがどうのこうのという状態。それもそのビジネスモデルを自分で構築しようとしているのならばまだしも、雑誌やネット上で○○が成功したビジネスモデルはこんな感じという記事をみてその様にやろうという安易な状態。

その記事すら本当に正しいのか否かわからないのに更にそれを理解した、キモはわかったという勘違いっぷり。

ビジネスモデルというのを良く理解してない僕が言うのもなんだが、ビジネスモデルって色々あるのだ、ビジネスモデルで成功するのではなく、成功したのがそのビジネスモデルだったと僕は考える。同じビジネスモデルを行えば成功するというモノではないのだ。

1番手と2番手、更にその後という状態では状況は変わっているのである。確かにノウハウ的生きる部分はあるとしても最初の成功した市場と状況は変わっているのである。

また商品によってもビジネスモデルは変わる、どんな商品でも同じビジネスモデルで良い訳ではないのだ。同じジャンルの商品としてもターゲット層が違えばその修正は必要なのだ。

ビジネスモデルを観て客、商品を観ないという状況になってはイカンのである。

そしてビジネスモデルに合わせて商品を改変する、その商品は作りたかったモノですか?それは客が求めている商品ですか?

そして自分で商品に合わせて作ったビジネスモデルでは無いかぎり何処かちぐはぐの状態になり更にドツボになる事間違いなし。

モノを作っている者が安易にビジネスモデルとかを言いだすのは間違いだ、良くわかってもいない他人の理論よりも自分の作っているモノはどんな人に使用して欲しいかその事をもっと真剣に考えるべきなのである。 

自分が欲しいと思わないモノをビジネスモデル的にはという事で売る事、作る事ってどうなの?そんな不誠実は甘ちゃんといわれても良くないと思う。

面白がったモノを提供しようぜと思うのだ。

まぁ結局はセンスが無いと売れないけどね。
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2013年02月20日

受け身

テレビは送られて来る情報を受け身で楽しむメディアだといわれている、ネットは自分で情報を探し手に入れ、自らも発信するメディアだという。

しかし本当にそうなの?確かにテレビに自分が情報を発信する事は出来ないのは確かだが、情報を探し手に入れるという部分にはどうにも違和感がある。

本当に言われる程探しまくっているのか?

閲覧する場所は大体決まっていて巡回を繰り返す日常では無いのか?それって好きなテレビ番組を観るのと何が違うのか?チョイとチャンネル数と番組数が多いだけなのではないのか?

あたかも自分が情報に積極的にアクセスしていると勘違しているに過ぎないのである。

それも色々と情報をかじる為に余程注意しないと断片化情報の自己構築の過程で妄想が入り込み変な結果を生み出す事になるのだ。

また情報を不特定多数に発信しているというがこれもまた言う程不特定多数に発信なんか出来ていない。知り合いプラスα程度だと思う。

有名ブロガーや芸能人等は別だけどね、でも芸能人等は元々テレビ等でファン等に発信する能力を持っているのだしね。

実際は個人の発する情報なんて単なるノイズを撒き散らかしているだけなのだ、居酒屋とかで自分達は良い話、タレントよりも面白い事を言っていると錯覚してガヤガヤやっているのと同じ様なモノなのだ、(これって傍から聞くと馬鹿みたいに思えるでしょ)一般人で有名ブロガーとかいうモノも「吉田類の酒場放浪記」「世界の車窓から」とかみたいなモノなのだろう。

世の中には山程の本があってもそれを読まない、探せば自分の欲しい情報がこの膨大な本の中にあるのだろうけど言う程探さない、ネットも同じで検索は本より楽かもしれないけど其処まで真剣に探さない、まとめサイトとかに集約されたりする。

なんだかんだで誰かの手によって集約された興味のある面白そうな所にたむろするだけなのだ。そしてその興味の対象も誰かによって作られたモノなのである、自分の内面から沸いてきた興味の対象でしかない。

それを検索して観るという行為、あの番組面白いよといわれてテレビを観る行為と何が違うのだろうか?

結局は殆どの人は情報に対して受け身でいる以上メディアが変わってもそんなに変わりはしないのである。


今日もノイズを撒いていく。
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2013年02月19日

面白いとは何?

面白いとは一体何なのだろうか?

それがたまにわからなくなるのだ、そんなに面白く無くても漫然とテレビ観ていたり、ゲームを続ける場合があるのだ。

別にツマラナイ訳ではない、でもそんなに面白と思っている訳でもない、ただ単に習慣的に続くのである、何となく続いているのである。

他に面白いと思っているモノがあるのに習慣の方が勝ったりするこの不思議。

色々と美味しいと思う食べ物があったとしても結局はご飯と味噌汁に落ち着くと感じに似ている、それも最高級のご飯という訳では無くいつも食べている手頃なご飯をいつもの様に炊いたご飯に落ち着く感じだ。

旅行に行くと良い、楽しいと思っていても、家に帰るとホッとするのと同じなのだろう。

そのような感じで考えていくとパチンコにはまる人、スマホのゲームにはまる人が何となくわかる感じがする、僕はそれらを今ひとつ面白いとは思わない、だが明らかに中毒になる位にはまる人がいるのだ。

でもそれって僕が習慣的に続けるそんなに面白く無いけど何となく続くモノと同じなのだろう。何となく映画を観ちゃう、テレビを観ちゃう、ゲームをやっちゃうのと同じなのだと思う。

面白い、面白くないという事以上に生活のリズムが安定する事が快適と感じる事が大事なのではないだろうかと思う。変に考えすぎる事や強烈な刺激等は生活のリズムを壊す事になり面白くても長く続かないのではないかと思うのだ。

モノ凄く強烈な刺激は人生が変わるけどね。

弱い刺激で、チョイとだけの刺激が一定のリズムで続く其処に人は快楽を感じるのだ。コントロール出来ている、予想できている未来という部分が大事なのだと思う、其処には大きな不安はない。

不安から逃げるには繰り返される日常に入り込む事が大事なのだろう。

反復されるリズムに取り込まれると人は自律を奪われるのだと思う、結果踊る阿呆になるのである。
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2013年02月18日

殺したくない・殺されたくない

国防軍に反対のデモ。

まぁそれは人それぞれの考えだから別に良い、でも「殺したくない、殺されたくない」という部分に違和感を覚える。

殺したくないは自分の行動だからそういう意志を持てばいい、だが殺されたくないに関しては自分の意志だけではどうにもならないのである。

戦争は一つの国で行う訳では無いのだ。

国防軍を持つと殺されるのか?

国防軍を持つと戦争になるのか?

九条があれば戦争にならないのか?

軍隊を持っているが戦争していない国はあるし、戦争をしていないから殺されてもいない、また9条が無くても戦争になっていない国も多い筈だ。

戦争を放棄すれば殺される事から抜け出す事が出来るのか?手を上げる、白旗を揚げれば命は無事なのか?それは有り得ない、人間は度々狂気に走るのである。

話せばわかるといって殺された政治家もいる、其処まで人は理性的ではないのだ。

また軍隊があろうが無かろうが戦争のまねごとは出来るのだ殺し合いは出来るのだ、命の危険を感じたら身を守る為に何でもするのが人間である。

戦争というと侵略する事だ思い込み過ぎ、侵略される事で起きる戦争もあるのである。


何を言いたいかというと殺されようが、殺しはしないという覚悟にして下さいと思うのである。

自国の憲法で他国まで縛ることが出来るという甘い考えは捨ててくれ、その上で世界がこんなに馬鹿ならばもう滅びてしまおうという覚悟の元に理念を叫べと思うのだ。
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2013年02月17日

人の価値感

グローバル社会だの、ヨーロッパでは、世界の標準では(といっても中東やアフリカとかは入っていなかったりする)、アジア諸国(主に韓国、中国)ではといった自分の言論が世界的広がり、世界基準であるという事にしようという思惑で付けられる此等の言葉。

でも此等の他人の価値観で物事を見る人間は信用できない、世界の流れが変わればコロッと自分の意見を変えてしまうのである。自分の価値観が無いから話がドンドンとブレていくのである。

それにこの世界がこうだから日本もそうすべきだという事が本当に正しい事なのか?

多数が認めているから間違いという事も無いだろう、偶々間違っても多数の方だから仕方ないという逃げを感じるのである。

確かに少数の意見は不安だとは思うけどね。

世界は多種多様な価値観で動いているのだ、ある価値観では正しくても別の価値観では正しく無いという事もあるのだ。

利子の考え方にしてもイスラム圏と他の文化圏では違うのである。それを無理矢理に世界標準にしてしまえとすれば色々と文化、風習と合わず問題が起きてしまうのである。

多数に染めてしまうのは効率が良いのかもしれないが面白みに欠けるし、其処になじめないモノを排除すると論理はどうにも日々の生活の緊張感が高過ぎるのである。

日々自分が少数派になるのではないかとね。

別の考えをもったら排除されるとなれば、考えるのは自由でも其処には思想信条の自由はないのである。少数派の意見は無視されていくのであれば考えるのが無駄になっていき次第にモノを考えなくなるのである。

極一部の強靱な精神、自由な心を持つ者がいてもそれは多数の波に埋もれていくのだ。賛同する者がいなければその考えを発展させたり出来ないからね。

色々な考えが縦横無尽に組み合わさり強靱さを増していく、カラフルな世の中を作るのだ。間違った場合にプランが一つしかないとか失敗の場合の危険性がトンデモ無い事になるのだ。

世界がどうのより自分の考えが正しいか否かが大事なのだ、調和を目指すにも程々にである。
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2013年02月16日

違和感

チョイと前の記事での楽天の三木谷の製造業を政府は助けるなという感じのインタビュー。

僕は違和感を覚える。

流通業は製品があってこそ成立するのでは無いのか?確かに製品が良ければ国産である必要はないのというのだろう、安くて高品質であれば何処の国の製造品であっても関係無いというのだろう。

でもねぇ何かこの流通業は製造業より偉い感が何か違和感を感じないだろうか?

モノなんて海外の安い人件費の場所で作れば良いのだよという偉そう感を感じないだろうか?

流通でしのぎを削る俺達こそが仕事をしている、流行を生み出し、新しい金の仕組みを作り出す事こそが大事なのだ、単にモノを作っているだけの者達なんか代わりはいくらでもいるという感じの違和感を僕は感じるのである。

確かに新しい仕組みを感がえる事は素晴らしいとは思う、だがコツコツとモノを作り続ける事が駄目という事ではない、むしろその下支えが有る事で社会は崩壊せずに済んでいるのにそれを忘れがちである。

製造業は流通の仕事が無くても儲けは大幅に減るし効率は悪くなるが成立するが流通は製造業がないと成立しないのだ。その事をわかっているのか?

また海外に全ての製造業を移転した場合に全ての国内の労働者を楽天は雇うという事なのか?
雇わずにそれらの人が失業した場合に楽天の売り上げは下がるのではないのか?

あまりにも無責任な感じがするのである。

雇用が崩壊しようが、国が崩壊しようが、自分の会社が利益を上げ大丈夫ならば周りが焼け野原になろうが、失業者で溢れようがお構いなしに思えるのだ。

人の業なの?

自分達は国の恩恵も無く自分達の力だけでこの企業を立ち上げ利益を出しているのだという勘違いが此所にあると思うのだ。

色々な社会の仕組みがあってこそ生まれている利益というのを忘れがちなのである。学校教育だったり、インフラ整備だったり、政治の仕組みだったり、文化振興だったりで日本の風土、風習等が作られその結果それにあった利益を生み出す仕組みが生まれているのである。

社会の仕組みが変われば今までの成功方法が通用するとは限らないのだ。

楽天が通信インフラ、道路等のインフラ、宅配便の仕組み、インターネットの仕組みまで作ったとでもいうのだろうか?影響を与えた面があったとしても過去からの積み重ね、国の動きがあってこそ今の基礎があるのだ。直接国から金が出ている訳では無くても色々と国からの援助があるのと同じなのである。

自分を取り巻く世界と社会にもう少し謙虚にならなければ駄目だと思いますよ。
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2013年02月15日

ヒューゴの不思議な発明

実に音が耳障りな映画でした、兎に角音楽がうるさくて疲れました。のべつ幕無しに音楽が流れている感じがするのである、おかげで音楽が全く印象に残っていないのである。

実際に其処まで音楽が鳴り続けていないのかもしれないけどそんな印象が残るのである。

また話もコンパクトにまとまっているのかもしれないが、2時間を越える映画にしては何も無い感じがするのだ、実に薄いのである。

何となく上手くいってしまうハッピーエンドでは心は痺れないのである。

序盤の頭に入って来ない感じも結構辛かった。それなりのクオリティの映像ではあるのだが、何処か実体感、肉体感を伴わない映像で、人の生活感を感じないのである、幻想的な感じ、夢の世界を感じさせる為にそうなったのかもしれないけど全編それでは駄目だと思う。

良い夢の中で生きる者、うちひしがれた悪夢の中で生きる者、現実で生きる者といったそれぞれが纏う世界を映像で描き、フィルムに焼き付けられた永遠の夢の世界との対比があってこそ生きるのでは無いだろうか?

兎に角映像が単調だし、ファンタジーに逃げることで何でもありという感じになってしまい迫って来るモノが無いのである。

夢の世界の住人であり創造主であったジュルジュ・メリエスが絶望し、楽園から追い出した現実をもっとちゃんと描くべきなのだ。そのやるせない現実でも、親が死んでも、駅の時計の時刻合わせをして生き延びていても夢を観ようとしているヒューゴ、取り巻く現実にも負けないというのを描いてこそメリエスを夢の世界にもう一度向かわせる、牢獄から救い出せるというモノではないのだろうか。

現実の残酷さが足りないのである。

絶望の中にいても光を見ようとする目が欲しいのだ。
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2013年02月14日

ゾンビ・ヘッズ 死にぞこないの青い春

ゾンビの青春ラブコメディ映画。

予告編で面白そうだったのでチョイと期待が大きすぎた、ツマラナイ訳では無いのだけど今ひとつピリッとしない感じなのだ。

ノリとしては嫌いではないのだけど後半の展開が間延びしている部分とゾンビである特色を生かした展開が足りないのである。

ピンチになった彼女を救う為にゾンビで死ぬ事が無いという特性を使うといった部分がやはり必要だと思う。暴漢に撃たれる、刺されるとかが欲しい所だ、また手が取り外せるのをもっと上手く利用して欲しかった思う。

奥さんの散骨に向かう老人についても散骨を本人にさせる為に一噛みとかのネタがあっても良かったのではないかとも思う。

今ひとつゾンビである部分が生かされていないと思うのである。不利な部分にしてもそんなに無いしね、顔色が悪いのと臭う位、あとチョイとチーズがお馬鹿という事ぐらいか。

何で人間を襲いたくなるのかという部分を意識がある事を使って解釈して欲しかったと思う。人間から兎に角美味そうな匂いがするとかいった説明があるとかすれ良かったのにねぇ。油断するとつい齧り付きそうになる位に美味しそうだといったモノが欲しかったと思う。

ハッピーエンドなのは良いけど、兎に角オチにもう少し毒が欲しいよね、と色々と足り無さが感じる惜しい作品でした。
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2013年02月13日

ゾンビ大陸・アフリカン

ご当地ゾンビモノ、今度の舞台はアフリカです。

この邦題の付け方だとかなり駄目そうな感じなのだけど、これが結構いけるのですよ、中々のモノなんです。

そこはかとなく漂う終末感、じわりじわりと追い込まれていく様な息苦しいさが実に良い感じ。畳み込むような緊張感では無く、気がつくと袋小路に追い込まれていたというその感じが気持ち良いのである。

また真っ赤な太陽を背にしたゾンビのシルエットの絵面もまた人類の黄昏を感じさせその絵を観るだけでも元がとれる絵力があると僕は思った。

一体全体世界はどうなっているのか?描かれてはいなくても世界の広がりを感じる作りなのである。

確かにおかしな部分もある、逃げ惑う人の動きがパニックになっているといっても納得がいかない挙動なのだ。好き勝手動き過ぎだろうとは思う。

ただ生き残る、あそこまで行けば逃げられると儚い希望を持って進んでいく、何処まで行っても希望の地に辿り着く事はないでも最期までその小さな希望にしがみつく。

死はゾンビだけではない、車が故障すれば致命的だし、屋外で寝るのにも全く安心はない、水も弾薬も食料も心細い、死が直ぐそばにあるまさにサバイバル状態なのである。

その淡々とした息苦しさが醸されているのである。

ポコポコと作られる○○・オブ・ザ・デッド的にネタに走るモノに比べれば非常にオーソドックスな作りである、だが丁寧にその空気を描く事でこの映画はその○○・オブ・ザ・デッドとは比べる事が出来ない作品に仕上がっているのだ。

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2013年02月12日

大予言

ノストラダムスとかマヤとかエドガーケーシーとかの予言とかに関してはオカルトだの眉唾だのトンデモだのと言って嘲笑の対象になっていたりする。

此等を信じていたりすると結構な確率で馬鹿にされたりすると思う。

でも此等と同じ様な本がある、日本経済の本だ。

本屋で結構な量の日本経済破滅的な予想本が売られている、ずいぶん前から破綻するという本が売られているのだ、1ドル50円になるとかそういった言説が流れるが中々破綻する感じがしないのである、今もアベノミクスで沈没といった本が売られていたりする。

でもこれが中々当たっている感じがしない。

確かに景気はまだまだよろしくないのは確かだがまだまだ滅んでいないし、少しずつだが上向きなっているのだ。

当たらないではないかといってもこの手の破滅論を書く人は自分の提案により政治家、経済人が動き回避出来たというのだろう。(根拠はない、自分の予想が的外れだったと認める人もいるかもね)

でもこれって予言商売する宗教家と同じ構造にしか思えないのである、教祖の霊的パワーにより回避出来たと言うのと同じ様なモノである。

景気は気からという意見もある、それなのに未来は暗い、破滅するという言説を流し何の得があるのか?むしろどうすれば現状を打破でき、打破すればこんな未来が待っていると提案するような事をタイトルも含めて提示するべきでは無いのか?

「未来を明るくする三つの提案」とか「日本大浮上計画」といった明るい話題を提案するべきでは無いのかと思うのである。問題点を指摘するのは良いだろう、だがその先にある光を見せなければタダの恐怖商売でしかないのだ。

不安にさせて金を巻き上げる様な事をしては駄目なのよ。(僕的には駄目という事)

不景気な話を聞かされても誰も得しない、景気の良い話こそが大事なのよ。まぁ甘い見通しの景気の良い話は害になるけどね。

このおかしな状況を作り出した原因は政府批判こそが正義と勘違いした事が原因だと思う。何かと批判する事が正しい、批判する事で自分の方が頭が良いと思い違いをしているのである。

という事で僕も思い違いをしていますぞ。
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2013年02月11日

多様な世の中

インターネット時代になり人の趣向とかが多様化したみたいな意見、テレビや新聞のように一方的に送られる情報の時代に比べて色々な意見、考えが色々と観る事が出来るようになって人は色々な考えを持つ事になったという。

本当にそうなの?

ソースを出せとか言うけどそのソースはテレビだったり、新聞の記事だったりするのだ、確かに結論はその新聞が出した結論と逆にしていたりするけどこの感じを観ると多様化していないのでは無いかと思うのである。

マスゴミという事で旧来メディア批判をする事で固まっていたら方向性が変わっただけで多様化していないのである。

また観たくないモノを観ないという事で情報は深くなるかもしれないが幅が出ないという問題もある、幅の問題はまだネットには中々難しいのである。まぁテレビも今垂れ流しで観ている人は減っているから幅を出せなくはなっていると思うけどね。

観ようと思っていなかったモノを観る機会は減りつつあるのだろう。

これって今にバベル状態の言葉が通じない状態になるのではないか?そんな恐怖感を感じるのは僕だけだろうか?今にネットのどこら辺を観ているかで分断化していくのである。まぁその面では多様化しているという事か?

多様化しているのかしていないのかどっちなんだろね?

多様化している様にみえて専門化しているだけなのだと思う、それも間違った知識のままで専門化している可能性も高い。自分にとって都合の良い情報を狭い範囲で取り込み様々な関連性を排除していくのだ。

その結果バラバラの情報から関連性を導き出し新しい全体像を構築する想像力が低下していくのである。
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2013年02月10日

国家機密漏洩

フルシチョフは馬鹿!!と叫ぶと名誉毀損1年と国家機密漏洩で19年という政治小話。最近これと同じ様な事が日本で起きた。

逮捕はされてはいないけどね。

「グーグルアースを見ればどこに艦船があるかわかる」という原口一博の発言である、これによる安倍首相批判はいわれの無い事で批判である、これはある種の名誉毀損みたいなモノだ。そしてそれを政治家である原口一博が国会の予算委員会で発言をするという愚挙、youtubeで世界に拡散される愚挙、更にfacebookで恥の上塗りをする愚挙。

馬鹿が政治をやっている国家日本というのを世界に広めてしまったのである。

まさに国家機密漏洩である。

是非今こそ馬鹿シリーズの復活を望む、山田洋次監督次は是非「馬鹿が政治をやっている」という映画を撮って欲しいモノだ。ひょんな事から政治家になった馬鹿によって引き起こされる国民の悲喜劇。そして馬鹿はその一人だけでは無かった、いや国民の大半が実は既に馬鹿になっていたという様なチョイと悲しい映画を撮って欲しいモノである。
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2013年02月09日

芸術2

島根県の公園に設置されたダビデ像、ビーナス像に対して町民から苦情が出ている件。

これまた日本人は芸術がわからないという意見が出てくる、芸術がわかるというのがあたかも1ランク上という優越感がにじみ出ているし、普遍的な人類共通の価値感があたかもあるような感じが実に嫌である。

ふざけるなと言いたい、今すぐ言いたい、RGの様に言いたい。

むしろ季節により、いや月単位とかで服装を変える位の事をすれば馬鹿な誰かに新しい芸術として褒められるかもよ。1年ぐらいでは駄目かもしれないけれどそれを伝統的に100年続けて100年のファッションの移り変わりを感じさせる事が出来れば意味が出てくると思うよ。

また怖いだの、エロいだのという意見が出る事こそがこの作品の持つもう一つの意味では無いのかと思う、色々な感情を湧き立たせるという事に意味があるのではないか?色々と議論を続ける事が大事なのではないかと思うのである。

有名なモノ、評価されているモノだから価値があるという押しつけられた価値観に異を唱えるというのはむしろ自分の価値感を持っているという事ではないのか?

芸術という部分に思考停止をした裸の王様と周りに大人と同じになっていないだろうか?其処に抗議する町民という構図なのではないかと思うのである。

芸術を理解しないという考えで止まっている様な輩にはわかるまい。
posted by mouth_of_madness at 20:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする