2013年05月31日

バリアフリーと児童ポルノ

障害者等に優しい社会を作ろうというバリアフリーと児童ポルノ規制、突き詰めれば同じ様なモノである。

自分で考える事しなくていい様に社会ルールを作るという面では同じ様なモノなのである。

それにしてもバリアフリーという考え露出狂かと思ってしまう、全ての垣根をとり払おうという考え実に薄気味悪い。

世の中には垣根が僕は必要だと思う、ある種の危険回避の為にも、心の平穏を守る為にも、不必要な衝突を避ける為にも適度な効率化の為にも必要なのだ。ガチガチ過ぎると閉塞感に溢れてキツイかもしれないが適度な障壁は必要なのである。

誰もが自分が其処に入れない事を差別だと言いだしたらどうなるのか?

別に障害者を差別しろと言っている訳ではないのよ、世の中は適度に壁がある事で上手くいくという事を言いたいのである。

障害者でなくてもドレスコードで仕分けられたり、一見さんお断りや身長制限、体重制限、学歴、知能といった事で色々と仕分けされているのが世の中なのよ。

貧乏で仕分けられ、センスで仕分けられ、交友関係で仕分けられていても別にそんなに問題にする事無く割り切って日々生きているのである。

自分の置かれた状況、状態を考えて対策等を考えているのである。

バリアフリーになればそれらの事を考えなくなったら人は何処までおかしな事になるのか?適度なストレスが人生の彩りになっているという事を考えないのか?其処に入れないから差別といいだしたらキリがないし、誰もが踏み込まれたくない領域を持っているのだ。

児童ポルノについても規制をすれば終わると思っているのであればあまりにも甘い、その性癖のモノが地下に潜るだけで何も解決しない、もうこれで安心と思い込んでしまう安易な解決策でしかない。

規制されていても本番風俗は存在しているし、奇妙な抜け道でパチンコ等の賭博は日常的に存在している、ヤクザすら規制出来ないというおかしな状況も存在している。(なんか異様に脱線している)

バリアフリーにすれば差別がなくなる、心根に差別の芽が有ったしても無いと思い込んでしまう、児童ポルノも同じ、海外に対策をちゃんとしてますよ言いたいでけ。

海外から女性の人権という事を言われて色々と行った事で本等にいい世の中になったのか?良くなった面はあると思うけどトータルではどうなの?

雇用対策等をして自己満足しているだけではない、セクハラ、痴漢等も会話の壁を作ったり冤罪を作ったりしていないか?疲れるからといって草食男子を増やしていないか?少子化に拍車をかけていないか?失業者を増やしていないか?

法で基準を作る事で思考停止している結果だと思う。

必要なのは法ではない、考える為の議題を提供し続ける事なのだ、思考停止しているから憲法改正論議に対してヒステリーを起こす事になる。

法律、憲法だけで世の中は良くならない、考え自分の美学を作るそれこそが社会を変える。

法で縛るバリアフリー、それって何の悪趣味なギャグだと思うのである。


最低限の法で後は人が物事を歴史が積み上げた道徳感で考える、それこそがバリアフリー。

何かズレズレ・・・・・
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2013年05月30日

ハングリー・ラビット

微妙な作品が多い感じのするニコラス・ケイジの秘密組織映画。

なんかみた感じはペイフォワード風仕置き人、謎が謎呼ぶサスペンスといった所なのだが不気味さが今ひとつ足りない。ラストはイイ感じなのだが秘密組織がどうにもセコイ感じがするのである。

また秘密組織が暴走している感が今ひとつ感じられないというのも駄目だと思う。確かに主人公がやらされた事は暴走の一環なのだがそれ以前にもっと不審な犯行が行われていないとねぇ。

色々と物足りないのだ、面白く出来そうなのに盛り上がらない、抑えた演出といえば聞こえが良いのだが予算不足?という感じしかしないのである。

この映画もっと正義の踏み外しが必要なのである、色々と正義に酔い、麻痺していく感じが背後にあるべきなのだ、その感じが全く足りない。

復讐に走る人間の業、人を助けたいという業、正義の為の犯罪、法との対立、法治国家法を守らないとおかしな事になっていくし、法では人は救えない事も多い、それとの折り合い、組織を守る為に犯罪を犯した訳でもない者を葬るといった面白くなる要素はそろっているのに面白くならない。

それでも何とか観られる映画になっているのはニコラス・ケイジの醸し出す困っている感の表情だと思う、表情だけで何か拙い事になったと雄弁に語るのである、ブルース・ウイリスも困った状態になるのだが何か余裕を感じてしまう困った感。でもニコラス・ケイジは何か胃の調子まで心配してしまう感じの困った感が素晴らしいのである。

ニコラス・ケイジの微妙な主演作品群、作品が微妙になるのはニコラス・ケイジのせいだと思う人も多いかもしれない、だが僕はニコラス・ケイジが出演する事で退屈せずに観られる映画になっていると僕は考える。

きっと保険なのだ、ハリウッドでは何か心配な要素が有る場合にとりあえずキャスティングしておけとなっているに違いない。


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2013年05月29日

風が吹けば

CO2が増えると温暖化というがこれって思い込みが同じ流れをするグラフを見つけ出し関連づけてしまう人間の認識能力のバグの様な気がする。

全く関係無い事はないかもしれないが実際には背後にもっと複雑な仕組みがある様な気がするのだ。(何の根拠もない、日々の天気予報とかも微妙に怪しかったり、その年が暖冬だの冷夏だのといった事すら微妙に怪しい事から想像する気象のわかっていない感じ)

Aが増えるとBが増えた、Aが減るとBが減った。この様な現象があれば何らかの関連性があり、Aが増える事が観測できればBも増えるであろうと予想する様になるだろう。

だが実際には別にCという要素があってこそAの変化がBに変化を与える事になっているとしたら?

またCの背後にDという更に変化を与える要素があったら?

此等の背後にある影響を与えるファクターを全て人は把握する事が可能なのだろうか?

確かに実験室での事であれば色々な要素を排除していく事は可能だと思う、絞り込む事でかなりの精度をだし観測データの関連性の高い情報は高いと思う。

だがそれが自然の事となると中々難しいと素人考えでは思うのである。

あまりにもノイズが多く、そのノイズの影響もどれだけあるのかわからない、それを遮断する事も不可能に近い感じがするのである。

風が吹けば桶屋が儲かるというけれど、埃が飛ぶ、埃で盲人、盲人は三味線を弾く、三味線を作る為に猫を捕る、猫が減るから鼠が増える、増えた鼠が桶を囓る。

実に色々な事が複雑に絡んでいるのである、此等の流れ全てを見通せる目が人間にあるのだろうか?

見通せていない状態で風が吹くと桶屋が儲かると現象が何度も有った場合、人は風と桶の関係が常に連動すると勘違いしてしまうのである。

だが途中の過程が何らかの理由で壊れた場合桶屋が儲からない事が起きるかもしれないのだ。一見微々たる要素かもしれないがそれが欠けるだけで流れが成立しなかもしれないのだ。

また温暖化でいうと温暖化したからCO2が増えたという考えもあるのだ、原因と結果が逆の可能性もあるのだ、桶屋が儲かったから風吹いたという事は中々なさそうだけど。


人間が安易な関連付けをするという事で温暖化を僕なりの妄論を立ててみた。

仮説1
アスファルト等の舗装道路が増える事により温暖化した。道路の保温効果で熱が少しづつ蓄えられている。

仮説2
富士山が噴火しない事で温暖化した、これまでは30年一度程度噴火していないモノが300年噴火していない事により太陽を遮る事がなく温暖化。

仮説3
人間が増えたから温暖化した、まぁこれは現状の温暖化理由と同じか・・・・

仮説4
樹木が減ったから温暖化した、木の持つ保水能力等で下げていた温度が下がらなくなった。

CO2に保温能力有るのかもしれないけど、そうだとすると太陽からの熱も遮断する様な気がするのでなんか間違っている様な気がするのよ。
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2013年05月28日

犬の糞

世の中に蔓延る正義なんて犬の糞です。

踏んだら大変な事になります、ネチネチと張り付きゲンナリする事間違いなし。

大体意見の対立があり、お互いが罵り合う時点で正義でも何でもありません、成る程それは良い解決策ですねとお互いが膝をポンと叩く様なモノで無いと正義とは言えません。

もめるのが面倒で妥協したり、ムカつくから早く関わりを解消したいと思っている状態に正義なんて有りません。大人の対応?いえ違います、問題を放置していて大人の対応となんて言えません。

正義、正論を振りかざすのは良いでしょう、ですがその後の処理をちゃんとしてもらいたいモノです。

色々な屁理屈をつけて相手をバカにした様な説得や、支持者を集め自分を正当化しても糞は糞なのです、踏みつければ実に気分が悪いのです。

糞をひるのであれば、せめてこのブログの様に人通りのない所で此所に糞がありますよわかりやすい形にした上でするモノです。

大通りで人を集めて脱糞するモノでは無いのですよ、糞をした上でアイツの糞の方が臭いだの、自分の糞の方が良いだのと言っても意味が無いです、自分の糞をフォローしてくれる人がいた所で糞は糞なのです。

それ以上のモノでもそれ以下のモノでも有りません。

唯一肥だめにしてくれればイイ感じに発酵し肥料に出来るかもしれません。

そのままの糞では野菜も育たない、悪影響の有るモノなのです。

糞を踏んだからといって、相手の家の玄関に糞をする、仲間と一緒に糞をする、俺は正しいと糞をする。それを観て野次馬が一緒に糞をする、勘違いしてゲロ吐いたりする奴も出る。


何もいい事はない、糞を出してスッキリしただけの事、後始末は誰がやるんだろうか?その膨大な糞にまみれた世界を。


ウンコでテンションが上がる子供、そんな阿呆タレな世界。
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2013年05月27日

リ・プログラミング

世の中には占いというモノがある。

占いというモノは非科学的という話もあるけど実際はこれってある種の洗脳的モノではないだろか。まぁ洗脳が科学的かどうかという問題もあるけど。

占いを信じるという状態、それは自己が確立出来ていなかったり、不安や悩み等により揺らいでいる状態なのだ。

だからこそ言葉が流れ込む、そして自分をその占いの言葉で自分はこんな感じとリ・プログラミングされてしまうのである。

朝のワイドショー等での占いというのも実に良くないと思う、まだあやふやな精神状態に占いのキーワードが流れ込む危険性があるのである。

実際には信じていないとという状態でも怪しいと思う、血液型占いとかでA型はこんな感じというのを日常的に観る、そして何となくその項目と同じ様な事象等が起きた場合に何となく当たっている様な錯覚が、意識的、無意識的に関係無く脳にインプットされるのである。

様々な言葉に自己が規定されていく。

実際には占いでなくても友達等にお前は○○だよねと言われると、いつの間にかそんな風になる、期待に応えようと言う部分と自己が確立出来ていなかった部分が外部からの情報により確立されていくのである。

そう考えると子供に対して否定的な言葉が如何に危険かというのが見えてくるし、また褒めすぎて天狗にするのも危険というのも見えてくる。

また自分探しが如何に無駄な行為かも見えてくる、色々な言葉や出会いにより自分を構築しているだけなのだ。会う人や読む本等によりどうとでも変わるのだ、それは自分を探してなんかいないのだ。

自分探しの結果、自分が極悪非道の人間だったというのってないでしょう、色々と怠惰でダルダルの自分だったというのもきいた事がない、映画とか物語の中だとあるけどね。

それは同じ様な情報で自分探しをする様にインプットされた人間が同じ様に行動するからである、だからこそ自分探しの過程で得ていく知識も同じ様な感じになり結果も似たり寄ったりになってしまうのだ。

多分人間には本質的な個性はあまりない、肉体的差異により受ける情報の違いは有るが、環境が与える情報により自己を構築していくのである、環境が個性を作るのである。

まぁその個性も単に環境に適応しただけだと思うけどね。
posted by mouth_of_madness at 21:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月26日

何を言うのも自由?

何を言うのも自由なのかもしれないけれど何でも記事にすれば良いというモノではない、わかっていない者が語る危険性をもう少し真摯に考え記事にして欲しいモノだ。

若者とかネット民には失笑の的の大前研一のシムシティは凄い日本のゲーム業界は終わったと言う発言。

ゲームの事を何もわかっていない発言でゲーム業界を語る、オッサンとかにまだ影響が有る可能性が有る大前研一が中途半端な事を語る事で悪影響が起きる危険性を記事にする人はもう少し考えて欲しいのである。

売れる、売れない、面白い、面白く無いというフィールドで予算、スケジュールと戦いながらゲームを作っているのだ、安易に自分が偶々みたゲームでゲーム全部を知っているかの如く語るのは止めてもらいたい。

またシステムが複雑なのが凄いゲームとという考えが実に薄らサムい。

複雑なモノを複雑に描くそれって行き着く先は単なる現実になるだけでマシンパワー等があがっていけばいずれ可能になる様なモノなのだ、確かに大変な現実のプログラムへの落とし込みがある。

でもこれって映画でいうとドキュメンタリーですよ、人の興味を誘う良い題材をさがしだし作られたモノである。

だがもう一つのジャンルがあるのだフィクションで楽しませるというモノだ。

映画というくくりでは同じでも此等は違うモノなのだ。

ゲームもリアルを追求したシミュレーション、トコトンシンプルに抽象化した様なパズルゲームといった様に単純に比較出来ないモノなのだ。それを安易な視点で日本のゲーム業界は駄目だという、パズドラなんかの月々の売り上げだけで考えたらトンデモない利益をたたき出しているのだ別の視点から見えればこれも凄いと言えるのではないか?

なんかズレズレになっているけど。

単純な一側面しかみずに安易に日本は駄目だというのはチョイと記事としてはどうなのと思う。

ガラパゴスと言われる事もどうなのと思う、別の視点で独自進化を進めて行く世界的ではないかもしれないから売り上げ的には世界規模で売るモノと比べたら見劣りするかもしれない、だがその独自進化したモノが駄目というのはあまりにも頭が悪い事なのだ。

トコトン突き詰めればそれは新たなる魅力を生み出すのである、浮世絵とかがヨーロッパにインパクトを与えた様にね。

確かに第三者の意見は大事だとは思う、その業界にいる者の意見だけでは見えなくなる部分が有るからね、でもその意見だけでは間違った方向に読者を誘導してしまうのだ。両論併記的に別の視点の意見、考えも提示するべきである。

勝手に終わっているといわれても困るのよ、日々面白いモノ作ろうと足掻いているのだから。

色々なモノはいずれ終わる、ゲーム業界も今までのビジネスモデルでは駄目な状態になりつつ有るのも確かだ、その流れに逆らう者、積極的にその波に乗る者、新規に参入して来る者とその変革に対して様々な思惑が渦巻いているのが実情なのだ。

潰れる訳にはいかない、火を絶やす訳にはいかないと様々な対策をしているのである。

だからもう一度言うよ、勝手に上から目線で駄目だと言うな!!
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2013年05月25日

世界各地

世界各地で顕在化しつつある移民問題。

食わせる余力のない国から人々が仕事等をもとめて余力のある国に向かい増えて行く、そのうち余力が限界に達する、だがそれでも余力のない国よりまだマシとなれば移民の流入は止まらないし、常に安い人件費で雇いたいと思う利益追求体である企業はその移民を受け入れていく。

そしてドンドンと増えていく、だが安い賃金で雇用されている移民には失業した時の余力がない、国に帰っても同じなので次の移民先が見つかるまで出ていく事はない。

また多少余力がある元々の国民も移民により職を奪われたり、低賃金になっておりこれまた余力はそんなに残っていない状態で頑張るしかない、自分達も移民するかという選択もあるのだが何で俺達がという考えもありなかなか移民は出来るモノではない。

余力がなく食えない状況になるとここぞとばかり人権屋が出てくる、食べていく為に国は何らかの保証しろと声を上げ出す。また移民と元からの国民との微妙な対立関係についても国民の方が人数も多いしまだまだ裕福だからという理由で折れるべきだというおかしな理屈が出てくる。国民の方が差別されるというおかしな状況になるのである。

弱者を救えとなるのである、そして更に移民は増えて行くのだ。

人数が増えていくと相手の事、文化を認めるのが人権だ人として大事な事だという考えに毒され自分達の文化と相容れ無い状況でも受け入れるうちに自国の文化が衰退していく事になる。

確かに地の利とか周りの環境等、歴史的経緯等で進歩だの何だの差がつく事はあるだろう、だが移民する側とされる側との差がついた理由にその国の文化や思想の影響もあると僕は考える。

そう考えると安易に相手の文化を重んじるあまりに自国的ではないモノを安易に受け入れては駄目なのだ。移民が増えそこら中に糞尿をしたり、ゴミの日を守らないとかを野放しにした為にもめている所もあるのだ。

文化の違いって意外とストレスなのよ、関西と関東の対立だったり都市部と地方との対立だったりと国内でも軽くもめるのにもっと差がある他国となったらどれだけストレスがあるのか?まぁ差が大きすぎる場合は別のモノと割りきれるという人もいるだろうけどね。

この書き込みを見て差別的だという印象を持つ人もいると思う、だがやはり違いはあるし差はあるのだ、その結果がその時点での国力だったりするのだ、むしろ同じ人間だという考えで違う部分を無視する方が余程相手の文化を軽んじていると思う。

色々な国での移民問題をみてもわかる様に中々混じらないのである、元からの文化を破壊し浸食していくのである。

文化が混じるのが難しいのは宗教対立等をみてもわかる筈だ、時間をかければ何とかなるというレベルで考えるにはあまりにも長い時間が必要なのである。

安易にやっては駄目、親和性の高い国、文化の受け入れやすい国とそれも一気にやるのではなく徐々に混ぜるべきなのだ、一度受け入れ出すと止める事は非常に難しいのだから。

不用意に移民を受け入れ対立を作り出す事になってはむしろ不幸なのである、距離があれば憎しみとかがない関係性だったのに無理に距離を詰めた為に殴り合う間柄になる。一時の便利と自己満足的情けで取り返しのつかない状態になったらそれこそ最悪な出会いになるのである。



移民問題、企業が作り、人権が育てて、国が死ぬ。
posted by mouth_of_madness at 19:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月24日

担保

昨日、今日の株価のダイナミックな変動っぷりをみるとマネーゲーム恐るべしである。

遊ばれているモノは株式投資をして懐を満たそうとしている連中のお金ではないのだ、実際に賭けられているのはぼくらの生活なので有る。

この乱高下はアベノミクスの問題とかではない、あくまでアベノミクスはゲームの流れを変える要素でしかないのである。

新しいゲームが始まったに過ぎないのである。

このマネーゲーム、株式投資もFXも先物もやってないから関係無いと思うのは間違いなのよ、先に書いた様に僕達の生活が掛け金なのだから巻き込まれていくのである。

日本でこのマネーゲームに参加している人々、勝ってくれ、そして日本にお金を循環させて下さい、人の生活を担保にそのマネーゲームをしているのだから企業を成長させ、国を発展させる義務がある筈だ、その対価として大きな富を得ているのだから。

それにしても何奴も此奴もお金で遊びすぎ、儲ける為に色々なモノをガタガタにしすぎである。いつの日にか遊びすぎでガタガタになって持っていると思った富が単なる数字になるという恐怖感はないのだろうか?

単に現状の数字が下がるよりそれの方が怖いと思うのだが、どうにも数字を増やす事に喜びを見出してしまい社会が崩壊する事の恐怖を理解していない様に思える。その数字が下がると生活出来ない、しにくいというのは確かだけどね、でも無意味になったら更にどうしようもない世の中が出現するのだ。

社会を崩壊させながら懐を潤した果てに何があるのだろうか?どの様な未来を観ているのだろうか?

僕にはわからない。

多分そんな未来なんか観ていない、そしてお金持ちになる、裕福な生活をするといった事も考えてはいないと思う、単に勝者になるという事しか考えていないのだ、他人より自分はこれだけ優秀という事を証明するという事しか考えていないのである。

人には色々な比較項目があるかもしれないが大多数の項目がお金という基準で表す事が出来る、その為にマネーゲームに参加するのである。その力権力すら動かせるのである。

未来すら破壊できるのである。
posted by mouth_of_madness at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月23日

縛られすぎです

何かもうね乙武問題や慰安婦問題、それにヘイトスピーチと世の中人権に縛られすぎである。

もうねウンザリですよ、何だろう人権侵害されたといった者勝ちの様相で世界がスカスカになって行く感じ。人権というハサミが色々な関係性をザクリザクリと切っていく、片っ端から言葉狩り、そうする事で問題を語る事を拒否していく。

慰安婦の事を言うと差別といわれ、自分の国の祖父や父親の事はいわれのない罪で悪逆非道、鬼畜と罵られても文句は言えない、あまりにも理不尽。

戦争で負けた程度で其処まで愚弄される筋合いはないと思う、勝てば正義で正義が行った悪逆非道はその正義を行ったと思っている人が罪を認めても良いかなと思わない限りは全てOKという世界だが、愚弄されても黙ってろというルールはない。

愚弄されたから怒る、実にシンプルな理由だ、みんなが大好きな人権を使っているに過ぎないのだ、負けた側は何もいう権利がないというのだろうか?それこそ人権侵害ではないのか?それとも負けた側の人間には権利がないという狂った世界と認めるという事なのかい。

また慰安婦をレッテル貼りするなというがテロリストとレッテル貼りする事は世界中で横行している。テロリストは殲滅してもOKという位の勢いで横行する。

テロが行われた国家間の対立や、民族間の対立等の理由はは無視される。民主主義に対立しては駄目なのか、独裁は駄目なのか?自分達と違うからといって何か問題があるからといって潰す事が正義なのか?今の民主主義国家の何処に問題のない国があるというのか、選挙で選ばれてはいても不正も汚職、癒着もあるしそれらの影響で格差が生まれたりしているではないか。

カダフィ政権の時のリビアの国内問題とアメリカの格差の問題、実際の所どっちが問題が大きいのかわかったモノではないのだ。

これらも表面上は人権とかを振りかざし政権を潰しているのである、その後本当にリビアが其処に住む人々全ての人にとって良い国になったのか?不満を持つ人々圧政しているだけという報道もあるのだ、不満分子を片っ端から撃ち殺しているというニュースもあったりするのだ。

人権の為に必要な死とでもいうのだろうか?尊い犠牲、歪みを取り除く為の必要悪?

その人権は誰にとっての人権?

また言葉を狩るというのも実に馬鹿バカしい、言葉を狩るというのは議論する、その言葉が発せられた意味を考える事を拒否しようとしているのだ。使われ方がマズイ、嫌な感じがする場合もあるだろう、だがその語られた意味を考える事が大事なのである。

それとも誰もが100%伝えたい意味を相手に理解させる事が出来るというのだろうか?誰もが相手の放った言葉を全て正しく理解出来るとでも思っているのだろうか?

そんな事はない、誤解もあるし、曲解もある、また本音と建前という面倒臭い社会の仕組みもある。だからこそ言葉を重ね問題の本質を探る必要があるのだ。

言葉を封殺した所で問題はなくなる訳ではないのだ、語る事が出来なくなるだけなのである。いや実際には別の言葉で語り出し更に意味が伝わり難くなるだけなのである。

時間をかけて語り意味を理解し(それでも100%は無理だろう)妥協できるラインを探るしかないのである。

言葉を狩り議論をストップしたら不快感、不満だけが内包し苦い記憶だけが残るのである。

人権という言葉でもめている問題をあやふやにする、これでは何にも解決なんかしない。まぁ何でも解決出来るという事自体が幻影でしかないのだけどね、物事を見る方向が違えば意味が変わる事は多々あるからね。

殴った方の言い分、殴られた方の言い分交わる事は難しいと思う、でもそれを人権という言葉でどちらかの肩を持つというのは止めるべきなのよ。

もう少し人権の事真面目に考えろ、便利な魔法な言葉ではないし、自分の都合を押し通す為の道具ではないのだ。

人権、人権とつぶやいていると今に世界は滅ぶよ、誰かが線引きした人と人との距離感とルール、弾力性のない関係性になってしまうのよ、臨機応変でなくなりむしろ不自由になるのである。

安売りする様なモノではないのだ。

イジメカッコ悪いという標語が有ったが、今の人権を振りかざし封殺する様はまさにイジメである。




人権カッコ悪い!!
posted by mouth_of_madness at 22:57| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月22日

再投稿

昨日の投稿が消えてしまった。

いつになく投稿に長い時間かかっていたのだが完了したから大丈夫と思っていたら、2時間後に確認したらありゃ?投稿されてない? (最近投稿に時間がかかるとか、入力画面に中々ならないとか多いけどね)

「なんぞこれっ!?」てなりましたよ、「嘘っ!?」てなりましたよ。

最初に投稿した僕の文章は何処に消えたのでしょうか?虚空に消えた僕の文章は元気に暮らしているでしょうか?

微妙に違うほぼ同じ内容の文章を再投稿した形ですが先に生まれた筈の兄貴文は俺の方が勢いがあったと怒っていないでしょうか?

多分後でかき直した文章の方が再考している分だけいいのかもしれませんが僕の心情的には前の方が良かったのではないかという思いが渦巻き実にフガフガと心に隙間が空いた感じで気持ちが悪いです。

明らかに前の文章の方が整理されていなくて、僕の映画感想文は観た時の満たされていない感じをより表していたと思います。

先に生み出されながらも何処かに消えた僕の文章の冥福を祈ります。


おっでも虚空に消えた最初の文章はこの文章を生み出し無駄死にではなかったという事、いや生まれ変わりなのかも。
posted by mouth_of_madness at 01:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月21日

ゾンビ処刑人

ゾンビのヒーローモノかチョイとブラックなコメディものといった感じのする邦題

確かにコメディの要素はある、序盤はコメディで行くのだろうという感じがする、まぁ多少親友の行動がゲスな感じもするがコメディな導入部という考えは悪くない、それから後半シリアスな展開になりチョイと感動させようという展開も比較的王道な作りというのも狙いとしては正解なのだろう。

それにほろ苦いオチも嫌いではない。

だがどうにも流れが良くないのである、何かチグハグな感じがするのだ。

特に警察隊が一般人をバリバリと撃ち殺すという展開に唖然とする。無茶苦茶だろツッコミ笑いをさせようとする悪ノリなのかもしれないがそのせいでどうにもシリアスな部分がダメダメになってしまっているのだ。

あそこにあのような事を入れるのであればその結果として更に面白オチとかあの射殺で死んだ人のネタをしっかりと入れるべきなのである。

なにか無茶したでしょでは面白くはないのである。

どうしてこうなったという感じのトホホ感に観ていって落ち込んでしまうのだ。

また前半のはしゃぎっぷりもチョイと足りないと思う、もっとくだらない馬鹿男2人組の阿呆なアンデッド利用法を入れるべきだと思う。馬鹿でどうしようない男の友情を描いてこそ後半の別れとかが悲しくなりイイ感じになるのである。

あと大オチをアレにするのであれば冒頭にもう少しオチに絡む様なネタが何か欲しいと思う、成る程と唸る感じが欲しいね。

ノリとか絵面的には良いシーンがあるだけに流れの悪さとかが気になり実に惜しい作品になっていると思う。面白く無い訳ではないが微妙に満たさせない感が残ってしまうのである。
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2013年05月20日

増幅器

馬鹿発見器と言われるツイッター等のネットツール。

確か迂闊な発言で炎上したり物議を醸したりしている事は多々有る、馬鹿発見器とはこれはなかなか言い得て妙な喩えであると思う。

確かにそんな感じもするのだが実は馬鹿発見器ではなく馬鹿製造器ではないのだろうか?と妄想する。

悪意を持ってこれを作ったのではないかとすら思う、自己主張したいという自意識は大多数の人にある其処をくすぐり狂気に暴走させる場所を与え、色々なモノから最終的に孤立させるのである。

短い時間で色々な言葉を引き出す、賛同者が増える事により自分が偉くなったかの様な錯覚をさせる、正義を振りかざす、これらの要素が人間の愚かな部分を増幅させるのである。

このプチ人気者感が人を駄目にする、人気者になる事により中途半端に守るモノが出来るのだ、期待に応えようとするし、最近つまらなくなったよねと思われる事に恐怖感を持つのである。

また自分の正義に賛同してくれる人が増えると自分の正義が正しいモノと思っていく事で自分の行動が、発言、思想を客観的にみる事が出来なくなり間違った方向に進んでいても戻れなくなりがちなのだ。

そしてのその自己中な正義は悪意に変わるのである、自分の正義に反する者を叩く悪意に変異するのである。

正義なんてモノは実はろくでもないモノかもしれないからね。正義を振りかざされると鬱陶しいと思った事あるでしょ。自分的にも食べ残したら申し訳ないなぁと思っていても腹の限界で残している時に「無駄にするな、アフリカの飢えている人々の事を考えたらそんな事は出来ない」とかいわれたらゲンナリくるでしょ。

正義の押しつけ、善意の押しつけって実に面倒臭いのよ、使い方を間違うと他人を不快にさせるモノなのよ。

正義なんてモノは小さな自己満足でさりげない位で十分です、自慢する程のモノではないのよ、人に気付かれない程度の事で十分なのである。

アメリカの振りかざす俺の正義みたいな感じは色々と世界に火種を作るだけで意外と誰も幸せになっている感じがしないでしょ。

また今日のブログの様に中途半端に正義とは何だとかいわれても困るでしょ、そんなモノなのです。
posted by mouth_of_madness at 22:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月19日

弱者の暴力

被害者意識だの障害だのといった事を人権というオブラートに包むと微妙に触れてはいけない様な嫌な空気が醸し出される。

悪くいってはいけない雰囲気が簿妙に手足を縛るし、口を塞いでしまう。

弱者が全て正義なのか?全てが保護しなければ駄目なのだろうか?

人の善意に甘えすぎているという事は本当に無いのだろうか?様々ハンデがあって想像もしない苦労は有るのかもしれないが何時何処でも無制限に甘えて良いという訳では無いはずだ。

其処まで甘えていないとというかもしれないが、こうしてくれる、此所までは常識的には大丈夫な筈という線引きを保護される側と周りの実作業をしない人が決めているのだ。

実際にその作業をする人の事情なんか全く考えられていないのである。

人として面倒をみようと考えていても何でも大丈夫という訳では無いのである、日頃は大丈夫な事も状況によっては駄目という時もあるのだ。呆けた親の面倒をみきれなくなって殺してしまう事もあるのだ、人には限界があるのである。

相手の事情を考えず一方的に不満を第三者にぶちまける、周りも同意してくれるだろうという甘えでぶちまける。いや同意しなければ自分も悪者扱いされるという恐怖感すら意識的か無意識かはわからないが利用しているのである。

差別主義者だの人権無視だの、優しくないだのといったレッテル貼られる事は実に恐ろしい事だからね。

対等に扱うこれこそが人権の基本の筈である、ハンデの分を使い優位に立つこの暴力的人権の考えを無くさなければ世の中おかしく成るのである。

世界は余力以上を期待されても無理なのよ。生活保護にしても年金にしても税金等でフォロー出来る状況でなくなれば切られるのだ。面倒をみる事が出来なくなれば優先順位がつけられる筈だ、誰もが平等に助けられる事はない。飢えて死ねという決断が下される事になるのである。

平等でありたい、人権を守りたいという気持ちがあっても余裕がなくなればそれは壊れるのである。

そして現在の労働している者が生活厳しく、生活保護の人の方が生活がそれよりも楽になる、そんな馬鹿な事がまかり通る様な状況はおよしなさいという事だ。

僕は悪人か?
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2013年05月18日

ゲスの極み

政治家もマスコミも上げ足取りで政治をやっている、監視しているつもりになる。言葉が悪い部分と意味の部分を考えずに騒ぐだけ。

そもそも政治家にもマスコミにもそれを言うだけの品格はあるのだろうか?全然無いでしょ、大騒ぎして視聴率がとれればいいし、視点を変えすぎて叩かれる事を恐れていて右にならえ状態。

後信念も何もなく票が取れるか否かだけの自己主張の人気商売。

信念が無い所には品格なんてないのよ、一見品格が有る様に見えてもそれってタダのハリボテだからね。

また信念があるからと言って国の為になるかというとそれもまた別の話だしね、信念が国家解体です、日本の滅亡ですでは話にならない。また能力が極端になければそれもまた信念があっても役にはたたない、アマチュアで色々と妄想するなり発表するなり程度で止まるべきだ。

アマチュアが御輿に乗せられプロになったと勘違いする、また有権者は御輿に乗せられピカピカに装飾されたモノを本物と勘違いし選んでしまうのだ、ブランドモノ=価値の有るモノの筈と勘違いするのと同じだね。

人は簡単にパッケージに騙されるのだ、それは信念も品格もないからなんだけどね。あと時間?

その事をいい事に本質をみようとする事無くひたすら上げ足の獲り合いを繰り返し勝った負けたと小さな喜びと優越感。

だから政治は遅々と進まず文化も政治も同じ所をグルグル回る、まぁ進めば良いというモノでは無いけどね、進んで悪い方向に行っても困るからね。

何時までも日本を悪者にして優越感に浸るがいい。何時までも自虐的に御先祖様を悪者にして自分達はいい人ですよと勘違いしていればいい。

その結果次に悪くいわれるのは自分達になるのだけどな、死んだ後に延々とあの時代が無能だったせいで責任をとらされているとね。

他人を悪人にして自分は善人と思える仕組み、あまりにもみっともない。

何時までも先に進めない人達、此所でふと考えた時間という部屋から出る事が出来ない引き籠もりなのだ。そりゃ世の中引き籠もり増える筈だ。ぬるま湯の如きこの停滞する時間の中にいれば傷つく事もなく、責任をとる様な事も起きないという訳だ。

まぁ何時までも其処にいる事は出来ないのだけどね。


まずは現実を観ろ!!  なんだいこりゃ・・・・僕がゲスの極みか!!
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2013年05月17日

無から生み出す

よく人は芸術家やアーティストは無から何かを生み出して凄いといった勘違いをする。

でも実際はそんな事はない、基本的には何かの模倣がほとんどだし、無から生み出す事はなく、ほぼ不可能だと僕は思っている。

そう考えるとよく問題になるパクリ問題は人間の人間のパターン認識の能力の位置問題ではないだろうか。引用の仕方、組み合わせが高度だと元ネタを意識させない為にオリジナルに思えてしまうのである。

またマイナーな所からネタを拾ってくれば元ネタを知らない為にオリジナルと勘違いしてしまうのである。

元ネタがわかって怒るという感情とニヤリとする感情の違い、この境界、さじ加減が実に難しい。パクリと言われるモノはそのさじ加減を失敗してしまっただけなのだ。

そう考えると著作権というのが実にいかがわしいモノに思えてくるのである。著作権にウルサイといわれるディズニー、ネズミから訴えられない事をいい事にネズミのデザインを振りかざしているともいえるのだ。

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2013年05月16日

風俗

グダグダな橋下発言で話題になっている風俗。

この風俗問題、戦時中の事だけで現在の事でも問題になる、女性の人権問題として過剰に反応する人がいる、いすぎるのである。

本人の意志に関係無く連れて行かれて働かされている訳で無くても人権問題になってしまうのだ。

性病等の健康問題という面で反対とかいうのならばまだ理解は出来るのだが、自分の意志で働いているのが人権問題というのが僕には理解出来ない。

同じ様な理由で専業主婦を女性の人権解放のネタにされる事が良くわからない、夫婦、家族の間で了解がとれているのであれば何ら問題は無い筈なのに問題にする人々。

風俗を肯定すると、大体こんな意見が返って来る「自分の恋人、自分の娘とかが風俗やって大丈夫なのか?

大丈夫と答えられる人は少ないだろう、だがこの大丈夫では無い理由は風俗に差別があるからなのだと思う、風俗を差別する人達にこそ問題があるのだ、職業として差別しているのだ。

後は嫉妬心とかだよね。後は歴史的経緯とかかね、身売りしないと生活出来なかった時代の名残なのだろう。

売春は法律違反だから悪い事をしていると言えるかもしれないが、基本的には単なるサービス業でしかないのである、欲望を受け止める仕事でしかないのだ。

人を喜ばせてその対価として金をもらう実に普通の仕事なのだ。身体を使っているからというのも的外れだこれが駄目ならマッサージ師も駄目になってしまうのだ。

欲望、性的興奮をお金にしているからというのもまた的外れな指摘である、これが駄目ならばテレビタレント、グラビアアイドル等も駄目だ、AKBとかの握手券とかも単なる風俗になるでしょ、それをクールジャパンとかいって売り込もうしているのだからね、トンデモ無い事だよね。

苦痛を感じながら仕事をするから良くない?これまたおかしな話、別に風俗で無くても嫌な仕事している人は山程いるのよ、辛い事を代わりにやってくれるからお金になっていたりするのよ。

むしろ風俗を裏社会から守る事、仕事として差別されない様にする事が人権を守る事になるのではないかと思う。

日陰の仕事から表になるそれこそが現代的だと思う。




まぁそんな事を言っていると差別されるというおかしな世の中なのよ、差別はイカンと言いながら差別する、人権を守れといって自分の考えと反する者を糾弾する、その矛盾に気がつかない。
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2013年05月15日

セックスは罪

アメリカは92%の人が神を信じてセックスは罪と考えている、(日本は30%わっているらしい)そしてうんじゃねかんじゃねでアメリカには日本の風俗にあたるものがないという島田裕巳の考え。(詳しくは探して読んでね)

何だろう非常にピンと来ない。

まぁ僕の知っているアメリカは映画やドラマ、一部の報道、小説でしかない。

これらは実体を全く表していないのかもしれない、単なるレッテル貼り的アメリカしか知らないのが実情なのだろう。

でもフィクションの中のアメリカとこの記事に提示されているアメリカがあまりにも違いすぎるのである。

また日本が神、宗教を信じていないというのも実情を表している様には思えない、ある種のテレだったり、ガッツりと宗教活動をしていないという理由から信じていないといっている感じが僕にはするのだ。

宗教に対する距離感等が違うだけなのだと思う。

日本の神の形が違うからガッツリとは宗教活動しないだけで、僕は意外と信じていると思っている。

占い、お守り、初詣、お盆、お祭りとデローンと信じているのである、ある種空気みたいなモノなのだ、空気過ぎて宗教を意識していないだけなのである。

人権とかもかってはそうだったのだが、ガッチリと定義しようとするからおかしな歪みを生み出している。人権はこうあるべきという事を定義するから息苦しい、他人行儀な嘘臭い偽善な人権になってしまうのである。

セックスを罪とかいうのも歪みの様な気がする、日本も女性の人権とか言い過ぎると今にこのセックスについてもおかしな事になる筈だ。

あんまり意識させすぎると今に性犯罪が増えるか、嫌悪感の為に性行為が出来ない動物的欠陥になり少子化等も進み滅ぶ事になるのでは無いだろうか。一時的にはフェミニストと的になり優しい人といった勘違い状態になり平和、と思うかもしれないけどね。

実際は単なる去勢だけどね。

アメリカは行き場の無い精力が暴発し変な犯罪に繋がっているのではないかと僕は思っている何の根拠も無いけどね。

抑えすぎても、自由すぎても駄目なのよ何事にも程々というのがあるのでは無いだろうか。

漠然としたモノ、モヤモヤしたモノはそのままで良い事も有るのだ。何でもキッチリすれば良いというモノではない。ハンドルのアソビが無かったら運転し難いでしょ?

モヤモヤさまーずはモヤモヤしているから良いのだから。

神なんてモノはずっと考える事では無く時々考える、何かを簿妙に不安になった時とかに考える程度で良いのよ、自分の決断が不安になった時に神がみてくれていると考える程度で十分なのである。

神もイチイチ一人の人間の事を考えている暇は無いと思うよ。
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2013年05月14日

ゾンビズ・シティ

ゾンビ映画としては実に変わり種な感じ。

ラストなんかモノ凄くて度肝を抜かれる事間違いなしだ。(面白いかどうかは別だけどね)

また上映時間はかなり短い映画なのだがまだまだ大幅にカットしても大丈夫という実に画期的映画でもある、何度も繰り返される事の意味がイマイチわからない回想シーン。何か其処に大事なモノが映っているのだろうか?僕にはその大事なモノがわからなかった、映像から見つける事は出来なかった。

子供の視点でゾンビ事象を描くという発想は実に良いと思う、確かにこの視点は今までなかった。何が起きているか良くわかっていない状況、現状を改善できる能力もない、そんな状況で大人に頼る事無く生きていかなければ駄目というシチュエーションは燃えるし、大人視点であれば生き残る、ゾンビを皆殺しにするという視点だけになってしまう所を子供ならば生き残る事も大事だけど遊ぶ事とかを考えてしまう部分が実に良いと思うのである。

其処を丁寧に描けば良かったとのに思うのだが、この監督それだけでは物足りなかったのか更にヘンテコな視点を入れ観客をあらぬ方向に連れて行ってしまうのである。

其処までせんでも良いのにと思ってしまいます。

僕的にはゾンビにより世界が破滅した世界で健気に生きるカミーユちゃんの一日みたいな感じで撮ってくれればなあと思いました。ご飯をどうしているのか、ゾンビをどの様に避けているのか、後はお絵かきしたりとか、夜になるとお母さんの事思い出してチョイと悲しいとかで一日が終わるみたいな淡々とした映画にしてくれた方が良かったと思う。

そしてラストに友達が出来ましたみたいな終わり方で40分位のホッコリとした作品に仕上がっていたら傑作になったのではないだろうか。
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2013年05月13日

勝手に期待をする

金融の人って未来に対して投資をしこれだけ増える筈として現在の社会、未来の人に借金をさせお金を稼ぐ。

確かにある程度は成長していくし色々な投資の為に借金をするのは悪い事ではない、だが過剰に未来に期待をしすぎていないだろうか?

ある程度までは世の中の流れでその期待に応える事も可能だろう。成長の勢いで多少辛くてもがんばれる部分もあると思う。

だが去年3%を達成できたから来年は4%、それもなんとかかんとか達成できたみたいだから5%、6%とエスカレートしていくのは勘弁して欲しいモノだ。

予定4%の成長予定が1%になったりするともう大変な事になる。実際には1%成長しているのに4%成長している予定で予算、金利等の計画を立てている為におかしな事になっていくのである。

その読みの甘さによる損を取り戻そうとして更におかしな計画を立てたり、リストラ等により経費削減を図る、それらにより世の中は更におかしな事になるのだ。

どうなりたいのかではなく年2%成長といった事を目的にするからおかしな事になるのだ、この様な生活をしたいという具体的目標では無くずっと成長し続けるという事を目標にしては駄目なのだ。

いつまでも達成出来ないし、躓けば駄目という状態の自転車操業状態の社会では人は疲弊して行くだけなのだ。
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2013年05月12日

グレイヴ・エンカウンターズ2

前作のオチというか疑問をどのようにカタをつけてくれるのか期待したのだが、更にどうにも微妙な感じになってしまった。

結局良くわからない話の流れとオチにまたしても翻弄されてしまいました。

まぁ僕的にはこんな心霊現象が起きたというドキュメンタリーを作っている風の作品を作るインチキプロダクションの話とカタをつけた。

前作も映像修正が入っているという感じの説明になっていたしね。

そして今回はインチキ作品第二弾では幽霊を大げさにしてみたり、謎の扉をつけたりと派手にしすぎて馬脚を現すの巻という感じにしているのだろう。

あえて「やっちまったなぁー!」という出来の悪いドキュメンタリーを作っているのだ。実にややこしい作りだね。

人間の欲深さって怖いよねという感じを撮ろうとしているのである、その欲深さから派手にしすぎてしくじるという自爆の怖さを描いているのである。

色々とシナリオの穴を作る事でこれはヤラセ映画を作っているのを表現しているのである。まぁそう考えると良いシナリオなのか?とも思えてくるのだが、微妙な感じになるからやはりキレが悪いのだと思う。理解力が低いだけ?

まぁでも前作より良くないという意見も多いみたいだから、狙いは失敗しているのだと思う。

前作の真意が伝わり難かったから今回は少しわかりやすくしている感じだと思う。

前作の主人公はキチガイになりあの病院で生きていたというのがヤラセという事の伏線である、映像の入手経路がおかしな事になっている事を説明しているのである、またラストに警察に捕まるがあのおかしな状態で歩いていたらカメラの映像を取り調べされる事になる筈だ。

そうなれば殺人の模様を観られる事になりぶち込まれる事になるだろう、だがそうなっていない事をみてもこれはヤラセの映画なのだ。

でも何でそんな面倒臭い映画を撮っているのだろうかと思う。其処までしてPOV映画をとりたかった監督の真意が良くわからない、ひねろうとして微妙な空気になっているのは監督の思い通りなのだろうか?
posted by mouth_of_madness at 21:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする