2013年06月10日

人類だけが

人類だけが文明を作り上げたとかいう理由で賢いという意見っていうのがある、他の動物と違うという事が優れているのではなく人類だけが動物としての機能を欠いていると想像しないのだろうか?

他の動物達は己の欲望をイイ感じにコントロール出来ている、環境を大幅に変えずとも生きて行けるといった事を考えると人類の脆弱性とかを感じ劣っている感じがするのだ。

挙げ句の果てに環境を変えすぎて更に住みにくい環境を作り出し困っているという現実を考えると馬鹿丸出しではないのか。

技術が進み長生きできる様になったというだろう、でもそれって実は動物的、肉体的にあまりにも劣っていて寿命を全う出来なかった生物がやっと全う出来る様になっただけではないのか?

亀とかロブスターとかはテクノロジー無くても長生きする事を考えるとテクノロジーで長生きしていると言われても大した事では無いのではないかと思う。それにより様々社会問題を引き起こしている現実を考えるとこれまた馬鹿丸出しの感じがする。


そして生きる為に色々なモノを消費するのだがそれが他の動物と比べると桁違い、どう考えても劣っている感じがするのだ。何処まで行っても欲望の歯止めがない、年がら年中さかっている。

何か動物として壊れているのではないのだろうか、壊れているから中途半端に文明、文化を作り出し、自分とは何かとか、生きるとは何かとかどうでも良い事で悩み堂々巡りの旅に出る。

この事を考えるとキリスト教の知恵の実を食べたという事は意外と正しいのではないのか?動物のままでいれば良かったのに中途半端な知恵の為に答えが出ずにグダグダになる。

知恵=馬鹿という駄目な状態になったのである。
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2013年06月09日

Heavenly MusicとRandom Access Memorise

最近買った細野晴臣とDaftPunkの新譜。

コレがどっちも良い感じなのだ、どっちの作品もゆったりとした幸せな気分にしてくれるのである、作っている人が好きな音楽を楽しんでいる感じが滲み出ているのだ。

特にDaftPunkはこう来たかという感じがするが、この作品に繋がるモノがコレまでの作品にも散りばめられていた。

今回のアルバムタイトルが「原点回帰」の方がしっくりくる感じである。

もっとエグイ、エレクトロニック・ダンス・ミュージック路線に突入してもおかしくは無かった、だが行き過ぎたダンスミュージックに対してもっと音楽は楽しいモノだよ、緊張感溢れるダンスミュージック、刺激だけを求めた電子ノイズなんて面白く無いという明確な意思表明に思えるのである。

「Heavenly Music」の方は前作からの延長という感じ、でも前作の「Hosonova」よりもっとラフな感じがする。

ザックリとした感じが非常にいい、音楽の在り方への提案みたいな感じに思えるのである。

もっとプライベートにゆったりと楽しむ音楽があってもいいという感じ、作り込まれた流行曲、新しい刺激的な音楽、斬新な曲といった最先端の音楽という部分に踊らされがちだし、デカイ箱に集まる様なモノ、ヒット曲が良いモノと勘違いする人もいる。

それが悪いとは言わないが音楽が消耗品になってしまう部分もあるのだ。

音楽ってそういうモノなのか?そういう感じで音楽を作っていたりするから音楽産業が縮小する事に右往左往したりするのではないの?著作権絡みでやたらシビアにももめたりするのも商品という観点で音楽を見ているからではないのか?

確かにそれで食べていくという関係上ある程度守るというのは大事だと思うけどね。

何らかの大惨事で様々な記録メディアが駄目になっても人々の口から口へ歌い継がれるモノが有っても良いのではないか、いや音楽を次の時代にもって行くという事はそういう事ではないのか?

記録メディアに残されたモノは記録でしかない、それらはいずれ死んでいく、歌い継がれる事で音楽は永遠のモノになる、歌詞が多少変わったり、節回しが多少変わったとしてもそれは大した事ではないのである。

そんな事を考える様な作品でした。
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2013年06月08日

PB

最近増えてきたプライベートブランド。それもそこそこ名の知れたメーカーがその製造に関わっている。

コレがどうにも腑に落ちない。

NBで商売が出来ていると思っていたメーカーが競合するPB商品を作るというのだ、量産化、安定発注という面でのメリットはわかるのだがNBを駄目にしてまでやる事なのか?という気持ち悪さがあるのだ。

商売とはそういうモノ?という安易な答えで良いのか?

最近いる自分達の生活を維持してくれるのであれば中国支配でもいいよという、安易な自分の今の利益だけで考える視点と同じ様な気がするのである。

確かに今の積み重ねが未来だと言うかもしれない、今利益を出さなければ潰れて明日はないかもしれない、だがそれまで積み上げて来たモノを捨てて生き残るというのもどうなのよと思うのだ。

NBを育てる事に注いだ時間、努力を捨てようという考えにはどうにもついていけない。

その様な事を考えていたら実は製造メーカーも意外と乗り気ではなかったりする場合が有るらしい、販売業と製造業のパワーバランスが壊れた結果が今の状況という話だ。

PBという新たなる子会社化なのである、そして裏にある製造者名義で効率よくメーカーが作り上げたNBのイメージを拝借するのである。

PBをやらなければ他のライバル企業に頼むけどというある種の脅しが其処にある、販売する所が小規模だった時は交渉が決裂しても大きな被害はなかった、だが全国規模に拡大した販売業の力は膨大になり其処に切られる事は死活問題になる状況までに力のバランスが壊れてしまったのである。

そして本当に子会社化した訳ではないので切り捨てるのも楽という歪な状態なのである。

NBを捨ててまでもやるしかない状態に追い詰められているのである。

バランスが壊れると怖いというのが此所にある、交渉が出来なくなるのだ、相手のいう事をきくか玉砕覚悟で戦いを挑むしかないのである。

経済、軍事力、文化発進力これらの国家としての能力が低下すれば政治にも経済にも領土にも歴史にも圧力をかけてくる連中がいる事をみてもわかる筈だ。

右翼と左翼のバランスが壊れた日本がおかしな状況になっているのを直そうとアレルギー反応如く様々な問題が吹き出している現代日本。

男女のパワーバランスが壊れている結果様々な問題が起きているし、陰陽の考えとか、ホピ族がコヤニスカッティに警鐘を鳴らしているのも理にかなっているのである。
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2013年06月07日

清水健太郎

違法薬物で6度目の逮捕、もうねぇ辞める気なんか全く無い感じだね。これはもうねぇ財産等を没収してして隔離して死ぬまで薬でハッピー状態にして上げたらと思う。

その薬中の隠れ里は誰にも秘密にしておいて没収された財産と、其処での軽作業で生活費を稼がせるのである、非合法ルートから薬物を手に入れるから高額になるのも政府が製造すれば大幅にコストは削減出来るのではないだろうか。

法的には犯罪者であるが、禁断症状とかで暴力沙汰や金絡みの犯罪を犯している訳ではない、だが薬もやめられない、それにもう60歳だというのであれば辞めさせるのは無理ではないだろうか。

それならばもう無理に治療する事無く他の人に影響を与える事無い様社会から隔離した上で幸せに余生を過ごしてもらうというのが良いのではないの?基本病気の治療もせずに薬物で痛み等をとりフェードアウトしてもらうのだ。

そう考えると犯罪者の社会復帰というのも復帰したくないと思っている連中を復帰させるのはどうなのという気もする。復帰したくない人を出所させる事に意味が有るのだろうか?

また戻りたくなり犯罪を犯すのであればその被害者が出ない様に出所させない方が良いのではないの。本人も出たいと思っていないのだから。

食費を稼ぐ労働は其処でしてもらうという事でね、国営引き籠もりという感じでね。

何でも直せると思うのは人のエゴでは無いだろうか、直らないモノは直らないのだ。それならば安全が確保出来る所で管理する。

その様な事も考える段階に来たのではないだろうかと思う。

あと不思議に思った事は清水健太郎の肩書きが元役者ってなっているけどどうなれば元役者なの?引退宣言したら?それに清水健太郎元歌手だったりもするよね。 

普通の人は会社辞めて仕事がない時は元会社員といわれる事は少ない、事件の舞台になった企業の社員だったりすれば元社員とか書かれるとは思うけど、大体は無職である。

役者も歌手もオファーがない、スケジュールが白紙の場合はやはり無職ではないのかと思う、いやでも印税で生活出来る位に稼いでいたらスケジュールが白紙でも無職ではないかも。
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2013年06月06日

素晴らしい日本人

江戸時代、明治、大正、昭和(終戦まで)海外の人が書いた日本人論とか紀行文、人助け話等を読むと今の日本と違うという感じがする。

確かに本とかになっている様な事ですから選別されている、読んで気持ちの良くなる様な事をチョイスしているのだとは思う。

何時の時代にも糞の様な者はいるだろうし、素晴らしい人も同じ様にいると思う。

今の海外の報道の一部では震災の後の日本人は素晴らしいと評価していたりもする訳だしね。

だが昔の日本人の方が凜としている感じが本から感じられるのである、何となく今の日本人は昔の人が積み上げた文化感、道徳感、美学を食いつぶしながら生きているのである。

食いつぶしながら、西洋万歳感の間違った思想の元にグローバル化だのとかいいながらもっと良いモノであったモノを置き換えようとしているのだ。

自分達の方が良いモノを持っているのに低レベルなグローバルスタンダードに合わす、お金が儲かるからといって低い方に合わす、隣の芝生を過剰に青く見すぎなのだ。

良いモノと悪いモノを選別する目を失いつつあるのである。

関東連合とかの記事、ユニクロとか和民の記事、モンスター○○、炎上商法、ネオヒルズ族とかをみると実に浅ましい感じが滲み出ているし、表、裏問わずそれらが社会の上にいて幅をきかせているいるという状態が実に由々しき問題に思われる。

その浅ましい者に憧れたりするのも実に危険だし、粋ではないと思う。

昔もそうだよと言われるかもしれない、だが本に書かれたかって日本にいた素晴らしき日本人の影があるのだ、極一部の人間かもしれないが目指すべき美学が其処にある、住みよい社会を生み出すノウハウが其処にあるのだ。

今のいかがわしく、見窄しいトップを目指すよりかって居た日本人を目指すべきなのだ。

真似するに値する人の姿が其処にある、それらを書いた者の勘違い、脚色だったとしても良いではないか。

そうしないと今に自動販売機は壊されるのが当たり前になってしまいますよ、人の価値がお金とフォロワーの数という気持ちの悪い状態になりますよ。

モラルも距離感もおかしな事になり声が大きい人間が正義になったら世も末ですよ。
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2013年06月05日

MIB・3

ウィル・スミスとトミー・リー・ジョーンズの愉快なコンビ映画の第三弾。

前作から時間が空いたのが良い感じになっていると思う、2人とも良い感じにくたびれているのがいい味わいになっている。

だがそのくたびれが中盤のダレる展開になっているのはマイナスだと思う、ストーリーの展開は面白いのだがアクション部分等が今ひとつピリッと締まらないのである。

流れは良いのにメリハリに欠けるのである、SFのタイムマシンモノとしてまとまっているだけに惜しい感じがするのだ。ラストの対決にもう少しお馬鹿な展開が欲しかったと思う。(あのタイムマシンを使った対決ネタはイイ感じなのだけど微妙に地味なので有る)

過去に戻り、ローテクな感じが良い感じなのだから最期のバトルにもローテクならではの一捻りが有ればと思うのだ。

コンパクトにまとめて大きな破綻はない、これって大事な事なのだが、こじんまりと纏まりすぎると物足りなく感じるのも観客のワガママ性である。

そこそこ面白い、でも何か足りない。

これってファミレスなのである、ウゲッてなる不味さはないけど腹が貯まるだけで満足感は薄いという感じなのである。(薄いとはいっても満足感があるという事はプラス方向だからね)

この様に書くとファミレスが駄目なモノという印象を与えるかもしれないがある種の機能を果たしているという事では素晴らしいのである。

駄目なモノはコレすら果たしていないのだ、不味くは無いし腹も貯まる、超美味で幸せという事は無くても、お金、消費した時間とのバランスもとれているし最低限の満足は得る事は出来るという事は素晴らしい事なのである。

時間を返せ、お金を返せといいたくなるモノ、後で話のネタにもならない様な何の印象にも残らない毒にも薬にもならないモノに比べたらちゃんとした作品です。

観た後機嫌良くスタッフロールで余韻を楽しめる映画は心に残らなくてもいい映画と言えるのです。
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2013年06月04日

宇宙兄弟

現在アニメ放送もやっている漫画原作の映画。

オープニングと日々人とロケットの打ち上げはイイ感じだった、でも六太の小栗旬がイマイチよろしくない。モジャモジャ頭が不自然な感じもするし演技が多少暑苦しいのである。軽さが足りない感じがするのだ。

まぁそう感じるのは先に観ていたアニメのせいだとも思えるが、僕には多少重たく感じた。

微妙な緩さと一所懸命のバランスが小栗旬の演技の中ではしっくり来なかった。モジャモジャ頭も何かコスプレみたいに思えてしまう状態。

それも石立鉄男のコスプレに段々と見えてくる始末。

この映画を観るとアニメの声優の演技はモノ凄くイイ感じに思える。

多少年齢的には問題があるかもしれないけれど浅野忠信やオダギリジョーとかの佇まいの方が良かったかもと思う。後ケンジ役も演技が下手とかいうのではないがもう少し男前にして欲しかったと思う。

堤真一が演じていた役ももう少し年をとった人がやった方が良いのではないかと思う。

ダイジェスト感が漂うのだがまとまっていたとは思う、でもやはり作品としては物足りない感じがするのは否めない。これに関しては原作が面白いからといって作れば良いというモノではないという事なのだろう。原作は大きな流れというより登場人物の色々な話があって成立しているストーリーだから2時間といった時間で切るというのは向かないという事なのだ。

原作のチョイスに失敗していると思う、単純に敵が出てきて戦って倒すだけの原作とかならば色々とやりようがあるのだけどね。

このペースは漫画やアニメならでは作品だと思う、長期ドラマになれば役者も年をとっていきおかしな事になるからね、作品のペースで都合良く年をとるとかは無理だからね。
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2013年06月03日

世界は馬鹿になっていく

100年間で欧米人IQが14.1ポイント下落したらしい、記事では欧米人だから世界というと言い過ぎなタイトルであると言える。

原因は高いIQを持つ女性が出産しなくなったという事だが、多分男性も同じだと思う、この状況、映画「26世紀青年」が現実になりつつあるという事だ。

でも此所でふと思う。

IQが高い人は個人の自由、楽しみ、自己実現が出来る能力、才能があるし、それに邁進しているという事なのだろう、そしてIQを生かし社会的は成功しているのだろう。

個人レベルでは賢いといえるのかもしれない。

だが集団、国家、人類というレベルで考えると賢いと言えるのだろうか?子孫が駄目になっていくという事を理解出来ていない、理解出来ていても自分のエゴの方を最優先するという者が本等に賢いと言えるのだろうか?

実はIQは高いけど馬鹿になっているのではないかと思うのである、このIQが高いという人も実はそんなでもないのだ。 

多分100年前に測っていない、IQだけでは測れない別の知能レベルがありそれも大幅に下落しているのだと思う。有る一面は賢いという数値が出ているから大丈夫と思っているが別の面が実に駄目になっていると思う。

僕は社会、環境と自分の関係性を想像する能力が著しく低下しているのではないかと思う、だから人を確立出来ずに足掻いているのである。

色々とテクノロジーの発達により個で生きる事が比較的楽になった為に環境の事を考える機会が減り退化しているのである。また法律等で線引きを明確にした事でも考える事を放棄しつつあるのだ。漠然とした道徳を法に置き換えた副作用である。

そもそも人間は他の動物より賢いと思っている理由はテクノロジーや文明を作り上げた部分が理由だと思うが何故これが賢いのかいうのはあくまで人間の思い込みでしかない、生存戦略等として本等に正しかったのか?心の平安的に本当に正しかったのかなんてわかない。

自分で悩みをドンドンと生み出し解決し、また悩むというのを繰り返す、何かを解決する度に新たなる問題が生み出される状態をみると馬鹿じゃないのと思うのだ。

長寿になるのは良い事と思っているけど、それにより生じる様々な悩み、問題を考えると人類は結局何をしたいのかと思う。

昔は夜は寝るモノだったのが、夜も仕事をする様な状態になる現状を考えても馬鹿になっているとしか思えない。

馬鹿になる為に色々なモノを発明、発見していく、行き着く先は機械に管理された痴呆集団になるのである。
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2013年06月02日

ナチス

人を愚弄する時ナチスと同じだと言えば許される免罪符ではない。

そしてナチスが悪いといえば全ての事柄自分達が関係が無くなるというモノでもない。

大体気楽にナチスを悪と言うがどれだけの人がナチスの事を知っているのだろうか?どうせアウシュビッツぐらいしか知らないのだ。

その認識と同じ様に大日本帝国の軍隊にしても従軍慰安婦と南京大虐殺を行った悪の侵略軍という認識なのだろう、嫌がる国民を戦争に巻き込み日本に壊滅的ダメージを与えた悪の独裁国の軍隊というねじ曲がった認識なのだろう。

本等の事、嘘の事関係無く負けた国は多くを語れない。弁護する事が中々出来ないのである、数少なく自分達の過去を肯定できる子孫が自虐的に否定してどうするのか。

否定する事で満足しているだけなのだ、反省できる俺偉いと自己満足しているだけなのだ。

まぁ肯定しすぎておかしな事になるのも問題だけどね。

歴史とは流れである、単純に個別の事象を観てわかった様な気になったりしてそれを断罪をする、歴史の流れを分断して語る愚を犯すのである。

そしてその愚かさは自分もその流れにいる事を理解しようとはしない、良くもまぁ自分の御先祖を悪人呼ばわりをして生きていけるモノだと思ってしまう。

戦争から帰って来た祖父や父親を知っている者もいる筈だ自分の親族でなくても戦争帰りの人と会った事がある人も合わせればかなりの人数が居るのではないかと思う。

どれだけの人がその人達に接してヤバイ人々だ、許せない犯罪者の集団だと思っているのか?

あの時代の日本に生きている状況を理解せずに安易に今の感性で善悪を考えたり、事後に色々と書き換えられていく過去の知識で判断をする事におかしいと思わない感性。

後生の者が過去を断罪する被害者でも加害者でもない者が過去を断罪する、これを狂気の沙汰といわずして何が狂気か!!

過去、生き残ろうと足掻き生きていた人々を未来の人間がおかしいと否定し更に殺す。今の世の中を作って来た礎が気に入らないからと言って捨てさろうという愚挙なので有る。

これもねぇ個人主義のなれの果てですよ、自分がポンと生まれてきて自分で考え自分で育って来たと勘違いした結果ですよ。連綿と受け継がれてきた時間というのを何も考える事が出来ない阿呆なのですよ。

これを野放しにしていくと今にドンドン時間をさかのぼり否定していく事になりますよ、まぁ今生きる人達も先の人に恨まれる事になるのは確実だと思うよ。

過去の空気や流れ、本を読んだわかったつもりになったり、映像を見て知った気になったりと勘違いのしすぎなのである。

大体現在進行の状況、空気ですら人により色々な答えがあると思う、その時代に生きている人間ですら本等の所はよくわからないのだ。当時生きていなくて記録に残っているモノだけで全ての状況を把握する事は不可能だ、何らかの意図を持ったフィルターで分別された歴史で過去を安易に理解するのは危険なのである。

表の歴史だけで裏の歴史は殆どないしね。

世界が日本とナチスを悪の帝国にして満足しているのはイラクやリビア、シリア等を悪の国としているのと同じだ、自分達の行いを正義と認識する為に敵を作るやり方だ、どちらにも正義はあるし言い分は有るのだが負けてしまえばその言い分は届かない。
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2013年06月01日

暴走

中国からするとサンフランシスコ平和条約は条約、違法かつ無効らしい。

尖閣を欲すあまりに何かおかしな事になっている感じだ、いやこれがおかしいと思うこと自体が間違っているのだろう、韓国も条約を無視してひたすら謝罪せよといってお金をたかる。

条約というのはパワーバランスと利益関係が微妙に釣り合っている時に飲み有効なモノでしかないのである。

パワーバランスと利益が崩れれば一方的にそれを破棄し蹂躙する様なモノに過ぎないのだ。建前の善意のみで奇妙なバランスをとる為のモノでしかないのだ。

神が絶対の理を持って契約させる様なモノでは無いのである、破れは多少の不利益はあるだろう、だが破る事で得る利益の方が大きければ破られるモノなのである。

この仕組み日本人の平和ボケには実に大変なモノである、条約を結べば解決という安易な考えに陥りがちなのだ。

隙あらば、力が弱くなれば何時でも牙を向き利益を得ようとするのが世界なので有る。

日米関係は今の所表面的には友好的に見える、だが今米中関係に移行しているとも言われている。米中関係が強化されれば今に日米関係が破棄される可能性があるのだ。別に此方からアメリカに喧嘩をふっかける事無くても中国との同盟の方が利益が大きいと思えば何かと難癖をつけてくるのである。

それに今世界の人口の五分の一は中国人になっているという、そして様々な国に移民を行っている、政治に影響を与える力を持ちつつあるという事だ。

その様な背景があって今のサンフランシスコ平和条約を無効という事が言えるのだろう、ただ気がふれたのではないとすれば、色々な国の政治に干渉出来る影響力を持ち始めたと実感しているのだろう。

酔い国であれば大丈夫という事はない、いや利用価値のある、自分を富ませる事が出来る国こそが良い国なのだ。

経済成長をするという事は他の国の富を奪っているともいえるしね。

そこそこ面白い文化あっても、道徳感が高かったとしてもそれはあまり意味が無いのである。自分達に害がない、舎弟の様に貢いでくれるそれだけしか求めていないのが国際政治なのではないだろうか。

人同士の友情は成立しても国同士の友情は何時壊れてもおかしく無い砂上の楼閣なのである。

短期的には条約は良いモノなのだろう、だが長期になり色々と忘れ綻び出てくると実に危険なモノなのだ。

安心幻想という猛毒に犯されるのである、常に壊れる事を考えているべきなのである。
posted by mouth_of_madness at 19:53| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする