2013年09月30日

ジャンクフード

食べ物には身体にあまり良いとされないけど、何となく刺激的な食べ物、格安に摂取出来る食べ物としてジャンクフードがある。

此等は身体を多少蝕みながらも成長させていくし、生きる為の糧とはなっている。

良いのか悪いのか良くわからなくてもこれにより満足感とかあったりしながら人は生きていく。

同じ様に情報にもジャンクフードが存在する。

タブロイド的情報だったり、ネットに氾濫する眉唾情報がこれに当たる(このブログもジャンクフード)ネットはジャンク且つファーストフードか・・・

人は世界を認識するために情報を吸収しながら生きていく。本当は良い情報だけで生きていく事が良いのだろうけど、ついつい刺激的なジャンクな情報を受け入れてしまう。

それらのジャンクな情報を過剰に摂取し続けると止まらなくなってしまい、肥満になり動脈硬化等を起こしがちになるのも食べ物と同じではないだろうか。

味覚音痴になり、素材の良さより、刺激的な情報に飛びつきがちだしね。

良い情報を適量に摂取するそれこそが精神を健やかに保つ為の秘訣なのだろう。
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2013年09月29日

ゾンビ・アポカリプス

ゾンビ発生で世界が崩壊、北斗の拳的というかマッドマックス2的というかヒャッハーな人による支配が行われている状態にゾンビフレーバー。

ゾンビが第三勢力的にいるのだけど、なんだか突然出る感があって世界に溶け込んでいる感じがしないのよ、なんか状況を変える映画としての展開の為に突然出る感じ、ピンチにする為、助ける為に突然現れる感じだ。

主人公が荒野に放置されている時には出てこないし、エンドロールの後のおまけでも一人旅で結構無事そうなのだ、結構安全な所だらけなんじゃないのと思ってしまう、人類の98パーセント死滅とかいうけど意外と人いるしね。

話が面白く無いとかいう事では無く、この映画で描かれる世界が魅力的ではないのが一番の問題だと思う、状況がちっともシックリこないのだ。

とってつけた様な状況説明を冒頭にするのだがちっともそんな世界に仕上がっていないのだ、映像がショボイとかいうのとは違うよ、この世界はこんな感じですよというルールに沿って行動している感じがしないのよ。

田舎でゴソゴソしているだけなのよ、それで崩壊後の世界というにはあまりにもねぇ。

それにヒャッハーの人達もイマイチ何がしたいのかわからないし、偵察隊とか組織だってやっている割には単なる馬鹿な乱暴者という感じしかしない、組織ではあるけど機能していない烏合の衆という感じが何ともねぇ。


脱力したい時に最適のゾンビ映画、観た後に何にもしなくても良い時に観てください。
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2013年09月28日

デスレース3・インフェルノ

トンチキレース映画の第三弾。

性懲りもなくまた観てます、チョイとゲンナリしています。

こりゃツマラナイという事では無いので、基本安いバイオレンスでちっともピシッと心に響かないのです。

未来の人が楽しむ囚人を使った殺し合いレース、小汚いデッドテックな見飽きた未来に何の驚きがあるのだろうか、リアリティを感じる要素が何処にあるのだろうか?

此所には人間の狂気はない。

人間の狂気を笑うしかないという乾いたユーモアが足りないのである、人間が刺激を追求した挙げ句麻痺してしまったという感じが無いのである。

折角ゲリラとみたいな連中が今回はいるのだ、脱出に使うだけでなく、この世界の構造を壊す事に使って欲しかったと思う、でも更に人の欲望がそれを上回りゲリラ殲滅もゲームに取り込まれていく狂気が欲しかったと思う。

現実が世界に紛争を起こし軍需産業により経済の立て直し的な陰謀論が存在する様な状態なのだ。

視聴者こそが狂気の本質であるという所まで踏み込んで欲しいと思う。レース関係者、運営者の方が余程まともという位のネタが欲しかったと思う。

折角の3本目なのだ、いよいよそれをレースを観る人間の狂気を扱っても問題無いタイミングだと思うのだけどね。

レーサーと銭ゲバな運営者という対立構造を延々と見せられてもさすがに飽きてしまうのよ。

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2013年09月27日

定義する

人は色々なモノを定義する、ラベル、レッテルを貼る。

世界はこうであると分析している、世界を解き明かそうとしている様にみえるかもしれないが多分それは嘘である。

わからないという状態が不安で堪らないのである、定義する事で安心しようとしているに過ぎないのである。

そしてその不安で堪らないから定義した世界という色眼鏡で世界を眺め続ける、そして自分をその世界に縛り付けようと更に定義を固めその中に引き籠もろうとする。

経済システム、政治システム、宗教システム、此等は人を縛る為の強固なシステムである。

宇宙を、相対性理論や量子論とかで定義しようとしたり、数式を駆使して表そうとするのも同じだ、自分の存在する宇宙が不確かなモノであっては怖すぎるのだ、死後の世界なんかない、オカルトなんかないというのも同じ、そんな出鱈目な感じの世界があっては怖すぎるのである。

理屈に合わない事があると世界が不確かなモノになってしまうのである。

蟻が認識する世界、猫が認識する世界、人間が認識する世界それぞれの認識力の限界がある、人間の認識する世界が全てのモノを認識出来ているという事はないと僕は考える。

真の世界の全貌のうちの何パーセントを人は認識出来ているのだろうか?

どの程度わかっているのかもわかってはいないのに定義して世界を眺める愚。

その定義によって楽しめなくなる人生という名の時間と空間。

予想外の事が起きても何の問題もない、光速を越えて移動出来ようが、宇宙の果てがあろうが無かろうが大した問題ではない、世界はそんな程度では崩壊しない、いや崩壊した所で何の問題もない。

そんな事で思い悩むより夜飯に何を食べるかの方が余程重大な問題なのだから。
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2013年09月26日

SAFE

何時何処で何を観ても同じ様な印象の主人公を演じ続けるジェイソン・ステイサムの映画。

まさにポテトチップ・塩味な感じ、いやスカッと爽やかコカコーラか、見事なまでのスタンプ感、冒頭10分を観て主な登場人物紹介が済めば後はノンストップで途中寝ていたとしてもわからない事は無い位の何時もの展開。

でも其処がいい、頭カラッポに出来るプロテインみたいな感じなのだ。

寅さんや、釣りバカ日誌とかと同じ、何時も同じだけど新鮮感はあるのよ、それでも全てをコントロール、安定、安心というお約束が心の平安をもたらすのである。

滲み出るお茶目感がその平安の元にある、同じ様な作品に出ていても嫌な感じがしない人徳というかキャラクター性が素晴らしい。

今回の話も別に大した話はない、秘密を握る少女の争奪戦という実にシンプルな話、後は殴る蹴る、撃つのアクション三昧、ガンガン殴ってぶっ殺していく。

リアリティのない暴力三昧、スポーツ感覚のバイオレンスがスタタタタンとテンポ良く進むだけ。
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2013年09月25日

時代なんかわからない

学生運動、高度成長期、しらけ、新人類、バブル、テレクラ、ゆとり、ロスジェネとか色々な世代を語りたがる。

閉塞感、時代に風穴とかいった中途半端な言葉もまたよく耳にする。

なんだろう、これって結局常に昔は良かったという単なる錯覚なのではないだろうか。


結局は時代なんかわかっていないのである、今が何なのかとか全くわかっていないのだ。

何時も若い奴は上の世代が邪魔で閉塞感を感じているし、上の世代は自分の若かった頃を美化して懐かしむ、それの繰り返しでしかないのだ。

その時々に何となく、バブルだったり、テロだったり、戦争だっり、災害だったりが起きそれが何となく自分達のキーワードの様な錯覚をしているに過ぎない。

充実もしていないければ、極端に足りないという事も無い。

自分の成長度合い等により社会から受ける印象が変わり、何か時代の変化があった様に錯覚しているに過ぎないのである。


そりゃテクノロジーの変化等により変わる部分はあるとおもうけど、人も社会も別段大して変わってはいない。

常に自分の利益を追求して、不満と諦め、夢と希望をグルグルと回しているに過ぎない。

色々と表現する言葉は変わっているけど本質は何も変わらない、変な横文字で語っても何の意味もない、単にこんな時代だったラベルを貼る事で自分を定義しようとしているのだ。

人が歴史的に何かを成すという事は中々無いから自分の世代を定義する事で歴史の一部になろうと足掻こうとしているのだ。

生きていたら色々な事は起きるし、色々な事は起きない、結局は自分の感受性がどう受け止めるかだけなのだ。

フランス革命だろうがロシア革命だろうが、人間革命だろうが、脳内革命だろが人間の本質は何もかわっていない。

同時に10代、20代、30代、40代、50代・・・・それぞれの感性で観る事は出来ないのだ、インタビューやアンケートでその時代の空気をわかった様な気になってもそれは時代でも空気でもない、単なる思い込みに過ぎないのである。

サブカルとかにはまりなんか偉そうな時代論とか文化論を語る麻疹に過ぎない。


自己矛盾
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2013年09月24日

次世代

ウェアラブルコンピュータという概念。

今はメガネだの腕時計だのというインターフェイス、でもふと思った、確かに画像を見るいう面では脳に直に画像を認識させるという事が出来ない限り、画像確認としてディスプレイが必要ではあるが。

意外とメール確認やニュース、ブログ、2ちゃんねる確認とかで有れば音声でラジオ感覚で聞けるシステムを構築すれば良いのでは無いか?

アプリ起動等の操作は音声認識で可能だしと思う。

また大声を出したくないというのであれば指輪型インターフェイスを用意しマイクとして使える様にするのだ。手で口を覆い音が外に漏れるのを防ぐ、外の音を遮断するという仕組みだ。

ヘッドフォンにカメラもつけ、自分の視界とほぼ同じ状態で撮れる状態にすればファインダーもいらないという状態に出来るのではないだろうか。

シャッターは音声でもいいし、指輪にタッチセンサーついていればそれでもいい、指パッチンで撮れても良いと思う。

また音声について、自分の音声データからボカロみたいなモノを作り友人関係にそれを渡す事により、メールやメッセンジャー、ツイッター等はその音声で読み上げをしてくれる状態を作るのである。

汎用読み上げ音声も好きなタレント、声優、アナウンサー等の別売りで追加出来るのである。

またマイクがついていて翻訳ソフトを起動していると音声を翻訳して読み上げてくれるのだ。両方ともそれをつけていればお互いの言語で喋れば同時通訳してくれるのである。

外部から入力されたの音声を利用しその声質を使い翻訳してくれたりすれば実にいい感じではないだろうか?

ディスプレイという便利な機能に囚われていると意外と駄目な気がしてきた秋の夕暮れ。
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2013年09月23日

差別

差別は駄目だという、子供の頃から言われてきた人も多い筈だ。

でも何で?という疑問を持った事は無いだろうか?

何故駄目かという事に関して明確に説明出来る人はあまりいないと思う、これって何故人を殺しては駄目かという事と同じ、戦争は駄目というのと同じだと思う。

何か絶対的倫理とか、神が定めたとかいう理由はない。

僕は単純に自分が差別される立場、殺される立場、戦争に巻き込まれ死ぬという事が嫌というだけの理由だと思う。

駄目では無く、嫌という事がその倫理の根本にあるのだ。

油断をすると此等をやりたがる人間がいるからそれを戒めているのだと思う。


ヘイトスピーチに関して差別はイカンという意見がある。

だがヘイトスピーチ、これは差別なのだろうか?嫌いだの、出て行けだの、死ねというのは差別なのか?単なる悪口でしかないよね、何も差別していないと思う。

何らかの権利の剥奪等を行っている訳ではないのだ、殺しても無罪とかいうのであれば差別だと思うが悪口を言っているだけなのだ、何らかの制限を加えている訳では無いのである。

強制的に国外追放をしている訳でもないしね、単に愚弄しているだけに過ぎないのである、それを差別と言えるのだろうか?

日本人に対する愚弄に対して愚弄で返す、お互い悪口を言言い合う、実に平等ではないかと思う。

むしろ日本人は悪口を返しては駄目となったら、おかしいと思う事に対して意見を言っては駄目という事になったら、それこそ言論封殺であり、差別ではないか。

ヘイトスピーチのデモを行う、そのデモが優遇されている訳で無いとしたら気分が悪いかもしれないが差別ではないのである。

ヘイトスピーチが嫌であれば抗議のデモを行うだけしかない、言論を封殺する仕組みを作る事ではないのだ。

いわれのない誹謗中傷ならば名誉毀損等で訴訟をすれば良いのである、営業妨害になっている、騒音問題になっているのらばそれで訴訟すれば良いだけ、それだけの事なのよ。

その訴訟を受け付けてくれない時に差別と言えば良いのである。

デモしている人間を追い回してみたり、つけ回してみたり、卵や電池を投げつけてみたりする事の方が余程問題だ、ヘイトスピーチをする人に対しては何をしても人間的に問題無いと考えているとしたらそれこそ差別ではないのだろうか。

守銭奴なブラック企業の社員が社長等の経営陣に対して辞めろだのとか金の亡者だのといってデモ等を行ってもヘイトスピーチってあんまり思わないでしょ。

ヘイトスピーチといっても民族的なモノが絡んでいるからおかしな感じになっているだけで単なる悪口に過ぎないのだ。

腹が立てば文句をいう、怒りを表明するそれもまた権利だと思う。
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2013年09月22日

騙された

原発の事で東電に騙された、御用学者に騙された、政府に騙されたという意見の元にそれらを安易に批判する様な歌を唄ったり、デモしたり。

でもねぇこれって本当に騙されたの?

声は小さかったかもしれないけど、反原発の声は随分前からあったのよ、ずっとそんなに安全ならば東京に作れとか言われていたのである。

地方に補助金等を出してまで作るという過程を見てきたのだ、薄々は危険性を感じていたけどそれらをスルーしてきたのだ。

確かに騙した奴が一番悪いと思うよ、でもその騙した奴も日本に住んでいるとしたら今ひとつ危険性を実感していなかったともいえる、そして未だに安全だと思い日本にいるとしたら、それって本当に騙していたのか?

騙されたと叫んでいる限り何度でも同じ間違いをすると思う、自分の事を反省しな限り同じ間違いをするよ、自分達が色々みなかった、安さという所に惹かれた部分、日本の技術力神話を信じすぎといった油断等々色々と自分にも問題があるのだ。

それをねぇ単純に人のせいにしていると同じ様にまた騙されるのだ。

いや既に騙されている可能性も高い、発送電分離や電力買い取りの胡散臭さ、新しい発電方法が安全か否かは不明なのだ、シェールガスとかにしても既にアメリカでこれが原因ではないかという地盤沈下や地下水汚染といった事も発生している。

メタンハイドレートにしても同じ様な事が起きる可能性はあるのだ、風力にしても、太陽光にしても今の所気がついていないだけで何らかの大変な事があるかもしれないのである。

原子力は騙すけど、他の発電が騙さないとは限らないのである。

信じる信じないではないのだ技術を学び吟味する事が無い限り騙されるのだ、誰かが危険性を訴えた場合その事を考えた上で選択する必要があるのだ。

反原発をデモとかで推進している感じの胡散臭さをみると旗を振る人間がいれば直ぐに思想が変わってしまうと僕は思ってしまう。

そんな事では何度でも騙されと怒るだけ、何も変わらない。

騙されたと思うのであれば、まずはその騙された自分に対する猛反省が必要なのだ。



停電が増えたり、電気料金が上がったりといった事が起きるとまた騙されたといって怒るのだ。
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2013年09月21日

気象予想

スパコンの京を使い全地球の大気の状況の模擬実験。

コンピュータの性能が上がり、より細かなグリッド、気象に与えるパラメーターの洗い出しが進めばより正確な気象予想が出来る様になるのだろう。

だがこれでかなり正確な予想が出来る様になると水不足だ、何だという事により降雨装置を使い出したりするとその事により変化をしていく事になる。

ドンドンとその気象予想は再計算される事になり、新たなる問題が起きる場所を割り出していく事になる、それで更に対策となりキリがなくなるのではないか?

またこの感じだと行楽地は雨だねという事になり其処に行く人が減り、車が減る事により微妙に気象状況が変わったりする事もあるのではないか?逆に快晴だとなれば行く人が増えこれまた気象に変化を与えたり。

そうなると天気予報等で行楽地に向かう人が多い場合、少ない場合等により変動する恐れありといった事が提示される?

大々的にある区域で打ち水が行われる事になったりとか、人が関与する事でドンドン変わるのではないだろうか

まぁ今にビッグデータ等により人の行動もシミュレートされその辺もこの大気の動きに与えるパラメーターとして使われる様になるのだろう。

最終的には地震等の情報も必要になるに違いない、火山とかが噴火すれば大幅に修正が入るだろうし、長雨等で地滑りとかが有ればこれまた大気に影響を与える筈だ。

保水能力とか色々と変化を与えるパラメーターは増えていくと思う。

またこのシュミレートが正しいという事になるとそのその状況と現実が異なる様な変化をした場合に逆算してこの辺で何かが怒ったという事もわかる様になるのだろう。



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2013年09月20日

解雇しやすい特区

何ぞこれ!?

これって奴隷OK。ブラック企業OKという事なの?

労働力の流動性こそがこれからの経済には必要という考えなのだろう、本当にそれが良い事なのか?日本より海外の方が解雇しやすい状況に思うのだけど(何らかの根拠はない、これまでのテレビ等の日本の終身雇用は遅れているとかいう報道からの印象)そんなに経済状況が良いように思えない。

移民政策とかにしても結構失敗しているよね、日本のも低賃金労働力として移民を受け入れ20年後とかには大変な事になるのだろう。

何だろう、この企業の為の国家政策。

自由に転職が出来るという事を訴えるのだろう、クビになっても次の仕事が見つかるとでも言うのだろう。

でも短期の労働しかしなければ技術の習得もそれを発展させる様な事は出来ないと思う。そして年をとった時に転職に困る事になる、技術の蓄積の無い会社は競争力も失う。

その結果人件費だけで勝負する事になるのである。

大体、日本は老舗企業等が多かったり、中小企業の技術の蓄積によって支えられていたりするのだ。

ノウハウこそが大事なのよ、短期的には大きな利益を上げる事も出来なくても、コストを払う事になってもそれが大事なのである。

その方針で今までやって来てチョイとしくじったという勘違いでそれが駄目なモノと勘違いする。長い時間での経験よりもポッと出を信用する、それもそんなに上手くいっている様に思えないモノにすがろうとする。

消費者と労働者を切り離して物事を考える愚。

社員を守らない企業に社員はついて行かない、ムチで働かされている様では情報は垂れ流しになるだろう。

いよいよ何の為に企業が存在しているのかわからなくなっている、次に国家も何の為にあるのか見失っている。

でも国家は崩壊しないだろう、国家が崩壊すれば集めたお金が紙屑になるからね、権力構造を固定化し、ホワイトカラー、ブルーカラーといった階級社会を作ろうとしているのだ。

もしかするとネトウヨというのも不満ガス抜きの為の社会実験なのかもしれない。



人が生きる、基本は自給自足。

快適に生活する為に作った経済システムにより生活が厳しくなる、システムを維持する為に労働する。 

自分達が生み出したシステムに縛られる奴隷根性、寿命は延びたかもしれないけれど縄文時代の人間より生きるのを楽しめてないかもしれない現代社会。

構造改革というのであればもっと面白可笑しく生きて行ける社会を考えなよと思う、目の前のお金に目が眩みドンドンと獣性社会になっていく。

今に技術の進歩も何もない停滞した社会が現れる、進歩の為のお金ではなく、お金の為の進歩と勘違いした結果行き詰まる。


出口無し、其処は袋小路なんです。
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2013年09月19日

江戸城

東京オリンピックに合わせて江戸城再建したいという意見。

何ですかこれ!?

これって何か違う感じがするのは僕だけだろうか?外国の人が喜ぶ様な東京にする必要があるのだろうか?(実際に喜ぶかどうかは不明)

そもそも江戸時代こそが日本なのか?丁髷こそが日本なのか?

そう思うのであれば日本男児は丁髷に着物で生活するべしとか言ったらどうなのと思ってしまうのだ。

江戸城再建というようなおかしな感性は後ゴールデン街とかを潰そうとする様になる、中途半端に隠そうとする、電柱をみてもわかる様に色々なモノがゴチャゴチャとしているのがある種日本なのだ、古いのも新しいモノもある、小ぎれいも小汚いないも渦巻く坩堝の様な街が東京の味わいだと僕は思う。

それを何かデザインされた味気のない街にするの?

それも其処に住む人の事を考えずに観光客の為の街にする?更にその観光客が求めている街像も嘘臭いエキゾチシズムにしてどうするのよと思う。

人の生活で日々変わっていく街の姿こそが東京だ。

おもてなしの心!?

作られた人々ではなく、日々の生活を快適にしていく為に積み重ねていくマナー、道徳心こそが日本のおもてなしになるべきなのよ。

それは英語の看板を用意するとかではないし、江戸城を再建する事ではないのだ。

オタクの人が磨き上げた秋葉原、コギャル等が作り上げた渋谷、サラリーマンとヤクザがせめぎ合いをして出来た新宿といった時間が築きあげた街こそが大事なのよ。

犯罪だの治安だのという部分に手を入れるのは観光客の為にではなく其処に住む人利用する人の為で有るべきなのだ。

文化って変わったり、変わらなかったりを其処に住む人々が選択していくモノなのよ、無理に残すモノでも捨て去るモノでもないのだ。

焼け落ちてそのまま城の跡というのも歴史の1ページなのだ、油断すればなくなるというのがあるから大事にするのだ、何度でも再建して元通りとかでは味わいはない。
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2013年09月18日

暴動・オブ・ザ・デッド

暴動というかゾンビを家に置いている家は出ていけという町内の人の抗議が行われる映画。

ゾンビ感染が起きそれを取材、インタビュー形式の映画なのだけどその作りが中途半端な為に実にチグハグでツマラナイ映画に仕上がっている。

果てしなく退屈で面白くない時間が続く。

兎に角話の流れが良くわからないし、最期まで観ると誰が編集したモノなのかも良くわからない状態だ。

まぁそれは良いとしよう(良く無いけどね)この映画の世界の人々の行動が良くわからないのだ、いやこんな大変な事が起きているのに警察も軍隊も、医療機関も何をしているのか?

本来だったらゾンビ感染が起き、それを封じ込める為に街が封鎖され、ゾンビの恐怖と封鎖されたストレスで街から出せと暴動起きるの様なモノになるのではないか?

政治家とか企業のトップとかは特権的に脱出とかしていて怒りが爆発する様なモノではないのか?

怒りに我を忘れ、ゾンビも暴動を起こす人間も同じ様なモノといった視点が欲しかったと思う、思考停止した人間が集団で暴れる、破壊活動を起こすといった状況って現実にあるでしょ、その怒りはドンドンと感染するするでしょ、日常にゾンビは潜んでいるよといった視点があってこそモキュメンタリーとして面白みが出るのではないのかと思う。

低予算をアイデアで何とかしようという感じ漂って来ない、安易としか思えない、志を感じられない映画でした。
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2013年09月17日

テレビの呪縛

あまちゃんが視聴率27パーセント、半沢直樹が35.9パーセントだの景気の良い話とフジテレビの視聴率がガタガタだの、ダウンタウンの番組が軒並み終了だの、後番組がまたダウンタウンだといったテレビの視聴率に関する芸能ニュース。

これらがニュースになる限りテレビっ子の呪縛からはまだまだ抜け出してはいないという事。

本当にテレビから卒業していたらこれらって話題にならない、ネット等でテレビの話題が有る限り思考はまだテレビに囚われているのだ。

視聴率が減ったといってもテレビでの発言等を話題にしてチョイと盛り上がる、報道しないニュースの事に怒る、これってまだまだテレビを何か凄いモノとして捉えているのである。

テレビっ子の僕ととしては逆にネットって他のメディアと比べそんなに面白い?と思ってしまう。

ネットがつまらないという事ではないよ、本読んだり、テレビ観たり、音楽聴いたりする事と比べそれらを凌駕する程という気が僕はしないのである。

新聞とか雑誌、週刊誌をラーメン屋(拘りの店とかではなく昔ながらの)とかでザッと斜め読みしている感じでなのだ。

何か面白記事が有ったりすればホホーッとなる程度のモノである。

まぁ記事に対する観客の声や色々な解説等がついている分だけ臨場感というのはあるが、観客の声がウザいと思う事もある微妙なモノなのだ。

これと同じ様な感覚を25年程前にも僕は味わった、インディーズこそが音楽だ、メジャーは金儲けの腐った商品だ、自分達で音楽を作り発表する事が良いのだといった感じがネットとテレビの関係にある様な気がするのだ。

結局はインディーズもメジャーも良いモノもあれば悪いモノもある、メジャーで発表出来ないからといってそれが斬新で良いモノとは限らないのだ、大体はただの自己満足に過ぎない様なモノが大半である、単に商品レベルに達していないからメジャーで出せないというだけというのが大半だったと思う。

単なるプチ人気者になる為のモノ、心の隙間を埋める為のモノに成り下がれば無意味なモノになり、単なる通販と食事する場所を探すだけのモノ成り下がるのである。

今、嫌悪している愚かなメディアとしてのテレビと同じモノに成り下がりますよ。

僕はテレビもネットもあんまり何も考えずに垂れ流しで眺めるのが好きなのよ、なんかそれで知らない事、違う視点があれば十分楽しめるのだ。
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2013年09月16日

刺青

マオリ族の人の刺青で入浴拒否問題。

異文化に理解を求めろという安易な意見も出る始末、そんな安易な解決法をしたらズルズルとおかしな事になる。

この人はマオリ族です、この人はマオリ族ではありませんという理由で刺青をOKとNGにしたとしたらそれこそ人種差別的になるのではないか?

それを防ぐ為に外国人の刺青はOKとしたらイチイチパスポートを見るのだろうか?そうすると日本国籍を持つマオリ族の人は駄目という事にならないか?

それは面倒だという事で刺青を全てOKという事にするとこれまた色々と問題が出てくる、現時点で禁止にしている理由たる問題を無視する事になる。

サウナで刺青モノの人に声をかけられ怖い思いをした事もあるし、銭湯で刺青モノの爺さんといい感じの話せた事もあるので一概に刺青は全て問題だという感じはしない。

だが其処は店の経営者等が自分の店の顧客等を考えて判断する所だと思う、外野の人間が安易に文化理解を求めろというのはあまりに傲慢ではないだろうか。

自分の営業する店舗等がそれにより被害を被った場合にそんな事をいえるのだろうか?

そしてこれは店舗の問題ではない、日本の文化の問題なのだ、店舗だけが対策をすれば良いというモノではないのだ、一時的にはそれでも良いかもしれないが、客の心理まではそうそう変わらないのだ、あの店舗には刺青の客が多いとなればそれを嫌がる客が出るのだ、それを店舗側は1人1人説得するのだろうか?アレは文化ですよ説得するのか?

しかしそうそう割り切れないのが人間だと思う。

日本には郷に入っては郷に従えという考えがあるのでは無いのか?それなのに違う文化が来たらそれによりドンドンと考えを変えてくとしたら何処の属国かと思ってしまうのだ。

店によりドレスコードがあるのもおかしいという事になるし、今に外国人が日本の学校に通う時に国語を教える事は駄目だの、日本視点での教育は駄目だと言いだす事になるのだ、道徳教育にしてもその道徳の考えが違う国の人に教えるのも駄目だという事になるだろう、きっと別教室でその児童の国の道徳を教える用意をしろ言いだすのだ。

1人1人が人間として独立する、それぞれが学び差別等を無くせとでもいうのだろう、そして地球市民になれとでもいうのだろう。

それこそが未来の日本なのだ。

でもそれってあくまで個であり時間という縦軸も地域という横軸もなくした、今と自分しかないペラいモノです。

単なる嫌われたくないという理由だけで安易に相手を受け入れる、其処には尊敬も何も無い、単なる恐れだけしかない自己愛の変形したモノでしかない。

じっくりとどうするべきかを考え、相手と衝突する事を恐れずに自分達の文化はこうだ相手に訴える事も大事なのである。文句をいわれるから認めるという安易さは問題を先送りにするだけで何の解決ももたらさない。

一度でも中途半端に認めたりすれば他の問題が生じた時にも認めないと駄目になり雪崩式におかしな事になるのだ。
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2013年09月15日

意味の無い会話

日常的にされている殆どの会話には意味が無い、結構その場の思いつき、その場に雰囲気ではなたれているだけのただの言葉である。

しかしこれが映画や小説といった物語の中では基本的に何らかの意味を持った会話をする事になる、ストーリーにあまり関係無い、意味の無い会話は登場人物のキャラクターを表す為に使われる事は有るけどね。

ストーリーが進むとその無意味な会話はドンドンと減りひたすら状況説明やその時の感情を表す事会話になってしまう、徐々にノイズが減るのだ。

確かに肝心な内容を伝えたければ余計な会話内容は時間を無駄に消費するし、テンポを悪くすると思う。

でも人生で使われる会話の事を考えると、膨大な意味の無い会話の中から自分にとって意味の有る内容をサルベージしたり、これには意味があると勘違いしてみたり、言葉にビビッと衝撃を受けたりしているのがリアルなのだ。

大体劇的な会話をリアルでする事って殆どないと思う、いや第三者から観たら凄い内容の会話という事はあるけど当人達は実は其処まで思っていないという感じだろう。

みんな大好き幕末維新での物語に出てくる人々の会話にしても、志は高かったとしても大半はくだらない会話をしていたと思う。日本を変えるぞと意気込んでいても話は脱線したり、頓珍漢な会話で噛み合っていなかったりと膨大なノイズを発していたと思う、その中から意味のある会話を、内容の有る会話を拾い上げた結果だと思う。

色々とくだらない会話等を費やして信頼関係だの知識量を計ったりしていたと思うのである。

2ちゃんねるの政治板とか会話されているような感じや、居酒屋で繰り広げられる政治談義混じりの馬鹿会話みたいなドラマを観てみたいものである。

一見無駄な会話の積み上げで社会は進んで行くのだ、きっと歴史の転換になった中にはこの無駄な会話の中にあったチョイとムカつく言い口とかが小骨の様に引っかかり上手くいかなかった事とかも有るのではないだろうか。

人を嫌いになるのなんかチョイとした切っ掛けがあれば十分なのだ、利益と嫌悪を天秤にかけて理知的に行動出来ると思うのは間違いだ。

中途半端なプライドで世の中グチャグチャなのよ。

政党の派閥等にしても政治理念という訳ではなく、その派閥で自分の権力が振るえるか否かだったり、あの派閥にはムカつく奴がいるといったしょうも無い事で別れていたりするモノなのだ、その人間関係をおかしくするのは日常的に繰り返される会話の端々だったりするのである。

権力欲があるという事は過剰にプライドが高いという事なのだ。

意味のある議論では理屈で割り切れる可能性はあるが、日常会話の端々にある価値観の違い、センスの違いは結構ムカつくのである。

わかりやすい決裂ではなく日常に潜む決裂、それにより歴史が動き社会が動いている。

意味の無い会話にこそ感情や内面が発露するのである。
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2013年09月14日

ゾンビ革命・フアン・オブ・ザ・デッド

キューバを舞台にした呑気な感じするゾンビ映画。

ショーン・オブ・ザ・デッドをキューバでやったらという感じでこの二つの作品を見比べると文化比較が出来て良いかも。

色々な制約とかから吹っ切れているキューバの人々の大らかさとどことなく感じる諦めにも似た影が実にいいコントラストを出している。

三歩歩いたら全てを忘れる感じが実に小気味良いのである。

主人公のオッサン具合も実にいい感じなのよ、何だろうこの普通のおじさん感、でも生きる逞しさは濃厚な感じ、微妙に過去の自分の栄光に逃げ場を作っている感じもするけど現在がそうつまらないモノでもない、そこそこ楽しんでいる、アメリカに行き資本主義の奴隷になるのは嫌だといいつつ、上手くやって銭儲けしようという俗っぽさもある。

娘とは微妙にギスギス関係だけど、隣の人妻とはいい感じの雄度合い。でもあんまり強く愛しているという訳ではない、タダの肉体関係という感じのドライ感。

色々な人間関係が濃密なのか軽いのわからない、でもそれがチグハグ感になっていない感じが上手いと思う、全てこうなったモノはしょうが無い、人生って色々と辛い事は有るけど受け入れて前に進むしかないよねという人生に達観している感じが描けているからだと思う。

キューバの人ってそんな感じなのか?社会主義の閉塞感が凄いのか?それともぬるま湯的プチ楽園なのか?

ある種時間の止まった様な世界なのかもしれない。

もしかするとその中でゾンビ騒ぎがあり大変な事になった事が実は嬉しいのかもしれない、停滞した日常に風穴が開いた事により、生きている実感を感じているのではないだろうか。

人妻とのベッドインでは味わえない生の喜びが男を強くする、でも最期にチョイと臆病になりキューバからの脱出を拒む、その感じが実にもの悲しくていい感じです。
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2013年09月13日

新しい事

人は何かと新しい事をありがたがる、何かと新しい事をしようとする。

僕も新しもの好きだし、新しいゲームを作りたいと日々妄想している。

一見新しい事をするというのは難しい事の様に思われていたりするが、新しい事をするのは実は簡単なので有る、それがモノになり、新しい仕組みとして支持を得られるのが難しいだけで新しい事をやるのは難しくはないのだ。

人は何故新しい事をするのかというと比較対象がないから一番がとりやすいからである。低レベルな競争だったとしてもその自己満足に逃げ込む事が出来るからである。

著作権だの人まねだの個性といった表の理由ではないのだ。

ただ単に逃げているのである。

音楽も絵も現時点で傑作として評価されているモノを更に追求し究極までその作品を高めるといったら実に大変な茨の道なのである。

究極の逸品を作り出す労力たるや常人では中々無理なのである、其処から逃げる為に新しいモノに飛びつくのだ。

傑作と戦う事から逃げ出しているのである、まぁ逃げ出したくなるよね。

政治とかで新しい事をやりたがるのも同じ、ある程度完成された仕組みの細かい調整をしていく地道な作業を止めて新しい仕組みに飛びついた方が変化がわかりやすいし、人にアピールしやすいからである。

究極の民主主義、究極の共産主義、どちらも極めて理想通りのパフォーマンスが発揮されればどちらもいい感じになるのではないかと思うけど、細かい修正、問題点の抽出といった事が途轍もなく大変な為にこれまたガラガラポンで新しい事しだすのである。

また細かいバランス調整をして世の中の仕組みをよくしても歴史に名前は残らないし、社会情勢に合わせひたすら細かい作業をやるのは根気のいる仕事なのだ。

なんか新しい事をして自慢したいという青年の主張が世の中を混乱させているのである。
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2013年09月12日

よくよく考えると

激動の時代とか、変革の時とか、歴史が変わる時に立ち会っているのかもしれないとか言うけど、よくよく考えると常に変化しているし、それなりに色々な一見大きそうな問題って割と起きているのではないのかという気がするのですよ。

この激動の時代等々といった言葉の数々は実は願望を口に出しているだけではないのか?常に変化は有る、だがそれは普通の事、変化とは認められないという事なのだろ。

だが世の中チョイとずつ変わり続けていくだけで大変化なんか実はこれっぽちもないというのが現実なのだと思う。

それだと変化がわかり難く、ついつい願望を叫んでしまうのだ、心は変革に立ち会っていたいのだ。

渋谷とか新宿とか僕が此方に出てきてから大幅に変わった感じがするけど日常的に其処を利用していれば実はあんまり変わった気がしないとか言いだしそうだし、建物等が変わっただけで何か社会に変革を与える程の変化なんか起きていないという感じもする。

爆撃等で強大なクレーターが出来たとか、地震で新宿区が周りの土地から分断されたとか言えば激動という感じもするけど、社会的にはあんまり変わっていないというのが実情だろう。

311の地震で何か変わったか?確かに原発だの復興だのと多少意識が変わった瞬間はあるかもしれないが結局は被災地にでも住んでいなければそれまでの日常が戻っているのではないだろうか?復興が進めば徐々に被災地にも日常が戻り、復興して20年もすれば地震の事なんか忘れてしまい、危機感等は薄れそれまでの日常が戻って来ると思う。

意識の変化があったのは一時的だったとその時の人々は考える事すらないだろう、同じ様な災害が起きた時だけに平和ボケで忘れていたと認識するだけだと思う。

丁度良い刺激の変革をちょっとの間だけ楽しめれば良いと思う潜在意識が今は変革の時と思い込もうとしているのだ。チョイとだけ刺激が欲しいのだ。

でも脆弱な精神性では強力な変革についていけないし、其処まで刺激なんか求めていない、十分に楽しんだろ元に戻そうとするのである。

まぁ微々たる変化の分だけ日常は変わっているのだけどね、変わっていない様に思えても変化しているのだけどね、過去を懐かしむ程度には変化しているのだ、いや社会が変化しなくても自分が変化するからね、精神的、知能的に変化がなくても肉体の老化の分だけ社会との関わり方が変わっているのだけどね

本当の意味では変わり映えのしない日常といっても変化はしているから、そのおかげで実はそうそう飽きないのである。
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2013年09月11日

コロンビアーナ

三流女殺し屋が築く死体の山の復讐劇。

実に何も無い映画です、何処まで行っても普通、何処かで観た感の既視感にひたすら襲われる。なんだろうもう逃走劇で屋根から屋根に飛び移っていく感じといったパルクール的なモノはチョイと飽きています。そろそろ何か新しい逃走が必要だと思います。

兎に角主人公は迂闊です、おじさんに学校で色々と学べといわれてましたがきっとあんまり真面目に勉強しなかったのでしょう、真面目に勉強していたらあの結末は予想出来た思います。

勉強はそこそこ出来るけど馬鹿という感じです、何かと自信過剰で、全体がみえていない感じです。

まぁ復讐の鬼なのですから視野が狭くなっているのは仕方のない事かもしれませんが実に駄目な人です。

いやこの映画に出てくる登場人物全て何かとヌケている感じがします、リアルなのかもしれないけれどそのせいで緊張感がイマイチです。

留置所での暗殺にしても何だろうこの変なだんどりという感じがします、もう少し効率の良い侵入の仕方があるのではないかと思う事間違いなしです。

しかし映画、実に難しいです、そこそこ映画だとそのジャンルの映画を初めて見る場合には面白く観る事が出来るのですが色々な似た様な作品を観た後だと普通と思ってしまいます。

何処をとっても普通というのは本当はそう悪いモノでは無い筈なのにそれまでに過ごした時間がイマイチに思わせてしまうのだ。出来が悪くてもヘンテコ感や尖った部分が有った方が良いモノの様に思えてしまうこのジレンマ。

まぁそんな出鱈目な映画ばかりを観ていると普通の映画を観るとホッとするというのもあるけどね。
posted by mouth_of_madness at 19:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする