2013年10月31日

プラズマ

大槻教授のいう所のUFOとか火の玉の事ではなくパナソニックのテレビの方のプラズマ。

技術者大量解雇とかの記事を読むと本とかで読んでいた松下幸之助の経営イズムなんかもうパナソニックには無いのねという感じが実に残念。

プラズマテレビはもう駄目かもしれないだからといって社員を技術者をポイするのはどうなの?其処まで技術者が経営を傾けたというのだろうか?どちらかと言うと経営陣が悪いのでは無いのか?その責任を技術者にとらせるのか?

何か間違っているし、社会が壊れていく感じがする。

上が責任をとらない、みずほにしても責任とったといってもまだまだ給料トンデモないしという感じをみてもわかるし、ブラック企業の経営者も自分の能力、自分の仕事を過大評価しすぎの感じをみても自己批判、自己認識が出来ない感じが恐ろしい。

何処まで自分が世界を、社会を支えていると勘違いするのだろうか?

政治にしても、経営にしてもオレがいなければ社会は動かないという人なんか皆無ですよ、天才と思い込んでいても凡人ですよ、偶々人と発想がチョイと違うだけ。

もしかするとタイミングが良かっただけかもよ。

モノ凄い発想があっても時代追いついていなければその発想は実現出来ないのだ。

ギリギリ実現出来たとしてもテクノロジーとかがヘボ過ぎれば使い難いと一蹴される可能性もあるのだ。

流れを読む才能があったのだというかもしれないけどね。

今の社会って人から集めたお金で宝くじを買い当たったら賞金は親の総取りみたいなモノかもしれないね。

会社もある所まででかくなると銀行も国家もそれが破綻する事を恐れつぶせなくなる所をみても社会は理不尽。

油断するとすぐ弱肉強食になるこの世界、其処を足掻こうとするからストレスが溜まる、始めから弱肉強食、油断も隙も無い状態と理解していればそれは軽減される。

既に選択をミスれば駄目というこの緊張感ある世界を人は選んでしまったのだ。
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2013年10月30日

革マル

革マル系女子学生逮捕というニュースをみて衝撃を受けた。

脈々と続いていたのかとしみじみ思う始末、前に沖縄に行った時にデモをやっていた学生運動をみても思ったがなんだろうこの時空を超越した感。

先日もピースボートで麻薬密輸とか、反原発運動の気持ち悪さとかをみても何か違和感があるし、日本の歴史の流れの中に埋もれた薄ら闇みたいな感じに恐怖を感じるのだ。

二十歳で偽名を使って沖縄に行こうとする、なんだこりゃ?である。犯罪する気満々な感じが実に怖い。

単にデモするだけだったら偽名なんかいらない筈だ、それとも誰かから逃げる為?国家権力?

まだ大学とかに革マル派に引き込む為の勧誘機関があるの?それとも街を歩いていたり、何かのデモ活動に参加すると勧誘され思想指導されるのか?

それとも親子2代に渡る流れなのか?

今の革マル派は何を目指し、どの様な世界を作ろうと考えているのか?

隠れていたモノが表に出だした、在特会のデモとか、シバキ隊も今まで隠れていたモノの露出である、色々な虚飾により隠されていた社会の澱が浮き上がってきているのではないだろうか?

多分メディア等が必死に隠してきたモノがネットで色々な所に穴が開いたのだ、ネットが良いというより、人間のウッカリを増長さえるモノなのだと思う。

ある意味アップルが考えていたコンピュータをLSD(真偽の程はわからない)代わりにしょうという考えからするとネットでラリって調子よくなってボロボロと迂闊な事を喋ってしまう状態になるのではないか?

それが社会に変な穴を開けているのである。

人間の阿呆な部分を暴走さえる事により社会に穴が開く、実は世の中糞みたい奴らが偽善で塗り固め維持されていたのが壊れつつあるのだ。

実に面白い。

墓場から色々なモノが起き上がる、ゾンビみたいにね、頭を潰さなければ駄目、そうしないとドンドンとゾンビは仲間を増やしていくのだ。

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2013年10月29日

身も蓋もない

陸上の為末大の発言、アスリート向きの体に生まれたかどうかが99%重要なことにという発言で炎上。

身も蓋もないが真実であると思うけど、アスリート向きか不向きかが理解出来るのが何時かという問題がある。

まぁ厳密に調べれば生まれて直ぐにわかる様な気もするけどね。

しかし此所で問題がある、才能があっても好きか否かという問題だ、才能有るけど嫌いな事を続ける事と、才能無いけど好きな事を続ける事はどちらが幸せだろうか?

全ての事が才能で仕分けされていけば効率という意味では最適化されるかもしれないけれどそれで良いのかという気がするのよ。

才能でいけば僕はないですけど、絵が好きで何とかそれでご飯を食べる位までは何とかなっています。

何度も絶望する事にはなるけどね。

やる事に意義がある?努力は報われる?

いやそんな事は無いそれは単なる自己満足に過ぎないし、努力が報われると言って上げるのは甘えを生むだけだ。

世の中は身も蓋もないのだ、モノ凄い才能があったとしても世の中に必要とされていない才能であればその人はその才能を生かすこと無く死んでいく事になるのだ。

いま陸上の才能がモノ凄かったとしてもそれで食べる事が出来ない様な社会ならばその才能を生かそうとは思わないだろう、全く才能が無かったとしても食べる事が可能な仕事をするのではないだろうか。

なんか段々何を言いたいのわからなくなってきたけどね。

兎に角、世の中理不尽ですよ、でも楽しんだモノ勝ちという面もあるから才能が無くても楽しみなさい、食えない可能性は非常に高いけどね。

評価される事を期待しなければ良いのだから。
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2013年10月28日

Z−108 ゾンビ包囲網

台湾のゾンビ映画。

頑張っているとは思う、色々とパッションは感じるのだけどそれが微妙に空回りして良くわからない映画に仕上がっている。

サービス精神が強すぎて明後日の方向にいってしまっているのだ。

猟奇殺人鬼の二枚重ねにバイオハザード的変形怪人、ヤクザとの抗争とてんこ盛り過ぎて肝心のゾンビが今ひとつ盛り上がらないのである。

かといってその猟奇殺人鬼ネタが面白いかというとなんか微妙な感じという状態。

ゾンビというシチュエーションを利用して描きたいネタというのが欠けているのだと思う、ゾンビを描く事で満足しているのだと思う。

オレならばこうするねという部分が感じられないのがこの映画に足りない部分だ。

概ねは山程作られている脱力系ゾンビ映画に比べれば良いと思うし、退屈度合いも少ないと思うけどね。

サービスしようという気概は感じられるからね。

冷たい水が欲しいと思っている時にトマトジュースとチョコレート、牡蠣フライを出されて戸惑う感じかね、良くわらん喩えになっている感じもするけど。
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2013年10月27日

ストリッパー・ゾンビランド

「ゾンビランド」のパロディ的作品、流れが割とまんま。

端々のテンポの悪さが眠気を誘う。またゾンビ化したストリッパー達がリアルなのかもしれないけれど全体的に肉感的と言うより太ましい感じが実に観ていて暑苦しい。

エロというよりなんか別のモノである。

またそれなりにゴア描写やスプラッターなシーンはあるのだがカメラアングルとかが良く無い為に怠く感じてしまう、予算が無いのならば全体の尺を短くして退屈しない様にするべきだと思う。

まぁ最期のオチはチョイと良かったけどね。

パロディとしてはイマイチだし、エロも物足りない、中途半端なのが駄目という見本の様な作品、もともとネタ作品的な感じの「ゾンビランド」を更にパロディにしたのかもよくわからないのが問題だと思う。

そしてゾンビをストリッパーにしたひとネタだけで最期まで持たそうというのがそもそも間違いだと思う。

成る程という様な小ネタをドンドン差し込むべきである、お金が好き、ヒップホップが好き程度では物足りないし、女性がストリッパーに変化する過程もちゃんと見せるべきだと思う、それらのネタの積み重ねが無いからパロディの意味も無ければストリッパーに変えた意味も感じられない状態なのだ。

だから今ひとつ面白くならない。
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2013年10月26日

大きい事は良い事なのか?

アマゾンが10年でリアルショップを無くす、といった記事。

メガバンクとかドンドンと大きくなっていくイオンとかをみると巨大化はある種の潮流、小さいと買収されるとかスケールメリットが出ないといった事情もわかるし、スケールメリットは消費者にもいい事だとは思う。

でもなんだろうこの嫌感。

このプチグローバル化な感じが実に気持ちが悪い、画一化していく感じが実に気持ちが悪い。

地元の変な店、地元のチェーン店といった微妙な感じが良いと思うのはあまりにもセンチメンタル過ぎるだろうか?

テレビ番組にしてもローカル局独自の番組の味わいというモノが無くなり日本全国、いや全世界が同じ番組を観る様になったらと思うと気持ちが悪い感じがしないだろうか?

効率よくするために文化汚染を繰り返していくとか実にマズイ感じがするのは僕だけか?

効率化、低価格に邁進する挙げ句何処も同じ様な感じになってしまうのだ。

また今は低価格だったりするが小売業を全支配した時に果たしてその状態を維持するかはわからない。

此所しか販売している所が無いとなれば価格は自由に設定出来るのだ、高騰しても逆らえないのである。また販売する商品の選択にしても一手に支配されてしまえば製造メーカーの自由度は大幅に奪われてしまう可能性も高い。

高くなれば新しい所が出てくる?

そんなに甘くは無いと思う、超巨大な流通網を持つ企業に戦いを挑む事の大変さは生半可ではないのだ。ライバルが出てくる度にチキンレースを吹っ掛け、踏み潰せば良いのである。一時的に安くはなるだろうだがその度に屍累々状態になるのである。

一つの企業等が流通を支配するという事は、ある種の国家権力様なモノになのだ。生活に必要なモノが一社独占となれば政府以上に人を支配している感じになる、今も経団連等の影響がそれなり有ったりする状況を考える更に恐ろしい事になるのは予想出来る事だ。

多様性は奪われ、ある種の企業支配によるファシズム世界が生まれるのである。

そしてそのコントロールをしくじれば大惨事が待っているのだ、競争がなく色々な方策が無くなった時点で思考は固着化し発展も改善も止まる。

危機回避の為のプランBを準備している所が無くなるのである。


大きい状態で痒い所に本当に手が届くのだろうか?大体届いているからそれで我慢してという状態に慣れるのだろう。
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2013年10月25日

和食

和食がユネスコの無形文化財の事前審査を通過。

其処でふと思う、和食って一体何よ?

いやそもそもフランス料理とかイタリア料理、中華料理、インド料理というのも厳密には良くわからない。

それぞれの料理にもその国の地方により色々と変化は有るし、何処かの料理に変化系というのも無数にあるのだ。

日本といえばかっては外国人旅行客に受けていた天麩羅にしても和食というにはどうにも微妙だし、寿司にしても関東と関西で違ったりするのだ。

また天津飯にしても実際の中華料理とは違うし、ラーメンにしてもドンドンと変化しているし、これまた地方により様々な変化をしている状況だ。

フランス料理とかにしても中華料理的技法や和食的技法等が混じり合い現在も変化している。

何処の時間軸で切り取るのか?何処の空間軸で切り取るのかで様々な結果を導き出せるのである。

江戸時代から食べられている料理は和食なのか?大正時代からは駄目なのか?

元ネタは有るにしてもカツ丼とかは和食ではないのか?

醤油にしても別に日本だけではないし、味噌とかにしてもそうである。

様々な文化交流等で十分に混じり合っているし、食材等で独自進化もしているのが現在の食で有る。

そしてこれからも変化していくのだ、何をもって食文化なのか僕にはよくわからない。


何をもって和食とするのか?

評価されているモノが良くわからない奇妙な感じが実に気持ちが悪いのである、これで調子にのり喜んでいるとしたら実に危険では無いだろうか。
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2013年10月24日

ほこ×たて

ヤラセで放送自粛。

色々な杜撰が生み出した結果なのだろう。

当初の対戦プランの甘さ、事後の口止めだの、編集の甘さといった色々な事がマヌケだったという事なのだろう。

バラエティにヤラセは必要だの、プロレスを観て誰も真剣勝負だと思わないだのと擁護する人もいる、テレビで何真剣にクレームをつけているの大人気ないとかいう意見。

そこでふと思う。

テレビなんか観ないぜ、といってテレビ離れだと言われている状況でこの反応、実に不自然な感じがする、半沢直樹の視聴率、あまちゃんの話題感と同じ位に不可思議な感じがする。

結構みんなテレビ好きなんじゃ無いの?笑っていいともの終了もニュースになるしね。

それにしても今回の放送自粛までの局の反応が実に早かった、こう早いと更に別のヤラセが続出する恐れがあったのかもと勘ぐってしまう。

まぁ実際はこれはチャンス、最近ネタ不足になっていたから止めるなら今だというのかもしれないけどね。


何処までがヤラセでどこからが演出か?その線引きは実に難しいよね。

この番組の場合真剣勝負感が面白いので其処にヤラセが有ったとなるともう楽しめなくなるから仕方なしだよね。

でも今回の件で他の対戦も同じ様に演出やヤラセがあったのでは無いかと思うと本当の勝敗はどうなのと思ってしまう。

簡単に勝てるのにラスト一分まで接戦演出でとかだと思いだすと本当の実力はどうだったの?嫌な妄想がわき企業同士の戦いとかででていた商品の性能すら怪しく思えてくるのが実に残念で有る。

まぁ後は最強のクレイマーVSテレビ局のほこたて対決をする位のユーモアがあればと思ってしまう位か。
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2013年10月23日

R100

話題のガラガラ映画、僕も映画館を客3人で観てきました、最期までいたのは僕1人という贅沢感。

ツマラナイという話ですが、此所まで客が入っていない状態でツマラナイの声が意外と多い感じがする事に違和感。

観ていないけどツマラナイと言っている人もいるのでは無いだろうか?また観た人も面白い訳無い、腐してやろうという心持ちで観て、世の中(主にネット上)に蔓延る腐しポイントを確認しに行っているのではないかとすら思えてしまう。

一体映画の基礎って何?まぁ松本人志の映画を壊すというのも同じ様にわからないけどね。

これが映画だというのはそれぞれの心の中で勝手に定義したモノであって決まったルールは無いと思うのだ。

起承転結が有るのが基本なのか?伏線だのを全部回収する、観た後に殆どの疑問は解決しスッキリするのが正しいのか?

突き詰めれば映像が有るか否か位しか基礎に成るモノは無いのではないか?

ピカソのネタと基礎と言っていればなんか正論をいっている様な錯覚感が実に気持ち悪い。

そしてこの映画は其処を風刺している様な気がする、最期の途方に暮れる常識人がそれだと思う、理解出来るか否かが良いか悪いかという解釈に繋がる。

理解出来ない事の言語化の無意味性?

僕はこの映画を観てもう一つの「しんぼる」ではないのかと思った。人生いつトンデモ無い事が起きるのかわからない、其処から抜け出すには死ぬ事位しか無い現実。

大体辛い事ばかりの人生、人って結構Mなのではないか?

ドンドン辛い事は起きているのだけど其処に幸せを見出しながら生きて行く、そして力を手に入れそれらに対抗、抵抗していくのだがそれでも更に大きな力に翻弄され生きていく。

そしてその大きな力すら受け入れて次の世代を残して行くのが人間社会なのだ。

それを理解出来るのは100歳を越えた者だけという皮肉感。

実に面白い。





このブログはステマでも関係者でもありません。
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2013年10月22日

アウトレイジ・ビヨンド

北野武のヤクザ映画の続編。

死んだと思っていた大友が生きていた!!そうすると前作の感想の一部が僕の勘違いだった感、観る目が無かった事が露呈している事になってしまった。

まぁどうでもいい事だけど。

今回もひたすら暴力の連鎖なのだけど、前作に比べその暴力が単調なモノになっている、それになんかあんまり怒っていない、とりあえず人を無機的に殺していくだけ。

まぁその部分に狂気が内包してはいるとは思うのだけどビシッと来ないのである、いいように操られるという部分、其処に感情はないという部分に人間の狂気があるのだと思う。

上からの命令で動くという人間では無い何か?

感情有る者はそのエゴを迸らせながら動くが、大きな流れの前には為す術無く巻き込まれていくという事なのだろう。

この映画の大友は色々なモノを諦めている抜け殻の様な存在である。

最期にその流れに一撃を加えるのだが、多分動き出した流れは止まること無く死に向かうのだと思う。

そして思った、この傍観者を決め込みながら、上から目線で事態を動かす片岡、これって好き勝手な事をいうテレビ等の視聴者なのではないか?

色々規制や、面白だのつまらないだのと口出ししおかしな状況にしていく身勝手な視聴者の事を皮肉っているのではないか?客に対する怒りを最期にぶつけたのではないか?

ビートたけしの憤りを芸人の憤りを北野武が爆発させた映画ではないのかと思いました。

肝心の映画ですがイマイチ、イマニです。
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2013年10月21日

またしても姥捨て山

チョイと老人、高齢者向けの国からの支援が厳しくなると沸き上がる姥捨て山論争。

不平不満をいう老人文句の言い過ぎだと思う、大体今のおかしな政治状況って今の年寄り達が作ったのではないのか?いや確かに生活を良くするためにガムシャラに働き政治に興味が無かったのかもしれないけれど、今の世の中を作った責任を少しは感じろと思う。

国の借金を作ったの自分達だよね?

自分の子供が自分の老後の面倒をみていくれないのは家庭教育のミスだったりではないのか?

それとも置いた自分の面倒で家族には負担をかけたくない、よその人に負担をかけてやるという我が侭なのか?

個人の生活を重視するあまりに色々なモノをバラバラにし過ぎた結果が今の世の中なのだ、小さな政府と言い続けた結果老人の面倒もみなくなっただけ、税金は払いたくない面倒はみてくれはバランスがとれないのよ。

また年寄りの生活を守るために若者が苦しむのはいい事なのか?若いからバイタリティで何とかなるとでも思っているのだろうか?

それに今の投票状況から考えても年寄りの影響力は大きい筈、その選択で決まった議員等がその様に議論しているのだ、選択ミスなのだと実感するべきではないのか?

30歳以下の連中は政治に関しては殆ど責任無いと思うよ。

この老人問題を甘えるなとかいうとお前も年寄りになった時にそんな事言えるのかと反対意見が出る。

だが僕は生活出来無いのならば諦めますよ、そんな社会を作った自分の無能さを噛みしめながらね。

姥捨てされながら自分の行った来た事を後悔しなければ駄目なのだ、その責任のとり方を若い世代にみせる事でしか人生の幕引きは出来ないのだ。
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2013年10月20日

ムカデ人間2

巷では悪趣味ゲロゲロ映画といわれている映画。

確かに知能障害だのウンコだの人体破壊及び改造だのとこの手の映画が苦手な人が観ればゲロゲロ映画だと思います。

でもねぇ言われる程キチガイがではないと思うのです、なんか残酷描写をみせれば狂気だのとか甘っちょろい事言っては駄目だと僕は思います。

理由がわかるからやっている事は多少出鱈目でも狂気を感じないのです、人体破壊に関しても気持ち悪とか、痛そうと思ってもその程度のモノ。ウンコは臭そうとか思っても、世の中にはAVとかでスカトロモノとかが普通に販売されているし、レンタルもされていたりするのだ、自分には理解出来ない趣味だとしてもそれを楽しんでいる好事家達がいる事を考えればそう凄い変態ではないと思う。

これって僕がおかしいのか?

日常に狂気は転がっていてあからさまな狂気描写より気持ち悪いよ、片付け魔で、片付ける事だけが大事で使う事を考えない、片付ける事に意味があり濡れていようが汚れていようが収納してしまうといった狂気の方が僕は怖い。

プラグインの開発を頼んで欲しい機能をつけてくれといっているのに、その機能はつけたくないといって怒り出す、そして絶対にその機能をつけてくれないとかいう狂気とかもある。

仕事中に突然歌い出す狂気とか、独り言ブツブツとかね。

変な癖、性格の問題という事かもしれないが良く世の中を観察すると微妙に受け入れがたいモノがそこら中にあるのである。

まぁ自分の中の基準と違うモノで苛つかせるモノが狂気と感じるのだけどね。

映画に戻る。


映画自体は実に退屈な映画、暴力と改造というのをただ垂れ流す、前作にはまだ奇妙なユーモア感があったけど今回はそれも少なく同じ様な映像をダラダラと垂れ流すだけだから眠たくなってくる、多分食肉加工場で牛を解体している映像をだらだらと見せられているのとあまり変わらない。

その事に興味が無い限り退屈する事間違いなしである。

まぁ主人公の禿げ散らかり具合はチョイと笑えるけどね。


今更だけど、これって実際はムカデ人間ではなく人間ムカデだよね?
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2013年10月19日

タクシー

偶々何だろうけどサッカーの前園、松雪泰子の弟、ヤングジャンプの編集長がタクシーで暴行、この連発したタクシー暴行報道を観るとマスコミのやり方というのがどうにも気になってしまう。

多分これまでもこの様な事件はそれなりに有ったのだと思うけどこの連発報道で日本の治安はどうなのという不安感を与える感じがするのだ。

そう考えると保守的陰謀論的には何かオリンピックが決まった為に日本を貶め様とする組織から日本に治安の悪さ、民度の低さをアピールする為の報道では無いのかという妄想がよぎる。

いや実際は単にキレやすいだけなのだろう、でもいい大人がこんなにキレやすくて良いのか?金に困っているという感じはしないから、単に未熟な精神性という感じしかしない。

実は定期的に人は未熟になり文明を破壊するのではないか?常に会社とかでも3割とかは駄目人になるが如く、常に社会を壊そうとする人が3割生まれてくるのではないだろうか。

その3割もこれまでは社会道徳、集団的脅迫感等で抑えていたのだが個人主義が蔓延し歯止めが効かなくなっているのではないかという妄想もありではないだろうか。

ギリシャ文明やローマ文明とかをみると政治とか経済、思想とかはもっと進んでいても良さそうなのにそんなに進んでいる感じはしない、(思想、哲学とかを勉強している人から言わせれば大きな勘違いだといわれそうだけどね)科学技術等が進んだだけで人間は、人類は成長なんか殆どしてないのではないだろうか。

壊し屋の3割が暴走し、社会を停滞させる。3歩進んだモノを2歩下がる役割をしているのだ、一見すると悪い事の様に見えるがこれは自分の立ち位置をしる、石橋を叩く役割として意味があるのだと思う。

多分一人の人間の中にコントロール不可能な心理部分が3割あるのだ。

それを理解させる為にも常に世界が進むとそれが発動し人間を暴走させる仕組みとしての3割の人間システム。

あとは今の社会が人間を蝕むシステムになっている可能性。

テレビ等の劣化と同じで長い時間をかけて劣化していくとその劣化の度合いがわからないが如く日々蝕まれていくと自分が劣化した事がわからなくなるのだ。強烈なストレスで壊れるのと違うのよ。

精神の成人病みたいモノか、癌みたいなモノではないのか?それが発症して今回の様な事件になる。

今の社会システムになってからの潜伏期間満了のお知らせなのかもしれない。



とりとめの無い話。
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2013年10月18日

スポーツドラマ

テレビを観ていて思う事がある刑事ドラマ、医者ドラマ、恋愛ドラマは山程あるのにスポーツドラマって少なく無いだろうか。

全くない訳ではないがもう少しあっても良いのではないかと思うのである、漫画雑誌には結構スポーツ漫画はあるのにテレビドラマでは少ないと思う。

サッカーとか野球とかもう少しドラマになっても良いのではないか?

三ヶ月とかの単位でのドラマだとスポーツ物は難しいのか?

子供向けに仮面ライダー、戦隊ヒーローに続きかってあった柔道一直線みたいモノとかがんばれレッドビッキーズみたい作品を今復活しても良いのではないかと思うのである。

大人向けには「あぶさん」みたいな感じで野球のチョイといい話的なモノとか「愛しのバットマン」みたいな作品がドラマになっても良いと思うのだ。

それともスポーツが違っても同じ様な展開になってしまい続かないの?

それをいいだしたら刑事モノなんか事件が起きてそれを解決して終わりという展開でどれも同じ様なモノと言えるのではないか?味付けは犯人の身の上話ネタか犯行トリックぐらいの違いと刑事の個性程度でしょ。

それならばスポーツモノでも同じ様な変化は出せる筈だ。

毎日の様に殺人事件が起きて毎日解決されていく、少しは違う出来事が起き解決していくモノでも良いではないか。

犯罪から社会の歪みを描きたいのかもしれないけれどそんなに社会の歪みばかりを見せられても滅入るばかりである、犯人逮捕で事件は解決してもスッキリはしないのよ。

世の中には色々な問題が起きる、色々なジャンルを描く事でそれを提示する、だが今はスポーツモノ成分が足りないと僕は思うのだ。
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2013年10月17日

老化

仕事絡みもあって深夜アニメを僕は観たりする訳なのだが歳のせいか今ひとつピンと来る作品がない。

これだけ大量のアニメ作品が氾濫する状態、僕が高校生の時であれば寝る間を惜しんで片っ端から観て大喜びだったかもしれない。

だがこの歳になると先に書いた様にピンと来ないこと山の如しである。ちっともウッヒョーとならないのだ。

それどころか作品の区別が付かないのだ、同じ様な作品がポコポコと生み出されて感じなのだ、まぁ僕の子供の頃のマジンガーZとゲッターロボ何が違うのという感じで親とかは僕が観ていたテレビを観ていたと思う。

親から見ればそれまでのロボットアニメとガンダムの違いなんかロボットのデザインがチョイと違う程度の差異にしか思っていなかったと思う。

歳をとり感性が老化すると細かい差異の違いに刺激を受けなくなってしまうし、色々な蓄積が新しい作品を観ても過去作品の中から似たようなパターンを見つけ出し、予想をし、作品をパターンに押し込んでしまう。

ドンドンと鈍感になっていくのだ。

多分ここで錯覚が起きる、昔は良かったと。感性の反応が良かった時に強い刺激を受けた作品を過剰に良いモノと錯覚してしまうのである。

大人の感性に対して効く刺激、子供には毒な大人向けの作品があれば良いのだが中々その様な作品は少ない。

経験を充実させた上で若い感性って中々難しい、大体は若い感性では無く未熟な感性だからね。
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2013年10月16日

アパートメント:143

チョイとPOV形式風のパラノーマルホラー物。

少し真面目な感じのする「グレイヴ・エンカウンター」といった所か?

出来はそんなに悪いとは思わないのだが、何だろうこの何処かで観た感満載な感じ、お化けの正体とかの謎解き、ストレスの原因とかも実にありがちな感じがする。

まぁ大オチがあるのだからその前の謎解きはこんな感じの方が良いだろうという考えかもしれないけどどうにもシックリ来ない。いや筋道は通っているし(強引な感じはするけど)他に良い展開があるのか?といわれるかもしれないけれどね。

また最期の大オチ、見せすぎだと思う、もう少しさりげない感じで見せた方が余韻が残って良いと僕は思う。最期に驚かそうという色気や客に対するサービスかもしれないけれど逆に怖い余韻が残らないと思うのである。

あれっ!?あそこってそれじゃ説明出来ないんじゃという感じとかが気持ち悪さを残すと思うのである。

最期の方の力の暴走する感じの映像は気持ち良いので其処の部分を見る為だけに観ても損は無いと思うので気楽な感じで観るとよかよ。
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2013年10月15日

健康法

世の中には色々な健康法が生まれてまた消えて行く。

それなりに健康な人は健康を気にして様々な健康法を行う、でも元がそれなりに健康だったりするからその成果は意外とわからなかったりする。

成果がわからないから次の健康法に飛びつくし、大体が三日坊主だったりする、希に懲りすぎて偏食とかになって身体に悪影響出たりするパターンもある。

なにがしかの問題があっても40,50までそれなりに健康ですよ、健康法をやって無くても、特別な事して無くてもそれなりに人は健康に生きてます。

そう考える今それなりに健康な人は何かするより変わらぬ生活をするのが一番の健康法だと思います、何か問題がある人は中途半端な知識と自己判断で病気の原因や治療を考え健康法に頼る事の方が問題では無いだろうか?

身体がポンコツになっていくのと折り合いをつけながら生きていくのもまた健康法ですよ。調子が悪けりゃ休む、ぐうたらになる、無理にテンションを上げないのもまた健康法なのです。
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2013年10月14日

オバマケア

オバマケアのせいでアメリカの債務上限引き上げ問題が難航しているという。

この保険制度でおかしく成るアメリカってどうなのよ、確かに日本も色々と大変な面もあるが国民健康保険はなんとかかんとか切り盛りしていると思う。

そもそもこの保険で問題になる部分にアメリカの医療価格が出鱈目に高すぎるのではないか?だからこそ保険で補填する部分が高くなり無茶苦茶な事になる。

命に関わる事だから高くても当然?

それならば食品絡みももう少し高くても良いのではないか?価格を安く抑える為に補助金を出していたりするのだ、理屈からいけばその補助金を無くしそれで理にかなう価格付けをしたらどうなのか?

健康だろうが不健康だろうが腹が減るし、食わなければ死んでしまうのだ。もっと医療より優遇されて良い位だ、日々飯の事を考えなくても生活出来る様にしてくれている農業従事者等がもっと良い暮らしをしていてもバチは当たらないと思う。

後継ぎ問題になるというのは大変さと金額とのバランスがとれていないという事だと思う。

まぁ日本も医療関係者全体が儲かっている訳では無いけどね、看護師とかはハードワークで問題になったりする訳で。十分に金があれば看護師の人数増やせるだろうしね。

自由経済とかいってもねぇこれまでの経緯でおかしな価格付けされたモノがその価格が妥当という思い込みでその価格バランスが維持されている。

医療価格が安くなれば保険は無くても良いし、高すぎれば保険が無ければバンバン人死にが出るだろう。

確かに健康保険等で財政を圧迫している状況がある、だが丁度良い価格というのがコントロール出来ない為に仕方の無い事なのだと思う。

命を重視するのであれば出来うる限り医療技術を上げコストを下げる事だ、診断、手術等の機械化が進み効率よく病気が治療出来る様になればコストは落とせる筈だ。

一日に診る事が出来る人数が医師に負担をかけずに増やせれば患者単価は安く出来るのである。

入院期間も短く出来れば患者の負担も減るし、ベッドの回転率も良くなる事でこれまた患者単価は減ると思う。

まぁそうなると保険屋は大変だろうけどね。

本来予期せぬ大変な事に対しての保険では無いのか?日常的に軽い病気にはなるし、虫歯なんかは結構多い、ケガ、骨折等もする、意外と病気になるのだ、混んでる病院を見てもわかる、結構人は病院に行くのだ。

火事に遭う、事故に遭うより明らかに多い、此等に遭えばまずは病院行きだろうからね、年とれば色々と身体にガタが来るし、予期しないというレベルではないと思う。

そう考えると保険てどうなのよ?医療価格ってのがそもそもおかしいと思えて来るのである。

それぞれの人々がそれぞれの役割の仕事をする、それで世界は回っている、どれが大事とかどれが価値があるという先入観に翻弄され色々な事を見失う。

その歪みがオバマケアにより噴出している様な気がする。
posted by mouth_of_madness at 21:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月13日

幸せ

人は幸せになる為、安全を確保する為に国家とかシステムとか作って来た。科学技術にしても好奇心という実にコントロールが厄介なモノに翻弄されながらではあるが快適になる為とかに発展させてきたのだ。

だが発展させていく過程で色々なモノを見失う。

何の為に発展させて来たのを見失うのである、発展の為の発展になってしまいその先にあるべきモノを喪失してまうのだ。

その結果、発展の為の発展を維持する為に不幸になるという本末転倒。

クーラー等のエアコンで快適になったけど、その為の電気消費の増大で環境を壊す様な発電施設や燃焼によるガスや排水等により環境を壊す。

ヒートアイランド現象とかで更にエアコンが無いと駄目な環境を生み出してしまう。

本当に欲しかった快適は何だったのか?

快適な物々交換等を行う為の経済システムにしても通貨等が腐らずストック出来る事が災いして人の欲望を暴走させる事になりその結果それが色々な問題を起こす原因になっている。

そのシステムを維持する為に大量の人を犠牲にする。

汗水垂らして働いているのにご飯も食べる事が出来ない位に疲弊する。システムに生活が支配され融通の利かない社会により生け贄に差し出されてしまうのだ。

多分、幸せという漠然とした感覚でいるのが歯止めもきかないし、目的を見失う原因。

この様な状態を目指すという明確な目標を立てないから辿り着けないのだ。

誰もが幸せになりたいというだろう、ただその幸せは人によって大きく違うモノなのだ、あまりにも漠然とした幸せという定義では範囲が広すぎて混乱するのは当たり前。

好き勝手に行動し何となく影響力関係でバランスが動き、中途半端な幸せが捏造されるのだ。
posted by mouth_of_madness at 20:23| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月12日

面接入試

知識重視から人物入試に舵を切る国立大入試試験。

面接苦手な人間は大学に入れなくなると猛反発だという記事を見て思った、何が駄目なの?これまでは知識が苦手な人が落とされていたという事では無いの?今までとルールが違うから駄目という事なの?ズルイ?

いや確かに切り替わりの学生はチョイとダメージはあると思うけど、その様に変わるとなればみんな同じ様に対策をするだけでしょ、面接予備校が出来て自分の心を偽りながらも気の利いた事をいうだけだと思う。

これまでも色々な苦手のせいで落とされて来た者はいたのだ。緊張しいでペーパー試験だと実力が出せない者もいたと思うし、以前は一芸入試というのもあったのだ。

貧乏で独学で頑張っている者に関しては不利とはいわないでしょ?家の経済状況とかの不利性とかわかっているのだろうか?

何かしらの有利、不利は常にある。

大学だけではないよ、就職とかでは更に色々な有利不利がでてくるよ、就職とかでは更に面接重視だと思うよ。業種によっては見た目が良くないと駄目とか、体力的部分重視とか、色々と学力以外で選別されるよ。

一つの基準でなんか現実社会は判断されないよ、そしてハッタリでその場をやり過ごす事なんか度々あるよ。

其処でまたふと考える。

少子化で大学経営も厳しいといわれているこのご時世で其処まで狭き門なのか?むしろ面接重視という事で知識の足りない学生を合法的に大学進学させようという魂胆ではないのか?

面接で何とかなるかもという幻想抱かせ進学を推進させようという考えではないのだろうか?

何だろうこの面接政策、元々学力のある学生は気にしなくても良いような気がする。
posted by mouth_of_madness at 21:42| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする