2014年09月10日

アポロ18

アポロ計画が何故終わったか、その裏にあった理由のフェイクドキュメンタリー。

映像とか途中で出て来るソビエトの月着陸の宇宙船のデザインとかはかなりの極上なんですけど、シナリオの杜撰さがどうにもこうにも駄目なのよ。

兎に角この映像が存在する理由の部分が杜撰な為に映像スタッフが良い仕事をしても台無しになっているのである。

全体的に非常に抑えたトーンは心地良いし、引き込まれるのだけど最期まで観るとショボーンとなる、残念な出来なのよ。

最期まで観ると何でこうなったと思うのよ。



最期の編集とかやっててコレは拙いと思わなかったのか?納期とか予算とか考えて多少おかしいけど仕方なしと思ったのだろうか?

それともおかしな部分に気がつかなかった?それとも僕が勘違いしているのか?全てのカメラの映像は通信で送られているとでもいうのだろうか?

こういう作りの場合変に説明しようとせずチョイと足りない位の方がリアルになると思う、所々足りない事により想像力を掻き立てる方が面白いのではないのだろうか?更に本来はある筈の映像がカットされているとかの方がワクワクするのではないだろうか。

それまでチョコチョコと写っていたモノが多分明確に写ったと思われる惨事の部分に関してはカットされている事により恐怖は倍増すると思う、また月に着陸した連中は足掻いているけど何が起きているかわかっていないその状況とかの方が良かったと思う。

アポロ18号が何故失敗したのか?映像を解析した結果死んだ理由がわかって封印したという感じの方がより恐怖感が上がったと思う。

何と無く地上はわかっている感じが面白くないのだ、何か起きている時は地上もわかっていなくてその後の映像解析の結果わかったという展開にした方が面白いと僕は思うのです、余韻が残るのです。

フィルム回収したけれどそれは正解だったのだろうか?という微妙な余韻が欲しかった、映像が良いだけに実に惜しい。
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2014年09月09日

関係性

人は自由を求めるというが本当だろうか?

人が求める自由なんて干渉されている安心からそれに反抗したいだけなのではないだろうか、まぁ国とか法律とか常識とかから離れたいという部分からは中々離脱は難しいのだけどね。

でもその他の事からは以外と自由になりたいというのは簡単です。

特に友人と言われているモノなんか自分で積極的に繋ごうと思わなければアッという間に空中分解してしまう、友達と思っているのは幻想に近いモノです、思い込みです。

ドンドンと縁遠くなるのですよ。

親戚とかにしても油断すると遠くなります、かって仲が良いと思っていた従兄弟とかにしてもドンドンと遠くなるでしょ?

積極的に関係性を持たない限り駄目になるのが縁です。

その様に考えて行くと身内にどう思われていようがその事を自分が気にしなければ大概の事とは距離が置けるのである切れないのは自分の親兄弟、嫁子供ぐらいだと思う。自分が関係性を切っても自分の事で迷惑をかけるかもという部分に心が縛られ位ではないだろうか。

本当は自由になんかなりたくないのだ、無いかと文句を言いながらも関係性を維持したいのだその為に何かと理由をつけたいのである。

自由になる事で損する事が怖いのだ、全てを自己責任になり大変な思いをするかもしれないという事を恐れているのである。

結局求めているのは自分がウハウハな自由みたいなモノ、甘えたいだけなのである。




僕はドンドンと人との関係性を失っていく、多分後10年もしたら殆どが何も無かったが如く人との繫がりは無くなる筈だ。

縛られるのは己の生活と生死、肉体の不自由位だろう殆ど自由だ、自分で何か繫がりを持とうとしない限り自由になる筈だ。

法で縛られているといってもねぇ日常的にそんなに意識していないのと思う、戦争とか国家の危機的状況でも起きない限りほぼ自動運行で動ける程度になっているののが事情なのだ。


自由に何を求める?
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2014年09月08日

朝日新聞

従軍慰安婦の誤報問題、色々なメディアが朝日新聞を非難しているけど本当のその資格が有るのだろか?

コレまでも確かに捏造だ嘘だと書いてきたメディアも言論人もいるのは確かだが朝日新聞一社が問題だったとしてそれを払拭出来なかった他のメディアの駄目さ加減。

それ程朝日新聞が強いというのだろうか?

多分違う、持ちつ持たれつという関係性から変に揉めるのは損だという考えが背後にあったのだ。今更国益を損なったとか言うが他のメディアも自分達のメリットとデメリットを天秤にかけたのだ。

メディアの正義とかいう事より企業の利益をとったたのだ。

嘘を知っていて朝日の記事を支持しなかったとしても問題を放置していた連中は同罪ではないだろうか。

俺も昔から朝日はおかしいと思っていた、嘘だとわかっていたとか後出しジャンケンをしている様では何も変わらない、変えられない。

それに今の朝日叩きにしてもマスコミの正義と言うより朝日のシェアを奪うぜという考えと、叩くと売れるという利益の為というのが理由なのではないか、確かに問題を指摘するというメリットはあるけれど利益で動いているとしたら同じ様な問題がまた起きるのだ。

朝日叩きが売れるからとしてエスカレートしていき他の新聞が誤報してしまえば更に混乱していく。

何が本当で何が嘘かそれだけを明らかにする、変な感想や妄想を記事に混ぜたりすれば結局はグダグダになり収集がつかなくなるのだ。

タダでさえ従軍慰安婦問題を払拭することは現状では難しいのに、検証記事で間違えば上げ足をとられ問題の解決は不可能になる。
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2014年09月07日

ゾンビ・フィーバー

ロシアのボンクラゾンビ映画、この映画でフィーバーしているのはきっと監督だけではなのだと思う。

主役のボンクラ感がこの監督自身でコレは願望なのではないかという感じがします、クラスでは冴えなかったけど内には面白いモノが渦巻いていたのだと思い込んでいる厨二病的感じがしたのは僕だけだろうか?

やりたい事は何となくわかるけどそれが微妙にスベっていって乾いた笑いが込み上げてくる、コレ面白いでしょというモノが面白いのだけどあえて言われるまでもない感じです。

それも我々は其処は数年前に通過したという感じだ、チョイとそのネタは古いぞという感じなのよ、一回りしていたらまだそのネタも面白く感じられるのかもしれないが、一回りもしていないし、完成度も微妙に低い感じで笑いが滑って行く。

そのせいで色々と面白いシーン、格好いい絵面も有るのにどうにも退屈なのである、時間も長く感じるのである。

もしかするとロシアの笑いのセンスが僕には会わないという事なのだろう、映像をみても明らかに異質な感じがるのよ、この異質感は面白い部分もでもある、だがそれで突き進んでくれれば良いモノになると思うのに中途半端にハリウッド等の影響を受けている部分がどうにも厳しい、もっと間違って解釈してくれれば良いのと思う。

グローバル化の悪影響か?(とりあえず世の中な流れを絡ませてみました)

ヨーロッパ映画、アメリカ映画、日本映画、と色々とあるけど映像の違い、空気感の違いは何から来るのだろうか?

ふと思うコレって日常的に見ている空の色とかの違いではないのか、日常的に見ている空のライティングと影が基準となりそれが心象風景を作るのだろう。

今では様々な色調整等で変える事が出来てもやはり根っ子となる色感は生まれ育った場所により影響を受けるのだろう。

ラストも驚愕だけど微妙なカラ笑い、分かり易い笑いだけど実に雑な笑いなのである。
posted by mouth_of_madness at 19:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月06日

成長しない

社会は本当に成長しないと駄目なのか?何度も同じ様な事を書いているけどほぼ賛同は得られない。

先に進む事が当たり前になりすぎて戻るこ事も立ち止まる事も駄目と思い込んでいる感じがするのだ、色々な事が廃れていく事を時代の流れだから仕方がないと片付けて良いのだろうか?取り残された者は能力が無かった、先を読み間違えた者を運が無かったと見捨ててるのが本当に良い事なのか。

とりあえず問題を解決する事無く先に進んでドンドンと問題を先回しにして忘れて行く事が僕にはとても良いモノとは思えないのだ。

欲の日本借金を後回しにするなと声高々に叫ぶけど社会の仕組みの問題に関しては後回しにして平気でいる神経、日本の借金問題にしても社会の仕組みがおかしいから起きているのにその辺を解決しようとはしない。

日本の借金問題には税金の面、経済システムの問題、マスコミの問題、政治家の選挙活動の問題、経済を良くわかっていない問題と様々な問題混じり合い起きている事である、単にお金の問題だけではないのよ、それをイノベーションで何とかするって正気とは思えないのだ。

僕が馬鹿なのだろうけど、「お前は何を言っているのだ!?」という言葉を返したくなるのである。

国家や社会を維持するとか経済を維持するとか大きな視点での妄想に取り憑かれ人が生きるって何という事をあまりにも考え無い世界になっているのではないか?

どうも人には手に余るシステムのアクセルを踏みまくりコントロール出来ていない状態に思えるのに、更にスピードを上げれば今の問題は解決するよとおかしな事を言っているのだ。

とりあえずコントロール出来る様になる、その仕組みを理解するまで先に進むのは止めても良いのではないかと思う、問題点も良くわかっていない状態で新しいモノを投入すれば何とかなるという考えが実に恐ろしい。

無理に成長しなくてもグルグルループ出来る様な社会になれば、変わらぬ日常が続く多少退屈な社会かもしれないがそれでも良いのではないか?

その退屈を我慢出来ない、スタミナの無い奴が新しい事をやろうととして失敗するのだ、そんなに天才は世の中にいないのに勘違いしてしまうのである。

スポーツとかで基礎練習の反復よりも新しい練習メソッド等が出ると飛びつくのと同じ、ダイエットとか健康法をコロコロと変えるのと同じ、日常の積み重ねこそが大事なのに一足飛びで目新しい方に行ってしまう、よく考えずに飛びついてしまい結局何も身につかない。

色々な事が絡み合っているのにそれらを解く事無く、新製品の挟みで切り捨てる、ゴルディアスの結び目を切り捨て鼻息荒くドヤ顔されても困るのよ、コレを社会に置き換えれば切り捨てられた部分にも人はいるのだからね。

もっとも簡単な方法で解くのが効率だというのかもしれないけれど、そのせいでドンドンと紐が短くなっていないだろうか?

心配です。

また文章が右往左往七転八倒五里霧中の為に真意が伝わるのか心配です。
posted by mouth_of_madness at 18:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月05日

悩みが無い

最近ふと気がついた、今悩みが無いのだ、いや翌々考えると随分と昔から悩みが無い様な気がするのだ。

生まれてこの方どう答えを出すべきかと悩んだ事が無いのである、進学で悩む事も就職で悩む事も、会社を辞める時も実際悩むことは無かったしね。

怒りはある、不満はあるのだけど悩みが無いというのが実情なのである。

モノ買う時にしても欲しいスペックとかを調べる事はあっても項目チェックで決まってしまうしね。

ご近所とかに問題のある家とかがあったら悩むのかもしれないけれどそんな面倒とも縁遠い状態だ。

そう考えていくと悩むというのは目標等が自分の中で決まっていないから起きるのではないだろうか?自分がどうしたいのか決まっていないから悩むのである。

自分が何をしたいのか悩むというのが僕には良くわからない、心の命ずるままに動く、色々な事を鵜呑みにするさすれば判断はシンプルになる、悩みとは無縁になる。

不満があっても打開策が無ければとりあえず我慢する、悩む時間がもったい無いという考えだ、まぁ別の意味で金の無駄を生み出す事は有るけどね。

安易に答えを出すそれこそが悩まない生き方になるのだ、それに深く悩むとドンドンと近視眼的になりモノが見えなくなり間違った結論を出しそうである、悩めば悩む程間違うのではないだろうか。

また予想外の事も起きるから悩んで答えを出しても何の役にも立たないという事も多う筈だ。

みんな悩んで大きく成った?悩んで出した答えで本当に成長した?失敗から何かを学んだ?
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2014年09月04日

ゴースト・エージェント R.I.P.D

何もわからない事が無い、未来まで全て見通せる感じがする見事なまでに型に添った映画。

設定と登場人物表を見て話を想像すればほぼ何も間違わない位に型どおりの映画なのだ、何も足さない、何も引かないという感じが実に清々しい。

何かヒネろうとして中途半端になり客が損した思う位ならばセオリー通りに作り何も新しい事していないよねという誹りを受けようという監督の覚悟の男らしさよ。

セオリー通りだからその手の映画が好きな人間が観れば新しさはなくても安心して観られる安心設計、この映画のルールを説明する必要も無いから余計なシーンもいらない為にコンパクトにまとまるというオマケ付き。

観る人に集中を強要しないから見終わった後も楽々、何処にも嫌な所が無いから何もストレスが溜まらないのである。

まぁそのせいで観なくても大丈夫という部分もあるけどね、大して心に小波も立たないし、記憶にも残らない。

だが続編が作られた時に前作を大して覚えていなくても、いや観ていなくてもあらすじさえきけば何の問題なく観ることが出来るのだ、あらすじをきいて想像した話と寸分も違わないと筈だ。

話も映像もコレといって新しさはない、でもねぇ結構気持ちの良い映像はある死んだ時の静止した世界の映像は実に気持ちが良いし大量の死者が吸い込まれていく感じ、倒壊する街もそれを前面に押し出さずにサラリと流していてコレらも気持ちが良い、驚きはないけれど丁寧な仕事という感じがするのだ。

脱サラしたサラリーマンが店を出した親父拘りのうどん屋よりも丸亀製麺の方が安心出来るという感じだね。


此所まで来れば邦題も「R.I.P.D〜俺達ボストン警察ゴースト課〜」 「天国から来たポリスメン」位にダサダサのタイトルでも良かったのではないだろうか。

posted by mouth_of_madness at 20:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月03日

何故言わない

移民について思うのだけど、移民が来ることで起きるであろう様々な問題、それにより発生するであろう人種差別問題は語るけど、そもそも移民を出さないと行け無い状況について人権団体は文句を言っているのだろうか?

自国で安定した労働がないという事こそが人権問題ではないのか?日本に来て日本の基準から考えると安い賃金だったり、日本人がやらない様な仕事をやってもらおうという意図に人権問題が有ると言わないのだろうか?

ブラック企業という呼び方を人種差別に問題にするより余程良い事だと思うのだが。

結局は思いつきで因縁を吹っ掛け差別だと言ってその都度勝った負けたといって楽しんでいるだけなのだろう、兎に角屁理屈で何かと差別に結びつける事に満足しているだけなのだ。

世の中を良くしたいとかそんな事は望んでいない、自分が差別だ、人権問題だという事にしてしまう事を望んでいるだけなのだ、考える事無く差別の柵をドンドンと立て考える事を奪って行く、雁字搦めにしていく。

その先にあるのは人々が考える事無く自分達が作り上げた価値観で動く事になる事を夢見ているのだ。

何も考えずに俺がルールだと言う者と、人権問題はよく考えて答えを出さなけばという地実考えもせず答えも出さない似非常識人がおかしな空気を作り出す。

死刑問題にしてもそう、理屈をつければ何処までも死刑を廃止する屁理屈は作れるだろう、そして死刑を行うと判断したことを安易で何も考えていないという事に終始する事も可能だと思う。

そもそも何が正義かなんてない、自分が嫌なモノを悪と勝手気ままにいっているだけ、賛同者が多いか否かだけ、どっちの閑雅もそれぞれスジが通っていて答えが出せないとかいっているのはリスクが怖いだけの愚か者。

人権と念仏唱えていれば世界が良くなるのか、言葉狩りをしていれば差別はなくなるのか?なくならない、言葉がなければ概念がなくなり消えるというかもしれないけれど差別は人間の本能にあるモノだからなくならない。

食べるという言葉をなくしても、腹が減るという言葉を無くしても人はモノを食べるし、腹も減る、死という言葉を無くしても人は不死身にならない、死という概念を無くしても人は死ぬ、良くて恐怖感と悲しみ無くなる程度だろう。

でもコロンブスの玉子で全世界の人から死という概念を無くしたら不死身になったりして。
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2014年09月02日

オタク

ネットを観ていると世の中オタクばかりという感じがする。

確かに知識量、拘りの強さの多い少ないはあるにしても何かに拘っているという部分と何かと語りたがるという部分にオタクの片鱗が滲み出ている。

ネットがオタクを作ったのではない、自分の意見を表明出来る場が出来た事により内面が吹き出しているのだろう。

人は兎に角何かに拘り生きているという事なのだろう、最近では随分とアニメオタク、アイドルオタクとかも市民権を得ているのだが、何であんなに気持ち悪がられたのだろうか?

自分と話が遭わない事、興味がない事への拘り、その事を熱く語られるとどんなモノでもウザイと思うのは僕だけだろうか?ウワッと思うのは何でも一緒ではないのか?

趣味のセンスの良さがその差なのか?そのセンスの良さの基準すらも怪しいのにね。

アニメとキティちゃん、ミッキーマウス及びディズニーキャラにどれ程の差があるのだろうか?何も違いはないよね、センスのレベルでも違いがあるとは思えないしね。

そう考えていくと人は何で色々な事に拘りを持つのだろうか?何かに拘りなさいと指示された訳ではない、だが物心ついた頃から人は何か拘っていると思う。

もしかすると俗にいう個性とはその拘りの部分でしかなく、自分の役割、居場所を確保する為に本能的に何かに拘るのではないだろうか、個性が無いという恐怖感が心に空洞を作り出す、その隙間を埋めようとして何か拘ってしまうのではないだろうか。

本当の個性をもち充実した生活をしている人はそんな拘りなんかなくもっと身軽で自由なのではないだろうかとも思うのである。
posted by mouth_of_madness at 22:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月01日

ディアトロフ・インシデント

実際にあった事件の謎を解き明かそうとする若者達のドキュメンタリータッチの映画。

POV映画には多少飽きているのだがこの映画はそれらの映画にありがちなダラダラとした展開も少なくカメラもブレブレになる事無く観ていて頭が痛くなる事もない、ピンチの部分でもそれは最小限度に抑えられているのも好感が持てる。

基本的に安い映像がないののが他のPOV映画とは違うのである、まぁ途中でエッチする所とかをみると普通のホラー映画に近いかもね。

雪崩以降の撮影感覚も普通に撮っている感じで動揺感がないしね。

肝心の内容ですがコンパクトにまともっていて退屈しないテンポ良さとかはあるのですが盛り上がりに欠けるののです、オチも途中の伏線を回収しているし、謎の化け物に襲われない理由も成る程となる、でもまぁ多少荒い感じはある彼は襲っても良いんだという感じが微妙に?

また封印をした理由とかがもう少し映像も含めて盛り上げて欲しかった、チョイとサラリと流しすぎだと思うのだ、此所がこの映画において一番重要だと思うのよ、事件の仮説で盛り上がりたいのである。

実験の記録フィルムとかで大変な事になったというのを観たいよね、国家が揉み消した謎の部分をしっかり描いてこそ意味があるのだ、なんか自信なさげにこんな感じかなでは僕は盛り上がれなかった。

ステーキを食べにいってソコソコ美味いけど極上の美味さの肉でもない、それなのに量がチョロッという感じの満たされなさの映画です。
posted by mouth_of_madness at 21:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする