2015年02月28日

エビデンス・全滅

犯行現場にあった証拠映像を分析、解析して犯人を解き明かす映画。

POVで大体が進んで行く、手ぶれ+映像データ破損のエフェクトのせいで目がチカチカ、鈍い頭痛に襲われました、結構途中吐きそうになる位に気持ちが悪い状態です、POV映像に弱い方は出来うる限り小さな画面で部屋を明るくして観た方が良いと思います。

オチに答え合わせというかヒントは此所でしたというのが入っているけれど、これで真犯人に気がつく人はどれだけいるのだろうか?

僕はエッとなりました、編集して、何してとやっていて犯行が可能なのか?破損しているデータと同じモノを作る事は可能なのか?破損しているオリジナルから複製を作ったとしたらその様な機材とかはどうしたのか?

ハッキングしたのか?とてもそんな技術がある様に思えないのだが、そうでないとすると最初にネットで流れた映像と警察の持つモノの映像の違いが生じ、この映像の根拠がおかしな事になるのだ、一本しかないという事によりこのオチが生きて来ると思うのだよ。

また火をつけて壊れるに任すと意図したように警察が操れない、だがエフェクト等で壊せば見破られる可能性が出てくるのではないか?最期に気がつくけど気がつくの遅すぎない?

最初のバス横転にしても一歩間違えば犯人自身が死ぬのではないか?死なないにしても大けがをしてしまえば犯行は出来ないのだ、計画は大幅に壊れるのだ。

何かと強引過ぎな感じがするのだよ、ここは成る程ポンと膝が叩ける作りが欲しいと思う。

この世の中にある映像が本当に証拠になるのか?人は嘘をつくけど映像は嘘はつかないといった価値観を壊すという方向だと思うのだけど、どうにも締まりが悪くグッと来ないのである。

頭が鈍く痛かったから何か重大な所見落としいるのかね?
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2015年02月27日

33億4千万円

2014年度東京都ででの現金の落とし物の額が33億円4千万円。

海外の反応とかではそれが届けられる事の正直さとかに感心するといった事が記事になるが、僕はそれ以上にそんなにお金を落とすんだという事にビックリする。

一人1万円落とすとして33万4千人ですよ。首都圏3500万人として考えると1%程の人間が1万円落とすと考えるとある意味油断しすぎという感じがするのですよ。

あくまでこれ現金だけ、それも警察に届けられたモノだけと考えると届けられていない額を入れるとどれだけ落とされているのかと思ってしまうのよ、もしかすると2%位の人が1万円落としているのかもね。

そして全国にするとどれ位が落ちているのだろうか?

意外と乞食といわれる人達が生活出来るのはこういうモノが原資になっているのかもね、月に1万円位は拾う事も出来るのかもね。

これに現金以外のモノ、金に変える事が出来るようなモノを加えればどれだけのモノが落ちているのだろうか?もしかすると犯罪なのだが砂金を集めるより効率が良いかも、都市のゴールドラッシュが出来るかもね。

届ければ犯罪にもならずお礼金でそれなりに潤うかもね。

また人は意外と金について緊張感も危機感もないのかもね、だからこれだけ落とすという事、でもこれは良い事かもね、断捨離ではないけれど縛れていないという事だから。

うっかりとぼんやり、金は天下の回り物。
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2015年02月26日

一極集中

東京への一極集中への批判とか、これこそが正しいという考え。

これらは何時まで立っても折り合いがつかない、目指している先が違うからね、北海道に行こうという人と沖縄に行こうという人妥協して名古屋とかにはならないでしょ?それと同じ。

一極集中が正しいという人は効率化だのとかいうけど、この効率化にしても何を重要視するかによって変わるのだ、国防的観点や災害時での観点、国土保全、文化の多様性とかも加味すれば色々な視点での効率化があるのだ。

一極集中すれば災害時もピンポイント復旧出来るとか、災害対策も手厚く出来るとか言うのだろうけどね。

発電所とかにしても分散化しないから送電ロスとかも少ないとか、鉄道もコンパクトになるとか言うのでしょう、問題は住宅問題で土地の高騰が引き起こされるとかだねといった意見も出ると思う。

そして無理に東京に来いと行った訳ではない、一極集中が嫌ならば地方で頑張れば良いんだよという無残な意見が出るのだろう。

僕は思う効率化を言う人はリスクを軽く見がちではないだろうか?リスクをみていないとは言わないが、リスクより利益の方を高評価しているのだ。

また地方に生まれたらそれだけで負債を抱えるという様な状況が本当にまともな状況だろうか?日本中の人が全て関東に住めばその差は無くなるとか言うかもしれないけれど、農業、漁業といった土地に根付いた産業をやる人はどうするのよ?

それに人口が減ってきているか集中して行くべきという考えもどうかと思う、この考え増やす事を放棄しているよね。

下手するとこの一極集中のエリート思考は今に関東だけ独立して国にしようという暴走に走るのではないか?道州制といった考えが出るのもその現れの様な気がするのよ。

今の価値観で50年後とかを考えているのが問題なのだと思う、大体今の価値観で未来予測していて2,3年後もまともに予測出来ていないのにもっと先が予測出来ると思っている愚。

遠い未来を作るにはこれまでの歴史が培った国としての価値観に沿って考えるべきなのよ、流行はねぇあっという間に廃れるしドンドンと変わるモノ、据えるべき軸がないとバラバラになると僕は考える。

流行を使うなというのではない、小技としては必要です、短期的には必要なのですよ。

それにねぇ、日本人といってもやはり場所による差はあるのよ、イスラムの国々がベースが同じでもやはりタ対立があるのと同じ事、其処までの差があるとは思わないけれどやはり文化の違いは存在する、集中するといずれ其処に歪みが発生する恐れがあると僕は思う。

微妙な生活リズムの歪みがストレスを生み出す事になる。

ある種の距離感が必要な場合もあるのだ、人間を部品と考え大体同じスペックで動くと考えるのは間違いなのだ。




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2015年02月25日

宇宙史上


海外でも酷評されているというSONYの高音質、ハイレゾ対応、新型microSDXCカード。

何を今更という感じです、ケーブルとかのおかしな値段とかをみればこの程度カワイイモノとしか僕には思えない、多分デジタルの領域だからだとは思うが通常の商品の6倍くらいのUSBケーブルとかLANケーブルとかは普通にあると思うけどね。

僕の駄耳に無縁です。

まぁおまじない程度には良いケーブルとかを買ったりするけれどね(まぁ其処も客観的に観られればおかしいのだろうけど)

兎角オーディオには謎が多い、本当にという事がまかり通る奇妙な世界がある、その様な問題があるのならば対策は別の方法でやれば良いのにと思うけどそんな対策はしなかったりする。

僕みたいな駄耳の人間ならまだしも、録音のエンジニアとかがデジタルケーブルで音が変わるとかいうから質が悪いのよ、そのくせ其処に何か科学がある様な感じがしないのが非情に問題を厄介にしている。

人間の耳を超越したセンサーでどう変化したのかを調べるべきなのよ、それで違いが無いというのであれば、別の問題があるといった感じで調べるべきなのよ。

小さな差を詰めるより大きい変化の方が楽しいと思うけどね、原音再生という考えではないけどね、その意味では馬鹿みたい低音過多の車とかに乗っている連中の方がオーディオを楽しんでいる、音楽を楽しんでいるのではないのと思う、分かり易く欲しい音を目指しているからね。

まぁそれにしても宇宙史上最も馬鹿げた商品と言われるのも中々無いと思うからこれもまたある種の究極、其処まで突き詰めても誰もわからない、自己満足の世界でしかないけれど其処まで突き詰める事の凝り性はある意味凄い事、0を目指すといのは技術者としての誇りなのかもね。

傍から見れば馬鹿馬鹿しくても塩の一粒にまで拘る料理人とかも同じ様なモノでしょ、色々な職人が究極を求めて技術を磨く事を笑うのも変でしょ。

商売として考えれば売れたかどうかで判断するべき、この商品が全く商売に成らなかった時にソニーの経営陣のミスとして話題にすれば良いだけ、極限までノイズを減らすという事は悪い事ではないのだから。

音が良いという事に絡めるから奇妙に思うのだと思う、通常運用だったら1000年に一度壊れるかどうかという様な商品だったらそんなに最も馬鹿げたと言われる事は無かったと思うのだ。
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2015年02月24日

ランナウェイ・逃亡者

ベトナム戦争反対を訴えていた過激派の30年後の話。

骨太のサスペンス風であるのだが実際はあまり緊張感もガッツリとした人間ドラマもない感じ、謎解きが小出しに出て来るのだけどなんかご都合主義的に出て来るし、元其処の活動家達もなんか緩すぎでとても隠れている事は出来ないだろし、実際は追われている、俺達凄い活動家だったと厨二病をこじらせているだけではないのかと思ってしまうのだ。

30年の間のそれぞれの生き方、ギリギリ感が今ひとつ描けていないのである。

スローテンポで情感を持たせようしているのかもしれないけれど、行間から読み取れるモノがない為に単なるテンポが悪い映画になっている、また若い特ダネ記者記者との関係性も今ひとつ、絡みが面白くない、其処の距離感がリアルなのだというのかもしれないけれど、このバラバラ感ではこの尺では考えの変化、深みは生まれないと思う。

むしろテレビシリーズで13話位でもっとエピソード積み重ねて行くことで反戦の時の空気感、30年で変わる世論と自分の考えといったモノ描かないと駄目なのではないだろうか。

まぁこれは日本人だから、当時のアメリカの空気を実感していない、その後の過激派達の状況等をニュースとかで知ってはいないからかもね。

この状況よりは知っている筈である日本の学生運動とか安保、成田闘争、あさま山荘とかにしてもイマイチピンときていないからね、子供がみていた状況と以後本とかで見聞きした情報だけでは空気、匂いまでは良くわからない。

この映画その空気感の変化を描く事に僕は失敗していると思う、多分当時の空気を知っている人はそれぞれのキーワードで記憶が呼び起こされるのだろうけど、当時を知らない人には行間にあるモノが見えて来ないのである、特ダネ記者が若手代表として過去からの流れを空気を掘り起こすべきだったのだが、事件を掘り起こすだけで当時の空気までは掘り起こせていないのだ。

そう考える監督はもっと若手がやるべきだったのではないだろうか?当時の空気がわかっていないモノがそれを一度掘り起こし理解した上で作るべきだったと思う、当時を知るモノは監修という状態が望ましい。
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2015年02月23日

人権だ、判断能力の低い子供だとかいって罰を与えない。

大人も子供兎に角人権だと叫ぶ、人権を叫ぶのは良いが責任をとらないのが問題、子供の人権を守れというのであれば子供がしっかり責任をとるか、教育不行き届きという事で親がしっかりと責任をとるべきなのだ。

兎に角罰が足りないのである。

悪い事をしたら罰を受けるそのシンプルな事が実行されない世界は歪になるのだ、小さな歪みのうちに罰を与え直していればそんなに大した問題にならないのに、中途半端な事をするからトンデモ無い事を起こす、また中途半端な少年法とかで守るから、猿知恵の悪用で被害者だけがが大変な思いをし加害者は中途半端に逃れてしまう。

しっかりとした罰が必要なのよ、それもズッと続く様な罰が必要なのよ。

人権と罰はセットです、それを間違っては駄目なのよ、責任の一環として罰があるのよ。

罰が嫌ならばその分自由の制限あるというモノ、まぁその制限を超えたら結局は罰を受けるのだけどね。

また無茶だけど人権も免許制にする位が丁度良いのかもね、判断能力と、責任能力により出来る事を制限する位の事をやらないと、人権が暴走しおかしな事になりますぞ。

江戸時代とかだったら御家お取潰しといった大変重い罰があった訳だからね。
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2015年02月22日

敏感

ISILによって死んだ二人に対して敏感すぎとと思うのは僕だけだろうか?

日頃は其処まで人が死ぬ事に敏感ではない筈なのにテロとかで死んだという事に関しては敏感に反応する。

テロという特殊状況だから?でもねぇ、政治等のミスで自殺で死んでいる状況とか、殺人事件とかに関しては其処まで敏感ではない様な気がする、不審死として扱われている物のうちどれだけが自殺だったり殺人だったりするのかもわからない。

戦争、紛争で死ぬ事とその他の事で殺される事との違いは何か?人が人を殺すという意味では同じではないのか?それとも戦争とかに個人の思惑を越えた集団無意識といった意思があり其処に恐怖を感じるのか?

でもねぇそんな事を言いだすと人間の感情なんかも完全に個人の意思でコントロール出来ない事がある訳で、人間の本能というなんか良くわからないモノに突き動かされて酷い事をするのよ。

何らかの思想で動くというモノに関しても組織として認識出来る様な人数か否かの違いでしかないように思うのだ。

また殺害に対してやいやい言う割には日々テレビでは殺人事件のドラマが放送され、ゲームでも日々様々生物や人間を模したモノが殺害されていく、ホラー映画とかスプラッター映画といったモノで残虐に殺されていく事を観て楽しんでいるのが人間の一面にあるのだ。

リアルな事件には何かに異様性を感じて恐怖を感じているという事なのか?

過剰に反応する事の意味は一体何?まぁもう今となってはそれも冷めて居るけどね、そんな事より「日教組」という野次の方が問題視していたりするからね。

これまた気分屋過ぎるね。
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2015年02月21日

馬鹿人類

ISILの抵抗する為にキリスト教の義勇兵の人が現地入りとかの記事を見ると十字軍遠征ですか?という気になってしまう。

第何次遠征ですか?

一体何年同じ様な事を続けているのですか?

多分ね今まで休戦とか小競り合いになるだけでズッと続いていたのだ、戦争は終わっていないのだ、多分第二次世界大戦も大東亜戦争も今だ終わって居ないのだ、世界の新秩序を作るという争いはズッと続いているのである。

戦い方が変わったり、具体的な戦火が上がっていないから戦争が終わった、無いと錯覚しているだけなのだ。

自分達が戦火に巻き込まれていない事で錯覚し、戦争を克服した、人類の文明は進歩したと勘違いしているのが実情なのだ。

恨みだの、自分の考えこそが正しいだのという妄想に取り憑かれ様々な形で力を振り回す、それこそが人類の本質なのではないだろうか。

平和というのも大いなる幻想だ、思考停止に陥り判断を出来なくなるという症状が出るトンデモない猛毒なのだ。

何にも人類は克服出来ていない、単に罰が怖くて色々なモノから目を逸らしていたのが現実だったのだ、本音と建前。

昨日書いた差別にしても建前では駄目だといいつつも差別は駄目という俺って他人よりステージが上と思い上がっているのが人間の内なる悪意なのだと思う、その様に考える劣等感もまた内なる悪意なのだ。

未だに正しい思想、正義といいながら暴力を振るい続けるのが人類です、権力争いや、お金に取り憑かれ、生きるというのを見失うのが人類です、いや人類が生きるという事の本質はは他人を屈服させるという事なのかもね。

ホラこんなにお馬鹿さん。
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2015年02月20日

優生学

優生学といえばナチスですが、今もそれは根強く残っている感じがある。

人種差別を無くそうとしているというが、先日のももクロの顔塗りの件をみても黒く塗ることは差別だという結論を出す所に優生学をみてしまうのだ、黒人は肌の色が黒い事に劣等感を感じているのだろうか?それならば差別ととられても仕方のない事かもしれないが、そうでないとしたら黒人の真似をするという事自体が有り得ない、リスペクトの気持ち有る訳がないという気持ちが内包しているという事だ。

人種的に黒い肌というのは劣等だと思っているという事が隠れているのだ、黒い肌は文化とかと違い後天的モノではないのだそれを否定する感じに優生学的思い上がりがあるのだ。

またもう一つの捕鯨問題もある、クジラは賢い動物だという意見の元に捕獲するなという考えにも同じ優生学の匂いがある、絶滅するからという理由ならば優生学ではないと思うけど、賢いとか、カワイイからといった部分には優生学の暴走があるのだ、賢くない、気持ち悪い生物ならばこの世から居なくなっても良いという考えにある種の狂気が宿っているのだ。

対象が人間ではないから優生学と違うとは思っているかもしれないが、殺して良い動物、殺しては駄目な動物というのを決めている部分に優生学は入り込んでいる。

ある日突然、肌の色で人類ではないと判断するかもしれない、その時に今の種により差別している部分が人間間にある差別と違う形で牙を向く事になる。

何時人類から黄色いサルにされてしまうのか?それは意外と近い未来かもね、何かカタストロフ的事象が起きればそれまでの考えは壊れる、それが切っ掛けになる恐れがある、人の心に優生学の芽があるからね。
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2015年02月19日

無駄こそが大事

ひたすらの効率化、無駄の削除、確かに過剰な無駄はよろしくはないだろう。

だが無駄こそが新しい余裕を持つのだ、漫画にしても映画にしても無くてもそうは困らない、人類史的にはついこの間まではビジネスになるレベルというモノでは無かったのだ、音楽にしても音源を残すという事もこれまたついこの間まで無かったのです。

無くても人類が滅びるようなモノでは無いのです、無ければ人生が潤わないだのストレス解消が出来ないだのというかもしれないけれど、別に昔の人はそれで困ってはいないと思う。

これらはある意味無駄なのです。

テレビを観れば時間を使うし、脳も疲れる、時間の浪費なんてモノは最大の贅沢と言えるくらいに凄い無駄なのよ。

そう考えると人は無駄の為に生きているのではないかと思えてくる、無駄な時間を楽しむ為に働いているのではないかとすら思えてくるのだ、そう考えると労働こそが無駄ではないのか?とすら思えてくる。

無駄を無くしたいという人は一体何をしたいのか?

最適化というのは本当に最適化なのか?車のステアリングとかは遊びが多少有る方が最適だったりする、会社とかにしても多少余裕のある社員がいる方が良かったりする、、今ソニーは色々な部署を切り離しとかしているけど本当にそれは最適化なのか?本当にいい事なのかと思う。

コストカットの為に無駄を無くす事で大きな事が出来なくなる、新しい事が出来なくなるのだ、効率化で専門に特化することで他の発想が出来なくなるのだ。

僕の好きな寺田寅彦も岡潔も専門分野以外の部分も凄いのが良いと思うのよ、別の視点、発想の転換を生み出しているのだ、他者からみればもっと専門分野をトコトンやれと言われるかもしれないけれどこの振れ幅こそが偉業を行う為には必要な事ではなかったのかと思うのだ。

極論をいうと戦争すら人類の為には必要な最悪の無駄なのかもしれない、人類が色々と見失うモノの再確認の為にも必要なのだ、平和を堪能する為にも必要なのモノなのかもね。

人は油断すると平和の有り難みを見失うしないがちだし、戦争の痛みから新しい思想を生み出し成長する、テクノロジーは物凄い勢いで発達する。
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2015年02月18日

日本は酷い国です

日々ニュースを見ると如何に日本が酷い国かと聞かされる、歴史は修正するし、クジラを食べる、ヘイトスピーチが吹き荒れ、女性の人権は守られない、企業はドンドンと世界から取り残される、国民の声を聞か無い政府、国民の三分の二が自国を信用出来ないという。

なんて国だ!!

其処で思う何でこんな酷い国から出ていかないの?僕は問題が無いとは言わないけれど結構良い国と思っているから出ていく必要性を感じないが、普通ここまで酷ければ亡命するなり、絶望するなりするんじゃない無いの?

何で居座り続けるの?海外に出る能力が無い?嗚呼そうか能力の無い人が一杯だkら酷い国になるのか。

戦争ばかりしている海外がグローバル、格差を広げるのがグローバル、それに添っていないから日本はガラパゴスという事で酷い国なのね。

世界標準の差別意識がないからテレビ等でおかしな事をするから酷い国なのね。

そんなに異常な国なのに常識人が堪えられる精神力に驚きを感じる、僕は馬鹿だからそれらの事が不思議です。

日本が酷い国と言う人は僕とは違う価値観で生きているのだろう、そして自分の世界感で日本を染めたいのである。
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2015年02月17日

宮崎駿とか坂本龍一とか

何かと政治的発言をしがち、自分の影響力をわかった上での行動だろうけど何か安易な感じがする。

影響により問題が起きた場合に責任をとる覚悟はあるのだろうか?

そんな事を言いだすと全ての人に責任があるのが民主主義だとか言われそうだけど、多分著名人とか文化人と言われる人の発言は世界に発信されたりと一般人に比べて影響は大きいのである。

棒持っている者と拳銃持っている者、大砲、核ミサイル者とでは責任の重さは違うのだ。

大きい力を持っているのにその使い方は影響力を誇示する事に酔う感じが実に気持ちが悪い(政治家とかよりは小さな力とか言うのかもしれないけどね、でも末端の政治家なんかよりは影響力は大きいと思うよ)

一個人の意見がある種の日本の意見みたいになる感じがあるのよ、政府見解と違うと何か不必要に言論弾圧をしている様な感じを与えるのは実に具合が悪いのよ、ある分野で成果を上げたのは確かだけど何でもわかるという訳ではないのだから、野球でトッププレイヤーだったとしてもサッカーに対してこうあるべきだとは普通は言わないでしょ?

でも何故か政治とかに関しては安易に発言され、何か説得力のあるモノと受け入れがち、自分の身の丈にあった税金安い方が嬉しいとかのレベルならばまだしも何かと間違っているだの、こうあるべきだの声高々に叫びすぎだし、これこそが正しいと言い過ぎです。

僕が気にしすぎなのかね?
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2015年02月16日

タダではない

音楽とか映像とかゲームとか新たな仕組みによってタダになったと言われていたり、そう思っている人は多いのではないか。

しかし此等って誰かが給料もらっていたりして作っている訳でタダという事はあり得ないのですよ。

何処かで僕達はその費用を払っているのです、何処で払っているの認識出来ない様な形でそれらの費用を受け持っているのです。

新しい仕組みで何時代金を払ったのかわからない状態、薄く広く代金を払うシステムが出来たのです、何時払ったのか認識出来ないシステムという新しい経済なのです。

ITとかネットとか関係無い生活をしていてもそれからは逃げる事は出来ません、日々生活で購入しているモノに薄くそれらの代金が上乗せされていたりするのです、まぁゲームに関しては課金アイテムユーザーが多めに払っている事になっていると思うけどね。

まぁこれまでもテレビ番組がタダだと思っていても実はCMの代金が商品に上乗せされている訳で、現在はそれが幅広くなったというだけ。

そう考えるとテレビ番組に関してはスポンサーにガンガンクレームを入れるべきだと思う、其処の商品を購入しているのであればその権利は有ると思う、いや購入している人だけ有るのか。

未来は全て機械化が進み全てのモノはタダになる、生活の為に働く必要は無い、更に稼ぎたい人だけが働く、贅沢したい人だけが働くのだ言う人がいるけどこれも嘘、全てがタダになれば贅沢も何もない、金がいらない訳だから金を稼ぐ意味は無いのだ。

無限の製造なんか無理なのよ、優位に立ちたいという人間の欲望が無限で無いモノに偏在を作り出すのである、結果何らかの競争が生まれ続けるのである。
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2015年02月15日

ザ・マスター

新興宗教と野獣の戦いの映画。

自由を求める者とそれを持て余し暴走する欲望に鎖を付けて欲しいという者が出会いそれぞれの思惑が七転八倒する、まぁ自由を求める者は他人を解放といいながらも自分を唯一のマスターとして君臨するのだけどね。

それにしても地味な映画です、観念的で今ひとつピリッと来ない、役者の演技で何とかなっている感じがする、全てがもっともらしい感じだけど何か強い意思というのが僕には感じられなかった。

多分感性が違うのだ、強い意思があったとしても僕にはわからない方向性なのだろう。

性的なモノとかを描いてはいるのだけど生臭い感じとか迸りを感じない、確かに身体のラインはリアル感はあるのだけど今ひとつイカ臭さが足りないのだよ、全てが頭で考えて作っている感じ、理屈で作っている感じがどことなく小賢しい感じがするのよ。(実に偉そうな感想だよね)

また暴れん坊の狂気の部分にしてもそうだけどこれまた普通感が漂う、なんかおかしな人ってこんな感じだよねというステレオタイプ感から抜け出しているとは思えない、これまた頭で考えて作っている感じ、演技と表情が良かったから見応えが出ているけどこれまた何かが足りない、いやギリギリの紙一重感が足りないのだ。

グッと来ない映画でした。
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2015年02月14日

概念を作る

ももクロがラッツ&スターとの共演で顔を黒く塗った事が差別だといって騒ぐ、火をつける。

何かと差別に結びつけるという愚、これは思考停止でしかない、其処にある精神性とかを考えず表面的形だけで物事をみるという愚かさをもう少しちゃんと考えるべき。

屁理屈を駆使すればそこら中差別だらけになるのだよ。

無意識に差別をしているのが問題だというのだろうけど、でも無意識という事は其処に差別意識は無いのだ、何かを表現しようとしているだけなのよ、それこそみんなが大好きな表現の自由というモノではないのか?

何かと自己都合で表現の規制をしてみたりするダブルスタンダードの狡さにゲンナリです、それにももクロはともかくラッツ&スターはシャネルズの時から考えれば何故今更という感じなのよ、それに拡大解釈していけば髪を金髪にするのも白人差別だとはいわないよね?ガングロブームの時にも文句はいわなかったよね?

更に屁理屈重ねればブルースを日本人が唄う事は良いのか?いやそもそも他の国の民族音楽とかを演奏する事自体が差別ではないのか?ある種の真似や模倣がある訳だからね。

別に問題が無いような所で大きな声で叫び無いか其処に問題があるように焚き付ける、其処に何らかの傷kがつけばそれを商売にするマッチポンプ状態、それこそ人同士を対立させるだけの差別精神に溢れた愚者でしかない。

この調子でいけば今にコント番組は成立しなくなるだろう、全てのモノをわかりやすくディフォルメしてチョイと違う異質に思った部分を描いたりする訳だから、異質な部分面白いと思う事自体を差別と取る様になるのだ。

違いがあるのに違いを認めない、その違いに反応する精神の動きを認めない、何も無い平坦な世界に生きろとでもいうのだろうか?平坦な世界と思い込みねぇという事なのだろうか?

逆に違いを差別とレッテル貼り無理矢理隠そうとするから問題は大きくなるのだ、文化も違えば感性も違う、多分生物的違いが精神に与える影響も違う、理性と教育というモノである程度は違いを縮める事が出来てもやはり違いは残るのだ。

違いがあるのに同じという事してしまう方が余程差別ではないのか?

違いを上か下かで考えるからおかしな事になるのだ、(右か左かで考えてもおかしな事になりがちだけど)ただ違うと考えるべきなのだ。

何でもかんでも差別にするなよ、もう少し色々と考えなさいよ、今回の件を差別と言うのならばもっと早く秘密のケンミンSHOWとかを叩いていないと駄目だよね、その県出身のタレントかもしれないけれどその県民全てを表わしている訳ではないし、ある種の県民のオーバーな演技が介在する訳だから顔を黒く塗るのと何ら違いは無い筈ですよ。

昔から言われている「馬鹿って言う奴が馬鹿」という言葉きっと同じ様に「差別って言う奴が差別している」に違いない、わかっていない低俗なお前達に教えて上げようという上から目線が其処にあるのだ、見下しているのである。
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2015年02月13日

ミスを許さない社会

STAP細胞の問題で理研は小保方を許さない、ISILの人質問題で坂本龍一は安倍政権を許さない。

兎角人は自分には甘く他人には厳しいモノだがどうにもチョイと行き過ぎな感じがする、何かと余裕がない感じが実に精神的に辛い。

この原因って何かと効率化をはかり遊びの部分が無くなった為ではないだろうか、最適化、最高パフォーマンスを求める過ぎた為に些細なミスまで文句をいう事になっているのだ。

いやミスでないモノまで自分の理想型と違うというだけでミスとしてしまう位にガチガチ物事を決めているのだ。

この嫌な緊張感が人を爆発させる、張り詰めた緊張の糸が切れた時に暴走するのである、いやもしかするとその様な事に反応している僕自体が緊張の糸キンキンで些細な事反応しているだけなのかもしれない。

世の中、実際はユルユルですよといわれるのかもね。
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2015年02月12日

枯渇

世界はなんか色々なモノが枯渇している様な気がする、映画のリメイクだのリブートだのといった部分とかをみても何か人に活力が無くなっているのではないかと、また世界の政治も生きずまりとりあえず壊そうとするのも活力があるのではなく面倒臭くなって卓袱台をひっくり返したいだけ。

ISILの問題にしてもしっかりと話合い妥協点を見つけ出そうという手間をかけるだけのやる気が既に無いのだ、一番手っ取り早い暴れて満足という事なのだ。

色々なモノが売れないというのも新しいモノが出ないのではなく、何か欲しいという欲求もない、草食化と言われている事も人類の種として老化が進んでいるのだろう。

老化で意固地になる事で世界政治の揉め事が中々解決しないのかもね、それに必要以上にお金を蓄え込もうというのも老化なのかもしれない。

マスコミも何か独自の視点で世界を社会を解き明かそうする感じもない、同じ様な記事を垂れ流すだけ、もうねぇ疲れ切っている感じしかない、老人の死の匂いが漂っている感じです、それにボケが始まっている感じも実に具合が悪い。

枯渇した理由は何か?

色々なモノが速く進む為に精神的老化が早く進んだという事と長生きした人が何時までも若い気持ちで上に君臨し続け次にバトンを渡さない、その事が活力を削いでいるのだ、社会はドンドンと澱んでいき色々なモノが流れなくなり腐敗していく、新しい芽が育たないのだ結果枯渇するのだ。

森も適度に木を間引かないと駄目になったりするでしょ?大木の影では新しい芽は育たないでしょ?

もう少し失敗出来る環境を作らないとね。
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2015年02月11日

必要とされる

世の中に必要とされる人間になりなさいといった事をいわれてその事に悩んでしまう人々。

基本的に必要となんかされていません、されていると思うから悩むのです、世の中に必要とされている思われている人も実際は別に必要とされていません。

別にフェイスブックが発明されなかったとしてもipadが無かったとしてもAKBが居なかったとしても何にも問題は起きません、確かに今無くなれば不便を感じたり寂しかったりするかもしれませんが始めから無ければ何にも不便を感じません。

医者が存在しなかったとしても病気になったら死ぬとか、自然に治るのを待つというだけで実はその概念が無ければ困らないのです、そういうモノとして認識して日々生きるだけです。

また170kgの球を投げ5割の打率があったとしても野球が無い所では必要とされないです、また医者が余っている場所では医者も必要ではないのです。

偶々、希少価値があり、稀少な価値を提案出来た場合に必要とされていると錯覚するだけです。

必要とすると人と必要とされる人は持ちつ持たれつです、必要とされていなくても何かを必要とする事でその対象からは必要とされる人になるのです。

医者は患者がいて始めて必要とされるのです、そういう意味では常に必要とされているとも言えるのです、単なる消費者だとしてもモノを売る企業からみれば必要の存在です。

その様に考えると必要とされる、されないという境界は霧散していきます、必要とされると考える事が無意味になっていくのです(屁理屈且つ論理の超飛躍が有るけどね)

まぁ子供ですら社会システムが変わり国家児童みたいな事になれば親という役割すら必要としなくなるかもしれないのだ。

必要とされない、いや存在するなというマイナス方向にはあっという間に陥るからご用心。
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2015年02月10日

マニアック

頭の皮剥ぎ取りホラーのリメイク。

トラウマ持ちの主人公の悩みは深い、抑えきれない衝動に悩む自分とそれを楽しむ自分との葛藤に悩みながらも秋穂求めて彷徨いまくる。

ちょっとだけでも母親の愛情があればここまで落ちる事は無かったのかもしれない、その悲しさか残虐な中に花を添える、その主人公を演じるイライジャ・ウッドの演技も良いし、ルックスの繊細な気持ち悪さも抜群です、子供のまま大人になってしまった感が滲み出ています。

ヒロインもまたイイ感じの繊細なアートオタク感が出ています、兎に角脇役も含めキャストはイイ感じです。

それと良いのは音楽です、微妙に落ち着かない80’SB級映画風のシンセミュージックがこの映画に彩りを添えています、音楽だけでも何か不安になれるのです。

そんな感じで概ね良いのですがどうにもトラウマと行動の関係性が今ひとつわかりません、永遠を手に入れたいから髪の毛?生身の人間は汚いから、勝手な行動をするからマネキン?

でも何か一つその辺の説明をするエピソードが欲しい所、蛇足になるテンポが悪くなる可能性は高いのだがもう少し説明が欲しい、その辺が今ひとつ明確でない為に犯行をする対象の基準が今ひとつピンと来ないのである。

髪の毛が基準だとしてももう少し髪の毛フェチの部分が無いと弱いのと僕は思う。

そんな問題点はあるけれどイライジャ・ウッドの気持ち悪さだけでもそれなりに充実感はあるから観て失敗したという感じはない。
posted by mouth_of_madness at 23:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月09日

悪魔のいけにえ レザーフェイス一家の逆襲

傑作ホラー映画の別バージョンの続編。

悪魔のいけにえ2という正当な続編があるけれど、俺だったらこう作るねという感じで別バージョンを作っています、それで面白いと良いのですがそんなに面白い事もなく、これは舞台設定が何時なんだよという感じとかヒロインの行動が頭がおかしい感じがして見終わる頃にはトホホの嵐。

結局何がしたかったのか良くわからない映画になっているのですよ。

過去からの因縁を描くのであればレザーフェイスが何故あの様になったのか、あの一家が何故狂気に走ったのかを遡るべきだと思う、何か理由があって悪魔のいけにえの1作目の様な事が起きたという事描かれてこそレザーフェイスに共感出来るというモノだ、事件を起こした事があって暴徒により一家抹殺という事では理由が弱い、それにヒロインの友人達はレザーフェイスによって殺されているのだ、身内だからといって共感するのはあまりにも力業過ぎる。

むしろヒロインの友人達はヒロインがレザーフェイスの身内という事がわかった街の人々に殺されるとかの方がスッキリするのではないだろうか、見せかけの平安の街にある独裁的狂気、それを粉砕する為に屋敷の奥に封印されていたレザーフェイスを解き放つなり、2代目レザーフェイスになるなりの方が話的には分かり易いと思うし共感も持てるのではないだろうか。

後レザーフェイスのメイクなのだが新しい方がリアルなのかもしれないけれどオリジナルの気持ち悪さの方がリアルさを感じるのも問題だと思う。

多分リアルさというのは正確に質感を描くのとは違うと思う、かってチョイと流行ったスーパーリアリズムというイラストがあったけどそんなモノより筆のタッチが見えてもレンブラントの肖像画の方がリアルに思えるのと同じ事かもね。

実際のリアルと脳内のリアルの違いが其処にある。

スプラッター描写にしても同じ、内蔵とかがリアルになっても今ひとつ気持ち悪さは出ないし、嫌悪感を抱くリアリティは出ないのだ、どことなく軽い感じになりがちなのである。

乾いた生臭さ、瘡蓋感が出てこそ嫌なリアリティが出るのだ、脳が補完、増幅するイメージブーストを甘く見てはいけないのである。
posted by mouth_of_madness at 21:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする