2015年05月31日

X−MEN フューチャー&パスト

今を救う為に過去を変える映画、ヒーローモノだから難しい事を考えずにアクションでスッキリで良いじゃないという感じが微妙に嫌。

登場人物にも微妙なドラマしかない為に何か深刻風って感じでちっとも話に入り込めないのですよ、もしかすると一番キャラとして描けているのはトラスクかもね明確な目標、危機感をもっている感じがあるからね。

マグニートのスタジム破壊とか、クイックシルバーの厨房バトル、センチネル軍団によるミュータント狩りとそれなりに派手な見所は有るのだけどストーリーに入り込めないから意外と退屈なのですよ。

まぁ映像の見所といってもコレは新しいという「うひょーー!!」という感じは皆無なんだけどね。

それとこれは勘ぐりすぎかもしれないけれどコレまでのX−MENシリーズをリセットしたという感じがするのよ、死んだキャラクタも蘇ったし歴史の流れも変わった訳だから別解釈で作り直せるという、それぞれのキャラが出す答えが違ってもいいということだからね。

兎に角話が薄いのです。
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2015年05月30日

年寄り

年金問題でマスコミが吹き出しさせている年寄りは死ねというのかという不満。

中年ではあるが年寄りでは無い僕が言っても説得力も無いのかもしれないが一言言いたい、早く言いたい「そうです死ねと言うことです、自力で出来るだけ頑張って下さい」

残酷かもしれないけれどそういう事ですコレはいずれ僕にも降りかかる罰の様なモノです、そんな風な脆弱な世界と個人の楽しみを優先した結果です、目先の利益に目が眩み社会の問題を見逃した為の災悪です。

税金あげる時は子孫の借金を残すつもりかといいつつも自分の年金の為に若い世代に、先の世代に問題を残すことは平気ってどれだけ矛盾しているのよ、脳に何か問題があるのでは思ってしまう位心配になる。

社会に問題があり生きる事が出来る人数に限りが有る場合には先が無い人には切符は用意されていないのよ、若者に優先件があるのさ。

生活をしたいのであれば、昔から言われている働かざる者食うべからずだと思う、定年退職制度を変革するべきなのよ、労働力不足で移民を入れるより良いんじゃ無いの?

働けるのであれば死ぬまで働けば良いのだ、年金プラス賃金で生活するのよ、暇してボケるより良いのではと思う、体力的とか気力的に問題あるからフルに働くのは嫌とかいうのであれば週2日程度働けば良いのよ、日当8000円月8日程度働けば良いのよ、年金支給額減った分とかより全然良いでしょ?

むしろ文句を言うとしたら労働する場所を紹介しろという感じではないのか?

金だけよこせというのはムシのいい話、ちゃんと年金が出せない社会を作ったのは自分達なのだから、浮かれて政治をちゃんと見てこなかった、後の事を考えずに人権、自由と叫びまくったその性で子供がブレた。

バブルで浮かれたんでしょ?会社の景気がグイグイ良くなって調子こいたのでしょが。

健康的に医学的に寿命は伸びたのだけど社会的には寿命が伸びていなかったという事なのよ、
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2015年05月29日

腹をくくれ

東京五輪のゴタゴタを見ると覚悟が足りない感じが実に不愉快、それをやると決め世界的にアピールしたんでしょ?

覚悟決めてしっかりやれよと思う、計画の杜撰さがあったのを力業でやるしか無いのよ、誘致成功して大騒ぎしていざ金が足りない、時間が足りないとか阿呆かと思う。

これねぇ企業とかだったら大変な問題ですよ、それを国家がやったらただの恥さらしでしかないのよ、そんな恥さらしの損失たるや今回の費用なんか吹き飛ぶ位の金額になるのですよ。

信用を築くのは大変だけど壊れるのはあっという間なのよ、ひたすら地道な活動で積み上げるしかないのよ、目先のお金に目が眩んでは駄目です、500億の出し渋りその結果その結果もっと大き損失を出してしまうのですよ。

むしろもうの500億出して完璧に仕上げる位の心意気がこそが大事です。

やると決めたのは都民でしょ?そしてオリンピックによりあぶく銭を得るのも大概は都民ですよ、何をケチ臭い事をと思います。

利益は得たいけど金は出さないでは筋が通らない、計画の甘さは自分達の浅はかさです。それを噛みしめなきゃ、ただでさえ当初の計画を変え近隣の県にふる事でコストを下げようとするおかしな事をしだして更にお金がもったいないとか貧乏臭さ丸出し。

ここにねぇ今の日本の景気の悪く無った原因が透けて見える気がする、何にお金を出すかを見極める事が出来ず目先の出費の額だけを気にし過ぎ未来からの利益を見失う、損益を見誤る。

多分ねぇ骨の髄まで貧乏臭さが染みついているのである。

そんな事を言うとオリンピック後の維持費が大変だ、しっかり先の事を考えているというのだろうけどね。

それならばペイ出来る運営方法を考えなさいよと思う、どう考えても無理というのならば計画の穴を見抜けなかった自分達の浮かれの勉強費と諦めな、
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2015年05月28日

裁判所の正義

裁判所の正義は誰が裁くのか?

どうも政治的解釈が伴う事の裁判に絡む判決に対してどうにも疑問が残る、単純な刑事事件ならば事件関係者する者を裁判から取り除く事が出来るだろう。

だが政治に関する事は排除する事が実に難しいのでhないか?判決の結果により変わる事はは政治に影響を与えるそしてそれにより変わる政治の当事者になるからだ。

その状態で公平な判決なんて不可能に近いのではないか?

いや本当は全ての裁判で問題が生じているのだ、裁判員制度でランダムで選んだとしても偏りがでない人数で判決を出している訳では無いのだ、死刑反対派ばかりが選ばれてしまった結果超凶悪犯が死刑にならないという事は十分に有りうるのだ、また逆もあるだろう。

此等の正義誰が担保するのか?

政府の決めた事に対して裁判がNOと言う、裁判は戦況等で選ばれた訳でも、政治のプロでもない、だが政治に影響を与えるその判決結果によって問題が起きた場合誰が責任をとるのか?

選挙で選ばれた議員が間違った政策で問題を起こしたのであればそれはそれらの議員を選んだ僕達の責任という事で諦めがつく、間違いの原因を自分の中に探すkとが出来るけど裁判の判決で起きた問題に対して僕達はどうすれば良いのか?

納得が出来ないまま悶々とするしかないのだろうか?

政治の暴走も裁判の暴走も問題ではあるけれど、静かに進む裁判の暴走の恐怖をもっと実感するべきだと思う。
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2015年05月27日

中性子爆弾

イエメンで使われたという中性子爆弾。

このニュースの真偽の方はわかりません、大半の人は有り得ない、そんなモノ使われたら世界中のニュースとかは大問題になっているという様な実にありふれた答えが返って来るだろう。

でもねぇ実際に何らかの爆弾は使われているみたいだし、戦闘は行われているのよ。

そんな状況で出て来る謎の情報、嘘か本当かわからない情報の背後に何があるのよと思ってしまうのよ、単純に面白い、何かチョイと話題になるという理由なのか?それとも頭がおかしいのかそんなありふれた理由で片づけて良いのだろうか?

何か別の政治的理由が背後に隠れていると思うのは僕の陰謀論好きがなせる妄想だろうか?

UFOにしても秘密結社にしても単純なオカルト馬鹿話と片づけて駄目だと思うのは僕だけだろうか?そんな陰謀なんかないと言うの簡単だでも何の根拠も無い事で自分を納得させているだけの様な気がしてならない。

日米開戦の背後にロシアの陰謀は本当に無かったのか?有ったという文章があるのだがそれは偽物なのか?表の歴史の裏に様々な思惑がからみ、ロビー活動の合成により政治的決断が行われていると僕は考えている、表面的に首相等が語る政治的決断の声明が全てではない、真意は隠れていたりするのだ本音と建前等があるだろうし、表に出てこない工作活動は諜報部とかが有る状況を考えれば常に何か裏で動いていると考えるの正しい筈だ。

目的等が見えないし、世界の仕組みがわかっていないから分かり易い世界、自分の理屈で構築出来る世界を定義してしまう、僕の考える見えない陰謀が背後にあるというのも都合の良い解釈の可能性は高い。

世界のホンの極一部しか人は観ていないからね想像力で世界を定義しているに過ぎないのよ、そういう意味では仮想現実に住んで居るともいえるのだよ。

大した理由はないのかもしれないが、中性子爆弾が使われたという報道の裏に隠れる真意は何か?其処に今中東に進行している何かがある様な気がするのだ。
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2015年05月26日

スポンサー

低視聴率でドラマの1話だけを削る打ち切り。

この様な状況を見るとテレビってやはりスポンサーの為のモノというのを実感する、そのドラマを観ていてくれる視聴者の事なんか考えられていないという事だ、ドラマを作っている制作者の事も考えていないという事。

まぁ制作者は自業自得の部分もあるけれどドラマの原作者とかに対してはチョイと酷いのでは無いだろうか、なんか原作を台無しにされたという感じが嫌な気分にさせるのではないだろうか。

スポンサーの意向でキャスティングとかに影響が有るという話もそれならば本来はスポンサーも一蓮托生でその番組を最期まで見守る必要があると思う、そうでないとしてもその枠にお金を出しているというある種の博打をしているのだ損も受け入れろと思う、評判が良い時だけの得だけをとろうというのはムシの良い話だ。

金を出しているのだからエラいのだというのだろうけどね。

でもその構造に多少の無理が来ているのではないのか?スポンサーの思惑と視聴者の思惑、テレビ局の思惑ののズレが生じているのだ一つの尺度で測る事に歪みが出来ているのである。

こうなりゃもっとスポンサーにより番組の個性が出れば良いのではないか?中途半端な介入では無く番組の色合いにまで口を出す位の勢いが必要なのではないかと思う。スポンサーも視聴率が低くてもうちの客には訴求力がある番組だからOKだいう度量が必要なのよ。

スポンサーとして世の中を面白くする為の投資だという位の余裕が必要なのよ、あまりにも投資した分に見合う企業への見返りを求めている様なセコサでは文化なんか作れないのだ。

昔の金持ちが作家や絵描きを囲ったり、学者に勉強させたりという面白さ追求という粋な部分が必要なのよ、視聴率に口を出すのでは無く面白さに口を出すスポンサーで有るべきなのだ。

あとテレビ番組もクラウドファンディング的なモノを視聴者にぶつけてみたらと思う、枠を視聴者に売るのだ、まぁこれは現時点では大した金が集らない可能性は高いけどね、でもねぇ時代が進めばこういうのも有りになる時が来るのではないか、観たい番組に先行投資をさせる新しい形。

まだ金がある今のうちに何かをやらなければテレビは更に微妙なモノになり果てる。

何だろうこのところテレビの事を考えすぎてるよね。
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2015年05月25日

理性

衝動的行動を止めるのが理性とか言われているけれど本当にそれって理性なのだろうか?

単なる打算の結果に行動をしなかっただけではないのか?それを理性と言うのはチョイと違うと思うのよ、どっちが自分にとって得かという事で行動するというのは理性ではない。

まぁ世の中で理性が無いと言われている人は目の前の事象だけで行動してしまうから更に本能的かもしれないけれど。

打算もまた非情に本能的なのよ、メリットとデメリットでチョイと判断しているだけだからね、快楽で行動するか恐怖で行動するかの違いの可能性が高いのよ。

そんなモノは理性でも何でもない、快楽も恐怖も越えた所で判断する、恐怖があってもそれに打ち勝ち物事を評価出来てこそ理性があるといえるのではないだろうか。

感情に影響されるモノは理性ではないのだ、理屈以外のモノから超越し、全てのモノを客観的に観る其処に理性は宿るのである。

その様に考えると殆どの人に理性なんか無いという事なのだ、客観的に物事を捉え導き出した答えならば本来はストレスはない筈だが、打算、妥協の挙げ句に出した答えには何処か無理がありストレスを感じるのだ、本当の理性とは感情を抑えるモノではないのだ、スッキリと答えを出す事で感情の小波は立たないのである、結果穏やかな状態になるのである。

理性で生きるってストレスは感じ無いかもしれないけれど、感情の振れによる人生の醍醐味はないのかもね。
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2015年05月24日

レイヤー

一括りにして話すと人は色々な要素があるという、人種や国や地域といった括りで話すと差別的と問題視される。

それは何処まで細分化すれば良いのか?

個人という観点ならば大丈夫なのかというがその個人も寝起きの時と飲んだ時と疲れた時という状態でも行動や性格とかが違ったりするし、友人といる時と嫌いな人といる時でも変わるのよ。

過去は悪人、今は善人、未来は極悪という事もあるかもしれないしね何処のレイヤーで判断しても正確性に欠けるかもしれない。

実際はどのレイヤーで話しても良いんじゃ無いの?

地球を表わすにしてもザックリと海と陸地の有る惑星という表現から、国が幾つあり、何種類の生物がいてという所を経て組成物質は何という所まで様々な表し方で見方は変わるし、色々な情報に細分化する過程で立ち位置が微妙になると思うのよ。

政治もそうでしょ?賛成、反対、どちらともいえないという感じから、賛成意見の中でも細分化出来るし反対の意見も細分化出来る、限りなく反対に近い賛成とか色々と分解過程で色々な意見を引き出す事は可能なのよ。

どのレイヤーまでの解像度でモノを語るかで色々と微妙な事になるのである、何処の部分で語っても間違いとはいえないのだ。

これはねぁ色々な事を効率化する為に必要な事なのよ、事細かに見ていたら時間は足りなくなるからね。

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2015年05月23日

目を疑う

コンビニに行ったら「インターネットは永遠にリアル社会を越えられない」という本が売っていたのである、このタイトルを見た瞬間何を当たり前の事を言うのだと頭クラクラですよ。

この本のタイトルをつけた人はどういう意図が有るのだろうか?この当たり前の事を言っておいて内容は全然違う展開で意外性を出そうという魂胆か?世の中インターネットなんて大した事無いよねと思っている部分にそんな事はないという本なのか?

まぁ実際はネット使っているとネット世論の声が必要以上に大きく感じて現実とのギャップがあるよねといった所だろう、現実に対する影響力は大して持っていないといった事を政治とか選挙の結果から大した事はないといった事を書いているのではないだろうか。

また現時点のテクノロジーではネットに流れる情報の真偽等を判断する部分は人間のアナログ的部分による部分が大きく、瞬時に正しい情報を共有出来る様な技術では無いから社会を変革させるだけのモノにはなり得ないといった所か。

乗り越えるも何もインターネットは現実ですよ、現実の一部なんですよ井戸端の拡張とか床屋談義の延長ですよ、横丁でやってるか床屋でやっているか居酒屋でやっているかネットでやっているかの違いでしか無いのですよ、でもねぇ影響力が無いかというと実際にはあるのよ。

本屋が減ったりレコード屋が減ったり新聞の売り上げが減ったり、テレビの視聴率が減ったりとか変化は起きていると思うよ、まぁそれも現実だから越えるという事は無いけどね。

現実は徐々に変化していく、かってテレビや新聞等が社会に与えた影響力程度にネット言論も力を持つ時が来るとは思う、現時点ではノイジーマイノリティかもしれないけれど、子供の時からネットで言論を垂れ流す世代が中年になる頃にはマイノリティでは無くなる時が来るかもねと思うのよ、でもこの本のタイトルからすればこの様な状態は永遠に来ないという事ですよね、論理的にその辺を説明出来るのか?来ないというだけの説得力のある根拠があるのだろうか?、

ジワジワ変わるという部分が理解出来ないまま現実を越えられないと言っているだけなのだと思う、ある日を境に劇的に変わる夢でも見て、そんな夢みたいな変化は無いと打ちのめされただけではないだろうか。

僕が就職して27年程度、コンピュータに対する認識は大幅に変化している、生活に入り込み思考ね変化を与えているのは実感出来る、ネットを使い始めて18年でも速度の変化とか情報に対する接し方も変化しているのよ、テクノロジーが思考に影響を与えているのだ、ジワジワと変化しているのだ。

そもそも現時点でインターネットが無かった時の世界と今の世界のギャップなんかわからないよね、ネットが無ければ引き籠もりがどうなっていたか?暇を持て余した引き籠もりは暴れていたのかもしれないし、真面目に働いていたかもしれない、マンガとかもヒット作の傾向とかは今と違うかもね。

政治とかの結果だけでノイジーマイノリティと片付けて良いと言う程のモノではないと思うのだが。

まぁ読んでないタイトルだけの妄想感想文だけどね。
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2015年05月22日

毛唐

毛唐で詫びるという事が起きた、差別的という事何だけど今に南蛮も語源的は差別的なので禁止になるのだろう。

攘夷とか夷狄という言葉も今に使えなくなって歴史ドラマ等で困る事になるのだ、教科書とかも言葉をもっと選ぶ様になるに違いない。

鶏南蛮、カレー南蛮とかどうするのだろうか?

いやもしかすると外人すら差別的となる可能性すらある、馬鹿が言葉の線引きをしているからだ。

言葉に差別の匂いを感じたら言葉を狩る、しかしその状態を表わす為に別の言葉で表現をしだすとその言葉にも差別的匂いがつく事になるだろう、そうなったらまたその言葉を狩る事になる、言葉はドンドンと表現力を失うのではないか?

実際は表現力ではなく言葉が回りくどくなり分かり難くなるというのが正解かもね。

今に犬とかポチというのも差別的となる事すら有りうるのよ、使い方では差別的になるからね、言葉を狩れば色々な事が解決するというのだろうか?

多分それは正義をおこなったという単なる自己満足に過ぎない
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2015年05月21日

低視聴率

低視聴率になると主人公とかの俳優に責任をなすりつける感じ。

低視聴率のドラマ、打ち切りドラマに連続出演したりするともう大変ですよ、また逆に視聴率を持っていると言われる高視聴率ドラマの常連もいる。

まぁ確かに関連性はありそうではあるが、チョイと役者に同情します、多分一番の責任はプロデュサーだったりするのよ、また中途半端に口を出すスポンサーだったりが原因だったりすると思う。

実際に原因を特定しようとすると色々な要素が多すぎて検証は難しいから記事になりやすい役者の責任にされてしまうのだ。

でも視聴者や週刊誌等の読者はそんな記事を本当に読みたいのだろうか?スポンサー的には金銭の絡む事だから視聴率は大事だけど視聴者がそれを気にするというのは何かおかしいのではないか、原因を考えるのも何かテレビの見方として間違っていると思う。

これって何が面白いのかを他人に決めて貰う為の価値観を提供して貰わないとテレビすら楽しめなくなっている不安が内包しているのではないだろうか。

音楽チャートとかにしても興行収入にしても流行に乗り遅れる事の恐怖があり、自分がそれをみて面白いと思うか否かを判断出来ない為に他人の感想に頼っているのだ、世間で良いといわれているモノを駄目と言う事でセンスがないと思われる事が怖いのだ、モノを観る目が無いと思われるのが恥ずかしくて堪らないのだ。

だから低視聴率に反応してしまうのだ、高視聴率に依存してしまうのだ。

時間が有限だから効率よくとかいう意見も有るとは思うけどね、でもそれって番組を楽しんでいるのかいと思ってしまう。それって流行を消化しなんとなく面白いといわれているモノで不快になる事はないというだけなのではないだろうか。

テレビなんてものは時間が許す限りダラダラと見れば良いのよ、面白くなくても見るそのうちに自分のツボにハマる番組に出合うかもしれない、合わない可能性もたかいけどね。

視聴率なんて気にするな、そうすればもっとテレビを楽しめる。
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2015年05月20日

大志が無い

またまたトンデモの大前研一です、今の日本の若者には大志が無いそうです。

昔の若者には大志があったけど色々なモノがあり、危機感の無い今の若者には大志が無いらしい、大志ってそんなに大事なモノか?戦後復興の世代が作った日本のぬるま湯に浸り欲望の赴くまま暴走した世代が何を言うか。

その世代の次式過剰の大志が作りあげた若者が大志をもてない社会が今ではないか。

子供の夢と希望を奪い尽くした者がそんな事を言うのは駄目ですよ。

実際は現在の若者の大志が理解できないだけでしょ?自分達の世代の考える事と違うから大志ではないと思うだけ、平穏な生活を希望するという志、不必要な衝突を避けるという志。安い欲望から解脱する志、十分に立派な志です。

1人1人は小さな力でも十分に社会を変革させています、夢を語るより実際に社会に影響を与えていますがな。

まぁ今の経済システム的に問題は出ると思われるから、欲望が適度に枯れた状態でも動く新たな経済システムを導き出していかないと駄目かもしれないと事はあるけどね。

上手くコレを乗り越える事が出来ればきっと新しい社会の仕組みを構築出来ると思うのですよ。

世代で安易に社会を分ける事自体が間違っているのだけどね、実際はダラーッと連続しているからね、中心と末端でタイムラグも微妙にあるからね。

流行を発信する連中とそれを記事等で知り参加する連中では温度差がある訳だしね。


結論大志なんて無くても世の中は進むし、大体大志なんてロクなもんじゃんねぇし、大志なんて大概は厨二病ですよ。偶々時代を変革なんかして世の中の流れが変わったりすると時代の寵児と言われるだけです。
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2015年05月19日

モラル

モラルを高くすると確かに窮屈に感じる部分はある、色々な手間はかかるし、他人の事を意識するという大変さもあるだがその結果、社会全体はスッキリしモラル維持の為に手間をかけるストレスより利益は大きくなると思う。

最初からガチガチにする必要はない、チョイとだけモラルを良くするだけで良いのよ、それだけ良い。

それにねぇモラルを精神修養的なモノと思うかもしれないけれどそれはそれで正しいかもしれないけれど実際は其処まで難しく考える必要はない。習慣化で十分なのよ単純にゴミはゴミ箱にというクセをつける、習慣化するだけ十分なのよ。

意味を考えて行動する方が本当は正しいのだけど、そうでなくてもそれが習慣化し更に時間を経て文化化すればいい感じになるのよ、習慣化すればその事を行う事にストレスは無くなるのよ、逆に出来ないとなんか気持ち悪い状態でイイ感じにまとまるのである。

ウォシュレットにが習慣化するともうそれが使用出来ないとなんか尻が拭き足りないと思うのと一緒、ほんの少し前は和式のポットン便所で尻拭いていたのだからね。

携帯電話もそうでしょう?他の方法が出来たというのもあるけれど通話しなくてもイイ感じになっているでしょ?

犬の糞にしても多分ペット飼っている人はそれが当たり前になり、モラルという手間ではなくそういうモノという状態にまで昇華していると僕は思っている。

色々と余計な事を考えるから手間に思えるのだが考え無ければ手間は限りなく低くなる、道徳的教育とかいうからややこしくなるだけで、来週からこうするのが当たり前という感じ位が丁度いい。それが三年も続けば定着しますよ、モモラル高いと他者からみれば思われますよ。

形から、型からでもそれを続ければ時間を経ると心が入ります、付喪神とかと同じですよ、歌舞伎や空手とかも型を続けて行く事で自然と動く段階が来るとかいう話とかもあるからね。

それで良いと思う、変に精神論に向かうより分かり易い筈、まずはそういうモノと刷り込むのです。
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2015年05月18日

アンデッド・ウェディング 半ゾンビ人間とそのフィアンセ

予告編では面白そうに見えるけど本編を観ると面白くない。

ギャグがどうにも肌に合わない、間延びした感じとオチが弱い為にどうにも食い足りない、やはりギャグは難しい、笑いにはやはりバックボーンになる文化感が違うとどうにも楽しめない。

間が違う感じ、もしかすると予告編のテンポは日本人が編集したのかもね。

全体の流れで見せる感じは皆無だから単発のネタを楽しむという作りなのだけど今ひとつそれが面白くない為に映画自体は短くても結構時計を気にしてしまいます。

テレビのコントで毎週1シチュエーション的な感じで続きネタみたいに分けるのならばまだしも一気に連続して観るとどうにも退屈してしまう、そんな感じです、そのネタも破壊力は低めでドンドン退屈が増えて行く、其処をストーリーでシリアスな方向に持っていき感動路線か?と思わしておいてドスンと落としてくれれば良いのだけど最期までグズグズです、エンドロールの時にも小ネタをはさんではいるけれど今ひとつなのよ、まぁそうだよね的で意外性は何も無い。

此所まで結婚に拘る部分に何かネタがあれば良かったと思う、其処に「何だって」という面白さがあればもう少し見終わった時に充実感があったと思うのだが・・・・
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2015年05月17日

迂闊

映画等で地球侵略を企む連中って何かと迂闊な感じがする。

物凄いテクノロジーとかを持っている筈なのに迂闊な弱点を残していたりする、まぁ迂闊で無いと人類が勝つ事は不可能に近いから仕方の無い事なのだけど。

でももう少ししっかりして欲しいと思うは僕だけだろうか?

いや別に宇宙人だけではないのよ、ナチスドイツが間抜けだったりするとそれはそれで現実でのドイツにやられた国はこんな間抜けに攻められたの?と馬鹿にしている事にならないか?中国が作る抗日映画にしてももう少し真面目に作らないと自分達の祖先は馬鹿ですという事になると思うのよ、コメディとして観ているから関係無いとでもいうのだろうか。

娯楽なのだから気楽にという考えもわかるけど、やはりその雑な部分でトホホとなると娯楽としての満足感が薄くなると思うのだ、成る程コレならば相手の裏をかけるかもと思わしてナンボだと思うのよ、「インディペンデンス・デイ」のコンピューターウイルスにしても「宇宙戦争」のオマージュと現代的解釈かもしれないけれどアンチウイルスソフトといったセキュリティソフト使って無いのと思うし、問題のある部分を切り離し他に感染しない様にするとかバックアップシステムでリブートするとか対策しようがある様な気がするのだ、少なくとも大幅に進んだテクノロジーを持っている訳で。

もしアレが可能だとしたら敵には一つの意思しかないという集団という描写が必要なのではないかそれだから悪意を持ってコンピューターウイルスを作られるというのがコレまで無かった、その概念が抜け落ちていたという描写が必要ではないか?

しかしそうなると地球への侵略の仕方に対して違和感が出る様な気もする、人類に対して敵対的行動をする感じが実に人間的行動に思えるのだ、ひたすら資源を貪るだけで人間なんか相手にしない位の反腕と人類が攻撃した時の反応だけで勝手に人類がやられている位の方がリアルな感じがする。

地球を意思を持って侵略しようとする、何も分析せずに侵略するとは思えない、分析漏れがあるとしたら侵略者の概念から抜け落ちているモノでなければ駄目だと思うのよ、其処を説明しなと駄目なのよ。

迂闊な僕が言うのも何だが宇宙人迂闊過ぎ、簡単に反撃されすぎ。

デススターとかにしてももう少しどうにかしろよ思う位弱点を残している、でも此所でもふと思った原発にも杜撰な部分があったりしたからね、ドイツも此奴も杜撰なのが真理なのかもね、脚本家も含めてね。
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2015年05月16日

ミスユニバース

日本代表の宮本エリアナが微妙に気持ちが悪い。

やたら差別を振りかざす感じが実に気持ち悪い、こんな事を言うとお前は差別主義者かと言われるのかもしれないけれど、代表に選ばれている事を考えてもチョイと被害者意識が強すぎるのではないかと思う。

何らかの偏見はあるのだろう、でもそれはねぇ厳密な意味では差別ではないと思う、違うという事に何らかの抵抗を感じるのは人間の本能的部分だ、違いを理解するまでに時間がかかるのは仕方の無いこと。

また偏見を持っている人をおかしいと見る事も偏見だからね、日本人は差別的と考えるて日本人を観ている自分の偏見は正しいと考えていると思われる部分におかしいと思わないのは実に問題なのだ。

ハーフだから差別さてているというのが思い込みかもしれないという事は考え無いのだろうか?それが日本人の社会の駄目な部分と考える事は偏見であり差別と考えないのだろうか?

自分の身の回りの人を見て日本社会は差別的だと考える事は偏見だよね。自分がされたと嫌な感じを日本人に向けて発しているのである。


でもねえ更に気持ち悪いのはねぇこの人を日本代表に選んだ連中、この顔の見えない連中が実は日本嫌いなのではないかと思ってしまう、海外ではこの様に日本はおかしいですよという空気を持ち込む事で自分達の政治思想をメディアに乗せようとしているのではないかと偏見的僕は考えてしまうのですよ。

どうにも何か一芸に秀でていれば他の分野でも素晴らしい筈と考えるという駄目な部分の氾濫、野球が上手くても、良い映画を撮れても、素晴らしい名曲を作れたとしてもそれらが思想的にも政治的にも素晴らしいとは限らないのだ、人間性にしてもそうなのよ、でもそれらについての発言場所を与え褒め称える、どうかしてるぜ。
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2015年05月15日

木星

ホルストの惑星です、それもオーケストラ版も良いのですが僕は冨田勲のシンセ版が好きです。

なにかアニメというか映像感というか物語感がグイグイ来るのです、そんなモノは音楽の雑味というのかも知れないけれど実際には実在しない宇宙船の乗組員に泣きそうになるのです。

木星に辿り着いた喜び、荘厳差に圧倒され、徐々に地球から離れていく物悲しさ、スイングバイの加速、木星の嵐といった感じが何か壮大な宇宙計画を観ているようでゾクゾク来るのです。

以前歌詞をつけヒットした平原綾香のバージョンではこの感動が無いのです一部を切り出した感じではガツンと来ないのですよ。

音楽が与える映像絵巻、偶にこういうのがあるのですよ、音の魔力というかなんというか脳にシビれる、鳥肌が立つ様なシビれる様な体験が。

ストコフスキーのトッカータとフーガはなんか昼メロ的映像が再生され笑ってしまうけどね。
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2015年05月14日

巻き込まれ

戦争って自分から始めなくても起こるのよ、攻められる事もあるのだ。

武力が無ければ攻められない?日本はまともな軍隊を持たないから攻められなかった?アメリカは最高峰の軍事大国でもテロが起きたから軍事力は関係ないとでもいうのか?

色々な理由で戦争は起きる、パワーバランスが壊れれば起きるし、思想的対立でも起きる、領土的野心でも起きる収支が自分にとって利益に思えれば起きる様なモノなのよ。

国際社会が敵になると思えば軍隊が無くても攻められる事は無いだろう、だが今の情勢を観ればその国際社会というのも幻想で正義なんてモノはなくこれまた利益次第で糾弾する相手を変えるというモノ。

戦前も今も国際政治に正義があると甘い考えを持っているのが日本がしくじる理由、正論を言えば誰もが味方になるという甘い幻想により思考停止しているのだ。

アメリカにしても何時裏切るかはわかりはしないのが国際政治なのよ、偶々現時点では価値観とかが似ている、共存出来ると思うからお互いに利益があると考えて付き合っている状況なのよ。

軍事整備をすれば良いというモノでも無いし、九条を守れば良いというモノでもない、そんなに世の中単純ならば苦労はしない、現時点でどちらが国を守る為に必要かを考えるのが政治だと思う。

それにねぇ九条が無ければ戦争が起きるというモノでもないしね。

フィリピンの件とかを観ていて大丈夫と思う理由は何?尖閣にちょっかいをだし更なる軍事強化を計る中国とかをみて安心とでもいうのはチョイと麻痺している、九条あっても挑発されているのよ。

大東亜戦争をキッチリと総括出来ていないのが現在の日本の問題なのだ、侵略だの何だのといった国際問題ではないのよ、当時の日本政府、国民が何故戦争に踏み切ったかを知る事をちゃんとしていないから、軍隊を持てば戦争になると安易に考えてしまうのだ。

腹黒い世界で思想戦、経済戦、宣伝戦、軍事戦とといった様々なレイヤーで戦争は起きている、間違えばイチコロという状態なのよもう少し落ち着けと言いたいのである。

自分の思想や行動が本当に自分の考えなのか考えるべき、まぁ考えた所でわからない可能性が高いのだけどね。

既に僕達は戦争に巻き込まれているのだから。
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2015年05月13日

世界

世界なんてモノは見える所までしか無い、存在していたとしても認識出来なければそれは存在しないのだ。

昔の地図等で世界の果てが滝になっているモノとかがあるがそれと同じ様なモノなのよ。

目で見える所までという事ではないよ、新聞とかネットとかの情報もみえる部分という事なのです、殆どの人は世界の極一部しか観ていない、それで世界を語るからおかしな事になるのだ、政治家等も同じ一般人とは違う視点情報を見ているかもしれないがやはり世界の一部しか観ていないのだ、それで政治を行っているのだからやはり上手くいかない。

認識していない場所にも人は住んで居る、生活の営みは行われている、でもそれは認識されていないからそれらの事を無視した事が行われる。

極一部をみてわかった気になる、世界はこんなモノだと決めてかかるから歪みは大きく成る、昔は生活をしている場所の事をわかっていれば大した問題はなかったのだが、様々な技術等で世界は大部分が繋がった、でもそれで知ったいるのは薄皮の世界に過ぎない。良くわかってもいない所に力を奮うからおかしな事になる。

イスラム問題にしてもそう、価値観が違う者が住んでいるのに同じ物差を当てはめようとして泥沼になる、違いの本質を探ろうとしないから解決しないのだ、ザックリとした知識で世界が見えていると錯覚してコントロールすべき、出来ると勘違いしているのだ。

表面で見えている文化の裏に隠れる膨大な時間が隠れている事に気がついていないのである。

そこでまた思った地理的なモノ、空間的なモノは見えて認識は出来ていても社会、世界の背後には膨大な時間が隠れている人間の寿命から考えれば八〇年分位は生きている人間で把握出来たとしてもそれ以上はねぇ理解するの難しい、目には見えなくても確かにその世界は存在するし、存在していたのだ。

でも人は見える所までで世界を定義する、不完全な世界に生きているのだ。
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2015年05月12日

悪意

人類の叡智は人間の悪意を抑える事は出来るのだろうか?

理性は悪意を上回る事は出来るのか?

知恵が成長すればそれを悪用するのが人間ではないのか?その悪意を抑える事が出来なければ人類はきっと滅ぶ、滅ぼすの十分な破壊力を既に持っているのが人類である。

人類の知識は上がっているのだろう、だが精神的なモノは成長しているのか?知識としての倫理の仕分けは増えているのかもしれないがそれを実行するだけの精神が育っていないのではないか。

人権問題とかは知識として認識しているだけで精神的には理解していない、だからこそ人権をやたらと主張する、自分に何か有ればなにかと差別だ、人権問題だと喚くのである。

どうもこの世には人権というモノがあるらしいぞ、コレを上手く使い利益を得る事が出来るぞと悪意混じりに使う輩が湧くのがこの世の中ではないのか。

法律もそう、憲法も同じ、本質を考える事無く決めたこ事だから書いて有る事は正しく、書いてない事は間違いと解釈していしまったり、書いていない部分を抜け道と考えるという狡賢さが人間の本質なのだ。

法律、憲法を手に入れててもそれを運用する精神は手に入れていないのだ。

そしてそれらを悪用する人類を考えると、今に取り返しのつかない技術を手に入れそれを悪用してしまう、知識より先に精神をどうにかしないと駄目なのよ。

多分経済学もそうなのよ、世の中を上手く運営する為の知識である筈なのにそれを悪用する者はジャブジャブ出て来る、ネットも便利になる部分と同じだけ問題を生み出す悪意を散布し詐欺等の温床も作り出す。

物事には裏表がある、メリット、デメリットがあるという言葉で片付けては駄目なのよ、人間が悪用する事で起きるデメリットに関しては裏表とかで判断するべき事ではないのだ。
posted by mouth_of_madness at 23:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする