2015年09月30日

壮大な計画

移民問題とVWの不正問題の発覚。

壮大な陰謀計画に思うのは僕の気のせいだろうか?多分気のせいなんだろうけど其処に何らかの意味を考えて(妄想)しまう。

ウクライナ問題とかもこの流れにあると思う、もしやギリシャとかのデモとかもEUを揺さぶる為に学生とかに抗議運動させるという仕組みがあるのではないか?

EU自体なんかおかしなモノであるが十分に力をもっている、アメリカとロシア、中国からみたら邪魔なモノなのだ、パワーバランスを壊す為にもそろそろ力を奪うかという感じの策謀が動いているのではないか。

ドイツが移民を引き受ける流れになった所でドイツ経済の重要な要素である車産業を潰す、これからしばらくの間経済的に辛い事になるように仕組まれたのだ。

EUなんてドイツが停滞すると弱体化する事は目に見えている、そうなるとまだまだ不安が残るギリシャとかを支える事が更に難しくなる筈だ。

色々な要素で自分の利益最大化を目指しある項目では敵対関係、ある項目では協力関係というのがあるから構造が見え難くなる。

アメリカはドイツとかも盗聴していた訳ですよ、それならば良いタイミングでその情報を使うというモノ。

確かに世界同時株安みたいな事になると損もするけれど、後々の事を考えるとアメリカは今景気は良い感じという話だから余力のあるこの時に仕掛けるのがベストと判断したのではないか?

世界は腹黒いですよ。

大量に入り込んだ移民これからEUを蝕み続ける、これの指示をしたのも中東に入り込んだ工作員の策謀に思えるのだ、アラブの春とかも陰謀論があるが如くヨーロッパに逃げろと旗を振っている連中がいる様な気がするのだ。

そもそもシリア問題とかもアメリカの杜撰な計画が元、杜撰に見えるのも計画なのかもしれないけどね、中東をズッとグダグダにしておく事で中東、アフリカの成長を阻害する、資源と奴隷を残しておく事が利益最大化になると考えているのだ。

日本とかドイツは敵国条項で国連での力を削ぐ事は簡単だけどアフリカの国々、中東とかは本当に力を持った場合に難しいからね。

人権主義者とかももしかすると国力を減らすのに最適な戦略なのかも、反論難しいしね、旗振り役として最適なのだと思う。

戦争の仕掛けにしても最適だしね、圧政で苦しんでいる人を助けるという名目で戦争に正当性が出ちゃうしね。


とりとめの無い妄想でした。
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2015年09月29日

ミニマルな生活

断捨離あたりからドンドン物を無くすというシンプルな生活主義がなんか良いという考え、トランク一つの生活こそ至極みたいな極端方向に行ってしまう。

物に縛られないという生き方に縛られるというこの矛盾。

僕は基本的に物が増える側の人間、物とは僕の外部記憶装置なのよ、物に付随する思い出が蘇ってくるのですよ、まぁ思い出が一杯有るのもあれば殆ど無いのもあるけどね。

スピーカーとか部屋のスペースからしたら無駄だったりするのだけど高校入学の祝いで親が買った奴(僕の祝いに買ったのではない、親が自分の為に買ったモノ)僕が大阪にいた時にアルバイトで値切り倒して買った奴、就職してボーナスで買った奴、ホームシアターを作るでという事で買った奴、家購入でデカイの欲しいなという感じで買った奴とかドイツから個人輸入した奴という感じで増える一方、でも結構全部使ってます.使用頻度が低いのもあるけれど、別に全部使う必要すらないけれど使うと楽しいのですよ。

好きなモノに囲まれる生活というのも良いのですよ、シンプルとは違うけど、色々と大変ですけれどこれもまた人の生き方の一つ。

世の中には捨てる人と拾う人というのがいるのですよ、多分相容れない生き方です。

ミニマルに生きる事で本当に必要なモノとかを考えるのが大事とか言われると「ケッ!」となります必要とか必要じゃ無いとか考える事のいかがわしさ、その考えを極端に進めるのとね必要な人、必要では無い人という感じで選民思想に突入します、この地球に必要な人は1億人とか言い出して排除しますよ。

必要、必要では無いというのは可能性を潰す行為に思えてしょうが無い、世の中は無駄で出来てる、無駄こそが人間の本質なのだ無駄な事をするのが人間なのだ。

削って自由というけれど何から自由になったのだろうか?
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2015年09月28日

ノア・約束の船

ノアの箱船の話の新解釈。

ザックリいうと孫はカワイイという事、爺さんは孫に弱いという事、それこそが原罪なのかもね、愛があるから選択を間違ってしまうという事。

人には様々感情があり、感情が思考をコントロールしてしまう、本当は知恵の実というのは知恵ではなく感情なのかもしれない。

知恵により感情に理屈づけをする、解釈してしまう、現状に理由があると考えてしまう、知恵があるから他と自分が違うモノと認識してしまう。

自我が神に期待をしてしまう、神も自分も同じと認識していたら起きなかった悲劇。

リセットを試みるも結局は愛情により思考は変化し当初とは違う答えを出してしまう、正しかったの間違っているのかそれは神のみぞ知る。

まぁ僕に言わせれば人は神に似せて作られたのであるというのならば神自体が不完全だという事何だけどね。


とりあえず不完全な人間が七転八倒し洪水が起きてさぁ大変な映画でした.

キリスト教系の幼稚園に行っていた時に聞いていたノアの箱船とは違う感じでした、神の話を素直に聴いた者達とそれを馬鹿にしていた万能感と快楽を貪る者達の話では無いです。

神の声を聴く事も業な映画です。、
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2015年09月27日

神様の言うとおり

マンガ原作、三池崇史監督のバンバン人が死ぬ映画。

兎に角死にます、まぁ後半は生きている人間が減っているから言う程死なないけど。

物事を極端にすると馬鹿みたいになる、茶番になるという感じです、人の死も阿呆みたいな現象に成り下がるという事です。

この作品が語りたい事は原作知らずに映画だけで妄想すると、途中に紛争のニュースを挿入していたりする部分から神の名において未だに戦争を繰り返している、ひょんな事から紛争だの内乱だの戦争だのが起きて理不尽に死ぬ事は日常に溢れているのにそれに気がつかない、退屈だと嘆いたりもする。

でも実際に自分がそんな理不尽な事に巻き込まれたら文句をいう人間の身勝手さというか愚かさというか、生きているという事が色々な生存競争を経て成し得ているという事を忘れがちですよ。

確かにこの映画の様な死に方は無いかもしれないけれど理不尽な事に巻き込まれ死ぬという事は日常に溢れているのです、事故、災害、天変地異、殺人、戦争、病気と自分の予想外の所から死は訪れるのです、この映画で描かれる様なちょっとした選択ミスとかで死ぬ事は別に非日常ではないのです。

どれにしようかな神様の言うとおりという感じで死ぬ人が選ばれているのかもと思っても不思議では無いのです。

いよいよ神様出てきて、引き籠もりが世界を救いに出かける所で映画は終わります、僕の想像では神の子が決まり謎の立方体の上から地上を見下ろしている状態で地上が焼かれるのではないかと思ったのですが其処までやると蛇足ですね、良い所で話をぶった切り終わっていると思います。

観ている人間にも何が起きているのかわからない良い終わり方だと思います、何ぞこれ!?という感じが残り後半のチョイと良い話的なダラケた感じを吹き飛ばしてくれます。
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2015年09月26日

民間療法

川島なお美の癌治療における民間療法、それに嵌まっていたいう記事。

ジョブスも嵌まっていたという話もある。

それなりに金もあり色々な所に問い合わせる事も可能な知名度もあるのに最後に頼った民間療法。

ここまで通常の医者が信用されていない事にこの社会の病理を感じる、これはねぇ本当に問題ですよ。

金が無くって治療を受ける事が出来ないから民間療法で頑張るしかないというのであればまだしも金があってそこに行ったという事の問題を真剣に考えないと駄目です。

これを教育の問題、そんな事に嵌るのは論理思考もできない馬鹿とかたずけるのは簡単、おかしな人と笑う事も簡単だろう、でもねぇ僕には思考の問題でも馬鹿という問題でもなく単純に信用して良いのだろうかという不安が選択に影響を与えてしまうのだと思う。

論理的思考をしようと思ってもそれが本当に正しいのかという不安が常にあり逸脱してしまうのだ。

もしかすると他人を信用していないのではなく、自分が馬鹿だという考えから自分が正しいと思う事は間違っているのかもと極端に振れるのかもしれない。

陰謀論にしても自分の浅い知識では世界の事はわからない、違う視点を与えられると自分の価値観が壊れ信じてしまう心理があるのではないだろうか。

そもそも自分を信じる事もままならない状態で他人を信じるなんて大変ですよ。

でも軸がありブレないというのも問題です、安定はしているかもしれないけれど発想の飛躍はなくなる、そんな考えもあるのかという部分も多少は残しておかないとね。

ブレが出た場合に無視や笑いモノにするのではなく真面目に考察、検証をするしかない、色々と費用もかかるし時間も無駄にするだろうけど信用を勝ち得る為には仕方のない事。

格闘技世界一を名乗りたければ誰の挑戦でも受け叩き潰すしかないのだ。
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2015年09月25日

一億総活躍

何かこれは駄目な感じがする。

誰もが活躍出来るという怖い考え、活躍出来なければ社会が壊れるのではないかという恐れに僕の中の警報が鳴り響く。

「一億総中流」と同じ感じを求めているのかもしれないけれどどちらかというと「進め一億火の玉だ」の匂いを感じるのだ、何か余裕のない感じなのよ。

今現在進行中の経済戦争でかなり拙い状態になっているのではないかというドキドキ感、現状認識的に正しいのかもしれないけれどそれをストレートにぶつけている感じが実に嫌だ。

総中流という言葉にあった程々感が総活躍にはない、なんか失敗を許さない感じが実に疲れるのである、確かに上を目指さなければ駄目になりがちだとは思う、上を目指すから努力をするし成長もあるからね、でもチョイと脅迫感を生み出す言葉を選んでいると思う。

鬱の人に「頑張れ」といってはいけないのと同じだ、デフレとかで疲弊している日本を発憤させたいのかもしれないけれどデフレである種の社会に対して総活躍はチョイとキツすぎるのでは無いだろうか。

余裕が無い、ギリギリまで張り詰めた状態だと何か起きた場合に対応出来ないよ、2、3割の人間がダラダラしていても大丈夫というのが良いのよ。


「一億総腹八分、昼寝付き」「家族で晩ご飯」位から始めるべきだと思うけどね。
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2015年09月24日

VW

VWのディーゼルの不正問題、BMWにも飛び火。

多分色々な所でこの様な不正って有るんだろうね、多分コンピュータ等が変な壊れ方とかするのもきっと何か問題があるのだ。

冷蔵庫とかエアコンとかの省エネとかにしても実際にはカタログスペック的な性能は全然出てないのかもだし、洗剤にしても宣伝程汚れ落ちなかったりするとかにしても何か不正があるのではないか?

火事になるとかのわかり易い被害が出る場合とか消費電力が大幅にアップする場合は消費者にもバレるから不正もしにくいけど、消費者が簡単に調べる事が出来ない場合には不正が内包しているのではないだろうか。

空気が汚くなる事で健康被害とかもあるかもしれないけれど他の大気汚染の項目が有る限りバレ難いのだろう。

ここまで来ると作り手の善意を信じるしかないという事になるのよ、世界は善意で何とか廻っているのだ、VWとかBMWといった老舗で大手、有名車メーカーといったある種の信用のあると思われていたメーカーが信用を無くす事を行うと世界はドンドンとギスギスとした事になるのよ。

まぁ大手を信用するというのが頭の悪い事なのかもね、顔の見えない者を信用するなという事なのかもね。

オーディオ業界なんか本当に信用出来るの?という位に怪しいからね、耳の劣化を考えるとオーディオ雑誌の試聴レビューなんか30歳以下にするべきだよね、知識も必要だと思うけど耳の方が大事なのです、其処を無視している所からも信用出来ぬという感じ。
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2015年09月23日

ROOM237

シャイニングに対する妄想、考察等を色々な人がワシはこう思うと語り上げる映画。

映画って深いよね、色々と人により観ている部分が違うのだというのがこの映画でわかるのだ、裏読み等を重ねていくと色々な表情を見せるのだ。

何度でも観る事が出来る、鑑賞に耐えうる映画だからこそここまでの考察が出来るのかもしれないけれど、他の映画でも同じ様な考察している人はいるのだと思う。

まぁ監督自体がが面白くないとここまでの発想は拡がらないとは思うけどね。

正解はわからない、どれも正解ではないのかもしれないけれど映画を楽しんでいる感じは滲み出ている、でもそれを人が観て面白いかという微妙です、飲み会の席の馬鹿話とかで聞くのならば楽しめるかもしれないけれど、映画で真剣に観ると結構大変です。

もう少し話術が無いと厳しいです、微妙にイマイチな考察もあるから尚更です。

チョイとカルトな人気の有る映画ならば何でもこれと同じ様な映画は作れそうとも思う、だが其処をチョイと外してB級映画とかでやって欲しいと思う、現在は有名監督であるキャメロンの「殺人魚・フライングキラー」とかで蘊蓄考察とかをやってくれたら個人的には笑えるけどね。

えっそんな映画に深い考えがあったのね、世界の謎が隠されていたのねと関心させて欲しいと思う。
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2015年09月22日

情報飢餓

五輪エンブレムデザインのジタバタを観ていて思った、情報の氾濫により何かを生み出す飢餓感がなくなったのではないだろうか。

何かセレクトショップ的に面白いデザインとかをプロジェクトに沿って集める事がデザイン業務になっているというのもまた飢えから、乾きから遠ざかる原因になっていると思う。

色々なデザインを見すぎて腹一杯になっているのだ。

またこれだけ色々なデザインが溢れていると新しいデザインを追加する難しさと追加する必要あるのか?という思いに囚われる事もあるのだろう。

期限のある仕事なら尚更だと思う、納期と独自性、それとクライアントへの説得力に消費者へのアピールという部分に疲弊し麻痺していくのではないだろうか。

兎に角現代は情報が溢れている、何かを生み出す為の飢餓感が足りないのだ、その為にも一度自分の中に有るモノを全て吐き出してしまう位に追い込む事必要なのではないか、情報を遮断し何も出ない位に追い込み、新しいフォルムを生み出したいと思いが醸成される事が必要なのである。

かって日本は鎖国をしていた、浮世絵とかはそのおかげだと思う、情報が入れば影響を受ける、面白いモノに反応してしまうそれが良い面もあるけれど独自性という面ではイマイチになってしまうのだ。

それに歌謡曲とかグループサウンズも影響を受けつつも情報が微妙に欠落している所から独自性が生まれている感じがする、今の様に色々な最新の世界中の音楽が聴ける状態ではないから独自性が生まれたのではないだろうか。

今の子供は知らないけれど、僕が子供の頃とかは金はないからゲームとかおもちゃとか買う事は出来ない、だから自分達で遊びを造り出す、完成度は低いけど頭を使い生み出すのだ.

今の様にネットで繋がる状態だったら遊びを探すという事になっていたのかもね。

捻り出した時にこれまでと違う何かが生まれるのだ、その為にも飢餓が必要なのだ飢餓こそが求める力として凄い力を生み出す、自分の中のモノが出てきて独自性が生み出されるのだ。

まぁ心が折れる事の方が多いとは思うけどね。
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2015年09月21日

変態小説家

邦題に難有りの映画。

不潔だったり阿呆だったりするけれど別に変態ではないのよ、変態が事件を起こすとか笑いを起こすという感じではないのである。

むしろ可哀想な感じであまり笑えない、変な妄想、トラウマに取り憑かれ傷ついた人をみて笑うというの何かチョイと違うと思う。

人間の悲しさに笑うしかない、笑い飛ばさなければやっていけないというのが実感です。

兎に角、痛々しい感じがどうにも笑えないのですよ、それに妄想がある種の現実になる時に更に笑えない状態になる、その状況でも端々に笑いを獲りに来ている感じがどうにも笑えない状態を拡げていく。

何となくのハッピーエンドとブラックなオチというラストも何か中途半端です。

スッキリ笑うことも、ダークにニヤリという感じも薄くバシッと来ないまま映画は終わってしまいます、妄想と現実のコントラストが弱いのです、ギャップがないから笑えないのです、ナイフが接着剤で手から離れないとかも笑い所なのだろうけど、それまでのグダグダ感の為に笑いにならないのです。

サイモン・ペッグのの演技ハリネズミの人形劇だけで何とか持っている感じです、面白くなりそうなのにあと一歩痒い所に届かない。

ハリネズミにしてももう少し掘り下げ、内面の変化を丁寧に描くべきだと思いました、やさぐれていた時の車に轢かれて死んでいる話も観たかったです、もっと事ある毎にハリネズミの話を入れるとメリハリもついて現実と内面のかき分けが出来たのではないだろうか。
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2015年09月20日

シルバーウィーク

シルバーウィークに入りデモに行く若者が減ったという記事。

苦笑いしかでないです、実に人間らしい、国の事なんかより自分の生活というわかりやすい行動です。

今国会前にいるシルバー世代の人も暇つぶしに丁度良いという感じなのかもね、変化のなかった生活に良い刺激が、昔を思い出して楽しいのかもね。

これまでデモやってた連中も学校サボる口実にデモ使ってたのかもね、学校の教授とかがイケイケどんどん
だから学校サボれて教授にも高評価これを利用しない手は無いという感じか。

それに首謀者系に入り込めれば本を出したりマスコミに潜り込み就職活動としては良いかもという打算でもあるのではないか。

兎に角タレントとかが呟いたりするのも楽に自分の宣伝が出来る、注目されるというのが目的なのではないかとすら思う。

国事より連休を謳歌する方が大事、これこそが大事な事なのではないかこれこそが戦争から遠い事ではないかと思う、楽しいという事が大事なのだ、それにより戦争が馬鹿馬鹿しくなるという事が平和に繋がるのだ。

宗教が戦争を起こすのもストイック過ぎる部分が原因ではないのか、楽しくないから守らない、はみ出てしまう部分が出来てしまうのではないかと思う。

シルバーウィークの活動が無いのは可決したのを受け、次の戦略を作らなければという準備期間という可能性もあるけどね、今までの方法では何も変わらない、地下に潜る必要があるとか物騒な事を考えているとしたら嫌な感じ。

若者はねぇまだ良いけれど、オッサン達がタチが悪い、カチコチの頭で夢をもう一度だからね、革命の夢に取り憑かれているからタチが悪いよね。

それなりに成功していても何かやり遂げる事が出来なかった空虚の穴が心にあるのだと思う、自分の考える世界を社会を理解してくれない人々に対して虚しさと馬鹿共めという憎悪が渦巻いているのだ。

世の中が楽しくないのは仕組みのせいと思っているのよ、自分達の欠点とは思いたくないのである。
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2015年09月19日

保守と革新

保守と革新、どちらが正しいという事ではないのよ、どちらが一方で良いというモノでもないのですよ。

二つあって成立するモノなのです、ブレーキとアクセルみたいなモノなのです、前に進むにはアクセルが必要だし、その先に危機が潜んでいるのならばブレーキで止める必要があるのだ。

その両方があって正しい舵取りが出来るというモノなのよ、でもねぇ革新の方はアクセルを緩めれば、踏み込みを止めれば止まる事が出来ると言うだろう、ブレーキは踏もうが踏むの止めようが前に進む事は出来ないとも言うのではないだろうか?

本来内閣は保守でも革新でも駄目なのだと思う、それらの意見を上手く使い効率よく安全に前に進むドライバーであるべきなのである。

でもねぇ今はアクセル踏んで、ブレーキ踏んでスピンしてグルグル回りコースアウトしようとしているのではないだろうか。

まぁ進むべき目標、行き先が見えていない状態だからドライブするにも家の前をグルグル回っているだけなのだろう。

世界中第二次世界大戦から先に進んでいないの実情だと思う、人権問題とかに変化は有ったかもしれないけれど基本的に殆ど先に進んでいないの、民主主義こそが正義で他の考えに問題があるとするとそれを叩き潰そうとする差別が世界には溢れているからね、白人至上主義と何も変わっていないよ、捕鯨問題とかもそうだよね自分達の文化が上等で、それに反する考えは野蛮、それを修正しようとする。またグーローバル化とかいう人もいるけれどこれもねぇ別に今に始まった事ではないしね、参加国、規模が変わっただけなのよ。

まぁ今に政治にもコンピュータが導入され政治の暴走を止める仕組みが組み込まれるのかもね。

いや自動運転の政治が出来るのかもね、人間が運転するより問題が少なかったとしても危険だというだろうし、問題が起きた場合誰が責任をとるのかといって駄々をこねる筈。

人間が運転していていても責任はとっていないけどね、辞任とかで責任とったいわれてもねぇ・・・・
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2015年09月18日

セクハラって何かね?

女性が生身のバリケードを作り、触れるとセクハラと叫ぶ。

この様な状況をみるとセクハラって何かね?という考えが渦巻く。

むしろバリケード側の方がセクハラだよね、自分の性を利用して人に言う事をきかせるってタチの悪しセクハラだよね。

こんな事をするからセクハラ問題は先に進まない、自分の都合でセクハラだ何だと叫ぶから其処におかしな歪みが生まれてしまうのだ。

法案とかを作る人間にセクハラの感覚がおかしいのだからまともなセクハラに対する法案とかがまともな状態になる筈がないと実感しました。

それに頭がおかしい人にしか見えない人が抗議をしていて何処に説得力が生まれるのだろうか?俺達良い仕事としている思っているとしたら此奴等の正気を疑ってしまう。

自分ががおかしいのかと己の正気がグラつく位の出鱈目にしか思えないのだ。

出鱈目な抗議しか出来ないから政治は停滞する、対案、修正案等により議論を高める事をしない、タダの上げ足とりとゴシップ、誹謗中傷で政権奪取を企むから社会は停滞する。

それに反応する有権者というのも問題なのよ、だから阿呆な議員が知名度だけとかで当選してしまう、議席を稼ぐ為だけに知名度のある人間を候補に推薦してしまう。

余計な考えを叫ばない馬鹿の方が議席として使う場合には楽だからね。

本当はねぁ意見をぶつけ合い議論で勝つ為に賢い人材により議席を埋めるべきなのよ、政策を作り運営する為に様々なエキスパートがいてこその政党なのだ、その為に多くの議員がいるべきなのだ。

馬鹿みたいにセクハラと叫ぶ議員がいるから議員数削減という事になるのだ、決めなければいけない事は無数にあるだからこそ人数が必要なのだ、天才でも神でもないから人数が必要なのである。

馬鹿に与える議席はない、貴重な席なのだ。


抗議が理性的でない為に混乱が進み、法案も暴走する可能性を内包する事になるのだ。
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2015年09月17日

虚構の善意

自分達は善だから何をやっても良い、正しい事を行う事は全て善だという気持ちの悪い思想。

これならば悪の方が純粋である、自分の欲望に素直だからね、自分の中が悪かもしれない、間違っているかもしれないと考える事なく暴走する正義程タチが悪いモノはないのだ。

また同じ様に自分は賢いと思い込む事も同じ様に拙い、日頃厨二病等を馬鹿にしている構造、馬鹿にしている行為こそが厨二病になっているのだ。

憲法や法律等が人を守る事が出来るのは平和な時だけだ、異常事態になればそれらは人を守りはしない、法律があれば殺人も交通事故も窃盗も起きないと言うのだろうか?

実際には起きているではないか。

また憲法はそれを使用する国には効果があるかもしれないが、関係ない国には相手の行動を縛る為の道具でしかないのである。

憲法を神が作った摂理だと思っているのだろうか?ある種の基準であるからチョイチョイ変えていたら基準としての意味が失われるが所詮は人が作り出した不完全なモノなのだから情勢により作り替えるというのは別に無茶な事ではないのである。

どうにも原理主義的になり行き詰まっているのだ。

仕組みを変える事により起きる問題に耐えられないのだ、間違った変更をした場合に責任をとれない怖さがあるのだ、仕組みを変えて滅びるより、仕組みに殉じて滅びる方を選びたいのだそれはその仕組みを作ったのは俺じゃないからと逃げ道を残したいだけなのだ。

そのままの仕組みの方が理屈的に良いと考えての事ではないのだ。

自分の利益の追求が世の中を良くすると考える事と善意こそが世の中を良くするという事は似て非なるモノ、自分の利益を追求している事を善意というオブラートで隠す事は世の中を曇らす。

これは詐欺なのだ。

現状の安保デモの何処にシリアス感があるのか?馬鹿を誘う為のイベントですよ、単なるお祭り騒ぎですよ、真剣に変えるのであれば手続きをキッチリしなければ駄目、憲法違反だとか文句を言うのであればなおさらです。

騒げば法案が止められる、議会を妨害すれば法案を止められるというのであれば議会の意味が無い、これの何処に民主主義というのがあるいうのか?

なんか平和が大事だ、戦争は駄目だという反論しにくい善ですというオブラートで包めば議会等を潰しても良いというこの異常性。

緊急を要する?強行採決をするから?議論が足りない?

多分違うね、自分の意見と違う事は全て違法、卑怯な手を使っているという事にして自分達の行動を正当化したいだけ。

善意が大騒ぎしている時は用心した方が良いよ、反論を許さない空気に悪は潜むというか?正義と思い込んだ時に目暗になるのだ。

常に正義は疑わないと駄目なのよ、正義って麻薬だから。
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2015年09月16日

代表

勝手に民意の代表みたいな事を言うのを止めてもらいたい。

それに反する意見は民意ではないのか?確かに民意ではない個人の意見に過ぎないからね。

数が多くても自分の考えを述べる事は民意ではないのだ、似たような意見に過ぎない個人の意見に過ぎないのだ。

安易に民意というのを使いすぎなのよ。

それにねぇ数が多ければ正しいという訳でも無いのよ、あたかも数が集まると正しいと勘違いする様だけどね、自分の考えと同じ様な方向の人がそれなりにいるとそれに依存しすぎなのである。

依存し思考停止をする、それにより暴走するのだ、常に自問自答をする、違う考えになる事もあるだろうだがそれこそが大事なのだ。

責任も覚悟もなく代表になり偉くなったと勘違いする、みんなの意見をまとめて語っていると妄想する、馬鹿な大人が若者が頑張っていると持ち上げる(馬鹿なくせに上から目線で持ち上げる気持ち悪さよ)、自分のなしえなかった夢を若者に託そうとする。

実にみっともない。

まぁ僕もそのみっともない大人何ですけどね・・・非力だから人持ち上げたりはしないけどね、基本的に群れないし。

それにしても便乗する大人、担がれる若者、グダグダになる国政にヘロヘロです、これからもこのドタバタが続くのでしょう、でもそのアホな集団に代表面されるのは嫌なのよ。

それに群れをなすのは政治的理由とかではなく、寂しいのねという感じなのよ、孤独に耐えられないのね、自分の考えに対して支持されないのは自分が間違っていると思いに取り憑かれてしまうのねだ。

支持されないと確かに大きな事なんか出来ないかもしれない、間違っているかもしれないでもねぇ、でも自分の考えついた事支持されるされないに関係無く正しいと思ったら孤独にも耐えろ。
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2015年09月15日

難民問題

善意的には助けるという方が良いのかもしれないけれど、その結果に誰が責任をとるのだろうか?

そもそも難民問題の原因を解決しようとしているのか?難民を受け入れるだけでは問題は解決しないのである。

原因を解決しようとしなければ結局は無期限になってしまうのである、一時的であれば多少の問題も不満もが我慢する事も政治的に押さえつける事も出来るだろう、だが長くなればチョイとした不満から衝突が生まれるのだ。

その衝突の規模が難民を生み出したモノと同じ様な規模になったらどうするのだろうか?大量の難民を受け入れた結果大きな衝突を生み出すだけの規模の人数になった場合にそれを抑える事は出来るのか?

難民の人々が難民を受け入れる国の文化に同化してくれれば良いのだがあくまで違う文化として其処に住み続ける事になると衝突は起きる筈だ。

難民を受け入れる事で新たなる民族紛争とかを生み出していたら何のこっちゃですよ。

それに2,3年もすれば避難先に生活基盤が出来、戻るという事が難しくなる、面倒臭くなるのだ、出来る限り短期に済ませるべきなのよ、そしてその短期に建て直す為の教育が必要なのよ。

衣食住を提供するだけでは足りないのである。

最期までしっかり面倒をみる気が無いのならば、その場の善意で手をさしのべては駄目なよ、後でハシゴを外す様な事になればより残酷ですよ。

善意は無責任に使って駄目なのだ。
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2015年09月14日

話してもわからない。

話し合いで解決する、そりゃそれで解決出来れば良いのだが解決出来ない事も多々有る。

全ての人が丁度良い塩梅で妥協をしてくれれば良いのだが、妥協出来ない事も多いのだ、これはまだ同じ価値観を元に話し合いをしているから妥協点は探せそうな気がするけどそれでも妥協点が見つからない事の方が多いのだ。

なぜ国会とかで決を採るのか?話し合いで妥協出来る様な法案に成らないから、何時までも話をし続ける事は出来ないから、答えを出さないと次の議論に進める事も出来ないから決をとるのだ。

話し合いでは決まらないから決をとりそれに従わせるのだ。

ある種同じ価値観的部分で話あっていても決まらないのに世の中の問題には違う価値観というか違う内容で衝突している場合があるのだ。

政治的視点での利益と、人間が生きるという哲学的、倫理的利益、また宗教的利益もあるし、更に経済的利益というバラバラの利益の視点で話しあって妥協するという事の難しさですよ。

経済的妥協点は中間とかをとれるかもしれないが宗教的なモノとかは中間がとれない場合があるのだ。教えに反するという事は妥協出来なかったりするし、約束の地とか聖地とか妥協出来なかったりするのですよ。

九条信者にしても妥協しないでしょ?自分達の言い分は絶対的であり、此所までは許すという妥協しないでしょ?

戦争反対だといっても衝突を繰り返しているというこの矛盾、話し合いで解決しないからのデモでしょ?安倍部に死ねとか、叩き斬ってやるとかいうアジをやっていて平和主義っていうこの矛盾。

実に暴力的言論による圧力をしているのに自由を叫ぶ、この矛盾こそが人間の本質だと思う、自己愛は矛盾の塊なのだろう。

その矛盾した人間に妥協点は導き出せないのではないかと思う秋の夜。

矛盾している者同士が話し合い解決出来る感じがしない、矛盾とは不合理なのだから、話し合いで合理的妥協点に辿り着くのは難しい、導き出せた時は偶運が良かっただけなのよ。
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2015年09月13日

シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイア

結構血しぶきは出るけど呑気な感じのヴァンパイアへのインタビュー映画。

チョイと長い感じもしたけれどこの呑気な映画楽しめます、ヴァンパイアも苦労してんのねという感じと長い人生を如何に楽しむかという部分が面白いのですよ。

これといって何か劇的な事が起きる訳ではない、まぁ長い片思いが成立するという話と、浮かれ過ぎてポロっと話した事で仲間を失う事ぐらいだ。

起承転結のあるような大きな話はない、ちょうどコント番組のシリーズネタをまとめて観たような感じだ、オマケ映像とかをみても没テイクというか、番外編というかという感じで益々そう思ってしまう。

もしかするともっと色々と小ネタを撮っているのではないか、チョイと面白ネタを思いついたら撮っているのではないだろうか。

まぁそれでも小ネタでクスっという状態ではチョイと長すぎるのが問題なのよ、飽きてくる頃にガツンと来るモノが何か欲しいのよ、感動話的なモノを最期に入れているけれど、其処に繋がる流れが今ひとつ太くない為に盛り上がりに欠けるのだ。

コント番組の1コーナーで毎週ちょっとずつ観ていく場合ならばこの小ネタでも良いけれど、まとめて観る場合には何か大きな流れで笑わす何かがないと飽きてしまうのだ。

其処が残念な感じです、どことなく垢抜けないキャスティングとモッサリ感が良いだけにおしいのである。

まぁ大きな流れが五月蠅すぎるとこの呑気さが台無しになるから匙加減は非情に難しいけどね。
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2015年09月12日

ロックやアートは何故カッコ悪くなったのか?

ロックやアートがダメなって行く状況を日々目撃する。

頭の悪い政治活動とか、ペラペラのラブアンドピース、また言葉を使っての作品説明とかをみるとどう考えて駄目になっいるとしか思えない。

此れらには衝動が無いのだ、無理くり無い頭で考えて捻り出しているのだ。だからダサいのである、カッコ悪いのである。

日頃の練習等で色々と考えて練習し、体に一部になる所まで行った状態で衝撃を受け溢れ出るモノでなければ面白くなら無いのだと僕は考える。

血肉になっていないからコンセプトがどうのモチーフがどうのという頭の悪い状況になる。

一流は本当に頭の良い人がやっていた、それに憧れ二流が頭がいいフリをしているのが問題なのよ、いいフリしても中身はバカだからね、挙句その立場を維持するために閉鎖的になって行くのだ。

負のスパイラル。

ロックは死んだという言葉がある、産業化する過程で自称お利口さんが快楽衝動とかを勘違いして殺したのだ、数値化して60点以上はコンスタントにとれるかもしれないけれど衝動は無い。

マニュアル通りに泣く赤ちゃんみたいなモノに成り下がったのだと思う。

頭が良いか、本能のままに衝動に駆られるか、必要なモノはそれらの人材なのに、実際集まるのは自称お利口さん、それらが自己実現に使い出しツマラナイモノになって行ったのだ。

だからアイドルとかに売り上げでも心意気でも負けるのだ、モテたい、チヤホヤされたい、人気者になりたいという本能の衝動に駆られる部分の勢いに負けてしまうのだ。



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2015年09月11日

有り得ない

人を騙すという事。

そんな事は常識的に考えてあり得ないという部分に入り込む事により成功するのではないだろうか。

そんな嘘をつく奴はいないと思わせれば良いのだ。

人は何かと常識に囚われる、確かに常識というのは大体において効率よく動く、判断基準としては便利だと思う、だがそれを逸脱する事が起きるのだ、そして人は嘘をつくという事を部分を考慮しても逸脱する事は起きるのだ。

法的にこうなっているからそんな事は起きないとかいっても法を破る奴は後をたたない。役人も政治家も官僚も法を破るし、意識的に破らなくても杜撰な事をしたりもする。

その結果予想外の事が起きるのだ、常識が通用しない事が起きるのだ。

有り得る、有り得ないとういう事で考えると効率はいいかもしれないけれど、考えを狭める事になりいざという時に対応出来ない事になる、まぁ概ねそれで問題は起きないけどね。

だがやはり心の片隅に意外な可能性もあるととどめておくべきだ、ついつい常識に縛られ考えを狭めては駄目なのだ。

むしろ常識から外れていると思われている事を楽しむべきだ、その常識は本当にそうなのかと疑うべきだ、新しい知見により変化する常識にベッタリはよろしくない。

これまで色々な常識が変わる事を歴史から学んだ筈なのに常識に囚われる。
posted by mouth_of_madness at 22:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする