2011年11月16日

国会

国会を見ているとなんか違和感がある。あれって討論?議論?

僕には台本のある三文芝居にしか見えないのである。

野次は怒りの発露?あれって単に予定調和の掛け声でないのかとも思ってしまう。大体野次って何がかわるのだろうか?自分の存在をアピールするだけではないのか。気の利いた野次だったとしても議論には何の役にも立たないのである。存在感のアピールは出来たとしても人としての品位は確実に下がるのだ、それに会議の進行もそれで遅れる事になるだけである、百害あって一理も無いのでは無いだろうか。

西田昌司議員とかは質問の切れ味は良い感じなのだが野次の汚さに閉口である。明らかに損をしていると思う、その事がわからないという事はその程度の人物なのだろうと思ってしまうのである。

まぁそれに対する民主党ののらりくらりとした歯切れの悪さも馬鹿丸出しだし悪い印象しか与えない、低レベルの会議なのである。

そう考える誰も問題の解決なんかしたくないのではないか?

国会ごっこをしたいだけなのである。そのごっこをしないと給料分仕事をしている様に国民に見えないから紛糾する国会を演じている様に思えるのである。

もし国会がスッキリとしていたら、問題を洗い出し建設的意見ですぐさま解決していったりしたら給料泥棒といわれるからという意識が有るのではないか?

一ヶ月の集中審議でその年の国会が全てが終わったとしたら楽してボロ儲け、給料泥棒というのだろう。残りの11ヶ月何の問題も起きなければ基本何も無いとしたら給料返せというせこい事をいうのが仮想国民なのだろう。

また自分の意見より此方の方が良いよねと思い直しても支持者の手前意見を変える訳にもいかないから、ギリギリまで反対のフリをしないと申し訳ないとか次の選挙で落ちるとかいう小心者的思考が働いているのではないだろうか。


しかし実際に国民が望んでいるのはいい感じ国を運営してくれる事である。国会が速く終わろうが、対して揉める事無く会議が進もうがそんな事で文句は言わない、日々の生活がいい感じになれば良いのである。

国民は色々な不満が有るというが多分それは間違いである。日々の生活がいい感じでないからその原因を妄想レベルの思考能力で考えるから色々な意見、不満が出るのである。

だから上手く纏まらないのである、駄目なマーケティングに翻弄されている様なモノなのだ。
posted by mouth_of_madness at 22:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック