2011年11月25日

自己責任

政治家が進める小さな政府・自己責任政策、これってよく考えると政治家として自己の存在の否定ではないだろうか。

全てが自己責任ならば政治はいらない事になってしまうのだ。究極の小さな政府とは公務員、政治家等等誰もいない状況なのだ。全てはやりたい人がやりたい様になってしまうのである。

それだと仕事に偏りとかが出るのではないか?とかと思うかもしれない。だが自由経済が正常に動作すれば人のやりたがらない仕事とかで必要なモノであれば給料とかが上がりそれなりにバランスがとれる筈という考えである。多分そんなに上手くは行かないけどね。

そんなこんなで考えていたら更に疑問が湧いた。

経済危機が騒がれているギリシャ、公務員が多いというギリシャ。コレをみて公務員が多いのは良くないと言われればそうかもしれないと考えるかもしれない。

だが本当にそうなのだろうか?

しかし公務員がお金を稼ぐ仕事をすれば人数が多くても問題はない筈だ。国家農場とか国家工場で製品を作って売れば良いのだ。ギリシャの場合公務員が多いという事は通常の職につく人が少ないという事だそれならば公務員がその穴を埋めても仕事を奪う事にならない筈である。

問題なのは公務員を遊ばせている事であり、仕事をさせる管理法を考えれば良いのである。税金で賄う給料は最低限にして公務員事業で稼いだお金を給料に上乗せしていくという方法をとれば気合いも入るのではないだろうか。甘い?

日本も後継者問題で農業従事者が減るのであれば市役所とかに農業課を作り国家安全保障に必要な生産をやれば良いのである。解雇できない余剰人員をドンドンそちらに回し働かせれば良いのだ。補助金を出さずに人材の貸し出しを行うのである。

公務員の有効利用をすれば単純に減らすというコストカットより僕は良いと思う。反発も少ないと思うのだ。

元にもどろう。また自己責任でという事を声高らかにいう事はそれは私達信用出来ませんよ、世の中に蔓延る悪意を持って騙そうとする人達を捕まえる事出来ません、管理出来ませんよと言っているようなモノなのであある。国家秩序を維持した状態で世界と渡り合えないから自己責任でお願いしますといわれても困るのだ。
posted by mouth_of_madness at 22:09| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
戦後の政治は、主権在民である。我々庶民は、この国の主となった。だが、バカ殿様であっては困る。またもや、この国がひっくり返る。

幕藩体制の時代にあって、バカ殿様が国 (藩) の城主となることになったら、大変である。奇異な言動により幕府に目を付けられるところとなって、お家のお取り潰しになるかもしれない。そうなれば、家臣たちは、路頭に迷う。忠臣蔵の悲劇である。
このような危険を回避するために、家老に責任を持たせて、バカ殿様の藩政に対する影響をできるだけ少ないものにした。
このような、我々祖先の知恵は、幕藩体制崩壊後の明治時代になっても存続し、今日に至るまで続いている。

カレル・ヴァン・ウォルフレンは、<日本政治再生を巡る権力闘争の謎> (2010年3月19日 中央公論) の中で、次のように述べています。

山県[有朋]は、慈悲深い天皇を中心とし、その周辺に築かれた調和あふれる清らかな国を、論争好きな政治家がかき乱すことに我慢ならなかったようだ。互いに当選を目指し争い合う政治家が政治システムを司るならば、調和など失われてしまうと恐れた山県は、表向きに政治家に与えられている権力を、行使できなくなるような仕組みを導入したのだ。(引用終り)

日本人は議論が出来ない。議論ができない議員が選出されることになるので、選挙にも意味がない。問答無用の志士による果し合いによる決着ばかりが続いていては、この国の序列ある調和は失われてしまう。それで、近代日本は、家老に代わって官僚をおき、彼らに大きな自由裁量権を持たせたのである。こうした方策によりバカ殿様の国政に対する影響を少ないものにする。バカ殿様に関する我々の心配は、今日でもあまり変わっていない。ルーピーな首相に政治主導を唱えられても、国民はただただ困惑するばかりである。

宮本政於の著書〈お役所の掟〉には、官僚絶対主義のことが出ている。以下は、著者(宮)と厚生省幹部(幹)との会話である。

宮「憲法に三権分立がうたわれているのは、権力が集中すると幣害がおきるから、との認識に基づいているのでしょう。今の日本のように、官僚組織にこれだけ権力が集中すると幣害もでてきますよね」、幹「ただ、日本はこれまで現状の組織でうまく機能してきたのだ。それによく考えてみろ。いまの政治家たちに法律を作ることをまかせられると思うのか。そんなことをしたら日本がつぶれる」、「日本の立法組織にそれほど造詣(ぞうけい)が深くないのですが、私も認めざるをえません」、「そうだろう。『やくざ』とたいしてかわらないのもいるぞ」、「私もテレビ中継を見て、これが日本を代表する国会議員か、と驚いたことがなん度かあります。とくに、アメリカとか英国とは違い、知性という部分から評価しようとすると、程遠い人たちが多いですね。でも中には優秀な人がいるんですがね」、「政治は数だから。いくら優秀なのがひとりふたりいてもしようがない。ある程度の政治家たちしかいないとなれば、役人が日本をしょって立つ以外ないのだ」(引用終り)

こうした歴史的背景を考えれば、我々日本人はもっと英米から考え方を学ぶ必要がある。


http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

Posted by noga at 2011年11月26日 04:00
どうもです。

主権在民とおだててエゴを増大させた結果が自分達の言う事をきく下僕に馬鹿殿を選ぶ。

自分達が選んだ結果がこの状態なのに不平不満をぶつける。

官僚は自分達が政治を動かしていると思っているから増長する、匿名性が高い為に無責任になる、いつの間にか自分の理論の証明をする実験の場に国民は巻き込まれていく、政治ではなくゲームなのである。

役人は知識が有っても知恵はない、徳もない。

此所に教育の不完全性を感じます。上に立つ者としての教育をしないと駄目だと思う。これは政治家だけではない、経済、経営者も同じである。偏った教育の結果が今のグダグダ状態なのである。

Posted by 管理人 at 2011年11月28日 22:27
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