2012年03月25日

自由の檻

人を国や政府が何らかの管理をしようとすると人権侵害という意見が上がる、自由を脅かすといわれる。

元々自分達で檻を作り入っているのに何故其処まで過剰反応するのだろうか?実に謎である。

檻が狭くなる事が嫌なのか?多分そんなところだろうと言いたいところだが、実際は自分達が檻に入っている事に気がついていないのである。日頃は檻が見えないのだがそれを意識して見えてくると途端に不自由を感じるのである。

大体日頃から法の檻、国境の檻、だけでなくお金やモノを所持するという檻に積極的に飛び込んでいるのにね。

自分が自由だと思い込んでいる大多数の人はその考えを辞めた方が良いですよ、もうね色々なモノに囚われているのだから。自由こそ大事という考えにも囚われているしね。

実際は新しい管理で不自由を感じる事は無くても環境が変わる事に何となく恐怖をかんじているのだ。

たとえ日本から出てはいけないという法律が出来たとしよう、一見不便に思うだろうし、何か閉鎖的に思えるかもしれない。しかしその様な状況に何も不自由を感じない人も沢山いるのである。そしてそれが当たり前の状況で生まれた人は何もその事に対して不自由を感じないのである。

また檻は閉じ込められているという面だけない、侵入する危険から守るバリケードでもあるのだ。

不自由と安全、便利その匙加減こそが大事なのではないだろうか、自由こそが善で不自由こそが悪ではないのである。
posted by mouth_of_madness at 16:08| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
自由ってのは法を犯していい、ということではなく、
ましてや魔法が使えるわけでも無い。
ナラバ、自由とは何だと考えて、
選ぶ権利と、通り過ぎる権利、だと思う。
恋愛でも、結婚以降の立場でも。会社でも。
その程度の自由でも。行使するには、
トテツモナイ覚悟と責任が発生しますよね。
Posted by メリノロ at 2012年03月27日 20:25
自由は選ぶ権利そう思います。

覚悟と責任もその通りだと思いますデス。

でもどうにも自由を声高く叫ぶ者は覚悟も責任もとらないし、無限の選択肢を要求する愚を犯す。山程ある選択肢から数個無くなるだけでこの世の終わり感。

選択肢あっても自分で選べないくせにね、誰かに背中押されないと選べないくせに選択肢が減ることを恐れるとはこれいかに。

人が悩んでいる事なんか大体2択か3択程度ですよ。
Posted by 管理人 at 2012年03月27日 22:58
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