2012年07月28日

まとめようとする・ツマラナイという

朝まで生テレビを見るとハラが立つのは何故だろうか?

田原総一朗が自意識過剰の司会をするという部分と人の話を聞かず、遮り、ひたすら自分の意見を言う事に終始しする事にハラが立つのは確かなののだが、やはり出演者が生理的に駄目なのである。討論のテクニックなのかもしれないが人の意見をまとめる事によりあたかも自分は流れをコントロールするだけの能力と俯瞰的に見渡すだけの能力がありますよ的部分の嫌らしさが不快なのである。討論者の対等性を壊し誘導しているのである、論の正当性よりも議論のテクニックで人を誘導しようとしている感じが非常に不快なので有る。

最近だと荻上チキとかいうがその役か。

また意見は間違っているかもしれないが真面目に話しているのを薄ら笑いしながら真面目に聞く気が無い態度もむかつく、確かにその熱弁脱線している事も多いのだが薄ら笑いで聞いて良いというモノではないのだ、人として間違っているのである。

あと議論が自分の思った方向にいかない、議論が無限に同じ所でグルグル回るとツマラナイとい嘯くのもいかがなモノかと思う。これもまた上から目線でしかない、自分はもっと上のレベルで物事を考えているのだよという感じにむかつく、自分の中ではこんな議論が起きたら面白いなという妄想が甘かったのを棚に上げて批難している感じが実に不快だ。

そもそも既に自分の中で答えが出ているのに議論に参加する事に意味があるのかという気がするのである。こんな議論が行われて、結果こんな感じの着地点になると考えているのに議論する、自分の考えが正しいという確認作業をしているだけなのである。

おかしな方向に議論が向かうというのはそもそも問題定義のあやふやさがあるのではないか?それに色々な定義が個人により違う状況で議論する事が間違っていると思うのである。基本定義が違うのだ本編に行く前にその前段階で脱線するのは目に見えているのである。

昨日(今日)の場合だと少なくとも憲法とはなんぞという部分と国とは何かの認識の統一が行われていなければ議論は成立しないし、どのように改憲するべきかとかに行くわけが無いのである。そう考えるとこの番組のディレクター、プロデューサーはカオスを作り出して喜んでいるのだ、討論者の意見の比率をコントロールする事でカオスの落とし所により人心を誘導しようとしているのである。

今回は西田昌司を貶めるという策にまんまと乗せられたという感じがした。ズレた議論を引き出すことに重きを置いていた感じである。

こんなに簡単に乗せられのも駄目なんだけどね。


あとなんか此所に出る人達、自分達がその中で生きているという感じがあまりしない。社会を一歩引いた所からみている感じなのだ。客観視しすぎなのである、皮膚感的、生理的感覚が欠落している様に思えるのである。

この欠落は野球中継やサッカー中継を見て監督はわかっていない、自分はもっと良い方法を知っているというのと同じレベル。
posted by mouth_of_madness at 14:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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