2012年10月14日

活力

世の中活力の有る人と無い人がいる。

活力の無い人は自分の活力の無さがバレ無いように社会の仕組み考えたり、様々な道具を作らせる。

それらのモノは活力の有る人にとっても便利だったりするから一見良いモノの様に思える、だが結局は活力の使う場所を奪う事になる、それにその場所が奪われるという事は労働が奪われ存在理油が奪われる事になる。

活力の無い人は飽きっぽく直ぐに社会を壊したいと思っている、壊す事は一見活力が有るようにみえるのだが実際は対して無いだ、終わらない日常を繰り返し社会を維持していく事の活力の比べたら小さい活力でしかない。単純作業を何年も何十年も繰り返し、精度を上げていくこの活力の凄まじさをもう少し人は理解するべきだ。

仕事にしても馬鹿な上司が風呂敷拡げて、それを淡々と実現化していく実作業を行う部下の活力を考えれば実感出来る筈だ。

活力の無い者にはそれが恐ろしいのだ、自分にないモノだから恐ろしくてしょうが無いのである。だからその活力というモノは大したモノではないと喧伝するのである。活力が無くても動く社会を作ろうとするし、活力を発揮する機会を極力奪おうとするのである。

更に妄想が拡がる。

道具や社会の仕組み等が人の仕事をアシストするようになると人の活力が奪われているのでは無いだろうか。道具は電気や石油等の燃料エネルギーだけではなく、使う人の活力を使って動いているのである。

それらの仕組みにより余暇等が出来ても活力が無くなっている為にゴロゴロとしてしまうのである。

また少子化も個人の時間を持ちたいとか、金の問題とか言う話も有るのだがこれも活力が無いからだと思う、精力が有るだけでは駄目なのだ。少なくとも20年とか子供の面倒をみるという事を想像するとそれに見合うだけの活力が無いと思ってしまうのである。

人が生きるだけの活力はまだ有るのだろうけど、これが無くなるときっと人類は滅亡する。便利を追求した挙げ句に人は活力を失い人類は滅亡するのである。
posted by mouth_of_madness at 20:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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