2012年10月17日

色眼鏡

何かの先入観により社会を見るという色眼鏡社会。これって誰もが陥っているのだ。

逆に先入観無しに物事を見ている人がいたらそれは凄い事なのである。奇跡と言っていいだろう。

客観的なデータを観ているから大丈夫と思っていてもデータの組み合わせでまた偏向がかかっていくのである。

有る現象に対して関連性のあるように思えるデータが有ったとしてもそれが本当の所関連性があるのかどうなのかわからないのである。確かに様々な検証により関連性が有ると考えられているのだろうけど本当の所は定かではないのだ。(まぁこれは僕の先入観)

この辺の色眼鏡の為に温暖化の理由がCO2が原因なのか、温暖化したからCO2が増加したのかいったおかしな状態を生み出す。

経済再建に対しても真逆な案が出てくるのである。ちゃんとした知識が無いとそう言われればそうかなと思える様な事が書かれているという状態が続くのである。

だが何を学べば正しい知識が得られるのかがわからない、学会とか派閥とかで微妙に違う様な気がするのだ。何か一つをキッチリやれば色眼鏡装着状態になり正しい判断が出来無いよう気がするのである。

自分が観た、体験した事も既に装着されている色眼鏡により偏向しているから信用出来ないし、何かを学び得た知識も新たなる色眼鏡を手に入れるだけで何かの解決になるとも思えない。

どうすりゃ良いのよ!?

データを観るような状態でもデータの数値を改竄しなくてもおかしな事になるのだが、更に人間はおかしな事になるのだ、色眼鏡で目が見えなくなるのである。

誰も彼もがスマートフォンを使っていると思っている人が電車等に乗ると誰もスマートフォンを使っている様に見えてしまい、ガラケーの人が見えなくなってしまうのである。

また昔は携帯電話を電車で使っている人は五月蠅いと言われていたのが今は文句言われ無くなった。それは誰もが携帯電話を持ったからだ多数派になったからだ。今では誰もが電車の中で携帯電話を使っていても文句を言わないという先入観から携帯電話の使用形態の変化が見えなくなっていたりするのである。

携帯電話=会話しているという古いままの頭だったりするのである。

またみていなくても色眼鏡で全部がその様に見えてしまう者もいる。世の中全部そうなっている様に見えるのだ。一部を見て世の中が全部そうなっている様に思い込んでしまっているのである。

偶々前日にコンビニで目撃した若者が今時の若者の標準という感じになり、最近の若者はみんなこうだよねとレッテルを貼ってしまうのだ。その結果街を歩いている者が全てその若者のように見えてしまっているのである。

という様な感じで世の中を見ている僕の色眼鏡、ドンだけの偏向具合なのだろうか?
posted by mouth_of_madness at 22:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック