2012年10月19日

本当の所はどうでもいい

温暖化に原発に尖閣問題に様々な経済問題、世の中には色々な社会的に問題が山積している。

メディアや政治家は話題にになりそうならば表に出し問題にするし、食いつきが悪ければアッという間に裏に消えていく。

殆どのに人は此等の問題どうでも良いと思っているのだ、飲みの席や飯の時の会話でもっともらしく此等を話題にして話したりもしているがきっとそれほどの問題を感じていない。景気が悪いからどうにかしろと言ってはいても其処までに緊張感はない、それに他人の懐なんか考えてなんかいないのである。単なる愚痴を言ったり、一緒になって文句を言う対象、怒りをぶつける対象としての問題が其処に存在するだけだ。

景気が悪くてもボーナスが減らずに出るのならば何とも思わないし、リストラとかに遭わないのであれば問題を訴えてはいても実感も危機感もないのが実情だと思う。

実際にその問題により被害を受けている当事者にならない限り問題を実感なんか出来ないのである。想像力も思いやりもないのだ。だから311の震災の復興も遅々として進まないのである。まぁ当事者になったとしても大局的に物事を見られる者がどれだけいるのか?という疑問もあるけどね。

そして其処まで問題意識はない筈なのに反対意見を言うと狂った様に反論する人がいる。

でもこれは問題意識の発露ではないのよ、単に自分の考えの方が正しい、お前の考えは間違っている、それと立場の上下をつけたいだけなのだ。実際の問題解決への建築的意見の積み重ねより知能の上下を決める事の方が大事なのである。議論を制したいだけなのである。その事の方が問題として大きい事なのだ。

これって街角の議論、オフィスでの議論、居酒屋での議論といったレベルでだけ起きている訳ではない、国会でも、国際会議でも起きている、多分科学者とかの理性でやるべき学会とかでも起きていると思うのだ。

結局は大きな問題を認識していてもその問題より人間の小さなエゴを満足させる方が大事なのである。

きっと問題の内容が大事なのではない、どの問題を使えば自分が優位に立てるかという事で問題を選択しているのだ。

どうでも良いと思っている問題で右往左往しているフリをする、そうすることで何か社会に参加している様な感じで気持ちよくなる、殆どはそんなモノだと僕は考える。

大体物事考えていたら中々答えなんか出ないと思う、確かにその場、その場で何らかの答えや結論を出さないと駄目な局面は来るのだけど、あくまでその場、その時点での答えなのでしかない。そんなあやふやな状態で社会問題なんかを実感出来る想像力があるとしたらそれは凄まじい精神力と思考力が必要なのである。

全てにおいてグダグダな僕には出来ません、記憶の片隅で空き時間にグルグルと思考を回す程度が関の山。
posted by mouth_of_madness at 00:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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