2012年11月19日

井戸端会議

ネットは馬鹿が馬鹿な話をしているとか、ネットウヨは理論的考えが出来ない偏狭な奴とかそういった上から目線の事を言う人っていますけど、その人ってどの様に現実の社会を見ているのだろうか?

大体現実社会にどれほど賢い人がいるのだろうか?大体は馬鹿ばかりだと思う。色々とは考えてはいる、論理思考もしているつもりなのだが思考に穴がありおかしな結論を導き出しているだけなのよ、穴の大きさは人それぞれだが殆どの人間には穴があるのだ。

賢い側にいると思っている人にも穴はあるのである、それがわかっているから慎重に物事を考えていると言うのだろう。

だが慎重に考えることが正解か否かの問題があるのだ、感情的に成らない、理性的行動が正しいという根拠はないのである。

反射的に答えを出す事の方が正しい場合もあるのだ。

恐怖は人に反応を起こさせる、確かに間違い、勘違いも多いのだが違和感を感じた場合に反応する事は危険回避的には良い事なのだ。中途半端に理性的になり逃げ遅れる事の問題があるのである。

また日本は匿名性だから馬鹿をやるとか、海外は個人で書いているから記事がまともだ的意見をいう者もいるが、これも本当の所どうなのか?根拠が有る事なのか僕にはわからない。

匿名でもまともな事を発言する人もいるだろうし、名前を出していてもおかしな事を言う人もいる。何処の国にも、どの様な状況でも馬鹿は発生するのだ。ツイッターとかが馬鹿発見器と言われていたりする訳だから個人が特定されていても馬鹿な発言をしているのである。

大体人間が情報を入手する場合に偏向フィルターがかかってしまうのだ、欲しい情報を探した結果間違ってしまうのだ。自分にとって都合の良い情報ばかりを手に入れてしまうのである。

きっとネットが馬鹿の王国に見える人は馬鹿を発見しようとしているだけだ、それか自分の考えと違う人は馬鹿だと思っているのだろう。そして他人の考えの中に論理の穴を発見ではなく、作り出してしまうのだ。

そして穴を作り出すともうそれで全てが問題だらけと勘違いしてしまうのである、100点で無いと駄目という病にかかっているのである。

大体本当に賢い会話をしている場合に内容を理解出来るのだろうか?それが理解出来るのはそれなりに知識があってこそだと思う。居酒屋や井戸端会議でそんな状況に出くわしても無視するのだ、逆に無視しないのは馬鹿な会話が耳に入ってしまうと妙に内容が気になってツッコミを入れたくなるのである。

結局は自分レベルに合った内容しか入って来ないのである。馬鹿が多いと思う事は自分もそのレベルという事なのだ。

ネウヨが気になる人は自分もそれと同じ様な所にいるという事に気がつけよと思う。ネサヨだったり、勘違いのリベラルだったりするのだ。目くじら立てて罵ったりするのは気になってしょうが無い位の同レベルの存在なのである。そして自分のテリトリーに侵入してくる恐怖から反応しているだけなのだ、ちっとも理性的なんかではないのだ。

あと思うのはネウヨ批判とかは楽しそうにやっているのがシャクなのだ、ブームに乗れないからそれは駄目なモノとしたいのだ。結局は自分がその中心にいたかったのだろう、知識の柱になりたかっただけなのだ。

ネットにしても井戸端会議にしても世の中の縮図以上に賢く成る事は無い。
posted by mouth_of_madness at 00:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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