2012年12月15日

色々な事が褪せる

昔はカッコイイ絵を見たり、新しい音楽を聴いたりするとシビレる、買わなくちゃと思っていた。

最近それが減っているのですよ。良い絵だ、良い音楽だと思う事はあってもそれ以上の盛り上がりに欠けるのである。

年をとったから?

確かにそれもあるだろう、しかし僕はもう一つの仮説を立ててみた。

今まで絵にしても音楽にしても新しいといった部分に反応していてのだがそれは平面的に拡がるという事だったと思うのだ。実に薄っぺらな部分で喜んでいたのかもしれないのである。

拡がるという事しかして来なかったから疲れてしまったのである。足場がグラグラだから休む事も出来ず疲れてしまうのである。

身体も精神も同じなのだ。疲れると全てがどうでも良い事になってしまうのである。

何かを積み上げるという事をして来なかったから基礎体力がなく疲れてしまうのだ。

若い内はそれでも何とかなったのだが、年をとると基礎の部分が大事なのだと実感するのである。

あれっ?結局それって年とったからじゃないの?

少し遅いかもしれないけど考え方を二次元的に考えるのではなく三次元的に考える方向にしなければ駄目なのだ。新しい事を貪欲に拡げるだけでは血肉にならない、基礎が出来ていないから楽しめなくなるのだ。

自分の風呂敷の大きさはそうそう大きくならないし限界もある。その限界までに拡げた結果が今の色あせた状態なのである。たたむ方法も、包む方法も覚えなくては駄目なのねと実感するのである。

まぁ色あせたから何?という問題もある、年をとったのだから枯れるのもありじゃないの。まだ枯れる訳にはいかないと思っている部分としてはこれだという自己主張が出来ていないからだと思う。その自己主張が成功するしないは関係無い、形にする事が出来ていないから枯れる恐怖を感じるのである。

強靱な妄想こそが先に進む為の道しるべ、旅のお供である。
posted by mouth_of_madness at 21:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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