2012年12月28日

情報強者

新聞は時代遅れ、テレビも時代遅れ、報道は出鱈目、全ては新しい時代に対応出来ていない古いモノ。

ネットには新しい情報の息吹がある、知りたければ深みに入れるという。

こんな事をいう新物好きの自称情報強者の人々、ひろゆきが警察等のちょっかいを受けるのは旧制度を守ろうとする者達や新しいモノを理解出来ない者達がそれを潰そうとしている、世代間闘争的な安易な答え。

これ自体がもう実に古臭い、何処にも新しさがない昔から繰り返される流れでしかない。

でも鼻の穴拡げてドヤ顔で調子に乗ってしまう馬鹿さ加減。何時になったら人は自分が馬鹿という事に気がつくのだろうか?馬鹿と阿呆がジタバタしているのが現実である。

人類は他の生物と違って文化を築き環境を作り替える事すら出来るいずれ地球からも出ていき新たなる星に移住すらすると思い上がっているだろう。他の動物は人類より遙かに馬鹿だと思っているのだろう。

でも本当の賢さとはなんだろうか?

何か他の動物と人間を比較するというのは国語が得意な人間と算数が得意な人間どちらが賢いと言っている様なモノである。偶々人類は今の様な科学文明的モノが得意だったに過ぎないのである。

新しい事を知っている、今の文明の利器を使えるからといって現代人の方が賢いかというとそれはまた別の話なのである。微妙に違う社会での適応能力の違いでしかないのだ。

その事に気がつく事無く、俺達って時代を切り開いているぜと勘違いをするのである、それだから馬鹿なのである。まぁ何かを進める、いや変化させる為には馬鹿の力は必要なのだろうけどね。

でも変化それが良いモノか否かはわからないのだけどね。

問題点を直そうとした変化だからいい事だと思い込んでいるけど、直そうとしてより悪くなった、問題が複雑化したというのは実生活で体験した事はある筈だ。

よく人は間違うのである。

多少出鱈目でも大きな流れを生み出す事の出来る旧来のモノ、全てを自己責任で同じ所をグルグル回るだけかもしれない新しモノという流れかもしれないのである。

色々と煩わしいモノを作り出しながら進んでいると勘違いする人類が僕にはどうにも賢いとは思えないのである。

あと法を犯してなければ全てOK、叩かれる理由もなければ、裁く事も出来ないという考えもまた社会を理解している様に思えないし、これもまた法に縛られていて自由ではない。

全てを受け入れる事なんか出来ていないのに、一部の新しいモノを受け入れている程度で勘違いする馬鹿には実に疲れるのである。ステージが上みたいな勘違い感に頭クラクラ。
posted by mouth_of_madness at 20:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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