2013年04月29日

不寛容

人間が寛容だと何処で思ったのか?そんなに寛容では無い事はわかっている筈。

それとも自分の不寛容な部分を見ない振りをする事で寛容だと思い込んでいるのだろうか?
元々人は不寛容だから寛容にしようと言っているである。

大体色々な事に拘る事こそが不寛容だし、何か良し悪しをつける事も不寛容なのである、心地よい状態は許すけど不快に思う事は排除しようとする、仕事とかにしても一緒に仕事をする人間が真面目に一所懸命に仕事をしたとっしても極端に仕事が出来なければプロジェクトから外そうとするでしょ、リストラされても当然と思う社員もいるでしょ。

少なくとも自分に不利益を与える人間に寛容になれる人間はそう多くは無いよ、不利益レベルに対して人により多少の違いがあるだけで誰もがその不利益レベルを超えれば排除に向かうかもしれないのだ。

実際には自分に不利益皆無だったとしてもこんな音楽が流行っている事が許せない、こんなお笑いタレントが高額年俸は許せないとか怒ったりもする位に人は不寛容なのだ。

ヘイトスピーチの事、式典で「天皇陛下万歳」と唱和した事に関して不快感を示すとかをみて軍国主義になりつつあるだの、不寛容な社会になるとお題目を唱える事も不寛容の現れである事に気がつかない。

寛容な僕達は不寛容は許さない、憎むべき不寛容をこの国から排除しなければならないというこの矛盾。

不寛容なのを理解し、その自分の不寛容と上手く付き合う方法を考える事が大事なのだ、距離感とかその不快を如何に避けるか、破滅的にならない発散方法を学ぶ事が人には必要なのである。決してそれは自分の感情を無視し寛容になる事ではないのである。

大体神々とかですら寛容ではないでしょ。人間が悪さしたら滅ぼそうとするし、悪魔とかをゆるさなかったりするしね。

神々を越えるつもりなのか?いや別に越えても良いけど。
posted by mouth_of_madness at 20:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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