2013年05月15日

セックスは罪

アメリカは92%の人が神を信じてセックスは罪と考えている、(日本は30%わっているらしい)そしてうんじゃねかんじゃねでアメリカには日本の風俗にあたるものがないという島田裕巳の考え。(詳しくは探して読んでね)

何だろう非常にピンと来ない。

まぁ僕の知っているアメリカは映画やドラマ、一部の報道、小説でしかない。

これらは実体を全く表していないのかもしれない、単なるレッテル貼り的アメリカしか知らないのが実情なのだろう。

でもフィクションの中のアメリカとこの記事に提示されているアメリカがあまりにも違いすぎるのである。

また日本が神、宗教を信じていないというのも実情を表している様には思えない、ある種のテレだったり、ガッツりと宗教活動をしていないという理由から信じていないといっている感じが僕にはするのだ。

宗教に対する距離感等が違うだけなのだと思う。

日本の神の形が違うからガッツリとは宗教活動しないだけで、僕は意外と信じていると思っている。

占い、お守り、初詣、お盆、お祭りとデローンと信じているのである、ある種空気みたいなモノなのだ、空気過ぎて宗教を意識していないだけなのである。

人権とかもかってはそうだったのだが、ガッチリと定義しようとするからおかしな歪みを生み出している。人権はこうあるべきという事を定義するから息苦しい、他人行儀な嘘臭い偽善な人権になってしまうのである。

セックスを罪とかいうのも歪みの様な気がする、日本も女性の人権とか言い過ぎると今にこのセックスについてもおかしな事になる筈だ。

あんまり意識させすぎると今に性犯罪が増えるか、嫌悪感の為に性行為が出来ない動物的欠陥になり少子化等も進み滅ぶ事になるのでは無いだろうか。一時的にはフェミニストと的になり優しい人といった勘違い状態になり平和、と思うかもしれないけどね。

実際は単なる去勢だけどね。

アメリカは行き場の無い精力が暴発し変な犯罪に繋がっているのではないかと僕は思っている何の根拠も無いけどね。

抑えすぎても、自由すぎても駄目なのよ何事にも程々というのがあるのでは無いだろうか。

漠然としたモノ、モヤモヤしたモノはそのままで良い事も有るのだ。何でもキッチリすれば良いというモノではない。ハンドルのアソビが無かったら運転し難いでしょ?

モヤモヤさまーずはモヤモヤしているから良いのだから。

神なんてモノはずっと考える事では無く時々考える、何かを簿妙に不安になった時とかに考える程度で良いのよ、自分の決断が不安になった時に神がみてくれていると考える程度で十分なのである。

神もイチイチ一人の人間の事を考えている暇は無いと思うよ。
posted by mouth_of_madness at 22:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック