2013年05月25日

世界各地

世界各地で顕在化しつつある移民問題。

食わせる余力のない国から人々が仕事等をもとめて余力のある国に向かい増えて行く、そのうち余力が限界に達する、だがそれでも余力のない国よりまだマシとなれば移民の流入は止まらないし、常に安い人件費で雇いたいと思う利益追求体である企業はその移民を受け入れていく。

そしてドンドンと増えていく、だが安い賃金で雇用されている移民には失業した時の余力がない、国に帰っても同じなので次の移民先が見つかるまで出ていく事はない。

また多少余力がある元々の国民も移民により職を奪われたり、低賃金になっておりこれまた余力はそんなに残っていない状態で頑張るしかない、自分達も移民するかという選択もあるのだが何で俺達がという考えもありなかなか移民は出来るモノではない。

余力がなく食えない状況になるとここぞとばかり人権屋が出てくる、食べていく為に国は何らかの保証しろと声を上げ出す。また移民と元からの国民との微妙な対立関係についても国民の方が人数も多いしまだまだ裕福だからという理由で折れるべきだというおかしな理屈が出てくる。国民の方が差別されるというおかしな状況になるのである。

弱者を救えとなるのである、そして更に移民は増えて行くのだ。

人数が増えていくと相手の事、文化を認めるのが人権だ人として大事な事だという考えに毒され自分達の文化と相容れ無い状況でも受け入れるうちに自国の文化が衰退していく事になる。

確かに地の利とか周りの環境等、歴史的経緯等で進歩だの何だの差がつく事はあるだろう、だが移民する側とされる側との差がついた理由にその国の文化や思想の影響もあると僕は考える。

そう考えると安易に相手の文化を重んじるあまりに自国的ではないモノを安易に受け入れては駄目なのだ。移民が増えそこら中に糞尿をしたり、ゴミの日を守らないとかを野放しにした為にもめている所もあるのだ。

文化の違いって意外とストレスなのよ、関西と関東の対立だったり都市部と地方との対立だったりと国内でも軽くもめるのにもっと差がある他国となったらどれだけストレスがあるのか?まぁ差が大きすぎる場合は別のモノと割りきれるという人もいるだろうけどね。

この書き込みを見て差別的だという印象を持つ人もいると思う、だがやはり違いはあるし差はあるのだ、その結果がその時点での国力だったりするのだ、むしろ同じ人間だという考えで違う部分を無視する方が余程相手の文化を軽んじていると思う。

色々な国での移民問題をみてもわかる様に中々混じらないのである、元からの文化を破壊し浸食していくのである。

文化が混じるのが難しいのは宗教対立等をみてもわかる筈だ、時間をかければ何とかなるというレベルで考えるにはあまりにも長い時間が必要なのである。

安易にやっては駄目、親和性の高い国、文化の受け入れやすい国とそれも一気にやるのではなく徐々に混ぜるべきなのだ、一度受け入れ出すと止める事は非常に難しいのだから。

不用意に移民を受け入れ対立を作り出す事になってはむしろ不幸なのである、距離があれば憎しみとかがない関係性だったのに無理に距離を詰めた為に殴り合う間柄になる。一時の便利と自己満足的情けで取り返しのつかない状態になったらそれこそ最悪な出会いになるのである。



移民問題、企業が作り、人権が育てて、国が死ぬ。
posted by mouth_of_madness at 19:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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