2013年12月17日

田分け者

昨日の書き込みとも被るけど人は色々なモノを細分化していく。

何か細分化していくとモノの本質がわかる様な気がするのである、漫画とかである子供が時計やテレビを分解するが如く色々なモノを分解して本質を探ろうとする。

生物は細胞に、物質とかは分子とかに分解してしまうのである、分解すれば何かがわかる様に気がしているのである。

しかし生物も更に分解していけば結局は物質と同じ事になってしまい違いがわからなくなってしまう。

人間とは何かというのをドンドン分けていくと108の煩悩だのとかが出てきて更にそれが細かい微妙な差異をドンドンと生み出し結局何なのかわからなくなってしまう。

音楽もリズム、メロディ、ハーモニーと分けていき最終的には波動という所まで分解してしまえばこれまた何が何やらわからないモノに還元していく。


海岸線をフラクタル的考えで細分化していけば海岸線の長さは無限大になるし、ドンドンと複雑化(ある意味単純化)していくし、元が何だったのかわからなくなってしまうのである。

昔から田んぼを分けていく事は馬鹿だという事で田分け者といったりするのだが物事の本質をつかもうとすれば分けては駄目なのでは無いかと思うのである。

むしろより大きな視点で見ることの方が大事なのではないか?

生物の事を知りたければ細胞を観るのでは無く地球上での生物の役割とか集団でどの様に生きているのかを知る事こそが生物の本質に繋がるのではないのか?

物質を知りたければ宇宙を観るのではないのか?

人間を知りたければ社会がどの様に動くのか、動いているのかという集団の中に人間を発見するべきなのだ。

時計は部品の集まりでは無いのだ。
posted by mouth_of_madness at 23:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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