2014年07月28日

差別のある社会

理不尽な差別であれば問題だと思うが、理由のある差別ならばOKという考えの社会こそが正しいのでは無いだろうか。

まぁその理由の定義というのが非常に難しいしとは思うけど、理由があれば多少の差別も仕方無しだというのが安定した社会ではないだろうか。

その差別があるからこそブレーキになりおかしな行動をとらなく部分があると思う、差別が確かにストレスになり問題を起こす部分もあるが差別されるという恐怖感がある種の自制心を生み出す効果の方が意味があると思う。

何でも人権で考える方が実は差別では無いのか?、人の事を気遣い、社会を不安亭にさせる事無く真っ当に生きてきた人間と、出鱈目に、本能の命ずるままに犯罪にも手を染め生きて来た人間と同じ様に評価するというのは間違いだよね、過去に辛い事があったからとかで温情を得る事はある種の差別だよね。

何不自由なくイイ感じだったから、不幸な人に温情をというのは実に差別的だよね。

何かブレているけど多少の差別があるというのは人の考え的には仕方の無いこと、全て妥協しろというのは無茶過ぎるのよ。

人は自分の都合で物事を評価し考える、絶対的尺度は無いその歪みを多少の差別で埋めるのだ、全てが駄目となるとその歪みがストレスになり人は崩壊する。

世界には色々な考えがあり衝突を繰り返す、それらに折り合いをつける差別が精神衛生上必要なのだ、抒情に無くなれば良いのかもしれないけれど、無理に無くす必要はない。社会にはそれらを軽く逸脱し壊してしまう者がいるからね、それらの暴走を防ぐ為にもブレーキとしての差別は必要なのだ。
posted by mouth_of_madness at 21:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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