ネットでプチ人気モノになったりして、本を出したり、賛同者というかファンがついたりして、政治思想のリーダーになったりするこんな世の中。
小さいコミュニティの御山の大将なんだけど有頂天になったりする、このネットの浮かれ具合、僕は30年前ぐらい同じ様なモノを観たかんじがする、インディーズの音楽シーンと同じ様な感じがするのは僕だけだろうか?
メインの流れと違う事、チョイと過激な事で真実を語っている、本質を語っているという錯覚感、宗教の信者の如く俺達こそが次の時代を切り開く先駆者的な錯覚感。
そしてそれぞれのファン同士が対立したりする感じが実に滑稽に思える。
またバンドの解散劇みたいに方向性の違い、音楽性の違いの如く思想性の違いで分裂する感じも実にショボイ、小さい範囲で罵り合う、大きな流れ、本流にもなっていないし、影響力もしれているのになんか大面気分の格好悪さ。
青臭い、ピュアとかいうのかもしれないけれど単なる幼稚な精神性でしか無いのである。
でもチョイとみんな天狗になりすぎだと思う、ある程度流れを生み出していると思う橋下徹ですら天狗に成り過ぎだと思うのは僕だけ?なんか色々なモノに噛みつきすぎだと思う、かまさないと駄目というのも理解は出来るけどチョイと幼すぎに思えるのである。
マスコミを利用するという考えかもしれないが結局はマスコミに振り回されている感じが否めない。
まぁその小さな人気すら無い、知識も能力も無い僕が屁理屈を述べても更に意味が無いけどね、単なるやっかみに過ぎないよね。
敵も味方も小さい争い、其処にしがみつくしかない状況、それ位世の中は追い込まれているのだろうか?ネットが自分を主張出来る場所、自己実現の道具と錯覚、だがそのせいで自分に何も無い事に気がつき誰かにしがみつく、流れに乗っていれば安心出来ると思い込んでいるからおかしな流れに成ってもそれを維持しようとする現状。
その流れが小さな流れ、いやもしかすると流れてすらいない、澱みが風で動いているだけなのかもしれないモノかもしれないのにね。
ネットとは自分が矮小な存在というのを実感させる為のモノ、その不安感を増幅させる為のモノ、情報が氾濫する事で疑心暗鬼にさせる為の仕組みなのかもしれない。
そしてお互いがお互いを縛りつけ雁字搦めになるのでる、大げさに考えすぎかもしれないが既に社会は依存状態に陥っているのだ。
2014年08月15日
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