戦争反対という声は大きい、僕も嫌だと思う。
戦争とは一見縄張り争いだと思っていたが実は違うのではないかと今は思っている、本来動物等が行う縄張り意識は自分の生存に必要な生活範囲を維持する為の行為だと思う。
安全に生きるという事に必要な行為というのが根っ子にあるのだ。
だが人間の縄張り意識はドンドンとその範囲を拡げていく、自己顕示欲、様々な所有欲等を満足させる為に際限なく拡がって行く。
国家間の戦争だけが特殊という訳ではないのだ、企業のシェア争いですら同じだよね、社員をドンドン増やす行為にしても其処に意味はあるのかと思う。
東京で十分やっていけているスーパーが更に近県に手を伸ばしていく、近県のスーパーとの共存ではなくそのシェアを奪おうとしていく、まさに戦争と同じなのよ、その過程で死者も出ている筈だ。
企業買収にしても際限なく進む、スケールメリットだの消費者等に対する利益だのとメリットを吹聴するがあくまで自分の利益を拡大をしたいだけ、足るを知らないのだ。
それぞれの塊、集団で必要な大きさがあるのだが過剰に大きくしようとする力を手に入れようとし過ぎるのが人類の欠点である、それが様々な発展を生み出すというのだろうけどその反面生きるという楽しみを人は失っているのではないだろうか。
より広くという安易な考えの拡張路線は辞めるべきではないだろうか、かって日本は鎖国という拡張路線をやめ深化を目指した、企業も国も拡張を止めその自分の縄張りのメンテナンスや発展を進めるべきなのだ、この狭い所をどれだけ快適空間にするべきかというのを考えるべきなのである。
2014年08月26日
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