自由を謳歌しようという考え、それには自己責任が伴う。
でもねぇこれに矛盾する感じがするのが説明書等にくどくどと書かれる禁止事項の数々、企業は記述したから責任無しねという感じ、それに添って使っているのだから俺にも責任無いねという考える事を止めている感じがどうにも矛盾を感じる。
自分で考え責任を取るというのが自由の本質ではないの?責任取りたくないから膨大な量の禁止事項に責任を全て押しつける。
説明書なんて正しい使い方だけ書いて、その他の使い方をした場合は知らないという位のスタンスで十分ではないのか。
そもそもあれやるな、これやるなというやり方では予想もしない使い方をした場合に対応出来ないからね。
責任を取りたくない自由主義ってどうなの?
昔はもっと雑だったよね、それで問題が本当に有ったの?まぁ訴訟があったから防衛策として企業はやっているのだろうけど、少数でも問題があれば対策をするそれがサービスの基本というのかもしれないけれど、少数の意見に耳を傾けた結果、人は馬鹿になっていないか?
また禁止事項が増えた結果誰もまともに読みはしないモノなっていたら本末転倒ではないのか?
ソフトの使用許諾とかセキュリティポリシーとかにしても問題を回避しようとし過ぎて訳のわからない事になっているし、まともに読む気になら無いモノに成り下がっている。
僕は自分の知識と判断力に全てを任せられる程の自信を持ってはいなから、考えはするけど参考意見、判断基準が外部にあるのはありがたいと思う、それらに記載されている事をどう判断するかは自分で決めるけどね、書いていないから駄目だと安易に決めつける事はない、そうありたい、独自根拠で大丈夫かもと判断したのは自分だからね。
正規の使用法なのに不具合が出た場合は文句言うけどね、それでも限界範囲ギリギリの場合とか駄目かもねとは思う位の判断はする、チョイと余裕を持たせる感じでね。
こんなおかしな状況を見ると人に道徳心がなくなっている事が透けて見える感じもする、過剰なクレームを入れる客、不具合を隠そうとする企業、違法な事をして儲けようとする輩、火を起こし飯の種にする弁護士といった様々な部分でモラルが壊れているのだと思う。
これが自由という事か!?
2014年10月26日
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