2015年04月23日

喪失

大前研一が提示する、強制か否かは関係無い、ただ一言謝って欲しいだけという韓国の要人の意見。

いやそれっておかしいでしょ、悪くなくても謝れっていうのが内包している状況って出鱈目でしょ、この考えの背後に透けて見えるのは人権問題とか戦後補償といった問題ではないという事。

日本が謝る事で、土下座する事で頭を踏みつける、俺達の方が上なのだという満足感、優越感こそが全てという事、そして一度でも罪を認めたという事が残れば、其処を切っ掛けにズルズルと文句を言い続けるだけ、冤罪とかそんな事は関係無い、形だけでも罪を認めた時点で有罪確定なのよ、丸く収めるといった考えは無いし、再審なんかも無い。

人に優しい俺という状態に酔う、でもねぇそれは物事をダラダラと長引かせるだけの駄目な選択、同じ感覚を共有している者達の間でなんとか上手くいく可能性があるモノ、価値感等が違えばキッチリと様々条件等の取り決めしなければ駄目なのよ。

キッチリとスジを通す、それこそが大事なのに、安易な優しさにより誰も不幸になる、自己満足が更に問題を大きくする、そんな事を繰り返すと何が問題だったのかわからなくなっていくのだ。

結果今回の大前研一の様に頓珍漢な事になるのだ。
posted by mouth_of_madness at 22:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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