2016年02月27日

しきたり

昔からのしきたり慣習を現時点での視点で非合理だのおかしだのと決めつける。

確かにしきたりだから、そういうモノだからという態度はよろしくないかもしれないけれど、チョイと考えただけでおかしいというのもこれも問題ではないか。

長い時間をかけて作りあげたルールなのだ、ポッと思いつきで全貌が本当に理解出来るモノなのだろうか?

談合とかも駄目だ駄目だといけれどそれにより廻っていた仕組みもあったのだ、建築費とかが抑えられる事は良い事なのかもしれないしそのメリットもあったというのは理解出来る、でもトータルではどうなのか?

問題はあるのはわかっていても対案が思いつかない場合その中で最善を尽くすしかないのですよ、その問題点を見つけてドヤといってもそのせいで次の問題が生まれるかもしれないのだ、悪化してくるのが10年後とかの時間、世代が変わるまでの時間が必要な場合にその事に気がつく事が出来るのだろうか?

そして仕組みを壊し失われるモノがある、失われたモノがその後大事だったと気がついてもそれらの復活にどれだけ大変な労力が必要になるかもわからないまま壊してしまう。

バブルで壊れた経済感、未来の展望が未だに修復できずズッと停滞している。

それと平行して効率化をひたすら追求する思想が蔓延し余裕のない社会を生み出している、遊びこそ大事だったのではないかと思えてくるのだ。

安易な思いつきを俺は物事を考えている錯覚する、あくまでそれは仮定であり実証、検証して問題が起きないねと確認がとれた時に意味を持つものなのだ。

新しい視点では非効率に思える仕組みより、より良い成果が出てこそそれが正しいと言えるのです。

ポッと思いついただけで偉そうになるのは間違い、それが良いと思うのならばそのシステムで事業を起こしたりすれば良いのですよ。

全てをこれは正しいのかというの試行錯誤しながら生活するとほぼ何も出来ないのではないよ、それにねぇある程度の時間を経て残っているモノそれなりに意味があったからですよ、それを安易に信じるのはそんなに問題ではないと思います。
posted by mouth_of_madness at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック