なんかポッと出の新しい言葉、相対的貧困。
まぁこれを訴えている人の理想を実現しようとすると共産主義的社会になるという事だよね。
これを無くすには誰もが同じ状態にするしか無いモノ、医療費もタダにしておかないと身体が弱い人はそれだけお金を使う事になるから生活格差が生まれるしね。
人間の能力が違う訳で、それにより生まれる格差を何処までも埋めていくと別の格差が生まれていく、駄目であれば駄目であるほど国は手厚く保護をするという事だからね。
貧困だと言う人は格差を埋める努力をどれだけしているのだろうか?
全てを手に入れようとしていないか?本当に手に入れたいモノは何かを考えていないのではないか?
何かを手に入れるには何かを捨てないと駄目な事は殆どの人にある事なのよ、全てを手に入れる事が出来るのは才能がある者だけです。
才能が無い、お金が無いのならば、他のモノを捨てその分を足りない所に回すしか無いのよ。
お金を浮かせる為には食費だったり、娯楽だったりをを我慢はしないとね、此等をささやかな贅沢とか言いだしたらキリがないよ。
働いている者も色々な事我慢して働いているから欲しいモノ手に入れられたりするのですよ、それでも上みたらキリがないから諦めもするのよ。
家が欲しければ、食費切り詰めたり、遊びに行かなかったりもするし、それが無理ならば本来欲しい間取りを捨てたり通勤時間を犠牲にしたりもするのよ。
相対貧困を撲滅する為に色々な事を切り詰めたりして娯楽を楽しんでいる人から更に巻き上げようという考えってチョイと行き過ぎだと思うよ。
本当に大変だという人を助ける為に頑張るならまだしも、遊んでいて手に入らないモノがあるから「我は貧困だ」という者を助けろってチョイと無茶苦茶な話。
2016年09月13日
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