2017年04月15日

モノの価値

絶対的尺度が有りそうだけどない、人の感覚でコロコロ変る、時代でも変るような実にいい加減なモノ。

だが価値は金を産む、だからそれを仕込む連中がいる、いやもしかすると時代で変る理由はその仕込む連中の仕業かもね。

元々人には価値を見分ける能力はないのかもしれない、これが良いモノですといわれるとその様に判断してしまうだけなのかもしれない。

食事とかを見ていると特にそう思う、他国の料理とかをみて「ウワッ、マジか」と思う様な感じのモノがその国ではご馳走だったりするのですよ、感度の違いはあっても人間の舌の能力はそうそう違わないと思うのです、文化により価値が仕込まれ、それを美味と思う脳の仕組みが作られたのですよ。

その場で収穫出来るモノを美味しいモノと認識しなければ生きていくのはつらいよね、だから文化に合わせて感覚を変える機能が人間についているのだと思う。

価値も時代により変るというのはその機能の有効利用を思いついた連中の金を儲ける為の策だと思う。

もしかするとその策により人の形状すら変るのかもしれない、その価値の中で自分を高く売る為に人は形状を変えるのである、食べ物変ったせいでアゴがほっそりしたとかいうのは実は間違いなのではないかと僕は思っている、シュッとした中性的な男性がモテるとなればその様に形状を変えるのではないかと思う。

メイクだけの問題ではないと思う。

価値感が脳の思考構造をかえ、その変化が弱いながらも肉体の形状も感覚も変えるのではないかと思う。

日本人ろポリネシアの言語感覚だと虫の声が脳の言語野で認識されるとかいうのも価値観の創成ではないだろうか。


価値に翻弄されるのが人間なのだ。

民主主義に市場経済が良いとかいうのも刷り込まれた結果、そもそも人はどうなりたかったのかというのが見えて来ないのでしょ?刷り込まれた結果それが言い生き方と思わされているからなのよ。

イスラム教ととキリスト教がぶつかり続けるも、漠然とは求める幸せがズレているからなのだと思うのです。

幸せという価値観の共有が出来ていないのです、幸せに人間の本能により絶対性が無いからの問題です。

思想家や哲学者は新しい人間に対する考察をする、だがその考察により人は再プログラミングされていきそれに沿った人間に徐々に変貌する。

悪いモノを定義すれば人はドンドンと腐って行くのである。


血液型とか星座とかも人コントロールし型にはめるのモノなのである。
posted by mouth_of_madness at 22:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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